思わぬ乱入により窮地を脱したジャンヌ・ストラスブール。ジャンヌを救った葉月りんかと交尾紗奈。
三人の今後の方針は決まっていた。
ルーサー・キングを討つ。これ以外に無い。
ジャンヌは元より、ジャンヌを助けた事で、ルーサーに明確に敵対してしまったりんかと紗奈。
無期懲役の罪人であるジャンヌとりんかは、謂わば“アビス”に護られている様なものだ。この刑務の間ルーサーから逃げ続ければそれで良い。後は死ぬまで牢獄で過ごせば良い。
だが、紗奈は違う。
刑期を終えれば、紗奈は外に出ていく事となる。
後四年で刑期を終えるルーサー・キングが、紗奈の事を忘れてくれている事を祈るしか無い。
無論の事、そんな事が期待できる筈も無く。紗奈は生きる為に、りんかは紗奈の為に、ルーサー・キングを討たなければならなくなったのだ。
だが、果たして、三人であの邪王を討てるのか?
ルーサーが追ってこないのは、漢女に負わされた傷が応えて、行動に支障をきたしているのではないのか?
何にしても、ジャンヌはルーサーを討つことを諦めず。
りんかはハヤトとセレナを案じ。
蛮勇を奮ってルクレツィアと戦い、結果としてりんかを苦しめる事になった紗奈は、努めて冷静に現状を考えていた。
「あの…さ。あの人、死んじゃったんだよね?だったら、ポイントは……」
ジャンヌとりんかは、揃って顔を見合わせた。
漢女はルーサー・キングに殺されて死んだ。なら、そのポイントは?
「ジルドレイの首輪も有ります。二人の首輪のポイントを奪取されては……」
ルーサーが漢女に負わされた傷は決して浅くは無い。だからこそ秘奥の一手というべき“Public Enemy”を使用したのだ。
だが、漢女とジルドレイ。二人のポイントを取得すれば、200pにもばる。これだけ有れば、ダメージも疲労も癒やされてしまう。
そうなれば、疲弊し傷ついた三人に勝機は無い。
「仕掛けるならば今。しかし、あの超力は……」
ジャンヌの声は硬い。ルーサー・キングはただでさえ強敵であるというのに、あの第二形態が相手では勝利など有り得ない。りんかと紗奈を加えても、それは同じ事だろう。
「だったらさ、こういうのは、どうかな」
紗奈の提案に、りんかとジャンヌは思わず笑い出し、紗奈の作戦の有用性を認めて実行に移したのだった。
◯
◯
ルーサー・キングは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の複製品を除かなければならぬと決意した。
ルーサー・キングの周辺は市街戦の跡でもあるかの様な惨状を呈している。
アスファルトの地面には無数の穴と亀裂が生じ、視界に映る建物全てが、何処かしら損壊している。
鉄の異形と不撓の怪物とが踏み込む度に路面が砕け、拳を振るう度に、周囲の建物が損壊していった。
文字通りの死闘だった。
恐ろしい、相手だった。
リカルド・バレッジやドン・エルグランド。ルーサーが識る強者である彼等の序列は、大金卸樹魂という怪物に依って、その位置を一つ押し下げられた。
生涯を振り返っても、これ程の怪物と出会ったことは無い。
これから先、死ぬまで、出会う事は無いかも知れなかった。
何よりも恐ろしいのは、超力抜きで、これだけの“強”を振るった事。
これで超力を用いていれば、地に伏していたのはルーサーだったろう。
そう、認めざるを得ない怪物。
既に死したる身でありながら、ルーサー・キングの記憶と身体に、決して消えぬ己が痕跡を確と刻み込んだ存在。
ドン・エルグランドを屠ったのが彼女だったと言われても、ルーサーは気のない返事を返す事だろう。
空に向かって投げた石が、地面に落ちる。その程度の極々当たり前の事を言われても、そういった返ししか出来ないのと同じ事だ。
だが、その怪物は居ない。英雄(テーセウス)に打ち倒される魔物(ミノタウロス)の如くに、ルーサー・キングにより生命を絶たれた。
英雄譚と違うのは、怪物を倒したのが、英雄に打倒されるべき邪王であるという一点だけだった。
◯
◯
「そろそろか…」
2回目の放送の時が迫る中、ルーサー・キングは暫しの休息を兼ねて思案に耽っていた。
この六時間の間に誰が死んだのか?
ドンやフレゼアの様な怪物達が、生きて朝日を見ることが出来ず。ルーサーが自ら屠った大金卸樹魂の様な理外のバケモノや、ジルドレイの様な強者が徘徊していたこの六時間。
誰が死んでいてもおかしくは無く、誰が生きていても不思議では無い。
最早、運だ。
この刑務で生き残るのに必要な最大の要素は、知でも武でも暴でも立ち回りでも無い。
運だ。刑務者の天運が最大の生存要素だ。
その事を改めて確信しても、ルーサーの自負は揺らが無い。
己が今の地位と権勢を得るに至ったのは、実力もそうだが天運も大きいと知っている為だ。
運が無ければ、幼い時に死んでいる。
運が無ければ、機会を得る事さえ出来なかった。
運が無ければ、己は己として産まれなかった。
運が無ければ、己は"ルーサー・キング”に成り得なかった。
ルーサー・キングの持つ絶対的な自負は、実力だけで無く、己の運にも依っている。
「勝つのは、俺だ」
大金卸樹魂という怪物を識ってなお、ルーサー・キングの自負は揺らが無い。勝利の確信も、また。
ルーサーのいう“勝つ”とは何か?
