――――刑務会場の北西部、港湾。
 貨物や船舶を管理するための、小さな“管理棟”。
 その一室にて、ハヤト=ミナセは放送を聞き届けていた。

 そこは港湾の作業員のための休憩室だった。
 ガラス張りの喫煙空間や、何も買えない物言わぬ自販機などが設けられている。
 作業員たちが緩やかに寛ぐ為か、ある程度のスペースも確保されていた。

 幾つか並ぶソファ席のひとつに、セレナ・ラグルスを寝かせていた。
 生死の境目を彷徨うほどの負傷を経たが故に、長時間に渡って気を失い続けている。
 しかし先程の治療キットによる手当てや、炎を宿したアクセサリーの効果もあり、既に穏やかな呼吸を取り戻していた。

 小さな窓からは、夜明けの陽光が射す。
 電気が通らず、灯りも付かない仄暗い屋内に、微かな輝きを齎している。

 12人の受刑者が、この6時間で散っていった。
 ハヤトも名を知らぬ者もいれば、聞き覚えのある者もいて。
 そして、あの死線の中で対峙した面々の名も呼ばれて。
 この場で命を落とした者達が、ただ情報として粛々と告げられた。

 ――ネイ・ローマンの名は、まだ呼ばれていない。
 されどハヤトの胸中は、今も揺れ動いている。
 自分のケジメとは、納得とは、何なのか。
 その想いが、ハヤトの後ろ髪を引き続けていた。

 思うところは、幾つもあった。
 ハイエナとしての役割。ローマンとの確執。
 この刑務で出会った、セレナとの結びつき。
 そして、あの神父の言葉が脳裏に過ぎる。

 ――――“己が向き合うべき神の兆しを得たのです”。
 ――――“その兆しをどうするかはあなた次第”。

 それらについて、考えたかった。
 自分の立ち位置について、省みたかった。
 しかし、今のハヤトには。
 そうする余裕さえも、与えられていなかった。


 ハヤトは、茫然と立ち尽くしていた。
 汗を流して、呼吸を整えていた。
 湧き上がる恐怖と動揺を、必死に抑え込んでいた。


 この場に現れた“来訪者”を、ハヤトは見据えていた。
 休憩室の入り口の前に立つ男を、彼は見つめていた。
 その相手が何者であるのかは、すぐに理解した。

 だからこそ、ハヤトは目を見開いていた。
 震える瞳孔が、眼前の男を捉え続けていた。
 瞳が、畏怖の感情に染まっていた。
 口元から、慄く吐息が零れ落ちていた。
 絶対的な存在を前に、身が竦んでいた。

 どうする。そんな思考が、ハヤトの脳内を支配する。
 どうすればいい。そんな混乱が、ハヤトの脳内を掻き乱す。
 答えなど出ない。自分には、何も出来ない。
 何故ならば、自分が対峙している相手は。

「そう怯えんなよ」

 威圧に満ちた男が、悠々と言葉を紡ぐ。
 黒い肌と、漆黒のスーツを纏う、巨躯の老人だった。

「女の前で震えてちゃあ、格好が付かねえだろ」

 ふてぶてしく、不遜に。
 どっしりとした低い声で、言葉を吐く。


「なあ、ハヤト=ミナセ」


 目の前の“ちっぽけなチンピラ”に対して。
 欧州に君臨する巨悪は、淡々と語りかける。


「――――ルーサー……キング……」


 欧州の支配者。闇の帝王。
 社会悪(パブリック・エナミー)。
 その男の名を、ハヤトは震える声で呟いた。
 ルーサー・キングが、彼の眼前に立っていた。

 ストリートを奔走する矮小なギャングが。
 ヨーロッパの頂点に立つ大悪漢と対峙する。

「聞いたか、放送」

 そうしてキングは呟く。
 先の放送の件を振り返る。

「色々と申してえことはあるが……」

 伝えられた死者、禁止エリア。
 それらを咀嚼して、キングは言葉を続ける。

「スプリング・ローズ。やっぱり使い物にならなかったな」

 それは、ストリートギャングである“イースターズ”のボスの名だった。
 ネイ・ローマン率いる“アイアンハート”と激しく対立する、幼く獰猛な悪童だった。

 ――“あの小娘と直に会ったのはムショに入る直前が最初で最後だった”、とキングは振り返る。
 たった7歳の少女がキングス・デイ傘下のギャングに重傷を負わせたという、そんな事件が発端だった。

