大地震とバイオハザード。
二つの未曽有の大災害により人の姿が消えてしまった朝の住宅街は、しばしの静寂に覆われていた。
だが、その静けさを打ち破るような幾つもの音があった。
それは靴音。住宅街の石畳を規律よく踏み歩く足音が静寂の中に響いていた。

その足音は1つや2つでは足りない。街路に響く足音は10を優に超えている。
重いブーツの音は力強く、スニーカーの音は軽やかな俊敏さを感じさせるように、それぞれの個性や体格によって異なる音を響かせていた。
そんな不揃いの足音でありながら、歩くリズムは完全にシンクロし、まるで一つの楽曲を奏でているかのようだ。

集団を率いるように先頭を行くのは仲睦まじく手をつないだ少年と少女である。
引き連れられているのは意識のないゾンビたちだった。
これを操る事こそ少年、山折圭介に目覚めた異能である。

目的地に向かう道すがら、圭介は住宅街に彷徨っていたゾンビを掻き集めた。
集まったゾンビの総数は一個分隊にまで達している。

高級住宅街は外部からの移住してきた住民が多い。
集められたゾンビたちは大半が通りすがれば挨拶をする程度の関わりの薄い人間たちだ。
だからと言ってその命を使い捨てていい訳がないが、まだ割り切りやすいのも事実だ。

命に優先順位を付けている時点で村を率いる村長としては失格だろう。
それでも光を助けると決めた。この決意だけは揺らがない。

足音は一つの意志の下に統一され、足並み揃えて行進する様はさながらゾンビの軍隊のようである。
これから挑むのが特殊部隊であるのなら、戦争するのにお誂え向きだろう。
街路を進み続ける分隊は、さっと手を挙げた圭介の合図により一斉に停止し足音も一瞬で静まった。

集団を率いて歩き慣れた道のりを進んでゆくと見慣れた家の前へと辿り着いた。
ガレージのある赤い屋根の家。圭介の友人である湯川諒吾の家である。
そして特殊部隊の襲撃を受け戦場となっている場所であもった。

静止した足音の代わりに住宅街に響いてきたのはコーン、コーンと言う何か重々しい音だった。
その音は圭介の目の前にあるシャッターの閉じたガレージの中からが響いているようだ。

(……何の音だ?)

圭介が眉を顰める。
ただ壁を叩いているだけの音にしては鋭利な響きだ。
住宅街の騒音がないからだろうか、その音は必要以上に周囲に響いているように感じられる。

少なくとも戦闘音ではない。
もっと静かに、淡々と何かの作業をしているような音だ。

不規則で、機械的と言うより人工的。
中に誰かがいて、この音を鳴らしているのは間違いないだろう。
だが、ガレージのシャッターは完全に締め切られており、ガレージには窓もないため中の様子は伺えない。

争うような様子がないという事は、少なくとも事態は既に何らかの決着を得ているようだ。
既にうさぎの友人2人は特殊部隊によって殺され、ガレージに残った特殊部隊の人間が何かをしている。
力の差を考えれば一番可能性が高いのはこれだが、そうなると何故特殊部隊の人間が立ち去らずガレージの中に留まっているのかが分からない。

うさぎの友人たちが奇跡の勝利を収めた可能性もなくはないだろう。他ならぬ圭介がその奇跡の体現者だ。
うさぎの帰還をその場で待っている、というのならガレージ内に人が残っている理由としても納得できる。

それとも特殊部隊の足止めに成功し何らかの膠着状態にある可能性もあるだろう。
はたまたこの音を出しているのは今回の件とは無関係な誰かと言う事もありうる。

何にせよ判断材料が足りない状態で何を考えたところで、ただの推論にしかならない。
命を懸けた行動を選択するにはもう少し確証が欲しいところだ。
だが、完全に閉め切られたガレージ中の様子を知る方法など……いや、ある。

その方法に思い至った圭介は光以外のゾンビたちをその場に待機させ、ガレージ前から離れて湯川邸の玄関まで移動した。
そして、玄関先にある郵便受けの蓋の裏を調べる。
そこにはセロテープで鍵が張り付けられていた。

田舎特有の防犯意識の緩さだが、鍵をかけているだけましである。
村外からの移住民は施錠する物も多いが、古民家からの引っ越し組はまだまだ古い田舎の感覚が抜けていない。

他人の家の鍵を勝手に開くのは僅かな後ろめたさがあるが、圭介は無言のまま玄関を潜る。
何時もであればこの玄関を潜るときは湯川家の誰かが出迎えてくれるのだが、歓迎の声はない。
もっとも正気を失った住民の出迎えがなかったのは幸運だったのかもしれないが。