刑務を終え、刑期を終えて、娑婆に出て『キングス・デイ』による裏社会の支配を盤石なものとする。
否。ルーサーの言う勝ちとは、勝利とは、そんな小さなものでは無い。
「キングス・デイ』が世界全ての裏社会を支配する。
それこそが、ルーサー・キングの最終目標。
世界を影から支配する邪王こそが、ルーサー・キングの目指す場所、
その為に布石を打ち続けてきた。アビスに投獄される以前から、投獄されても、尚。
中国黒社会に君臨した“飛雲帮”に、内紛を生じさせて、崩壊させ。
”サイシン・マザー”が捕縛後のオーストラリアの犯罪組織に触手を伸ばし。
未だにキングス・デイの手の及ばぬ地は、地球上に於いて日本と北米、そしてイタリア。後は南極くらいのものだ、
◯
◯
「マルティーニ坊やは、くたばってくれると助かるんだがな」
バレッジの金庫番、デイビッド・マルティーニ。
リカルド・バレッジの信用も篤く、ファミリーの中でも次期首領と目されている男。
バレッジ・ファミリーの構成員が、デイビッドへと向ける信頼は、金庫番などという、何よりも組織内部での信頼を必要とするデイビッドの地位が保証する。
デイビッドが持つ才と信望は、ファミリーを担うに充分過ぎるものだ。
その為に、少しでもバレッジの勢力を削ぐべく、GPAに情報を流して、デイビッドをアビスに堕としたのだ。
そしてこの刑務を奇貨として、デイビッドに鎖付きの首輪を嵌めようとして、視界に収める事さえしなかった子供により妨げられた。
残念ではあるが、怒りを抱いている訳では無い。
この手の偶然で物事が上手く行ったり行かなかったりするのは世の常だ。一々感情を露わにしていたら鼎の軽重を問われる。
長い歳月と経験で、ルーサーはその事を熟知している。
「マルティーニ坊やには此方からは手は出せねえ。それは坊やも同じだ」
デイビッドには死んで貰いたいが、此方からデイビッドに手は出せない。
『向こうから喧嘩を売ってきた』と『此方から手を出した』では、事の是非や名分に於いて全く異なる。
理と筋を最大の武器とするルーサー・キングが、『自分から手を出して、反撃されたから叩き潰す。という理も無く筋も通らない行為をする訳には行かないのた、
ましてやデイビッドは、バレッジとキングス・デイの手打ちに貢献した男だ。
そんな男を殺して仕舞えば、今後キングス・デイと対立した組織に対しての調略が上手くいかなくなる。
利用されるだけされて、殺されましたでは、誰もキングス・デイを、引いてはルーサー・キングを信じ無くなる。
此方から不義理をする事は断じて出来なかった。
だが、機会が有れば、この手で直接殺してでも排除したい相手でもある。
この事はそのままデイビッドにも当て嵌まる。
デイビッドもこの刑務を奇貨として、ルーサー・キングの首を取ろうと画策しているだろう。
その為に打つだろう布石は…。
「ローマンの野郎がくたばっていたら助かるが、ローズが死んじまった以上、残るはマッドハッター…。無理だろうな」
次いで思い出すのは欧州ストリートの絶対者。
敵対さえしていなければ、麾下に迎えたい程の強者だが、生憎とキングス・デイを、ルーサー・キングを敵として、激しい攻撃を加えてきた相手だ。
殺しておくべき相手ではあるが、直接激突する事は避けたい。
スプリング・ローズとの一戦で手負いだったとはいえ、少なく見積もっても数十人分の生命を有した“ハイブ”を殺した実力は本物だ。
ジャンヌ・ストラスブールやルメス・ヘインヴェラードといった連中も残っているのに、そう易々と交戦して良い相手では無い。
「もしもマッドハッターが奴を殺せれば、俺がアビスから出してやっても良いんだがな」
キングス・デイの傘下の組織の所属であり、直接会った事こそ無いがジェーン・マッドハッターの事は、ルーサー・キングの脳内に有る人物ファイルに確と収められている。
将来の優秀な兵隊として、現場の仕切り役として、ルーサー・キングの親衛隊として。
ローズやマッドハッターを始めとする、優秀な────世間的には強大な超力を持つ凶悪少年犯罪者────者達は、暗黒界での将来を嘱望されている存在だ。
だからこそ、“イースターズ”の様なチンピラの群れに、態々キングス・デイの看板を貸してやっているのだ。
スプリング・ローズ。ジェーン・マッドハッターを始めとして、孤児や浮浪児だった少年犯罪者は、その出自故に、キングス・デイの忠実な兵隊にする事が容易に出来る。
他の生き方を知らない、他の生き方を出来ない。出来得ることは殺人や窃盗といった犯罪だけ。
社会から弾き出され、居られる場所はキングス・デイの用意した場所だけ。
真っ当な生活など、出来ようも無い、子供達。
その中から、戦闘や犯罪に向いた超力を持つ者や、実際に犯罪やストリート・ファイトで名を上げた者が、キングス・デイの下部組織や、バレッジ・ファミリーに拾われていく。
社会的な混乱や、政情不安定なアフリカ諸国を始めとして、世界各地から難民が流れ込み、治安悪化が著しい欧州で、ストリート・チルドレンの犯罪が凶悪化の一途を辿る原因である。
路上で生きて、路上で野垂れ死ぬ運命から脱却するには、犯罪組織に入るしか無い。
ストリートで名を上げていれば、只の兵隊では無く、それなりの地位と待遇が保障される。
生まれながらに暴力の切符を手にした子供達は、迷う事無く唯一の財産である暴力を賭け金に、己が人生を掴むべく屍を積み上げ血を流す。
成功すれば、人生が開ける。失敗すれば、路上に骸を晒すか、戦えない身体になって、人身売買の市場に並ぶだけ。
賭けに負けた時のリスクなど、物心ついた時には既に受け入れている。
そんな少年少女達は、刹那的に殺し合い、破滅的に罪を重ね、生き残った者達が、犯罪組織に迎えられる。
そうならなかった者も、ネイ・ローマンの様な、独立独歩の犯罪者となる。