 スプリング・ローズ率いる“イースターズ”は、キングス・デイの下部組織が後ろ盾となっている。
 そのことはストリートでは周知の事実であったし、ハヤトも当然知っていた。
 だからこそ彼女らは急速に勢力を伸ばし、幅を利かせていったのだ。
 そんなローズの死に対し、キングは嘆くことも憐れむこともしない。

「わかるか、坊主。あれこそ“負け犬”と言うんだ」

 その瞳に侮蔑の色を滲ませながら、キングは淡々と語る。
 まるでハヤトに対して“反面教師”について説くかのように。

「てめえ一人じゃ何も築けねえ、喧嘩の腕っ節くらいしかまともな取り柄がねえ。
 適当な枷で飼い慣らしてようやく少しはマシになる――この世界に腐るほど溢れかえった、下らんネイティブのガキさ」

 尤も、だからこそ飼い犬としては都合が良かったがな。
 キングは付け加えながら、言葉を続けた。

「挙げ句、ネイ・ローマンと刺し違えることすら出来ていない。所詮はこの程度の器だったって訳だな」

 そう結論付けて、一呼吸の間を置き。
 それからキングは、ゆっくりと視線を動かした。

「さて、てめえはどうかと少しは期待していたが」

 低く籠もった声で、キングは呟く。
 強張るハヤトの姿を、彼は真っ直ぐに捉えていた。
 その眼差しから滲み出る意思を、ハヤトはすぐに悟る。

「女を抱えて日和ってやがったとはな」

 ――――自分は“値踏み”されている。
 失望の混じったキングの声と共に、その事実をハヤトは理解した。
 ハヤトの近くのソファに横たわるセレナを一瞥して、キングは言葉を続ける。

「さしずめそいつは、てめえにとって“もう見捨てられない女”なんだろ?」

 顎で指し示すように、キングはセレナについて問う。
 ハヤトは、何も答えられない。心臓を掴まれたように、声を絞り出すことが出来ない。
 脳髄を駆け抜けていく緊迫が、彼を硬直させる。

「この世界にはな。ごまんといるんだよ」

 そんなハヤトの動揺を意にも介さず、キングは悠々と言葉を続ける。
 立場の違いを突き付けるように、牧師は冷淡な眼差しを向ける。

「女だの子供だのに絆されて、そいつの為に足を洗おうとする野郎が」

 ルーサー・キングは、半世紀以上に渡ってギャングとして生きている。
 裏の世界に根を張り、彼はあらゆる人間を見てきた。
 守るべきものを得て、愛すべきものを得て、やくざな稼業を抜け出そうとした小悪党など――腐るほど目にしてきたのだ。

「――――で、どうだ?ハヤト=ミナセ」

 故に彼は、何の感慨も抱きはしない。
 傷ついた少女を抱えて、身を潜めていたチンピラの有り様など。
 そんな輩に対する慈悲など、キングは持ち合わせるつもりもなかった。

「てめえはどうなんだ」

 彼が問うことは、ただ一つ。
 お前は自分の期待に応えられるのか、否か。
 行き着く所は、それだけだった。

 ハヤトは、唇を震わせる。
 目を見開きながら、必死に平静を保つ。
 一筋の汗を流して、焦燥へと駆られる。

 ハヤトは既に悟っていた。
 キングは、自分と”アイアンハート”の確執を知っているのだと。
 だからこそ”しくじった”スプリング・ローズの話を振り、ネイ・ローマンとの対峙を促している。
 ローマンが"キングス・デイ"と真っ向から敵対していることは、ハヤトも当然周知している。

 そんなネイ・ローマンを始末するための"鉄砲玉"としての役目を、キングは己に期待している。
 スプリング・ローズの代役としての立場が、自分に与えられようとしている。
 だからこそキングは、セレナを抱えて身を潜めていた自分を試しているのだと。
 立ち竦むハヤトは、否応なしに理解させられた。

 つまり――――生かす価値があるのか、否か。
 キングはハヤト=ミナセを試している。
 鉄砲玉になり得るのか、あるいは腑抜けたのか。
 この闇の帝王は、それを淡々と見定めようとしている。
 そしてハヤト自身もまた、そのことを悟ってしまった。

 ここでキングの望む答えを出せなければ、自分達は”用済み”になる。
 それを理解できぬほど、ハヤトは愚かではなかった。
 使い物にならないチンピラを生かす意義も理由も、彼は持ち合わせていないのだから。
 だったら、恩赦ポイントの足しにでもした方が余程マシだ。

