『僕にとって』


 その武勇を以て。その生き様を以て。
 彼女は、抑圧される者達の希望となった。


『私にとって』


 あらゆる権威と規律を、意にも介さず。
 ただ己の強さのみを貫き通す。
 そんな彼女の姿は、虐げられる誰かの指針となった。


『貴女は英雄です』


 彼女に出会い、彼女に救われ、彼女に灼かれた。
 そんな多くの若人達が、彼女の背中を追いかけた。
 それが修羅の道であることに気付くには、彼らは余りにも青過ぎた。

 そして、彼女もまた。
 彼らを導く術を、知らなかった。
 その術を、知ろうともしなかった。
 だからこそ、彼女は己の理念に従った。


『――――強くなれよ』


 それ以外に、掛ける言葉は無かった。
 それ以外に、与えられるモノなど無かった。
 我欲しか知らぬ武人には、我欲に沿って応えるほか無かった。

 自らに焦がれた若人達を、彼女はただ死地に送ることしか出来なかった。
 その意味も、責任も、彼女には理解出来なかった。
 彼女はただ我武者羅に、己の武を鍛え続けているだけなのだから。

 その漢女に導かれる者が、迷える子羊に過ぎないのならば。
 それを導く彼女もまた、迷える獣に過ぎなかった。

 だから漢女は、強さを求める。
 自らの存在を刻む術を、他に理解できなかった。





「突然の乱入、失礼する」

 白銀の凍土と化した港湾。
 砕け舞い散る、白煙の如し氷霜。

「この戦場で、弱き者への助太刀に来た」

 炎の聖女と、闇の帝王。
 因縁の狭間に割り込み、堂々と佇む武人。
 その漢女、まさしく筋骨隆々。
 仁王像のように直立し、両者に挟まれる位置にて君臨する。

「我は“善なる拳”を探究している」

 一言で云えば、無関係。
 何の縁も無ければ、この因縁との繋がりも無い。
 漢女はただ、己が求道の為に死地へと踏み込んだ。
 更なる高みを目指すべく、新たな戦いを求めて参じた。

「故に我は、貴公らを見極める」

 彼女は説く。己の論理を。
 傲岸に、大胆に、言い放つ。
 二人の因縁など意にも介さず。
 漢女は不遜な態度で、其処に在り続ける。

 故にこそ、巻き込まれた二人は言葉を失う。
 ジャンヌ・ストラスブールとルーサー・キング。
 怨敵同士たる両者が抱いた感情は、奇しくも同じものだった。


 ――――この漢女は、いったい何を言っている? 


 善なる拳。つまり、善行を成そうとしているのか。
 ならばキングを迷わず攻撃すればいいだけのこと。
 弱き者への助太刀という名目で、まさか闇の帝王を庇おうとする者など居るはずがない。
 ジャンヌが善行の人間であり、キングの組織に名を貶められたことも裏の世界ではもはや周知の事実。

 余程の無知か、何も知らぬ堅気でも無い限り、どちらが悪ではあるかは明白。
 常識で考えれば、ジャンヌに味方する以外の選択肢など有り得ない。

 しかし彼女は、その双眸を動かし――――至って真剣に両者を見定めている。
 どちらが弱者であり、どちらに味方すべきか。
 この二人を前にして、漢女は大真面目にその判断を下そうとしている。

 そもそもとして“弱き者への助太刀”とは、一体どういう意味なのか。
 帝王と聖女の対決を前にして“弱き者”とは、一体どういう了見なのか。
 二人の宿敵は言外に同じ当惑を共有していたが、やがて牧師“キング”が口を開き始めた。

「“拳鬼”、“災厄”、“武神”、“阿修羅”、“怪力乱神”……あるいは“重機”」

 その屈強なる風貌。鬼神の如き体躯。
 至高の武芸を求める漢女(おとめ)。
 彼女の噂は当然、キングも把握している。

「てめえを表す二つ名は数多にある。
 新時代の伝説とさえ呼ぶ者もいた」

 故に彼は、その瞳に警戒を宿す。
 鋭い眼光で射抜きながら、キングは問う。

「大金卸 樹魂。何のつもりだ」

 武人――樹魂は、キングと視線を交錯させる。
 闇の帝王が見せる眼光を前にしても、一歩も引かず。
 彼女はただ毅然と、巌のようにその場で腕を組む。

「……かつて世界各地に出没していたとされる“無双の漢女”。
 私も幼い頃、様々な地で噂を聞いていました」

 そしてジャンヌもまた、口を開く。
 眼の前の樹魂を見据えながら、炎の剣を握る。

「私はジャンヌ・ストラスブール。
 私からも問わせて頂きたい。貴女の望みを」

 帝王と聖女。両者の問いに対し、僅かな間のみ沈黙し。
 やがて自らの在り方を告げるように、樹魂が宣言した。

「我の望みは一つ。ただ拳を極めること」

 拳を極める――それこそが樹魂の渇望。
 彼女の望みは、常に其処へと行き着く。
 彼女の在り方は、常にその一点に集約される。

「――――その為に、学ばねばならぬ」

 そして今、漢女は次なる領域を求めていた。
 自らの限界と閉塞を打ち破るべく、ある言葉を胸に刻んでいた。

「未知なる極地。己が至れなかった矜持」

 ”善意で動く”。
 かつて共に過ごしていた”災厄の継承者”から告げられた言葉。
 彼女に英雄として生きることを望んだ、あの日の少年の願い。

「それは即ち、誰かの為に振るう強さ」

 漢女は今、それを実践せんとしていた。
 自らの天井を超える為の"未知なる領域"として、それを掴み取らんとしていた。

「我はそれを識りたいのだ。
 この拳に、絆という力を宿したい」

 新たなる求道を見出し、樹魂はその瞳に闘志を滲ませる。
 燃え盛る炎にも似た意志を、静かに滾らせる。

「故に此度の闘争、我は『弱者』の為に戦うことにした」

 樹魂はその言葉と共に、ゆっくりと拳を構える。
 あらゆる武術を貪欲に取り込み、己が体技へと昇華させた――我流の拳闘。
 まさしく重機を思わせる威圧と気迫を放ちながら、彼女は両者を見据える。


 さて、肝心の聖女と帝王はどうか。
 二人の反応は――――沈黙。
 眉間に皺を寄せ、訝しむように口を結ぶキング。
 呆気に取られるように、口を微かに開くジャンヌ。

 キングも、ジャンヌも、その視線は樹魂に向いていた。
 それぞれ先程の言葉を咀嚼し、取り留めのない様子を見せており。

「そうかい、殊勝なこった」

 暫くしてから、キングがそう言い放った。
 何とも言えぬ態度で、呆れ果てるように。

「修行なら他所でやりな、お呼びじゃねえよ」

 善意だの、絆だの、御託を並べているが。
 つまり彼女は、ただ己の思惑のためにこの戦場に殴り込んできたということだ。

「ブラックペンタゴンでも目指したらどうだ。
 きっとてめえなら張り合いがあるだろうぜ」

 合理と利益に生きるキングからすれば、全く以て傍迷惑な輩でしかない。
 何故お前の相手をしなくちゃならないんだと、煩わしげな眼差しを向ける。

「……貴女が相応の意志を背負っていることは、理解しました」

 やがてジャンヌもまた、毅然とした表情へと切り替えて樹魂に告げる。

「その助力の申し出にも感謝いたします。
 ですが、申し訳ありません。どうか退いて下さい」

 樹魂の唐突な介入と、我道に基づいた行動理念。
 その堂々たる宣言を前にジャンヌは暫し動揺を抱いたものの、それでも彼女が善意のために動こうとしていることは汲んだ。
 だからこそジャンヌは、あくまで樹魂の申し出を断る。

「あの男は私が引き受けます。
 貴女まで巻き込むつもりはありません」

 ルーサー・キングとの対決は己が引き受ける。
 この恐るべき帝王との対峙は、あくまで自分が担う。
 故に樹魂を巻き込むつもりは無かった。されど彼女が目指す善行の道には、確たる意味があると感じた。

「守るために振るう強さ。その想いは受け止めましょう」

 ジャンヌがつい先刻に遭遇した、氷藤叶苗たちのような受刑者――葛藤と苦悩の間に立つ者達。
 鑑日月のような、本質に善性を備える者達。
 あるいは自分のように、無実の罪を突きつけられた者達。

 そうした人々の力になれる可能性が、樹魂にはある。
 故にジャンヌは、彼女を諭そうとした。

「ですから貴女は、どうかこの地で――――」

 そう、諭そうとしたのだ。
 されど、ジャンヌが言葉を紡いでいた最中。
 彼女は咄嗟に、その手にある炎の剣を構えた。

 瞬間、壮絶な旋風が突き抜けた。
 縦に構えた炎の刃に、凄まじい衝撃が叩き込まれる。


 ――――樹魂が放った右拳。
 ――――暴風の如し正拳突きである。


 たった今、樹魂はジャンヌを攻撃したのだ。
 即座の防御が間に合ったことで、直撃こそ避けられたものの。
 常軌を逸した一撃を凌ぎ切れず、ジャンヌは吹き飛ばされ凍土の上を転がる。

「その負傷。その呼吸。その闘気――――。
 たった今、貴殿の全てを見定めさせて貰った」

 樹魂は残心の動作と共に、冷静沈着に告げる。
 ジャンヌは吹き飛ばされながらも即座に態勢を立て直し、そのまま跳ねるように再び立ち上がる。
 その眼差しには、自身を攻撃した武人への驚愕があった。 

