────ブラックペンタゴン、図書室。

 こつ、こつ、こつ、こつ。
 小気味いいリズムを刻む靴の音が響く。
 鼓膜を叩くその音色へ眉間に皺を寄せる男、只野仁成。
 彼の視線は手元の本から、その音を奏でる少女へと移った。

 こつ、こつ、こつ、こつ。
 黒いテーブルを間に挟み、仁成と向かい合うように椅子に座る少女、エンダ。
 硬い靴で床を叩きながら、夢中で分厚い本を読み耽る彼女は仁成のため息に気が付かない。

「行儀が悪いよ」
「え? ああ、ごめん」

 一瞬上目遣いの一瞥をくれたかと思えば、エンダの視線は再び手元の本へと移る。
 リズムを失い訪れる静寂。重苦しいそれを取り持つヤミナが不在中のため、沈黙は暫く続いた。


◾︎



 時は少し遡る。
 ブラックペンタゴンに到着したエンダ、仁成、ヤミナの一行は入口に掲げられた簡素な案内板をまじまじと見つめていた。
 特にエンダの興味を惹いたのは『図書室』という文字。これみよがしに探索してくださいと言わんばかりの強調具合だ。
 彼女の意向に従いまずは図書室を目指そうとしたのだが、その際ヤミナが──

『と、とと、トイレ行きたいんですけどぉ~~へへ、へへへ……だめ、っすかねぇ…………?』

 と、いかにもな三下ムーブと共に申し出たためエンダと仁成は先に図書室に向かうことにした。
 だだっ広いブラックペンタゴンの中に一人放り込まれることになったヤミナは勿論、自由を手にしたとほくそ笑んだが。

『先に言っておくけど、逃げたら殺す』

 エンダに釘を刺されたことで笑みが引き攣った。
 大慌てでトイレを探しに行く彼女の背中を見送り、二人は図書館へと向かうのだった。


 ────そして、今に至る。


 かれこれ図書室に到着してから十分以上は経過している。
 すでにヤミナが戻ってきてもおかしくない頃だが、まさか本当に逃げたのだろうか。

「エンダ」
「うん?」
「ヤミナ、逃げたんじゃないかな」
「ああ、それね」

 気になった仁成はエンダへ問いかける。
 しかし当のエンダは本に目線を落としたまま、無機質な声色で答えた。

「超力で作った蝿を飛ばして監視させてるから大丈夫。逃げようとしたら私に報せが来るからね」

 淡々と告げるエンダ。
 さも当然のように言ってのける彼女に対し仁成は顔を顰める。
 彼女の無愛想さに嫌気がさしたわけではない。
 ただ純粋に、気になったことがあった。

「君の超力、一体なんなんだ?」
「なんなんだ……とは、難しい質問だね」
「言い方を変えよう。君のその異能、何が出来て何が出来ないのか全くわからないんだ」
「ああ、…………なるほどね」

 この数時間でエンダが見せた超力。
 超力についての勉強をそれなりにしてきた仁成の目から見てもあまりに強力で、汎用性が高い。
 実体を持つ靄を操作するだけかと思っていたが、見ている限りそんなチャチな力ではなかった。


 靄の形を変えて攻防に使用することから始まり、物の収容や加工。
 相手の体内に潜らせれば肉体を蝕むことも、そして超力を奪うことさえ可能とする。
 正直に言って、一個人が持っていい範疇を超えている。

「僕は君を信頼したい。だから、その力について教えてくれないか」

 言葉通り、仁成はエンダを信頼出来ていない。
 まるで目的の見えない言動に加えて、人一人など即座に塵に変えてしまうような超力。
 本当に一緒に行動すべきなのか、今でも迷い続けている。

「たしかに、本来この身体はそんな力を持っていないだろう」
「と、いうと?」
「エンダという少女はあくまで人間の子供だ。超力の研鑽に身を注いだわけでも、覚醒に至るような人生を歩んできた訳でもない」
「…………よくわからないな」

 なにやら結論を遠回しにされているような気がする。
 彼女の意図をまるで汲み取れない。
 なにより、〝この身体〟だの〝エンダという少女〟だの、まるで他人事のような言い方が引っかかった。
 それについて尋ねようとしたところ、まるで仁成の思考を読み取ったかのようにエンダが口を挟む。

