◆
「そこを、通させては貰えないか」
仁成の要望に、応えるものは、無言の圧力。
無言で構えを取って立つエルビスの放つ殺意が、仁成の全身に重く伸し掛かる。
まるで、今にも転がり落ちる巨岩を目の前にぢているような、即座に行動を起こさなければ、己が死ぬという圧力。
「無期懲役同士、互いに見逃す訳も無し、か」
常人ならば、錯乱して逃げ出すか、忘我のままエルビスに撲殺される。それ程の“圧”を受けて、泰然自若と応じる仁成。
四葉の様な、闘争の歓喜と戦意に満ちている訳でも無い。平常心のままに、自然体で立って入る。
四葉とエルビスとの戦闘で、刃に紫花が斬り飛ばされ、剣風で吹き散らされた場所に立ち、エルビスの圧を悠然と受け流している。
「実力行使か」
エルビスの構えはセミ・クラウチ。見惚れる程に極まっている構えだが、その為にエルビスの使う戦技は、仁成には筒抜けだった。
拳闘士。感じる圧と、眼前の立ち姿を見れば力量すら看破出来る。
強者。それも破格と呼んでも過言では無い程の。
仁成は全身の力を抜いて立つ。一見すれば弛緩している様にも見えて、その実何処にも隙など無い。
エルビスがどんな攻撃をしてきても対応出来るだろう距離を保ち、仁成はエルビスの状態を観察する。
エルビスの褐色の肌は複数箇所が赤く変わり、呼吸は常態より僅かに深い。
仁成と入れ替わるように逃げて行った少女の存在を考えるに、あの少女と戦って。相応に疲労したのだろう。
動かないのは、疲労の回復を待っているのと、紫花の腐敗毒で、仁成が弱るのを待っているのだろう。
加えて咲き乱れる紫花が放つ腐敗毒。花の無い場所に立っていて尚、身体を蝕む猛毒。
時間が経つ程に、エルビスは回復し、仁成は削られていく。
睨み合って時間を無為に過ごすのは、愚行というべきだった。
仁成は緩やかな歩調で歩き出す。晴れた春の日に、花を観ながらそぞろ歩くような、戦意も闘志も感じさせ無い歩行。
あまりの“気”の無さと、緩やかでかつ隙の無い歩き方に、さしももエルビスも動け無い。
一歩。二歩。三歩…六歩を歩いた仁成は、流れる様な極々自然な動きで、懐からグロック22を抜いて、発砲した。
狙いは、腹。
人体の中でも最も可動せず、骨に守られてい無い内臓が詰まった部位は、当たれば甚大なダメージを齎す。
歩く動作に完全に組み込まれた銃撃は、エルビスに何の動きもさせる事なく。見事に腹部に命中した。
────思ったよりも呆気無い。いや、拳闘士(ボクサー)だから、不意の銃撃には脆いのか?
感じた圧と、構えから感じ取った技量に比して、あまりにも脆く崩れ落ちたエルビスをみて、そんな感慨を抱きながらも、仁成の歩む足は止まら無い。
エルビス・エルブランデスの事は知っている。
逃亡生活の最中に名を聞いた、常勝無敵の王者。
"災害(Desastre)”と並ぶ中南米の裏社会で轟く伝説。
顔を見るのは初めてだが、構えを見ただけで、王者(エルビス)だと確信できた。
だからこそ、銃を用いた。拳の届く範囲内に踏み込む事なく、決着を着けに行った。
不意の銃撃を卑怯とは思わない。殺し合いに乗っている相手に卑怯もラッキョウも無いが、新時代に於いての対人戦闘は、未知の超力(ネオス)による奇襲を避ける為に、先ずは距離を置いて対処する。
日本ですら、警官は暴徒鎮圧用のゴム弾を装填した散弾銃を標準装備して、犯罪者を遠距離から制圧する。
日本以外の国では、逮捕歴が無い為に超力(ネオス)が未知の犯罪者は、射殺前提で対処される。
超力(ネオス)の存在を考えれば、初見の相手に対して銃を用いる事は、卑怯でも何でも無い。
ましてや相手は『ネオシアン・ボクス』の絶対王者、エルビス・エルブランデス。
身長は250cmを超え、体重が220kgもある様な、人というよりもバケモノと呼ぶのが相応しい者達が、フィジカルとタフネスにものを言わせて壊し合う人外魔境。
そこに君臨した、常勝不敗の“絶対王者”。
ボクシングはエルビスの世界であり、エルビスの帝国。
そのエルビス・エルブランデスの拳の届く範囲で戦うなど、余程の阿呆か戦闘狂か、それともエルビスの事を知らぬ無知か、エルビスを舐めているか。
仁成はその何れにも該当せず、エルビスの脅威を正しく把握している。殴り合えば、死ぬと。
転がしてしまえば話は別だが、エルビスがそう簡単に倒れるかどうか、ましてや咲き乱れる紫花が、寝技に持ち込むことを封じている。
何にしても、エルビスの実力を知っているからこそ、銃を用いる事を、仁成は正当な行為だと認識している。
仁成は全く恥じる事も、省みることも無く、蹲ったエルビスへと近付き、4mの距離を置いて立ち止まると、銃口をエルビスの頭に向ける。
この距離なら外さない。エルビスが反撃してきても、対応出来る。
そう、確信して引き金を引き────。
◆
────アレは…何だ?