 キングに抵抗することなど、ハヤトは考えもしなかった。
 欧州の怪物に敵う筈が無いことなど、彼自身も理解していた。
 何よりセレナを守らねばならなかったからこそ、ハヤトは迂闊な行動など出来なかった。

 ――――しくじれば、全てが終わる。
 自分達の刑務は、此処で幕を下ろす。

 ハヤトの脳裏に、セレナの重みが蘇る。
 明朝。夜明けを迎える中、彼女を此処まで運んだ。
 彼女を救うために、ただ無我夢中で歩み続けた。
 その瞬間の感覚が、その瞬間の感情が、只管に反響を繰り返す。




 オレは、ちっぽけなチンピラだ。
 賢くもない。ろくに頭も回らない。
 心の中では燻りながらも、兄貴に付いていくしか出来ない。
 そうしてスラムを奔走するばかりの、些細なごろつきに過ぎなかった。

 けれど、そんなオレでも。
 今の状況が最悪なことくらいは、理解できる。
 今のオレは、目の前の男に“命運”を握られている。

 今まで生きてきた中で感じたことのない恐怖。
 これまでの人生で抱いたことのない緊迫。
 感情が、闇へと引き摺り込まれようとしている。
 今すぐにでも逃げ出したい程に、絶望が押し寄せてきている。

 それでも、必死に堪える。
 決死の思いで、此処に立ち続ける。
 自らの平静を、何とか繋ぎ止める。
 歯を食い縛りながら、地に足を付ける。
 全てが覆るほどの焦燥を、我武者羅に耐え続ける。


 ――――すぐ後ろで、セレナが眠り続けている。


 オレは、眼前の男と対峙する他なかった。
 自分は所詮、取るに足らないギャングに過ぎない。
 それくらい、オレだって分かっている。
 それでも、欧州に君臨する巨悪に、応えなければならなかった。

「……頼む」

 喉から、声が絞り出された。
 緊張に震えた言葉が、滴り落ちた。

「どうか、見逃してくれ」

 そう訴えながら――オレはその場で跪いた。
 焦燥に駆り立てられるがままに、オレは懇願をした。

「アンタへの仁義は、必ず通す……!!」

 その場に跪き、頭を地面に擦り付けんばかりの勢いで、必死に吐き出していた。

「アンタがオレに何の価値を見出しているのかは、ちゃんと理解している!!」

 眼前の帝王が望むもの。彼の意図を汲んでいることを、オレは服従も同然の姿で訴える。

「オレはッ、アンタの期待を裏切ったりはしない!!」

 形振りなど、最早構っていられなかった。
 命乞いと蔑まれようと、気に留める余裕はなかった。

「『アイアンハート』がオレの兄貴分を粛清したことも、当然分かってる!!」

 キングがオレに望むことは、ただ一つ。
 ”アイアンハート”のネイ・ローマンと対峙することだ。
 だからこそ、自らの価値を示さねばならなかった。


「奴らの首領、ネイ・ローマンには必ず落とし前を付ける!!そう誓ったんだ!!」

 脳内で思考が駆け回る。
 閃光のように乱反射を繰り返す。
 混乱の渦中で、闇雲に言葉を絞り出す。

「覚悟は、とっくにしている……!!」

 この場を切り抜けるためにも。
 何がなんでも、キングへと示さねばならなかった。
 自分の価値を、自分の仁義を。

「だから、だから――――ッ!!」

 そうしなければ、きっと。
 自分の命は、此処で終わる。
 そして、何よりも。

「頼むからっ、セレナには……!!
 手を、出さないでくれ……!!」

 セレナさえも、オレの巻き添えになる。
 それだけは、絶対に避けなければならなかった。
 セレナを犠牲にする訳にも、見捨てる訳にも行かない。
 それだけは、何があっても――――。

 必死の思考に駆られていた矢先。
 カラン、と金属の音が響いた。
 何かが転がり、やがて手元に転がってくる。
 唐突な出来事を前に、オレは思わず惚けたような声を零してしまう。


「…………え?」


 それは“鋼鉄の破片”だった。
 掌程度の大きさの、なんてことのない断片。
 まるで硝子片のように、自分の手元に横たわる。
 それがキングの超力で生み出されたものであることは、すぐに理解した。

