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霊夢7
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orz1414
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「あ、雪だ」
ひらひらと空から舞い降りてくる氷の結晶を目に留め、思わずそう溢した。
そして今日はそれほどに気温が低いのだという事を今更ながら気付き、少し身震いをした。
寒い。
「う~、早く終わらせるかな」
雪を見るのは好きだが長時間こんな冷え切った屋外にいるなどという風変わりな趣味は無い。
今の自分に与えられた責務をさっさと終えるべく、僕は暫し止めていた手を再び動かし始めた。
参道に積もった雪を雪掻きで退かす。
また雪が降ってきたからもう一度雪掻きしなきゃいけないよなぁ、と多少欝な気分になるが仕方ない。
粗方雪を除けた事を確認し、足早に神社に戻る。
「うぬぅ、手が、足がぁ……」
すっかり冷え切った体を暖めるべく炬燵のある居間へと向かう。
と、そこには先客がいた。
「あら、もう終わったのかしら」
炬燵の住人は天板に頭を乗せたまま首だけをこちらに向けて話しかけてくる。
傍から見たらだらしないと思われる事だろうが、今ではもう慣れてしまった。
慣れって怖いなぁ、と何となく感慨に耽ってみようとしてやめる。年寄り臭いし。
「大体はね。あぁ、寒い寒い」
返事だけ返しそそくさと炬燵の中に滑り込む。
悴んだ手に熱がじわりと染み込んできた。
「そういえば、また雪が降ってきたよ。早く春にならないかなぁ」
少しでも熱を得ようと手を摩りながら、向かいに座る人物に話しかける。
視線をこちらに向け、あら、そうとだけ返しまた元の位置に戻す。
この一見冷たそうに見える反応も幾度と無く経験してきたものだ。
きっと彼女は誰に対してもこういう風なのだろう。
何度か霊夢が他人と交流するのを見ていてとなんとなく思った。
特に成すべき事も無く、いい歳した二人が炬燵でだれる。
僕たちは基本的にこうして過ごす事が多かった。
無駄に動いて貴重なエネルギーを消費するのももったいない、というのが霊夢の言い分だ。
まぁ、最もではあるが。
「っと、もうこんな時間か」
思い出したように立ち上がる。
そろそろ昼食の時間だから準備をしなくては。
ここの神社は食料が少ないから遣り繰りして献立を考えなければいけない。
「そういえばまだ卵と鶏肉が余ってたから親子丼にしてもいいかなぁ……」
などと主夫じみたことを考えながら台所に向かう、そんないつも通りのお昼前だった。
「あ、そういえば」
僕の作ったホウレン草のお浸しを摘みながら霊夢が思い出したかのように言った。
「何だい?」
「これから霖之助さんの所に荷物を取りに行きたいんだけどね」
「うん」
「昼から"お仕事"があって行けないの」
その聞きなれたようでどこか特別な響きを持つ言葉を、僕は今までに何度か聞いた事がある。
とりあえず霊夢が言わんとすることは分かった。
「ん、じゃあ霖之助さんの所には僕が行っておくよ」
「察しがいいわね」
まあね、とだけ軽く返す。
さて、そうと決まったらなるべく早く昼食を終えなければ。
こういう時は早く行って早く帰ってくる事が望ましい。
夜になってしまったらたまったもんじゃない。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様」
食事を終え食器を洗い終わり、早速外出の準備をする。
今日は寒い。
しっかり厚着をしていかなければ。
「はい、これ」
準備を終えた僕は、霊夢に数枚の護符を渡された。
僕独りで出掛けるのだ。用心するに越したことは無い。
今までこれのお世話になった事は無いが、お世話になる事は無いままであって欲しいものだ。
「ん、ありがと」
「夜になる前には帰ってきなさいよ」
「善処するよ。霊夢も気を付けて」
そして寒そうな格好のまま飛び立つ霊夢を見送る。
気になったので指摘した事はあるが、何故か頑なしてあの服を着ている。
呪いの装備の一種だろうか、などとくだらない事を考えながら僕も歩き始めた。
「こんにちはー」
「いらっしゃい。――あぁ、君か」
そこの店主はカウンター越しの椅子に座りながら本を読んでいた。
僕の方へ挨拶だけするとまた本へ目を落とす。
僕はというと、霊夢から受け取ったメモを見ながら目的の品を探し始めた。
「えーっと、茶葉とお椀と……」
広いとは言いにくい、どちらかといえば狭い店内を物色して回る。
時折僕が興味のあるような品も見つかるが、大抵は電気や動力を必要とするもので此処では活用し難かった。
「ま、不便だと感じたことは無いしいいんだけど」
誰に言うわけでもなく一人零す。
さて探していた物も大方見つかり、それらを鞄にしまい込んだら今度は霖之助さんの元に行く。
「はい、これどうぞ」
「ん、いつもすまないね」
「いえいえ、こちらのほうが気が引けちゃうぐらいですから」
そういって僕が手渡したのは南瓜の煮物や大根の漬物といった料理だった。
霊夢や魔理沙はここの品物を有無を言わさず頂いていくが、僕にはどうも堪え難い。
等価交換とまでは行かないけど少しでも埋め合わせをしようという、まあ僕の良心の表れだ。
「君の作るものはとても僕の口に合う。感謝しているよ」
「光栄ですね」
お金を払ってもいいのだが、此処では商業が発達しているワケでもないっぽいので貨幣の価値はあまり無いのだろうと思ったのだ。
この行動はあくまで自分を納得させるためであり、偽善と言っても差し支えない。
しかしその行いに相手の喜びも伴ってくるなら話は別だ。
幸い霖之助さんも嫌がっている様子は無いのでこうして続けているわけである。
「じゃ、暗くなる前に帰ります」
「そうした方がいい。今後とも御贔屓に」
そうした彼の言葉に少し違和感も感じるが、彼はあくまでやりたいからやっているだけであってそこは僕が口出しするところではない。
会釈だけして香霖堂を出る。
ふと見上げた空にはもう既に猩々緋の色が掛かっていた。
「のんびりはしていられないな」
僕は一言呟くと神社への道を歩き始めた。
「んぅ?」
しまった、誰もいないからといって変な声を上げてしまった。
まあ誰もいないんだからいいかと自己完結し、再び先ほど目に留めたものを見上げる。
見上げるという言葉から分かるようにそれは僕の遥か上空を飛んでいた。
「あれ……霊夢、だよなぁ」
遠目だから自信無さげな言葉になるが、あの紅と白を基調にした服をそう間違えることも無いだろう。
その空飛ぶ不思議な巫女さん(らしき人物)はゆっくりと降下して行き、割と僕から離れていない所に着陸したようだった。
「ふむ……」
どうしようか、と考えてみる。
何をしているのか知りたいという探究心はある。いや、好奇心と言った方が適切か。
だがここは少し道を外れると森と呼んだ方が相応しい程の木が生い茂っていて、確かに危険ではある。
少しの間思索に耽る――振りをする。
一人なのにそんな事しても空しいだけだという事は敢えて考えない。
僕の心は初めから決まっていたようなものだ。
僕は平生から何か気になった事には飛びつかずにいられないタチだった。
こういった時に疑念や警戒が生まれる前に何かしら期待を抱いてしまうのは不注意だと思うが仕方が無いと諦める。
さて思い立ったが吉日、善は急げという言葉もあることだし、さっさと霊夢らしき人物のところへ向かうとする。
そうして僕は何の不安も抱かないまま意気揚々と鬱蒼とした森の中へ進んでいった。
後悔というのは呼んで字の如く、後から悔やむという事だ。
確かに後悔は事後しか出来ないことであり、また後悔先に立たずという教訓の様に役に立たないものである。
だったら後悔なんてしなければいいじゃないかと昔考えた事もあったなあと何となくこの現実からいい感じに逃避したい気分になっていた僕だが
やっぱり現実は現実として受け止めなければ。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだって結局のところ何が言いたいかというと。
僕様大ピンチ。
霊夢を探していたつもりが何時の間にか妖怪らしき生物と鉢合わせ。
ていうか、妖怪と遭遇するのは初体験だ。
あちら側はまだ僕に気付いた様子は無い様で、だけど何かには感づいた様で辺りをキョロキョロ見回している。美味くない状況だ。
咄嗟に木の陰に隠れた僕だが、さあこれからが問題だ。
どうしよう。
迂闊に動いても状況が悪化するだけだろう。
ていうか先刻から鼻につくこの血の臭いのようなものは何ですか。
あの生物からのものだろうか。
何だか泣きたくなってきた。
このままアレが立ち去ってくれれば万事オッケィなのだが現実はそうも易しくない。
こんな形で世智辛い世の中を痛感したくなかった。
とまあ、こんな事ばかり考えていても埒が明かない。
よくよく辺りを見回してみると、森はそう遠くないところで途切れているようだった。
距離は目測で100メートルほど。
走れば物音で確実に気付かれるだろうが、あの見た目妖怪と僕は割と距離が開いている。
足に自信があるわけではないが行けない事も無い。
どうしよう。
暑い訳でもないのに頬を汗が伝う。
これが俗に言う冷や汗というやつかー、などと楽観的なことを考える余裕は最早無い。
ここで功を焦って失敗したら笑い話にもならない。
「何もやらないよりはマシか……」
近くにあった手頃な棒切れを拾う。
これを別の投げて音を立てればそれでいくらか錯乱できるだろう、と素人見積もりではあるが考えた。
「……ぃよし」
覚悟を決める。
こうなってしまった以上僕が考えられる策は他に無い、これが最善だ。
二、三度深呼吸を繰り返して、歯を食い縛り押し寄せる恐怖を捻じ伏せる。
ポケットの中の護符を握り締め心を落ち着け……
「――ふっ!」
決して大きな音は立てない様、最小限の動きで出来るだけ遠くに棒切れを投げる。
そして隙が出来た直後に、森と平地の境界まで全力で駆け抜ける。
駆け抜ける……はずだった。
「――――な、ぁっ?」
今自分はどんなに絶望に満ちた表情をしているのだろう。
それは全てが予想外、いや計算不足。
棒切れを投げるべく妖怪の方向を向いた僕が見たのは、
――目前で豪腕を正に振り上げんとする、その異形の姿。
気付かれていた、その事に気付かなかった。気付けなかった。
もう遅い。
全てを諦める暇さえ与えられないまま、目の前の絶望は腕を振り下ろしてきた。
だがここでおかしな事が起こる。
吹き飛んだのは僕ではなく、眼前の妖怪だった。
「……」
今度は声すら出ない。
二度も連続する予想外の事態に、僕はただ呆然とするしかなかった。
と、そこで第三者の声が掛かる。
「無事かしら」
はっ、と我に帰った僕が目に留めたのは――
――正に僕が探していた、博麗霊夢その人だった。
「霊夢……」
探していた人がやっと見つかっても素直に喜べない僕だった。
述懐させてもらうと、先ず彼女の見た目が酷く平素の彼女とかけ離れていたという事だ。
「何?」
そう事も無げに話す彼女の巫女装束には、至る所――とまではいかないが、概ねの場所に唐紅の色が染み付いていた。
霊夢のその風体は僕に充分すぎるほどの畏怖の念を抱かせた。
――と、またここで事態は急変する。
「が、があああああああッ!」
此の世のものとは思えない様な声――いや声と呼ぶのかどうかすら怪しい―が耳を劈く。
その音の発生源が、狂瀾怒濤の気合と共に霊夢に飛び掛った。
対する霊夢は妖怪を一瞥し、何やら針を構える。
「おおおおおおおおおっ!」
僕が危ない、という声を上げる間も無く、妖怪はその腕を霊夢に叩きつける。
轟音が発生し、巻き込まれた木は粉々に吹き飛んだ。
だが、妖怪が腕を上げても其処に霊夢はいない。
「あれ……?」
傍観者の僕でさえ分からなかった。
次の瞬間、霊夢は妖怪の後ろに現れ――
「――パスウェイジョンニードル」
言葉と共に無数の針を妖怪の背に縫いつけた。
「ーーーーーーーーッ!」
上がる血潮。
早や意味も持たない奇声を発しながら、妖怪は闇雲に腕を振り回す。
だがそんな攻撃が相手に届くわけも無く、霊夢は再び構え、宣言する。
「――収束、エクスターミネーション」
再度僕が妖怪の方に目を向けた時、そこには既に蛋白質の塊しかなかった。
「大丈夫?」
事の後、霊夢は僕に話しかけてくる。
「あ、うん……」
何とかそう返す僕は、恐怖からだろうか、自然と目を背ける。
あの瞳は……ダメだ、見ていられない。
何でも良いから感情があるのなら、まだその方が百倍マシだった。
それは、何も感情の色を灯していない眼。
目の前の光景に対して、先の妖怪に対して、そして……僕に対して。
瞬時、悪寒が背中へ齧りついた様な錯覚を覚える。
それと共に震え出す体躯に、霊夢は気付いていたのだろうか。
「それでいいの」
突如場が凍り付く様な、絶対零度の響きを持った声が発せられる。
「今回の一件であなたなら理解した筈」
何を、なんて野暮なことは聞かない。
「何があってこんな所に来たのかは知らないけど、二度目は無いと思いなさい」
軽い好奇心からこんな事態になってしまった自分の愚行を悔やむ。
命を落とす危険性は十二分にあったというのに……
「――帰るわよ。神社はすぐ其処だから」
対面して初めて分かった恐怖から、未だ僕は体を動かす事は出来なかった。
せめて何か言おうと霊夢の方に顔だけ向けた時。
「――――あれ」
この場に全く似つかわしくない、そんな声を上げてしまう様なものを、僕は見た。
それは何と形容したら良いのか分からない。
哀思、苦悶、果てには憂惧といった様な雑多な負の感情が入り混じった表情が、振り返り際の霊夢の顔に浮かんでいた
そして直後、僕の頭に一つの仮説が浮かぶ。
あくまで仮説だ。きっと間違っている可能性の方が高い。
だけど。だけど僕はそれを切り捨てられなかった。
信じていたかったというのもあるかもしれない。
でも、彼女は。霊夢はひょっとして――――
思考は一瞬。僕は即座に体に喝を入れる。
動け、動くんだ!