遅くとも半世紀後には、第二のルーサー・キングが登場するだろうと言われる程に、裏切りと暴力と策謀が応酬される、荒みきった生を送る子供達。
そういった元孤児や元浮浪児達は、絶対に裏切らないし、裏切れ無い。
キングス・デイ傘下の組織が育て鍛えて、現場で実践と経験を積み、やがては下部組織の正式な構成員となる。
その中でも、優秀な子供は、やがてキングス・デイへと迎えられ、ルーサー・キングの下で働く事になる。
そういった子供達は、“王の子供達”(チルドレン・オブ・ザ・キングス)と呼ばれ、キングス・デイで活動する優秀な人材────要は凶悪犯罪者────となった。
強烈な放射線を放ち、幾多の抗争や暗殺で悪名を轟かせた“死光”アリツィア・カミンスキ。
銃弾の弾道をを操る超力で、百発百中の狙撃を行う“ジャックポット”ジョン・マイケルズ。
聴いた者に絶対的に信じられる様になる声を以って、無数の詐欺や誘拐に関わった“信用(メグビズニ)”マルギド・ヴェンツェル。
凄まじい速度で、単独で数十人を相手にしても、触れさせる事無く全員を殴り殺した“ライトニング”ジェシー・モーガン。
触れただけで生物や物体の構想を把握し、最短の時間で精確に解体できる超力で窃盗と殺人を重ねた“分解屋”ディエゴ・ガルシア。
欧州どころか、世界に悪名を響かせたこれら凶悪犯罪者達全員が、元孤児やストリート・チルドレンだったと言うこと。
そして全員が、犯罪組織に登用され、実践で鍛え上げた超力を良心や倫理の歯止め無く行使していたと言う事。
更にはこれが、欧州のみに留まらず、世界中で────例えば北米を震撼させたフレゼア・フランベルジュの様な───孤児やストリート・チルドレンだった超力犯罪者が台頭した事。
これらの事実は、世界中の政府関係者を震撼させ、福祉政策が向上する切っ掛けとなった。
暴力と犯罪に耽るストリート・チルドレンは、キングス・デイの将来の戦力で有り、社会にとっての未来の脅威。
ジェーン・マッドハッター、スプリング・ローズの両名は、将来的にキングス・デイへと迎えられるに相応しい才能と実績を持っていた。
ジェーン・マッドハッターに死罪が下され、スプリング・ローズが“アビス”に送られた理由である。
余談ではあるが、孤児や浮浪者を数多く殺したルクレツィア・ファルネーゼが、反撃を受けて殺される事が無かったのは、ルクレツィアを殺せる力を有する者は、そもそもが人身売買の市場に並ばない為である。
「有り得ないが、首尾良くローマンの首を取れば、それなりの待遇を与えてやっても良い」
ジェーン・マッドハッターの超力は、ルーサーも熟知している。
その上で、ネイ・ローマンとジェーン・マッドハッターが交戦した場合の結果を考え、下した結論は、ジェーンの勝利は有り得ないというものだった。
但し────正面から戦った場合に限るが。
手にした物に過剰なまでの殺傷性能を付与するジェーンの超力では、攻防一体のローマンの超力相手には分が悪い。
飛び道具を用いれば撃ち落とされ、接近しようとしても近づく前に撃ち倒される。
不意を衝くなり、狙撃でもしない限りは、ジェーンの勝機は無い。
だが、それでも。いや、だからこそ。ネイ・ローマンの首を獲れれば、特別に手を回して恩赦が与えられる様に働き掛けても良い。
この刑務で殺した者の名によっては、更なる厚遇も考えてやるべきだろう。
ジェーンが死刑囚であっても問題など無い。ルーサーやデイビッドとは異なり、ジェーンは所詮は只の小娘でしかない。
ルーサーやデイビッドとは、名の持つ意味と重さが違う。
そこいらのチンピラよりかは時間は掛かるが、外に出す事はキングス・デイの持つ政治的社会的な影響力を以ってすれば充分に可能だ、
これがルーサーやデイビッドならば、そう簡単には行かない。
GPAの抵抗や疑念は激しいものとなるだろうし、何よりも“キングス・デイの首領”、“バレッジの金庫番“といった立場の人間など他には居ない。
代わりの人間に罪を被せるという事は、其奴にルーサーやデイビッドの立場を負わせる様なものだ。
一体、何処の誰にそんなものを背負わせられるというのか?
要は、罪状を押し付けられる代わりが居ないのだ。
ジェーン・マッドハッターはそうでは無い。代わりなど、幾らでも居る。
◯
外に出せる。と言えば、エルビス・エルブランデスもそうだ。
エルビスの女に手を出すなどという愚行を嬉々として行い、何事も無く生きて帰れると思い込んでいた阿呆。
高度一万メートルから、パラシュート無しで飛んで、死ぬ事は無いと思う様なものだ。
死んで当然の阿呆であり、エルビスが手を下さずとも、そのうち誰かに殺されていた。そんな奴だ。エルビスの罪を被せる“真犯人”など、幾らでも用意できる。
あの阿呆は、そこいらの三下では無く、エルビスに殺された事を、誉と思うべきだろう。
『外に出してやる』。エルビス・エルブランデスが絶対に拒めない餌。
エルビスを取り込めれば、ネイ・ローマンとジャンヌ・ストラスブールが結託しても、嵐の海に漂う木端と変わりはしない。
「エルビスには義理と筋を通した、次は互いに負い目も貸し借りも無ぇ。公正な条件での取引だ」
エルビスが“アビス”の住人となったのは、ルーサー・キングの落ち度とは言えない。
そもそもがルーサーは、六年も前に収監された身だ。エルビスに不幸が降り掛かった時には、“アビス“の中だ
それにも関わらず、ルーサーはエルビスに詫びを入れ、償いを申し出た。
償いを受けるのも断るのもエルビスが決める事。ルーサーはエルビスの判断を受け入れるのみ。
だが、それは重要な事では無い。
重要なのは、ルーサー・キングが詫びを入れ、償いを申し出たという一点。
これによりルーサーが、エルビスに対して負う事になる失態は、道理として存在し無い。
