土砂に塗れて岩肌を転がり落ちてきた美少女を前に、メリリンは考え込む。
 刑務に服するつもりは無いが、気絶している少女を助けるかは、また別の話。
 少女の首輪に記された文字は『死』。“アビス”にぶち込まれる死刑囚など、精神は当然の事、肉体レベルでも人間を辞めている者が多い。
 無実の罪で投獄された者も極僅かだが居るには居るが、この少女がその希少種だとは限ら無い。
 腕組みして思案するメリリンを他所に、ジェーンは手ごろな石を何個か拾っていた。
 少女が暴れ出したら、即座に殺す構えだ。

 「放っておくにしても、山頂で何が起きたのかは知っときたい」

 岩山の頂で何があったのか。考えられる事は三つ。

 1、少女が誰かに襲われて転落した。

 2、少女が誰かを襲い、返り討ちに遭って落ちた。

 3、岩山を登っている途上で滑落した。

 1と3ならばまだしも、2であれば目を覚ました瞬間に、襲い掛かってくる可能性が有る。
 ジェーンに目配せして、襲ってきた時の対処を頼むと、取り敢えず少女の様子を観察する。
 確認できる範囲で大きな外傷は無し。岩壁を転がり落ちなどすれば、旧時代の人類ならば良くて重傷、普通ならば死んでいるだろうが、現代人はこの程度で死にはしない。
 呼吸をしている事も何とか確認する。

 「運ぼうにも運び様が無いし…起こそうか」

 メリリン達も岩壁を登っている途上である、少女を運ぼうにも、文字通り運ぶ為の手が足り無い。
 少女が引っかかっている岩棚へと攀じ登り、起こす為に手を伸ばしたところで、ジェーンが待ったを掛けた。

 「暴れ出したら面倒…言う通りにして」

 ジェーンの指示に従い、苦労して少女のズボンを膝まで下ろしてから、ベルトをキツく締め、メリリンが脱いだ刑務服で両腕ごと胴を縛り上げ、気をつけの姿勢で拘束する。
 ジェーンの指示通りにすれば、メリリンが脱ぐ必要は無かったのだが、上まで脱がせるのは悪いと思ったメリリンの計らいだった。

 「これでも絵面は悪いねぇ…」

 ズボンを半分下ろされて両腕を拘束された気絶中の美少女(ドミニカ)+上半身下着姿の女(メリリン)+側でじっと見ている少女(ジェーン)。

 「女もいけるしな。みたいなノリの強姦魔みたいだねぇ……」

 なんだかやるせない気持ちになってきたのを、頬を叩いて振り払う。
 出来れば目隠しもしておきたかったが、周囲や自分の状況も判らずに暴れられるのは危険な上に面倒だったので諦める。

 「おーい。起きて、起きよう。おはよう」

 ペチペチ、ペチペチと、少女の頬を繰り返し叩く。二度、三度と呼び掛けて、少女の瞼が痙攣するかの様に動き、弛緩していた身体に力が籠る。
 メリリンの黒瞳と、少女の蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳が互いの姿を映す。

 「あー…私は敵じゃ無い。アンタ危害を加えるつもりなら、当にしている。分かる?」

 少女は応えず、身体を身じろぎさせて、拘束されている事に気付いた様だった。

 「赦しとくれよ、お嬢ちゃんがどんな娘なのか分からなくってね。暴れられるのが怖くって縛っちまったのさ」

 「身体を縛める程度では、余り意味が有りませんよ」

 唐突に放たれた言葉に、メリリンが身を強張らせ、少女の視界に入ら無い位置に移動していたジェーンが、石を投げる動作に入る。
 身体を拘束すれば無力化出来る。それは旧時代の話だ。
 現代の人類は身体を拘束された程度では、殺傷能力が全く衰えない者も居る。
 刑務作業者の中で言うならば、フレゼア・フランベルジェや、ジルドレイ・モントランシーがそうだ。彼等は意識さえ有れば、超力(ネオス)を用いて、人を殺傷する事が出来る。
 新時代の人類は、人を殺すのに身体を動かす事は必要条件では無い。
 それを知るからこそ、メリリンは少女の言葉に身を強張らせ、ジェーンは少女を殺す動きに入ったのだ。
 少女は、そんなメリリンの様子を見ると、微笑んで言葉を紡ぐ。

 「私を害するつもりなら、幾らでも好機は有りました。ですが貴女はそうしなかった。
  そして、拘束がそれ程意味を為さない事を知っていて、私の身を縛める。
  貴女の言葉は偽りが無いものだと信じられます」

 「……あ~。気絶している間に、身体を縛られていて、縛った相手を信じる?そんなアッサリと?」

 「この刑務は、悪人だけが集められている訳では無いのは、名簿を見て確認しています。
 貴女もまた、善き人なのでしょう。貴女の善性は、貴女の行動が保証していますよ」

 「ありがと」

 何というか、調子の狂う少女だった。メリリン自身が“アビス”に収監される犯罪者に相応しく無い人格を有しているが、この少女は更に変わっている。
 服役期間を終えれば釈放される受刑者と異なり、少女は死刑判決を受けた凶悪犯。
 “アビス”の死刑囚などと言えば、ジルドレイ・モントランシーやギャル・ギュネス・ギョローレン の様な、凶悪な殺人犯と相場が決まっている。
 この様に、相手を善人かどうかを見極めることなどせずに、殺しに掛かる筈だ。