「そうだね、仁成。ここまで着いてきてくれて、ドンの討伐に貢献してくれた君になら話してもいいだろう」

 ぱたん、と本が閉じられる。
 美しい双眸に囚われて、仁成は息を呑んだ。







「────エンダ・Y・カクレヤマという少女は、君と出会う少し前に死んでいるんだ」






「……………………は?」

 呆然に費やした時間は何秒だろうか。
 あまりに突拍子もなく、荒唐無稽な一言を前に心の底から疑問の声を洩らした。


「えっと、……なに言ってるんだい?」
「言葉の通りだよ。この身体の持ち主はもうとっくに死んでいるんだ」
「そういうことじゃ…………いや、というか……え?」
「落ち着かない男だな。そういうキャラじゃなかったと思うけど」

 次々と溢れ出る質問のどれを口にすべきか判断がつかず、仁成は慌てた様子を隠せない。
 そんな彼の姿をどこかおかしそうに見つめるエンダ────いや、エンダと名乗る少女。
 しかし当の彼女は淡々と、まるで茶事の最中であるかのように語り続ける。

「あれは不慮の事故と言うべきかな。刑務作業開始から間もなく、山岳地帯を歩いている最中に突然嵐が吹き始めてね。突風と共に運ばれてきた鉄屑に背中を貫かれたんだ」
「…………信じられない」
「そうだろうね、エンダは昔から不運だったんだ」

 イマイチ会話が噛み合っていない。
 話の腰を折ることを危惧した仁成は黙って聞き入れる。
 次々溢れる疑問を一々言葉にしていれば、到底進みそうになかったから。

「そのままエンダの遺体は山岳から転び落ちて、仁成と出会った廃墟の前へ投げ出されたんだ。本当、かわいそうだよね」

 それが作り話であれば、どれだけ仁成は救われただろうか。
 頭のおかしい少女だと笑ってやれれば、どれだけ思い悩まずに済んだであろうか。
 しかしそれは彼女の真摯な眼差しが許さない。この短時間で、エンダがいかに理知的であるかを思い知らされた。
 彼女がここで嘘をつく道理など、ない。

「わかったよ、証拠を見せてあげよう」
「うわ、……わっ!?」

 疑いの目を敏感に察知したのか、エンダはひょいと椅子から飛び降りて探偵服を脱ぎ始める。
 慌てて止めに入ろうとした仁成だが、その前にエンダが背中を向けて素肌を晒すこととなった。

「…………!」

 仁成は言葉を失う。
 エンダの背中には深々と何かが突き刺さったような傷跡が刻まれており、抉れた肉を靄で補っている状態だった。
 通常であれば死に至るほどの傷であることはひと目でわかる。
 なのに血の一滴足りとも出ていない光景は、ある種の芸術作品のようにも見えた。


 ────エンダの言うことは事実だ。


 時刻は0時20分前後。
 G-7エリアにて刑務開始したエンダは散策中、ジョニー・ハイドアウトとドン・エルグランドの戦闘に出くわした。
 嵐に足を取られている中、ドンが破壊したジョニーの鉄屑の一部が背中へ突き刺さり──そのまま人知れず死亡。
 小柄な身体は鉄の銃弾に射抜かれた衝撃と吹き荒ぶ猛風によって山岳から滑落し、D-7の平野へ運ばれた。

 つまり、だ。
 本来であればエンダは、アンナ・アメリナに次ぐ第二の脱落者となるはずだったのだ。
 何故そうならなかったのか、当然カラクリがある。


「────どうして生きているんだ、という顔をしているね」

 ああ、やはり隠し事はできない。
 よほど感情が顔に出ていたのだろうか。
 先読みされた仁成は少し面白くなさそうに口を噤みながら、ゆっくりと頷く。

「仁成はヤマオリ・カルトについてどのくらい知っているの?」
「……ほとんど知らないな。開闢の日以降に発足して、あちこちに乱立しているということくらいだよ」
「物知りだね、それだけ知っていれば上等だ」
「皮肉はいいから」

