メダルが減っている。
何もしていなくとも、勝手に減っている。
それに気付いたネウロは、
ノブナガの捜索を一旦やめ、立ち止まった。
何故メダルが勝手に減っているのか、などと一々疑問には思わなかった。
原因は簡単、ネウロ自身の魔力の消費によるメダルの減少。
そもそも、ここに連れて来られる前から元々ネウロは衰退しかけていた。
そんな状態でさらに、あのシャドームーンとの戦いで魔力(メダル)を消費し――
それ自体は拷問による精神的高揚で増加した分と、奴から奪った分で打ち消す事が出来たが、
しかしそんな一時しのぎでは抜き差しならないところまで既にネウロは来ていた。
どうやらシャドームーンに与えられたダメージもそれに拍車をかけているらしい。
たかが綿棒、されど綿棒……ということか。
あの綿棒、中々に手痛い置き土産を残して行ったものだ。
“チッ……一組織のトップを名乗るだけのことはあったということか”
弱体化していたとはいえ、仮にも魔人であるネウロを消耗させたことは事実。
散々馬鹿にしてきたが、決して取るに足らぬ雑兵ではなかったということだ。
内心で綿棒の評価を少しだけ改めてやるネウロ。
何にしても、このままではマズい。
それをあの綿棒のような悪質な敵に気取られるのもマズい。
もしかしたら、もう"ヤツ"には悟られているかもしれないが。
ネウロはなるたけ無表情を装って、ヤツに声を掛けた。
「――いつまでコソコソしている気だ、インキュベーター」
「なんだ、気付いてたのかい」
物陰から、スッと白い小動物が姿を現した。
「我が輩、腐っても魔人だぞ。つけられて気付かぬワケがあるまい」
「流石だよ、ネウロ。魔人の名前は伊達じゃあないね…もっとも、既に随分と消耗しているみたいだけど」
「……」
やはりこの獣はネウロの魔力、ひいてはメダルの消費に気付いている。
魔の人と書いて魔人というなら、魔の女と書いて魔女の専門であるコイツは侮れない。
インキュベーターは無言のネウロの足元まで歩を進めて、可愛らしくお座りした。
「安心しなよ、ネウロ。君が弱体化しているコトは誰にも漏らすつもりはないさ」
「その代わりといっては何だけど、もうしばらく君を観察させて欲しいんだ」
「君の莫大な魔力の秘密には僕もちょっとばかり興味があってね」
「決して図々しいお願いじゃあないと思うけど、どうかな」
おそらくこの言葉には何のたくらみもないのだろう。
本当に純粋な好奇心で、この魔人ネウロを観察しようというのだろう。
インキュベーター如きに観察し切れるものならやってみろと言いたいところだった。
ネウロは「好きにするがいい」と冷たく言い放つと、再び歩き出した。
今はまず、ノブナガを探し出すことが先決だ。
が、しかし……
“これだけ探し回ってもいないということは、もう……”
あまり考えたくはない可能性が頭をよぎる。
人間が死ぬということは、謎が減るということ。
あの真木とかいう人間のクズの思い通りになるということ。
それはネウロにとって、まったくもって胸糞が悪い可能性だった。
もっとも、生きていて、先に目的地に向かっているという可能性だってあるにはる。
が、ネウロはあのノブナガという男が確実に無事であるとは保証出来なかった。
あの男の命の炎は、ネウロが出会った時点で既に風前の灯だったのだから。
だからこそ、一刻も早く見つけ出そうと考えていたのだが……。
これだけ探しても見付からないなら、もうそろそろ捜索を打ち切るべきだろうか。
そんなことを考え出した時だった。
――ゴオオオオォォォォォォォォォォォォ……
何処か遠くで鳴り響いた爆音が空気を震わす。
伝わって来た僅かな地響きを、ネウロの超感覚が捉える。
それらが、ネウロのあらゆる思考を中断させた。
数キロ離れた地点で、空に舞い上がる爆炎が微かに見える。
とんでもない威力の兵器を、誰かがあそこでブッ放したのだ。
アレを放っておけば、きっと多くの人が死ぬ。
それだけネウロが食う筈だった謎が減る。
「行くのかい、ネウロ」
「人には分不相応な玩具で遊んでいる輩がいるらしい。見過ごすわけにはいかんだろう」
「じゃあ、僕はお手並み拝見といかせて貰おうかな」
人の生き死にに何の感慨も持たない小動物は、そう言ってネウロの後方を歩く。
インキュベーターの言うように、この先に待ち受けているのはおそらく戦闘だ。
きっと、この場での初陣である綿棒戦のように楽にはいかないのだろう。
今の消耗したネウロがどの程度の敵と渡り合えるかも分からない。
分からないが、それでも見て見ぬフリは出来なかった。