 オレは、その破片を呆然と見つめていた。
 キングがこれを生み出して、キングがこれを投げ渡してきた。
 そんな事実だけを、オレは漠然と認識していた。

 窓の隙間から射す、朝焼けの光。
 暖かな茜色が、仄かな輝きを放つ。
 この場に割り込む灯火が、足元の鋼鉄片を鈍く光らせる。
 視線を落とすオレに対して、その存在を突き付けてくる。

「右眼だ」
「は……?」
「右眼を抉り出せ」

 オレは、思わず顔を上げた。
 キングは、悠々と煙草を取り出しながら。
 ただ淡々と、そう言い放っていた。
 まるで“使い”でも任せるように、なんてこともなしに。

「聞こえなかったか。坊や」

 そして、キングの視線が“鋼鉄の断片”へと向けられた。
 彼の言いたいことを、オレはその時に理解した。
 そう、理解してしまったのだ。


「てめえの目玉を、俺に差し出してみろ」


 ――――“そいつを使って抉れ”。
 キングの眼差しが、オレにそう伝えていた。

 それを察した瞬間。
 その言葉を突きつけられた瞬間。
 オレの思考は、空白になっていた。

 動揺と焦燥が、止め処無く流れ込んできた。
 脳味噌や神経を犯すように、意識を蝕んでいた。
 それまで必死に捏ねていた考えが、唐突に真っ白になる。

 頭の中で、何か言葉を捻り出そうとしていた。
 喉の奥から、何か異論を吐き出そうとしていた。
 けれど、そのいずれも、無意味であることを悟っていた。

 知っている。誰だって知っている。
 欧州で“やくざ”な生き方をしていれば。
 このことは、当然の摂理なのだ。

「俺への仁義を通すんだろう。是非見せてくれ」 

 ――――“牧師”には絶対に逆らうな。
 奴に睨まれたなら、頭を垂れる以外に助かる術はない。
 歯向かえば、その瞬間から全てを奪われるのだから。

「てめえの言葉が単なる“出任せの保身”じゃないことを、今すぐに証明しろ」

 思い返す。オレは、追憶する。
 ネイ・ローマンの後ろ姿が、脳裏を過ぎる。
 目の前の“この男”の打倒を狙うとされる、若きギャングスター。
 その意志と矜持を掲げることの意味を、オレは改めて理解させられる。
 あのギャングスターがいかに傑物であるのかを、オレは思い知らされる。

 キングの眼は、先程までと全く変わらない。
 冷ややかな視線で、こちらをずっと“品定め”している。
 相手の価値の有無を、淡々と確かめている。
 ――試されているのは、この場で跪くオレだった。

 悠々と煙草を吸いながら、キングはその場で寛ぐ。
 立ち込める靄のように白煙を吐き出しながら、彼は“見物”をしていた。
 そう、何の感慨もない眼差しで、オレを見下ろしている。

 手が震える。身体が震える。
 油のような汗が、じっとりと纏わりつく。
 転がる鋼鉄の断片を握ることも出来ず。
 オレはただ、何かを懇願するようにキングを見上げることしか出来ない。

「キング……」

 必死になって、恐怖を堪えながら。
 辛うじて吐き出した、か細い言葉。
 喉から絞り出した声は、弱々しく震えている。

「おれ、は……」

 そうじゃない。違うんだ。
 そんな反論が、飛び出しそうになった。
 何処までも情けない感情が、胸の奥底から零れ落ちてくる。

「キング……――――」
「なあ、坊主」

 そんなオレの無様な訴えを、キングは低い声でゆらりと遮る。
 冷酷なまでの威圧感が、この場の空気を震わせる。

「てめえ言ったよな。覚悟はとっくにしている、と」

 オレの吐いた言葉。オレの訴えた意志。
 それらを冷淡に振り返り、反復しながら。
 キングは、悠然とオレを見定める。

「“覚悟”って言葉の価値は重いんだぜ。
 言い逃れに使う為の免罪符じゃねえんだ」

 言い訳なんぞに興味はない、と。
 そう言わんばかりに、キングは諭すように説いてきた。
 道理を理解していない子供に、世の真理を突き付けるように。

「俺の言いたいことは、分かるよな」

 キングは冷徹な視線を向けながら。
 オレの逃げ道を、感慨も無さげに塞いでいく。
 指先を動かすような容易さで、オレを黙々と追い込んでいく。


「てめえが吐いた決意を、てめえで裏切るなよ」


 ドスの利いた声が、俺の鼓膜を刺激する。
 ゆらりと吐き出された低い声が、頭の中を冷酷に揺さぶる。

 混乱と困惑が、同時に押し寄せてくる。
 思考があべこべになって、何もかもが雁字搦めになる。
 寒気のするような汗が、さっきからずっと止まらない。
 何かを訴えようとしても、声は喉を上手く通ってはくれない。