「“オールドの英雄”がいれば、全米制覇も簡単になる」
『開闢の日』を迎えて、人類に訪れた革新は、超力のみに留まらない。
旧時代とは比較にならない程強靭になった筋肉と硬くなった骨は、運動能力のみならず、身体の大きさをの上限すらも拡張した。
旧時代では骨が支えきれず、筋力で動かす上限を超えている為に、まともに動く事が出来ない程の体重であっても、開闢以降の人類の肉体は問題無く稼働する事ができる。
旧時代では“巨人症”と呼ばれ、生活に不自由を強いられる巨躯の人間が、自由に動けるのが現代なのだ。
更には、巨躯を維持する為に、暴飲暴食レベルの食事を摂らなければならない為に、消化器官を始めとする内臓に凄まじい負担が掛かり。
巨大な身体の隅々にまで、血液を純感させる為に、心肺機能に掛かる莫大な負荷も無い。
かくして、開闢以降に成長期を迎えた“ネイティブ”達の中から、御伽噺の住人の如き巨人達が現れる事になる。
プロレスに於ける“現代のアンドレ”こと、スパイク・ウェイン。
ボクシングに於ける“コロッサス”ことジョージ・リチャーズ。
総合格闘技に於ける“現代のエルキュール”ことミシェル・ランヌ。
重量挙げの金メダリストから、格闘技に転向した“ゴライアス”デイヴィッド・オースチン。
3mを優に超える巨躯と、350kgを超える体重で、旧時代のヘビー級レスラーや、ヘビー級ボクサーが鈍重に見える動きをする“ネイティブ”達が、プロアマ問わず、スポーツ界を席巻するのは当然の事だった。
そして、新時代の巨人達に、“オールド”の中から激しい反発が起きるのは当然だった。
図体だけの素人。体格(サイズ)が同じならプロデビューすら出来ない。あんな奴等に熱狂するなんて何も理解っていない。
老人(オールド)達がそう言った所で、新時代の巨人達は止まる事無く、“アタック・オブ・タイタン”と呼ばれた蹂躙劇は続き、旧来の体格の選手達は圧倒され、駆逐されていった。
老人(オールド)達の憤懣と、若者(ネイティブ)達の歓喜が積み上げられていく中で、登場したのが“絶対王者”エルビス・エルブランデス。
“オールド”であり、超力など一切使わぬ旧来のボクシングスタイルを貫く男。
それでいて常勝不敗。
老人(オールド)達は、エルビスを崇め、若者(ネイティブ)達も、エルビスに畏敬の念を抱いた。
開闢より二十年。未だに社会を支配するのは老人(オールド)だ。
アメリカ裏社会のボクシングファンの老人(オールド)達の間では、旧時代のモハメド・アリと並ぶ、新時代のグレイテスト・チャンピオンであるエルビスの名と顔は、絶対だ。
エルビスがキングス・デイの傘下に収まる必要など無い。
エルビス名と顔さえキングス・デイの為に使えれば、それで充分。
『恩赦を得られrずとも、俺の力で出してやる』といえば、エルビスは頷くしか無い。
「チャンピオンがくたばるとは思えないが、ドンを殺した奴や、このバケモノの事もあるしな」
ともかく、思索を巡らせるには情報が不足している。
サムライとギャルが向かったブラックペンタゴンには、他にも多くの刑務者が集った筈。複数の激戦が繰り広げられ、相応の数の死人が出ただろう、
新しく生産された死体の名前と、侵入禁止エリアの情報。この二つを併せて、今後の行動を検討するべきだった。
◯
――――定時放送の時間だ。
ヴァイスマンの声に、ルーサー・キングは意識を向ける
その時に生じた僅かな意識の傾き。
思索に耽っている時ですら、生じなかった僅かな隙。
そこに乗じる様に、ルーサー目掛けて光と炎が殺到した。
「なにっ!?」
驚きながらも鋼板を精製して、防御。
鋼板に当たった光と炎が爆ぜて、盛大に熱と音を撒き散らす。
迂闊ではあった。
放送時に戦闘を仕掛ける。
成程確かに合理的だ。
仕掛けられた側は隙を晒しているだろうし、放送を聞く事も叶わない。
だが、それは襲撃者にしても同じ事。
だからこそ、定時放送の間は、その前後も含めて、戦闘を行わないと、無意識に思い込んでいた。
ルーサーの展開した盾へと連続して着弾する光と炎は、神がこの邪王に降す誅殺の刃か。
否、神など居ない。居たとしても、この地には存在し無い。
ルーサーに迫る光と熱の正体は。
「舐めるなっ!!小娘共が!!」
真紅の焔翼を背に焔剣から真紅の熱戦を放つジャンヌ・ストラスブールと。
純白の光を纏い、邪を退け悪を討つ浄光を放つ葉月りんか。
邪王の暴と理によって、一蹴された脆弱な小娘達が、ルーサーにとって最も都合の悪い時期を見計らって、襲撃してきたのだ。
盾に周囲に着弾する紅炎と閃熱が、ヴァイスマンの声を圧する大音響を発生させ、ルーサーが必要とする情報の一切が聴こえ無い。
「やってくれるじゃねぇか」
大量の砲弾を形成し、猛速で射出する。
放たれた鋼の砲弾が、天を舞う少女を撃ち砕かんと殺到した。
無数の柳葉刃を形成し、地を駆ける少女を切り刻まんと撃ち放つ。
凄まじきはその物量。
全身を砕き切り刻んで余りある量を放ちながら、ジャンヌとりんかの回避可能な場所すら潰している。
ジャンヌは急降下して地面スレスレを飛行する事で砲弾を回避。
りんかも跳躍する事で刃を凌ぎ切る。
「先ずはお前からだ」
ルーサーの狙いはりんかへと定められる。
空中を自在に飛翔するジャンヌは兎も角。りんかに空を跳ぶ事は出来ても、飛べはし無い。空中では、満足に動く事すら叶わない。
りんかの両手足と頭と胴へ、ルーサーが精製した長大な鋼槍が飛翔する。
更に鋼槍を精製し、防御と回避の何方を選択しても、追撃を送る準備を終えている。
「そう来るだろうよ。お前ならな」
りんかへの攻撃は、ジャンヌへの誘いも兼ねている。
りんかを救援すべく、焔剣をかざして突貫してくるジャンヌへと、ルーサーは3m四方の鋼板を叩き付けた。
紅い閃光が視界を焼く。