“…ノブナガのことは後回しだ”
今は探しても見付からない生きているかどうかもわからない男よりも、
目に見えて危険なあの兵器の方をなんとかするべきだとネウロは考えた。
もしもノブナガが生きていれば、一人でも先に目的地へ向かう筈だろう。
ノブナガには悪いが、そうなったら、先に目的地で待っていて貰おう。
ネウロはそれでノブナガについて考える事をやめ、戦場へ向かって歩き出した。
魔法少女と魔人が夕闇の街を駆ける。
アスファルトの大地を蹴り、ビルの壁を蹴り、縦横無尽に駆け巡る。
ここは最早戦場だ。安息の地など何処にもない正真正銘の戦場だ。
杏子がビルの壁を蹴って、滞空中のネウロにキャレコを乱射する。
放たれた弾丸をネウロが爪で弾き返し、周囲に拡散する。
二人が着地する時には、そこら中のビルの窓ガラスが粉々に割れていた。
だけども杏子はそんなことにも構わずに再び地を蹴り空を跳ぶ。
丁度さっきので、総弾数五十のキャレコは弾切れだ。
だから次の一手、デイバッグから一丁のショットガンを取り出し、左手に構えた。
一夏の支給品に入っていた、ポンプアクション式の散弾銃、レミントンM870だ。
右手には、同じく一夏に支給されていたブローニングM2重機関銃を構える。
あの
織斑一夏とかいう男、まったく物騒な兵器ばかりを支給されていたものだ。
もっとも、白式を主武装として使う彼にとってそれは豚に真珠だったのだろうが。
「さあ、バケモノの闘い方を見せてやるよ、ネウロ!」
普通はブローニングだけでも、常人が片手で構えるのは不可能だ。
されど、最早怪物の域にまで達しつつある杏子――Xにはそれが出来る。
両手にショットガンと重機関銃を構えた杏子は、使い慣れない槍をデイバッグに押し込み、
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!
次の瞬間、最強クラスの重機関銃が、ネウロ目掛けて鋼鉄をもブチ抜く弾丸を吐き出した。
後方に飛び跳ね回避するネウロを、今度はレミントンで狙い定め、散弾を発射する。
「――ッ!?」
重機関銃と散弾銃による過激な弾幕を前に、もはやネウロに回避は不可能。
空中での方向転換も出来ず、致し方なくネウロは散弾銃を腕で防ごうとした。
着弾前に炸裂した散弾銃の弾丸は、無数の小さな凶器の嵐となってネウロを襲う。
ネウロの上半身を、レミントンの散弾がハチの巣にした。
“――いや! まだ貫いてねぇ! あの程度じゃッ!”
通常の人間ならばそれで十全以上に致死量だ。
だが、奴は魔人だ。ハナっからこの程度で死ぬとは思っていない。
散弾銃に滅多打ちにされたネウロが、血を噴き出しながら落下してゆく。
そこに、杏子はさっき弾を撃ち尽くしたキャレコをブン投げた!
「ム……」
当然ネウロはそんな幼稚な攻撃には動じない。
片手で軽く弾き返そうとする。
だが、それが既に間違いなのだ。
ネウロがキャレコを弾き返したその瞬間、
ドグォォォォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!
キャレコが爆発した。爆風が杏子の視界にいるネウロを覆い尽くした。
赤黒い爆炎は瞬く間に拡散し、周囲の窓ガラスをすべからく叩き割る。
爆風はすぐに杏子のもとにも届いて、杏子の赤い髪がぶわっと拡がった。
これは「佐倉杏子」に支給されていた「
暁美ほむらの爆弾セット」による賜物だ。
即席爆弾が五つと、更に精度のいい時限爆弾が五つ、セットになって支給されていたのだ。
だが「佐倉杏子」はそんな爆弾に頼った闘い方をする少女ではなかった。
これも一夏に支給されていた重火器と同じく、彼女には無用の長物だったのだ。
さて、杏子が今やったのは、爆弾の一つ、即席爆弾による爆破だ。
即席爆弾を一つキャレコにくっつけて、それをネウロに投げ込んだのだ。
魔女すらも爆殺する爆発がネウロを襲うが、しかしこんな程度で死ぬとは思っていない。
「なんてったってアンタはバケモノなんだ! こんな程度で死んでくれるなよッ!!」
ネウロは自分と同じ存在だ。
自分が知る限り、唯一自分に近いと思えるバケモノだ。
そんなバケモノ同士の"闘争"は、こんなものでは終わらない。
杏子の期待に応えるように――
「激痛の翼(イビル・トーチャラー)」
ネウロの声が響くと同時、爆炎を裂いてネウロが飛び出した。
背中に巨大な翼を纏って、それを羽ばたかせ急迫するネウロ。
何らかの魔界能力を使ったのか、爆発自体のダメージはそれほど受けていないように見える。
「それでこそッ!」
それでこそ魔人ネウロだ!
