世界の裏側宵闇の世界。世界の守護者アンゼロットの居城、アンゼロット宮殿はそこにある。常人が入ることは叶わず、ロンギヌス達が警護する、ファー・ジ・アースでもっとも堅牢かつ侵入を許さぬ場所だ。
そのテラス。主であるアンゼロットはいつものように午後のティータイムを楽しんでいた。多忙な彼女にとって睡眠・入浴・食事に次ぐゆったりとした時間なのだが、闖入者が現れるのは決まってこの時間なのは何の因果か。
「……おいし」
今日のお茶は宇治の煎茶。無論湯飲みではなくティーカップで嗜むのがアンゼロットだ。
元々香りがよいので、冷めない内に味を楽しむのではなく、香りを楽しむのなら口広のティーカップでも構わないのだ。
ふと、テーブルの向かい、その空間に切れ目が縦にスゥと入る。長さは2mを越える。その両端にどこからか現れたリボンがくるりと結わえ付けられた。
「……何事もないことを願っていましたが、妖怪には関係ないことでしたね」
アンゼロットがぽつりと漏らすが、その呟きが空間の裂け目に届くはずも無い。そのスリット――スキマは中央から大きく左右に別れ、無数の眼が観察する次元のハザマを覗かせる。そこから、優雅に歩み出た少女(?)が一人。
「お久しぶりね、アンゼロット」
「玄関から入ってきてくださいね、八雲 紫」
アンゼロットはスキマから出てきた少女に答える。派手な洋装にメリハリの利いた肢体を包み、日傘を細く白い手に絡ませたその少女の名は八雲 紫という。人間ではなく、妖怪だ。
「それで、何の用ですか?」
アンゼロットは不機嫌そうに口をティーカップで隠して尋ねた。それに対し、紫は白い扇子で口元を隠して嗤う。
「あら、つれないわね。旧友が尋ねてきたというのに……」
くつくつ、と楽しげな紫/カップをソーサーに置き忌々しげに睨むアンゼロット。
「友人、という仲でもないでしょう。強大な力がありながら幻想郷に引籠ってエミュレイターと戦おうともしない」
「それは貴女も同じこと……でしょう?」
アンゼロットの向かいに置かれた椅子に座りながら、紫は答える。
「ではお言葉に甘えまして本題を」
言いつつ、スキマからグラスとビンのコーラを取り出して注ぐ。
「飲みます?」
「結構です」
あら残念、とコーラを飲み、一息。
「ウィザードを何人かお借りしたいの」
紫の言うことはシンプルだった。しかし、アンゼロットは是としない。
「何故です? 幻想郷には魔法使いの二三人、存在するでしょう」
「ただの魔法使いではだめ。空飛ぶ巫女もだめ」
「吸血鬼も、幽霊も、果てには八百万の神々だっているでしょう」
「全て、幻想郷の『常識』の範囲内でしかない」
「貴女自身は?」
「既に私は幻想郷の一部」
言葉の応酬。現状の戦力でなんとかしなさい/それができない。
紫はコーラのグラスをテーブルに置き、視線をアンゼロットに向ける。
「エミュレイター。それも魔王級のエミュレイターが幻想郷に侵入したのよ」
アンゼロットはその話に欠片も驚きを感じない。
「博麗大結界を越えるほどのエミュレイター。それは確かに脅威です。ですが、幻想郷に住まう妖怪たちにかかればどうってことないでしょう」
幻想郷と外を隔てる博麗大結界。いわば非常識を常識にして受け入れるというルールを持つ、常時展開された巨大な月匣だ。エミュレイターにしてみれば、ファー・ジ・アース内でこれほど居心地のいい空間は他にないだろう。ただし、たどり着ければの話ではある。
幻想郷は完全に隔離されている、といってもいい。それほど博麗大結界は堅牢なのだ。
「残念だけど、妖怪たちは手を出さないわ。異変を放って置けば、自分が異変を起こしたときに放って置いてくれますから」
「博麗の巫女を初めとする人間たちに何とかさせればよいでしょう?」
「それも出来ないの。ウィザードたちを統べるあなたに分からないはずがないわ」
「……まさか、月衣?」