 【いやでも、ジェーンちゃんみたいな娘も居るしねぇ】

 殺し屋にして“アビス”の死刑囚である同行者の事を思えば、この少女もまた珍しい存在では無いのかもしれない。
 ジェーンの方に視線を向けた事に気づいた少女が、ジェーンを視界に収める。

 「いざって時の為に隠れて貰ってたんだけど、必要無いみたいだね。
 私はメリリン。そっちがジェーン。お嬢ちゃんは?」

 「ドミニカ・マリノフスキといいます」

 「ドミニカ…んん?」」

 聞いたことのある名前だと、暫し記憶を探り、一つの記憶に思い至った。

 ドミニカ・マリノフスキ。ポーランド系アメリカ人。アメリカで最大の勢力“だった”ヤマオリ・カルトを単身で壊滅させた狂信者。
 ラテンアメリカの麻薬組織に関わっていたメリリンは、必然として経済的にも商売的にも関わりが深い北米の犯罪には詳しい。
 当然の様に、巨大カルトを単身で壊滅させた“魔女の鉄槌”の事は知っている。

 【またエライのと関わっちゃったなぁ……】

 とんでもねー女ではあるが、戦力としては一級。この刑務で生き残る為にも、サリヤに二度目の死を与える為にも、是非是非スカウトしておきたい、少なくとも敵対はしたく無い。
 だが、穏やかで人当たりが良さそうに見えても、“アビス”の死刑囚である。迂闊に接すると殺される。

 「じゃあ、今から拘束を解くよ。そしたら、山頂で何があったか教えてくれないかな?」

 それでも、害意が無さそうなので、拘束を解く事にする。つーか服着たい。

 「それは出来ません」

 即答。答えるまでの時間の短さと、澱み無い言葉が、ドミニカの意志の堅さをメリリンへ如実に伝えて来た。

 「どうして?」

 「山頂には、世界を侵す神敵が居ます。私は神から与えられた超力(ネオス)を以って、此れを討たねばなりません」

 「……それって、改変系能力者?」

 「神の創りたもうた世界を侵し、神の意思と御業である森羅万象の摂理を蝕む…。アレは明確に世界を否定するものです」

 うわー話聞かなーい。と、メリリンは思ったが口には出さ無い。
 余計な揉め事は成る可く避けたい。特にこんな場所では尚更だ。
 視界の端で、ジェーンの眉間に僅かばかり皺が寄ったのが見えた。

 「え~と、其奴は山頂でじっとしてるんなら、それで良いんじゃない?」

 「あの空間は拡大を続けています。一刻も早く涜神を止めさせ無いといけません」

 「ええ……」

 何とも傍迷惑な奴が居るものだ。“アビス”の住人なら仕方がないが限度というものは有る。

 「………だったら何で私を避けようとするんだい?」

 「私には果たさなければならない使命が有ります。善き人を助け、悪しき者を討ち、神を否定する者を討ち滅ぼす使命が」

 メリリンは、厄介な事を言い出したなぁ…。とは思ったが、情報を聞き出すことを優先して黙って流す。

 「なら他人に協力を求めるだろ?」 

 ドミニカが言葉に詰まったのを機に、メリリンは一気に畳み掛ける。

 「他人を巻き込みたく無いんだろ?それならそれで良いけれど、此処で出逢ったのも神様のお計らいってやつだ。情報の交換くらいはしようよ。ね」

 「……分かりました。それなら」




 「つまるところ、山頂には殺傷力の高い領域型の改変系能力者が居て、其奴の展開している領域は徐々に広がっている……他人事じゃ済ま無いんだけど」

 衣服を整え、互いに知っている人物について情報を交換し合い、山頂の存在について聞き終えて、メリリンは天を仰いだ。
 “現代の魔女”ジャンヌ・ストラスブールを殺すとか言ってる時点で、大分アレな気がする。
 試しにルーサー・キングの事を訊いてみたら、アメリカの黒人公民権運動の指導者と勘違いする始末。
 面倒ごとになりそうだったので、“キングス・デイ”の大酒量については教えなかったが。
 何でこんな世間ズレしたのが“アビス”に居るのかとも思ったが、これくらいズレていなければ、カルト宗教を単身解明させるなんてしないだろう。
 改めてとんでもない少女だった。

 それはさておき、とんでもない少女が齎した、とんでも無い情報を、今は優先するべきだろう。
 これは何とかし無いとヤバイ事になる。刑務どころの話では無くなるだろう。
 腕を組んでメリリンが考え込むと。