 オレは今、何をやっているんだ。
 オレは今、何をするべきなんだ。

 幾ら自問自答をしても、答えなんてやってこない。
 都合のいい道筋なんて、降り立っては来ない。
 破片に触れる手が、さっきから恐怖と焦燥で震えている。
 自分の取るべき行動を見出せないまま、感情だけが右往左往している。

「――あ……う、え……っ」

 言葉のなりそこないのような呻きが、口元から滴り落ちる。
 今にも胃の中の物を吐き出しそうな不快感が込み上げてくる。
 気が付けば、目を見開いていた。
 目の前に転がる破片を凝視して、心臓の音が跳ね上がっていた。

「う、ぁ……」

 何で、こんなことになっている。
 何で、こうしなければならない。
 わかっている。そのくらい、察している。
 混乱の渦中に叩き落されても、それだけは理解できる。

 仁義。覚悟。落とし前。流儀。決意。矜持。意地。
 オレがここで“片目を喪う”理由なんて、後から幾らでも名付けられる。
 ルーサー・キングがそうだと言えば、それが事実として決められる。

 仁義を示すために、目を抉らなければならない。
 覚悟を見せるために、目を抉らなければならない。
 矜持を証明するために、目を抉らなければならない。
 女を守るために――――目を、抉らなければならない。
 この行動の意義など、キングは何だっていいのだろう。

 きっと、どうだっていいのだ。
 キングからすれば、如何様にもできるのだ。
 こうする理由や価値など、彼は思うがままに規定できる。
 彼がオレに対して求めていることは、結局ひとつの事実に行き着く。

 オレというチンピラが。
 ルーサー・キングに従うか、否か。
 結局のところ、それだけだ。


「さあ」


 だから、キングは。
 オレに対して、粛々と促してくる。
 生きるべきか、死ぬべきか。
 欧州最悪の大悪漢が、オレの価値を選別している。
 ハヤト=ミナトという小悪党を、試している。


「やれよ」


 ルーサー・キングの意思一つで、何もかもが終わる。
 オレの全てが。そして、セレナの全てが。




 ――――“ハヤトさん、わたしね”。
 ――――“ほんとはずっと、不安だったんです”。


 その瞬間。
 脳裏に、あいつの声が反響した。
 あの爆弾魔の攻撃から自分を庇った直後。
 あいつは、オレに胸の内を打ち明けた。


 ――――““ずっと、後悔が消えなかった”。
 ――――“わたしは、みんなを、たすけられなかった”。


 あいつが苛まれてきた痛み。
 あいつが抱えてきた哀しみ。
 オレはあの時、それに触れた。


 ――――“みんなを見捨ててしまったんです”。
 ――――“自分だけ、助かろうとしてしまったんです”。


 ああ、そうだ。
 あいつは、ずっと背負っていたのに。
 あいつは、ずっと苦しんでいたのに。


 ――――“だから今日、もしも”。
 ――――“ハヤトさんを、助けられたんだとしたら”。


 前へ進んでいく勇気を、あいつは選び取って。
 そんなあいつが、オレは怖くて。
 けれど。だからこそ、オレがどうするべきなのか。
 それをやっと、少しでも理解することが出来た。

 恐怖も、不安も。焦燥も、動揺も。
 何もかもが、俺の心に纏わりついて。
 雁字搦めになったまま、離してはくれない。
 震えも止まらない。意識も集中できない。
 一歩踏み外せば、きっとすぐに闇へと引き摺り込まれる。

 逃げ出したい。すぐにでも助かりたい。
 そんな思いさえも、脳裏をよぎって。
 だけど、今のオレは――――。

 ああ、そうだ。
 きっと、オレは。
 例え何があろうと、何が起ころうと。
 どれだけダサくて、不恰好であっても。
 せめて後悔だけは、もうしたくなかった。




 気が付けば、オレは。
 手元にあった鋼鉄の破片を、放り投げていた。
 我武者羅になって、明後日の方向へと捨てていた。

 金属音を鳴らしながら、破片は地面を転がっていく。
 自らの眼を抉るための凶器が消え去っていく中。
 荒い息を整えながら、オレは俯いていた。

 破片に目をくれることはなかった。
 それを視線で追いかける余裕など、ありはしなかった。
 自分が今置かれている状況と向き合うことに必死だった。

 キングは、オレを無言で見下ろしている。
 無表情。不服の感情も、反抗への憤りも、その顔からは伺えない。
 ただ無言を貫いたまま、彼はオレを”視ている”。
 まるでオレの方便を待つかのように、キングは煙草の白煙を吐き出している。