 探偵服を着直しながらふん、と鼻で笑うエンダ。
 馬鹿にされているような気がしなくもないが、初めて見た人間らしい仕草に怒りなど湧かなかった。

「ヤマオリ・カルトの連中は『ヤマオリ』にまつわるものを全て自分のモノにしようとした。その過程でエンダも拉致されてしまったんだ。彼女の祖父は山折村の出身だからね」

 終始他人事のように話すエンダ。
 その様子が少し不気味に感じて、思わず仁成は震えた声で疑問を投げた。



「────君は、誰なんだ?」



 きっと、その問いが来ることを待っていたんだろう。
 エンダは再び椅子に座り直し、じっと仁成の目を見据えて離さない。

「仁成、〝神降ろし〟という言葉は聞いたことある?」
「……いや」
「つまるところ、憑依のようなものさ。巫女が仕える神をその身に宿す儀式と呼ぶべきかな。テレビとかで見たことない?」
「ああ、…………何度か見たことあるかも」

 歯に物が詰まったかのような言い方の仁成にむ、と口を尖らせるエンダ。
 けれど彼の意図を汲み取ったのか、すぐに不敵な笑みへと変わった。

「正直ああいうの、胡散臭いって思ってるでしょ?」
「そんなことは」
「いいんだよ、実際本当に出来る人間なんてほとんどいないんだから。よほど演劇が上手い人が取り沙汰されるのが実態さ」

 言いながら、一冊の古びた本を取り出す。
 開かれたページには神社の白黒写真が載せられており、夥しい数の日本語が並び立てられていた。
 大きく掲載された〝カクレヤマ〟という文字から察するに、エンダと関わりが深い書物なのだろう。


「エンダの家系もそう。先祖代々、山折村から少し離れた場所にある〝カクレヤマ〟という土地で神を祀ってきた。巫女に選ばれた娘達はみな、〝神降ろし〟と称したパフォーマンスをして細々と信者を増やしてきたんだ」

 たしかに、その記述がある。
 カクレヤマの土地神を身に降ろし、演舞を行うことで豊穣と無病息災を齎すらしい。
 いかにもそれらしい、至って平凡な神事にまつわる記事だ。


「けれど唯一、エンダだけは本当に〝神降ろし〟が出来てしまったんだ」


 目を丸くする。
 何が来ても驚きはしないと身構えていたのに、この言葉は予想外だった。

「それって、つまり──」
「ああ、エンダはカクレヤマの土地神を身に宿すことができた。単純な憑依だけではなく、心身を通わせた彼女は神と自在にコミュニケーションを取ることも出来ていた」

 一般的に言う憑依とは、肉体の持ち主の意識が失われる代わりにその隙間に憑依対象の魂を差し込む形になる。
 本人が憑依中の記憶を引き継ぐことは基本的にないが、エンダはそれを可能としていた。
 それだけでなく、普段から心の内で神と交流出来ていたと言う。


(…………まて、それって────)


 ようやくこの話の結論が見えてきた。
 どうして今そんな話をしたのか。
 元を辿れば、死んだはずのエンダがなぜ今生きているのかという話だったはずだ。

 ──まさか、と。
 仁成が思い至った結論はあまりにも非現実的で、不条理で。
 それでも、その仮定を事実とすれば今までの疑問全てに説明がついてしまった。

 仁成の思考を読み取ったのだろう。
 エンダは少し気どったような顔をしたかと思えば、パチンと指を鳴らして見せた。


「そう。今、君の目の前にいるのが────カクレヤマの土地神さ」


 ──ああ、なるほど。
 冗談じみた説状を笑うでも、呆れるでもなく仁成は納得する。

 道理で人間味を感じないわけだ。
 身に纏うミステリアスな雰囲気も、正体不明の超力も、自然と腑に落ちた。
 普通ならばこういう時、どんな反応をするのが正解だろうか。

 神との対話という異常事態。
 途方もない時間、俗世をずっと見守ってきた存在が今、手の届く距離にいる。

 神とはどういう存在なのか。
 世界が築いてきた歴史はどんなものなのか。
 死とはどういうものなのか。

 それら全てを答えられる存在が目の前にいる。
 彼女の醸しだす威圧に似た雰囲気から、投げられる質問は一つだけなのだと理解した。
 ただ一つ許された質問、仁成が選び出した言葉は。