そして表情だ、作り笑いでもいい。
――なんとかして、彼女を安心させなくては。
「いやーぁ、驚いたなあ」
頭を掻きながら霊夢のほうに向き直る。
声はいつも通りに出す事が出来た。
ちゃんと笑えているかどうかが心配だ。
そしてゆっくり歩み寄る。
幸い、霊夢はまだ動き出していなかった。
「えっ……」
一瞬。ほんの一瞬だけ霊夢は酷く驚いたような表情を浮かべ、また元に戻す。
「や、それにしても助かったよ。ありがと」
危ないところだったからね、と付け加える。
霊夢はどこか落ち着かない様子で「どう、いたし、まして……」とだけ返した。
「それじゃあ帰ろうか」
何時の間にか僕の方が先導を握っていた。
霊夢は返事はせずに頷いて、腕で自分の体を抱きながら寒そうについて来た。
あれで大丈夫なのかと危惧していたが、やはり寒いものは寒いらしい。
と、そこで僕は思いついた。
「霊夢、これ」
はい、と自分の着ていたコートを差し出す。
「それじゃ見てるほうまで寒くなるからね」
僕の対応にちょっとだけ困惑した表情を浮かべた霊夢であった。
が、やがてコートを受け取り、少しだけ紅潮した顔をそそくさとコートに埋める。
「……ありがと」
「どういたしまして」
その後の感謝の言葉は聞き逃してしまいそうなほど小さいものであった。
しかし、それでも僕を喜ばせるには充分過ぎた。
二人で並んで神社までの道のりを歩く。
こうして肩を並べることは初めてではなかったが、その距離がいつもより近く感じられたのは僕の錯覚だろうか。
兎も角、これで推測は確証に一歩だけ近づいた。
霊夢は――本当は自分のことを怖がってほしくないんじゃないだろうか。
僕はそんな彼女に大いに興味を持った。
それは少なくとも趣味や仕事に対して向けるようなものではない。
折角なら、ありのままの霊夢でいて欲しいなぁ。
そんな事を考えながら、いつもとは少し違って感じる帰り道を二人して歩いていったのであった。
その後部屋に戻った僕が先の事を思い出し、震えていたなどという情けない話はここだけの秘密だ。
うpろだ82
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冬ですね。なんか外ではざっくりと雪が降ってます。寒いです。
俺が元居た場所も豪雪地帯だけど、この降り方は豪雪っていうレベルじゃねぇぞ!
幻想郷に来て、神社に居候させてもらって大分経つ。と言っても人間的に大分なだけかな。やっと一年くらい。
そんなこんなで霊夢にお世話になり、ここで暮らしている訳なのだが・・・。
こんな寒い時期だと言うのに、彼女はどうやら妖怪退治。寒さに強い妖怪が、冬に乗じて里に襲撃をかけたとか。
妖怪退治と防寒対策、両方しなくちゃならないのが博麗の巫女の辛い所だな。
と言ってもいつも露出気味の肩には防寒対策の欠片も施されていないようだが。アイデンティティだとか言ってたよ。
コタツに入ってぬくぬくしていると、唐突に縁側の襖が開き、ビュウと吹き込む風と共に霊夢が現われた。
うぅわあからさまに寒そう。顔なんか蒼白になっちゃってるよ。どっかで見たCMの犬みたいにプルプルしてるよ。
「・・・さ、寒い」
蚊の鳴くような声ってこう言う声なんだろうな、と思った。
「・・・結界張ってなかったのか?」
「けけけ結界あっても、寒、しゃ、寒いもんは寒いのよ・・・・・・」
大分呂律が回ってないんだぜ?
ふと思うといつの間にか霊夢は炬燵に潜り込んでいた。炬燵の天板に顎を乗っけて、水にふやけたスポンジみたいな顔している・・・。
「・・・あったきゃ~い・・・」
「あー・・・お疲れ様」
「うー」
何と言うか、膝の上で寝てる猫を連想させるような表情だ。ああ何て言うか撫でたい愛でたい。
「よし」
「?」
顔だけ傾けて疑問の表情を浮かべる霊夢の背後に座ると、俺は霊夢を後ろから抱きしめる。
「ちょっ、なにすっ・・・」
「うひゃー冷や冷や。どっかの氷精に負けず劣らずだな」
「・・・ぇぅあー。あたかい」
初めは驚いていたものの、霊夢はすぐさっきのふやけた顔に戻った。頭撫で撫で。
「・・・頭撫でんなぁ」
「いいじゃん、可愛いから撫でてるの」
「・・・うー」
小さく恥ずかしそうに唸る彼女の肩は声と一緒で小さくて、強く抱きしめたら壊れてしまいそうで、愛おしかった。
「・・・もうちょっと強く」
「え?」
「な、なんでもないっ」
きっと赤面しているのであろう霊夢に、俺はかすかに微笑んだ。
聴こえないふりをして、俺はほんの少しだけ、抱きしめる腕にかける力を強くしたのだった。
6スレ目>>363
────────────────────────────────────────────────
「あ、茶柱だ」
手にした湯呑みのお茶の中のそれに目を留め、思わずそう溢したって前もこんな事あった気がする。
とりあえず妙な既視感はさておき、ちょっと得した気分になった。
どことなく水が流れるように、漫ろに空を行く雲をぼんやりと眺める。
こうやって先の事を何も考えずに中空を見やっているのは嫌いじゃない。というより好きだ
そうしてお茶をもう一口。
うん、悪くない。
「隣、いいかしら」
「あ、うん」
何時の間にか僕と同じく湯呑みを手に所持する霊夢が現れ、隣に腰掛けた。
その時発したよいしょ、という声に年齢を絡めて突っ込みを入れようとしたが、その後の報復を考え自粛。
霊夢は僕に話し掛けるでもなく、ただ横でお茶を啜っていた。
「お茶が美味しいわね」
「そうだね」
何だか最近、こうやって霊夢が僕の傍に来る事が多い。
ただ単に考えすぎなのかもしれないが、きっと回数を数えてみれば増えているのだろう。
いや、でもきっと偶然だ。
霊夢がここに来るのは別に僕がいるからではないのだろうと思っていた。
今日は天気も良く冬といえども暖かで、どこか春の訪れを感じさせる。
縁側で茶を啜るには絶好の日和だったからそうなのだろうと思った。
……ホントだよ?
「もう春も近いねぇ」
「そうね」
どちらかが何か呟いて、もう片方が何となくそれに同意して。
正にまったりという言葉がぴったりの今日の僕らであった。
何時しか独白も賛同の声も途切れる。
だがこの沈黙を気まずいと思う事はなかった。きっと霊夢もそうだろう。
慣れた、というニュアンスよりも、必要がない、と言った方がしっくりくるだろうか。
そんな僕らの間には、しばらくお茶を嚥下する音だけが響いた。
「……あ」
ふと、流れる雲を呆けて眺めていた僕はある事に気が付く。
無意識の内に漏れた声は霊夢には聞こえていないようだった。
それはあまりに平和で忘れていた、しかし忘れてはいけない事。
全く、よくも今まで失念できたいたものだ。
自分の莫迦さ加減に思わず苦笑を浮かべる。
見ると、湯呑みの中のお茶はとっくに底を突いていた
「ねえ、霊夢」
「何かしら?」
少しだけ居直った口調で言葉を紡ぐ。
そんな僕の雰囲気を察したのか、霊夢も先までと比べ幾分か真面目な態度になる。
いずれは尋ねようと思っていた事だ。
それでも躊躇いを感じてしまうのは、きっと僕が此処を好きなのだからなのだろう。
「僕が元の世界に帰る方法って、あるのかな」
一瞬、霊夢の表情が堅いものになる。
その理由を推し量ることは出来たが、それは些か確信し難いものだったので早々に意識から追い出す。
だが一瞬の事だ。
いつも通りに見える表情がもう霊夢の顔にはあった。
「無いことはないけど……。ま、春になったら帰れるわよ」
その霊夢の言葉を聞いた時、僕の胸に訪れたこの感情は欣快か寂寥か。
自分でもよく理解できない気持ちが躰の内で渦巻く。
その後に訪れた不言不語の空気は、何だか居辛いものだった。
程なくしてじゃあ、とだけ言い残して霊夢は立ち上がりこの場を後にする。
縁側から去る霊夢は勿論後姿しか認められず、その表情は分からないままである。
理由は分からないのに、なんとなくその背中に罪悪感を感じた。
「春になったら、かぁ……」
そうして一人になった僕は思案に耽る。
ふと、ここに流れ着いてから今までの事を思い返したみた。
確かに此処での生活はあちら側では出来なかったものばかり、というか出来なかったものしかない位で新鮮で楽しかった。
魔法使いやらメイドやら吸血鬼やら人形遣いやら鬼やら、上げれば切りが無いほど個性的で魅力的で幻想的な連中ばかり。
それに何より、霊夢がいる。
こればっかりはあちらの世界ではどうしても代えようがない。
たった今気付いたが、あの不思議な巫女さんは僕の中で中々に大きな存在になっているらしい。
だけど。
「そんな事ばかりも言ってられないんだよなぁ……」
そう、此方ばかりに目を向けていてはいけない。
同様にあちら側にいる人達――家族、友人、その他大勢もまた、掛け替えの無いものなのだ。
それら全てを見捨ててまで、悲しませてまで僕はこちら側に留まる事など出来そうも無い。
僕は故意ではないといえ、何の前置きも無く彼らの前から消えてしまった。
きっと、いや必ず心配している筈だ。
少なくともそうさせてしまうほどにはあちらの人達を大切にし、大切にされていたという自覚はある。
「……どうしたらいいんだろうな」
中々難しい問題が僕の頭を擡げさせる。
もう余り時間も無いくせに、そう簡単には解決できない厄介な問題だった。
「…はぁ~」
解を導き出す事は出来ないものの、相も変わらず溜息だけはよく出る。
こちらとあちらの間でふらふらと揺れる天秤は、最後にはどちらに傾くのだろう。
懊悩としながら見上げた空は、僕の頭の中とは対照的に憎々しいほど晴れやかであった
日常というのは平穏なものだと考えられがちであるが、ドタバタと慌ただしい事でもそれが毎日毎日連続していれば、それも立派な日常と呼べる。
「よう」
だから彼女がこうして定期的にここに現れる事も日常と呼ぶべきなのだろう。
まあ受け入れ難い日常であるが。
日も沈みかけた逢魔ヶ刻。
空は宵に向けて、緋の色も黒橡に染まりつつあった。
いつも通り参道の掃除をしていた僕は、これまたいつも通りの挨拶をしてきた人物に答える。
「やあ魔理沙。どうしたんだい?」
一応形だけの問い掛けはしてみる。
だが魔理沙も自分がどんな目的でここに来ているか、僕が分かっている事など既にお見通しなのだろう。
彼女はこういうところで無駄に鋭い。
「そんな事言って、本当は分かってるんだろう?」
予想通り、質問を質問で返された。
うん、その通り。分かっているさ。
だけど分かっている事でも口に出したくない事ってあるじゃないか。
例えば、主に僕や霊夢が苦労する宴会の話だとか。
宴会では、盛り上がる連中は騒ぐだけ騒いで終わったらさっさと帰ってしまう。
まあそうでなくとも、皆勝手に帰ってしまうものだが。
だが博麗神社に居候の身の僕としては、文字通り目の前に拡がる光景というか惨状を無視できるほど義理人情が廃れてはいなかった。
というか、看過した場合の霊夢の対応が怖かった。