視界に写る光源が何なのか、ぼんやりと思考する。
────照明……?天井?
視界の中に広がる板と、点在する光源。
あれは天井だと認識する。
────天井!?
自分が何故天井を見上げているのか、理解できぬままに、上を向いて宙を舞っている現状を、脳が正しく認識した。
途端に、激しく頸とアゴが痛み出す。
仁成は、己が何故宙を舞っているのかを、正しく把握した。
エルビスは、飛来する銃弾を見切っていたのだ。
その上で、敢えて受けた。
そして、無力化された振りをして、油断した仁成が近づいてくるのを待ち、立ち上がって瞬足で距離を詰めて、渾身のアッパーを決めたのだ。
気が付いたら天井を見上げていたというのは、殴られて意識が僅かな時間断絶したのだ。
身を捻る。床を見る。着地を決め────視界の端に“死”が映った
即座に両腕を上げて、頭部をガード。頭部を肩に押し付けて、更に迫る“死”と逆方向へ跳ぶ事で、襲い来る拳に備える。
衝撃。今まで生きてきた人生で、初めてだと断言できる衝撃。
感じた感触は、拳というよりも、岩。
それも雲よりも高い高空から落ちてきた巨岩、だった。
常人ならば、ガードした腕ごと、頭を殴り潰される。
そうで無くとも、腕の骨が砕ける。
人類最高クラスの肉体を有する仁成だからこそ、そうならずに済んだ拳撃。
気づいていなければ────気付くのが遅れていれば、死んでいたと確信できる威力。
仁成の体は、床と水平に6mも宙を飛び、床に接触、数度バウンドして漸く止まった。
拳を受けた両腕に、酷い痺れが走り、仁成は舌打ちした。
────こんな拳、三度も受ければ腕が使えなくなる。
痺れる腕を上げて、構えようとした時には、すでにエルビスが2mの距離にまで接近していた。
仁成は素早く身を沈めることで、エルビスの拳打から逃れつつ、伸ばした右脚を旋回させて。エルビスの足を狩りに行く。
ボクサーは根本的に蹴り技に脆い。
蹴りを用いず、左右の拳だけで戦う拳闘士であれば、当然と言える。
上段や中段には、反応も対応も能うだろうが、下段ともなればそうはいかない。
ましてや仁成の放った蹴りは、地面スレスレの高さを旋回している。
ボクサーには対処出来ない────認識できるかも分からない蹴りである。
それを────エルビスは当然のように躱してのけた。
それも、跳躍だの後退だのといった動きでは無く、仁成の蹴り脚を跨ぐという形で。
驚愕に見開かれた仁成の眼は、それでもなお、仁成を殺すべく繰り出されたエルビスの拳を、冷静に見極めている。
両手を床に着き、左足の力と合わせて跳躍。エルビスの拳が届く範囲外まで逃れると、更に跳躍 エルビスとの間に7m程の距離を稼ぐと、手に持った拳銃の引き金を引く。
仁成が引き金を引くより早く、エルビスが右拳を、左から右へと振るい出した。
銃弾が発射され、銃声が響く。同時に振るい抜かれるエルビスの拳。
仁成の前髪が拳風で逆立ち、仁成の耳は、空気が引き裂かれる音を聴いた。
「嘘だろ……」
人類最高峰の身体能力を持つ仁成の耳は、確かに聴いた。エルビスの拳に銃弾が粉砕された音を。
タイミングを読んで、適切に拳を振るう。
言ってしまえば単純だが、実際にやられると、驚きを禁じ得ない。
更に、銃弾を弾き飛ばしたのでは無く、打ち砕いたとなれば、尚更だ。
驚愕して動きの止まった仁成を、エルビスが見逃す筈は無く、猛速で距離を詰めて、顎。鳩尾。心臓。肝臓。胃へと殆ど同時に放たれる六連撃。
全てが急所を狙う、岩すら砕く剛拳。どれか一つでも受ければ、それだけで勝敗が決しかねない。
仁成は咄嗟に後ろへと飛ぶ。エルビスの拳が起こした風が、仁成の肌を粟立たせた。
死地から逃れた安堵を噛み締めながら、グロックをエルビスへと向ける。
何処でも良い。当たりさえすれば良い。当たって、エルビスの動きが止まれば良い。