「エンダは」
「うん?」
「エンダは、どんな子だったんだい?」

 神についてでも、世界についてでもなく。
 エンダ・Y・カクレヤマという一人の人間について訊いた。

「────ふ、っ」

 それがおかしくてたまらなくて。
 カクレヤマは思わず噴き出した。

「聞いちゃダメだったかな?」
「まさか」

 ──むしろ、聞いて欲しい。
 そう続けて、土地神は詩を綴る。
 誰にも知られぬまま命を落とした、エンダという一人の少女の詩を。


◾︎



 エンダはよく笑う、穏やかな少女だった。
 幼い頃から巫女としての役目を全うし、両親からは手塩にかけて育てられてきた。
 絵を描くのが好きで、一クラス五人ほどの小さな学校にも通っていた普通の少女だった。

 けれど、彼女が七歳になったある日。
 カクレヤマの風習により、エンダは〝神降ろし〟の儀式を行うことになった。

 それからだ。
 周囲が怪奇の目で見るようになったのは。
 母親は自分を崇め奉り、父親は化け物でも扱うかのように遠ざかる。
 村民はエンダを神の遣いだと恐れ戦き、反発すれば災いを呼ぶと噂が広がり丁重に扱った。
 差別と敬仰にまみれた視線を向けられる中、エンダが孤立に気がつくのにそう時間はかからなかった。

 けれど、エンダは挫けなかった。
 積極的に明るく振る舞い、自ら交流を深めようと努力した。
 カクレヤマの土地神としてではなく、エンダという少女を見て欲しくて。
 けれどその努力も虚しく、人々はエンダを見ようとしなかった。
 畏怖と陶酔の瞳の中にあるのは、いつもカクレヤマの神だったのだ。


 ある日、ヤマオリ・カルトの信者達が村を襲撃した。
 エンダの噂を嗅ぎつけた信者にとって、彼女はあまりにも都合のいい存在だった。
 ヤマオリの血を引き、神を宿す少女。
 それを手に出来るのならば当然、殺人だって厭わなかった。

 エンダは自分の超力を把握していなかった。
 ましてや、それを戦いのために使うなどという発想に至るはずもなく──あまりにも呆気なく、エンダは拉致された。
 数多の死傷者が出たカクレヤマの村は壊滅し、生き延びた村民は別の村へ移住したことを聞かされた。

 エンダの重要性を理解した信者たちは、彼女を組織の飾り巫女として利用することにした。
 表向き神聖なる象徴として崇め奉ることで、組織の拡大を狙ったのだ。

 ────エンダ・Y(ヤマオリ)・カクレヤマ

 まるで誇示するかのように、一人の少女にヤマオリの名を授けた。
 しかしそんな組織も長くは続かず、GPAエージェント達によって壊滅させられ、エンダも捕縛されることとなる。
 平凡で普通な人生を送るはずだったエンダは、終始檻の中で孤立することとなったのだ。


◾︎



「ねぇ、仁成。エンダの人生を奪ったのは、一体誰なんだろうね」

 エンダの生い立ちを話す中、不意に土地神がそう問いかける。
 言葉に詰まった仁成は暫し悩む。
 ここで言う人生を奪った、というのは単純に彼女の死因についてではないのだろう。
 ならば、あまりにも候補が多すぎた。

「ドン・エルグランドや鉄屑人間か? ヤマオリ・カルトの連中か? カクレヤマの村人か? ……いいや、違うね」

 神は笑う。
 ひどく虚しそうに、自嘲するように。


「────私さ。カクレヤマの土地神が、エンダの人生を狂わせたんだ」


 感情の読めない瞳。
 けれど、その奥底には確かな悲しみが込められていて。
 思わず仁成は、陳腐な言葉を紡ぐために唇を震わせる。

「…………、それは」
「それは違う、か。なら神降ろしに失敗していたら、エンダはもっと悲劇的な人生を歩むことになっていたのかな?」

 ダメだ。
 只野仁成という人間が、何を言ったところで神の心を揺らがせることなど出来ない。

「同情が欲しいわけじゃない、少し黙って聞いていてくれ」

 元より、これは独白に近い。
 無敵と思えたエンダが見せた弱み。
 懺悔を聞くはずの神が、懺悔をする。
 実に奇妙で、実に不思議な時間が流れゆく。

「私はエンダに恨まれて当然の存在だ。神降ろしなんてつまらない儀式のせいで、エンダは全てを失ったんだから」

 この少女は、こんなにも人間らしかっただろうか。
 一度弱みを見てしまったがゆえか、仁成は彼女から神秘性をまるで感じなくなっていた。
 手を伸ばしても絶対に届かない領域にいると思っていた未知の存在は、自分となんら代わりない生き物であると知った。

