港湾の管理室内は、鉄錆と死の臭いが満ちていた。

 ルーサー・キングは己のスーツの襟を指先で整える。
 そして、床に転がった二人の死体を無感動に見下ろした。
 かつて自分が利用しようとしたものの、後になって叛逆を企てた存在。
 なんてことはないチンピラ。
 二人のことなど、もはやどうでもよかった。

 超力で生み出した鋼鉄の刃物で二人の首を切断し、血に濡れた首輪を拾う。

 首輪を見下ろす。
 恩赦ポイントは貴重だが、元々キングの刑は軽い。
 キング自身にあまり旨味がないのだ。
 新しい駒でも見つかった際の取引として使えるだろう、と、首輪についた血を拭いて懐に入れた。

 自分が屠った死体を足で探り、キングは気付く。
 彼が持っていた『システムA』機能付きの枷がない。
 ウサギの少女が付けていたアクセサリーも、見つからなかった。

「…………」

 自分に会う直前に、紗奈かりんか、どちらかに渡したのだろう。
 まぁいい。これから二人を追って、無理やり奪い取ればいいだけだ。
 キングが外へ向かおうとした時だった。



 管理室全体が、小さく揺れ始める。

 近づく地鳴り音。強くなる建物の揺れ。

「………これはいけねぇな」

 キングは立ち上がったまま、音のする方向を見る。

 秒も経たず、港湾の管理室全体を、巨大な氷の濁流が押し潰した。




 港湾全体が巨大な氷の波に押し流され、更地同然となった周囲は氷に覆われ冷気を発していた。

「……ルー、サー」

 向こうから、氷を全身に纏った女が歩いてくる。
 右目には氷の義眼を宿し、右腕には刺々しい氷の義肢。
 氷に覆われた地面を一歩踏み締めるたび、その足跡には冷気と氷が生まれた。

 女は、女ではない。
 元は男だったのが、超力による整形で女となった。
 すべては彼の崇める存在ーージャンヌ・ストラスブールを模倣するため。
 唯一髪だけが、刑に服す中で地毛がの色が混じっていた。

「ルーサー……」

 ジャンヌの贋物ーージルドレイはゆっくりと前を見る。
「おいおい、サプライズもほどほどにしてくれよ」
 ジルドレイが怨敵と定めたルーサー・キングは、健在の姿のまま目の前にいた。
 目的の相手がここにいると踏んで、ジルはこのエリア全体に氷の波を放った。
 隠れる場所などないはず。
 だが、当のルーサーはここにいる。
「……ルー、サァァ」
「サプライズにはなァ、とっておきのパイとチキンを用意するモンだぜ。テンション上がってヤクで飛びたがるやつもいるがな」
 殺気立った目で相手に睨まれようと、ルーサー・キングは動じない。
 悠々と目を伏せ、冷風で少しよれたストールを、キングは指先で丁寧に直した。
「で、どうした?ジャンヌもどきのジルドレイ。あいにく今はおまえさんのジャンヌごっこに付き合ってやる義理はねぇんだ」
「……ルゥゥゥゥ、サァァァアァァ、」
 ジルドレイの目が見開かれ、義眼が殺意に煌めく。

「ルーサー・キングッッッ!!!」



 ジルドレイは二発目の氷の大波を放つ。
 先ほどより疾く、広範囲。
 キングは氷が到達する前に鋼鉄のバリアで自分の周囲を覆う。
 氷の大波が、キングの張った鋼鉄の膜を押し潰す。

「……ハッ」
 攻撃が当たったと確信したジルは、白い息を吐く。
 その時だった。

「よう」
 そこにいないはずのキングが、ジルの背後から気さくに声を掛ける。

「ッ!!貴様ッ!!!」
 ジルは動揺を殺意に塗り潰し、背後のキングに向け氷の剣を振る。
 氷と白い冷気が舞い、周囲を白く染め上げる。
 キングは一歩、二歩と下がりながら、微妙に身体を逸らし剣を回避する。
「滅びろッ!!」
 氷の剣の一突きを、ジルはキングに浴びせようとした。
 だが、寸前でキングは分厚い鋼鉄の膜を作り、氷の剣と相殺させる。
 ジルは怒りで咆哮しながら更にキングへ踏み込んだ。

