ソートム・ケルコ(Sortom Kerko)は、ツィルニトラ共和国連邦の宇宙開発計画、特に「ノスフェラトゥ計画」において重要な役割を担った人物である。所属は国家保安委員会(チェトカ)であり、階級は少佐。
宇宙開発特区「ライカ44」に派遣された監察官として、計画の機密保持と思想統制を任務としていた。彼は、東西の熾烈な宇宙開発競争という国家的事業の裏側で、国家の威信という大義名分のもと、冷徹に職務を遂行した人物として知られている。
概要 ケルコ少佐は、人類初の有人宇宙飛行を目指す「ミェチタ(夢)計画」に先立ち、その実験体として吸血鬼(ノスフェラトゥ)を起用する極秘計画「ノスフェラトゥ計画」の監視・管理責任者であった。
彼の主な役割は、吸血鬼イリナ・ルミネスクという「最高機密」の存在を外部(特に西側のアーナック連合王国)に漏洩させないこと、そして計画に関わる全ての職員が国家のイデオロギーに忠実であるかを監視することであった。
ライカ44の職員たちが宇宙への純粋な探求心や技術的関心で動く中、ケルコは一貫して政治的・軍事的な視点から計画を捉えていた。彼は、宇宙飛行士候補生のレフ・レプスやイリナ・ルミネスクの前に「国家の壁」として立ちはだかり、物語の展開に大きな緊張感をもたらした。
生い立ち ソートム・ケルコの経歴は、大戦後の共和国が抱える複雑な国内事情を色濃く反映している。
彼は共和国東部、アーナック連合王国との国境に近い少数民族自治区の出身である。彼の故郷は大戦で最も激しい地上戦が繰り広げられた地域の一つであり、幼少期の彼は、戦火による荒廃と、その後の体制移行に伴う混乱を直接体験した。
ケルコの家庭は、旧ツァーリ体制下では教育を受けた知識人階級であったとされる。しかし、大戦後の新体制確立の過程で、彼の両親は「旧体制への協力者」あるいは「ブルジョア的知識人」として密告され、その地位と名誉、一説には生命さえも失ったと言われている。
孤児同然となったケルコは、生き延びるために自らの出自を徹底的に否定し、共和国の掲げる新たなイデオロギーを誰よりも熱心に信奉する少年として育った。彼は、疲弊した祖国を再建し、西側諸国の脅威から守るためには、個人の感情や自由よりも国家による強力な統制が不可欠であるという信念を強固なものにしていく。
この強烈な愛国心と優秀な成績が認められ、彼は軍学校を経て、国家保安委員会(チェトカ)のエリートコースを歩むことになる。少数民族出身であり、両親が粛清対象であったという経歴は、彼にとって常に拭い去れない「弱点」であった。彼はそのコンプレックスを払拭するかのように、体制への過剰なまでの忠誠心を示すことで、自らの存在価値を証明しようとし続けた。
作中での活躍 ケルコ少佐がライカ44に着任したのは、「ノスフェラトゥ計画」が本格的に始動し、イリナ・ルミネスクが実験体として移送されてきた直後であった。
ノスフェラトゥ計画の監視 彼の任務は明確であった。イリナ・ルミネスクを「人間」としてではなく、国家の宇宙開発のための「実験動物(マテリヤール)」として厳格に管理すること。そして、彼女の指導・監視役であるレフ・レプスが、実験体に対して不要な感情移入をしないよう監視することであった。
ケルコは、イリナが吸血鬼という「異分子」であることから、彼女が国家に対して反逆的な思想を持つ可能性を常に警戒していた。彼はイリナの些細な言動や、彼女が見せる宇宙への好奇心すらも「計画の逸脱行動」として問題視し、訓練の中止や管理の強化を度々要求した。
レフ・レプスとの対立 ケルコにとって、宇宙飛行士候補生レフ・レプスは最も危険な監視対象の一人であった。レフがイリナを対等な存在として扱おうとする姿勢や、彼女の夢を尊重しようとする言動は、ケルコの目には「国家への忠誠心が欠如した、甘い理想主義」と映った。
彼は、レフとイリナが二人きりで過ごす時間を制限しようとし、彼らの会話や訓練内容をチェトカの部下を使って詳細に記録させた。特に、イリナがレフの影響で「人間らしさ」や「個人の意志」に目覚めていくことを極度に恐れ、レフに対して「実験体に感情移入することは国家への裏切りである」と幾度となく警告を発した。