ジャンヌは輝度を最大限に高めた焔翼を拡げてルーサーの視界を焼き、叩きつけられた鋼板から全速で距離を取る。
りんかもまた、大きく左へ跳ぶ事で鋼槍を回避。避けきれない槍を白閃を放って撃ち払った。
裂帛の気合いと共に、ジャンヌが炎の壁を放ち、ルーサーが防ぐ為に鋼を精製し始めた瞬間に、りんかが閃光を射出。
鋼板を炎の壁へとぶつけたルーサーに直撃する。
紅炎と白閃が粉雪の様に舞い散った。
防がれた炎は無論。隙に乗じた白閃ですらもが砕けて散る。
「即席にしては良い連携だ。だか、それじゃあリカルド一人に及ばねえ」
白閃を防いだ"モノ“がアスファルトの路面を突き破って現れた。
路面を突き破り現れたのは、陽光を反射して輝く無数の触腕。
あるものは真っ直ぐに天へと伸び、あるものは長大な身を蠢かせ、散乱する瓦礫を砕き跳ね飛ばす。
ジルドレイを殺した時に見せた流体鋼を、天地を駆ける二人の少女に解き放つ。
「聖女様は実際に見て知っているだろう?お前達は心臓に穴が開いたバケモノに遠く及ばねえ」
ジャンヌとりんかの生命を終わらせるべく、最短最速で飛来する十の触腕の突きと、回避の為の空間を埋め尽く十の触腕による薙ぎ払い。
突きも薙ぎも、それぞれ一つ一つの触腕が、異なる狙いと軌道を描き、着弾するタイミングすら擦れている為に、回避も防御も困難を極める。
更に二人が予想外の動きを見せた時に備えて、新たに形成された十の触腕が、ルーサーの周囲に蠢く。
計五十の触腕に、己が意思ををくまなく通し、全て異なる動きをさせて、二つの目標を正確に狙い撃つという、超力戦闘に練達した者であっても容易には為し得ない事を平然と行う。
それでいて未だに余裕が有る。その気になれば、更に倍は容易く追加出来るだろう。
ルーサー・キングが、理のみならず、暴力に於いても怪物である事を、雄弁に物語る大攻勢。
超力戦闘に通じている者ならば、見ただけで心が折れる攻勢を、二人の少女は凛然と迎え撃つ。
剣を執り、戦旗を掲げて、先陣を切る戦乙女の如く、ジャンヌ・ストラスブールが鋼の中へと突貫する。
より熾烈に、鮮烈に、眩く輝く焔剣を振るって振るって振るい続け、鋼の触腕を溶断し、焔の翼で弾いて逸らす。
剣を振るいながら、ジャンヌは自身の焔が強まっている事に驚いていた。
邪王の操る鋼鉄に全く届かなかった焔が、今は斬り裂く事を可能としている。
だが、ジャンヌには疑念も驚きも無い。
────貴女ですか。フレゼア。
産まれた時から共に在った焔に宿る新たな熱。
何処か優しささえ感じる炎熱は、フレゼア・フランベルジェの残滓から感じたものと同じだった。
────私だけでは届かない。けれど、貴女と共に居れば。
フレゼア残滓はジャンヌの放つ焔に更なる熱を。超力に更なる出力を与え、過去の記憶が無用の長物となる程の加速を行ったジャンヌが、ルーサー・キングへと迫る。宇治
触腕の嵐を抜けて、予備の触腕も斬り飛ばし、ルーサー・キングへと迫ったジャンヌは、傲岸と佇む邪王へと、敢然と焔剣を振りおろし────。
◯
◯
ルーサーが小さく見える。
剣の届く位置にいたルーサーが、遥か遠くに見える。
ルーサーの側にある物を認識した瞬間。ジャンヌの口から盛大に血が溢れ、腹部に鈍い痛みを感じた。
「ゴハッ!?」
ルーサー・キングの取った手段は実に単純。飛翔して迫ったジャンヌに対し、予め接近された時の為に、地中で精製していた鋼の柱を地上へと突出させて、ジャンヌを宙へと打ち上げたのだ。
腹部を強かに打たれて、一撃で上空30mを超える高度へ飛ばされたジャンヌへと、斬り飛ばされた触腕が変化した砲弾が飛来する。
咄嗟に炎の翼で身体を覆い、砲撃に対する盾とする。
直後に翼越しに感じる無数の衝撃。狂乱したアイの猛攻をすら凌ぎ切った炎翼が、見事に砲撃を防ぎ切ったものの、腹部に響いた衝撃で、ジャンヌの身体は大きくよろめいた。
遠くなり混濁する意識。腹部の痛みが、過去の記憶を呼び起こす。
◯
◯
────皮膚を裂き、肉を抉り、骨を砕き、四肢を潰す手応え。
血塗れの少女が笑っている。
────溢れる鮮血。脈動する血管。震える内臓。生命稼働の証である心臓。その手触り。
愉しく愉しく笑っている。
────道具などを使って仕舞えば、折角の素晴らしい感覚を味わえ無い。実に勿体無い。
銀の髪と白い肌、身体を構成する色に合わせた白い服。
────そう、思いませんか?
それらの白の全てを、それ乾いた血で赤黒く染めて。
────ああ、痛みでお辛いのですね。
血塗れの少女が笑っている。
────そういう時は、こういう風に呼吸をすると良いですよ。
無邪気で朗らかに。
────騙しているとお思いですか?この間遊んだ彼女────盗賊さんがやっていたのです。
友人とお茶会をしている時の様に。
────いえ、私が遊んでいた孤児と、お知り合いだったそうで、お迎えに来られたのです。
邪悪で嗜虐的に。
────まだ遊んでいる最中だと申し上げたら、激昂して殴りかかってきたのです。
捕らえた獲物の苦しみと痛みを、どうすれば最大限に引き出せるか思案しながら。
────なので、盗賊さんに、代わりに遊びに付き合って頂きました。
自身の指が折れる事も気にする事無く、平然と素手で人体を引き裂き砕き潰して。
────可愛らしい方でしたよ。
白い繊手に肉片をこびりつかせ、鮮血を滴らせて。
────お臍に指を突き入れて、掻き回したら、陸揚げされた魚の様に跳ね回っていました。
“盗賊さん”にした事を再現するかの様に、ジャンヌの臍に指を突き入れて、掻き回しながら。
───愉しかったですよ。あの“盗賊さんで”で遊ぶのは。
可憐で儚げな、悍ましく邪悪な、血塗れの少女が笑っている。
◯
◯
突貫するジャンヌが、りんかに向かう触腕を、相当数斬り払ってくれたお陰で、りんかは触腕へと余裕を持って対処出来た。
