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霊夢8
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「――おろ?」
トンネルを抜けると、其処は林の中だった。
そんな、使い古された文学的表現が良く似合う光景。
「此処は――何処だ」
陽も落ちた林の中に一人、戸惑う青年の姿があった。
身の丈、肩幅を始めとした体格、髪型、服装。
その何れも、至って普通。
ただ、肩に幾つも掛けた大掛かりな荷物は、少なくとも街に出掛ける類の量ではない事を示しているし、
かといって、男一匹一人旅と言うほど、風格も無く。
そして、休日に自然と触れ合う為に野営、と洒落込んだ訳でも無い事は、
「おいおいおい――こんな野良道、出るわけ無いだろ」
彼の困惑の表情が物語っていた。
この場合、迷い人と言うのが正解では在る。
しかし、慌てることはなく、懐を漁り始めた。
(帰らない間に、俺の知らない山道でも通ったのか?)
半月振りだから当然か、などと思い直し、彼が上着の内側から取り出したのは、携帯電話。
大方、現在位置含む地理の確認でも取ろうと思ったのだろう。
しかし。
「圏外?おいおい、一応エリア内だぞ」
試しに通話を試みる――不通。
インターネット接続――不能。
「……圏内の穴――って訳じゃ無い、のか?」
気味が悪い、と。
彼の表情は、徐々にそういった不安の色に翳り始めた。
その背後――枯れ枝が折れる音がした。
「ッ!!?」
血相を変えて振り返る。
冬も近いこの時期、山中にて大型の獣に遭遇することは、そう珍しい話でもない。
しかし、闇には何も気配は無く、
「……もしもーし」
答える者など、居る筈も無く。
ただ、林が風に鳴る音だけが響いた。
「っくし」
くしゃみを一吐きして身震いしながら、不安げに辺りを見回す青年。
おそらく、人の居る方角を検める為に、光源なりを探しているのだろう。
そこで、ふと妙案でも思いついたのか、額を掌で軽く打ち、
「あほか、こういう時は――」
息を大きく吸い込み。
「おぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!」
良く通る声を、張り上げた。
山は広く、その声は山彦となって暫く反響を続けた。
(……どうだ?)
反響が止むのを合図に、その効果を確認すべく、彼は改めて周囲に注意を配る。
「ぅお――」
――程なく、変化が訪れた。
青年の耳に先ず届いたのは、飛び立つ鳥たちの喧しい声。
暗い空、木々の間、月明りを隠すように、無数の影が通過してゆく。
――だが、その群れは異様であった。
「おいおいおいおい――朱鷺なんてもう日本には居ないぜ?」
学名・ニッポニアニッポン。
日本を代表する鳥として、しかし、現実の空を飛ぶ物は、最早一羽も居ないはずのもの。
少なくとも、彼の暮らす日本と言う国では。
(……あんだけ居るなら、鍋にしても誰も怒らないだろうな)
あまりに現実離れした光景に、そんな場違いな思考を得る。
――その思考も、中断せざるを得ない音が、彼の鼓膜に届いた。
「――」
喉が動き、生唾が嚥下される。
彼の耳に聞こえた音は二つ。
一つは先程聞いた、枯れ木が弾ける類の音で――
「……お前らはお呼びじゃないんだが」
無数の、獣の唸り声だった。
だが、彼は溜息を一つ付き、
(……餌付けでも狙うか)
背の荷を一つ降ろし、中から食料を漁り始めた。
彼の口から『寮で食おうと思ったのに』だの、『肉なんてあんま買ってないな』だのと、
愚痴が次々と零れていく。
――シンパイ ハ イラン 。
「……あ?」
何やら、『声』を聞いたような気がして、振り返る。
そこにあるのは闇。
腐葉土を深く踏破する音が響き、それが足音だと知った彼は、
「……誰か、いるのか?」
こっちだ、と。
携帯電話のライトで闇を照らした。
――ワルイガ オマエノ ナカマジャ ナイ 。
「――」
頼りないライトに照らされたのは、何故か、牙を剥き出しにした犬の顔の様であり。
しかも、唯の犬にしては色々と有り得ない事があった。
1つ、その灰色の体毛は、どちらかと言うと狼。
2つ、どちらにせよこんな立派に二足歩行などしない。
3つ、更に傍らの木からすると、どうも大型の熊くらいは在る。