「そう。『弾幕』は幻想郷では常識なのよ。故に、彼女たちの攻撃は通用せず。しかもエミュレイターは『弾幕』を覚えてしまった。常識外の存在が月衣によって守られ、弾幕という常識の手段を持っている。そして……人間に畏怖と恐怖を与えているの」
妖怪は元々、恐怖や畏敬の念、といったものをプラーナの流れに変換して、プラーナを補給する。だから鬼は人間を攫い、お化けは人間を脅かす。すべてはプラーナを得るために。それが、近代以前の話。
「幻想郷に危害を加える気は無いようだから私は構わないのだけれど。……得たプラーナでファー・ジ・アースを滅ぼす力を補給されるのは貴女としてはどうなのかしらね?」
アンゼロットの決断は早い。
「今すぐどうにかなる、というレベルではないようですが、危機の芽は早い内に摘み取っておくのが安全ですね。八雲 紫、報告をありがとうございます」
「いえいえ。わたくしもファー・ジ・アースが滅びるのは回避しませんと。なぜなら幻想郷の維持にファー・ジ・アースのイノセンスが必要なのですから」
八雲 紫は人を攫う。神隠しという形で人を攫い、攫った人を妖怪に襲わせる。紫自身も人を襲う。妖怪は人を襲うものなのだから。
「しかし……ただのウィザードでは役に立ちませんわ。ウィザードにとって弾幕は常識ではありませんから」
それだけではない。無数の弾幕を避けきれず、なす術もなく撃たれて終り。接近も出来ない。
紫は条件を次々と追加していく。
「それに、射撃や魔法では弾幕とみなされて月衣ではじかれる」
「白兵が望ましいと?」
「弾幕戦闘を行うため、飛行能力があることが望ましい」
「それは箒に乗せれば問題はありませんね」
「パーティ単位ではなく、一人である程度の能力が無ければいけない」
「個人の能力が高い人物……」
アンゼロットの頭脳はそれらの条件と合致するある人物を導き出した。
「……心当たりが一人。弾幕戦闘の訓練を施し、箒を与える必要がありますが、条件に合致する人物。能力が高く、功績も多く、それなりの有名人ですが」
「その人物とは?」
紫は聞いた。そしてアンゼロットは、その名を言う。
「彼の名は――」
そのテラス。主であるアンゼロットはいつものように午後のティータイムを楽しんでいた。多忙な彼女にとって睡眠・入浴・食事に次ぐゆったりとした時間なのだが、闖入者が現れるのは決まってこの時間なのは何の因果か。
「……おいし」
今日のお茶は宇治の煎茶。無論湯飲みではなくティーカップで嗜むのがアンゼロットだ。
元々香りがよいので、冷めない内に味を楽しむのではなく、香りを楽しむのなら口広のティーカップでも構わないのだ。
ふと、テーブルの向かい、その空間に切れ目が縦にスゥと入る。長さは2mを越える。その両端にどこからか現れたリボンがくるりと結わえ付けられた。
「……何事もないことを願っていましたが、妖怪には関係ないことでしたね」
アンゼロットがぽつりと漏らすが、その呟きが空間の裂け目に届くはずも無い。そのスリット――スキマは中央から大きく左右に別れ、無数の眼が観察する次元のハザマを覗かせる。そこから、優雅に歩み出た少女(?)が一人。
「お久しぶりね、アンゼロット」
「玄関から入ってきてくださいね、八雲 紫」
アンゼロットはスキマから出てきた少女に答える。派手な洋装にメリハリの利いた肢体を包み、日傘を細く白い手に絡ませたその少女の名は八雲 紫という。人間ではなく、妖怪だ。
「それで、何の用ですか?」
アンゼロットは不機嫌そうに口をティーカップで隠して尋ねた。それに対し、紫は白い扇子で口元を隠して嗤う。
「あら、つれないわね。旧友が尋ねてきたというのに……」
くつくつ、と楽しげな紫/カップをソーサーに置き忌々しげに睨むアンゼロット。
「友人、という仲でもないでしょう。強大な力がありながら幻想郷に引籠ってエミュレイターと戦おうともしない」
「それは貴女も同じこと……でしょう?」
アンゼロットの向かいに置かれた椅子に座りながら、紫は答える。