義肢を駆使して、触腕を払い、砕き、受け止める。
身体を穿ち貫く触腕を悉く凌ぎ切り、薙ぎ払う触腕は流石に防ぎ切れずに薙ぎ倒されたものの。
死から蘇ったばかりの身体で、人の身体の急所を知り尽くしたルクレツィアの暴力に、辛うじてとはいえ耐え切ったりんかの身体。
鋼の触腕のニ、三撃では、ダメージを受けても行動不能にすらなりはしない。
「ホーリー…」
「遅ぇよ。煙草を吸うところだった」
反撃へと移ろうとした矢先に、りんかへと伸びる触腕。その数は十と三。
りんかはホーリー・フラッシュを撃つ事を止め、全速で触腕から距離を取った。
紗奈を残して死ぬ事は出来ない。その思いが、りんかに無茶無謀を行わせない。
「そろそろ腐れ縁の清算と行こうか。聖女様」
りんかを退けたルーサーは、ジャンヌへと狙いを定める。
痛打を受け、空中でジャンヌが晒した隙を見逃す邪王では無く。
生成したのは五つの砲身。砲身には既に砲弾が装填され、射出される時を待っている。
砲弾に“力”を与えるものは、火薬では無く鋼の発条。
限界まで圧縮され、撓められた鋼の発条が、砲弾に音を超える速度を与え、ジャンヌ目掛けて飛翔させた。
蒼空に焔が煌めく。
紅く激しく燃え盛る焔が砲弾を焼き落とし、ジャンヌ・ストラスブールは空中で翼を広げ、ルーサー・キングと視線を交わした。
「どうなってやがる…?」
触腕が斬り飛ばされた時から感じていたが、明らかに異常だ。
初戦の時よりも、動きが良いのは理解出来る。アレは、葉月りんかの超力の成果だろう。
だが、鋼鉄が焼かれる事は理解の外だった。
初戦で鋼鉄に阻まれて、ルーサーの表皮を焦がすどころか、僅かに熱を帯びさせる事さえ叶わなかったのに。
何故、鋼鉄を断てる。何故、鋼鉄が焼かれる。
「奴も俺と同じ域に…?」
だとすれば、ジャンヌ・ストラスブールは明確な『敵』となる。
ルーサー・キングが、本気になって殺し合う相手となる、
嘗て死をルーサーが意識したほどの闘いを演じたリカルド・バレッジの様に。決着を見る前に矛を収めたドン・エルグランドの様に。
二人を均等に捉えていたルーサーの意識が、気付かぬうちに、ジャンヌへと傾く。
りんかに対する意識が、散漫になる。
「ジャンヌさん!!」
りんかの声に、ジャンヌが頷いたのが見えた。
りんかの声がした方に、ほんの僅か意識を向けて、ルーサーは失策を悟った。
────奴の首輪!?
大金卸樹魂という、生涯に於いてかつて無い強敵を殺して、気が緩んでいたのだろう。ジルドレイの首輪どころか、存在自体を失念していた。
大金卸樹魂との死闘で受けた傷と疲れを癒す為に必要な首輪が、葉月りんかに奪われた。
まんまとしてやられたルーサーの怒りが、葉月りんかの方へと向き。
「一杯食わされるのは、何時振りの事だろうな」
沸き起こった怒りは、僅かも表象に現れる事無く。
全く平静のままに、ルーサーは5つの砲身を無数の散弾に変え、りんかへと射出した。
りんかは地面を全力で蹴る。地面が爆ぜる程の力を込めた跳躍に、ホーリー・フラッシュを足元に撃ち込み、爆風を浴びる事で更に加速。
鋼片の散弾を全て躱す事に成功する。
舌打ちしたルーサーは、りんかへの追撃を行わず、ジャンヌの急襲に備えるべく、複数の2m四方の鋼板を生成した。
盾をかざした近衛に護られる王の如くに、鋼板がルーサー・キングの姿を覆い隠す。
盾と焔剣が激突する凄絶な響きが周囲の音を消しとばし、鋼の散らす火花と、焔剣から舞い散る焔が、地に立つ邪王と、宙に在って断罪の焔剣を持つ聖女の周囲を美しく彩った。
舞い散る焔が消えるよりも早く、邪王の周囲に侍る盾が、聖女へと殺到する。
無数の鋼盾が、聖女を全方位から圧し潰し、打ち砕かんと迫る。
裂帛たる吶喊は、邪悪を必ず討ち果たすという、聖女の決意そのものの様だった。
鋼の攻囲の中で、膨れ上がった炎が迫る盾の全てを吹き飛ばす。
ルーサーの視界を覆った赤い輝きが消えた時。二人の姿は何処にも無かった。
◯
◯
紗奈の発案による、『ルーサー・キングに放送を聴かせない。運が良ければポイントを回収する』という作戦を首尾良く成功させて、二人は港湾から撤退した。
C–3のブラックペンタゴンへと続く道で、ジャンヌとりんかは後方を振り返り、ルーサー・キングが追ってこない事を確認した。
放送を聞く為に、離れた場所に身を潜めた紗奈の元へと直に向かわず。
一先ず別の方向へと逃げて、ルーサーの目を誤魔化したのだが、果たして上手くいったのか。
これから、C–4森に隠れている紗奈と合流して、放送の内容を確認しなければならなかった。
────気不味い。
かつて憧れたヒーローと共に在りながら、りんかの心は暗い。
何故、ジャンヌ・ストラスブールが此処に居るのか。ドミニカマリノフスキの様に、裏社会の事情を全く知らない者ならば、流布された悪評を信じただろうが。
そもそもの話として、りんかはジャンヌの悪評自体を知らない。
ジャンヌが囚われ陵辱の限りを尽くされていた日々は、奇しくもりんかが壮絶な陵辱と虐待を受けた日々と重なる。
更にその後は、洗脳されて道具として扱われていた為に、ジャンヌの風評について知る事など出来なかった。
それでも、過去の経験から、ジャンヌが“アビス”に送られた事情を察する事は出来る。
無論、この様な事は、気軽に訊ける事では無く、話せることでも無い。
只の冤罪という可能性も有る。何方にせよ、口にし辛い事柄だった。
「あ…あのっ、ジャンヌさんは、この刑務で出会った人は……」
必然的に、刑務に関する話になる。
「出逢った人…ですか?」
深い翠の瞳を向けられ、りんかの脈は一気に上がった。
「あ…あのですね。危険な人とかいれば、教え合った方が良いんじゃないかって、私と紗奈ちゃん、連続で襲われましたし!!