「できない」


 これは、きっと愚かな答えなのだろう。
 素直に屈服していれば、キングの納得は得られた。
 この命懸けの状況で、オレは無謀な判断をしたのだろう。


「できないんだよ」


 しかし、それでも。
 オレは、そうすることが出来なかった。


「あいつに、これ以上……」


 そうすれば、全てが丸く収まるのだとしても。
 その決断へと踏み切ることなんて、出来なかった。
 苦痛への忌避。片目を失うことへの恐怖。
 それも確かだった。今さら強がることなんて、できやしない。

 けれど、それ以上に。
 オレは、あることが怖かった。
 オレの決断が、あいつを傷付けることになるかもしれない。
 それが、何よりも恐ろしかった。


「後悔を……背負わせたくない……――――」


 セレナのために、オレが目を抉れば。
 あいつはきっと、また後悔を抱くことになるから。
 あいつはきっと、自分の責任だと思うだろうから。

 仲間たちを助けられず、一人で逃げるしかできなかった。
 そのことを悔やみ続けて、あいつはオレに打ち明けた。
 だから。これ以上、罪の意識を与えたくない。

 例え無力で、無様で、弱くても。
 もう何かを諦めて、妥協に生きたくない。
 オレはもう、オレの向き合うべきことから逃げたくない。
 自分が抱いた願いを、手放したくない。

 兄貴がオレを支えてくれたように。
 オレもまた、あいつを支えてやりたかった。
 今度こそ、悔いなく前を向けるように。

 あいつは、オレに言ってくれた。
 ――――友達になろう、と。
 あの言葉が、オレに一つの道を示してくれた。

 あいつは、オレに見せてくれた。
 一歩を踏み出すことの意味を。
 あの意思が、オレの葛藤に答えを与えてくれた。


「オレは……納得を、捨てたくない……っ!」


 だから、オレは。
 ちっぽけで、惨めであっても。
 あいつと共に歩きたい。
 そう思っていた。




 なあ、セレナ。
 オレさ、なっていいかな。
 お前の“兄貴”ってヤツに。




 その矢先に。
 誰かの温もりが、ふいに訪れた。
 オレのすぐ傍で、誰かが寄り添っていた。

 跪いていたオレの身体を、誰かが支えている。
 小さくて、けれど暖かな手が、オレに触れている。

 オレは、目を丸くして。
 呆然と、顔を上げて。
 それから、やっと振り返った。

 そこに、あいつがいた。
 褐色の毛皮に、大きな目を持ち。
 長い耳を垂らした、幼さの残る獣人。
 ウサギの姿をした少女が、オレの傍にいた。


「――――ハヤトさん」


 意識を取り戻した、セレナだった。
 あいつが、オレに寄り添うように膝を付いていた。
 既に、その傷は癒えている様子だった。
 あいつの眼差しが、オレをじっと捉えていた。
 申し訳なさと、真っ直ぐな想いを滲ませていた。


「セレ、ナ……」


 いつから、目を覚ましたのか。
 どこまで、話を聞いていたのか。
 その答えは、分からなかったけれど。

 オレはただ、セレナを見つめていた。
 セレナもまた、オレを見つめていた。
 唖然とするようなオレと、あいつは向き合っている。
 その澄んだ瞳が、じっとオレに訴えかけていた。

 ――――ありがとう、と。
 言葉に出さずとも、セレナは伝えてくれていた。

 今なお、緊迫と焦燥は心を雁字搦めにしている。
 目の前の状況によって、恐怖に絡め取られている。
 此処で、死ぬかもしれない。終わるかもしれない。
 そんな感情に、掻きむしられる。