「貴殿は既に疲弊し、摩耗している。
 それに、実力であの男に劣っているのも明白」

 ただ黙々と分析し、淡々と述べ続ける樹魂。
 この数分足らずの相対で、樹魂は両者の"格付け"を済ませていた。
 そしてジャンヌの制止を振り切り、彼女を躊躇いなく攻撃した。

 弱き者を守る、善意のための戦い――そう宣言した樹魂が、ジャンヌを殴り飛ばしたのだ。
 その余りにも異様な状況を前に、キングさえも目を細める。


「引っ込んでいろ。小娘よ」  


 大金卸 樹魂はいま、変わることを求めている。
 彼女の『武』は、新たな道を歩まんとしている。

「我が、貴殿を守る」

 幼き日より、強さ故に他者と断絶していた。
 以来、ただ武を極めてゆく生き様を見出した。

「我は、善なるものを希求する」

 その孤高の果てに、学ぶべき善を学ぶことも出来ず。
 ただ愚直に高みを目指し、己が限界を超え続けた。
 そんな彼女の貪欲な魂は、遂には善を説く師さえも打ち倒した。
 樹魂はまさに修羅の道を生き、我道を貫き続けた。

「守るべき命を背負いし闘争。悪くはない」

 あらゆる強者。あらゆる組織。あらゆる権威。
 この怪力乱神は自らの渇望に従い、ただ一人でそれらに挑み続けてきた。

 やがて樹魂は、この地の底に落ちた。
 それでも尚、正義や道徳を得ることは出来ず。
 己の限界への焦燥を抱き始めて。
 そして今、次なる道を見出していた。

「その果てに、我が拳は天をも穿くのだ」

 善意を、強くなるための手段として用いる。
 何故ならば樹魂は、善意が理解できないからだ。
 生まれながらにして孤高であり、強すぎた彼女は、人間としての決定的な欠落を抱えていた。

 即ち、他者への共感。
 感情や感性による歩み寄り。
 樹魂は、それを知らない。
 彼女はただ自らの強さと、強さを求める意思のみしか信じることが出来ない。
 真っ当な倫理や常識から、完全に道を踏み外している。

 ジャンヌはただ、言葉を失っていた。
 キングもまた、唖然としていた。
 一歩、一歩と、踏み出していく荒神。
 その威風堂々たる姿が、この場を支配していた。

 大金卸 樹魂は、誰よりも自由だ。
 故に彼女は、純然たる暴威を体現する。


「聖なる乙女よ。よく聞け」


 大金卸 樹魂は、善を理解できない。
 故に彼女は、それを手段として捉えるしかなかった。


「貴様が――――“弱き者”だ」


 大金卸 樹魂は、破綻者である。
 故に彼女は、逸脱していた。

 純粋なる英雄性に疑念を投げ掛けられ。
 その在り方に一石を投じられた今。
 彼女の本質的な暴力が、剥き出しとなる。

 責任なき武力。欲望への愚直な求道。
 正義を知らぬ怪物は、他者を狂わせる。
 その生き様によって誰かの魂を灼き、破滅の道を歩ませる。
 そして彼女自身さえも、そんな狂気と共に在る。

 牧師と聖女。
 彼らが、それぞれの悪を背負うのならば。
 この武人もやはり、ひとつの悪である。




『師範。どうか教えてください』

『私は何故、否定されねばならないのか』

『私はただ、武を極めることを望んでいる』

『それだけに過ぎません』




「せえりゃああああ――――ッ!!!」

 風を切る轟音と共に、魔拳が鋼鉄を打ち砕く。
 霜と鉄片が、まるで粉塵の如く舞い散る。

 周囲より迫り来る、無数の鋼鉄。
 まるで大蛇の如く伸縮しながら、殺到し続ける暴威。
 たった一人の獲物。孤高に君臨する武神をその身で抉らんと、鋼の群れが唸る。

「――――はぁッ!!!」

 大地を慄かせる程の震脚――。
 樹魂が凍土を踏み抜いた、その瞬間。
 まるで水面に波紋が拡がるように衝撃波が発生。
 四方八方から迫っていた鋼鉄の大蛇達が一斉に砕け散る。

 嵐に曝された家屋のように、砕けた鋼鉄の断片が吹き飛ぶ。
 その狭間を突き抜けるかの如く――――樹魂が地を蹴り、瞬時に躍動。
 砲弾を思わせる猛烈な勢いでの突進を敢行。

 目指す先に佇むのは、無論ルーサー・キング。
 キングは煩わしげに舌打ちをしながら、咄嗟にバックステップを踏む。
 後方へと下がり、武神との距離を保たんとする。

「でえええぇぇぇいッ!!!!」

 されど、キングは咄嗟の防御を強いられる。
 樹魂が咆哮を上げた直後、即座に鋼鉄の防壁を前面に展開。
 拳の射程外から襲い来る“衝撃の乱打”を凌いだ。
 凄まじい威力の打撃を浴び、鋼鉄がひしゃげて大きく歪む。

 遠当ての絶技――――“飛ぶ魔拳”。
 樹魂は突進をしながら連続で放ち、距離を取らんとするキングを追撃したのだ。

「ち――――ッ!!」

 魔拳に対する防御行動で後退を妨げられ、その隙に樹魂が一気に距離を詰める。
 舌打ちと共にキングがひしゃげた鉄壁を変形させようとした矢先、それよりも疾く樹魂が動いた。
 槍の刺突のように鋭い右の肘鉄が、鉄壁を真正面から打ち砕いたのだ。

 砕け散る鉄壁を目の当たりにし、キングはすぐさま両腕を鋼鉄で覆う。
 突進と共に迫り来る樹魂を前に、ボクシングの構えを取った。
 そのまま電撃的な勢いと共に放たれた樹魂の拳に対し、鋼の両腕を前面に構えて受け止める。

 鋼鉄の装甲の上からも、波紋のような衝撃が浸透する。
 防御体制のキングは、その威力を前にして一瞬の隙が生じる。
 そして――隙を逃さんと言わんばかりに、すかさず樹魂の肉体が躍動する。

「ぬぅんッ!!!!」

 嵐のような拳の乱打が、次々にキングを襲う。
 真正面からのストレート。
 牽制として連発されるジャブ。脇腹を狙うフック。
 真下より一撃を狙うアッパーカット。
 繰り返される猛攻。繰り返される暴風。
 それらの攻撃は、キングすら防戦に徹させる。

 絶え間なく襲い来る攻撃を前に、キングは只管耐え続ける。
 攻撃の僅かな隙を狙って、カウンターを放つべく機を伺っていたが――。


「――――ッ!!!!」


 しかしその隙を掴み取る間も無く。
 キングの肉体が、勢いよく後方へと吹き飛んだ。
 鋼鉄による防御すらものともせず、樹魂が一撃を叩き込んだのだ。

 鉄山靠――無数の拳の乱打から、流れるようにその技を放った。
 中国拳法の極技。流麗な所作で屈みながら力強く踏み込み、背面の体当たりを叩き込む。
 その一撃は、闇の帝王にさえも轟いたのだ。

 吹き飛ぶキング――しかし空中で体勢を整え、すぐさま両足に地を付ける。
 そのまま滑るように持ち堪えた後、地面に杭を打ち込むように立つ。
 ――片足の負傷が疼く。機動力への影響は軽微だが、油断はならない。

 キングの周囲一帯に、流体状の鋼鉄が展開される。
 そのまま鋼鉄を分裂させ、その一つ一つを鎌のような刃状へと変形させる。
 そして直後――――無数の刃と化した鋼鉄が次々に放たれる。
 まるで雨霰の如く、凄まじい勢いで刃が樹魂目掛けて殺到した。

「――――成る程。やはり卓越した超力の技巧よ」

 されど樹魂は、全く怯まない。
 ただ迫り来る刃の嵐を、真正面から捉え続けるのみ。
 そして、一呼吸を置き――――。


「はああああああああああッ――――!!!!!」


 右腕。左腕。交互に、規則正しく。
 そして俊敏に、前面へと突き出される。
 幾度となく繰り返される掌底が、迫り来る刃を全て打ち砕いていく。
 その掌には、相反する炎熱と冷気が宿る。

 大金卸 樹魂の超力――『炎の愛嬌、氷の度胸(ホトコル)』。
 自身の体温を自在に操る異能である。
 熱と冷という矛盾した性質を同時に発動し、そのエネルギーによって拳を強化。
 拳自体の威力に加え、壮絶なる温度差が鋼鉄に対する強烈な負荷を与え、迫る刃を次々に破壊する。

 樹魂が無数の刃を凌ぐ中、キングはその隙を突くように後退し続ける。
 バックステップを踏む最中にも、自身の超力の発動を決して怠らない。
 そして立て続けに、無数に生み出された鋼鉄の砲弾が樹魂に殺到していく。

「幾らでも来い――――受けて立とうッ!!!」

 対する樹魂は、刃を凌いでいた動作からすぐに体勢を立て直し。
 砲弾を拳で砕き、時に剛腕で受け流し、一撃たりとも受けずに切り抜けていく。
 全く怯まぬ様子を目の当たりにし、キングは苛立たしげに眉間に皺を寄せた。

 キングは、超力で生み出した鋼鉄を次々に使役する。
 大金卸 樹魂。拳闘を極めし武人を相手に、彼はまず接近戦を避ける。
 超力の物量を駆使した中距離戦闘へと持ち込まんとする。
 それは右足首の負傷への懸念も含めての判断だった。

 そうしてキングの意識が、樹魂へと向き続けていた矢先――。
 不意を突くように、死角の左側面から“炎熱”が迫った。
 キングがすぐさま身構えた。鋼鉄の左腕が、爆発的な焔と激突する。