鎖付き鉄球振り回す人とか、ルクレツィアというゾンビみたいな女の人とか!ソフィアさんとか!!」
ジャンヌのソックリさんは、気分を害しそうなので言わない。漢女はジャンヌと共闘した様なのでこれも言わない。
「えっ……」
「お…お知り合いでも!?」
テンション上がり過ぎて、挙動がおかしくなっているが、そこはそれ。
「ルクレツィア…彼女に襲われて、良くご無事で……いえ、彼女だからこそ無事で済んだ……」
「じゃ…ジャンヌさんも?」
ジャンヌは我が身を抱きしめた。
“血染めの令嬢”の名を見たときにも感じた痛みが、全身に生じ、ジャンヌの精神を蝕みだす。
耳朶に蘇るのは、血染めの令嬢の声。
────私達は、同類ですね。
ジャンヌの右脚をもぎ取りながら、令嬢が囁く。
────己に従い我道を歩み、例え殺されても、在り方を変えられない。いえ、変えない。
指先を腹に沈め、内臓を撫で回す。
────貴女は正義と慈愛で、私は悦楽と愉悦で、誰も彼も、等しく扱ってしまう。
血濡れの少女が笑いかけてくる。
────共に己が心のままに、心の求めるままに生きて、死ぬ。
苦痛を引き出す。生命を握る。邪悪な行為に酔い痴れながら。
────同類同士である私達は、別の形で出会えていれば、お友達になれたかも知れませんよ?
限り無い親愛の情を向けながら。
◯
「彼女が生きていれば、きっと他者の血と苦痛をを求める性状のままに、誰かを傷つけているでしょう。彼女もまた、止めなければなりません」
「でも、私達が殺されそうになった時に、ソフィアさんと言う人が、助けてくれてですね。ルクレツィアを連れて行ったんですよ」
「ソフィア…?」
「とても哀しそうな人でした。それと、きっと善い人だと思います。何故、ルクレツィアと一緒に居たのかは判りませんが……」
りんかの声は、急激に萎んでいった。ジャンヌが辛そうに顔を暗くして、何かに耐えるような表情をしたからだ。
「…ルクレツィアの超力は、吸った人が望む夢を見せる紫煙です。きっと…ソフィアさんも、ルクレツィアの超力に、心を狂わされたのでしょう……」
人を傷つけ、苛み、苦しめることを悦ぶ令嬢に相応しい、人の精神をすら凌辱する超力。
光に満ちた世界で、皆が笑顔で、病や飢えのような悪い事が一切起こらず。誰も彼もが善性に生きて。
そんな優しい穏やかな世界で、両親と友人達と平和に過ごす。
世を知らぬ小娘が見る様な夢。
幸福という概念を形にした様な夢。
ジャンヌ・ストラスブールが望む、決して届かないと理解する夢。
そんな夢にジャンヌを沈めて。
夢から醒めて、過酷という言葉ですら生温い現実に慟哭したジャンヌを、愛おしく抱きしめて。
ジャンヌの苦しみを味わい尽くしたと満足気に告げた令嬢。
この刑務でも、善き人にあの邪悪極まり無い超力を用いて、心を弄び、悲哀と慟哭を悦んでいるのだ。
必ず討つ。そう、決意を改めたジャンヌ・ストラスブールの膝から下の力が抜ける。
「ジャンヌさん!?」
倒れる事は無かったが、それでも地面に膝を突いたジャンヌの顔は蒼白だった。
今までの疲労と傷と消耗に加え、ルーサー・キングに痛打を見舞われて、精神力と呼吸法で保たせていた肉体が限界を迎えたのだ。
「ご心配…なさらずに。もっと、酷い痛みを経験した事が有ります」
「頑張って下さい!紗奈ちゃんと合流したら、手当を……」
りんかの声が遠くなっていくのを、沈みゆく意識の中で、ジャンヌ・ストラスブールは朧げに認識していた。
【B-3/平原/一日目・昼】
【葉月 りんか】
[状態]:食糧と水をもらい乾きを回復、疲労(中)、腹部に打撲痕と背中に刺し傷(小)、ダメージ回復中、紗奈に対する信頼、ルクレツィアに対する怒りと嫌悪、システムAの手錠
[道具]:なし
[恩赦P]:100pt (ジルドレイの首輪から取得)
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。その過程を経て、死にたい。
0.ハヤトとセレナを気に掛けつつも、戦いの覚悟。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。
3.ソフィアさん…
4.ジャンヌさんそっくりの人には警戒しなきゃ
5.――――姉のように、救って、護って、死にたい。その為に、償い続ける。
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
※ハヤト=ミナセが持ち込んでいた「システムAの手錠」を託されています。ハヤトと同様に使用できるかは不明です。
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(極大)、全身にダメージ(大)、フレゼアの超力吸収 気絶中
[道具]:流れ星のアクセサリー
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
0.フレゼア……?
1.ルーサー・キングといずれ決着を付ける。
2.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。
3.人の心を弄ぶルクレツィアは必ず討つ
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。
※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
※流れ星のアクセサリーに保存されていた『フレゼア・フランベルジェ』の超力を取り込みました。
フレゼアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が強化されています。
◯
◯
地図で言うならばC–4の森の中。
折った枝で地面にメモを取りながら放送を聞き終えて、紗奈は複雑な表情だった。
ハヤトとセレナ。りんかと紗奈が逃げ出した後に、二人に何が起きたのか。
薄々察してはいたものの、名を読み上げられると、辛さと遣る瀬無さが同時に襲ってくる。
セレナをモフモフした時の事を思い出して、紗奈は静かに涙を流した。
自分達が踏み止まっていれば、そう考えると、悔恨の念が尽きず湧き上がる。
だが、紗奈の感情を波立たせる名前は、他にも有った。
りんかと自分を豚呼ばわりした挙句、殺そうとしたバケモノ女が死んだのだ。
りんかとの絆の力で、目にモノ見せてやりたかったが、死んでしまった今では過去の話である。
首を折っても死ななかったバケモノが、どういう風に死んだのかは気になるが。
それに、りんかにしても、セレナとハヤトが死んだのは残念だろうが、あの邪悪なバケモノ女が死んだのは朗報だろう。
そこまで考えて────ソフィアの名も呼ばれていた事も思い出した。
りんかが差し出した手を振り払い、バケモノ女と共に行ったソフィアには、紗奈はそれ程思い入れは無い。
だが、りんかは違う。差し出した手を振り払われたとはいえ、命を救って貰った相手で、共に行こうと言った相手だ。りんかはソフィアの死を悲しむだろう。
バケモノ女の死は嬉しいが、ソフィアの死はりんかを悲しませる。
どうするかを考えているうちに、ジャンヌとりんかが戻って来る。
どうするべきか?隠すべきか話すべきか?話すのならば、どう話せば良いのか?