――オレサマ オマエ――
「丸齧りッ!!!!?」
4つ――喋る犬など、幻想の中だけのものだ。
最早彼に、逃げ出さないで居る理由も、この威容を疑う余地も無かった。
「うおおおおおおぉををををッ!!?」
荷を放棄して走り出した彼の背後で、何やら程よい太さの樹木が、良く通る破砕音を奏でたからだ。
その樹が立っていた位置は、自分が一瞬前に立っていた位置の隣。
振り返れば、先程の人狼モドキの爪が、自分の胴体ほどは在る樹の幹を、真っ二つにしていた。
(逃げ――)
脇目も振らず、渾身で失踪する為に、再び振り返れば――
眼前にも立つその狗顔。
獣臭い呼気が鼻につく間合いに、人狼の顔があった。
「ひ――ッ」
もはや万事休す。
青年の、腰が抜けた。
――オトナシクスレバ クルシマズニ クッテヤルゾ
獣の口にしては饒舌に、眼前の得物に対して、屠殺宣言を行う。
「あ――」
余りにも非常識な光景。理性は『有り得ない』『夢だ』と反論を続ける。
だが、青年の五感に届く情報は、『コレは現実だ』と警鐘を喧しく鳴らす。
しかし――最早、そのどちらにも、彼が応じ得る余裕は無い。
――ヒサビサ ノ メシ ダ
そして、唸り声と共に、獣の牙が、ゆっくりと青年の喉笛へと迫る。
身のすくまった彼は、ただ震えて眼を瞑り、最後の瞬間を覚悟し――
「いただきます、くらいは言っておくべきだったわね」
――ていた矢先に。
「ぅぁッ!!?」
頬に突然訪れた触感と、桶を返したような水音に飛び退いた。
「……?」
そして、目の前の気配の異変に、恐る恐る眼を開く。
「――」
細められていたその眼が、驚愕に見開かれた。
何故なら。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――ッ!!!!!!?」
――目の前で猛っていた、犬の首が落ちており。
その持ち主は胸元から上が抉れ飛び、断面から血を噴出していた。
彼が先程感じた、生暖かい感触の正体である。
「あ、ああ、ああああああああああ……」
B級スプラッタホラーが裸足で逃げ出す存在感に、気圧されるがまま後退する。
だが彼の視線は、無造作に転がされた『頭』から離れない。
見れば、その首は、――後頭部から顎へと、無数の『棘』のような物で、貫徹されていた。
まさに、針千本飲ます、という状態である。
更に、その首の傍らには、何やら札状のモノが突き立っており。
血に染まった其れは、材質が唯の紙である事を主張していたが――
まるで刃の様に鋭く、地面を断って刺さっていた。
「おーい、生きてるー?」
「!?」
其処にふと、声が響く。
明らかに、先程の人狼達とは異質の――紛れも無い『人間』の声。
ただ、落ち着き払い、あまりにも緊張感を欠いた――高い声。
「おーい――ったく、邪魔」
うおりゃ、と鈴の鳴るような声。
それと肉を打つ打撃音が響き、青年の前に有った人狼の胴が、後方へと倒れてゆく。
亡骸が倒れ伏し、血煙が舞う向こう、現れるのは、声の主。
「ん。生きているみたいね。重畳重畳」
「――ぁ」
その声の主の姿は、これまた、この異界に似つかわしくなく。
しかしそれでいて――何処か馴染む空気を、纏っていた。
先ず眼を引くのは、月明かりの元でもそれと自己主張する、大きな紅いリボン。
それが、その人影の頭頂、僅かに波打つ艶やかな黒髪に飾られていた。
「あ、御免。服、汚しちゃったみたいね」
勘弁勘弁、と苦い笑いを浮かべる、その整った顔立ち。
小鼻で、程よく角の取れた線で纏まった――可憐な『少女』の貌だった。
「ん?どうしたの?――あ、もしかして付いてる?返り血とか脂とか」
やだもー参っちゃう、と、別に汚れていた訳でもないのに、白袖で顔を拭う。
袖は上腕で途切れており、赤を貴重とした上着とは完全にセパレート。
よって、その細く華奢な肩が露となっており、繊細ながら、軽快な印象を醸す。
「……あ、あんた……」
「あ、その通り――」
咳払いが一つ。
フリルの装飾つきの緋袴が翻り、一歩踏み出した小柄な革靴が、枯葉を踏み拉く。
「人の助けあらば、ヒラリと参上。
『楽園の素敵な巫女』、博麗霊夢と申します。
今後とも御贔屓に」
本来、巫女と言う類として色々と致命的な名乗りだとか、そも共通認識が何一つ無いだとか、