「ではお言葉に甘えまして本題を」
言いつつ、スキマからグラスとビンのコーラを取り出して注ぐ。
「飲みます?」
「結構です」
あら残念、とコーラを飲み、一息。
「ウィザードを何人かお借りしたいの」
紫の言うことはシンプルだった。しかし、アンゼロットは是としない。
「何故です? 幻想郷には魔法使いの二三人、存在するでしょう」
「ただの魔法使いではだめ。空飛ぶ巫女もだめ」
「吸血鬼も、幽霊も、果てには八百万の神々だっているでしょう」
「全て、幻想郷の『常識』の範囲内でしかない」
「貴女自身は?」
「既に私は幻想郷の一部」
言葉の応酬。現状の戦力でなんとかしなさい/それができない。
紫はコーラのグラスをテーブルに置き、視線をアンゼロットに向ける。
「エミュレイター。それも魔王級のエミュレイターが幻想郷に侵入したのよ」
アンゼロットはその話に欠片も驚きを感じない。
「博麗大結界を越えるほどのエミュレイター。それは確かに脅威です。ですが、幻想郷に住まう妖怪たちにかかればどうってことないでしょう」
幻想郷と外を隔てる博麗大結界。いわば非常識を常識にして受け入れるというルールを持つ、常時展開された巨大な月匣だ。エミュレイターにしてみれば、ファー・ジ・アース内でこれほど居心地のいい空間は他にないだろう。ただし、たどり着ければの話ではある。
幻想郷は完全に隔離されている、といってもいい。それほど博麗大結界は堅牢なのだ。
「残念だけど、妖怪たちは手を出さないわ。異変を放って置けば、自分が異変を起こしたときに放って置いてくれますから」
「博麗の巫女を初めとする人間たちに何とかさせればよいでしょう?」
「それも出来ないの。ウィザードたちを統べるあなたに分からないはずがないわ」
「……まさか、月衣?」
「そう。『弾幕』は幻想郷では常識なのよ。故に、彼女たちの攻撃は通用せず。しかもエミュレイターは『弾幕』を覚えてしまった。常識外の存在が月衣によって守られ、弾幕という常識の手段を持っている。そして……人間に畏怖と恐怖を与えているの」
妖怪は元々、恐怖や畏敬の念、といったものをプラーナの流れに変換して、プラーナを補給する。だから鬼は人間を攫い、お化けは人間を脅かす。すべてはプラーナを得るために。それが、近代以前の話。
「幻想郷に危害を加える気は無いようだから私は構わないのだけれど。……得たプラーナでファー・ジ・アースを滅ぼす力を補給されるのは貴女としてはどうなのかしらね?」
アンゼロットの決断は早い。
「今すぐどうにかなる、というレベルではないようですが、危機の芽は早い内に摘み取っておくのが安全ですね。八雲 紫、報告をありがとうございます」
「いえいえ。わたくしもファー・ジ・アースが滅びるのは回避しませんと。なぜなら幻想郷の維持にファー・ジ・アースのイノセンスが必要なのですから」
八雲 紫は人を攫う。神隠しという形で人を攫い、攫った人を妖怪に襲わせる。紫自身も人を襲う。妖怪は人を襲うものなのだから。
「しかし……ただのウィザードでは役に立ちませんわ。ウィザードにとって弾幕は常識ではありませんから」
それだけではない。無数の弾幕を避けきれず、なす術もなく撃たれて終り。接近も出来ない。
紫は条件を次々と追加していく。
「それに、射撃や魔法では弾幕とみなされて月衣ではじかれる」
「白兵が望ましいと?」
「弾幕戦闘を行うため、飛行能力があることが望ましい」
「それは箒に乗せれば問題はありませんね」
「パーティ単位ではなく、一人である程度の能力が無ければいけない」
「個人の能力が高い人物……」
アンゼロットの頭脳はそれらの条件と合致するある人物を導き出した。
「……心当たりが一人。弾幕戦闘の訓練を施し、箒を与える必要がありますが、条件に合致する人物。能力が高く、功績も多く、それなりの有名人ですが」
「その人物とは?」
紫は聞いた。そしてアンゼロットは、その名を言う。
「彼の名は――」