まだまだ可能性を感じさせてくれる!
期待に胸を高鳴らせ、再びブローニング重機関銃を向ける杏子。
凄まじい速度で放たれる銃撃を、ネウロは空を自在に飛び回り回避する。
普通に考えれば反応すらままならない速度の弾丸だというのに――
「この程度じゃまだまだ中身は見せてくれないってことかよ! いいねぇ、次だッ!!」
杏子もまたネウロに銃口を構えたまま走り出した。
さながらネウロから逃げるように走る、走る、走る――
時折ブローニングが火を吹ち、レミントンが散弾を放って、ネウロを牽制する。
されど、いかに怪物とはいえ、重たい重火器を持ったままの杏子では限界があった。
数秒と待たずに、杏子はネウロに追い付かれ、肉薄された。
その鋭利な爪を杏子に伸ばし、
「これで詰み(チェック・メイト)か、人間?」
不敵に笑うネウロ。
もう逃げ場はない。
追い詰められた杏子は……
「よせ……大変なことになるぞッ!!」
「命乞いか? らしくもない……」
らしくもない命乞いに、ネウロは落胆した表情を浮かべる。
当然だ、これまで散々調子に乗っていた杏子が突然態度を変えたとあっては。
だが、そんな命乞いをした杏子は、不敵に笑っていた。
「何言ってんだ? アタシは"警告"をしてやったんだぜ、ネウロ?」
そうやって杏子が嘯いたその刹那、ネウロの真上のビルが、
ドグォォォォオオオオオオオオオオオオオォォオオオッ!!!
さっきと同じに爆音を響かせた。
バラバラに砕けた瓦礫の山が、土砂降りのようにネウロを襲う!
たまらず回避をしようとするネウロに、杏子は両の銃口を向けた。
「これで詰み(チェック・メイト)か、魔人?」
ブローニングとレミントンによる銃撃に、空からの強襲。
それらが一挙にネウロを襲う。回避の術などはない。
かろうじて弾丸の幾つかを弾き飛ばしたネウロだが、
迫り来る瓦礫にまでは対応出来ず、ネウロのいた場所を無数の瓦礫が埋め尽くした。
「ハハァッ! このアタシが無駄に跳び回るとでも思ってたのかよ!」
「この瞬間のために、アタシはあっちこっちに時限式の爆弾を仕掛けておいたのさ!」
「これはヒントだ、アタシの手元にもう爆弾はねーぜッ!」
「さぁ、次はどれが爆発するかな!?」
そう、杏子が仕掛けた時限式の爆弾は全部で五つ。出し惜しみはナシだ。
そのうちの一つが今爆発し、残りの四つが、指定の時刻まで待機しているのだ。
杏子はその時刻にネウロを爆発に巻き込むために上手く立ち回るだけでいい。
ネウロとの決戦の為にこれまでずっと取っておいた強力な重火器類、
そして必殺の決め手となる爆弾――完全な作戦勝ちだった。
“だが――まだ油断は出来ないぜ……相手はあのネウロなんだからな”
それでも杏子は、一切の警戒を緩めはしない。
両腕に構えた重火器で、いつでもネウロを狙い撃てるように構えておく。
数秒の間をあけて、ネウロを押し潰した瓦礫が、がらりと音を立てて崩れた。
血まみれになったネウロが、フラリと立ち上がる。
あの量の瓦礫に押し潰されてもまだ潰れないのだから、ネウロはやはりバケモノだ。
ヤツの殺気すら孕んだ双眸に射抜かれた刹那、杏子の背を悪寒が走った。
だが、ここで怯む必要はない。有利なのはこっちの筈だ。
構わず杏子はブローニングとレミントンを発射する。
圧倒的な数を誇る弾幕が、ネウロを襲った。
が、それらがネウロに着弾する前に、鏡のようなものがネウロを覆った。
「え」
杏子が放った数百を越える凶器が、ネウロに当たる前に反転した。
発射されたエネルギーをそのまま保って、発射した杏子へと返って来たのだ。
如何な怪物強盗といえども、完全な不意打ちで、数百の弾丸に対抗し切れるワケがない。
回避すらままならず、圧倒的な数の弾丸全てが杏子の身体をハチの巣にした。
頭から爪先まで、余すことなく銃弾が貫通していく。
杏子の身体から夥しい量の血液が噴き出して、その場に跪く。
筋肉をも撃ち抜かれ、重たい重火器を持つことも出来ずその場に取り落とす。
「魔界777ツ能力……醜い姿見(イビル・リフレクター)……」
「来たものを来た方向に来たままのスピードで返す……」
なるほど、そういうワケか。杏子は納得した。
「あーぁ、チェック・メイトだと思ったんだけどなぁ」
「人間にしては手こずらせた方だ……少なくともあの綿棒よりはな」