「去ねッ!!!」

 ジルドレイの右腕の義肢が歪な形に伸び、鞭のようにキングに襲いかかる。
 キングは避ける。
 ジルは、巨大な氷の翼を展開し、高速で滑空しながら避けるキングを追いかける。
 キングはジルと一定の距離を取りながら、自身の足元に生み出した鋼鉄を推進力に移動ーー微妙な調節で氷の義肢を避けてゆき、死角を狙われた際は即席の鋼鉄の壁でその身を守る。

(つまらねェな……)

 キングはジルとの戦いの最中、目を逸らす。
 その視線の先は、りんかたちが飛び出していった方向だった。
 このままこのジャンヌもどきの相手をしていてもしょうがない。
 そろそろ切り上げてりんか達を追うべきか……そう考えていた時だった。

「ジャンヌの意志に散れッッ!!!」

 ジルドレイが氷によって自らの分身を産み出し、左右に方向から氷の義肢を放つ。
 キングは思案をやめ先ほどのように後ろに避ける。
 その時、背後からの氷柱がキングに襲いくる。
 左右と後ろからの同時攻撃。
「ーーちっ」
 ルーサー・キングは舌打ちする。


 冷たく白い冷気が、ジルの攻撃により噴き上がる。
 ストールを巻いた体に攻撃が直撃する。


捕らえた。
 ジルドレイはその身を捕らえたまま、あらゆる方向から氷の槍を放ち、刺す。
 頭上、真下、左右。
 ルーサー・キングだったものが氷の槍で串刺しになっていく。
 上等なストールが氷の槍でずたずたに裂かれ、ゆらめく。

(ーーおかしい)
 ここでジルドレイは何か違和感を感じた。
 刺している手応えが人間のそれではない。

 違和感の正体にはすぐに気づいた。
 冷気が晴れる。
 氷に刺され、ボロボロのストールの巻かれた人型の鉄屑。
 キングだと思っていたその身体は、彼が鋼鉄で生み出したダミーだった。

 「ーーーーッ」

 ジルドレイが気づいた時にはすでに遅かった。
 刹那、ジルの足元の地面が大きく崩れ出し、地中から無数の鋼鉄の触手が現れる。
 それは虚を突かれたジルを容易に拘束し、彼の全身を締めつけた。

「ちょっとした、カンタンな事なんだよ」

 地中から、ストールを失ったキングが現れる。
「てめえは気づかなかったようだがな」

 その傍には彼の超力で生み出したドリルが二つあった。

 ジルドレイはここで理解する。
 キングは地面に穴を掘り、地中を通って移動したのだ。
 最初の氷の波で彼を逃したのは、港湾の管理室の床にキングが穴を空けていたからだと。

 鋼鉄のドリルが嫌な金属音を立て、ジルの周囲をゆっくりと廻る。
「安心しな。このドリルで怖いことはしねェよ」
 キングは足場を生み出し地上へ昇り、ジルドレイの前に移動する。
 ニィ、と笑うとジルの眼前に顔を近づける。
 黒く大きな右手で、ジルの両頬を掴む。

 キングはその手から液状化した鋼鉄を生み出し、ジルドレイの口内に無理やり流し込んだ。
「………!!!!」
「静かにはしてもらうけどな」

 キングが生み出した鋼鉄はどんどん広がり、ジルドレイの全身、体内の臓器に侵食してゆく。
 もがき続けるジルをよそに、キングは冷たい目で鋼鉄を流し続けた。
「ここだけの話だがな。実は俺ァ、さっき面倒なことがあってな。ずっとイライラしていたんだ」
「……ッ、ッッ、……!!!」
「じたばたするな。うざってぇよ」
 キングは黒く骨張った手でジルの頬を引っ叩く。
 その体内に流し込んだ鋼鉄を超力でねじり、彼の内臓の一部を、死なない程度に破壊した。
「………!!!」

その時だった。

「……めなさい」

 周囲を覆う冷たい空気の中に熱気が混じる。
 熱い空気が生まれた方向を、キングはゆっくりと見た。
 覚えのある空気。
 そう、あの女が来たのだ。

「ーーやめなさい、ルーサー・キング!!」

 巨大な炎の翼を推進力にし、炎の剣を構え、ジャンヌ・ストラスブールが突進してきた。




 ジャンヌ・ストラスブールは炎の翼を広げ、港湾を目指していた。
 人々を苦しめ、搾取するルーサー・キングを倒すため。
 暴走するジルドレイを、これ以上罪を重ぬよう止めるため。