靴のまま上がり込むと迷うことなくリビングまで移動する。
そしてリビングの壁に埋め込まれたモニターへと手を伸ばす。
電源が生きているのか、それとも電池か充電式なのかモニターは無事に映し出された。

湯川邸には玄関前とガレージ内を映す監視カメラが設置されている。
玄関に鍵を放置する家とは思えない防犯意識の高さだが、これはボロボロの古民家を捨ててピカピカの新居に引っ越せるのが嬉しかった一家が、とにかく最新鋭のモノを付けたがった結果、無駄に付けた監視カメラである。
農家の軽トラなんて盗む人間がいる訳がないだろ、とよく諒吾をからかったものだが、こんな形で生きるとは思いもしなかった。

圭介は玄関前を映し出していたモニターを操作して画面を切り替える。
小さなモニターにガレージの現状が映し出された。
そこに映し出された光景を目の当たりにして、思わず圭介は「うっ」と言葉を飲んだ。

明度が不鮮明な監視カメラの映像だったのは幸運だっただろう。
転がるのは無惨に引き潰され切り裂かれた二つの死体。
ガレージは真っ赤に染まり、凄惨な光景が広がっていた。

だが、うさぎから聞いた情報では村の外から来た少女と、カズユキ――村のプロレスラー暁和之と言う話だったはずだが、転がっている死体は少女と巨大な怪物のモノだ。
少女の方はいいとして、プロレスラーの方は異能で異形化でもしたのだろうか?

何にせよ村人がまたしても殺されたのは事実だ。
自分を縛る檻だと思っていたこの村が傷つけられるたび、圭介の中に身を切られるような痛みがある。
自分はこの村を愛していたのだなと、こんな形で気づかされるだなんて思いもしなかった。

血と肉と死が転がるガレージの中で、ただ一人立っているのは防護服の男だ。
奇跡など起こらず、当然のように特殊部隊が勝利していた。

だが、勝者であるはずの男はその場を立ち去るでもなくガレージの壁際で何かをしていた。
ガレージに工具箱でもあったのか、ノミとトンカチのような工具で壁を削っているようだ。
閉じ込められているのか? と一瞬思ったがそれならばシャッターを破壊した方が早いだろう。
わざわざ丈夫なコンクリートの壁を破壊しようと言うのはよく分からない。

ともかく、ガレージ中には特殊部隊の男が留まっていると言う事は分かった。
それを確認した圭介はモニターの電源を落とし、湯川邸を後にした。
そして再びガレージの正面に立つと、恋人と繋いでいた手を放し待機していた全軍と共に後方に下がらせる。
代わりに右腕に握っていたMGLを両手で構え、巨大な銃口をガレージのシャッターへと向けた。

ガレージごと中の特殊部隊を吹き飛ばす。
グレネード弾は薄いシャッターなど容易く打ち破り、ガレージの中を炎で蒸し焼きにするだろう。
諒吾は文句を言うだろうが、後で修繕費を出してやればいい。

「――――――――死ねよ」

村の侵略者を排除するのに、もはや躊躇いなどない。
引き金を引き、シャッター閉じたガレージに向けてグレネードを打ち込んだ。

爆音と共に巨大な炎が上がった。
爆風に圭介は目を細めながら、その結果を見届ける。

炎が晴れる。
その先にあったのは、何一つ変わらぬ風景だった。
シャッターは健在であり傷一つない。

グレネードの直撃を受けシャッターの一つも打ち破れないなどあり得ない。理に合わない現象だ。
そしてそのような事が、異界と化したこの村ならばありうる事を圭介は知っている。

だが、特殊部隊に異能は扱えないはずだ。
そこで圭介は先ほどモニターに映っていた特殊部隊の男がガレージ内で壁を削っていた姿を思い返す。
なるほど、と圭介は結論を得る。足止めに残ったどちらかが、異能を使って命を懸けて特殊部隊を閉じ込めたという所か。

圭介は湯川家のガレージ構造もよく理解している。
シャッターで塞がれている正面以外に出入り口はない。
小さな子供であれば換気口から脱出できるかもしれないが、中にいるのが成人ならば脱出不可能だろう。

「ハッ! ざまぁねえな特殊部隊!」

中へと罵倒の声をかける。
返答はない。
その代わりに、グレネードの爆音によって中断されていた掘削音が再開される。

「だんまりかよ、なんとか言ったらどうだ?
 テメェらはこれまでいったい何人ウチの村人を殺してくれたんだ? 挙句に無様に閉じ込められてテメェだけは助かりたくて無駄な努力をしてんのか?」