 「放っておくと、安全な場所がどんどん減っていく…。殺し合いに巻き込まれる危険が上がる」

 ジェーンが放置した場合の危険について考察した。

 「むむむ…」

 岩山登山に励む原因となった、嵐を起こした刑務者の事を思うと、際限無く気が滅入る。
 安全地帯が減れば、アレとかち合う可能性は、当然の様に増していく。
 ヴァイスマンがどうにかするとも思え無い。此処で死人が大量に出れば、経費の削減になる位にしか思わないだろう。

 「何とかしないといけないねぇ…」

 そうは言っても如何ともし難い。
 どうしたものかと考える。
 というよりも、此処だって危険ではなかろうか。
 速やかに移動し無いと。

 「…ソフィア・チェリー・ブロッサム」

 「誰?」

 「私を捕まえた人よ。丁度良くこの刑務に参加してる。彼女の超力(ネオス)は超力(ネオス)の無効化。彼女なら、何とか出来るかも」

 「何ともまぁ…」

 都合の良い奴が居たものである。
 だがしかし、メリリン達はブラックペンタゴンへと向かうのだ。何処にいるとも知れ無い相手を探し回る訳にもいかない。

 「その方の外見を教えて頂けますか?」

 「ドミニカちゃんに任せるしか無いね」

 「私は最初からそのつもり」

 結局のところ、ドミニカに任せるしか無いのだろう。“アビス”の住人が多数徘徊する島を、当てもなくほっつき歩くのは危険極まりないが、ドミニカならばなんとかするだろう。
 それに、出会う相手次第ではトラブルになるドミニカとは、メリリンもジェーンも同行したくは無かった。

 「その様な方がいらっしゃるのは、神の思し召しでしょう。ならば私が探すべきです」

 「じゃあ、山頂の奴については、ドミニカちゃんに任せるとして、そろそろ移動しよう。何時迄もこんな所で時間を食っていられない」

 「ルートはどうするの?嵐は収まったけど」

 山を登るルートは論外。さりとて、下山して山の周辺を回っていくのは、時間のロスが大き過ぎる。
 何とも困った事態だったが。

 「私の超力(ネオス)ならば、速やかに御二方を山の向こう側までお連れできますが」

 ドミニカの提案に、メリリンとジェーンは視線を交差させた。
 数秒の沈黙。口を開いたのは、メリリン。

 「じゃあ、世話になるよ」





 「…………死ぬかと思った」

 「次は遠慮したいねぇ……」

 二人して血の気の引いた顔で、吐き気を堪えるメリリンとジェーン。
 ドミニカの超力(ネオス)を用いた移動方法は、移動する方向や、身体の向きがどれだけ変わっても、感じる感覚は『落下』のみである。
 慣れているドミニカは平然としたものだが、メリリンとジェーンは初体験。
 視界と身体の向きと姿勢は変わらず、それでいて上に左に右に下に前方に後方に、目紛しく『落下』を繰り返した二人は、三半規管が壊滅していた。

 「着いたのは良いけど」

 「暫く動けそうにないねぇ…」

 へたりこんで動けない2人を前に、初めて他人を己が超力(ネオス)で運んだドミニカは、事態の重大さに頭を抱えていた、

 「大変申し訳ございません。お二人が回復するまで、護衛を努めます……」

 「……ああ、うん」

 「お願い………」



【E-5/ブラックペンタゴンの近く/1日目・黎明】

【ジェーン・マッドハッター】
[状態]:健康 重度の乗り物酔い
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.無事に刑務作業を終える
1.メリリンと行動を共にする
2.山頂の改編能力者を警戒

※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました

【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン】
[状態]:健康 重度の乗り物酔い
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。出られる程度の恩赦は欲しい サリヤ・K・レストマンを終わらせる。
0.女をどうするか決める
1.サリヤの姿をした何者かを探す。見つけたらその時は……
2.ジェーンと共にブラックペンタゴンに向かう
3.山頂の改編能力者を警戒。取り敢えずドミニカ任せる

※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました


【ドミニカ・マリノフスキ】
[状態]: 全身に打撲と擦り傷
[道具]: デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本. 善き人を見定め、悪しき者を討ち、無神論者は確殺する。
1.ジャンヌ・ストラスブール、フレゼア・フランベルジュ、アンナ・アメリナの三人は必ず殺す
2.神の創造せし世界を改変せんとする悪意を許すまじ
3.山頂の改編能力者について、ソフィア・チェリーブロッサムに協力を仰ぐ。
※夜上神一郎とは独房に収監中に何度か語り合って信頼しています
※メリリンおよびジェーンと知っている刑務者について情報を交換しました。
※ルーサー・キングについては教えて貰っていない為に知りません。

053.超人幻想 投下順で読む 055.少女たちの罪過
時系列順で読む 056.いっそ最初から出会わなければ──
祈りの奇跡 ドミニカ・マリノフスキ ストリートの不文律
ジェーン・マッドハッター
メリリン・"メカーニカ"・ミリアン

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最終更新:2025年04月16日 21:34