「けれどね、エンダはいつも私に心の中で語りかけてくれていた。『神さまのおかげで寂しくない!』……ってね。笑っちゃうだろう?」

 どこか懐かしむように。
 どこか寂しそうに。
 哀愁と共にみせた微笑みは、仁成が知るエンダの中で一番人間らしかった。


「きっと私は、エンダに惹かれていたんだろうね。あの子の命がこんな形で奪われることを認めたくなかったんだ」

 仁成は息を呑む。
 エンダという少女は、あまりにも自分の境遇と似通っていた。
 平凡な人生を歩むはずだったのに、特異な体質のせいで悪意に満ちた周囲に追われる身となって。
 拉致され、捕縛され、理不尽な無期懲役を言い渡されて。

 それでもただ一つ違うとすれば。
 世界を恨む自分と違い、エンダは誰も恨まなかった。
 すぐ傍に恨み言をぶつけられる対象がいるというのに、エンダは終ぞそれをしなかった。
 それがいかに困難なことなのか、仁成だからこそ理解出来る。

「…………だから、エンダの身体に乗り移ったのか?」
「ああ。元々、神降ろしなんて儀式をしなくても彼女の肉体を借りることは出来るようになっていたんだ。そう難しいことじゃなかったよ」
「そう、か。…………そう、だったのか……」

 俯く仁成の相槌に、カクレヤマが少しの間だけ口を閉ざす。
 けれど彼からの質問がないことを察すれば、また語りを続けた。

「ドンと出会った時に確信したよ。ああ、こいつがエンダを殺したんだ──ってね」

 たしかに、嵐という言葉を聞いた時点で薄々エンダの死因については推察できていた。
 わずか数時間と経たず仇敵と出会うなど何の因果だろうか。

「私の超力は対象への〝恨み〟で強化される。つまり、あの時私がみせた力は過去最大級だったわけさ」

 エンダの超力は万能ではあるが、その強弱は本人の〝恨み〟の感情によって強く左右される。
 誰を恨むこともしない心優しいエンダは、その超力を発揮することができなかった。
 だからエージェントとの戦いの際も、彼女に代わってカクレヤマが超力を使用していた。

「けれどきっと、一人では勝てなかった。ましてや自害までしてみせるなんてね。感服を通り越して屈辱的だよ。……あのドンという人間は、神にさえ抗ってみせたのだから」

 ────大海賊ドン・エルグランド。
 仁成は最初、エンダは一人でもあの怪物に勝てるのではないかと考えていた。
 しかし実際は、〝勝たなきゃいけない〟戦いだったのだ。
 エンダの仇を討つために、神の力を示すために。
 尚も食い下がったあの大海賊は、カクレヤマの目から見てもおよそ人の器と呼べるものか危うかった。

「だから少し興味が湧いたんだよね。ほら見てよ、〝ドン・エルグランド〟の航海日誌。
 あの日見た揺蕩う海雲は、干天の慈雨の如く私を島国へ導いた────はは、あんな粗暴なのに意外と文豪なんだ」

 机の上に広げられた航海日誌。
 たしかに、あの暴力の化身のようなドンが書いた文とは到底思えない。
 あの大海賊を知っていて、かつ実際に出会った事がある者が見れば間違いなく苦笑の的となるだろう。

 けれど不思議と、仁成は笑う気になれなかった。

「仁成」

 顔を上げる。
 エンダの顔がよく見えない。

「なぜ、君が泣くの?」
「え…………?」

 言われて、初めて自分が泣いていることに気がついた。
 頬を伝う涙を拭い、困惑の表情を浮かべる仁成。
 そんな仁成と対照的に、カクレヤマはほんの少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

「優しいんだね、仁成は」

 仁成が涙を流す理由は、共感。
 エンダという優しい女の子が、真っ当な人生を送れないまま散ってしまったことへの悲嘆。
 少女が最期に何を思い、何を願ったのか。
 答えのない問答が繰り広げられて、嗚咽が続く。