嘲笑と共に挑発めいた言葉を投げかける。
しかし、返る言葉はない。
返るのは淡々と壁を削るような音が響くばかりだ。

「なんとか言えよ! どうなんだ、おいッ!?」

無視を続ける相手に先に感情を爆発させたのは圭介の方だった。
村を蹂躙することをなんとも持ってないかのようなその態度は許し難いものがある。
ギリと奥歯をかみしめ、怒鳴りつけるように声を荒げた。

「散々俺たちの村を荒らしやがって! 勝手に訳の分からない研究を始めて、失敗したら勝手に皆殺しだぁ? ふざけんなっ!
 テメェらだけの都合で村の運命が決められて堪まるかッ! 俺たちの事は俺たちが解決するんだよ部外者はすっこんでろ!!
 テメェらはそれが失敗した時にだけ出張ってきやがれってんだ! ケツだけ拭いてりゃいいんだよッ!」

身勝手でただ感情の爆発をぶつける様な主張。
だが、その声を受けてか、壁を削る音がピタリと静止した。
そして、ようやく檻の中の男が重い口を開く。

「…………来たか」
「何………………?」

瞬間、圭介の眼前を突風が吹き抜けた。
何かが鼻先を霞め、削れた傷口から血が糸のように血が流れる。
突風の行く先にあったのは地面に槍のように突き刺さる道路標識だった。

カラカラとハンマーが石畳の地面に引きずられる音が響く。
音に引きずられ、視線を這わす。
住宅街の道上に立っていたのはクマを思わせる大柄なシルエットだった。

「いやぁ。てっきり乃木平辺りかと思ってたけど、まさかアンタだったとはな、大田原サン」

声は女のモノだった。
忘れるはずもない。見紛うはずもない。
女が全身に纏うのは、圭介が仕留めたあの男や中にいる男と同じ迷彩色の防護服――――すなわち特殊部隊だ。

最悪の事態だ。
1人は閉じ込められているとはいえこの場に特殊部隊が2人集結した。
どうしてここに集まったのか、と言う疑問は瞬時に氷解した。

壁を削っているように聞こえたあの音だ。
あれは救難信号だ。ガレージに閉じ込められた特殊部隊があの音で救援を呼んでいたのだ。
壁を破壊しようとしていたのも本当だろうが、掘るタイミングを調整することで自力の脱出作業と周囲への救援要求を同時にこなしていたのだ。

「救援要請に応じてくれて感謝する。だが作戦行動中に濫りに名前を呼ぶなIronwood」
「そいつぁ失礼、1等陸曹殿。どうせ皆殺しにするってのに相変わらずマジメなこって」
「―――――Ironwood」

聞くだけで震えあがりそうな威圧感の籠った声。
Ironwoodと呼ばれた女は肩をすくめて応える。

「へーへーIronwood.了解。Mr.Oak」

言いながら意識をガレージ内の要救助者からガレージ前にたむろする一団へと向ける。
より正確に言うなら、その先頭にいる圭介にだ。

「で? アタシはドッチを優先すりゃいいんだ?」

救助か、排除か。
まず行うべきはどちらか、階級上の上官へと指示を仰ぐ。

「聞くまでもない――殲滅だ」
「了ぉ解ぃ」

ゆらりと凶悪な獣が牙を向く。
マスクの下にあるギラついた眼光が圭介を射貫き、全身に重厚な殺気が圧し掛かった。

「くっ……ぁああっ!」

その殺意に気圧されるように、思わず圭介はダネルMGLの引き金を引いてしまった。
一刻も早くこの重圧から逃れたい一心で放たれたグレネードが空中を舞いながら標的に向かって行く。

着弾と共に耳に響く轟音が閑静な住宅街に広がった。
衝撃を伴った爆風は街中を吹き荒れ、燃え盛る炎は瞬く間に黒煙と共に高く舞い上がる。
煙と炎が絡み合い、まるで地獄の門が開かれたかのような光景が住宅街に広がってゆく。

火花が舞い散り、火の粉が舞う。
周囲の空気は灼熱と化し、僅かに離れた位置にいる圭介の吸い込む息すら焼けるように熱を帯びていた。
これほどの爆発。如何に特殊部隊が超人であろうとも、直撃を受け生き残れるはずもないだろう。

「――――――っぶねぇな」

だが、炎の中より声がした。
燃え盛る炎のスクリーンに、歩み出る人型の姿が浮かび上がる。
その足音に地面は震え、炎はその存在に畏怖するように退いてゆく。
炎の海を割るようにして、特殊部隊が恐怖と絶望を振り撒きながら歩み続ける。

圭介は思わず息を飲んだ。
特別性の防護服は炎の海をものともしない。
オレンジ色の炎が防護服に反射し、その恐ろしさを照らし出す。
炎の中を進む特殊部隊の姿は、地獄の底から這い上がる死神のようであった。