 港湾に着いた彼女は見た。
 冷気に覆われ、氷の大波で破壊された港湾。
 そこでジルドレイを縛り、いたぶるルーサー・キング。

 一瞬驚きはした。
 だが、それは彼女が退く理由にはならない。

「ーーやめなさい」

「ルーサー・キング……!!」

 ジャンヌは炎の翼を一層大きくし、剣を構え、キングへ突進した。




 キングは突撃してくるジャンヌを忌々しげに見やると、

「半日ぶりだなァ。おらよ」
 ジルの触手をバネ状にしならせ、そのままジャンヌに投げ飛ばした。

「ーーッ」
 ジャンヌは咄嗟に攻撃をやめ、ジルを受け止める。
 動けぬジルを優しく抱え直した後、敵意のこもった眼差しでキングを睨む。
「………ルーサー・キング」
「てめえには会いたくなかったんだがなァ……」
 ジャンヌからの敵意にも動じず、キングは乾いた笑いを発する。
「その坊やはくれてやる、お嬢さん。体内にたっぷり鉄を流し込んだ。おまえさんのその傷だと治療キットを出せる恩赦ptもないな?どの道助からないさ。聖女の慈悲とやらでこの哀れな坊やを救ってやれよ、ハハハッ」

 ジャンヌはルーサーに返事をせず、己が今抱いているジルを見ていた。
 彼を抱く細い腕に、力がこもる。
 呼吸もできずに痙攣するその身体を、ゆっくりと抱え、そっと地面にしゃがむ。

 口を塞がれたジルは喋れない。
 ジャンヌに話したい事がいくつもあるのに、それもままならない。
 鋼鉄の流し込まれなかった目を、不安げに震わせる。 
「大丈夫ですよ」
 ジャンヌは抱き抱えたジルを優しい眼差しで捉え、微笑む。

 刹那、ジルの身体を金色の炎が包んだ。

「……ほう」
 その様を見ていたキングは腕を組む。

 炎は激しく燃え上がり、ジルの身体を灼く。
 彼にこびりついた鉄塊が、炎の熱で溶けてゆく。

(ーー暖かい)
 だが、炎に包まれた当のジルは、熱さをまったく感じていなかった。
 春の朝日に当たっているようなーー心地よい暖かさを感じていた。

 ジャンヌ・ストラスブールは、炎を自在に操ることができる。
 炎から熱を発さず、照明に使うこともできる。
 その応用で、彼女は炎の熱を感じさせないで対象を燃やす方法を覚えたのだ。

 慈悲の炎。

 ジルドレイには元来感情というものがない。
 神に触れ覚えた怒りも、彼が狂気に冒されたゆえに得た感情だった。

 だが、もしも。
 あたたかい感情というものが生まれる瞬間があるのなら。
 きっとこういう時なのだろうと、ジルは思った。

 ジャンヌは目を閉じ、燃えるジルの身体をそっと抱き寄せた。




 キングは煙草を吸いながら一部始終をしばらく見ていたが、
「ーーいい茶番を見せてもらったぜ。それじゃ、俺は用があるんでな」
 りんかたちの元へ行こうと、踵を返そうとするが、

 ふいに、何か違和感を感じキングは止まる。
 足元を見る。右足に、血がじわりと広がっている。
 遅れてやってくる痛みに、キングは、右足首を小さな氷柱で貫かれたのだと理解した。
「ーークソが」
 キングは舌打ちし、氷柱を生み出した主を見た。
 燃えながら手を掲げていたジルドレイは、キングに対し、最期の悪あがきとばかりに目を笑みで歪ませる。
 贋物の聖女が掲げた手が、炎の炭と消える。
 彼は最後にジャンヌの眼差しを見上げ、その微笑みを真似て見せると、炭になり燃え行く行く身体でゆっくりと目を閉じた。