その為、片付けは主に僕と霊夢の二人で行う。
僕が来る前はこれを霊夢一人でやっていたんだし、と自分に言い聞かせてみるものの、やはり面倒は面倒だった。
避けられるなら回避したいものだ、と願いを口に出してみてもやはり気苦労は耐えない。
強くあれ、自分。
「……またかい?」
不快な表情と本日最大の溜息を隠匿しようともしない僕に対して、魔理沙はおう、と何故か胸を張って答える。
張っても大した事は無いなぁ、とは思っても口に出すほど僕は愚かではない。
そんな過ちは過去に一度で十分だ。あれは傷(と書いてトラウマと読む)になった。
「はあ……」
溜息を吐き出すのも何だか面倒になってきた。
特にアルコールを摂取したわけではないが頭が痛い。
半分の優しさはいらないから十分な効能がある薬が欲しい。
「そんなだと幸せが逃げるぞー」
「そんな簡単に逃げていくような幸福だったら、大した恩恵には与れないと思うんだけど」
「……ふむ、それも一理あるな」
万福は自分で掴み取るものであり、天禄などといった授かるようなものでは有り難味もあまり感じられない。
苦労して獲得したものほど得られるものも大きいのだ、というのが僕の見解である。
閑話休題。
「てなわけでよろしく」
何も理由が述べられていない上にあまりにも唐突なのだが。
まあ、これもいつもの事といえばいつもの事である。
彼女に僕の意見を通すというのは到底無理な事だからさっさと諦めるのが賢明だと判断する。
「……わかったよ。霊夢には言っておく」
きっと魔理沙の連れ合いになる人は苦労するんだろうなあ、とまだ現れないその人物に対して憐情を抱く。
僕のその返事を聞くと、魔理沙は満足そうに頷いた。
「じゃあ、夜になったらまた来る」
その言葉を最後に、魔理沙はつい先ほど来た道を引き返していった。
まさかこの事を伝えるためだけにわざわざここに来たのだろうか。
暇なんだか律儀なんだか、普通だと主張する本人には悪いが変わった人物だなあと思う。
「さて、と」
掃除は早めに切り上げて神社に戻る。
宴会の話は霊夢にも伝えなければいけない。
事の顛末を話し終えた後の霊夢の不機嫌そうな表情が、今からでもありありと想像出来た。
まあ、多少の愚痴は聞いてあげるとしよう。
重くなる気を紛らわすかのように、なるべく軽快な足取りで神社へと戻った僕であった。
――そして迎えた夜。
或る所では意気揚々、また或る所では死屍累々。
鬼っ子と天狗が飲み比べをしながら得体の知れない笑い声を上げて酔い潰れていたり、
白玉楼の主が他人の料理にまで手を出そうとするのをその従者は敢えて見て見ぬ振りをしていたりといつも通りの宴会の風景が広がっていた。
僕にとっての平常もずいぶんと歪んでしまったものだ。
「……っぷはぁ」
ドンチャン騒ぎをしている連中から離れ、憂さ晴らしに、と一杯呷る。
もうこうなってしまった以上仕方が無いと、毎度の経験から学習している。
ならば先の事は暫し忘れて、今を楽しむのが得策であろう。
未来ばかりを気にしすぎて今を疎かにするのはきっと馬鹿な事だ。
――それが何に対して向けられた言葉であるかは深く考えないようにした。
「随分と飲んでるのね」
突然、というほど驚いたわけでもないが、それぐらいのタイミングで霊夢が現れた。
「そうでもしないとやってられないというか……」
まごうことなきヤケ酒である。そして僕は未成年。
こんなんでいいのか。
でもまあ周りの環境がそんなんだしいいか、と切り捨てる。
霊夢は昨今と同様、僕の隣に腰掛けた。
だがそれだけでそれ以上は何もしない。
何かを言いそうで、だけど言い出せずにモジモジしている様だった。
霊夢から何か話がある様子はあるので、僕はそのまま待っている事にする。
「○○は……」
しばらくして霊夢が口を開ける。
うん、という相槌は自然と漏れた。
「春に、なったら、その……」
紡ぐ言葉は小さすぎて、最後の方は良く聞こえなかった
しかし続く言葉が何であるかは言わずとも分かる。
だから霊夢が言い難いのであろうその言葉は、僕の声で遮った。
「まだ迷ってる、っていうのが正直な気持ちかな」
こちらに在るものとあちらに在るもの。
そのどちらも大切で、どちらも何ものにも代えられない。
それは優柔不断という一言では片付けられないほど難しい。
「……そう」
そう呟いた霊夢は、僕の返答に何を思ったのだろう。
残念ながら僕がそれを知る事は出来ない。
そして再び訪れた沈黙。
だがそれは割と早くに打ち切られた。
「おぉーーーーい、れいむーーーー!!」
この声はきっと魔理沙のそれだろう。
遠くからなのにこの声量。
彼女なら良い歌手になれるとその時僕は確信した。パートはソプラノだ。
「呼んでるみたいだし、行くわ」
霊夢は苦笑して立ち上がる。
その顔についさっきまでのどこか暗い表情はもう見られなかった。
この場から去る霊夢の後姿をぼんやりと眺める。
と、視界が歪み、それと共に来る頭部への痛み。
「ぬぅ……飲みすぎたかな?」
頭を押さえながら体を起こす。
足は中々に安定していない。これは完璧に酔っている。
「ちょっと、冷ましてくるかな……」
きっとその必要があるだろう。
我慢しても良い事は無いし、これ以上悪化したら拙い。
揺らぐ三半規管に力を入れて歩を進める。
俗に言う千鳥足にも近い足並みで、僕は宴会の喧騒から離れていった。
「はぁー……」
吐き出した息は周囲の大気との温度差により凝結し、僕の目に白く映りそして消える。
火照った体にはこのぐらいの温度が心地良い。
酩酊状態にあった頭も、漸く普段通りものが考えられるほどに回復してきた。
「さて」
心機一転、とまではいかないが、再び僕を悩ませる問いに対峙する。
いつまでも逃げているわけにはいかない。
少ない脳を最大限に活用して答えを弾き出さんとする。
うんうんと唸りながら歩いていると、ふと妙な気配を感じた。
「……ん?」
足を止める。
あくまで気配なので確実ではないが、ここは少し神社から離れている。
油断は出来ないだろう。
――神社から離れている?
「……しまった」
自分で言った事を振り返り、周りを改める。
物を考えながら歩いていた為か結構な距離を進んでいた。
神社は目視できる位置にあるが決して近いともいえない。
相変わらず注意力が足りていない自分を咎め、足早に神社の方向に戻ろうとする。
が。
がさがさがさがさがさがさがさ――――
「!」
疑心は確信に変わる。
明らかに耳に届いた物音。最早疑いようは無い、近くに何かいる。
上着のポケットから護符を取り出したその瞬間。
――――それは暗闇から躍り出た。
「ガアアアアアアア!」
「……っく!」
驚いている暇は無い、即座に護符を突き出す。
『――――森羅結界』
「ギャン!?」
広がる障壁、起こる衝撃。
僕に噛み付かんと飛び掛ってきた妖怪が派手に吹き飛ぶ。
護符は与えられた責務を終え、音も無く散ってしまった。
初めて行使するその力に暫し呆けていた僕だが、こんな状況では一瞬の迷いが死に繋がる。
気を引き締め、残り少ない護符を再び構える。
以前、妖怪とは人間の恐怖心が生み出した幻想で、妖怪を見つめ直すことで人間が何を恐れているのか浮かび上がってくる、と講釈を受けたことがある。
なるほど確かにその通りだが、不幸な事に此処では幻想ではなく実体として現れていた。
「くそ……」
思わず悪態をつく。
見れば狼に似た姿をしたその妖怪はもう既に起き上がり、跳躍の為に姿勢を低く落としていた。
じり、と僕が後退りするのに従い、妖怪も一歩前に出る。
一触即発、という言葉が今の状況をそのままに表していた。
息を呑む。
似たような経験は一度した事があったので以前より落ち着いてはいたが、如何せん状況が状況だ。
心臓は目の前の相手に聞こえるのではないかというほどに高鳴っていた。
何とか均衡を保ったまま、一歩一歩亀の様に後ろへと歩を進める。
振り返ることはしない。目を離した隙に飛び掛ってくるかも分からないからだ。
とはいえ妖怪も学習はしているようで、無闇に飛び掛ってくる様子は無い。
このままいけるか?と希望を持ち始めた頃、僕はある事に気付く。
妖怪が、不気味なその口を大きく歪ませた。
そこから連想できたのは、笑み。
何故、と僕が疑念を抱くより早く、それは訪れた。
「っぐぁ!?」
突如として左足に走る鋭い痛み。
そして崩れる体を僕は制御できなかった。
「う……っあぐ」
うつ伏せに地面に倒れ伏す。
咄嗟の出来事であったため、顔面を打ち付けてしまった。
一時痛みに悶えていたが、後方から聞こえる荒い息遣いに自我を取り戻す。
何事か、と後ろに向けた僕の目には、もう一匹の妖怪が映っていた。
「まさか……仲間…が……」
足から流れ出る血が僕に生命の危険を告げるが、それと共に遠のく意識を繋ぎ止めるので精一杯だった。
ただ、じゃり、と妖怪が近づいてくる足音だけが嫌にはっきりと聞こえる。
死が一歩、また一歩と、僕を焦らせる様に確実ににじり寄って来た。
その表情は先ほどと同じく、大きく歪んでいることだろう。
「……っく……うぅう!」
起ち上がって逃げ出したいが、激しい痛みに遮られてとてもじゃないが敵わない。
生を引き伸ばそうと諸手で地を掴み、這いずる様に前へ進むが成果は乏しかった。
結局得られたものは、焦燥の代わりの絶望のみ。
「畜生……」
手の先、脚の先と体の端から順に感覚が薄れていく。
もう顔に張り付く地面の冷たささえ感じられないのに、妖怪がすぐ傍にいるという事は感じられた。
世界がこんなに暗いのは、きっと夜である所為だけではないのだろう。
途切れかける意識の中、何時の間にか愛しいと感じていた彼女を思い浮かべる。
(…………れ…い……………む…)
僕は、こんなところで終わってしまうのか。
強い無念と後悔の念を感じながら、僕の意識は闇に堕ちていった。
「ぅ……」
五感が芽生える。
目が光を捉え、耳が音を吸い込む。
そして肌に感じる程よい圧迫感から推測すると、どうやら僕は布団を被って寝ている体勢にあるようだ。
まず目が覚めた僕が視認したのは、仄かに薄暗い見慣れた天井。
そこからここがいつも僕が寝泊りしている神社の寝室だと理解するのにはそう時間を要さなかった。
不意に視界の端に人影らしい物を見つける。
とりあえずその誰かを何者であるか確認するため、横たわっている体を起こそうと試みた。
が。
「……っつぅ」
左足に走る痛みに顔を顰める。
忘れていた、というには大層すぎるほどの激痛だった。
どうやら僕は自分で思っている以上に鈍感なようだ。
なるべく足に負担を掛けない様、主に手を使って上半身だけ起こす。
そして僕が目に留めた人物は布団に体を預けどうやら眠っているようだった。
「……霊夢」
顔は突っ伏しているので分からないが、この独特な衣装からして十中八九間違い無い。
まあ独特といえば、幻想郷の住人すべてに当て嵌まる事でもあるが。
彼女に看病疲れをさせてしまったのだと思うと心が痛む。
――――看病?