だが、炎と煙は防護服で防げたとして、グレネードの直撃まで防げるはずがない。
それは他の特殊部隊で実証済みだ。
ならば、生きている以上何か別の理由があるはずだ。

その理由を探る圭介の目が炎上を続けるその火中に、燃え上がる鉄塊があることに気付いた。
グレネードが直撃したのはこの鉄塊、つまり車だ。

偶然そこに在ったという訳ではない。
グレネードの発射に気づいた女が傍らに路上駐車されていた車を咄嗟に引き寄せ盾としたのだろう。
大規模な炎上は盾となった車体から漏れ出した燃料によるものである。

だが、盾となった車は軽だったとしても1トン近くある鉄の塊だ。
それを咄嗟に片手で引き寄せるなど、人間技ではない。

それもそのはず、彼女はただの人間ではない。
最新鋭の技術により体の大半を機械化したサイボーグ。
それが彼女、美羽風雅という女の正体だ。

「なんで素人のガキがんなもん持ってんのかは知らねぇが。
 MGLってこたぁ、広川殺ったのぁテメェだなぁ――――ッ!」

歓喜と狂気の混じった声。
仮面の下に浮かぶ獣のような凶悪な笑みが透けて見えるようだ。
絶対的な死の恐怖に圭介の全身が一瞬で総毛立つ。

「ッッ!? 行けお前らッ!!」

背後で待機していたゾンビに追い詰められた王の指示が飛ぶ。
号令一下、十数のゾンビの軍隊が機械の怪物に向かって突撃を始める。
だが、特殊部隊の女は動じることなく、不動のままその場に立ち尽くすだけだった。

そしてゾンビが眼前にまで迫ったところで、ようやく最初の一歩を踏み出す。
その一歩は、地面を揺るがすほどの重さが秘められていた。

「ハッハァ――――ッ!!」

炎を背にサイボーグが笑う。
豪快に振るわれた腕がゾンビの頭を砕きその体を吹き飛ばした。
続けて放たれた前蹴りは破壊の極致を表すようにゾンビの体を粉々に砕き肉と血を周囲にぶちまける。

サイボーグが手足をふるう度に一体、また一体とゾンビが蹴散らされていく。
圭介の集めたゾンビの軍団は、特殊部隊の誇るサイボーグの前ではまるで玩具の兵隊でしかなかった。
まるで波が岩に打ち砕けるように、突撃するゾンビたちは強大な力によって次々と吹き飛ばされて行く。

圭介が最初に戦った特殊部隊員の男も確かに強かった。
だが、あれは人間の範疇の強さだ、目の前の相手は違う。
怪物性で言えば市街地で暴れていた気喪杉に近い、だがあれとは闘争者として次元が明らかに違う。
人間と戦っている気がまるでしない、怪獣でも相手にしているようだった。

だが、逃げる訳にはいかない。
圭介は自らの背後に待機させた光の存在を思い出し、恐れを押し殺して逃げ出したくなる足を踏みとどまらせた。
MGLを正面に構えて、ゾンビ相手に大立ち回りをしている特殊部隊を捉える。

ゾンビたちが足止めをしている間にゾンビごと吹き飛ばす。
自らが従えた者たちを自らの手で葬り去ることになるが、目的のために手段を選んでいられる状況ではない。
その覚悟を決め、引き金に指をかけた。

「遅ぇ!」

だが、この期に及んで今更覚悟を固めている様ではあまりにも遅い。
美羽が手を伸ばし、一体のゾンビの頭を掴むとその体を軽々と振り上げ、圭介に向かって投げ飛ばした。

「ぐは…………ッッ!?」

凄まじい剛速球が腹部に直撃して圭介の体が大きく吹き飛ばされた。
60kg超の鉄球が直撃したようなものである、そのダメージは計り知れない。
圭介の体が硬い石の地面を転がってゆく。

「っ…………は……ッ!」

ようやく止まった頃には全身はスリ傷だらけになっていた。
そして吹き飛ばされた拍子に手にしていた武器を落としてしまったことに気づく。
すぐに拾い上げようと、起き上がるよりも早く目の前に転がるダネルMGLへと手を伸ばした。

「ッ……ぐあああああぁぁっッ!!!」

だが、その手の甲は上から踵で踏みつけられた。
見上げるまでもなく、踏みつける軍靴を見ればわかる。
そこに居るのは特殊部隊のサイボーグ、美羽風雅だ。

「よぅ、クソガキ。ウチのヒーロー志望者が世話んなったみてぇだなぁ」
「くぅッ!!」

見れば、一個分隊のゾンビ部隊は完全に壊滅していた。
原型をとどめているモノすらいない、完全なる蹂躙。
それほどの破壊を苦も無く成し遂げた怪物を睨み、圭介は吠える。

