概要
ユウナ・シトリン(Yuna Citrine)は、アーナック連合王国(United Kingdom of Arnack, UKA)の航空宇宙局(Aerospace Sciences Administration, ASA)に所属する航空工学者であり、宇宙飛行士候補である。 ツィルニトラ共和国連合(Zirnitra Union, UZSR)が進める「プロジェクト・メシュタ」に対抗する、アーナック側の有人宇宙飛行計画「プロジェクト・ヘリオス(Project Helios)」において、中心的な役割を担う人物として知られる。 物語においては、主人公レフ・レプスやイリナ・ルミネスクのライバル、あるいは対極的な存在として描かれ、冷戦下における宇宙開発競争のもう一方の当事者であるアーナック側の視点を象徴するキャラクターである。
生い立ち
亡命者の娘 ユウナは、アーナック連合王国で生まれた。しかし、彼女の両親はツィルニトラ共和国連合の出身、正確には革命によって倒された旧ツィルニトラ帝国の知識人階級(インテリゲンチャ)であった。 革命の混乱と、その後の体制による知識人の弾圧を恐れた両親は、多くの同胞たちと共に帝政末期に国を脱出し、アーナック連合王国へと亡命した。 「シトリン」という姓は、アーナックに帰化する際に、元の家名の一部や響きを残しつつ改名したものである。 両親はアーナックにおいて、帝政時代の高度な教育を活かして学者としての地位を築いたが、故郷を追われた記憶は家庭内に色濃く残り、ユウナは幼少期からツィルニトラの新体制に対する複雑な感情と、アーナックの自由主義的な思想の中で育った。
才能の開花とASAへ ユウナは幼い頃から、空、そしてその先にある宇宙に強い憧れを抱いていた。これは、両親が帝政時代に触れたツィオルコフスキーの宇宙理論に関する文献をアーナックに持ち込んでいた影響も指摘されている。 彼女の関心はロマンティシズムではなく、純粋な工学的・数学的な探求心に向けられた。特に航空力学と推進技術において傑出した才能を示し、飛び級で大学を卒業後、若くしてアーナックの航空技術開発の中枢であるASA(航空宇宙局)にスカウトされた。 ASAでは、当初は新型ジェット推進機や弾道ミサイルの研究開発に従事していたが、ツィルニトラがスプートニク(劇中では「スプートニク1号」に相当する「第一号人工衛星」)の打ち上げに成功すると、アーナック国内で「スプートニク・ショック」が発生。国家の威信をかけた宇宙開発競争が本格化する。 この流れを受け、ASA内に有人宇宙飛行計画「プロジェクト・ヘリオス」が設立されると、ユウナはその若さと卓越した知識を買われ、計画の基幹設計チームのリーダー格に抜擢された。
作中での活躍
「ライカ44」への反応 物語の序盤、ツィルニトラが「ノシフェラトゥ計画」(吸血鬼を実験動物として宇宙に送る計画)を極秘裏に進めていることがアーナック側の諜報網によって察知されると、ユウナはこの情報に強い嫌悪感を示す。 彼女の嫌悪は、第一に非人道的な動物実験(彼女はイリナを当初、未知の生物種=動物として認識していた)に対するものであったが、それ以上に、ツィルニトラが宇宙という科学の結晶である領域に「吸血鬼」という非科学的でオカルト的な存在を持ち込もうとしていることへの生理的な拒絶であった。 彼女にとって、ツィルニトラの行動は「科学をイデオロギーの道具にし、合理性を欠いた体制の狂気」の象徴であり、アーナックは「真に理性的で人道的な科学」によって宇宙を目指すべきだと主張し、プロジェクト・ヘリオスの推進を強く訴える。
プロジェクト・ヘリオス ユウナはプロジェクト・ヘリオスにおいて、宇宙船の設計、特に生命維持装置と再突入時の耐熱技術の開発を担当した。 彼女は技術者であると同時に、自らも宇宙へ行くことを望み、宇宙飛行士候補としての過酷な訓練にも志願していた。 レフ・レプスがツィルニトラで有人宇宙飛行に成功したという報(「ガガーリン」の成功に相当)は、アーナック国民に第二の衝撃を与えたが、ユウナは冷静にツィルニトラ側のデータを分析。レフが達成した「周回軌道」に対し、アーナックはより高度な技術、すなわち「ランデブーとドッキング」あるいは「月周回」を先に達成することで優位性を取り戻そうと計画を修正・加速させる。