「あ」
そして自分の身に起こった事を今更ながら理解した。
脚に突き刺さる痛み、近寄る死の恐怖、そして途切れた意識…………。
もう助からないだろうと踏んでいたが、今もこうして生き永らえているという事は霊夢が助けてくれたのだろうか。
暫し思考していると、僕が動いたからか霊夢が眠たそうに面を上げる。
「……んぅ……」
目が合う。
霊夢の目線の先には当然ながら僕がいて、僕の姿を確認すると霊夢は大きく目を見開いた。
寸時見詰め合う二人。
そして訪れる沈黙。
双方ともに何も言わない。というか言えない。
時計の針を刻む音だけがやけに五月蝿く感じられた。
「――えーっと、おはよう、でいいのかな……?」
とりあえず、笑いかけてみる。
何とか言わなくてはという出所の分からない使命感に駆られ僕が発した言葉は、何だかとっても微妙なものになってしまった。
つくづく自分の即興性の無さには呆れ返るばかりである。
そういえば、部屋の明るさから察するに今は夜のようだ。
僕は随分と切羽詰っていたらしい。
だがその的外れな挨拶を受けても尚霊夢は止まったままで、どうしたのだろうと僕が心配した時。
ぼふっ
「……おっ?」
次の瞬間、僕の視界には再び先ほどの見慣れた天井が。
突然の出来事ではあったが、僕の胸に感じる圧力から何が起こったのか理解するのはそう難しい事ではなかった。
というか動けないんですがこの体勢。
と、不意に僕の耳に届けられる僅かな音。
「……霊夢、泣いてる?」
「ふ………ぅっ……ぁ…………」
返事の変わりに漏らされた嗚咽は、何よりも端的にその事実を僕に伝えていた。
しかしこれは困った。
この状態では起き上がろうにも起き上がれない。そうさせてくれない。
とりあえず理由を問わねば始まらないだろうと僕が思っていた丁度その時、それは微かに聞こえた
「ぉぃ………な……で」
それはとてもとても小さな声だった。
注意して聞かなければ聞き落としてしまう、しかし彼女の本心だった。
「おぃ……かなぃ……」
必死に、一途に。
唯その思いを伝えようと、彼女は僕に縋り付く
「おいて、いかないで……!」
そう、彼女の本心。
初めて一人でいる事に孤独を覚えた彼女の、
「私を、独りにしないでよぉっ!」
心からの、叫びだった。
「霊夢……」
真情を吐露し終えると、彼女はまた僕の胸に顔を埋めて肩を震わし始めてしまった。
全く、女の子を泣かせてしまうとは。
つくづく、僕は救いようの無い莫迦である。
「とりあえず、僕を起こさせてくれないかな?」
このままじゃ話も出来ないよ、と苦笑しながら子供をあやす様に背中をぽんぽんと叩く。
数刻そのままでいた霊夢だが、落ち着いたのか漸く面を上げてくれた。
その時に認めた彼女の顔の涙の後が僕の心を締め付けたが、これも僕の所為で流させてしまった涙だ。
目を背ける事は許されない。
「ねえ霊夢」
問い掛けるも返事は無い。
ただ伏せていた顔を少しだけ上げてくれた。
いつもは綺麗なその顔も涙で濡れてしまっている。
霊夢の姿は普段の彼女からは想像出来ないほど弱々しく、雨に打たれて震える子犬、乃至親と逸れた幼子の様だった。
だがそれも仕方が無い。
そうさせてしまったのは僕自信なのだ。
彼女はとても強かった、きっとこんな拙い言葉では言い表せないほど、とても。
でも、僕が現れてしまった。
以前僕が霊夢に助けられた時の彼女の反応から考えて、僕はきっと異常だったのだろう。
そんな僕との出会いが彼女から弱さを引き出してしまったのだ。
博麗として、その身が果てるまで独りで生きていこうと心に決めていた彼女に、人と触れ合う事の温かさを与えてしまった。否、思い出させてしまったというべきか。
僕が彼女の、その尊い決意を蔑ろにしてしまった。
――――けど。
だけど、僕はこの選択が間違っているとは思いたくなかった。
これからの道のりをたった独りで、誰の温もりも受けずに生きていくのはとても辛い事だ。
そんな冷たい人生は見ているこちらまで悲しくなってしまう。
ならば気が付かなければ良かったのかもしれない。
彼女の悲壮な決意も、知る事が無ければ何事も無くそのまま維持されていたのだろう。
――だけど、もう遅い。
僕は気付いてしまった。霊夢の悲しい決意に。
確かに僕は莫迦だが、目の前で苦しい思いをしている女の子を放っておけるほど愚かではない自覚はある。
「ねえ、霊夢」
労わりと優しさと、そして愛しさを込めてもう一度。
霊夢はか細い声でだが、うん、と返してくれた。
僕が彼女を弱くしてしまった。
そんな責任からではなく、何よりも自分の意思で僕は霊夢と共に在りたい。
その事を今、再認識した。
幸い霊夢もそう思ってくれている。
ならば――――
「僕、春になったら元の世界に戻ろうと思うんだ」
僕の決意を余す所無く伝えよう。
霊夢の悲しみに濡れた顔が更に強張った。肩だけでない、全身が小刻みに震えている。
恐らく彼女の予想、というか期待していた言葉とは違ったのだろう。
辛うじてどうして、とだけ彼女の口から零れた。
だけど霊夢の予想とは裏腹に、僕の胸の内は彼女とは正反対だった。
とりあえず彼女の痛々しい姿はいつまでも見ていたくは無いので、僕も速やかに次の言葉を発する。
「――――そりゃ僕の親とかにお別れをしてこないといけないし、ね」
伸びる土筆、囀る鶯、麗らかな日和、舞い散る桜。
――――――総じて、春。
春を告げる妖精が空を飛び回るのも、もう珍しくはなくなった。
ぽかぽかと暖かな日差しが気持ちいい。
春眠暁を覚えず、とはよく言ったもので、こうしてまどろんでいると夢の世界へ直行してしまいそうになる。
そうになる、というか…………これは本当に…直行…………
………あー………眠…………
「こら」
何物かの声が聞こえると同時に頭に走る衝撃。
それは眠りの淵に陥っていた僕を覚醒させるのに十分な威力だった。
ぉおおお、頭が揺れるうううぅ。
「あ痛たたたた……。霊夢?」
振り返った僕の目に映っていたのは、微笑ましさ一割、呆れ九割といった表情を浮かべて玉串を携えている霊夢だった。
恐らくはその玉串で僕を夢の世界からサルベージしたのだろう。
もうちょっと愛情の篭もった起こし方が良かったものだが。
「全く……。ほら、そろそろ時間よ?」
「………時間?」
眠気に加えて先ほどの打撃もあったため、記憶をうまく呼び覚ませない。
――――今日は何かあったっけな?
いかん、全く心当たりが……あ。
「……あ」
思ったままを口に出してしまった。
一方で霊夢はやれやれといった感じの呆れ顔。
そうだった。今日は僕があちらの世界に行く日だ。
やっと思い出した僕は、未だ気だるい感じの残る体をよっこいしょ、と起き上がらせる。
その時霊夢に年寄り臭いわよ、突っ込まれた。
くそぅ、この前僕は我慢したってのに。
細かい事はさておき、特に準備するものも無い為そのまま境内に向かう。
果たしてそこには人影が。
この際、人じゃないじゃんという突っ込みは胸の内に留めておく。
「あら、漸く来たわね」
そこに立っていたのはスキマ妖怪の八雲紫さん。
文字通り妖しくて怪しい、そんな雰囲気の漂う女性である。
霊夢曰く、冬の間は冬眠していて最近になってやっと日の当たる世界に戻ってきたらしい。
……熊?