「────……っ、…………っ」

 滴り落ちた雫が本を濡らす。
 張り裂けそうな悲しみが、仁成を囚える。


「私がこの子の身体を使ってなにがしたいのか、改めて宣言するよ」

 仁成を見据え、カクレヤマが言う。
 俯いていた仁成の瞳は神のそれに吸い寄せられ、時が止まる。


「私はエンダ・Y・カクレヤマとして生きて、彼女の願いを果たしたい。それが私に出来る彼女への償いなんだ」


 これは、只野仁成という男への敬意。
 何も知らぬままドンの討伐に手を貸してくれた、ただの人間への寵愛。
 ヴァイスマンの『眼』に捉えられるのも承知の上で吐き出した、途方もない目的。

 なぜエンダが脱出という一点に拘っていたのか、今理解した。
 彼女は、終始監獄に囚われ続けたエンダに〝自由〟を与えたかったのだ。
 人を憎まず、心優しく神へ語りかけ続けた少女に。
 世界に裏切られ、報われぬまま散っていった少女へ恩義を果たすために。


 ────神(カクレヤマ)は地位を捨て、人(エンダ)となって自由を求めた。


 超常の力蔓延るこの世界においても、これほど奇妙な運命などあるだろうか。
 胸の奥底から湧き上がる熱に鼓動を早めながら、仁成は意を決したように息を吸う。

「僕の過去も、話すよ」
「いいや、まだいいよ。私だってまだエンダの〝願い〟を言っていないんだから」

 しかしその決意は、エンダによって制止された。
 掴みどころの無い雰囲気は変わらず、ひょいと椅子から降りる少女。
 ふわりと靡く白髪が星空のように煌めいて、仁成も釣られるように立ち上がる。

「その願いを言うのは──また今度にしようか。お互いが本当に信頼出来ると思った時、一緒に秘密を話そうよ」
「………………はは、そうだね。そうしよう」

 ああ、そうだ。
 忘れていた。

 エンダは、懺悔をしたかったのだ。
 全能の神が犯した罪を、自分に聞いてもらいたかっただけなのだ。
 誰にも言えずに消滅の時まで持っていくつもりだった過去を、誰かに伝えたかったのだ。
 エンダという少女のことを、覚えていてほしかったんだ。

「けど」

 酷く身勝手な独言を終えて。
 仁成の顔を見上げる〝エンダ〟。
 その瞳には怖いくらいの魅力と同時に、人ならざるものの威厳が確かに秘められていた。

「その〝秘密〟を聞いたからには、一緒に地獄に堕ちてもらうよ」

 脅しでもなく、冗談でもなく。
 きっとそれは事実なのだろう。
 それほどまでに彼女の持つ〝願い〟は途轍もなくて、滅茶苦茶で、見果てぬ夢なのだ。

 ならば怖気付くか?
 平穏を望む只野仁成は、尻尾を巻いて逃げるか?
 神の挑戦などかなぐり捨てて、このアビスで一生を過ごすか?


「────ここ以上の地獄なんてないだろ?」


 そんなわけない。
 自分を迫害した政府の人間たちに、一泡吹かせてやろう。
 エンダが言う〝願い〟を叶えて、世界に復讐してやろう。

 仁成は静かに手を差し伸べる。
 逡巡のあと、エンダはその手を取った。

 妖しい微笑みに対し、自然な笑顔を。
 鏡合わせのように似ていて、けれど正反対の秘密の抱えた二人は片道切符に穴を開けた。







「ところで、ヤミナ遅くない?」
「ああ……そういえば、忘れてた」





【D-4/ブラックペンタゴン 図書室/一日目 黎明】
【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:疲労(小)
[道具]:デジタルウォッチ、探偵風衣装、ナイフ、ドンの首輪(使用済み)、ドンのデジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『エンダの願い』を果たす。
0.放送までブラックペンタゴンに留まる。
1.仁成と共に首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
2.囚人共は勝手に殺し合っていればいい。
3.ルーサー・キング、ギャル・ギュネス・ギョローレン、並木旅人には警戒する。
4.ヤミナ・ハイドを使うか、誰かに押し付けるか考える。
5.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。