レフ・レプスとの接触 作中では、レフやイリナと直接的に頻繁に会う場面は少ない。主な接触は、中立国で開催される国際航空宇宙学会などの公的な場に限られる。 学会のレセプションでレフと短い会話を交わすシーンでは、ユウナはレフ個人の飛行士としての技量や宇宙への情熱には一定の敬意を払いつつも、彼が仕えるツィルニトラの体制、特にイリナを「宇宙飛行士」として扱おうとする姿勢については、冷徹な口調でその非合理性を批判している。 彼女はレフに対し、「あなたは優秀な飛行士だ。だが、迷信と虚偽に満ちた体制のプロパガンダに加担していることを恥じるべきだ」といった趣旨の発言をし、二人の間にある決定的な思想的断絶を明確にする。
対人・因縁関係
レフ・レプス ユウナにとってレフは、宇宙開発競争における最大のライバルである。同じ宇宙を目指す者としての共感と、敵対するイデオロギーの代表者としての敵愾心が入り混じった複雑な感情を抱いている。 レフがイリナという「人間ではない存在」と真摯に向き合い、彼女の人権(あるいは尊厳)を守ろうとする姿は、ユウナの合理主義的な価値観からは当初、理解しがたいものであった。
イリナ・ルミネスク イリナは、ユウナの合理主義的な世界観を根底から揺るがす存在である。 ユウナは当初、吸血鬼を「研究対象の未知の生物」あるいは「ツィルニトラが利用する道具」として見ていた。しかし、レフの飛行後、イリナがツィルニトラ国内で(表向きは)人間として扱われ、飛行士として訓練を続けているという情報を得て以降、彼女はイリナという存在そのものへの関心と困惑を深めていく。 科学的に説明のつかない存在が、科学の最先端である宇宙開発に関わるという矛盾は、彼女のアイデンティティを脅かすものであった。
アーナック側の同僚 プロジェクト・ヘリオスには、ユウナの他に、バート・ファイフィールド(仮名、アーナック側のエースパイロット)や、彼女の上司であるASAの責任者たちが登場する。 同僚たちとの関係は、基本的には良好である。彼女の能力は高く評価されているが、時にその過度な合理主義と、ツィルニトラへの強い対抗意識が、計画の進行において摩擦を生むこともある。 特に、安全マージンを削ってでもツィルニトラを追い抜こうとする彼女の姿勢は、経験豊富なベテランパイロットたちとの間で意見の対立を生む場面も見られる。
性格・思想
徹底した合理主義 ユウナ・シトリンの行動原理は、一貫して合理主義と科学的実証主義に基づいている。彼女は非科学的なもの、オカルト的なもの、そして感情論を極度に嫌う。 この性格は、両親が非合理的なイデオロギーによって故郷を追われたという生い立ちに強く影響されている。彼女にとって「科学」と「理性」は、混沌とした世界に対抗するための唯一の武器であり、アーナックという国家が掲げる「自由」と「合理性」の象徴でもある。
祖国へのアンビバレンス 彼女はツィルニトラという国に対し、愛憎の入り混じった複雑な感情(アンビバレンス)を抱いている。 両親から聞かされた革命前の美しい故郷の文化(特に芸術や科学)には郷愁を感じている一方で、現在のツィルニトラ共和国連合の体制、特に個人の自由を抑圧し、科学をプロパガンダに利用する姿勢に対しては、強い憎悪に近い対抗心を抱いている。 彼女が宇宙開発競争に身を投じる動機の一つは、両親の故郷を「誤った体制」から解放すること、あるいは、その体制よりも優れたアーナックの体制の正しさを証明することにある。
宇宙への純粋な憧れ イデオロギーへの強い固執とは裏腹に、彼女の根底には「宇宙を知りたい」「自らの手で星に到達したい」という、レフ・レプスとも通じる純粋な科学的探求心と冒険心が存在する。 物語が進むにつれ、彼女は国家間の競争という側面だけでなく、人類全体の進歩としての宇宙開発の意義についても思索を深めていく。
物語への影響
ユウナ・シトリンの存在は、「月とライカと吸血姫」の物語に、冷戦という時代の国際的な対立構造を明確に持ち込む役割を果たしている。 ツィルニトラ内部のドラマが中心であった物語に対し、アーナックという強力なライバルの視点(カウンターパート)が加わることで、レフとイリナの挑戦が持つ意味合いが、より世界史的な文脈の中で描かれることになる。 彼女は、レフとイリナが直面する「人間と吸血鬼」という種族間の問題や、「個人と体制」という国内的な葛藤とは異なる、「自由主義と全体主義」「科学と非科学」という、もう一つの大きな対立軸を提示する。 物語の終盤、両国が本格的に「月」を目指す段階において、彼女の合理的な判断と、イリナという非合理的な存在への向き合い方の変化が、月面着陸競争の行方を左右する重要な鍵の一つとなることが示唆されている。