その意図の元放たれた銃弾は、虚しく床を穿っただけの結果に終わる。
仁成が銃口を向ける動きを始めると同時に、後ろへとエルビスが回り込んでいた。
仁成の背筋を悪寒が走り抜けた。このままでは、隙だらけの背面に、エルビスの拳が飛んでくる。
腎臓、背骨、延髄。何処を撃たれても致命傷となる。
脇の下に銃を突っ込み、後ろも見ずに発砲。銃声は、二度。
エルビスが後ろへと飛んだ事を感じつつ、空中で身を捻る。
着地するより早く、再度発砲。
当たるかどうかは,どうでも良い。エルビスの行動を阻害出来ればそれで良い。
更に念を入れて、後ろへと転がる。
床に転がるのと殆ど同じタイミングで、仁成の頭のあった位置を、エルビスの拳が通過した。
大気を引き裂く轟音に、仁成の背を冷たいものが走る。
視界に映ったエルビス目掛けて、銃口を向ける。
エルビスが仁成へと拳を撃ち下ろす。
撃ったところで、銃弾がエルビスの拳に粉砕されるだけと知り、仁成は転がってエルビスの拳を躱し、素早く立ち上がると、エルビスへとまた銃口を向けた。
エルビスの姿が消える。凄まじいフットワークで、仁成の側背へと回り込んでくる。
仁成は、エルビスが動いたタイミングで前進。エルビスが直前まで立っていた位置へと立つと、改めてエルビスと向かい合った。
此処まで濃密な攻防を繰り広げ、経過した時間は、20秒と経っていない。
腹から血を流すエルビスを見て、筋肉を締めて銃弾が深いところへ到達する事を防いだ事を知り、防いだとはいえ、腹部に銃弾を受けてアレだけの動きをしたエルビスに対し、仁成は脅威の認識を更に引き上げる。
◆
◆
仁成は息を整えながら、銃を仕舞う。
エルビスを相手に、馬鹿正直に正面から撃ったところで通用し無い。
それに、腐敗毒で銃が痛む。機構が複雑な自動拳銃にとって、この環境は酷というものだった。
だからといって、使わ無いというのは愚行である。
エルビスに対して、『銃撃に対処する』という行動を強要できる。このアドバンテージを捨てる気は毛頭無い。
隠し持った上で、此処ぞというべき時に使う。
隠し持つ事で、常にエルビスに『銃を何時使われるか』という事を警戒させ、意識と思考のリソースを割かせる。
銃を使わずとも、持っているだけで、これだけの利益を得る事ができる。
仁成は銃を何時でも使える様に、懐にしまうと、右半身をエルビスに向けて立つ。
居合の構え────。鞘内と構え間合いと動きを隠し、神速の抜刀で敵を斬り伏せる剣技。
エルビス視界からは、仁成が腰に帯びた刀は、完全に隠匿されていた。
構えを崩さぬまま、仁成はエルビスへと距離を詰める。
エルビスが動いても動かずとも、間合いに入った刹那を逃す事は無い。
間合いに入ると同時に、抜刀する。
居合に於ける抜刀とは、即ち斬撃である。
間合いに入れば、斬り殺すという事だ。
エルビスは、不動。
クラウチング・スタイルで立ち、その両眼は、仁成の一挙手一投足はおろか、呼吸や瞬きすら見逃さぬとばかりに、仁成を見据えている。
物理的な圧力すら感じさせる眼差しを浴びて、仁成は泰然自若とした、弛緩すら感じさせる態で、エルビスへと迫る。
間合いにエルビスが入る。
仁成は更に近づく。
エルビスは未だ動かず。
やがて、エルビスを刃圏に捉えた仁成の全身が駆動する。
全身の筋肉と関節を連動させ、神速の抜刀が、エルビスを両断せんと鞘走る。
だが、仁成が“抜き”に行くよりも、極小の差で早く、エルビスが猛然と地を蹴った。
仁成は何度目になるか判らない驚愕に襲われる。
理術で言うならば、仁成の“気”を読んだのだろう。平常心のままに斬りにいく仁成の“気”を読むとは、凄まじい感覚だった。
だが、納得出来ない。
何故?拳闘士でしか無いエルビスが、蹴り技を簡単に回避し、更には剣技にすら対応出来るのか?