「綿棒? ま、誰だか知らないけどさ……」
杏子の苦笑に、ネウロは嘲りの笑いすらなく答えた。
やはりネウロは強い。魔人を名乗るだけのことはある。
が、しかし杏子もさるものだ。
この時点で既に魔界777ツ能力を三つも使わせたのだから。
「だが、これまでだ」
ネウロは、今度こそ正真正銘のチェック・メイトを掛けるつもりだ。
血まみれになった身体を動かすのは決して楽ではなかろうに。
それでもネウロは随分と疲弊し切った身体で、杏子に歩み寄った。
「ああ、これまでだねぇ――」
デイバッグに手を突っ込み、
「――時間稼ぎはさぁ!」
鈴羽&そはら組から奪った銀色のベルトを引っ掴み、引っ張り出す杏子。
メダルは消耗したが、この無駄な会話の間に怪物強盗の筋肉組織は既に回復している。
もっとも、まだ痛みは残っているが、戦闘を行う分には十分だ。
この怪物強盗を一気に攻め落とさず、時間稼ぎを許したことが間違いなのだ。
勢いよく引っ張り出されたベルトを鞭のようにしならせ、それをネウロに巻き付ける杏子。
機械仕掛けの不思議なベルトは、杏子の読み通り自動的にネウロの腹に巻かれた。
「爆弾付きのベルトさッ! 吹っ飛びな、ネウロォォォッ!!」
ドグォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
またしても大爆発!
ベルトの内側にひっつけていた即席爆弾が、ネウロと零距離で爆裂した。
爆風が至近距離にいた杏子をも吹っ飛ばす。
だが、飛ばされる直前に、二丁の銃火器はしかと両腕に掴んでおく。
地面を数回バウンドして止まった杏子は、むくりと身体を起こしネウロを見る。
周囲の瓦礫は吹き飛んで、爆炎が闇夜にゆらゆらと舞い上がっている。
その中に、魔人の影が一人分、ぼんやりと佇立しているのが見えた。
影は悠然と歩を進め、炎の中から顔を出す。
「透け透けの鎧(イビル・サーフェイサー)……最初の爆発の時点で身に纏っていた」
「完全にとはいかないが、ある程度は爆発の威力も殺せる……」
また防がれた。
――いいや、違う、防げたワケではない。
ヤツはああいっているが、ダメージは確実にある! 見るからに重症だ!
もはやネウロは立っていることすらもままならぬといった様子ではないか。
攻めきれば勝てる! ネウロの中身を見る事が出来る!!
そんな確信が、杏子に闘志を湧き立たせた。
再び重たい重火器を携えて、杏子は炎に燃える市街地を駆ける。
“残りの時限爆弾は四つ……”
杏子は考える。あの強敵を倒すための手段を。
“だが……アイツがこれ以上…同じ手段に引っかかるか……?”
非常に微妙なところだ。
普通に考えれば同じ手段で倒せる相手ではない。
が、怪物強盗はそんな"普通"が通用しないバケモノだ。
“もうここらでアレを使っちまうか……?”
“いいや駄目だ! アレはまだ早い!”
アレはそれはこの上もなく馬鹿な戦法で、しかも使えるのは一度きりだ。
確実なる"必殺"の瞬間まで、それは秘匿しておいたほうがいい。
そんな思考を巡らす杏子の後方から、何かが飛翔してくる。
「――うおっ!?」
それが何か、なんてことはもうどうだっていい。
それはネウロが放った攻撃で、当たってはいけないものだということは確かだからだ。
慌てて横に飛び跳ねた杏子が見たのは、瓦礫の一つが弾丸となって地面に突き刺さる姿だった。
さっきまで杏子が居た場所を通過して、その先のアスファルトを粉々に砕いている。
振り返れば、ネウロは何食わぬ顔でその場の瓦礫を持っていた。
それを――至って軽い所作で、ぽいっと放り投げる。
投げられた瓦礫は、音速をも越えるのではないかといった勢いで杏子に迫る!
“なんてッ……馬鹿な戦い方を考えるんだッ! アイツッ!!”
そんなツッコミを心中で入れずにはいられなかった。
杏子も大概"馬鹿な戦法"を考えているが、ヤツもそれに匹敵する馬鹿さ加減だ。
あんないい加減に投げられた瓦礫が必殺の一撃になり得るなど誰が想像しようか。
ネウロはあそこから瓦礫を投げ続けるだけで杏子を追い詰める事が出来るのだ。
杏子に逃げるという選択肢がないのなら、此方から攻めなければどうにもならない。
ネウロはきっと、杏子が逃げ出さないことまで察した上でその攻撃をしている。
“だったらお望み通り、仕掛けてやろーじゃねぇかッ!!”