 それでも、ほんの少し。
 ほんの微かにでも、暖かな光が胸に訪れた。
 セレナの温もりに触れて、オレは僅かにでも安堵を抱いていた。

 だから、オレも。
 あいつの瞳を、見つめ返していた。
 あいつに対して、静寂の中で伝えていた。
 オレの意志を。オレの願いを。

 そうして、微かな合間の交錯を経て。
 オレとセレナは、ゆっくりと、視線を向き直した。


 沈黙と、静寂が続いていた。
 キングは何も言わず、ただオレたちを見据えていた。
 無感情のままに煙草を吸い、白い煙を漂わせている。

 生きるか、死ぬか。
 此処で全てが決まる。

 オレの決断が正しかったのか、誤っていたのか。
 それさえも見極めることはできない。
 数秒。十数秒。数歩先の未来が、その答えを与えてくれる。
 オレは目を見開き、答えを待ち続けるしかなかった。


 そして。
 ぱん、ぱん、ぱん――と。
 乾いた音が、ふてぶてしく響いた。


 オレはゆっくりと、顔を上げた。
 何が起こったのか。それを理解するのに、時間は掛からなかった。
 視界に入ったのは、ぶっきらぼうな拍手をするキングの姿だった。

 その口元には、ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。
 まるで”面白いものを見た”と言わんばかりに。
 欧州の帝王は、オレたちを眺めていた。

「所詮はチンピラだが……」

 そうして、キングが口を開いた。
 オレも、傍にいたセレナも、緊張で身構える。

「筋を通す若造は、嫌いじゃないぜ」

 キングの表情が、傲岸な笑みへと変わっていく。
 その表情も、態度も、明らかに先程までより柔らかくなっていた。

「一先ずは合格だ。喜ぶといい」

 ――許されたのか。認められたのか。
 例えそうだとしても、オレの身体からはまるで緊張が抜けなかった。
 身体を掻き毟るような焦燥感が、今もなお疼き続けている。
 疲弊にも似た感覚が、神経のあちこちを蝕んでいる。

「嬢ちゃん、“セレナ・ラグルス”だろ?」

 それでも、キングは何てこともなしに。
 気さくな素振りで、セレナへと話を振っていた。

「聞いたぜ。祖国じゃ英雄も同然らしいな」

 ――ふいにキングが、そんなことを言い出した。
 話を振られたセレナは、目を丸くする。
 セレナが、祖国で英雄扱い。
 何を言っているのか、オレには分からなかったし。
 そしてセレナ自身も、理解できていない様子だった。

 一体どういうことなのか、と。
 そんな風に問い掛けようともした。
 されどキングは、言葉を続ける。

「暇潰しの相手も欲しかったところだ」

 白い煙を吐きながら、キングは呟く。
 強張るオレの緊迫をよそに、奴は悠々と告げてきた。


「――――坊や達。少しばかり、話でもしようぜ」




 キングは、先の放送を振り返る。
 第一回放送。看守長オリガ・ヴァイスマンによる、死者と禁止エリアの通告。

 恵波 流都が早々に脱落したのは都合が良かった。
 社会に根を張り、システムを掌握するキングにとって、ブラッドストークは“いずれ目障りな存在になる”と踏んでいた。
 あの男は“秩序に対する挑戦を仕掛ける者”であると、キングは見抜いていた。

 以前に取引の情報を吐いたという舞古 沙姫も、優先度は低かったとはいえ消されたのなら良し。
 スプリング・ローズについては、先にハヤトへと述べたことが全てだ。

 錚々たる犯罪者から、聞き覚えもない有象無象に至るまで。
 刑務開始からの6時間で、複数の受刑者が命を散らしていた。
 その中で、キングが注目せざるを得なかったことは一つ。

 ――――誰がドン・エルグランドを殺った?

 あのカリブの大海賊が、落とされたのだ。
 奴はこの刑務において、間違いなく上位に位置する怪物だ。
 手負いのジャンヌ・ストラスブールに返り討ちに遭ったなどとは考えられない。
 下手な小物が不意を突いて殺せるようなタマでもない。

 一体奴を落としたのは、何者なのか。
 可能であれば、それを突き止めたかった。

 ドン・エルグランドを仕留めた者にせよ。
 ネイ・ローマンや、他の敵対者たちにせよ。
 この刑務で生き抜いていけば、自ずと接触することになる可能性は高い。

 今回の禁止エリアの配置は、中心部を軸にその周囲を潰すような形で指定されている。
 刑務終了までの放送が残り二度しかないことからして、今後より一層外堀を埋められる可能性が高い。
 この刑務を仕掛けたアビスとて、受刑者達の分断や分散は望まない筈だ。
 そうなれば、受刑者の目線でも“安全圏となるであろう地帯”をある程度推測できる。