「すいません、お待たせしました」
「それじゃ早速開くけど……随分と身軽なのね?」
紫さんが僕を眺めて言う。
確かに今の僕が身に付けているのはいつもの服と小さな鞄ぐらいのものだ。
その理由は、ここに来る時に僕が持っていたものが少なかったという事もある。
だが、何より――――
「ええ。僕の家は此処ですから」
決意に満ちた表情で告げたという自信があった。
「ふふ、そんな事言われるなんて霊夢も幸せ者ね」
紫さんが扇で口元を隠しながら霊夢を横目でちらりと見る。
対する霊夢はジト目で紫さんを見据えていた。
だがそんなにも頬を紅くしているようでは迫力も何も無い。
そこから感じられるのは可愛さだけだった。
「○○、にやけてるわよ」
何時の間にか霊夢がこちらを向いていた。
おっと、知らぬ間に霊夢の顔を魅入ってしまっていたらしい。
しかしこのまま霊夢にイニチアシブを取られては不味いので、即座に僕も切り返す。
「しょうがないよ、可愛いんだから」
う、と小さく漏らし更に顔を朱に染める霊夢。
思わず顔を伏せてしまうその仕草も余計に可愛い。
こうした珍しい表情が見られるのはいいが、からかうのもこれぐらいにしておこう。
見れば紫さんも待ちかねているようだ。
「じゃ、霊夢」
「ん」
霊夢が伏せていた顔を上げ、応える。
それを確認した僕は紫さんの方へ歩いていった。
「お願いします」
「はいはい。じゃあ、いくわよ」
何も無い空間を、紫さんの扇が撫でる。
するとその軌跡から裂け目が生まれてみるみる拡がっていき、ぽっかりと穴が生まれた。
その向こうに見えるのは、懐かしさを感じる元の世界。
これから僕は元々の世界に行って、そこの人たちに別れを告げてくる。
期間は一ヶ月間。
その時間が終わるとまた紫さんがこちら側に戻してくれる事になっている。
一緒に生きていくと決めた。
お互いがお互いを必要としているならこの方法が一番手っ取り早い。
すなわち、ここで霊夢と一緒に年月を経る事。
それが僕にとっても霊夢にとっても最善の策だと思えた。
こちらとあちらの境界へ、一歩踏み出す。
ここを越えれば世界は変わる。
案外あっけないもんだなあ、なんて思ったりした。
――と、忘れるところだった。
「霊夢」
後ろを振り返り呼びかける。
霊夢はそれに応えて顔を上げた。
もうここが僕の家。
変えるべき場所はこちらの世界にある。
ならばこう言うのが最も相応しいのだろう。
「行ってきます」
ここで僕の帰りを待つ彼女の為に。
何時か帰ってきたその時に言いたい、その言葉は胸に秘めて。
僕は笑顔で一言告げた。
「行ってらっしゃい」
だから彼女も笑顔で告げる。
何時か僕が帰ってきたその時には、きっと言いたい言葉があるのだから。
だけど今はやっぱりその言葉は胸に秘めて。
少しでも会えなくなるのは寂しいけれど。
その分再開は嬉しくなるから。
その日を迎える待ち遠しさを、今は心の糧にして。
――――僕は世界を飛び越えた。
大丈夫。君にまた会える少し先の未来までは、独りで歩いていけるから。
だからその時は、こう言い合いたい。
平凡だけど、心から望んだそんなやりとりを。
「ただいま、霊夢」
「お帰り、○○」
6スレ目>>430
────────────────────────────────────────────────
ひらひらと空から舞い降りてくる氷の結晶を目に留め、思わずそう溢した。
そして今日はそれほどに気温が低いのだという事を今更ながら気付き、少し身震いをした。
寒い。
「う~、早く終わらせるかな」
雪を見るのは好きだが長時間こんな冷え切った屋外にいるなどという風変わりな趣味は無い。
今の自分に与えられた責務をさっさと終えるべく、僕は暫し止めていた手を再び動かし始めた。
参道に積もった雪を雪掻きで退かす。
また雪が降ってきたからもう一度雪掻きしなきゃいけないよなぁ、と多少欝な気分になるが仕方ない。
粗方雪を除けた事を確認し、足早に神社に戻る。
「うぬぅ、手が、足がぁ……」
すっかり冷え切った体を暖めるべく炬燵のある居間へと向かう。
と、そこには先客がいた。
「あら、もう終わったのかしら」
炬燵の住人は天板に頭を乗せたまま首だけをこちらに向けて話しかけてくる。
傍から見たらだらしないと思われる事だろうが、今ではもう慣れてしまった。
慣れって怖いなぁ、と何となく感慨に耽ってみようとしてやめる。年寄り臭いし。
「大体はね。あぁ、寒い寒い」
返事だけ返しそそくさと炬燵の中に滑り込む。
悴んだ手に熱がじわりと染み込んできた。
「そういえば、また雪が降ってきたよ。早く春にならないかなぁ」
少しでも熱を得ようと手を摩りながら、向かいに座る人物に話しかける。
視線をこちらに向け、あら、そうとだけ返しまた元の位置に戻す。
この一見冷たそうに見える反応も幾度と無く経験してきたものだ。
きっと彼女は誰に対してもこういう風なのだろう。
何度か霊夢が他人と交流するのを見ていてとなんとなく思った。
特に成すべき事も無く、いい歳した二人が炬燵でだれる。
僕たちは基本的にこうして過ごす事が多かった。
無駄に動いて貴重なエネルギーを消費するのももったいない、というのが霊夢の言い分だ。
まぁ、最もではあるが。
「っと、もうこんな時間か」
思い出したように立ち上がる。
そろそろ昼食の時間だから準備をしなくては。
ここの神社は食料が少ないから遣り繰りして献立を考えなければいけない。
「そういえばまだ卵と鶏肉が余ってたから親子丼にしてもいいかなぁ……」
などと主夫じみたことを考えながら台所に向かう、そんないつも通りのお昼前だった。
「あ、そういえば」
僕の作ったホウレン草のお浸しを摘みながら霊夢が思い出したかのように言った。
「何だい?」
「これから霖之助さんの所に荷物を取りに行きたいんだけどね」
「うん」
「昼から"お仕事"があって行けないの」
その聞きなれたようでどこか特別な響きを持つ言葉を、僕は今までに何度か聞いた事がある。
とりあえず霊夢が言わんとすることは分かった。
「ん、じゃあ霖之助さんの所には僕が行っておくよ」
「察しがいいわね」
まあね、とだけ軽く返す。
さて、そうと決まったらなるべく早く昼食を終えなければ。
こういう時は早く行って早く帰ってくる事が望ましい。
夜になってしまったらたまったもんじゃない。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様」
食事を終え食器を洗い終わり、早速外出の準備をする。
今日は寒い。
しっかり厚着をしていかなければ。
「はい、これ」
準備を終えた僕は、霊夢に数枚の護符を渡された。
僕独りで出掛けるのだ。用心するに越したことは無い。
今までこれのお世話になった事は無いが、お世話になる事は無いままであって欲しいものだ。
「ん、ありがと」
「夜になる前には帰ってきなさいよ」
「善処するよ。霊夢も気を付けて」
そして寒そうな格好のまま飛び立つ霊夢を見送る。
気になったので指摘した事はあるが、何故か頑なしてあの服を着ている。
呪いの装備の一種だろうか、などとくだらない事を考えながら僕も歩き始めた。
「こんにちはー」
「いらっしゃい。――あぁ、君か」
そこの店主はカウンター越しの椅子に座りながら本を読んでいた。
僕の方へ挨拶だけするとまた本へ目を落とす。
僕はというと、霊夢から受け取ったメモを見ながら目的の品を探し始めた。
「えーっと、茶葉とお椀と……」
広いとは言いにくい、どちらかといえば狭い店内を物色して回る。
時折僕が興味のあるような品も見つかるが、大抵は電気や動力を必要とするもので此処では活用し難かった。
「ま、不便だと感じたことは無いしいいんだけど」
誰に言うわけでもなく一人零す。
さて探していた物も大方見つかり、それらを鞄にしまい込んだら今度は霖之助さんの元に行く。
「はい、これどうぞ」
「ん、いつもすまないね」
「いえいえ、こちらのほうが気が引けちゃうぐらいですから」
そういって僕が手渡したのは南瓜の煮物や大根の漬物といった料理だった。
霊夢や魔理沙はここの品物を有無を言わさず頂いていくが、僕にはどうも堪え難い。
等価交換とまでは行かないけど少しでも埋め合わせをしようという、まあ僕の良心の表れだ。
「君の作るものはとても僕の口に合う。感謝しているよ」
「光栄ですね」
お金を払ってもいいのだが、此処では商業が発達しているワケでもないっぽいので貨幣の価値はあまり無いのだろうと思ったのだ。
この行動はあくまで自分を納得させるためであり、偽善と言っても差し支えない。
しかしその行いに相手の喜びも伴ってくるなら話は別だ。
幸い霖之助さんも嫌がっている様子は無いのでこうして続けているわけである。
「じゃ、暗くなる前に帰ります」
「そうした方がいい。今後とも御贔屓に」
そうした彼の言葉に少し違和感も感じるが、彼はあくまでやりたいからやっているだけであってそこは僕が口出しするところではない。
会釈だけして香霖堂を出る。
ふと見上げた空にはもう既に猩々緋の色が掛かっていた。
「のんびりはしていられないな」
僕は一言呟くと神社への道を歩き始めた。
「んぅ?」
しまった、誰もいないからといって変な声を上げてしまった。
まあ誰もいないんだからいいかと自己完結し、再び先ほど目に留めたものを見上げる。
見上げるという言葉から分かるようにそれは僕の遥か上空を飛んでいた。
「あれ……霊夢、だよなぁ」
遠目だから自信無さげな言葉になるが、あの紅と白を基調にした服をそう間違えることも無いだろう。
その空飛ぶ不思議な巫女さん(らしき人物)はゆっくりと降下して行き、割と僕から離れていない所に着陸したようだった。
「ふむ……」
どうしようか、と考えてみる。
何をしているのか知りたいという探究心はある。いや、好奇心と言った方が適切か。
だがここは少し道を外れると森と呼んだ方が相応しい程の木が生い茂っていて、確かに危険ではある。
少しの間思索に耽る――振りをする。
一人なのにそんな事しても空しいだけだという事は敢えて考えない。
僕の心は初めから決まっていたようなものだ。
僕は平生から何か気になった事には飛びつかずにいられないタチだった。
こういった時に疑念や警戒が生まれる前に何かしら期待を抱いてしまうのは不注意だと思うが仕方が無いと諦める。
さて思い立ったが吉日、善は急げという言葉もあることだし、さっさと霊夢らしき人物のところへ向かうとする。
そうして僕は何の不安も抱かないまま意気揚々と鬱蒼とした森の中へ進んでいった。
後悔というのは呼んで字の如く、後から悔やむという事だ。
確かに後悔は事後しか出来ないことであり、また後悔先に立たずという教訓の様に役に立たないものである。
だったら後悔なんてしなければいいじゃないかと昔考えた事もあったなあと何となくこの現実からいい感じに逃避したい気分になっていた僕だが
やっぱり現実は現実として受け止めなければ。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだって結局のところ何が言いたいかというと。
僕様大ピンチ。
霊夢を探していたつもりが何時の間にか妖怪らしき生物と鉢合わせ。
ていうか、妖怪と遭遇するのは初体験だ。
あちら側はまだ僕に気付いた様子は無い様で、だけど何かには感づいた様で辺りをキョロキョロ見回している。美味くない状況だ。
咄嗟に木の陰に隠れた僕だが、さあこれからが問題だ。
どうしよう。
迂闊に動いても状況が悪化するだけだろう。
ていうか先刻から鼻につくこの血の臭いのようなものは何ですか。
あの生物からのものだろうか。
何だか泣きたくなってきた。
このままアレが立ち去ってくれれば万事オッケィなのだが現実はそうも易しくない。
こんな形で世智辛い世の中を痛感したくなかった。
とまあ、こんな事ばかり考えていても埒が明かない。
よくよく辺りを見回してみると、森はそう遠くないところで途切れているようだった。
距離は目測で100メートルほど。
走れば物音で確実に気付かれるだろうが、あの見た目妖怪と僕は割と距離が開いている。
足に自信があるわけではないが行けない事も無い。
どうしよう。
暑い訳でもないのに頬を汗が伝う。
これが俗に言う冷や汗というやつかー、などと楽観的なことを考える余裕は最早無い。
ここで功を焦って失敗したら笑い話にもならない。
「何もやらないよりはマシか……」
近くにあった手頃な棒切れを拾う。
これを別の投げて音を立てればそれでいくらか錯乱できるだろう、と素人見積もりではあるが考えた。
「……ぃよし」
覚悟を決める。
こうなってしまった以上僕が考えられる策は他に無い、これが最善だ。
二、三度深呼吸を繰り返して、歯を食い縛り押し寄せる恐怖を捻じ伏せる。
ポケットの中の護符を握り締め心を落ち着け……
「――ふっ!」
決して大きな音は立てない様、最小限の動きで出来るだけ遠くに棒切れを投げる。
そして隙が出来た直後に、森と平地の境界まで全力で駆け抜ける。
駆け抜ける……はずだった。
「――――な、ぁっ?」
今自分はどんなに絶望に満ちた表情をしているのだろう。
それは全てが予想外、いや計算不足。
棒切れを投げるべく妖怪の方向を向いた僕が見たのは、
――目前で豪腕を正に振り上げんとする、その異形の姿。
気付かれていた、その事に気付かなかった。気付けなかった。
もう遅い。
全てを諦める暇さえ与えられないまま、目の前の絶望は腕を振り下ろしてきた。
だがここでおかしな事が起こる。
吹き飛んだのは僕ではなく、眼前の妖怪だった。
「……」
今度は声すら出ない。
二度も連続する予想外の事態に、僕はただ呆然とするしかなかった。
と、そこで第三者の声が掛かる。
「無事かしら」
はっ、と我に帰った僕が目に留めたのは――
――正に僕が探していた、博麗霊夢その人だった。
「霊夢……」
探していた人がやっと見つかっても素直に喜べない僕だった。
述懐させてもらうと、先ず彼女の見た目が酷く平素の彼女とかけ離れていたという事だ。
「何?」
そう事も無げに話す彼女の巫女装束には、至る所――とまではいかないが、概ねの場所に唐紅の色が染み付いていた。
霊夢のその風体は僕に充分すぎるほどの畏怖の念を抱かせた。
――と、またここで事態は急変する。
「が、があああああああッ!」
此の世のものとは思えない様な声――いや声と呼ぶのかどうかすら怪しい―が耳を劈く。
その音の発生源が、狂瀾怒濤の気合と共に霊夢に飛び掛った。
対する霊夢は妖怪を一瞥し、何やら針を構える。
「おおおおおおおおおっ!」
僕が危ない、という声を上げる間も無く、妖怪はその腕を霊夢に叩きつける。
轟音が発生し、巻き込まれた木は粉々に吹き飛んだ。
だが、妖怪が腕を上げても其処に霊夢はいない。
「あれ……?」
傍観者の僕でさえ分からなかった。
次の瞬間、霊夢は妖怪の後ろに現れ――
「――パスウェイジョンニードル」
言葉と共に無数の針を妖怪の背に縫いつけた。
「ーーーーーーーーッ!」
上がる血潮。
早や意味も持たない奇声を発しながら、妖怪は闇雲に腕を振り回す。
だがそんな攻撃が相手に届くわけも無く、霊夢は再び構え、宣言する。
「――収束、エクスターミネーション」
再度僕が妖怪の方に目を向けた時、そこには既に蛋白質の塊しかなかった。
「大丈夫?」
事の後、霊夢は僕に話しかけてくる。
「あ、うん……」
何とかそう返す僕は、恐怖からだろうか、自然と目を背ける。
あの瞳は……ダメだ、見ていられない。
何でも良いから感情があるのなら、まだその方が百倍マシだった。
それは、何も感情の色を灯していない眼。
目の前の光景に対して、先の妖怪に対して、そして……僕に対して。
瞬時、悪寒が背中へ齧りついた様な錯覚を覚える。
それと共に震え出す体躯に、霊夢は気付いていたのだろうか。
「それでいいの」
突如場が凍り付く様な、絶対零度の響きを持った声が発せられる。
「今回の一件であなたなら理解した筈」
何を、なんて野暮なことは聞かない。
「何があってこんな所に来たのかは知らないけど、二度目は無いと思いなさい」
軽い好奇心からこんな事態になってしまった自分の愚行を悔やむ。
命を落とす危険性は十二分にあったというのに……
「――帰るわよ。神社はすぐ其処だから」
対面して初めて分かった恐怖から、未だ僕は体を動かす事は出来なかった。
せめて何か言おうと霊夢の方に顔だけ向けた時。
「――――あれ」
この場に全く似つかわしくない、そんな声を上げてしまう様なものを、僕は見た。
それは何と形容したら良いのか分からない。
哀思、苦悶、果てには憂惧といった様な雑多な負の感情が入り混じった表情が、振り返り際の霊夢の顔に浮かんでいた
そして直後、僕の頭に一つの仮説が浮かぶ。
あくまで仮説だ。きっと間違っている可能性の方が高い。
だけど。だけど僕はそれを切り捨てられなかった。
信じていたかったというのもあるかもしれない。
でも、彼女は。霊夢はひょっとして――――
思考は一瞬。僕は即座に体に喝を入れる。
動け、動くんだ!