有り得ない。有り得ない。
そう思う仁成はエルビスの戦場を知らぬ。
エルビスの君臨した帝国を知らぬ。
◆
◆
ネオシアン・ボクス。
“目の肥えた”観客達に、身体能力が飛躍的に上昇した強者達による“制限無しの殴り合い”を観せるところから始まり。
『開闢の日』により、筋肉と骨の強度が、心肺機能が、各内臓の能力が、劇的に高まった為に誕生した、旧時代では有り得ぬ巨躯の人間による殴り合いへと変わり。
最終的には、常時発動型の亜人ですらが、リングに立つ様になった裏格闘技。
競技としての体裁を保つ方向へと進んだ“表”と違い、見せ物として発展していったネオシアン・ボクスは、際限無く過激で、戦うものには過酷な戦場だ。
階級制・無し。時間制限・無し。ラウンド制・無し。両の拳のみを攻撃に用いるというだけの制限しか無く、背面への攻撃や、倒れている相手への攻撃すら有り。
“表”では全面的に禁止されている超力(ネオス)ですらが、飛び道具の類でなければ認められる。
禁止されている事ですら、審判や客にバレなければ使用し放題。
この血生臭く混沌に満ちたルール下で、旧時代からのボクシング技術のみで戦い抜き、絶対王者として君臨したエルビス・エルブランデス。
必然として、凡ゆる攻撃を体験している。
見えない飛び道具を撃ってくる者が居た。長い腕で、直立したまま足を刈ってくる者が居た。
何の前触れも無く腕を増やして、複数の腕で殴りつけてくる者も居た。
蟹のような甲殻で全身を覆った巨人。タコのような身体を巧みに運用した男。毒針を高速で打ち込んで来た小柄な男。馬鹿力と爆撃で猛攻を掛けてきたアメリカ人。放電能力を持った半病人のような男。
エルビスより巨きい者。エルビスよりも力が強い者。エルビスよりも速い者。全員が全員。強力な超力(ネオス)を用いて来た。
だが、エルビスよりも強い者は一人として居なかった。
それが、エルビスがネオシアンボクスという王国に君臨出来た理由。
無敵の双拳を以って全ての敵対者を撃ち砕いた戦王は、人類の極峰といえどもそうは容易く首は取れぬ。
ましてや、エルビスは先の四葉との一戦で、対武器も経験した。
既に戦王の武に隙は無く、只々実力で上回る以外に、抗する術など有りはしない。
右手を強かに打たれ、仁成の手から刀が飛んだ。
◆
◆
王者(チャンピオン)の名など要らない。
無敗の称号も。
常勝の誉も。
この双つの拳で対峙した敵悉くを撃ち倒した誇りも。
全て要らない。
只一つ望むものは────、
身体は必要だ。自由を掴む為に。
技術は必要だ。恩赦を得る為に。
戦歴は必要だ。闘って勝つ為に。
名も栄誉も誇りも捨て去り。
『ネオシアン・ボクス』の絶対王者は、ただ一人の女への愛の為に戦う。
◆
◆
1m四方も無い、狭い空間に、殺意と闘志が漲り鬩ぎ合い、致命の拳打が乱れ飛ぶ。
━━━━勝てないな。“今”は。
エルビスのラッシュを避け続けながら、仁成は“今”の勝率について、冷徹に思考を重ねていた。
顔の数mm横を、”死”が疾り抜ける。
躱してカウンターのストレート。躱した先へフック。
エルビスの拳に弾かれ、弾かれた拳に思い痺れが広がっていく。
拳闘(ボクシング)は、エルビス・エルブランデスの君臨する“帝国“だ。
咲き乱れる紫骸は王者(エルビス)の布いた法(ルール)。
寝技に持ち込む事を固く禁じ、従わぬ者には腐敗の罰が下される。
ならばと組みつけばどうなるか。
仁成の刑務服の、腕から胸の部分が溶けている事が、雄弁に物語る。
タックルに行った際に、接触した部分から咲いた紫骸に溶かされたのだ。
極めるな。投げるな。掴むな。組むな。転がるな。
STAND(立って)&FIGHT(戦え)。
紫骸の花は、王者(エルビス)の王権の証。
叛けば腐敗の罰が下される。
立って戦う限り、エルビス・エルブランデスは絶対の“強”を誇る武王である。