 非戦的な受刑者は、確実に安全地帯を確保する為に。
 好戦的な受刑者は、確実に他の受刑者を見つける為に。
 恐らく終盤へと向かうにつれて、生存者は一箇所へと誘導されることになる。
 ヴァイスマンらしいやり方だ、とキングは内心ごちる。
 幾ら刑務に消極的であっても、どのみち受刑者同士の衝突は避けられない仕組みになっているのだ。

 ――そもそも定時放送とは“何処から”流れているのか。
 ――この刑務の舞台は、本当に“ただの島”なのか。

 ふと、そんな根本的な疑問も抱いたものの。
 今はそこを考えた所で仕方がないと、キングはすぐに割り切った。

 さて、今はハヤト=ミナセの処遇についてでも考えることにしよう。
 適当に野放しにするか。
 自身に同行でもさせるか。
 あるいは、予定通り鉄砲玉にするか。
 暫しの“会話”の後に、キングは彼をどう扱うか決定する。

 ハヤト=ミナセは、ネイ・ローマンを殺せるか否か。
 そのことはキングにとって、然程重要な事柄ではなかった。
 ハヤトが己に従い、己の意に沿って動くか否か――キングが試していたのは“それ”だった。
 もしもハヤトが腑抜けていたならば、この場でセレナ共々“恩赦ポイントの足し”にすることを見越していた。

 ハヤトが自分の右眼を抉り出せなければ、キングは彼を始末するつもりだった。
 ここで度胸を示せないような輩など使い物にならないし、ましてやネイ・ローマンを相手取れる訳が無いからだ。
 結局ハヤトは、キングからの脅迫を拒絶する結果になったのだが――。
 しかしキングは、ハヤト達を生かすことを選んだ。

 ――――屈服より、矜持を選んだか。
 ――――少しはタマのある小僧らしいな。

 女の為に、自分の為に、ハヤトはキングからの要求を突っぱねた。
 恐怖ゆえの惨めな抵抗ではなく、越えてはならない一線を踏み留まるために。
 自らの矜持を守るために、この若造は“闇の帝王”に拒絶を突きつけたのだ。
 自棄糞の行動ではなく、己の意志を以てして。

 チンピラにしては上出来だ。
 無力な小僧が、ごろつきなりの意地を見せたのだ。
 そのことを無下にするほど、キングは狭量ではない。

 キングは、ハヤトに合格点を与えた。
 だからこそ、彼を生かすことにしたのだ。


【B-2/港湾(管理棟)/一日目・朝】
【ハヤト=ミナセ】
[状態]:多大な精神的疲弊、疲労(中)、全身に軽い火傷
[道具]:「システムA」機能付きの枷、治療キット
[恩赦P]:50pt
[方針]
基本:生存を最優先に、看守側の指示に従う?
1.セレナと共に行く。自分の納得を貫きたい。
2.『アイアン』のリーダーにはオトシマエをつける?
※放送を待たず、会場内の死体の位置情報がリアルタイムでデジタルウォッチに入ります。
 積極的に刑務作業を行う「ジョーカー」の役割ではなく、会場内での死体の状態を確認する「ハイエナ」の役割です。
※自身が付けていた枷の「システムA」を起動する権利があります。
 起動時間は10分間です。

【セレナ・ラグルス】
[状態]:背中と太腿に刺し傷(治療キットによりほぼ完治)
[道具]:流れ星のアクササリー、タオル、フレゼアの首輪(P取得済み)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:死ぬのも殺されるのも嫌。刑期は我慢。
1.ハヤトに同行する。
2.生きて帰れたら、ハヤトと友人になる。

※ハヤトに与えられている刑務作業での役割について、ある程度理解しました。
※流れ星のアクセサリーには、高周波音と共に音楽を流す機能があります。
 獣人や、小さい子供には高周波音が聴こえるかもしれません。
 他にも製作者が付けた変な機能があるかもしれません。

※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
 吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
 現在のところ、下記のキャラクターの超力が保存されています。
 『フレゼア・フランベルジェ』

【ルーサー・キング】
[状態]:健康
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1、タバコ(1箱)、食料(1食)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
 多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※ギャル・ギュネス・ギョローレンが購入した物資を譲渡されました(好きな衣服、煙草一箱、食料)

081.絆の力 投下順で読む 083.「Desastre」
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キミに願い ハヤト=ミナセ 鋼鉄のブレックファースト
セレナ・ラグルス
キング・ホリデイ ルーサー・キング

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最終更新:2025年06月15日 18:39