そして表情だ、作り笑いでもいい。
――なんとかして、彼女を安心させなくては。
「いやーぁ、驚いたなあ」
頭を掻きながら霊夢のほうに向き直る。
声はいつも通りに出す事が出来た。
ちゃんと笑えているかどうかが心配だ。
そしてゆっくり歩み寄る。
幸い、霊夢はまだ動き出していなかった。
「えっ……」
一瞬。ほんの一瞬だけ霊夢は酷く驚いたような表情を浮かべ、また元に戻す。
「や、それにしても助かったよ。ありがと」
危ないところだったからね、と付け加える。
霊夢はどこか落ち着かない様子で「どう、いたし、まして……」とだけ返した。
「それじゃあ帰ろうか」
何時の間にか僕の方が先導を握っていた。
霊夢は返事はせずに頷いて、腕で自分の体を抱きながら寒そうについて来た。
あれで大丈夫なのかと危惧していたが、やはり寒いものは寒いらしい。
と、そこで僕は思いついた。
「霊夢、これ」
はい、と自分の着ていたコートを差し出す。
「それじゃ見てるほうまで寒くなるからね」
僕の対応にちょっとだけ困惑した表情を浮かべた霊夢であった。
が、やがてコートを受け取り、少しだけ紅潮した顔をそそくさとコートに埋める。
「……ありがと」
「どういたしまして」
その後の感謝の言葉は聞き逃してしまいそうなほど小さいものであった。
しかし、それでも僕を喜ばせるには充分過ぎた。
二人で並んで神社までの道のりを歩く。
こうして肩を並べることは初めてではなかったが、その距離がいつもより近く感じられたのは僕の錯覚だろうか。
兎も角、これで推測は確証に一歩だけ近づいた。
霊夢は――本当は自分のことを怖がってほしくないんじゃないだろうか。
僕はそんな彼女に大いに興味を持った。
それは少なくとも趣味や仕事に対して向けるようなものではない。
折角なら、ありのままの霊夢でいて欲しいなぁ。
そんな事を考えながら、いつもとは少し違って感じる帰り道を二人して歩いていったのであった。
その後部屋に戻った僕が先の事を思い出し、震えていたなどという情けない話はここだけの秘密だ。
うpろだ82
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冬ですね。なんか外ではざっくりと雪が降ってます。寒いです。
俺が元居た場所も豪雪地帯だけど、この降り方は豪雪っていうレベルじゃねぇぞ!
幻想郷に来て、神社に居候させてもらって大分経つ。と言っても人間的に大分なだけかな。やっと一年くらい。
そんなこんなで霊夢にお世話になり、ここで暮らしている訳なのだが・・・。
こんな寒い時期だと言うのに、彼女はどうやら妖怪退治。寒さに強い妖怪が、冬に乗じて里に襲撃をかけたとか。
妖怪退治と防寒対策、両方しなくちゃならないのが博麗の巫女の辛い所だな。
と言ってもいつも露出気味の肩には防寒対策の欠片も施されていないようだが。アイデンティティだとか言ってたよ。
コタツに入ってぬくぬくしていると、唐突に縁側の襖が開き、ビュウと吹き込む風と共に霊夢が現われた。
うぅわあからさまに寒そう。顔なんか蒼白になっちゃってるよ。どっかで見たCMの犬みたいにプルプルしてるよ。
「・・・さ、寒い」
蚊の鳴くような声ってこう言う声なんだろうな、と思った。
「・・・結界張ってなかったのか?」
「けけけ結界あっても、寒、しゃ、寒いもんは寒いのよ・・・・・・」
大分呂律が回ってないんだぜ?
ふと思うといつの間にか霊夢は炬燵に潜り込んでいた。炬燵の天板に顎を乗っけて、水にふやけたスポンジみたいな顔している・・・。
「・・・あったきゃ~い・・・」
「あー・・・お疲れ様」
「うー」
何と言うか、膝の上で寝てる猫を連想させるような表情だ。ああ何て言うか撫でたい愛でたい。
「よし」
「?」
顔だけ傾けて疑問の表情を浮かべる霊夢の背後に座ると、俺は霊夢を後ろから抱きしめる。
「ちょっ、なにすっ・・・」
「うひゃー冷や冷や。どっかの氷精に負けず劣らずだな」
「・・・ぇぅあー。あたかい」
初めは驚いていたものの、霊夢はすぐさっきのふやけた顔に戻った。頭撫で撫で。
「・・・頭撫でんなぁ」
「いいじゃん、可愛いから撫でてるの」
「・・・うー」
小さく恥ずかしそうに唸る彼女の肩は声と一緒で小さくて、強く抱きしめたら壊れてしまいそうで、愛おしかった。
「・・・もうちょっと強く」
「え?」
「な、なんでもないっ」
きっと赤面しているのであろう霊夢に、俺はかすかに微笑んだ。
聴こえないふりをして、俺はほんの少しだけ、抱きしめる腕にかける力を強くしたのだった。
6スレ目>>363
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「あ、茶柱だ」
手にした湯呑みのお茶の中のそれに目を留め、思わずそう溢したって前もこんな事あった気がする。
とりあえず妙な既視感はさておき、ちょっと得した気分になった。
どことなく水が流れるように、漫ろに空を行く雲をぼんやりと眺める。
こうやって先の事を何も考えずに中空を見やっているのは嫌いじゃない。というより好きだ
そうしてお茶をもう一口。
うん、悪くない。
「隣、いいかしら」
「あ、うん」
何時の間にか僕と同じく湯呑みを手に所持する霊夢が現れ、隣に腰掛けた。
その時発したよいしょ、という声に年齢を絡めて突っ込みを入れようとしたが、その後の報復を考え自粛。
霊夢は僕に話し掛けるでもなく、ただ横でお茶を啜っていた。
「お茶が美味しいわね」
「そうだね」
何だか最近、こうやって霊夢が僕の傍に来る事が多い。
ただ単に考えすぎなのかもしれないが、きっと回数を数えてみれば増えているのだろう。
いや、でもきっと偶然だ。
霊夢がここに来るのは別に僕がいるからではないのだろうと思っていた。
今日は天気も良く冬といえども暖かで、どこか春の訪れを感じさせる。
縁側で茶を啜るには絶好の日和だったからそうなのだろうと思った。
……ホントだよ?
「もう春も近いねぇ」
「そうね」
どちらかが何か呟いて、もう片方が何となくそれに同意して。
正にまったりという言葉がぴったりの今日の僕らであった。
何時しか独白も賛同の声も途切れる。
だがこの沈黙を気まずいと思う事はなかった。きっと霊夢もそうだろう。
慣れた、というニュアンスよりも、必要がない、と言った方がしっくりくるだろうか。
そんな僕らの間には、しばらくお茶を嚥下する音だけが響いた。
「……あ」
ふと、流れる雲を呆けて眺めていた僕はある事に気が付く。
無意識の内に漏れた声は霊夢には聞こえていないようだった。
それはあまりに平和で忘れていた、しかし忘れてはいけない事。
全く、よくも今まで失念できたいたものだ。
自分の莫迦さ加減に思わず苦笑を浮かべる。
見ると、湯呑みの中のお茶はとっくに底を突いていた
「ねえ、霊夢」
「何かしら?」
少しだけ居直った口調で言葉を紡ぐ。
そんな僕の雰囲気を察したのか、霊夢も先までと比べ幾分か真面目な態度になる。
いずれは尋ねようと思っていた事だ。
それでも躊躇いを感じてしまうのは、きっと僕が此処を好きなのだからなのだろう。
「僕が元の世界に帰る方法って、あるのかな」
一瞬、霊夢の表情が堅いものになる。
その理由を推し量ることは出来たが、それは些か確信し難いものだったので早々に意識から追い出す。
だが一瞬の事だ。
いつも通りに見える表情がもう霊夢の顔にはあった。
「無いことはないけど……。ま、春になったら帰れるわよ」
その霊夢の言葉を聞いた時、僕の胸に訪れたこの感情は欣快か寂寥か。
自分でもよく理解できない気持ちが躰の内で渦巻く。
その後に訪れた不言不語の空気は、何だか居辛いものだった。
程なくしてじゃあ、とだけ言い残して霊夢は立ち上がりこの場を後にする。
縁側から去る霊夢は勿論後姿しか認められず、その表情は分からないままである。
理由は分からないのに、なんとなくその背中に罪悪感を感じた。
「春になったら、かぁ……」
そうして一人になった僕は思案に耽る。
ふと、ここに流れ着いてから今までの事を思い返したみた。
確かに此処での生活はあちら側では出来なかったものばかり、というか出来なかったものしかない位で新鮮で楽しかった。
魔法使いやらメイドやら吸血鬼やら人形遣いやら鬼やら、上げれば切りが無いほど個性的で魅力的で幻想的な連中ばかり。
それに何より、霊夢がいる。
こればっかりはあちらの世界ではどうしても代えようがない。
たった今気付いたが、あの不思議な巫女さんは僕の中で中々に大きな存在になっているらしい。
だけど。
「そんな事ばかりも言ってられないんだよなぁ……」
そう、此方ばかりに目を向けていてはいけない。
同様にあちら側にいる人達――家族、友人、その他大勢もまた、掛け替えの無いものなのだ。
それら全てを見捨ててまで、悲しませてまで僕はこちら側に留まる事など出来そうも無い。
僕は故意ではないといえ、何の前置きも無く彼らの前から消えてしまった。
きっと、いや必ず心配している筈だ。
少なくともそうさせてしまうほどにはあちらの人達を大切にし、大切にされていたという自覚はある。
「……どうしたらいいんだろうな」
中々難しい問題が僕の頭を擡げさせる。
もう余り時間も無いくせに、そう簡単には解決できない厄介な問題だった。
「…はぁ~」
解を導き出す事は出来ないものの、相も変わらず溜息だけはよく出る。
こちらとあちらの間でふらふらと揺れる天秤は、最後にはどちらに傾くのだろう。
懊悩としながら見上げた空は、僕の頭の中とは対照的に憎々しいほど晴れやかであった
日常というのは平穏なものだと考えられがちであるが、ドタバタと慌ただしい事でもそれが毎日毎日連続していれば、それも立派な日常と呼べる。
「よう」
だから彼女がこうして定期的にここに現れる事も日常と呼ぶべきなのだろう。
まあ受け入れ難い日常であるが。
日も沈みかけた逢魔ヶ刻。
空は宵に向けて、緋の色も黒橡に染まりつつあった。
いつも通り参道の掃除をしていた僕は、これまたいつも通りの挨拶をしてきた人物に答える。
「やあ魔理沙。どうしたんだい?」
一応形だけの問い掛けはしてみる。
だが魔理沙も自分がどんな目的でここに来ているか、僕が分かっている事など既にお見通しなのだろう。
彼女はこういうところで無駄に鋭い。
「そんな事言って、本当は分かってるんだろう?」
予想通り、質問を質問で返された。
うん、その通り。分かっているさ。
だけど分かっている事でも口に出したくない事ってあるじゃないか。
例えば、主に僕や霊夢が苦労する宴会の話だとか。
宴会では、盛り上がる連中は騒ぐだけ騒いで終わったらさっさと帰ってしまう。
まあそうでなくとも、皆勝手に帰ってしまうものだが。
だが博麗神社に居候の身の僕としては、文字通り目の前に拡がる光景というか惨状を無視できるほど義理人情が廃れてはいなかった。
というか、看過した場合の霊夢の対応が怖かった。