 慈悲の炎に灼かれる中、ジルドレイの胸中には何度も走馬灯が巡っていた。

 かつて惨たらしく殺した人々の姿を、ジルドレイは思い返す。
 傷つけ、辱め、犯し、殺してきた人々。

 後悔はない。
 ジャンヌのすべてに倣った結果だ。
 ジルドレイ=モントランシーには元来感情がない。
 ジャンヌの善行も、その悪行も、彼女がやっていればすべて正しいと信じてきた。
 そう思い、彼女を模倣した。
 彼女に少しでも近づく。
 それが自分の正しい在り方だと信じて。

 数秒前の記憶を思い返す。
 瀕死の自分を抱き抱えたジャンヌが、炎と共に微笑みをくれる様を。

『………とう』

 ふいに、止めどなく流れる走馬灯に一瞬、異物のようなものが入り込む。

『…り……とう』

 その異物はジルの中でどんどん大きくなり、はっきりとした輪郭を現す。


『ありがとう』


 それは子供の笑顔だった。
 ジャンヌに倣い悪を成す前のジルが、善行を行った際の記憶だった。
 今際の際に自分に微笑んでくれたジャンヌの姿が重なる。


『ありがとう』


 かつてジル自身が助けた人々が、笑顔を、時に涙を浮かべ感謝を述べる。
 その様が、奔流のように心に湧き出た。


『ーーありがとう』



(……あぁ)


 かつてやり残したこと。
 本当にやるべきだった事。
 今更、気づいた。


 慈悲の炎に灼かれ尽くす間際、ジルは思う。



(死にたくない)



【ジルドレイ・モントランシー 死亡】






 ジャンヌはジルが炎に消えるとゆっくりと立ち上がり、キングを見据える。
 炎の翼を背に生み出し、手に精緻な装飾の炎の剣を作り上げる。

 キングは光のない目を細め、ジャンヌに向き直る。
 足元に形の定まらぬ鋼鉄の水溜りを生み出し、右足首を止血し、固定する。
 ポケットに手を入れ、聖女を見やる。

 冷気と共に冷たい風が吹く。
 両者とも、静かに立つ。


 二人の攻撃は放たれることはなかった。

 最初に、キングが一歩後退した。
 ジャンヌもまた少し遅れて何かに気付き、後退する。

 キングとジャンヌ、両者を挟んだ地点にーー上空から、太陽を遮る巨大なものが落ちてきた。

 それは空中で何度もクルクルと回り、落ちる最中また一回転しーー氷で覆われた大地にヒビを作り着地する。
 冷気が舞い、広く白い霧が生まれる。

 キングとジャンヌは少し驚愕し、だが決して警戒を緩めず乱入者を見た。

 冷気が晴れる。
 巨体が立ち上がり、その全貌を見せる。
 それは鋼鉄を山にしたような肉体、燃える炎のような眼光。

「ーー我が名は、大根卸樹魂」

 豊かな黒い三つ編みを揺らし、漢女(おとめ)は言う。

「突然の乱入、失礼する。ーーこの戦場で、弱き者への助太刀に来た」





【B-2 港湾/一日目・午前】


【ルーサー・キング】
[状態]:右足首に刺し傷(鋼鉄で固定済)
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)、セレナ・ラグルスの首輪(未使用)、ハヤト=ミナセの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
4.目の前のジャンヌ=ストラスブールと大根卸に対処する。
5.ルーサー・キングを軽んじた以上、りんか達もこれから潰す。手段手法は問わない。
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
 多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※ギャル・ギュネス・ギョローレンが購入した物資を譲渡されました(好きな衣服、煙草一箱、食料)

【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、右脇腹に火傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
1.目の前にいるルーサー・キングを倒す
2.突然現れた漢女に対処。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。

【大金卸 樹魂】
[状態]:胸に軽微な裂傷と凍傷、疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強者との闘いを楽しむ。
0.この戦場で弱き者のため、拳を振るう。
1.新たなる強者を探しに行く。
2.万全なネイ・ローマンと決着をつける。
3.ネイとの後に、りんかと決着をつける。
4.善意とはなにか、見つけたい。誰かのための拳に興味。

106.Deep eclipse 投下順で読む 108.[[]]
105.Re'Z 時系列順で読む 106.Deep eclipse
正義 ルーサー・キング [[]]
弱き者のための拳 大金卸 樹魂
ジャンヌ・ストラスブール
ジルドレイ・モントランシー 懲罰執行

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最終更新:2025年08月02日 20:40