「ヒーロー志望者…………? ああ、クソヒーローなら無様に命乞いしながら押っ死んでったよ!」

この状況で果敢に言い返すその言い様を気に入ったのか、美羽はへぇと口元を吊り上げる。

「いいね。そうこなくっちゃ。そうじゃなけりゃ『返し』の甲斐もねぇ」

どうせなら獲物は活きのいいほうがいい。
同僚を殺したのが、つまらない輩だったそれこそ興ざめだ。

「返しだぁ? 敵討ちでもするつもりか!? ざけんなッ! お前らが先に俺たちの村を無茶苦茶にしたんだろうが!」
「あ゙ぁん? 最初はアタシらじゃなくて研究所の……ま、テメェらからすりゃ一緒か」

投げやりに呟き、自己完結で納得する。
その口調は乱暴ではあるが、敵討ちをしに来たにしては恨み骨髄という声色でもない。

「別にテメェを恨んじゃいねぇさ。結局の所、戦場で死ぬのは弱ぇからだ。野郎が殺されたのは野郎が弱いのが悪かったのさ」

広川の死に対して思う所がない訳ではないが。
広川を殺した相手に対しては別段恨みという感情は持っていない。
何だったら任務も達成できず脱落した広川の方に怒りを覚えるくらいだ。

「はっ。恨んでねぇだぁ? 口ではそう言っても、結局テメェも恨みを果たしたいだけだろうが!」
「違うね。コイツぁ恨みじゃなくケジメの問題だ。舐められたままじゃ終われねぇんだよ」

まるっきりヤクザの言い分だ。
原因がどちらにあるかなど問題ではない。
一度始まった報復の連鎖はどちらかが根絶やしになるまで途切れることなどない。

「まあ、理由はどうあれこれからテメェは蹂躙される。このアタシにな。
 それはテメェが悪ぃからじゃねぇ、テメェが弱ぇからだ、弱ぇやつは戦場では無価値だ」

弱者は強者に何をされても仕方がない。
特殊部隊の女は残酷な戦場の真実を語る。

「さて、このままテメェの頭を踏み潰すのは簡単だが、それじゃあ返しにならねぇよなぁ?」

正常感染者を殺すのは特殊部隊としての任務だ。
ただ殺すだけでは個人的なケジメにはならない。
それとは別に暴走族の頭として身内を殺された返しをしなくてはならない。

「っと、その前に、だ」

圭介を踏みつけたまま、美羽は上体だけを捻って自らの背後に迫っていた敵の顔を掴んだ。
そこに居たのは圭介にとっても予想外の人物。

「光ッ!?」

美羽に背後から襲い掛かろうとしたのは、後方に避難させていた光だった。
鉄のような腕に捕まり光の頭部が圧迫される。
正気などないはずの喉奥から小さな声で悲鳴が上がった。

圭介は光を操っていない。
そもそも圭介が光を危険にさらすような真似をするはずがない。
美羽に追い詰められ、ゾンビを制御する余裕を失っていた。

制御を離れた今、光を動かすのはゾンビの自由意志だ。
それはゾンビの本能で目の前の相手に襲い掛かっただけなのかもしれない。
それが圭介を助けに着たように見えただけだ。そんなはずはないのに。

「やめろ!! 光は関係ない!!」
「テメェのツレだろ、関係ねぇってこたぁねぇだろ」

言って、片手でつかんだ光の頭を握りしめた。
だが、すぐに違和感を覚えたのか目を細めて掴んでいた光の顔を凝視する。

「あぁん? んだよ、こいつもゾンビかよ! お人形遊びかぁ? 気持ち悪ぃ」

吐き捨てるように言う。
先ほどまでゴミのように片付けてきた奴らと同じゾンビだ。
だが、全軍特攻に加わらなかった事からして、何らかの特別扱いを受けているのは明らかだ。

「わざわざ侍らしてるってこたぁテメェのスケか? それとも狙ってた女をこの機に乗じていいようにしてんのか?」
「うるせぇ!! 今すぐ光を離せって言ってんだよ!! このゴリラ女がッ!!」

これまでにない剣幕で噛み付く圭介の様を見て、天啓を得たりと仮面の下で美羽が笑う。

「決めた――――まずはこいつを殺す」
「なっ――――――」

その宣言に、圭介は言葉を失う。
これは美羽の個人的な『返し』だ。
本人ではなく大事な人が殺されるというのは仲間を殺された返しとしては妥当だろう。

「待てっ! 止めろ! テメェが殺したいのは俺だろうが!」

腕を踏みつけられたまま、圭介が必死に暴れまわるが相手はびくともしない。
本当に鉄の塊のようだ。
自分の力では何をしても動かせない。そんな絶望が重く心に圧し掛かってゆく。