その為、片付けは主に僕と霊夢の二人で行う。
僕が来る前はこれを霊夢一人でやっていたんだし、と自分に言い聞かせてみるものの、やはり面倒は面倒だった。
避けられるなら回避したいものだ、と願いを口に出してみてもやはり気苦労は耐えない。
強くあれ、自分。
「……またかい?」
不快な表情と本日最大の溜息を隠匿しようともしない僕に対して、魔理沙はおう、と何故か胸を張って答える。
張っても大した事は無いなぁ、とは思っても口に出すほど僕は愚かではない。
そんな過ちは過去に一度で十分だ。あれは傷(と書いてトラウマと読む)になった。
「はあ……」
溜息を吐き出すのも何だか面倒になってきた。
特にアルコールを摂取したわけではないが頭が痛い。
半分の優しさはいらないから十分な効能がある薬が欲しい。
「そんなだと幸せが逃げるぞー」
「そんな簡単に逃げていくような幸福だったら、大した恩恵には与れないと思うんだけど」
「……ふむ、それも一理あるな」
万福は自分で掴み取るものであり、天禄などといった授かるようなものでは有り難味もあまり感じられない。
苦労して獲得したものほど得られるものも大きいのだ、というのが僕の見解である。
閑話休題。
「てなわけでよろしく」
何も理由が述べられていない上にあまりにも唐突なのだが。
まあ、これもいつもの事といえばいつもの事である。
彼女に僕の意見を通すというのは到底無理な事だからさっさと諦めるのが賢明だと判断する。
「……わかったよ。霊夢には言っておく」
きっと魔理沙の連れ合いになる人は苦労するんだろうなあ、とまだ現れないその人物に対して憐情を抱く。
僕のその返事を聞くと、魔理沙は満足そうに頷いた。
「じゃあ、夜になったらまた来る」
その言葉を最後に、魔理沙はつい先ほど来た道を引き返していった。
まさかこの事を伝えるためだけにわざわざここに来たのだろうか。
暇なんだか律儀なんだか、普通だと主張する本人には悪いが変わった人物だなあと思う。
「さて、と」
掃除は早めに切り上げて神社に戻る。
宴会の話は霊夢にも伝えなければいけない。
事の顛末を話し終えた後の霊夢の不機嫌そうな表情が、今からでもありありと想像出来た。
まあ、多少の愚痴は聞いてあげるとしよう。
重くなる気を紛らわすかのように、なるべく軽快な足取りで神社へと戻った僕であった。
――そして迎えた夜。
或る所では意気揚々、また或る所では死屍累々。
鬼っ子と天狗が飲み比べをしながら得体の知れない笑い声を上げて酔い潰れていたり、
白玉楼の主が他人の料理にまで手を出そうとするのをその従者は敢えて見て見ぬ振りをしていたりといつも通りの宴会の風景が広がっていた。
僕にとっての平常もずいぶんと歪んでしまったものだ。
「……っぷはぁ」
ドンチャン騒ぎをしている連中から離れ、憂さ晴らしに、と一杯呷る。
もうこうなってしまった以上仕方が無いと、毎度の経験から学習している。
ならば先の事は暫し忘れて、今を楽しむのが得策であろう。
未来ばかりを気にしすぎて今を疎かにするのはきっと馬鹿な事だ。
――それが何に対して向けられた言葉であるかは深く考えないようにした。
「随分と飲んでるのね」
突然、というほど驚いたわけでもないが、それぐらいのタイミングで霊夢が現れた。
「そうでもしないとやってられないというか……」
まごうことなきヤケ酒である。そして僕は未成年。
こんなんでいいのか。
でもまあ周りの環境がそんなんだしいいか、と切り捨てる。
霊夢は昨今と同様、僕の隣に腰掛けた。
だがそれだけでそれ以上は何もしない。
何かを言いそうで、だけど言い出せずにモジモジしている様だった。
霊夢から何か話がある様子はあるので、僕はそのまま待っている事にする。
「○○は……」
しばらくして霊夢が口を開ける。
うん、という相槌は自然と漏れた。
「春に、なったら、その……」
紡ぐ言葉は小さすぎて、最後の方は良く聞こえなかった
しかし続く言葉が何であるかは言わずとも分かる。
だから霊夢が言い難いのであろうその言葉は、僕の声で遮った。
「まだ迷ってる、っていうのが正直な気持ちかな」
こちらに在るものとあちらに在るもの。
そのどちらも大切で、どちらも何ものにも代えられない。
それは優柔不断という一言では片付けられないほど難しい。
「……そう」
そう呟いた霊夢は、僕の返答に何を思ったのだろう。
残念ながら僕がそれを知る事は出来ない。
そして再び訪れた沈黙。
だがそれは割と早くに打ち切られた。
「おぉーーーーい、れいむーーーー!!」
この声はきっと魔理沙のそれだろう。
遠くからなのにこの声量。
彼女なら良い歌手になれるとその時僕は確信した。パートはソプラノだ。
「呼んでるみたいだし、行くわ」
霊夢は苦笑して立ち上がる。
その顔についさっきまでのどこか暗い表情はもう見られなかった。
この場から去る霊夢の後姿をぼんやりと眺める。
と、視界が歪み、それと共に来る頭部への痛み。
「ぬぅ……飲みすぎたかな?」
頭を押さえながら体を起こす。
足は中々に安定していない。これは完璧に酔っている。
「ちょっと、冷ましてくるかな……」
きっとその必要があるだろう。
我慢しても良い事は無いし、これ以上悪化したら拙い。
揺らぐ三半規管に力を入れて歩を進める。
俗に言う千鳥足にも近い足並みで、僕は宴会の喧騒から離れていった。
「はぁー……」
吐き出した息は周囲の大気との温度差により凝結し、僕の目に白く映りそして消える。
火照った体にはこのぐらいの温度が心地良い。
酩酊状態にあった頭も、漸く普段通りものが考えられるほどに回復してきた。
「さて」
心機一転、とまではいかないが、再び僕を悩ませる問いに対峙する。
いつまでも逃げているわけにはいかない。
少ない脳を最大限に活用して答えを弾き出さんとする。
うんうんと唸りながら歩いていると、ふと妙な気配を感じた。
「……ん?」
足を止める。
あくまで気配なので確実ではないが、ここは少し神社から離れている。
油断は出来ないだろう。
――神社から離れている?
「……しまった」
自分で言った事を振り返り、周りを改める。
物を考えながら歩いていた為か結構な距離を進んでいた。
神社は目視できる位置にあるが決して近いともいえない。
相変わらず注意力が足りていない自分を咎め、足早に神社の方向に戻ろうとする。
が。
がさがさがさがさがさがさがさ――――
「!」
疑心は確信に変わる。
明らかに耳に届いた物音。最早疑いようは無い、近くに何かいる。
上着のポケットから護符を取り出したその瞬間。
――――それは暗闇から躍り出た。
「ガアアアアアアア!」
「……っく!」
驚いている暇は無い、即座に護符を突き出す。
『――――森羅結界』
「ギャン!?」
広がる障壁、起こる衝撃。
僕に噛み付かんと飛び掛ってきた妖怪が派手に吹き飛ぶ。
護符は与えられた責務を終え、音も無く散ってしまった。
初めて行使するその力に暫し呆けていた僕だが、こんな状況では一瞬の迷いが死に繋がる。
気を引き締め、残り少ない護符を再び構える。
以前、妖怪とは人間の恐怖心が生み出した幻想で、妖怪を見つめ直すことで人間が何を恐れているのか浮かび上がってくる、と講釈を受けたことがある。
なるほど確かにその通りだが、不幸な事に此処では幻想ではなく実体として現れていた。
「くそ……」
思わず悪態をつく。
見れば狼に似た姿をしたその妖怪はもう既に起き上がり、跳躍の為に姿勢を低く落としていた。
じり、と僕が後退りするのに従い、妖怪も一歩前に出る。
一触即発、という言葉が今の状況をそのままに表していた。
息を呑む。
似たような経験は一度した事があったので以前より落ち着いてはいたが、如何せん状況が状況だ。
心臓は目の前の相手に聞こえるのではないかというほどに高鳴っていた。
何とか均衡を保ったまま、一歩一歩亀の様に後ろへと歩を進める。
振り返ることはしない。目を離した隙に飛び掛ってくるかも分からないからだ。
とはいえ妖怪も学習はしているようで、無闇に飛び掛ってくる様子は無い。
このままいけるか?と希望を持ち始めた頃、僕はある事に気付く。
妖怪が、不気味なその口を大きく歪ませた。
そこから連想できたのは、笑み。
何故、と僕が疑念を抱くより早く、それは訪れた。
「っぐぁ!?」
突如として左足に走る鋭い痛み。
そして崩れる体を僕は制御できなかった。
「う……っあぐ」
うつ伏せに地面に倒れ伏す。
咄嗟の出来事であったため、顔面を打ち付けてしまった。
一時痛みに悶えていたが、後方から聞こえる荒い息遣いに自我を取り戻す。
何事か、と後ろに向けた僕の目には、もう一匹の妖怪が映っていた。
「まさか……仲間…が……」
足から流れ出る血が僕に生命の危険を告げるが、それと共に遠のく意識を繋ぎ止めるので精一杯だった。
ただ、じゃり、と妖怪が近づいてくる足音だけが嫌にはっきりと聞こえる。
死が一歩、また一歩と、僕を焦らせる様に確実ににじり寄って来た。
その表情は先ほどと同じく、大きく歪んでいることだろう。
「……っく……うぅう!」
起ち上がって逃げ出したいが、激しい痛みに遮られてとてもじゃないが敵わない。
生を引き伸ばそうと諸手で地を掴み、這いずる様に前へ進むが成果は乏しかった。
結局得られたものは、焦燥の代わりの絶望のみ。
「畜生……」
手の先、脚の先と体の端から順に感覚が薄れていく。
もう顔に張り付く地面の冷たささえ感じられないのに、妖怪がすぐ傍にいるという事は感じられた。
世界がこんなに暗いのは、きっと夜である所為だけではないのだろう。
途切れかける意識の中、何時の間にか愛しいと感じていた彼女を思い浮かべる。
(…………れ…い……………む…)
僕は、こんなところで終わってしまうのか。
強い無念と後悔の念を感じながら、僕の意識は闇に堕ちていった。
「ぅ……」
五感が芽生える。
目が光を捉え、耳が音を吸い込む。
そして肌に感じる程よい圧迫感から推測すると、どうやら僕は布団を被って寝ている体勢にあるようだ。
まず目が覚めた僕が視認したのは、仄かに薄暗い見慣れた天井。
そこからここがいつも僕が寝泊りしている神社の寝室だと理解するのにはそう時間を要さなかった。
不意に視界の端に人影らしい物を見つける。
とりあえずその誰かを何者であるか確認するため、横たわっている体を起こそうと試みた。
が。
「……っつぅ」
左足に走る痛みに顔を顰める。
忘れていた、というには大層すぎるほどの激痛だった。
どうやら僕は自分で思っている以上に鈍感なようだ。
なるべく足に負担を掛けない様、主に手を使って上半身だけ起こす。
そして僕が目に留めた人物は布団に体を預けどうやら眠っているようだった。
「……霊夢」
顔は突っ伏しているので分からないが、この独特な衣装からして十中八九間違い無い。
まあ独特といえば、幻想郷の住人すべてに当て嵌まる事でもあるが。
彼女に看病疲れをさせてしまったのだと思うと心が痛む。
――――看病?