逃げるのをやめた杏子は、今まさに瓦礫を投げようとしていたネウロに向き直る。
レミントンの銃口を構え、散弾を発射。同時にネウロは瓦礫を盾にする。
銃弾は瓦礫を粉々に打ち砕いたが、今度はその破片が問題だ。
空中で粉々に砕かれ、落下していく破片をネウロは、ぶんと腕を振って弾いた。
最初に見た攻撃と同じだ。言うなれば、瓦礫で出来たショットガンだ。
「それでもッ!」
もうそんなものに当たってたまるものか。
杏子は突撃を止めて、上空に跳び上がった。
だが、これは下策だ。
上空での方向転換は不可能。散々ネウロに仕掛けた戦法ではないか。
自由落下を始めた杏子目掛けて、ネウロは瓦礫を放り投げた。
その瞬間――
「だとしてもッ!!」
杏子の傍らのビルが、轟音を響かせ爆発した!
杏子が予めしかけておいた時限爆弾の一つがこのタイミングで作動したのだ。
爆風は杏子の身体をふっ飛ばし、ネウロが投げた瓦礫は何もない場所を通過してゆく。
自らの仕掛けた爆弾を、杏子は爆破攻撃でなく防御に転用したのだ。
ズザザっと地面を転がり着地した杏子は、そのままブローニングを構え発射する。
激しいマズルフラッシュ。怒涛の弾丸の嵐がネウロを襲う。
ネウロが掴もうとした瓦礫には、先手を打ってレミントンの散弾を叩き込む。
瓦礫はネウロが触れる前に粉々になって、ネウロは回避をするほか道がなくなった。
逃げまどうネウロを、ブローニングの激しい射撃が何処までも追いたてる。
そして、ブローニングの弾丸が追いたてる先は――!
ドグォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
三つ目と四つ目の時限爆弾が同時に起動した。
ネウロの頭上のビルの壁が吹っ飛び、そこそこ巨大なビルが崩れ落ちた。
もはや瓦礫などというレベルではない。へし折れたビルそのものが、空から降ってくるのだ。
回避など間に合う筈もない。
アレに押し潰されれば、如何なネウロといえどタダでは済むまい!
「勝ったッ! バトルロワイアル完!!」
勝利の確信をもって叫ばれる杏子の絶叫。
だがしかし――崩落を開始したビルは……
「なっ!?」
空中で、静止した。
ネウロを押し潰す筈だったビルは、地面から生えた太い木の幹によって支えられていた。
「…よもや貴様相手に朽ちる世界樹(イビルツリー)まで使わされる羽目になるとは……」
そう呟いたネウロの眼が、ギロリと杏子を睨んだ。
刹那、周囲のビルを引き裂いて、あちこちから木の幹がせり上がる!
アスファルトもコンクリートも、何もかもを大地の力が破壊し蹂躙する!
先の尖った刃のような幹は、当然杏子にも襲い掛かった!
「チッ……何だよ、コレッ!」
バックステップで回避する杏子を、今度はネウロが放り投げた瓦礫が襲う。
幸いにも、この瓦礫はレミントンの散弾で粉々に出来ることが分かっている。
咄嗟にレミントンを構えようとするも、地面から突出し続ける幹がそれすら邪魔をする。
瓦礫が杏子に到達する前に、何とか銃口を構えるも、もう既に遅すぎた。
トリガーを引く前に、突き出したレミントンの銃口を瓦礫が押し潰した。
「うわぁぁぁーーーーーッ!!?」
暴発した弾丸が、小さな凶器の嵐となって、今度は杏子を襲う。
上半身から血飛沫を撒き散らしながら、杏子は地面に落下し、くずおれた。
だが、この程度のダメージならば数秒で回復出来る。
痛いのは、レミントンM870を失ってしまったことだ。
これで"最強の重火器による武装"の一角が崩されたことになる。
「貴様……よもや武器を失ったことが失策だ、などと考えているワケではあるまいな?」
「なっ……」
回復がまだ終わらぬうちに、ネウロは既に杏子の目前にまで迫っていた。
まずい、回復が終わるまでは攻撃を受けるワケにはいかないというのに。
二度目の時間稼ぎをしようにも、最早コイツに同じ手は通用しないだろう。
杏子が次の手を思い付くよりも速く、
「ガッ――!?」
ネウロの拳が杏子の頬を殴り飛ばした。
まるで鈍器にでも殴られたような衝撃だった。
否、鈍器どころではない。
これが常人だったなら、頭はとうに吹っ飛んでいてもおかしくはない程の威力。
脳にまで浸透する衝撃に、杏子は全ての身動きを封じられた。
全身に力が入らない。ブローニングも右手からゴトリと落ちた。
落下したそれをネウロの脚が踏み砕いて、最強の重機関銃もただのガラクタとなった。
絶句する杏子の頭部を鷲掴みにしたネウロは、
「さて、お仕置きの時間だ」
余裕たっぷりに破顔し、そんなことを言うのだ。
ネウロはそのまま、杏子の頭を瓦礫に思い切り叩き付けた。
視界がグラリと揺れて、そのまま意識が吹っ飛びそうになる。
だが――
そこで終わらないから、彼は怪物強盗なのだ。
バァンッ!