浮かぶべき疑問は大量に在るはずなのだが、今の青年には、そんな瑣末事を認識する余裕は無い。
何せ。
「ッ!!うし――」
「んー?」
彼女の背後には、もう一体の人狼が未だ健在であり。
その人狼がたった今、その双腕を振りかぶる最中であるから。
「――『陰陽」
しかし、少女は慌てることなく。
「■■■■■■ーーーーーーー!!!」
背後から打ち付ける様に響く、怨嗟の雄叫びにも眉一つ動かさず。
ただ、滑らかな動きで。
「――鬼神玉』」
とん、と。
人狼の胸元へと、片手を添えた。
直後。
人狼は顎、眼、耳等、考えられる限りの穴と言う穴から光を吹き、
「――!」
最早、声とも叫びとも言えぬ『音』を喉から鳴らし――内破した。
「――御免なさいね」
誰とも無い呟き。
少女の突き出されたか細い掌、その前に輝くのは、球形の太極。
ゆっくりと回転する光輝の残滓に照らされて、辺りは昼間の様になっていた。
「さて、と」
かさ、と枯葉を踏み、再び青年の方へと視線を戻す、『自称』巫女。
その眼は陰陽印の照り返しを受けてか――赤く輝いていた。
「――――っ」
それがこの晩における、青年の記憶の中の最後の映像だった。
―ありゃ、気絶した。おーい起きろってば――駄目だこりゃ。
―おぉ?片付いてたのか。
―音速が遅いわよ、あんたらしくも無い。
―遅刻の代償に、人間に詳しい奴を連れてきたぜ。
―毎度世話を掛ける。が――まったく、夜に山に入るなど、流石に傍迷惑もいい所だ。
―命知らずね。
―運は良いみたいだがな。
―――と、言いたい所だが。
―何よ。
―実は運が悪いのか?。
―そうかもしれん。
妙なことに――こんな背格好の人間は、私の記憶にも無い。
―……マジ?
―ハクタクは嘘を吐かないぜ?人間と違ってな。
―半分はその通り、残り半分は――博麗大結界に誓って、偽りは言っていない。
―面倒ね。
―ああ、面倒だ。
―だが、楽しそうではあるぜ。
―と、いうわけで。
―……運ぶのは、乗り物で乗りつけた奴の仕事だな?
―酷いぜ。
―む、待て。
―んー?
―どうした半獣、鼻を鳴らして。野性に目覚めたか?
―違う。
これは――荷物か。この男の歴史の残り香がする。逃げている間に散乱したな。
―まさかそれも拾わせる気か?酷いぜ?
―そのくらいは拾ってあげるわよ――あら、何コレ?
―英語と片仮名だな。『かろりーめ○と』?
―んー、食い物らしいが……うげげ、美味くないぜ。
―あ、こらッ、なに他人のもの食べてんのよ――寄越しなさい。それは私の手間賃よ。
―お 前 ら は 野 盗 か ッ !?
「それは俺の非常食だぁーーーーーーーーッ!!!?
――あれ?」
次に青年が眼を開けたとき、最初に目に付いたのは――
「これもまあ……知らない天井、か?」
築一桁年では確実に収まらない、古ぼけた日本建築の天井であった。
「……」
青年は、少しずつ状況を整理してゆく。
まず、全身に適度に圧し掛かるこの圧力。
視線を身体に落とせば、全身に布団が掛けられている。
どうやら、気を失しているうちに運び込まれ、寝かされていたらしい。
「……ん?」
更に、肌の感触に違和感。察するに――
(着替えさせられてるな。浴衣だ)
と、そこで昨夜の記憶を掘り起こし――
「――ッ!!?」
身を竦ませる恐怖に、慌てて飛び起きる。
愕然とした表情に、びっしりと冷や汗が浮いていた。
(待て待て、落ち着け、落ち着け……ッ)
掛け布団を握る手に力を込めながらも、荒げた呼吸を整え、
改めて記憶を反芻する。
鼻を突く獣の臭気。網膜に焼きついた人外の異様。
降り掛かる、生暖かい感触。眼前で起こる生死のやり取り。
非日常。非現実。
考えただけで、自身の正気を手放してしまいそうになるが――
「……一応、生きてる、んだな」
その確かな事実が、彼の心を僅かながらも支えた。
次第に呼吸は整い、肩の力を抜いていった。
「……う」
その途端、彼の身体、特に横隔膜から腹部にかけてを振るわせる、気の抜けた収縮音。
「腹減ったなぁ」
何のことは無い。
生きているものは、皆、腹が空く物である。
「ん?」
そこではたと気付き、目を閉じる。
耳を立て、鼻を鳴らして、それを捉える。
聞こえるのは、短く規則的、それでいて有機的な、硬い打音。
そして、彼の鼻を通るその匂いは――
(まな板、んで味噌の匂い――朝飯!)