「はああぁぁぁぁぁ――――ッ!!!」
「ジャンヌ・ストラスブール――――ッ!!!」


 吹き抜ける暴風のように突進してきた、灼熱の渦。
 炎の翼による推進力で衝突してくる、裁きの業火。
 キングは樹魂を狙って鋼鉄を使役しつつ、同時に奇襲攻撃をも鉄腕で凌いだ。


「――――てめえ、漁夫の利でも狙う気かよ」
「――――今は、貴方を討つことが何より先決です」


 キングは鋼鉄の左腕で、ジャンヌの炎剣を受け止めていた。
 衝突の最中の交錯。数年に渡る因縁を噛み締めるように、ジャンヌは言い放つ。
 対するキングは、酷く煩わしげな眼差しを宿していた。

「てめえにも分かるだろう。あの武人は殺した方が良いぜ」
「貴方に諭される筋合いなどありません」
「そう意地を張るな。ありゃあ狂ってるぞ」

 ほんの刹那の鍔迫り合い。
 ほんの刹那の遣り取り。
 其処へ割り込むように、ジャンヌの背後から巨影が迫る。

 筋骨隆々。仁王像にも似た武侠の戦士が、鋼鉄の砲弾を凌いで至近距離まで接近してきたのだ。
 そして、武人――樹魂は筋肉を躍動させながら、その右腕を引く。


「なッ――――」
「打ァァァアアアッ!!!!!」


 振り返らんとしたジャンヌの背面へと、樹魂が掌打を叩き込む。
 そう、あろうことかジャンヌへと一撃を与えたのだ。
 激しい衝撃が、水面を流れるように浸透していく。

 しかしジャンヌの身体に、一切のダメージは無かった。
 その背中、両肩、両腕。手首の先。握り締められた炎剣。
 聖女の肉体を経由し、掌打の熱量(エネルギー)のみが電流の如く流れていく。 
 行き着く果ては、炎剣との鍔迫り合いを行っていた“鋼鉄の左腕”。


 ――――そして、轟音が響く。
 ――――キングだけが、吹き飛ぶ。


 まるで巨大な鉄杭でも激突したかのように。
 漆黒の巨体が、轟音と共に打ちのめされたのだ。

 ジャンヌの身体に掌打を叩き込み、その破壊力を伝導させ、彼女との鍔迫り合いを行っていたキングにのみ攻撃を与える。
 筋肉の躍動と収縮、精密なる攻撃角度、そして研ぎ澄まされた闘気の操作。
 それらによって成し遂げられた、まさしく常軌を逸した魔技である。

 自らの超力による全身の超高温化でジャンヌの炎熱を耐えられるからこそ、この絶技を行使できる。
 いったい何が起きたのか、目の当たりにしたジャンヌでさえも一瞬理解が遅れた。

「漢女殿ッ!!感謝しますが、貴女は――――」

 何とか現状を掴んだジャンヌは、仄かな戦慄を抱きつつも樹魂へと意思を伝えようとする。
 自分(ジャンヌ)を守る必要はない。出来れば他の受刑者を――そう告げようとした矢先。

 ジャンヌの視界が、突如として回転した。
 樹魂の足払いによって、身体が宙を舞ったのだ。
 抵抗する間も無く、そのまま地面へと叩き伏せられる。

「――――え、」

 樹魂による突然の攻撃。唐突な乱心。
 その行動の意味を、ジャンヌは唖然としながら理解する。
 つまり――“邪魔だから退いてろ”ということだった。
 傍若無人。唯我独尊。まさに不遜の行為である。

 は、と声を上げた直後。ジャンヌは樹魂を何とか捉えようとした。
 しかし樹魂は既に、圧倒的な瞬発力で地を蹴っていた。
 そのまま猛烈な勢いで駆け出して、吹き飛んだキング目掛けて更なる追撃を行わんとする。

「何なんだよ、てめえは――――ッ!」

 先程の不意の攻撃を受けながらも、キングは受け身を取って態勢を立て直していた。
 距離が離れてゆく樹魂とキングを視界に捉えて、ジャンヌもまた再び超力を迸らせて追い縋ろうとした。

 苛立ちを隠せぬ牧師。困惑の渦中で何とか状況に喰らいつく聖女。
 唯我独尊の武神が、正邪の双璧を成す二人の対峙を、鍛え上げた拳ひとつで破綻させている。
 圧倒的な我道と暴力の前に、因縁さえも掻き乱されているのだ。
 宿敵二人にとって唯一の結託事項があるとすれば、それはこの荒れ狂う怪人に対して何とか当初の因縁を繋ぎ止めることである。

「――――だりゃああああああッ!!!」

 そんな二人の焦燥をよそに、駆け抜けた樹魂が勢いのままに跳躍。
 幅跳びのように空中で弧を描きながらキングへと接近。
 落下の速度に乗せて、右足の踵落としを鉄槌の如く振り下ろした。

 咄嗟に後方へと下がり、樹魂の踵落としを躱すキング。
 右足首の負傷により動作が僅かに遅れたが、それでも何とか直撃は回避する。

 ――――虚空を裂き、踵から地面に叩き付けられた剛脚。
 樹魂の右足を起点として、周囲に地割れが発生する。
 砕け散る氷塊。隆起するコンクリートの地面。
 まるで隕石が衝突したかのような衝撃が、地響きを引き起こす。

 瞬間、樹魂も予期せぬ“第二波”が発生する。
 キングが予め地面に仕込んでいた“流体の鋼鉄”が、地面の亀裂に食い込むように周囲へと拡散。
 拡散した鋼鉄が更なる地割れを発生させ、樹魂が着地した一帯を崩壊させる。

「死ねよ、狂犬」

 足場を破壊され、思わず態勢を崩す樹魂。
 その隙を狙い、地割れの射程外でキングが指を鳴らす。

 地面に浸透した“流体の鋼鉄”が、地割れの狭間から次々に噴き出す。
 まるで噴水や湧き水を思わせる勢いで各所から噴射される鋼色。
 それらが宙を舞い、重力に従い、水飛沫の雨のように周囲へと降り注いでいく――――。


「ぬうぅぅ――――ッ!!!!」


 その一滴一滴、全てが凶器。全てが凶弾。
 勢いよく噴射され、宙から降り注ぐ鋼鉄の飛沫。
 コンクリートをも貫通し、抉り取る程の威力を持った鋼の雨。
 態勢を崩した樹魂へと、それらが一気に襲い掛かる。

 咄嗟に両腕を真上に構えて、防御を試みた樹魂だったが。
 その屈強なる腕を、胴体の各所を、怒涛の勢いで鋼鉄の雫が抉り続ける。


「くたばりな」


 身体を血で染め、苦悶の表情で堪える樹魂。
 身動きも取れぬ彼女に更なる追い討ちを掛けるべく、キングが右手を構えた。
 その掌に鋼鉄の質量を収束させ、砲弾の如く放たんとした。
 しかし樹魂の全身からは、絶えず闘気が迸り続けていた――。


「――――ぜぇぇぇいッ!!!!」


 そして、乱神が吼える。
 防御から両腕を解き放ち、中腰の体勢となる。
 全身の筋肉が、膨張していく。肥大化していく。
 超力による体温上昇、それに伴う身体機能の超活性化。
 機動力や瞬発力と引き換えに、筋肉がまるで装甲のように硬化される。

「何……!?」

 眼前の光景に、キングは驚愕する。
 降り注ぐ鋼鉄の雨が、肥大化した筋肉によって弾かれているのだ。
 樹魂は超力の恩恵によって自らの肉体を強化、無数の攻撃を防ぎ――同時に全身の傷口を強引に塞いで止血した。
 膨張した肉に触れた鋼の雫は、その皮膚を抉ることも敵わず、全弾が四方八方へと飛散していく。 

 開闢を経て、全人類は超人と化した。
 拳銃弾を至近距離から躱す者も、鉄の装甲を打ち砕く者も、裏の社会では最早珍しくもない。
 されど、自らの肉体をここまで練り上げている者は、世界広しと言えど限られている。

 全身の体温を上げて身体機能を活性化し、帝王の超力を筋肉のみで弾く?
 そんな巫山戯た真似が出来るのは、他ならぬ漢女だからである。

 彼女は既に、人類の頂点に立っている。
 彼女はとうに、人類最強の武人と化している。
 純粋な体術において、彼女は究極に至っている。
 肉体的な強さにおいて、もはや大金卸 樹魂を超える者はいない。


 キングの驚愕の隙間を縫うように。
 焔の疾風が、鋼鉄の雨を突き抜けていく。


 それは樹魂のすぐ傍を通り抜け、一迅の風と化す。
 ただの瞬発力ひとつで、降り注ぐ凶弾を振り切り。
 被弾を最小限に抑えながら――キングの眼前へと、瞬時に肉薄した。
 ジャンヌ・ストラスブールが、ルーサー・キングに再び迫る。

 突進の勢いを乗せた“炎剣の刺突”が、牧師へと迫った。
 愚直。馬鹿正直。直情的な攻撃。
 されど、ただ単純に“疾い”。
 荒れ狂う暴風のような勢いを備えた炎熱が、キングを貫かんとした。

 驚愕の隙を突かれたキングは、防御が間に合わず――咄嗟に回避を試みた。
 されど、聖女の凄まじい瞬発力。驚愕によって生じたコンマ数秒の空白。
 そして右足首の負傷によって、僅かながら動作が遅れた。
 その遅延こそが、帝王にとっての痛手となる。