※仁成が自分と似た境遇にいることを知りました。
※自身の焼き印の存在に気づいています。
※エンダの超力は対象への〝恨み〟によって強化されます。
※エンダの肉体は既に死亡しており、カクレヤマの土地神の魂が宿っています。この状態でもう一度死亡した場合、カクレヤマの魂も消滅します。

【只野 仁成】
[状態]:疲労(小)、全身に傷、ずぶ濡れ、精神汚染:侮り状態
[道具]:デジタルウォッチ、日本刀、グロック19(装弾数22/22)、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
0.放送までブラックペンタゴンに留まる。
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。

※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。

【全体備考】
※エンダ・Y・カクレヤマは『006:ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』にてG-7エリアの戦闘に巻き込まれ死亡しました。
 その後遺体が山岳からD-7へ転がり落ち、カクレヤマの魂が降りた後に『007:真・地獄新生 PRISON JOURNEY』へと繋がります。



◾︎




「も、もも、漏れる……っ! ガチで漏れるぅぅ~~……っ!!」

 ブラックペンタゴン、とある廊下。
 だだっぴろい施設内を早足で歩く少女、ヤミナ・ハイド。
 トイレを探しはじめてから既に三十分以上彷徨っているも、その成果も虚しく時間だけが過ぎてゆく。

「な、なな、なんでないんですか!? ここラクーン警察署!? ブラックペンタゴンって元美術館なんですかぁ!?」

 しまいには訳の分からない事まで叫び散らす始末。
 一応ほかの参加者がうろついている可能性もあるのだが、強烈な尿意の前にはそんな思考弾け飛んでしまった。

「うっそ…………マジでない…………図書室の場所も分からないし、もしかして私詰んでます……?」

 このブラックペンタゴンを設計した奴は建築素人なのだろうか。
 普通こんなバカでかいショッピングモールみたいな施設には、田舎の歯医者レベルの間隔でトイレを設置するものなのに。
 途方に暮れたヤミナはもういっそ外でした方がいいのではないかと考えはじめ────ふと、天啓の如く閃いた。


(…………というか、今なら逃げられるんじゃ?)


 たしかに仁成はともかく、ヤミナはそう簡単に見逃してくれたりはしなさそうだ。
 逃げようとしたら殺すというのもきっとなにかの根拠があって言っていたのだろう。それほどの凄みがあった。

 けれど、逆に言えば。
 そんな脅しをしておけば逃げないだろうと〝侮り〟を持っている可能性も高い。
 そもそもブラックペンタゴンに眠る手がかりを中断してまで自分を追うとは思えないし。
 ここまで考えたところで少し悲しくなるが、実際ヤミナの目算は無謀というわけでもなかった。

 ヤミナの超力はこの世の全てに侮られるという異能の力。
 世の根底を形作る〝善意〟を引き寄せ、無意識に己の利を掴み取る因果律操作の力。
 たとえそれは神が相手であろうと例外ではなく、問題なく発揮されるだろう。

(ど、どのみちポイント稼いだところであの二人に使われそうですし…………でも、一人は怖いんですよねぇ~~…………)

 出所後の人生か、この場の安全か。
 どちらの選択を取ろうとも、運命はヤミナにとって都合よく動くだろう。
 彼女を追うエンダの黒蝿は、いつのまにか消失していた。


「どうしよ…………てか、トイレ行きたい…………」


 がんばれ、ヤミナ・ハイド。
 ちなみに今君がいるブラックペンタゴンには色んな危険人物が向かいつつあるぞ。


【D-4/ブラックペンタゴン 廊下/一日目 黎明】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(小)、ずぶ濡れ、尿意(大)
[道具]:デジタルウォッチ、デイバック(食料(1食分)、エンダの囚人服)
[恩赦P]:34pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.この場から逃げるか、図書室に行くか……。
1.エンダと仁成に従う?

※ドン・エルグランドを殺害したのは只野仁成だと思っています。

048.殺害計画/衝動 投下順で読む 050.若きギャングスター
時系列順で読む
風に乗りて歩むもの エンダ・Y・カクレヤマ BUY OR DIE?
只野 仁成
ヤミナ・ハイド

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最終更新:2025年03月30日 16:20