再び、彼の腹部から腹の虫が音を上げる。
正直な奴め、と腹をさする彼の表情に、もう先程までの険は無かった。
もう一度寝なおそうか。
などと考えながら、布団の温もりを彼が味わっていると、
「ん?」
まな板の奏でる音が止み、代わりに、器の軽い音が響き始めた。
音の発信源はどこか、と眼を動かす――
目線だけではカバーできず、首を動かし始めたところで、
「――」
止まった。というよりは、固まった。
丁度枕元の直上。そこに暖簾の下がった、台所と思しき場所への入り口が在る。
そこへ、暖簾を払った手が現れる。
青年の視線は、その手の持ち主に、釘付けとなった。
「あら、起きてたの」
緋袴、白袖、開けた肩に掛かる艶やかな黒髪、その上に乗る赤いリボン。
今、上下逆さに見える、その何処か恍けた表情は――
「うわああッ!?」
言うまでも無く、彼を喰らわんとする怪異を屠った少女であった。
「うわ、酷いわねぇ、折角助けてやったのに」
まー慣れたけど。
と、少女は青年の寝床の横へ歩を進める。
その一挙一動に身を竦ませ、身構えるように上体を向ける青年の態度に、
「はぁ……まったく」
「っ」
溜息を吐き、そのまま腰を落として彼に目線を合わせる。
気圧された様な青年の瞳を、半眼で睨む。
澄んだ黒瞳が、迷い無く青年の瞳を見つめる。
何処までも深い、だが深さゆえに鮮やかさを秘める、外の色を含んだ、黒の瞳。
昨晩とは違う表情を見せるその瞳から、青年は視線を離すことが出来なかった。
「――ん。落ち着いた?」
唐突な、しかし険を落とした言葉に、彼の瞳が瞬く。
気が付けば、彼女の顔は眼と鼻の先。
否が応にも目に入る、その整った顔立ち、ほんのりと紅の乗った唇。
「――あ、ああ」
ほんの一時。
彼が魅入られていると自覚するまでの間で、彼の緊張は解れていた。
そして。
「う」
再び鳴る腹の虫に、顔を赤らめてしまう。
気恥ずかしさを、身を竦めて俯く事で紛らわしながら、視線は再び少女に向く。
目の前の少女は、あの鈴の鳴るような声で笑っていた。
「まぁ――先ずは、御飯にしましょうか」
その笑顔は、花が咲いたと言うより、空に色彩が乗るに等しいもので。
その空気の様なさり気無さ、飾り気の無さ。
そして繊細さを兼ね備えた、独特の『可憐さ』に、青年の頬は、違う赤を得るのであった。
これが、一人の青年と、博麗の巫女の出会いだった。
「まあ、今日作ったのは私なんだが」
「はいはい、いつもご苦労様」
「……」
訂正。
博麗の巫女と、その友人、霧雨魔理沙との邂逅だった。
6スレ目>>452
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トンネルを抜けると、其処は林の中だった。
そんな、使い古された文学的表現が良く似合う光景。
「此処は――何処だ」
陽も落ちた林の中に一人、戸惑う青年の姿があった。
身の丈、肩幅を始めとした体格、髪型、服装。
その何れも、至って普通。
ただ、肩に幾つも掛けた大掛かりな荷物は、少なくとも街に出掛ける類の量ではない事を示しているし、
かといって、男一匹一人旅と言うほど、風格も無く。
そして、休日に自然と触れ合う為に野営、と洒落込んだ訳でも無い事は、
「おいおいおい――こんな野良道、出るわけ無いだろ」
彼の困惑の表情が物語っていた。
この場合、迷い人と言うのが正解では在る。
しかし、慌てることはなく、懐を漁り始めた。
(帰らない間に、俺の知らない山道でも通ったのか?)
