経典(けいてん、きょうてん)
仏教の教典「
仏典」のうち、仏が説いたもの。同じく釈迦が説き戒律に徹した内容のものは「律」と呼ばれ、こちらも伝承されている。
「経」はサンスクリット語で「糸」を意味する「スートラ」を訳した呼称。
パーリ語形は「スッタ」と言う。
バラモン教?、
ヒンドゥー教においても「スートラ」は存在するが、『カーマ・スートラ』や『ヨーガ・スートラ』のように「スートラ」を冠する文献にも一介の学者や聖者を著者とするものがあり、仏の説法のみがスートラとして扱われる仏教とは文脈が異なる。
経典の分類
阿含経典
サンスクリット語やパーリ語では「アーガマ」という。「到来したもの」「伝え来るもの」「伝承」を意味し、ヒンドゥー教や
ジャイナ教?にも「アーガマ」と呼称される教典類が存在する。
パーリ語は歴史上の釈迦が話していたマガタ語と近縁なだけあり、仏教研究においても重んじられている。
テーラワーダ仏教の伝統説においてはパーリ語=釈迦が話していた語、と認識されている。
大乗経典
宗教学的には、「釈迦の没後に起こった大乗仏教という宗教運動」の中で創作された経典、と見なされる。
宗教学においては阿含経も釈迦の直説そのもの、とは見なされていないが、
大乗経典?はそもそも問題外、という感じである。
経典の結集
釈迦の教えを経典として集成する「結集」は歴史上何度か行われている。
その第一回は釈迦の直弟子たちを含む数多の阿羅漢たちによってなされたとされている。
この時代では書物としては書かれず口承であった。彼等がしたのは口承を次世代のサンガへと継承するための整理であったと言える。
パーリ語版『大パリニッバーナ経』では伝承を正しく行っていくための指南、ととれる箇所が存在する。
上座部以外の諸部派の伝承では三度まで結集が行われている。
上座部では四度目が1世紀に
スリランカで行われている。伝承方法に「書写」が加わったのもこのあたりの時期と推定されている。5、6度目はかなり時代を隔て、19世紀以降になってから開かれている。
大乗仏教の認識においては大乗経典もこうした結集作業によってまとめられている。
阿含経には登場しない
菩薩たち、
文殊菩薩、[金剛手菩薩]]が関わり、阿含経では遠い未来に現れるだけの
弥勒菩薩も史実の人物として認められる釈迦の弟子たちの同時代人として経や律をまとめる結集作業に参加している。
参考
最終更新:2025年05月24日 16:55