「あ」
そして自分の身に起こった事を今更ながら理解した。
脚に突き刺さる痛み、近寄る死の恐怖、そして途切れた意識…………。
もう助からないだろうと踏んでいたが、今もこうして生き永らえているという事は霊夢が助けてくれたのだろうか。
暫し思考していると、僕が動いたからか霊夢が眠たそうに面を上げる。
「……んぅ……」
目が合う。
霊夢の目線の先には当然ながら僕がいて、僕の姿を確認すると霊夢は大きく目を見開いた。
寸時見詰め合う二人。
そして訪れる沈黙。
双方ともに何も言わない。というか言えない。
時計の針を刻む音だけがやけに五月蝿く感じられた。
「――えーっと、おはよう、でいいのかな……?」
とりあえず、笑いかけてみる。
何とか言わなくてはという出所の分からない使命感に駆られ僕が発した言葉は、何だかとっても微妙なものになってしまった。
つくづく自分の即興性の無さには呆れ返るばかりである。
そういえば、部屋の明るさから察するに今は夜のようだ。
僕は随分と切羽詰っていたらしい。
だがその的外れな挨拶を受けても尚霊夢は止まったままで、どうしたのだろうと僕が心配した時。
ぼふっ
「……おっ?」
次の瞬間、僕の視界には再び先ほどの見慣れた天井が。
突然の出来事ではあったが、僕の胸に感じる圧力から何が起こったのか理解するのはそう難しい事ではなかった。
というか動けないんですがこの体勢。
と、不意に僕の耳に届けられる僅かな音。
「……霊夢、泣いてる?」
「ふ………ぅっ……ぁ…………」
返事の変わりに漏らされた嗚咽は、何よりも端的にその事実を僕に伝えていた。
しかしこれは困った。
この状態では起き上がろうにも起き上がれない。そうさせてくれない。
とりあえず理由を問わねば始まらないだろうと僕が思っていた丁度その時、それは微かに聞こえた
「ぉぃ………な……で」
それはとてもとても小さな声だった。
注意して聞かなければ聞き落としてしまう、しかし彼女の本心だった。
「おぃ……かなぃ……」
必死に、一途に。
唯その思いを伝えようと、彼女は僕に縋り付く
「おいて、いかないで……!」
そう、彼女の本心。
初めて一人でいる事に孤独を覚えた彼女の、
「私を、独りにしないでよぉっ!」
心からの、叫びだった。
「霊夢……」
真情を吐露し終えると、彼女はまた僕の胸に顔を埋めて肩を震わし始めてしまった。
全く、女の子を泣かせてしまうとは。
つくづく、僕は救いようの無い莫迦である。
「とりあえず、僕を起こさせてくれないかな?」
このままじゃ話も出来ないよ、と苦笑しながら子供をあやす様に背中をぽんぽんと叩く。
数刻そのままでいた霊夢だが、落ち着いたのか漸く面を上げてくれた。
その時に認めた彼女の顔の涙の後が僕の心を締め付けたが、これも僕の所為で流させてしまった涙だ。
目を背ける事は許されない。
「ねえ霊夢」
問い掛けるも返事は無い。
ただ伏せていた顔を少しだけ上げてくれた。
いつもは綺麗なその顔も涙で濡れてしまっている。
霊夢の姿は普段の彼女からは想像出来ないほど弱々しく、雨に打たれて震える子犬、乃至親と逸れた幼子の様だった。
だがそれも仕方が無い。
そうさせてしまったのは僕自信なのだ。
彼女はとても強かった、きっとこんな拙い言葉では言い表せないほど、とても。
でも、僕が現れてしまった。
以前僕が霊夢に助けられた時の彼女の反応から考えて、僕はきっと異常だったのだろう。
そんな僕との出会いが彼女から弱さを引き出してしまったのだ。
博麗として、その身が果てるまで独りで生きていこうと心に決めていた彼女に、人と触れ合う事の温かさを与えてしまった。否、思い出させてしまったというべきか。
僕が彼女の、その尊い決意を蔑ろにしてしまった。
――――けど。
だけど、僕はこの選択が間違っているとは思いたくなかった。
これからの道のりをたった独りで、誰の温もりも受けずに生きていくのはとても辛い事だ。
そんな冷たい人生は見ているこちらまで悲しくなってしまう。
ならば気が付かなければ良かったのかもしれない。
彼女の悲壮な決意も、知る事が無ければ何事も無くそのまま維持されていたのだろう。
――だけど、もう遅い。
僕は気付いてしまった。霊夢の悲しい決意に。
確かに僕は莫迦だが、目の前で苦しい思いをしている女の子を放っておけるほど愚かではない自覚はある。
「ねえ、霊夢」
労わりと優しさと、そして愛しさを込めてもう一度。
霊夢はか細い声でだが、うん、と返してくれた。
僕が彼女を弱くしてしまった。
そんな責任からではなく、何よりも自分の意思で僕は霊夢と共に在りたい。
その事を今、再認識した。
幸い霊夢もそう思ってくれている。
ならば――――
「僕、春になったら元の世界に戻ろうと思うんだ」
僕の決意を余す所無く伝えよう。
霊夢の悲しみに濡れた顔が更に強張った。肩だけでない、全身が小刻みに震えている。
恐らく彼女の予想、というか期待していた言葉とは違ったのだろう。
辛うじてどうして、とだけ彼女の口から零れた。
だけど霊夢の予想とは裏腹に、僕の胸の内は彼女とは正反対だった。
とりあえず彼女の痛々しい姿はいつまでも見ていたくは無いので、僕も速やかに次の言葉を発する。
「――――そりゃ僕の親とかにお別れをしてこないといけないし、ね」
伸びる土筆、囀る鶯、麗らかな日和、舞い散る桜。
――――――総じて、春。
春を告げる妖精が空を飛び回るのも、もう珍しくはなくなった。
ぽかぽかと暖かな日差しが気持ちいい。
春眠暁を覚えず、とはよく言ったもので、こうしてまどろんでいると夢の世界へ直行してしまいそうになる。
そうになる、というか…………これは本当に…直行…………
………あー………眠…………
「こら」
何物かの声が聞こえると同時に頭に走る衝撃。
それは眠りの淵に陥っていた僕を覚醒させるのに十分な威力だった。
ぉおおお、頭が揺れるうううぅ。
「あ痛たたたた……。霊夢?」
振り返った僕の目に映っていたのは、微笑ましさ一割、呆れ九割といった表情を浮かべて玉串を携えている霊夢だった。
恐らくはその玉串で僕を夢の世界からサルベージしたのだろう。
もうちょっと愛情の篭もった起こし方が良かったものだが。
「全く……。ほら、そろそろ時間よ?」
「………時間?」
眠気に加えて先ほどの打撃もあったため、記憶をうまく呼び覚ませない。
――――今日は何かあったっけな?
いかん、全く心当たりが……あ。
「……あ」
思ったままを口に出してしまった。
一方で霊夢はやれやれといった感じの呆れ顔。
そうだった。今日は僕があちらの世界に行く日だ。
やっと思い出した僕は、未だ気だるい感じの残る体をよっこいしょ、と起き上がらせる。
その時霊夢に年寄り臭いわよ、突っ込まれた。
くそぅ、この前僕は我慢したってのに。
細かい事はさておき、特に準備するものも無い為そのまま境内に向かう。
果たしてそこには人影が。
この際、人じゃないじゃんという突っ込みは胸の内に留めておく。
「あら、漸く来たわね」
そこに立っていたのはスキマ妖怪の八雲紫さん。
文字通り妖しくて怪しい、そんな雰囲気の漂う女性である。
霊夢曰く、冬の間は冬眠していて最近になってやっと日の当たる世界に戻ってきたらしい。
……熊?
「すいません、お待たせしました」
「それじゃ早速開くけど……随分と身軽なのね?」
紫さんが僕を眺めて言う。
確かに今の僕が身に付けているのはいつもの服と小さな鞄ぐらいのものだ。
その理由は、ここに来る時に僕が持っていたものが少なかったという事もある。
だが、何より――――
「ええ。僕の家は此処ですから」
決意に満ちた表情で告げたという自信があった。
「ふふ、そんな事言われるなんて霊夢も幸せ者ね」
紫さんが扇で口元を隠しながら霊夢を横目でちらりと見る。
対する霊夢はジト目で紫さんを見据えていた。
だがそんなにも頬を紅くしているようでは迫力も何も無い。
そこから感じられるのは可愛さだけだった。
「○○、にやけてるわよ」
何時の間にか霊夢がこちらを向いていた。
おっと、知らぬ間に霊夢の顔を魅入ってしまっていたらしい。
しかしこのまま霊夢にイニチアシブを取られては不味いので、即座に僕も切り返す。
「しょうがないよ、可愛いんだから」
う、と小さく漏らし更に顔を朱に染める霊夢。
思わず顔を伏せてしまうその仕草も余計に可愛い。
こうした珍しい表情が見られるのはいいが、からかうのもこれぐらいにしておこう。
見れば紫さんも待ちかねているようだ。
「じゃ、霊夢」
「ん」
霊夢が伏せていた顔を上げ、応える。
それを確認した僕は紫さんの方へ歩いていった。
「お願いします」
「はいはい。じゃあ、いくわよ」
何も無い空間を、紫さんの扇が撫でる。
するとその軌跡から裂け目が生まれてみるみる拡がっていき、ぽっかりと穴が生まれた。
その向こうに見えるのは、懐かしさを感じる元の世界。
これから僕は元々の世界に行って、そこの人たちに別れを告げてくる。
期間は一ヶ月間。
その時間が終わるとまた紫さんがこちら側に戻してくれる事になっている。
一緒に生きていくと決めた。
お互いがお互いを必要としているならこの方法が一番手っ取り早い。
すなわち、ここで霊夢と一緒に年月を経る事。
それが僕にとっても霊夢にとっても最善の策だと思えた。
こちらとあちらの境界へ、一歩踏み出す。
ここを越えれば世界は変わる。
案外あっけないもんだなあ、なんて思ったりした。
――と、忘れるところだった。
「霊夢」
後ろを振り返り呼びかける。
霊夢はそれに応えて顔を上げた。
もうここが僕の家。
変えるべき場所はこちらの世界にある。
ならばこう言うのが最も相応しいのだろう。
「行ってきます」
ここで僕の帰りを待つ彼女の為に。
何時か帰ってきたその時に言いたい、その言葉は胸に秘めて。
僕は笑顔で一言告げた。
「行ってらっしゃい」
だから彼女も笑顔で告げる。
何時か僕が帰ってきたその時には、きっと言いたい言葉があるのだから。
だけど今はやっぱりその言葉は胸に秘めて。
少しでも会えなくなるのは寂しいけれど。
その分再開は嬉しくなるから。
その日を迎える待ち遠しさを、今は心の糧にして。
――――僕は世界を飛び越えた。
大丈夫。君にまた会える少し先の未来までは、独りで歩いていけるから。
だからその時は、こう言い合いたい。
平凡だけど、心から望んだそんなやりとりを。
「ただいま、霊夢」
「お帰り、○○」
6スレ目>>430
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