効果は無くとも足元でバタつく相手が鬱陶しいかったのか。
美羽は手の甲を踏みつけていた足を上げ、そのまま足裏で顔面を蹴り飛ばした。
頭部に直撃を受け圭介の脳が揺れる。

「テメェは後だ、そこで見てろ」

美羽の力をもってすれば蹴り一つで圭介の頭蓋を体から吹き飛ばすのも容易い事だ。
だが、そうはしない。そうでければ『返し』にならない。

「ッ…………やめろぉッ! やめてくれぇ―――――ッ!!」

だが、砕けた鼻から垂れ墜ちる鼻血を拭う事もせずに圭介は美羽の足首にしがみつく。
縋るような無様な姿だが、無様であろうとも構わない。これだけは諦めきれない。
このままでは光が殺される。
諦められるはずがない。

「逃げろッ! 逃げるんだ光ぃ!!」

逃げるように異能で光に指示を出す。
だが虫も殺せぬ光の力で美羽の怪力を振りほどけるはずがない。
ミシリと言う音と共にサイボーグの指先が光の頭にめり込んでいく。
先ほどまでの超人的な大暴れを思えば、人間の頭などトマトのように握りつぶせるだろう。

「うわああああああああああああああああああッッッッッッ!!!!!」

喉を裂く様な絶叫。
無力な圭介では間に合わない。何もできない。
少年の絶望が世界に響き、まるでスローモーションのように彼の世界は全てが遅くなった。

聞こえるのはバクバクと音を立て脈動する自分の心音だけ。
まるで全身が心臓になったよう。
血が逆流し、胸に灼熱を流し込まれたような痛みが伴う。

光が死ぬ。光が死んでしまう。
目の前に突き付けられるその真実に圭介の脳内は破裂寸前にまで膨れ上がる。

満ちるのは怒りと憎悪。
光を守れない自分自身への怒り。光を奪おうとする敵への憎悪。
憎悪と殺意と絶望がシナプスとなって脳内で弾ける。

異常に加熱した脳と、異常に冷めた冷静な脳が共存して脳が痺れる。
それはまるで自分とは別の存在が脳を制御しているかのようだった。

異能が目覚めた瞬間にも感じた脳が世界に繋がる感覚。
一本だった不可視の触手が数え切れないほど伸びていくよう。

意識が世界に拡張される。
いや、意識が世界を拡張していく。
己の意識が現実を侵食していくようだ。

「よーく目に焼き付けなぁ! テメェの女が弾ける様をよぉ!!」

無慈悲な特殊部隊の咆哮が響いた。
それを合図に、止まっていた世界が動き出す。

光を握る手に力が籠められ、パンと、何かが弾ける様な音がした。

「な、に?」

驚愕は誰の口からだったか。
響いた破裂音は光の頭が弾けた音ではなく、ましてや圭介の脳の血管が切れた音でもない。

それは遠方からの狙撃音だった。
美羽の背後、炎と黒煙の壁を突き抜け弾丸が飛来したのだ。
弾丸は美羽の肩甲骨辺りへと吸い込まれ、掴んでいた光を取り落とす。

「バっ…………」

バカな。声にならないそんな驚愕と共に美羽が弾丸の飛来した方向を睨むように見つめる。
弾丸の風圧により穿たれた穴から猟銃を構える猟師の姿が垣間見えた。

伏兵を残していた?
いや、それならば狙撃は最初の全員突撃の際に行うべきだ。
それに、ここまでに美羽がその気なら殺されていた場面も何度かあった。
ここまでもったいぶる理由がない。

何より、今の狙撃はただの狙撃ではなかった。
弾丸は炎と黒煙の向こうから来た。
狙撃手からターゲットが見えていないのだから、狙撃など不可能なはずだ。

そして何より、驚愕すべきはどこにも殺意がなかった事だ。
殺意があればそれを読める、だがそれがなければ気づきようもない。

いや、正確に言えば、殺意はあった。
だがそれは美羽の足元に無様にしがみ付く少年から発せられたものである。

殺意と照準が違う。
銃を構え引き金を引いたのは猟師であっても、これは圭介の殺意による弾丸である。
このような異次元の狙撃。如何に特殊部隊の精鋭と言えど避けようがない。

「テェェエエンメェェェェッッッ!!!」

だが、恐るべきはサイボーグ。
中型の獣を一撃で仕留める弾丸の直撃を受けてもその肉体は健在である。
直撃受けた部位の機械構造は破損しているが、一撃ならば致命傷には至らない。
連続して喰らえばマズかろうが狙撃があることは分かった。警戒していればそう簡単に喰らう美羽ではない。