半月振りだから当然か、などと思い直し、彼が上着の内側から取り出したのは、携帯電話。
大方、現在位置含む地理の確認でも取ろうと思ったのだろう。
しかし。
「圏外?おいおい、一応エリア内だぞ」
試しに通話を試みる――不通。
インターネット接続――不能。
「……圏内の穴――って訳じゃ無い、のか?」
気味が悪い、と。
彼の表情は、徐々にそういった不安の色に翳り始めた。
その背後――枯れ枝が折れる音がした。
「ッ!!?」
血相を変えて振り返る。
冬も近いこの時期、山中にて大型の獣に遭遇することは、そう珍しい話でもない。
しかし、闇には何も気配は無く、
「……もしもーし」
答える者など、居る筈も無く。
ただ、林が風に鳴る音だけが響いた。
「っくし」
くしゃみを一吐きして身震いしながら、不安げに辺りを見回す青年。
おそらく、人の居る方角を検める為に、光源なりを探しているのだろう。
そこで、ふと妙案でも思いついたのか、額を掌で軽く打ち、
「あほか、こういう時は――」
息を大きく吸い込み。
「おぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!」
良く通る声を、張り上げた。
山は広く、その声は山彦となって暫く反響を続けた。
(……どうだ?)
反響が止むのを合図に、その効果を確認すべく、彼は改めて周囲に注意を配る。
「ぅお――」
――程なく、変化が訪れた。
青年の耳に先ず届いたのは、飛び立つ鳥たちの喧しい声。
暗い空、木々の間、月明りを隠すように、無数の影が通過してゆく。
――だが、その群れは異様であった。
「おいおいおいおい――朱鷺なんてもう日本には居ないぜ?」
学名・ニッポニアニッポン。
日本を代表する鳥として、しかし、現実の空を飛ぶ物は、最早一羽も居ないはずのもの。
少なくとも、彼の暮らす日本と言う国では。
(……あんだけ居るなら、鍋にしても誰も怒らないだろうな)
あまりに現実離れした光景に、そんな場違いな思考を得る。
――その思考も、中断せざるを得ない音が、彼の鼓膜に届いた。
「――」
喉が動き、生唾が嚥下される。
彼の耳に聞こえた音は二つ。
一つは先程聞いた、枯れ木が弾ける類の音で――
「……お前らはお呼びじゃないんだが」
無数の、獣の唸り声だった。
だが、彼は溜息を一つ付き、
(……餌付けでも狙うか)
背の荷を一つ降ろし、中から食料を漁り始めた。
彼の口から『寮で食おうと思ったのに』だの、『肉なんてあんま買ってないな』だのと、
愚痴が次々と零れていく。
――シンパイ ハ イラン 。
「……あ?」
何やら、『声』を聞いたような気がして、振り返る。
そこにあるのは闇。
腐葉土を深く踏破する音が響き、それが足音だと知った彼は、
「……誰か、いるのか?」
こっちだ、と。
携帯電話のライトで闇を照らした。
――ワルイガ オマエノ ナカマジャ ナイ 。
「――」
頼りないライトに照らされたのは、何故か、牙を剥き出しにした犬の顔の様であり。
しかも、唯の犬にしては色々と有り得ない事があった。
1つ、その灰色の体毛は、どちらかと言うと狼。
2つ、どちらにせよこんな立派に二足歩行などしない。
3つ、更に傍らの木からすると、どうも大型の熊くらいは在る。
――オレサマ オマエ――
「丸齧りッ!!!!?」
4つ――喋る犬など、幻想の中だけのものだ。
最早彼に、逃げ出さないで居る理由も、この威容を疑う余地も無かった。
「うおおおおおおぉををををッ!!?」
荷を放棄して走り出した彼の背後で、何やら程よい太さの樹木が、良く通る破砕音を奏でたからだ。
その樹が立っていた位置は、自分が一瞬前に立っていた位置の隣。
振り返れば、先程の人狼モドキの爪が、自分の胴体ほどは在る樹の幹を、真っ二つにしていた。
(逃げ――)
脇目も振らず、渾身で失踪する為に、再び振り返れば――
眼前にも立つその狗顔。
獣臭い呼気が鼻につく間合いに、人狼の顔があった。
「ひ――ッ」
もはや万事休す。