銃声が響いた。
撃ったのは――杏子の脚だ。
ブーツから突き出た手の指の形をしたそれが、杏子のベレッタを握り締めていた。
脚から手の指が生えるという、なんとも常識離れした光景だった。
使い慣れない脚で銃を撃ったおかげか、狙いは定まらなかった。
一応頭部を狙った筈の銃弾は、ネウロの右肩を撃ち抜いていった。
「………」
“撃ち抜け……た…?”
レミントンの散弾ですら貫けなかったネウロの皮膚を。
それよりも劣るベレッタごときの銃弾が、撃ち抜いた――
どういうことだ? と考えるべくもなく、Xは気付いた。
“こいつ……弱体化してる…? それも、現在進行形で……?”
ネウロの肩からつうと血が流れて、力が抜ける。
いや、今はそんなことはどうだっていい。
弱体化しているからなんだ、戦いが終わるまでは気が抜けない。
拘束から解放された杏子は、すぐさまベレッタを手に構え直し嘯いた。
大量のメダルと引き換えに、身体の方はもう随分と回復している。
「どうだい…ネウロ……? これでもアタシが…人間だってのか……?」
「………ああ、貴様は人間だよ、X(サイ)……どうしようもないくらいに…貴様は人間だ」
「ああ……そうかよ……」
やっぱり……ネウロには、Xの正体は気付かれていたのか。
別に驚きはない。寧ろ気付かれていなかった時の方が驚きだ。
おそらく最初に出会ったあの瞬間からXの正体には気付かれていた。
だからXも、一応杏子の口調で接してはいたが、無理に隠し通そうとはしなかった。
この戦いに、もはやそんな隠しごとなどは無意味だからだ。
ベレッタを向けるXに、ネウロは続ける。
「貴様の取った奇策は……どれも人間の策だ。我ら魔人のソレとは違う」
「貴様は…人間の考え得る策の中で、我が輩を打倒しようと努力しているのだ」
「それが人間でなくて何だというのだ? 貴様は紛れもない人間だよ、X」
Xにとって、そんな言葉遊びはどうだってよかった。
Xは人間であるかどうかの定義について論じる気はない。
Xはただ、自分が何者であるかの正体が知りたいだけなのだから。
そんなXの気持ちまで見抜いてか、ネウロは不敵に笑う。
「貴様は、我が輩の中身を見た所で満足など出来るワケがない」
「魔人の我が輩と人間の貴様では"根本"から違うのだからな」
面白いことをいう男だ。
そんなことは実際に確かめるまでわからない。
この目で見て確かめないと、Xは納得をしない。
だから――
「どうやらアンタとは……これ以上話しても無駄らしいな」
あとはもう、実際にネウロを撃破して確かめるしかない。
人間離れした動きでもって、Xは封印していた『必滅の黄薔薇』を抜いた。
そう、「人間離れした動き」だ。人間では絶対に不可能な領域の速度でだ。
至近距離から放たれた弾丸の如き一撃は、ネウロの心臓目掛けて放たれた。
されど、それは同じく人間離れした速度で振り上げられた腕に弾かれる。
そこからは激しい攻防のラッシュだった。
絶え間ない攻撃を突き入れ続けるX。
それら全てを防ぎ弾くネウロ。
傍目には、両者の間で小さな嵐でも起こっているように見えただろう。
それ程までに二人の攻防は常軌を逸していた。
“ちっ……これじゃ埒が明かない!”
やがて、攻撃の反動を利用して先に飛び退いたのはXだった。
後方に跳び離れ、ネウロ自身が出した樹の幹を蹴り――
「防ぎ切ってみせろよ、ネウロォッ!!」
懐から、三つの即席爆弾を取り出し、うち一つをネウロの後方へと投げる。
空に緩やかなアーチを描いて、爆弾はネウロを飛び越えその背後に落ちた。
刹那、爆発。魔女すらも一撃で爆殺する威力の爆風がネウロを背後から襲う!