だから、問題は別の所。
美羽の肉体ではなく、防護服に穴が開いたと言う事である。

「チィ…………くッッ!!」

瞬時に状況を理解した美羽は身を翻した。
スレッジハンマーを片手に、振り絞るように全身を捩じる。

「間ぁに合えええぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!!!」

剛と、台風のように回転して跳躍する。
放たれる一撃の向かう先は圭介でも光でもない。
死力を尽くした一撃が放たれたのは、大田原が閉じ込められたガレージだった。

コンクリート壁にスレッジハンマーの一撃が炸裂した。
大量の火薬でも爆発したような衝撃が叩き込まれる。
強力な一撃を代償にスレッジハンマーが砕け散るが、強固なコンクリートの壁が砕けた。

「――――――よくやった。Ironwood」

破損した箇所を起点に、内側から食い破るようにコンクリート壁が弾けた。
無骨な巨大な手でヒビを広げながら、怪獣めいたサイボーグ以上の脅威が現れる。
少女とオークが命を賭して封印した最強が、鉄筋コンクリートの檻から解き放たれる。

並び立つ絶望。
美羽の隣に大田原が立つ。
その光景はこの村の住民にとっては不可避な死を告げる絶望その物だ。

「では。連携して対応に当たる、まずは…………!?」
「ぅうああ――――――ッ!!」

だが、制圧の指示を出そうとしていた大田原に向かって、横合いから美羽が襲い掛かった。
突然の乱心に流石の大田原も驚きを隠せず、僅かに反応が遅れる。

掴みかかってきた手を避けきれず腕を掴まれそのまま押し込まれた。
恐ろしいまでの圧力。大田原と言えでも機械の筋力には及ばない。

バイオハザードにより村に蔓延するウイルス。それを防ぐための防護服である。
そこに穴が開いてしまえば、あとは正常感染者に成れるかどうか、2%のギャンブルだ。
美羽はそのギャンブルに敗北して、ゾンビとなった。

そして――――――ゾンビならば操れる。

それが村の王たる圭介の異能だ。
手を伸ばし、新たな家臣に向かって王は命じる。

「目の前の相手を殺れ、ゴリラ女――――――!」

その命令に従い、ゾンビとなった美羽が大田原を掴んだ腕を振りまわした。
万力が如き握力で振り回され、100㎏超の巨体の両足が浮き上がる。

そのまま地面に叩き付けんとする刹那、大田原はその流れに逆らわず浮いた両足を振り上げ鳩尾と顎に二連脚を見舞った。
衝撃に握力が緩む。その隙を見逃さず大田原は前蹴りを放つと共に腕を振り払って拘束を脱した。

僅かに距離が離れる。
その隙に腰元からナイフを引き抜き追撃へと前出た。

だが、そのナイフを振りぬこうとしたところで、大田原の動きが静止する。
瞬時に前傾姿勢を解いて上半身を仰け反らせた。
同時に、黒煙の先から放たれた弾丸がその眼前をすり抜ける。

ガレージ内で銃声は聞いている。
狙撃があることは警戒していたし、銃声から狙撃方向も把握していた。
タイミングばかりは撃つなら今であろうと言う当て推量だが、実際に撃たせてみておおよその仕掛けは知れた。
大田原はその場に足を止め冷静に現状を確認する。

中距離には司令塔と思しき正常感染者の少年とゾンビと思しき少女。
ガレージ内で聞き及んでいた音声と美羽の現状からして、少年は恐らくゾンビを操る異能者だろう。
少年の利き腕は美羽に踏みつけられ折れてしまったのか、左手に拾い上げたダネルMGLを握りしめている。
高火力な火器。点の狙撃と違い、美羽を足止めに使いもろとも吹き飛ばされては大田原と言えども避けようがない。

近距離には特殊部隊の同僚である美羽。
筋力は人知を超えた機械のソレ、耐久度は正しく鋼鉄。
自衛隊最強を誇る大田原とでも仕留めるのは簡単ではない相手だ。

任務は女王の可能性がある正常感染者の抹殺。
ゾンビはそこに含まれず、事態が解決されれば元に戻る可能性もあるという話だったはずだ。
ならば、ウイルスに侵されたとは言え美羽を殺す必要はない。

だが、ターゲットを守護し、任務達成の障害となるのであれば排除する。
美羽と言う個人に対する付き合いもそれなりにあったし、幾多もの視線を共に乗り越えてきた部隊同士の仲間意識もある。
それでも正義のためなら躊躇いなく実行できる。それが大田原と言う男だ。