その双拳は、数多の敵を撲殺して来た鋼の戦鎚。
新たに戦鎚が吸う血の主は、只野仁成。
────転がせれば、どうにでも料理できるんだが。
胸中に思うも、意味は無い。
エンダが居れば、彼女の能力で、花の上に幕を敷いてもらうことで、寝技に持ち込めるのにと思うが、居ない者を頼っても仕方が無い。
────仕切り直すか。
ヤミナがどうやって二階へ行ったのかは定かでは無いが、エルビスが居る以上、誰も二階へは行けないだろうし、ヤミナも降りる事は出来はしまい。
エルビスの顔へと鋭い左ジャブを放つ。
エルビスが顔を僅かに振って回避したところへ、親指を突き出して眼窩を狙うも、逆に額を指目掛けて叩きつけて来た為に、急いで左手を引っ込める。
次いで右のフック。スウェーで躱したところへ、そのまま右の肘をエルビスの喉へと叩き込む。
あっさりとブロックされ、砲丸でもぶつけられたのかと思う程に、重い拳が腹へと直撃し、仁成は盛大にゲロを吐きながら後退る。
────さっきの娘。此奴と戦って、良く生き残れたな!
入れ替わりで逃げていった少女(四葉)の事を思い出して、僅かに苦笑を浮かべた。
仁成が逃げる時間を作ってやった様なものだが、エルビスの脅威を身を以て知った以上、あの少女は最早捨て置けない。
回復する前に、殺しておくべき“強敵”だった。
「まぁその前に、こっちが…殺されそうなんだが」
距離を詰めてくるエルビスへと、背を向けて逃げ出す────と見せ掛けての右の後ろ蹴り。
エルビスが拳を振るうタイミングに合わせ、回避と攻撃を兼ねた奇襲。
強かに足の甲を打たれて、右足が跳ね上がる。
その勢いを活かして、大きく前方へと飛び、前方宙返りをしながら、銃を抜く。
発砲。エルビスは当然の如く回避。側面へ回り込んで距離を詰めてくるのに合わせて、再度発砲。
躱されるも、その間に着地を決めて、仁成はエンダがと合流する為に走り出す。
エルビスが当然の様に追ってくる。
絶対王者に刃を向けた愚者を屠らんと、戦鎚を振るって追ってくる。
仁成が振り返る。
このまま逃げても追ってくる。
追いつかれれば、死ぬ。
拳を握る。
取る構えは、理想的な中段正拳突きの構え。
世の格闘家や武道家が見れば、我を忘れて見惚れ、いつかは俺もああなりたいと、そう願わずにはおれない。それ程に完成された構え。
だが、“拳”の業が、エルビス・エルブランデスに通じるのか。
拳の絶対王者に届くのか。
届く自信が、仁成には有った。
身体の回転。踏み込みによる推力。体重移動。全身の筋肉と骨を連動させ、仁成の肉体が生み出せる全ての力を込めて、中段正拳突きを放つ。
彼我の距離は、4m。
拳など到底届かず。代わりに届いた物があった。
拳に押し出された空気が、剛体と化してエルビスを襲う。
曰く、“遠当て”。曰く、“百歩神拳”。
触れずして敵を撃つと言う絵空事。
然し、旧人類を超越する身体能力を持った新時代の人間が、極限にまで鍛え上げた肉体と、“達した”功を併せ持ちいる時。絵空事は現実のものとなる。
人類の極峰たる只野仁成にとっては、夢物語に等しい魔拳も、極当たり前の様に使える技術に過ぎない。
これで斃れる訳はないが、確実に動きは止まる。
その隙に逃げる。逃げてエンダと合流する。
この条件下に於いて、エルビス・エルブランデスは、あの大海賊、嵐の王(ワイルドハントマン)ドン・エルグランテに匹敵、或いは凌駕する絶対者だ。
逃げる事も、数を頼む事も、仁成は卑怯とは思わない。
闘争など、所詮は只の手段に他ならないのだから。
◆
◆
剛体と化した空気が、仁成の拳に代わってエルビスを打ち倒す。
その────筈が。
エルビスの拳が、放たれた魔拳を粉砕した。
仁成の口から、間抜けな声が出て漏れた。
仁成は知らぬ。先刻逃げていった少女(四葉)が、未熟とはいえ既に遠当ての絶技を披露していたことを。