「――――――ッ!!!」


 炎剣の直撃そのものは回避した。
 しかし刺突の刃は勢いよく脇腹を抉り、更には炎熱によって皮膚を焼く。
 表情を歪めるキング。掌に収束させていた鋼鉄が、霧散する。
 咄嗟に拳での反撃を試みたが、ジャンヌは突進の勢いによってキングの側面を横切っていく。


「――――漢女殿が己を突き通すならば。
 私もまた、己の正義を貫くまでのこと」


 今のジャンヌ・ストラスブールは、義憤を背負っていた。
 氷藤 叶苗とアイ。この悪辣なる牧師に掌握され、苦しめられた二人の少女。
 日月に託した少女達の哀しみを背負い、ジャンヌはここに立ち続けている。


「ルーサー・キング。貴方を討ちます」


 善を背負う者は、強い。
 愛を背負う者は、強い。
 されど、善や愛とは強さそのものではない。
 その意志に突き動かされ、心身を高めていくことが強さなのだ。 

 ――――今のジャンヌは、まさにそうだった。
 他者への慈しみ。他者のために戦う義憤。
 彼女の超力は、最初に牧師と対峙した際の限界を超えていた。


「く…………ッ」


 キングの負傷によって“鋼鉄の雨”の制御が乱れる。
 地面に仕込まれた“流体の鋼鉄”の枯渇も重なり、噴射が止まる。
 降り注ぐ鋼鉄によって足止めされていた樹魂が、解き放たれる。


「フン、じゃじゃ馬め――我が庇護よりも矜持を優先するか。
 構わぬ。貴殿が我を拒むなら、我もまた己が意志に従うまでッ!!」


 ――硬化させていた筋肉を、再び体術に最適な形態へと戻す。
 肩を鳴らし、拳を構え直して、武神は牧師を再び見据える。
 弱き者を守りながら、強き者と対峙する。ジャンヌの意地を前にしても、樹魂は己の試練をあくまで貫く。
 なんたるエゴか。なんたる漢女の情熱か。

 その闘気を研ぎ澄まし、剛拳を構える樹魂。
 炎の翼を揺らめかせ、牧師と武神の双方を警戒するジャンヌ。
 脇腹の手傷を鋼鉄で止血し、眉間に皺を寄せるキング。
 三者が一定の距離を保ったまま睨み合い、そして再び動き出す。

 ジャンヌも、キングも、最早受け入れる他無かった。
 ただ只管に強すぎる武人が猛威を振るい、因縁の対峙を存分に踏み荒らしている、この異常事態を。


「我は今、限界を越えてゆく――――」


 自らの更なる高みを仰ぐ闘争。
 自らの更なる極地を目指す死闘。
 大金卸 樹魂の胸には、闘志が迸っていた。
 怪力乱神の瞳には、全てを焼く炎が宿っていた。


「――――我はまだ、極めねばならぬ」


 樹魂の心に、善や愛はない。
 彼女の中にあるのは、武への探究。
 漢女はただ純粋に強かった。

 例え善意なるものを誤解しようとも。
 勇猛なる武勇によって、彼女は強引に道理を踏み倒してしまう。
 聖女が背負う強さの根源を、平然と飛び越えてしまう。
 だから樹魂は善を抱くジャンヌの在り方より、自らの高揚を優先する。

 そう、樹魂は強すぎる。
 余りにも、強すぎたのだ。
 だから彼女は真に学べないのだ。
 人の心、人の道というものを。

 それが彼女の悲劇なのだ。




『師範。何故“心”が必要なのですか』

『何故“仁”や“義”を学ばねばならぬのですか』

『この世に生まれ落ちた時から』

『私は、人の道に拒まれていた』

『それでも構わぬと、私は武の生き様を選んだ』

『それが全てです。それだけが真理』




 ――――戦局は、佳境に突入していた。
 ――――牧師と武神が、正面から打ち合っていた。

 高温と低温。相反する熱量を纏い、激しく拳を振るう樹魂。
 鋼鉄で強化した拳で防御しつつ、反撃の機を伺い続けるキング。
 両者の打ち合いと交錯が、激しさを増す。

 駆け引きで優位に立つのは、樹魂の方だった。
 彼女が攻め続けて、攻防の主導権を握っている。
 怒涛の拳撃で牧師を追い込み、彼を防戦一方にしている。
 近接戦闘は、やはり怪力乱神の本領なのだ。

 樹魂の攻撃が激しさを増す中、キングは幾度となく距離を取ることを試みた。
 鋼鉄の防壁を展開し、後方へと下がろうとする――そんな場面が何度もあった。

 その度に、聖なる焔が駆け抜けた。
 キングが打ち合いから逃れようとすると、すかさずジャンヌが奇襲を仕掛ける。
 猛烈な勢いの突進によって、キングを攻め立てていく。
 その突進を凌がれようとも、炎の翼から放たれる遠距離攻撃で足止めを行う。

 そうしてジャンヌの奇襲や足止めに対処している隙に、再び樹魂が接近する。
 戦闘が続く中で、キングを追い詰める戦線が成立していったのだ。

 これは聖女と武神の共闘なのか?いいや、違う。
 両者が互いのエゴと目的を押し通した結果、偶然に共闘のような構図になっているに過ぎない。
 それぞれが自己を貫き、利用し合い、反発しながらギリギリの均衡を保っている。
 その結果として、二人はルーサー・キングを追い詰めているのだ。

 ジャンヌは炎の翼で駆け抜け、キングと樹魂の攻防の隙を伺う。
 キングの行動に絶えず意識を向けながら、思考をしていた。

 大金卸 樹魂。
 彼女の存在は、全くのイレギュラーだった。
 紛れもなく、予想だにしない乱入者だった。

 引っ込んでいろと、傍若無人なまでの振る舞いを見せて。
 自らのエゴに従って、強引に戦局を掻き乱し。
 その凄まじい実力によって、牧師すらも追い詰めている。

 常軌を逸した状況を前に、初めは唖然とするばかりだった。
 彼女は何者なのかと、その異質な振る舞いに戸惑うばかりだった。
 されど、この戦場を駆け抜けていく中で――ジャンヌは思う。

 漢女は、ひたすらに拳を振るい続けている。
 まるで何かを渇望するように。

 漢女は、がむしゃらに道を極めようとしている。
 まるで何かを埋め合わせるかのように。

 漢女は、必死に自らの限界を越えようとしている。
 まるで何かを恐れるかのように。

 その叫びに、真なる歓喜は無く。
 飢え続ける獣のように、獰猛なる疾走に駆られていた。
 その求道は、もはや求道ですらなく。
 閉塞の中でもがき続ける悲壮が、滲み出ていた。

 彼女の拳に、善意など欠片も宿っていない。
 感じ取れるものは、我欲だけだった。
 彼女の強さの中に――“守りたいもの”など、何一つ見えないのだ。
 ジャンヌが抱いたのは、深い哀れみだった。

 それはこの世界に数多いるネイティブと同じ悲壮なのだろう。
 真っ当な道筋を歩めず、暴力でしか己を表現できなかった者。
 自らの強さに存在意義を支配され、善や道徳を得られなかった者。

 幼い頃から両親に付き添い、各地で慈善活動に参加し続け。
 やがて自警団の一員に加わり、数々の犯罪と戦うようになった。
 そんな中で、ジャンヌは力に飲まれた者達の悲劇を幾度となく目にしてきた。
 超力という生まれながらの力に翻弄され、狂わされ、道を踏み外した者達を何度も見てきた。
 だからこそジャンヌの洞察は、この“無双の武人”の本質を突いていた。


 ああ、この漢女は――。
 きっと、ひどく孤独なのだろう。
 ジャンヌは、そう感じていた。


 大金卸 樹魂は、開闢を迎えるまでもなく得てしまったのだ。
 歩む道を狂わせる、生まれながらの“暴力への切符”を。

 そして、極限まで研ぎ澄まされた暴力は。
 遂には、闇の帝王にまで到達したのだ。


「ぜええええいッ!!!!!!」


 側面から振るわれた右拳が、キングの脇腹に叩き込まれた。
 防御が間に合わず、爆ぜるような轟音が響き渡る。
 拳から衝撃が浸透していき――皮膚や筋肉、内臓を揺さぶる。

 キングが、その口から血を吐いた。
 強大なる帝王が、大きく怯んだ。
 その隙を逃す樹魂ではない。


「だりゃあああッ!!!!!!」


 フックのように鋭く放たれた左拳。
 猛々しい剛拳が、キングの側頭部に打ち付けられる。
 壮絶なる衝撃を受け、眼を見開くキング。
 歯を食いしばり、苦痛を堪えんとしたが――。


「でぇぇい――やあああああああッ!!!!!」


 凄まじい瞬発力と共に、武神が先に動き出した。
 その武勇によって、キングに反撃の隙すら与えず。
 高熱と冷気――相反するエネルギーを纏いし右掌底を、帝王の腹部に叩き込んだ。
 どぉん、と。まるで空爆でも行われたかのような爆音が轟いた。
 周囲に波紋が広がり、衝撃の余波が発生し、その熱量がキングの肉体へと収束する。



「ぐ、があッ……!!!」


 キングが、苦悶に表情を歪ませる。
 帝王として君臨して以来、味わったことのない暴威が襲う。
 あのルーサー・キングが、追い詰められている――。
 裏の世界に生きる人間にとって、それは紛れもなく異常事態だった。

 大金卸 樹魂は、余りにも、余りにも強すぎたのだ。
 そして我を押し通したジャンヌ・ストラスブールの“援護”によって、樹魂の領域へとキングが引き摺り込まれた。
 すなわち、至近距離での格闘戦。その戦場(リング)において、樹魂に敵う者はいない。
 例え“鉄柱”と恐れられた呼延 光でさえも、全力で死合えば樹魂に軍配が上がるだろう。
 それほどの怪物であるが故に、彼女は。