Xは一つ目の爆弾が爆発し切る前に、真正面から二つ目の爆弾を放り込んでいた。
爆風に吹っ飛ばされたネウロは、真正面から迫る爆弾にほんの一瞬反応を遅らせてしまった。
例えこれを防いだところで、三つ目の爆弾もあるのだ。
その事実が、ネウロに最善の判断を誤らせたのだろう。
「………」
無言のまま、ネウロは前方から放たれた爆弾を爪で叩き落とす。
ドグォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
大爆発だ。
ネウロは、巨大な爆発の渦に飲み込まれた。
だが、それで倒せたなんてもう思わない。
Xは自分の肌が焼けることすらも構わずに、爆風の只中へと跳び込んでいった。
狙うはネウロの心の臓! 必滅の黄薔薇の切先を、ネウロの心臓へといざ突き立てる!
「甘いぞ人間――その程度で我が輩をどうにか出来ると思ったか」
「……」
必滅の黄薔薇の切先は、ネウロの手に掴まれていた。
刃の切先を掴んだネウロの右手から真っ赤な血液が滴り落ちている。
ネウロは余裕ぶっているが、実際にはそうではない。
この男、もう既にかなり消耗しているのは明白だった。
「甘いのはどっちだよ」
「なに?」
ネウロとX、両者の足元に――最後の爆弾が落ちていた。
それが、ネウロもろともXをも吹き飛ばそうと大爆発を引き起こす。
予め身構えていたXは、その爆風をも利用して遥か大空へと跳び上がった。
ネウロが立っていたアスファルトは、爆発によって粉々に砕かれた。
もはやネウロにとっては、足場すらもままならない筈だ。
この一瞬に限っては――完全に逃げ場を封じたッ!!
「これで終わらせてやるよ……ネウロォッ!!」
ビルを食い破る大樹と、あちこちで燃え上がる炎、穿たれたアスファルト、瓦礫だらけの街――
空から見下ろした市街地は、もはや地獄というのも生温いほどの戦場となっていた。
だが、そんな戦いもこれで終わるだろう。
これが正真正銘、Xに残された最後の――"馬鹿な攻撃"だ。
どんなバケモノでも、絶対に防ぎ切れないであろう"必殺の攻撃"だ。
ましてや、今の弱り切ったネウロならば――絶対に回避は不能ッ!!
Xは自由落下に身をまかせながら、四次元空間と化したデイバッグに腕を突っ込んだ。
空に浮かんだまま、デイバッグから引き摺り出したのは――
おそらく、Xにだからこそ支給されたのであろう、まったくもって馬鹿馬鹿しい打撃武器。
炎に包まれた街の中で、地面に這いつくばっているのは、Xの方だった。
全身に負った火傷は、Xの回復力ですらすぐには再生し切れない程だった。
実感として感じる。メダルが、とんでもない勢いですり減っている。
“なん……で……ッ”
攻撃を仕掛けたのは、Xの筈だった。
絶対に脱出不可能な爆発+足場崩しからのタンクローリー+必滅の黄薔薇だ。
これで生き残る奴がいたとしたら、そいつはもう正真正銘のバケモノだ。
いや、ネウロは正真正銘のバケモノだが、だからって防がれるとは思ってなかった。
ボロボロの地面の上、痛む身体を引き摺って、炎の外へと這い出るX。
そんなXの腕を、何か強い衝撃が踏み躙った。
「がっ……ぁぁぁッ!?」
目を白黒させながら、それをやった相手を見上げる。
この状況でそんなことをするのは、
脳噛ネウロただ一人だけだ。
ネウロは、最早立っているのもやっとという程にフラついていた。
全身は血まみれだ。服はボロボロに焼き裂けていて、まさしく満身創痍といった感じだった。
極め付けは、ネウロの胸の真ん中に突き刺さった黄色の槍だ。
心臓は外してしまったが、それでも回避する術もなく槍はネウロを穿っていたのだ。
「なんッ……でッ!?」
Xの怨念混じりの嗚咽に、ネウロが応える。
「タンクローリーが我が輩を押し潰す直前……我が輩は魔帝7ツ兵器――『深海の蒸発(イビル・アクア)』を放ったのだ……」
「勝利を確信した貴様は……気付かなかったのだろう…我が輩の最後の攻撃に」
なるほど、あの爆発の中Xが見た光は、タンクローリーの爆発ではなく、ネウロの攻撃だったというワケだ。
深海の蒸発という名の巨大レーザービームが、Xの身体を呑み込み地に落としたのだ。
だが、人間の領域を越えつつあるXを殺し切るには、その威力は僅かに足らなかった。
“いや……そうじゃあない…”
足りないワケじゃあ、ない。
Xには分かる。ネウロともあろう者が、今のX如きを殺せないワケがない。
Xに攻撃をブッ放しても、殺し切れないワケがあるのだ。
そして、この場でそんなものがあるとすれば、それはすなわち――
「ネウロ……メダル、切れたんだろ……ッ!」
このバトルロワイアルにおける特殊
ルールの一つ――メダルシステム。
攻撃に必要な分のメダルを使い果たした時点で、本来の威力は引き出せない。
Xは、ネウロのメダルを零枚になるまで使い切らせたのだ。
もはやネウロに、これ以上の奇怪な武器は使えまい。
“だったらッ! まだ、勝てる……ッ! オレは、まだ……ネウロと、戦えるッ!!”