青年の、腰が抜けた。
――オトナシクスレバ クルシマズニ クッテヤルゾ
獣の口にしては饒舌に、眼前の得物に対して、屠殺宣言を行う。
「あ――」
余りにも非常識な光景。理性は『有り得ない』『夢だ』と反論を続ける。
だが、青年の五感に届く情報は、『コレは現実だ』と警鐘を喧しく鳴らす。
しかし――最早、そのどちらにも、彼が応じ得る余裕は無い。
――ヒサビサ ノ メシ ダ
そして、唸り声と共に、獣の牙が、ゆっくりと青年の喉笛へと迫る。
身のすくまった彼は、ただ震えて眼を瞑り、最後の瞬間を覚悟し――
「いただきます、くらいは言っておくべきだったわね」
――ていた矢先に。
「ぅぁッ!!?」
頬に突然訪れた触感と、桶を返したような水音に飛び退いた。
「……?」
そして、目の前の気配の異変に、恐る恐る眼を開く。
「――」
細められていたその眼が、驚愕に見開かれた。
何故なら。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――ッ!!!!!!?」
――目の前で猛っていた、犬の首が落ちており。
その持ち主は胸元から上が抉れ飛び、断面から血を噴出していた。
彼が先程感じた、生暖かい感触の正体である。
「あ、ああ、ああああああああああ……」
B級スプラッタホラーが裸足で逃げ出す存在感に、気圧されるがまま後退する。
だが彼の視線は、無造作に転がされた『頭』から離れない。
見れば、その首は、――後頭部から顎へと、無数の『棘』のような物で、貫徹されていた。
まさに、針千本飲ます、という状態である。
更に、その首の傍らには、何やら札状のモノが突き立っており。
血に染まった其れは、材質が唯の紙である事を主張していたが――
まるで刃の様に鋭く、地面を断って刺さっていた。
「おーい、生きてるー?」
「!?」
其処にふと、声が響く。
明らかに、先程の人狼達とは異質の――紛れも無い『人間』の声。
ただ、落ち着き払い、あまりにも緊張感を欠いた――高い声。
「おーい――ったく、邪魔」
うおりゃ、と鈴の鳴るような声。
それと肉を打つ打撃音が響き、青年の前に有った人狼の胴が、後方へと倒れてゆく。
亡骸が倒れ伏し、血煙が舞う向こう、現れるのは、声の主。
「ん。生きているみたいね。重畳重畳」
「――ぁ」
その声の主の姿は、これまた、この異界に似つかわしくなく。
しかしそれでいて――何処か馴染む空気を、纏っていた。
先ず眼を引くのは、月明かりの元でもそれと自己主張する、大きな紅いリボン。
それが、その人影の頭頂、僅かに波打つ艶やかな黒髪に飾られていた。
「あ、御免。服、汚しちゃったみたいね」
勘弁勘弁、と苦い笑いを浮かべる、その整った顔立ち。
小鼻で、程よく角の取れた線で纏まった――可憐な『少女』の貌だった。
「ん?どうしたの?――あ、もしかして付いてる?返り血とか脂とか」
やだもー参っちゃう、と、別に汚れていた訳でもないのに、白袖で顔を拭う。
袖は上腕で途切れており、赤を貴重とした上着とは完全にセパレート。
よって、その細く華奢な肩が露となっており、繊細ながら、軽快な印象を醸す。
「……あ、あんた……」
「あ、その通り――」
咳払いが一つ。
フリルの装飾つきの緋袴が翻り、一歩踏み出した小柄な革靴が、枯葉を踏み拉く。
「人の助けあらば、ヒラリと参上。
『楽園の素敵な巫女』、博麗霊夢と申します。
今後とも御贔屓に」
本来、巫女と言う類として色々と致命的な名乗りだとか、そも共通認識が何一つ無いだとか、
浮かぶべき疑問は大量に在るはずなのだが、今の青年には、そんな瑣末事を認識する余裕は無い。
何せ。
「ッ!!うし――」
「んー?」
彼女の背後には、もう一体の人狼が未だ健在であり。
その人狼がたった今、その双腕を振りかぶる最中であるから。
「――『陰陽」
しかし、少女は慌てることなく。
「■■■■■■ーーーーーーー!!!」
背後から打ち付ける様に響く、怨嗟の雄叫びにも眉一つ動かさず。