一度見て仕舞えば、同じ拳技など練度を問わず、拳の絶対王者、エルビス・エルブランデスには通用しない。
致命の隙を晒した仁成へと、エルビスが迫り、絶死の戦鎚が振われ、乾いた破裂音がした。
◆
◆
「死ぬかと思った……」
仁成は廊下をフラフラと歩いている。
エルビスの決めの一打に対し、咄嗟に後ろへと跳びながら、銃撃を行えたのは、エルビス・エルブランデスならば、遠当ての魔拳といえども対処出来ると、心の何処かで思っていた為だろうか。
銃撃を受けたエルビスの動きが止まり、後ろに大きく飛ばされた仁成は、距離を稼ぐことに成功し、何とか逃走に成功できた。
この結果が、偶然か必然かは兎も角、仁成は生きている。
あの紫骸の王国で、無敵の絶対王者と交えて、生きているだけでも胸を張れる成果だったが、仁成の評定は暗い。
「あんなのが居たら二階には行けないし、さっき逃げていった娘がエンダに出逢っても拙い」
エルビスと戦い、生き延びただけで無く、相応の疲労と負傷をさせた少女(四葉)は、どう考えても脅威だ。
手負いであることに変わりは無いが、エンダが一人で出会えば殺されかねない。
速やかに、エンダと合流し、エルビスとあの少女(四葉)に対し、備えるべきだろう。
「とんでも無い階BOSSが居たもんだ」
愚痴をこぼすと、身体d中の痛みを堪えながら、仁成はエンダとの合流を急ぐのだった。
【E-4/ブラックペンタゴン1F 南西ブロック 階段前/1日目・早朝】
【只野 仁成】
[状態]:疲労(大)、全身に傷、ずぶ濡れ、服の全面が溶けている、精神汚染:侮り状態
[道具]:デジタルウォッチ、、グロック19(装弾数22/13)、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
0.放送までブラックペンタゴンに留まる。
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。
5.エンダと合流してエルビス及び少女(四葉)に対処する
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。
◆
◆
エルビスは腹筋に力を込めて、腹部に刺さった銃弾を排出する。
筋肉を締めて攻撃を防ぐのは、当たり前のように用いる防禦の手段だが、それでも鋼の刃や銃弾ともなれば只では済まない。
“アビス”に落とされる死刑囚や無期刑を受けた囚人達を、少なくとも四人殺さねばならない以上、傷を受けるのが愚行というもの。
その為に、少女(四葉)にしろ男仁成)にしろ、攻撃を受けずに躱す事に専念したのだが、それでも銃弾を二発も受ける事になったのは痛恨のミスだった。
傷は軽微に留めたとはいえ、傷つき疲労して誰も殺せていないというのは問題だった。
逃げた男女、何方も手負。
男は軽傷だが近くに居るいる。
女は重傷だが、距離を稼がれた。
さて、何方を追って仕留めるか。
それとも此処に留まるか。
黙考しながら、エルビスは拳を繰り出す。
左右のストレートが空を切り裂き、離れた壁が打撃音を立てた。
「便利な技だ」
エルビス・エルブランデス。拳の絶対王者。
その才と武練とは、拳の究極といっても良い魔技を、二度見ただけで会得させた。
新たなる武器を手に、常勝の戦王(チャンピオン)は、何処へと向かうのか
【エルビス・エルブランデス】
[状態]:疲労(大)、幾らかの裂傷、腹に銃創(軽) 強い覚悟
[道具]:
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.必ず、愛する女(ダリア)の元へ帰る
1.男(仁成)と少女(四葉)何方を追うか
2."牧師"と"魔女"には特に最大限の警戒
3.ブラックペンタゴンを訪れた獲物を狩る。
最終更新:2025年06月02日 23:52