 ――――結局、分からないのだ。人の道というものが。



「はぁぁぁアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」



 そしてキングが、吹き飛ばされた。
 掌底から立て続けに、左拳の一撃が一直線に叩き込まれた。
 連撃の威力と、放たれた拳の勢いが、キングに強力なダメージを与える。

 吹き飛び、横転し、地を転がり続け――。
 そのまま彼は廃材の山へと叩きつけられ、舞い散る粉塵に包まれた。

 廃材が、崩れ落ちる音が響く。
 まるで瓦礫の山に沈むように、帝王の姿が見えなくなる。
 粉塵と鉄屑の中に飲み込まれるように、崩落に包まれ。
 熾烈なる戦場に――――静寂が訪れた。

 炎の翼を展開していたジャンヌは、やがて呆然と立ち止まる。
 呆気に取られたように、瓦礫へと埋もれたキングの方を見据える。
 静寂。沈黙。気配は、静まり返っている。
 肩で息をして、呼吸を整えて。目の前の現実を、咀嚼する。

 ゆっくりと流麗に、残心の所作を取る樹魂。
 眼を閉じて、一呼吸を置き――再び静かに瞼を開く。
 まさに武の化身を思わせる動作と共に、彼女は帝王の沈黙を捉える。

 ――――勝った、のか。
 ジャンヌは茫然と、その現実を見つめる。
 牧師の打倒。それは彼女の目指すところであり、為さねばならないことであった。
 その試練がこのような形で果たされるなど、予想していなかった。

 圧倒的な強さ、拳を極めた武人。
 その唐突な介入によって、牧師が打ち倒された。
 常軌を逸した事態。しかし、それが事実だった。
 そんな現実を前に、ジャンヌは樹魂を見つめることしか出来なかったが。

 戦いを経た、武神の横顔。
 歓喜や満足とは程遠い、巌のような仏頂面。
 何処か憂いのような、虚しさのような。
 そんな面持ちが、滲み出ていた。

 それからジャンヌは、僅かな間を置いて。
 彼女は、死線の中で感じたものを振り返りながら。
 樹魂に対して、言葉を投げかける。

「……漢女殿」

 仁王のような仏頂面で腕を組んでいた樹魂。
 彼女はその呼びかけに耳を傾け、視線を動かす。

「貴女の拳からは、空虚を感じました」

 ジャンヌは静かに、しかしはっきりと告げる。
 自らが感じ取った樹魂の本質を、言葉にする。

「私を守ると告げながらも、その意味を理解できていない。
 人のために拳を振るう善意のカタチを、掴み取ることができない」

 身勝手なエゴを貫き、因縁を只管に掻き乱し。
 死闘を経てもなお、樹魂はどこか上の空だった。
 勝利を得た上で、彼女は満たされていなかった。

「そんな悲しみが、滲み出ていました」

 死線の中でジャンヌは、その痕跡を感じ取り。
 そして今、漢女へと踏み込んでいく。

「だからこそ問いたい――――」

 そしてジャンヌは、すっと右手を差し出す。

「どうか、共に戦いませんか」

 例え彼女が、人の道を踏み外していたとしても。
 例え彼女が、真っ当に生きられなかったとしても。
 それでも、彼女に善を探究しようという意志があるのなら。

「貴女には真の意味で、善の為に拳を振るってほしい」

 樹魂には、人の為に戦うことを選んでほしい。
 我道でも、我欲でもない――正義という気高さのために。

 ジャンヌに手を差し伸べられた樹魂。
 彼女はその掌を、ただじっと見つめていた。

 ――無言。無表情。仏頂面は変わらない。
 ジャンヌの言葉に、何を思い抱いているのか。
 それを悟ることは出来なかったが。
 それでも微かに、樹魂の眼は色を変えていた。

 そこに宿っているのは、希望か――否。
 微かに見えたものは、灰色の澱みだった。

 まるで何か、諦念のような。
 己の在り方に対する、限界を悟ったかのような。
 そんな悲哀の欠片が、僅かに伺えたのだ。

 それを感じ取ったジャンヌは、樹魂をじっと見つめた。
 どこか寂しげに、しかし悲しみへと寄り添うように。
 惘然と佇む樹魂へと、それでも手を差し伸べ続ける。

 その悲しみも、未来への糧となる――そう伝えるように。
 ジャンヌは樹魂へと、眼差しを向け続けていた。


「――――ジャンヌッ!!!!!」


 しかし、次の瞬間。
 樹魂が唐突に、叫んだのだ。

 ハッとしたように、ジャンヌは意識を動かす。
 途絶えていた筈の殺意が、再び姿を現したのだ。
 視線を向けて、警戒を研ぎ澄ませて。
 それでも尚、間に合わない“死”が迫っていた。

 咄嗟に超力を発動――炎の翼、炎の剣。
 それらを持ってして、迫る脅威に対処しようとした。
 だが、戦慄は止まらない。言い知れぬ動揺が収まらない。
 生半な術では、何の意味もなさない。そんな直感が胸を掻き乱す。

 その直後、ジャンヌが突き飛ばされた。
 高熱を纏った樹魂が、聖女をその場から離したのだ。
 何かから彼女を庇うように、漢女は動き出した。
 死が吹き抜けていったのは、直ぐ後だった。


「が、はぁッ――――!!」


 強靭なる漆黒の暴風が、駆け抜けた。
 残像を遺す程の軌跡が迸り、樹魂の胸を抉ったのだ。
 口から血を吐き、胸に空いた風穴から鮮血を撒き散らす。
 そのまま樹魂の身体は、仰向けに崩れ落ちていく。


「漢女殿ッ!!!」


 突き飛ばされたジャンヌが、叫んだ。
 目を見開きながら斃れていく樹魂へと、手を伸ばさんとした。
 されど漢女は応えず、ただ血を流しながら虚空を見つめて。
 そのまま生気を失い、瞳から光が途絶えていく――。

 ジャンヌは、すぐさま“黒い影”へと視線を向けた。
 倒した筈の帝王。剛拳の前に屈した筈の牧師。
 彼が再び立ち上がり、奇襲を仕掛けてきた。
 そのことを理解して、きっと睨むように怒りを込めて。


 ――――そしてジャンヌは、眼を見開いた。
 ――――視線の先に立つ“怪物”を、目の当たりにした。


 ルーサー・キングの姿が、変貌していたのだ。
 禍々しく、猛々しく――深い闇にその身を包んでいた。
 凄まじい威圧を纏いながら、帝王は歩を進める。


「面倒臭ぇな。本気を出すってヤツは」


 漆黒に染まる鋼鉄が、身体を覆っていた。
 亜人に似た異形の風貌を、形作っていた。
 更に強靭に、頑強に――体躯が膨張している。
 全身を覆う黒鉄が、3mもの体格を持つ獰猛な魔人の姿を形成していた。


「大金卸 樹魂。流石にてめえには驚かされたよ」


 右手を樹魂の血で染めたまま、言葉を紡ぐ魔人。
 それはまるで、二本の足で立つ怪物――。
 黒豹(ブラック・パンサー)のようだった。

 迸る狂気、聳える権威、剥き出しの暴力。
 それがヒトの形を成しているかのような。
 そんな闇の極位が、君臨していた。
 黒金の肉体が、支配者の如く闊歩する。


「こいつを使うのは、かつてリカルド・バレッジと殺り合った時以来だ」


 超力とは、進化するもの。
 超力とは、変貌するもの。
 超力とは、高まっていくもの。


「さて、改めて聞かせてもらうが――――」


 葉月りんかは、かつて深い絶望の中で超力を更なる段階へと覚醒させた。
 ルクレツィア・ファルネーゼは、淑女への成長を経て自らの秘められた超力を解放させた。
 内藤 四葉は、自らの心身の変化によって超力の在り方を変異させた。
 交尾 紗奈は、葉月りんかの手を取った果てに己の超力を進化させた。


「なあ、小娘ども」


 なればこそ――――。
 新時代で最大の悪名を轟かせるこの男が。
 その領域に至っていない筈がないのだ。
 即ちそれは、“超力の第二段階”である。


「俺を、誰だと思ってやがる」


 超力名――――『Public Enemy』。

 帝王が己の異能を極限まで高めたことで結実した“真髄”。
 自らの超力の限界を超えて体得した、更なる“位階”。
 際限無く精製した鋼鉄で自らの肉体を覆い尽くし、巨躯を備えた“黒鉄の魔人”へと変貌する。

 “牧師”ルーサー・キング。
 この男は正真正銘、悪の頂点に立つ帝王である。

 キングの超力、その本領。
 ジャンヌはただ、その気迫と殺意に戦慄する他無かった。

 胸に風穴を開け、血を吐きながら崩れ落ちた樹魂へと、寄り添う余裕など無かった。
 救ける、救けない。そんな選択を天秤に掛ける猶予すら存在しない。
 目を逸らした瞬間、こちらも命を奪われるのだから。

 今の自分にできることは、ただ一つだけ。
 立ちはだかる“帝王”を、討つことだった。
 それ以外の道は、最早何も無かった。
 絶望に挑む――それ以外に、取れる術など無かった。


「う、おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」


 君臨する敵を前に、ジャンヌは我武者羅に吼えた。
 決死の覚悟で、超力の出力を振り絞る。
 炎の翼を、必死に迸らせる。
 剣の紅蓮を、煌々と滾らせる。
 火焔を引き出す。限界まで呼び起こす。
 その魂の奥底から、ありったけの熱を掴み出す。