機密漏洩への追及 物語中盤、ライカ44の施設内で不審な通信の傍受が疑われた際、ケルコは即座に内部調査を開始する。彼は、施設内の職員全員を容疑者とみなし、特に通信技術に明るく、自由奔放な言動が目立つアーニャ・シモニャンに対して強い疑いの目を向けた。
彼はアーニャの行動を執拗に追跡し、彼女の私物検査や尋問を強行しようとする。このケルコの強引な捜査は、ライカ44の職員たちの間に恐怖と不信感を植え付け、計画の進行にも深刻な影響を与えかけた。
対人・因縁関係 ケルコは、その職務上、多くの主要人物と緊張関係にあった。
レフ・レプス 最大の対立関係にある。ケルコはレフの「宇宙への純粋な想い」を、国家の偉業を成し遂げる上での障害と見なしていた。彼はレフを「青二才の理想家」と断じ、国家の非情な現実を突きつける存在として行動した。
イリナ・ルミネスク 一貫して「実験体番号N44」として扱った。彼はイリナという存在そのものが共和国の威信を揺るがしかねない機密であると認識しており、彼女の存在を歴史から抹消することさえも任務の一環と考えていた節がある。彼がイリナに冷徹であった背景には、自らと同じ「異分子」(少数民族出身の自分と、吸血鬼であるイリナ)でありながら、レフという庇護者を得て「個」を主張しようとするイリナへの複雑な感情があったとも推測される。
フランツ・フェルカー 宇宙船開発の技術主任であるフェルカーとは、しばしば衝突した。フェルカーが純粋な技術的探求心と計画の成功を最優先するのに対し、ケルコは機密保持とイデオロギーの厳守を最優先した。ケルコは、技術者たちが西側の技術に興味を持つことや、計画の遅延を招くような新しい試みを行うことに対しても、保安上の理由から強く反対した。
ゲルギエフ最高指導者 ケルコの行動原理の根源。彼は直接ゲルギエフと会う機会こそ少ないものの、その思想(「アーナック連合王国に先んじて宇宙へ到達し、共和国の優位性を示す」)を忠実に実行することこそが、自らの存在意義であり、祖国への最大の貢献であると信じて疑わなかった。
性格と思想 ソートム・ケルコは、冷徹な現実主義者であり、徹底した国家至上主義者である。
彼の行動は全て「共和国の利益のため」という一点に集約される。彼は、大戦で疲弊した祖国を復興させ、敵対する西側陣営に勝利するためには、個人の人権や感情、さらには非人道的な手段さえもが正当化されると信じていた。
彼の冷徹さは、彼の生い立ちと深く結びついている。幼少期に国家の理不尽な暴力(両親の粛清)を目の当たりにした彼は、その理不尽さに抗うのではなく、自らがその「理不尽さを執行する側」に回ることで、体制の中で生き残る道を選んだ。
彼は「ノスフェラトゥ計画」の非人道性を理解していなかったわけではない。むしろ、その非人道性を理解した上で、「国家の偉業のためには、誰かがこの汚れた仕事を引き受けねばならない」という歪んだ責任感を持っていた。
彼にとって、レフやイリナが抱く「宇宙への憧れ」という純粋な感情は、国家という巨大な機械の歯車を狂わせる危険な「ノイズ」でしかなかった。彼は、自らが信じる国家の秩序を守るため、その「ノイズ」を排除することに一切の躊躇を見せなかった。
物語への影響 ソートム・ケルコは、『月とライカと吸血姫』という物語において、単なる障害役(アントゴニスト)以上の重要な役割を果たしている。
彼は、レフとイリナが直面する「体制の壁」そのものを象徴する存在である。宇宙開発競争という華々しい表舞台の裏で進行する、国家間の諜報戦、思想統制、そして非人道的な実験といった「影」の部分を一身に背負うキャラクターとして描かれている。
もしケルコの監視と圧力がなければ、レフとイリナはもっと自由に宇宙への想いを共有できたかもしれない。しかし、同時に、ケルコという絶対的な「壁」が存在したからこそ、二人は監視の目を盗んで密かに絆を深め、体制に抗ってでも宇宙を目指すという強い意志を育んでいったとも言える。
彼の存在は、宇宙への純粋な夢と、国家のエゴという冷厳な現実との対比を際立たせ、物語に深い奥行きとリアリティを与えている。