負けられないのだ。この戦いだけは。
Xの生きる目標となり得る相手が、今目の前にいるのだ。
コイツの中身をみるまで、Xは負けられない。
痛む身体に鞭打って、Xはネウロの脚を振り払った。
ネウロと同じくらい満身創痍になったその身体で、Xは立ち上がった。
「負けられないね……オレは…この瞬間の………ためにッ!!」
何としてでも、ネウロをこの手で倒し、そしてその中身を見るのだ!
Xの瞳には、絶対に負けられないという強い覚悟が――
ダイヤモンドのように固い決意が、今Xの双眸に宿っていた!
「ほう……?」
そんなXに、何処か感心したように呟くネウロ。
胸に突き刺さった黄色の槍に手を掛け、それを一気に引き抜くネウロ。
傷口から鮮血が迸るが、それでもネウロはフラつきもせず、その場に立ち続けた。
「どうやらこの槍は……何らかの呪いが掛かっているらしい…」
「もはやこの傷は治癒不可能だろう……我が輩の能力をもってしても…」
そういって、ネウロは引き抜いた必滅の黄薔薇を興味深そうに眺める。
ネウロの言う通り、この宝具は、絶対に治癒不可能な傷を相手に負わせる宝具だった。
RPGで例えるなら、HPの上限そのものを削ってしまうような反則級の武器だ。
それはネウロやXのような『不死性』を武器とする参加者には天敵となり得る。
それが分かっているからこそ、Xは絶句する。
それが分かっているからこそ、ネウロは嗤う。
必滅の黄薔薇を構えて、ネウロは不敵に口角を吊り上げた。
「これはお仕置きだ……死なない程度に…殺してやる」
ネウロには、Xに攻撃をするだけの体力がまだ残っている。
対するXには、ネウロの攻撃に対処するための体力はまだない。
相手がただの人間なら、ベレッタで対抗することも出来ただろう。
が、この相手に、今から銃を引き抜いたのではあまりにも遅すぎる。
逃げ道もない。今背を向ければ確実に、回復不能の呪いの槍を突き立てられる。
だが、それでもXには――絶対に負けない、負けたくない、そんな『決意』があった。
“負けられないんだ……この…戦いだけはッ! こんなところじゃ…まだ……オレはッ!!”
刹那、ネウロの槍が、Xを貫こうと閃いた。
ヒュンッ!
風を切る音。神速たる勢いで放たれる槍の一撃。
その切先を……Xの左腕が、掴んでいた。
「な……に?」
必滅の黄薔薇を掴んだXの左腕が真っ赤に染まる。
赤黒く、血の色でXの左腕が染まり、醜く歪む。
「まだ……オレは………負けて、ない……ッ!!」
Xの左腕は、人のモノではなくなっていた。
肘から先が、ゴツゴツとした赤い、赤黒く醜い皮膚に覆われていた。
鳥の翼が生えたように見受けられるその腕は、Xの腕ではない。
赤き鳥類の王――
アンクが持っていた左腕が今、Xの左腕に憑依していた。
生身の掌なら、必滅の黄薔薇によって傷が付けられていたことだろう。
が、アンクの固い皮膚をもって受け止めれば、それはダメージとはならない。
それは、Xの強い決意に反応して、欲望の雛鳥が齎した奇跡だった。
だが、そこにXを支配しようというアンクの意思はない。
メダル一枚や二枚程度の意志如きで……
Xのダイヤモンドのような決意を歪めることは不可能ッ!
これはXの力だ。
Xの意志で。
Xのためだけに動く。
Xの新たな左腕だ。
戦いはまだまだこれからだ。
本当の決着は、ここからだ。
その左腕から炎を吐きだそうとした次の瞬間――
「グ……ッゥゥゥ――」
Xの腹を、ネウロの拳が抉っていた。
まるで大砲に穿たれたかのような衝撃が、満身創痍のXの全身に伝播する。
あらゆる防御を掻い潜った不意打ちの一撃は、Xの体力を刈り取るには十分。
時を待たずして、Xの左腕から、赤き装甲が消え去った。
それを見届けると同時に、
“……そんなの…アリ…かよ………ッ”
Xは己が意識を手放した。