「図に乗るんじゃねえよ。虫螻が」


 ――――瞬間、破滅の暴風が突き抜けた。
 ――――聖なる焔へと、漆黒の鋼が激突した。
 ――――まるで、死の濁流のように。
 ――――勇猛なる輝きを、無慈悲に砕いた。


 炎が掻き消される。肉体が宙を舞う。
 壮絶な衝撃の余波によって、周囲のコンクリートすら砕け散る。
 太陽の如し極光を纏っていたジャンヌが。
 真正面からの激突を前に、成す術もなく吹き飛ばされた。

 突進の勢いと鋼の硬度を上乗せした、ただの右拳のストレート。
 それが殺人的なまでの威力を伴い、正義の聖女へと叩き付けられたのだ。
 漆黒の魔人――ルーサー・キングは、悠々と立ち続けている。

 受け身を取ることも敵わず、ジャンヌは圧倒的な暴威に曝される。
 そのまま壊れた人形のように、重力に引き寄せられて地面へと叩き落ちた。

「がっ――――」

 打撃の破壊力と、落下の衝撃。
 双方がジャンヌの肉体に襲いかかり。
 その場に横たわったまま、激しく咳き込む。

「げほ、がは、ぁ――――ッ!」

 苦悶の声と共に、血反吐が撒き散らされる。
 血眼となった目を見開き、瞳孔が震える。
 視界が揺れる。意識が揺らぐ。現実感さえも揺さぶられる。

「ごあ、は…………っ」

 凄まじい痛みが、身体中を駆け抜けていく。
 どれだけの骨が折れたのかも、分からない。
 命を繋げていることさえ、奇跡のように思えてくる。

 圧倒的。絶望的。
 そうとしか形容できない、壮絶なる暴力。
 これがルーサー・キングの強さ。
 立ち塞がる現実は、余りにも無慈悲であり。

 ――――それでも、ジャンヌは。
 ――――焔の翼を、再び顕現させる。

「はぁーっ……く、はあ、っ……!!」

 歯を食いしばりながら、超力の推進力を駆使して強引に起き上がる。
 ありったけ振り絞った火力。魂の奥底から引き出した出力。
 残された気力を意志の焔に焚べて、聖女は歯を食いしばった。

「――――まだ挑む気か、お嬢ちゃん」

 そんなジャンヌを冷ややかに見据える、漆黒の帝王。
 闇そのものを体現するような黒鉄を纏い、圧倒的な気迫を放ちながら君臨する。

「てめえ如きが、意地張ってんじゃねえよ」

 ――幾度挑もうが、関係ない。
 圧倒的な格の違い。圧倒的な力の差。
 その厳然たる壁の前には、どれだけ足掻こうと無意味なのだと。
 牧師は殺意を放ちながら、聖女を冷徹に見据える。

「意地を……張らずして……」

 それでも尚、ジャンヌはキッと睨み続ける。
 その瞳に闘志を宿して、君臨する帝王を前に剣を構え続ける。
 燃え盛る焔が、不屈の意志に呼応するように揺らめく。
 彼女の魂は折れない。絶望を前にしても、その正義は挫けない。


「正義など、語れない……ッ!!」


 救国の聖女、ジャンヌ・ストラスブール。
 彼女もまた、逸脱者であるが故に。
 その希望の光は――決して闇に屈しない。

「――――そうかよ」

 そんなジャンヌの啖呵を、キングは冷ややかに切り捨てる。
 愚直なまでの正義。狂気と呼べる程の善性。
 その輝きを前に、闇の王が思うことは一つ。
 つまり、破滅を望んでいるということだ。


「正義と共に死ね。てめえは無力だ」


 故に彼は、死刑を宣告する。
 最期の一撃を放つべく、己が超力を研ぎ澄ます。
 意地も正義も、この圧倒的な力の前には何の意味もない。
 そう突きつけるように、キングは自らの極限の殺意を聖女へと向ける。

 ジャンヌは、死を覚悟しながら構える。
 決して退かない。決して恐れない。
 余りにも深い空のように、碧い瞳が敵を射抜く。
 歯を食いしばり、限界まで紅蓮の焔を引き出す。

 ――――絶望的な対峙だった。
 ――――孤立無援。孤軍奮闘。
 ――――もはや、聖女ひとり。

 それでもジャンヌは、目を見開く。
 強大な敵を捉えて、焔の剣を構える。
 自らの意志を、正義を貫くべく。
 魂を燃やそうとした――その矢先。


「ジャンヌ・ストラスブールッ!!!!」


 戦場に、幼き叫び声が木霊した。

 無数のリボンが殺到し、ジャンヌを絡め取った。
 纏う焔を抑え込みながら、彼女を拘束する数多の曲線。
 そのまま戦場から強制的に逃がすように、リボンがジャンヌを一気に後方へと引き寄せる――。

 キングは、新手の存在に気付く。
 その声の主が何者であるのかも、すぐさまに悟った。
 つい先刻、あの管理棟。己が戦わずして一蹴した小娘。
 交尾 紗奈――ならば、もう一人の少女もまた。


「ホーリーッ――――フラァァァッシュ!!!!」


 直後、凄まじい閃光が迸った。
 リボンの後方から放たれる、眩き熱線。
 ありったけの威力を込められた一撃。
 それは黒鉄の魔人と化したキング目掛けて、一直線に飛来する。

 右掌を前面へと構え、キングは閃光を容易く受け止める。
 まるで動じることもなく、片手で攻撃を防ぎ――――。
 その手の内で握り潰すように、熱線をグシャリと粉砕した。

 しかしキングは、それが攻撃の為に放たれたものではないことにすぐさま気付く。
 視界を覆い尽くすほどの、強烈な閃光。
 即ち、目眩ましを目的としているのだ。
 そのことを察した直後、キングは晴れる視界へと意識を向けた。

 ――――既に少女達の姿は無かった。

 駆けつけた交尾紗奈と葉月りんかは、満身創痍のジャンヌを救うために行動していたのだ。
 圧倒的な強さを持つキングとの交戦は避け、彼女達は逃げに徹した。
 結果として少女達は、この死地からの逃走に成功したのだ。




 ハヤトとセレナを交えた、ルーサー・キングとの対峙。
 希望を胸に抱いた前進は、無惨な形で打ち砕かれた。

 自らの理想に殉じる“死に場所”を求める自殺志願者。
 己を救った相手の在り方をなぞるだけの模倣品。
 闇の帝王から突きつけられた、それぞれの本質。
 ――りんかと紗奈は、打ちのめされた。
 その心を、徹底的に踏み躙られた。

 故に二人は、ただ管理棟から離れることしか出来なかった。
 これ以上あの男と対峙し続けて、平静を保てる自信などなかった。
 ハヤト達を案ずる余裕すら失って、二人は港湾の片隅で寄り合うことしか出来ず。
 希望の道標さえも見失い、茫然と打ち拉がれていた。

 これから、どうするのか。
 その答えは、未だ導き出せず。
 それでも二人は、せめて管理棟に引き返すことを選んだ。
 ハヤトとセレナの無事を確認するために、彼女達は何とか動き出した。

 りんかと紗奈は、“システムAの手錠”と“流れ星のアクセサリー”をそれぞれ預かっていた。
 もしもの時にキングに奪われて、利用されないために。
 せめて二人はキングから逃れることで、このアイテムを悪用されないために。

 この方策が功を成すような事態にならないことを、りんか達は祈っていた。
 二人が無事にあの場を切り抜けられていることを願いつつ、引き返そうとした矢先だった。
 ――――港湾を飲み込む強大な寒波が、襲い掛かったのだ。

 超力を咄嗟に行使し、何とか手傷を避けられた二人は、すぐさま管理棟へと向かった。
 されど既にその被害は甚大となっており、また無数の氷像や凍土が道を阻み。
 そして凍結の影響も著しく、ハヤト達の消息も確認できず。
 二人は途方に暮れかけたが――それでも奔り続けた果てに、戦場へと辿り着いた。

 ジャンヌ・ストラスブール。
 世界的に有名な“ヒーロー”である彼女の存在は当然知っていた。
 りんかにとっては憧れの存在であり、紗奈も噂には幾度も聞いていた。
 その彼女が、ルーサー・キングと対峙していたのだ。

 りんかと紗奈は、すぐさま彼女を救出した。
 キングに挑むよりも、ジャンヌの安全を優先した。

 自分達の在り方を揺さぶられ、その根底を抉り出され。
 目指すべき道も分からなくなり、霧の中に放り出されて。
 何を成すべきか――それすらも答えられなくなって。
 それでも、せめて目の前で取るべき行動からは、眼を逸らしたくなかった。

「――――大丈夫ですか。その……ジャンヌさん」

 港湾から距離を取り、森の近くの平野で腰を落ち着けた三人。
 自らが憧れていた相手に対し、りんかはおずおずと問いかける。
 その声には、今の自分に対する負い目が混じっていた。

 自らの本質を突きつけられ、打ちのめされたばかりだった。
 心に影を落としている自分が、“あの”ヒーローと向き合っている。
 そのことに対する罪悪感のような、奇妙な感情を抱えていた。

 りんかの呼びかけに対し、疲弊したジャンヌはこくりと頷く。
 死闘と負傷で摩耗しながらも、それでも凛とした眼で二人を見つめている。
 その澄んだ色彩を前に、紗奈は思わず怯むような思いを抱いたが。
 やがて先の戦場を振り返って、視線を落として言葉を紡ぐ。