懊悩する紗奈に、答えを出す為の時間はごく僅かしか残っていない。
【交尾 紗奈】
[状態]:食糧と水で乾きを回復、気疲れ(中)、目が腫れている、強い決意、りんかへの依存、ヒーローへの迷い、ルクレツィアの死に対する歓喜及びハヤトとセレナの死に対する悲しみ
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2、
[方針]
基本.りんかを支える。りんかを信じたい。
0.りんかのために戦う。でも、それだけでよくなかった、何もかもが足りなかった。
1.新たに得た力でりんかを守りたい
2.第二回放送の結果をどう伝えれば?
3.青髪の氷女(ジルドレイ)には注意する。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。
※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。
※『支配と性愛の代償(クィルズ・オブ・ヴィクティム)』の超力は使用不能となりました。
※セレナ・ラグルスから「流れ星のアクセサリー」を託されていました。
◯
◯
「やってくれたな」
結果だけ見れば、ルーサー・キングの圧勝である。
二人掛かりの奇襲を、一歩も動く処か、腕さえ動かさずに撃退し、ジャンヌ・ストラスブールに更なる傷を負わせた。
然し、ルーサー・キングは敗北を喫していた。
放送を聞くことが出来ず。ジルドレイの首輪のポイントも得られなかった。
大金卸樹魂による負傷と疲労を癒す事は、時間が掛かる事となった。
旧時代であろうと、現代であろうと、老人であっても鍛えていれば、瞬発力や柔軟性は、若者にも引けは取らない。
だが、回復力や持久力は、若さがモノを言うのだ。
治療はおろか、食事を摂ることも出来ないのでは、恢復には時間が掛かる。
情報を得る為に、他者に接触するにしても、疲労し傷ついた身では如何ともし難い。
成程確かに良い手ではある。傷つき疲弊したルーサーを首尾良く討てれば良し。討てずとも、放送を聴くことが出来ず、ジルドレイのポイントの入手も叶わない。
ルーサー・キングの得られる“利”を全て潰し、積極的な行動を強いる一手。
この奥まった港湾に居る限り、逃走こそ困難だが、やって来る敵を察知、迎撃する事は容易だ。
だが、他の刑務者に接触する為に移動するとなれば、その優位を自ら捨てる事になる。
狡猾と呼んでも良い一手だった。
だからこそ、疑念を抱くに足る一手だった。
つまりは────あの二人がこの様な事を考えつくのか?
「あの二人が考えたとは思えん。となると…あのガキか」
この様な言わば狡い手を、あの二人が思いつくとは思え無い。
これは知能では無く思考や発想の問題。あの二人の思考の方向性は、この様な事を思い付く事など出来はし無い。
となれば残るが一人。交尾紗奈の発案だろう。紗奈が姿を表さなかったのは、安全圏で放送を聴く為だ。
「ほかの連中から、話を聴かない事には始まらん」
疲労し、傷ついていても、それでも、行動する必要が有った。
今までの様に、穴熊を決め込んでいたら、滞在場所が禁止エリアに指定されていて、死亡しましたなどという、マヌケな終わりを迎えかね無い。
「行くとすれば、ブラックペンタゴンか」
ブラックペンタゴンが罠なのは理解している。
最初の禁止エリアがあからさまに中央へと追い込むものだったのもあるが、大勢を効率良く殺す時は、一箇所に誘導するなり追い込むなりしてから、纏めて殺すのが効率的だ。
“戦犯”アンナ・アメリアが何度も行った虐殺の手段だ。
アンナ・アメリア亡き今、ブラックペンタゴンの罠に気付けるのは、デイヴィッド位だろう。
第二放送が終わった現在。罠を発動するには丁度良い頃合いだ。
それでも、情報を求めるのならば、罠へと近づかなければならなかった。
「……もう二度と、あんなバケモノの相手はしたかねぇんだがな」
確かに窮状と言える状態ではあるが、この程度の窮地など今までの人生で数え切れない程に経験している。
暴力と知力でどうにもならなかったこれ以上の窮地も、己が天運で切り抜けた。
ルーサー・キングの覇気と自負は、この程度では揺らぎはしない。
「久し振りに、拳(コイツ)で物事に臨まなきゃならねぇ」
左手を親指から順番に握り込み、五指を開く。
右手を親指から順番に握り込み、五指を開く。
両手の指を握って開き、また握って、開く。
拳に宿る力を確認するかの様に。
拳にどれだけの力が篭っているのか、確かめる様に。
「俺を舐めた落とし前は高いぞ」
総身に漲り、周囲を覆い尽くす凄まじい気迫が、邪王の身体を泰山の如き威容に錯覚させる。
邪王が戦王でもある事を、否が応でも知らしめる闘気と威容。
邪王は、戦士であった頃の嘗ての姿を露にしていた。
「まあ良いさ。どの道…勝つのは俺だ」
ルーサーには放送がわからぬ。ルーサーは、この刑務の参加者である。戦いを避け、交渉をして過ごしてきた。けれども舐められる事に対しては、人一倍に敏感であった。
【B-2/港湾/一日目・昼】
【ルーサー・キング】
[状態]:疲労(大)、肉体の各所に打撲(大)、左脇腹に裂傷と火傷、右足首に刺し傷(いずれも鋼鉄で止血・固定)
[道具]:漆黒のスーツ、私物の葉巻×1(あと一本)、タバコ(1箱)、セレナ・ラグルスの首輪(未使用)、ハヤト=ミナセの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
0.情報を得る為に他の刑務者と接触する
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.ドン・エルグランドを殺ったのは誰だ?
4.りんかの自殺願望がある以上、彼女と正面から戦うつもりはない。相手の土俵に立つのは、自分の利益がなさすぎる。…俺を舐めた以上はそうも言ってられん
5.ルーサー・キングを軽んじた以上、りんか達もこれから潰す。手段手法は問わない。
6.ジャンヌ・ストラスブールも、第二段階に到達しつつあるのか?
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。
※沙姫の事を下部組織から聞いていました
※超力の第二段階を既に体得しています。
全身に漆黒の鋼鉄を纏い、3m前後の体躯を持つ“黒鉄の魔人”と化す超力『Public Enemy』が使用可能です。
最終更新:2025年09月20日 11:59