何より、美羽は加減できる相手ではない。
戦うのであれば殺すつもりで行かなくては大田原が危うくなる。

遠距離には炎煙の向こうに構える謎の狙撃手。
ブラインドの先から行われる狙撃は驚異の一言だが、仕掛けさえ分かっていれば避けること自体は不可能ではない。
だが、それも狙撃手単体であった場合の話だ。美羽の相手をしながら狙撃手の警戒をするのは相当に精神が削れる。
その上、一発でも霞めれば美羽の二の舞ともなればかなりの綱渡りだ。
少なくとも黒煙越しにブラインドスナイプが可能なこの状況で戦うべきではない。

頭を潰すのが戦術の基本だが、遠近の守護者を突破して司令塔を潰すのは難しいだろう。
このまま戦ったところで勝ち目がまったくないという訳でもないが、無視できない程度に敗北のリスクはある。
ここは一旦引いて仕切りなおすべきだ。

そう決断するや否や、大田原は躊躇うことなく崩れたガレージの外壁に足をかけて、そのまま屋根へと上っていった。
通常、狙撃手が居る戦場でこのように高台で身をさらすのは自殺行為だが、狙撃手の目は少年だ。
それを理解しているからこそ、あえてその逃走経路を選んだ。

そこから赤い屋根へと移り、巨体とは思えぬ機敏さで屋根を渡り歩いて撤退していく。
圭介は深追いをせずそれを見送る。

美羽や兵衛なら追えるかもしれないが、司令塔である圭介がついていけない。
追うのは難しいだろう。

だが、今はそれでいい。
特殊部隊を手駒に加え、最強の特殊部隊を退けた。
十分すぎる成果だ。深追いをする必要はない。

なんとか生き延び、そして2度目の特殊部隊戦を経て理解した。
有象無象をどれだけ用意しようとも強敵には通用しない。必要なのは精鋭だ。

前衛と後衛。
それぞれの強力な駒を手に入れた。
特に、あの場面で兵衛を手に入れたのは幸運だった。

最初から伏兵として残していた訳ではない。
あの瞬間、世界に広がった異能の触手が、彷徨っていた六紋兵衛を捉えたのだ。

この調子で精鋭を集めて、特殊部隊にも負けない最強のゾンビの軍団を作り上げる。
それを成す異能(ちから)が今の圭介にはある。

その力をもってすれば特殊部隊の駆逐も夢ではない。
その先の女王探しも、力があれば楽になる。

僅かに見えた、光を取り戻すための希望の光。
美羽の言葉は正しい。
戦場において弱さは罪であり、強さは正義である。
全てを取り戻すために力が必要だ。

踏みつぶされた右手は骨折しており、左手は銃で塞がれている。
守護りきった恋人の手を握る事は出来なくなってしまったけれど、全ては光を取り戻すために必要なことだ。
そうやって、圭介は戦いの決意を固めてゆく。
そんな圭介を見つめる恋人の目にはどこか悲しみを湛えた光が宿っているようにも見えた。

【美羽 風雅 ゾンビ化】

【C-4/湯川邸前/一日目・午前】
山折 圭介
[状態]:鼻骨骨折、右手の甲骨折、全身にダメージ(中)、精神疲労(大)、八柳哉太への複雑な感情
[道具]:木刀、懐中電灯、ダネルMGL(4/6)+予備弾5発、サバイバルナイフ
[方針]
基本.VHを解決して光を取り戻す
1.女王を探す(方法は分からない)
2.正気を保った人間を殺す。
3.精鋭ゾンビを集め最強のゾンビ兵団を作る。
4.知り合いを殺す覚悟を決めなければ。
[備考]
※異能によって操った日野光(ゾンビ)、美羽風雅(ゾンビ)、六紋兵衛(ゾンビ)を引き連れています。
※美羽風雅(ゾンビ)は拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフを装備しています。
※六紋兵衛(ゾンビ)はライフル銃(残弾3/5)を背負っています。
※学校には日野珠と湯川諒吾、上月みかげのゾンビがいると思い込んでいます。

【C-4/高級住宅街/1日目・午前】
大田原 源一郎
[状態]:右腕にダメージ、全身に軽い打撲
[道具]:防護服、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.正常感染者の処理
1.撤退
2.追加装備の要請を検討
3.美羽への対応を検討(任務達成の障害となるなら排除も辞さない)


081.忸怩沈殿槽 投下順で読む 083.catch and kill
084.愛しの■■へ 時系列順で読む
二つの覚悟 大田原 源一郎 Monster Hunter
掃き溜めの戦狼 美羽 風雅 MISSION FAILED
友の家を訪ねる 山折 圭介 化け物屋敷

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最終更新:2023年08月08日 22:31