「ごめんなさい。あの武人までは助けられなかった」
「……分かっています、貴方がたが気に病む必要はありません。
 あの場で勇気を振り絞ってくれて、ありがとうございます」

 紗奈の謝罪に対し、ジャンヌは労いながら礼を伝える。
 紗奈達も一度は交戦した武人――樹魂があの場で倒れているのは目にしていた。
 武を極めることを望み、同時に善意の探求を目指していた、奇妙な囚人だった。

 彼女が何を思い、何を抱いてあの場に居たのかは分からないが。
 きっとジャンヌは、樹魂と共にキングへと立ち向かっていたのだろうと考える。
 そして樹魂の最期を振り返りながら、紗奈は胸を締め付けられるように思い馳せる。

 ――ハヤトとセレナ。
 彼らの行方は、結局分からずじまいだった。
 自分達に寄り添い、ひとかけらの希望を与えてくれた二人。
 ちいさなヒーローとしての姿を焼き付けてくれた、優しい人たち。

 じきに放送が流れる。
 果たして二人は、無事なのだろうか。
 あの場から逃れてくれたのだろうか。
 紗奈が悲しみを胸に抱いた、その矢先だった。

「……あれ?」

 紗奈の懐で、仄かな温もりが照らされた。
 小さな太陽のような暖かさが、灯り始めていた。
 紗奈は眼を丸くして、それを取り出した。

 りんかも、そしてジャンヌも、視線を向けた。
 紗奈が取り出したのは、セレナから託されたもの。
 流れ星の意匠を持ったアクセサリーだった。
 それは超力を吸収し、保存する機能を持った器具。
 静かな灯火のように、朱色の輝きを放っていた。

 そして、その光は――アクセサリーから解き放たれる。
 まるで蛍火のように揺らめき、揺蕩った果てに。
 やがてジャンヌに寄り添うように、彼女の身体へと溶け落ちていった。

 一体、何が起きたのか。
 りんかも紗奈も、ジャンヌも、驚きを隠せなかった。

 暫しの静寂を経て、ジャンヌは自らの胸に手を当てる。
 何かを感じ取るように、ゆっくりと手を握り。
 そしてジャンヌは、ぽつりと“ある名”を呟いた。

 この温もり。この輝き。ひどく穏やかな感覚。
 あの狂熱とは程遠いものであるにも関わらず。
 それでもジャンヌは、彼女の姿を想起せずにはいられなかった。


「――――フレゼア……?」


 流れ星のアクセサリーに、収められていた超力。
 自らの狂信に猛り、悪しき疾走を重ねて。
 最期に真なる善を果たした、炎帝の輝きだった。

 その暖かさを抱いて、ジャンヌは安堵していた。
 まるで彼女に与えられた“救い”を感じ取ったかのように。
 静かに、安らかに微笑みを浮かべていた。


【B-3/平原/一日目・昼】
【葉月 りんか】
[状態]:食糧と水をもらい乾きを回復、疲労(中)、腹部に打撲痕と背中に刺し傷(小)、ダメージ回復中、紗奈に対する信頼、ルクレツィアに対する怒りと嫌悪、システムAの手錠
[道具]:なし
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。その過程を経て、死にたい。
0.ハヤトとセレナを気に掛けつつも、戦いの覚悟。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。
3.ソフィアさん…
4.ジャンヌさんそっくりの人には警戒しなきゃ
5.――――姉のように、救って、護って、死にたい。その為に、償い続ける。

※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
 現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
※ハヤト=ミナセが持ち込んでいた「システムAの手錠」を託されています。ハヤトと同様に使用できるかは不明です。

【交尾 紗奈】
[状態]:食糧と水で乾きを回復、気疲れ(中)、目が腫れている、強い決意、りんかへの依存、ヒーローへの迷い、ルクレツィアに対する恐怖と嫌悪
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2、
[方針]
基本.りんかを支える。りんかを信じたい。
0.りんかのために戦う。でも、それだけでよくなかった、何もかもが足りなかった。
1.新たに得た力でりんかを守りたい
2.バケモノ女(ルクレツィア)とは二度と会いたく無い
3.青髪の氷女(ジルドレイ)には注意する。

※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。

※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。

※『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』の超力は使用不能となりました。
※セレナ・ラグルスから「流れ星のアクセサリー」を託されていました。

【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(極大)、全身にダメージ(大)、フレゼアの超力吸収
[道具]:流れ星のアクセサリー
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
0.フレゼア……?
1.ルーサー・キングといずれ決着を付ける。
2.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。

※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
 吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
※流れ星のアクセサリーに保存されていた『フレゼア・フランベルジェ』の超力を取り込みました。
 フレゼアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が強化されています。




『師範』

『私は他に、何も求めていません』

『友も、愛も、私には無用の長物です』

『名誉さえも、初めから欲していない』

『私には、この拳しかないのだから』

『それでも足りないというのなら』

『私は、更なる暴威となりましょう』




 ――――此処で仕留めておきたかったが。
 ――――全く、逃げ足の早いモンだ。

 全身に黒鉄を纏ったルーサー・キングは、その事実を粛々と受け止める。
 大金卸 樹魂は恐るべき武人だったが、仕留めることが出来た。
 自身を狙うジャンヌ・ストラスブールもまた、此処で始末したかったものだが。
 思わぬ形で、小賢しい鼠に出し抜かれることになった。

 葉月りんか。交尾紗奈。
 それは、取るに足らない小娘達。
 自らの傷を舐め合い、破滅へと向かう弱者達。
 そして、この牧師を侮った愚かな輩共。
 奴らがジャンヌを救出し、この場から逃げおおせた。

 あの怪力乱神に比べれば、遥かに小物だが――。
 それでもこの牧師を侮辱し、煙に巻いてみせたのだ。
 自らの不覚を苦笑しつつ、改めてキングは殺意を湛える。

 ルーサー・キングを侮り、冒涜した者の末路など決まっている。
 故に、いつもと変わらない。普段通りだ。
 その落とし前、その報いを受けさせるのは、当然の道理だ。

 幾らかの手傷は負ったが、まだ余力は残している。
 奴らへの追撃を仕掛けるか、あるいは放送を待つか。
 思考を行おうとした、その矢先だった。

 がしゃり、と。
 何か、物音がした。
 有り得る筈のない音が、聞こえた。

 キングは、視線を動かした。
 その正体が何なのか。
 その音の主が何なのか。

 コンマ数秒の時を経て。
 彼はまざまざと、思い知ることになる。


「――――何?」


 眼前の光景に、キングは絶句した。
 信じられない状況を目の当たりにし。
 彼は目を見開き、そして睨むようにゆっくりと細めた。

 嘘だろ、と。
 彼は思わず、言葉を漏らした。
 闇の帝王が、驚嘆を隠せなかった。
 余りの異常事態を前に、戦慄したのだ。


 心臓を破壊された筈の樹魂が、立っていた。
 眼前に存在する強者(キング)を、その双眸で捉え続けていた。


 大きな風穴の空いた胴体。
 負傷した箇所から、血が止め処なく溢れ続け。
 有るべき筈の臓器はごっそりと抉られている。
 胸から腹部にかけて、深い真紅に染まり切っている。

 しかし、漢女は威風堂々と立ち続けている。
 筋骨隆々の肉体が、沸々と蒸気を発している。
 壮絶なる熱が、身体中で弾けている。

 それは、超力による蘇生術か。
 否、そんな小手先の技術ではない。
 鍛え上げた肉体のみで、命を繋げている。
 余りにも強すぎるが故に、自力の延命を成している。

 ――――樹魂の全身、筋肉が異常活性化している。

 伸縮しながら躍動する筋肉が、血液を自己生成しているのだ。
 更にはポンプのように血流を促進し、強引に身体機能を維持し続けている。

 言うなれば、全身が心臓。
 言うなれば、筋肉の心臓(マッスルハート)。
 迸る筋肉によって、粉砕した心臓を補っている。


「バケモンか……てめえは……」


 ソレは最早、人の域を完全に超えていた。
 鍛え上げた筋肉によって、肉体的な死さえも超越してみせた。
 まさに奇怪。まさに脅威。まさに、屈強。
 大金卸 樹魂は、地球上で最強の肉体と化していた。

 そして樹魂が、鋭く構えを取る。
 血眼のような真紅の眼で、キッと睨みながら。
 巌のような四肢を、研ぎ澄ませる。

 何故、立てる。
 何故、立ち続ける。
 何がお前を、そこまで駆り立てる。
 壮絶なる狂気が、人の肉を保っている。
 キングは、死をも超越した武神を見据える。

 渦巻く驚愕と動揺――。
 久しく感じたことのない感覚。
 その衝撃に打ちのめされた果てに。
 やがて現実を受け止めるように、思考を研ぎ澄ませる。

 ああ、やるしかねえのか。
 半ば呆れるように、キングは溜息を吐く。
 まさに戦闘狂。まさに荒ぶる神。紛れもない狂人。
 こんな輩さえも一緒くたに隔離しているとは――。
 つくづくアビスというモノは、どうかしている。


「……わかったよ。よくわかった」


 そんな思いを抱きつつも、不思議と清々しい気分だった。
 久々の全力に高揚を感じているのか。
 あるいは、この武人の闘気に惹き寄せられているのか。
 理由は分からないが、どうだっていい。
 結局、その行く末はひとつなのだから。


「――――遊んでやるさ、小娘」


 大金卸 樹魂を、此処で殺す。
 その黒鉄の装甲を鈍く輝かせて。
 ルーサー・キングは、武神を挑発する。
 かかってこい、と――帝王は告げる。

 その言葉が、幕開けの狼煙となる。
 最後の死闘。最後の攻防。
 それを感じ取るように、死を超越した乱神が息を吸い。
 港湾全体を揺るがす程の気迫と共に、猛々しく吼えた。


「でぇぇぇぇぇいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!」


 大地が震える。大気が震える。
 熱が、風が、鋼が、あらゆる有象無象が。
 怪力乱神の咆哮によって――――震撼した。
 その叫びを火蓋に、キングと樹魂が真正面から激突する。
 鋼鉄の拳と筋肉の拳が、幾重にも交錯する。

 そこから先は、血潮の嵐が吹き荒れた。
 数多の破壊。数多の暴威。数多の疾風。
 怒涛の拳撃、怒涛の攻防、怒涛の武闘。
 ――――黒金の魔人と、怪力の武神。
 怪物同士の激突が、この地に小宇宙を生み出した。

 決着は、分かり切っている。
 最後に立つのは、決まり切っている。
 漢女は既に、限界を迎えている。
 肉体の終焉を踏み越えて、強引に戦い続けている。
 故に彼女の奮戦は、蝋燭が見せる最後の炎に過ぎない。

 それでも漢女は、挑み続ける。
 それでも漢女は、戦い続ける。
 それでも漢女は、吠え続ける。

 戦いに明け暮れて、強くなること。
 樹魂にとって、それだけが存在理由。
 己を世界に刻む術など、それしか知らないのだ。




『樹魂よ。よく聞け』

『お前は、自由などではない』

『生まれ持った“強さ”に縛られ』

『孤高の暴威と化す他に無かった』

『お前は、哀れな獣だ』

『その拳の行き着く先に、何があると思う?』

『今のお前が、次の世代へと残せるものは――』

『我欲と暴虐。その果ての破綻のみだ』

『お前に、道場を継がせる訳にはいかない』

『この言葉の意味を、しっかりと噛み締めろ』




 太陽は、真上へと登り始めていた。
 既に正午が近い。暫くすれば放送も流れるだろう。
 氷藤 叶苗が港湾に辿り着ける可能性は低いだろうが。
 休息も兼ねて、放送を聞き届けるまでは待つとしよう。

 そう思いながら、キングはコンクリートの残骸の上に腰掛けていた。
 既に超力は解除し、漆黒のスーツを纏った姿へと戻っている。

 ――やはり全力の超力解放は相応の疲労が伸し掛かる。そう容易く連発は出来ない。
 リカルドとの死闘以来の発動だったが、誰かに肩でも揉んで貰いたいくらいだ。
 キングはうんざりとした表情で、煙草を気晴らしに吸っていた。
 まるで溜息を吐くように、口から煙を燻らせている。

 その視線の先には――仰向けに倒れる仁王の亡骸があった。

 嬲られ、裂かれ、抉られ、徹底的に肉体を破壊され。
 それでも人としての原型を保ち続けた、武神の姿があった。
 死してなお自らの存在を示すかのように、堂々たる姿で横たわっていた。

 大金卸 樹魂は、まさに怪物だった。
 キングとて、そう認めざるを得なかった。

 全力を出した牧師を相手取り、真正面からの一騎打ちを成し遂げた。
 心臓を破壊された肉体を躍動させ、魔神にも一歩も引かず。
 その鉄拳や剛脚を駆使して、幾度となく黒鉄を打ち砕き。
 鬼神の如き戦いぶりを見せながらも、やがては肉体の限界を迎えて。
 糸がプツリと切れたかのように、彼女は死闘の最中に絶命した。

 死した肉体を、この漢女は躍動させ。
 全力の帝王と、互角の打ち合いを演じてみせたのだ。

 樹魂の亡骸は、仰向けのまま天を仰いでいる。
 光を失った双眸は、青空へと向けられている。
 もはや遺体は動かない。二度と、動きやしない。
 そのことを確かめて、キングは微かな安堵すら抱く。

 何故、これほどまでに武を極めたのか。
 何故、これほどまでの怪物と化したのか。
 キングにさえも理解できない、樹魂の生き様。
 怪異と呼ぶべき彼女の暴力を振り返りながら、忌々しげに眉間へと皺を寄せる。

 ぬらりと、キングが立ち上がった。
 煙草を咥えたまま、ゆっくりと樹魂の死骸へと歩み寄る。
 彼女の傍で立ち止まってから、身体を屈ませた。
 右手のデジタルウォッチを操作し、恩赦ポイントを回収しようとした。

 一仕事を終えたのだ。
 せめて恩恵の一つや二つを得られないと割に合わない。
 そう考えて、キングは樹魂の首輪を眺めていたが。
 そのとき彼は、ある異変に気づく。

 ――――樹魂の恩赦ポイントが、回収できないのだ。

 異常事態を前にし、キングは表情を微かに歪めたが。
 その原因を、彼は自らの目ですぐに理解することになる。

 機器がショートを起こし、バチバチと小さく火花を散らしている。
 その太い首に巻き付く首輪が、肉に巻き込まれてひしゃげている。
 単なる故障ではない。物理的に破損している。
 強靭に進化した筋肉が、金属部位に対して許容量を超える負荷を与えていた。

 樹魂は、首輪を知らず知らずのうちに破壊していたのだ。
 死闘の果てに限界を超えた筋肉が、首輪の金属さえも歪めていたのだ。
 爆破機能が作動しなかったのは、もはや奇跡とすら言えるだろう。

「……やれやれ」

 その事実を目の当たりにし、キングは呆気に取られる。
 訝しむように目を細めて、ひしゃげた首輪をじっと眺めて。
 やがて溜め息と共に、彼は投げやりに吐き捨てた。

「もう二度とやりたくねえな」


【B-2/港湾/一日目・昼】
【ルーサー・キング】
[状態]:疲労(大)、肉体の各所に打撲(大)、左脇腹に裂傷と火傷、右足首に刺し傷(いずれも鋼鉄で止血・固定)
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)、セレナ・ラグルスの首輪(未使用)、ハヤト=ミナセの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
0.一旦放送を待つ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
4.りんかの自殺願望がある以上、彼女と正面から戦うつもりはない。相手の土俵に立つのは、自分の利益がなさすぎる。
5.ルーサー・キングを軽んじた以上、りんか達もこれから潰す。手段手法は問わない。
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
 多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました

※超力の第二段階を既に体得しています。
全身に漆黒の鋼鉄を纏い、3m前後の体躯を持つ“黒鉄の魔人”と化す超力『Public Enemy』が使用可能です。


[共通備考]
※大金卸 樹魂の首輪が彼女自身の筋肉によって破損しています。
 恩赦ポイントが回収不可能となっています。




 記憶が、駆け抜ける。
 記憶が、鮮明に蘇る。

 ひたすらに武を極め続けた日々。
 強者との死闘に明け暮れた日々。
 ただ力のみを渇望し続けた日々。

 記憶が、吹き抜ける。
 記憶が、脳裏を過る。

 迷える幼子達の道標となり。
 強くなれよと、彼らに導きを与え。
 その手を離して、突き放していった。

 記憶が、明滅する。
 記憶が、反響する。

 いつの日か。まだ十にも満たぬ頃。
 檻のような部屋の窓から、外の世界を見た。
 道端を歩く、親子の姿があった。
 母は子の手を繋ぎ、仲睦まじく寄り合っていた。
 そんな愛を手にする術など、知る由もなかった。

 記憶が、綯い交ぜになる。
 記憶が、過去へと遡っていく。
 記憶が、閃光と化していく。
 記憶が、記憶が、記憶が――――。


 皆が、我を視ていた。


 まだ幼く、満足に動くことも出来ず。
 寝具の上で、無様に尻餅を付くことしか叶わない。
 この世に生まれ落ちたばかりの、矮小なる存在。
 そんな“在りし日”の幼子を取り巻く、怪訝なる視線。

 赤子の我が、其処にいた。

 皆が、我をじっと見つめている。
 恐怖と不安。懸念と動揺。嫌悪と悲嘆。
 数多の情動が入り混じった視線を、幼き我に向けている。

 医師が、看護師が、親族が、父母が。
 距離を置くように、遠巻きから観察している。
 誰も我に触れようとはせず、抱えようともしない。
 未知なるモノを恐れ慄くように、彼らは我を眺めている。

 生まれた時から“強すぎた”らしい。
 生まれた時から“異常”だったらしい。
 幼き日の我は、それを感覚で悟っていた。

 ぴくりとも、泣きはしなかった。
 人の温もりに、欠片も触れられないというのに。
 我は悲しむことも、嘆くこともしなかった。
 ただ、其処に在り続けていた。
 まるで生まれながらの孤高を、彼らに示すかのように。

 恐らくこの時から、己の宿命は決まっていたのだろう。
 人の道など歩めず、我欲と暴威を抱き続ける生涯。
 善や道徳を学べず、狂気の果てを行き続ける覇道。
 何も与えられず、若人達を灼きながら彼らを死地へと導く。
 そんな破壊者としての生き様のみが、定めだったのだろう。

 これが、我か。
 最後の瞬間になって。
 ようやく己のすべてを悟った。

 ああ、そうだな。
 もしもまた、この世に生まれ落ちるのなら。
 新たな命を授かり、生まれ変われるのなら。
 泣き喚いて母にすがる術くらいは、覚えておきたい。


【大金卸 樹魂 死亡】


107.愛おしき報い 投下順で読む 109.合理と純心の混じり合う場所
106.Deep eclipse 時系列順で読む
愛おしき報い 大金卸 樹魂 懲罰執行
ルーサー・キング [[]]
ジャンヌ・ストラスブール
正義 葉月 りんか
交尾 紗奈

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最終更新:2025年08月11日 16:55