ただ、滑らかな動きで。
「――鬼神玉』」
とん、と。
人狼の胸元へと、片手を添えた。
直後。
人狼は顎、眼、耳等、考えられる限りの穴と言う穴から光を吹き、
「――!」
最早、声とも叫びとも言えぬ『音』を喉から鳴らし――内破した。
「――御免なさいね」
誰とも無い呟き。
少女の突き出されたか細い掌、その前に輝くのは、球形の太極。
ゆっくりと回転する光輝の残滓に照らされて、辺りは昼間の様になっていた。
「さて、と」
かさ、と枯葉を踏み、再び青年の方へと視線を戻す、『自称』巫女。
その眼は陰陽印の照り返しを受けてか――赤く輝いていた。
「――――っ」
それがこの晩における、青年の記憶の中の最後の映像だった。
―ありゃ、気絶した。おーい起きろってば――駄目だこりゃ。
―おぉ?片付いてたのか。
―音速が遅いわよ、あんたらしくも無い。
―遅刻の代償に、人間に詳しい奴を連れてきたぜ。
―毎度世話を掛ける。が――まったく、夜に山に入るなど、流石に傍迷惑もいい所だ。
―命知らずね。
―運は良いみたいだがな。
―――と、言いたい所だが。
―何よ。
―実は運が悪いのか?。
―そうかもしれん。
妙なことに――こんな背格好の人間は、私の記憶にも無い。
―……マジ?
―ハクタクは嘘を吐かないぜ?人間と違ってな。
―半分はその通り、残り半分は――博麗大結界に誓って、偽りは言っていない。
―面倒ね。
―ああ、面倒だ。
―だが、楽しそうではあるぜ。
―と、いうわけで。
―……運ぶのは、乗り物で乗りつけた奴の仕事だな?
―酷いぜ。
―む、待て。
―んー?
―どうした半獣、鼻を鳴らして。野性に目覚めたか?
―違う。
これは――荷物か。この男の歴史の残り香がする。逃げている間に散乱したな。
―まさかそれも拾わせる気か?酷いぜ?
―そのくらいは拾ってあげるわよ――あら、何コレ?
―英語と片仮名だな。『かろりーめ○と』?
―んー、食い物らしいが……うげげ、美味くないぜ。
―あ、こらッ、なに他人のもの食べてんのよ――寄越しなさい。それは私の手間賃よ。
―お 前 ら は 野 盗 か ッ !?
「それは俺の非常食だぁーーーーーーーーッ!!!?
――あれ?」
次に青年が眼を開けたとき、最初に目に付いたのは――
「これもまあ……知らない天井、か?」
築一桁年では確実に収まらない、古ぼけた日本建築の天井であった。
「……」
青年は、少しずつ状況を整理してゆく。
まず、全身に適度に圧し掛かるこの圧力。
視線を身体に落とせば、全身に布団が掛けられている。
どうやら、気を失しているうちに運び込まれ、寝かされていたらしい。
「……ん?」
更に、肌の感触に違和感。察するに――
(着替えさせられてるな。浴衣だ)
と、そこで昨夜の記憶を掘り起こし――
「――ッ!!?」
身を竦ませる恐怖に、慌てて飛び起きる。
愕然とした表情に、びっしりと冷や汗が浮いていた。
(待て待て、落ち着け、落ち着け……ッ)
掛け布団を握る手に力を込めながらも、荒げた呼吸を整え、
改めて記憶を反芻する。
鼻を突く獣の臭気。網膜に焼きついた人外の異様。
降り掛かる、生暖かい感触。眼前で起こる生死のやり取り。
非日常。非現実。
考えただけで、自身の正気を手放してしまいそうになるが――
「……一応、生きてる、んだな」
その確かな事実が、彼の心を僅かながらも支えた。
次第に呼吸は整い、肩の力を抜いていった。
「……う」
その途端、彼の身体、特に横隔膜から腹部にかけてを振るわせる、気の抜けた収縮音。
「腹減ったなぁ」
何のことは無い。
生きているものは、皆、腹が空く物である。
「ん?」
そこではたと気付き、目を閉じる。
耳を立て、鼻を鳴らして、それを捉える。
聞こえるのは、短く規則的、それでいて有機的な、硬い打音。
そして、彼の鼻を通るその匂いは――
(まな板、んで味噌の匂い――朝飯!)
再び、彼の腹部から腹の虫が音を上げる。
正直な奴め、と腹をさする彼の表情に、もう先程までの険は無かった。
もう一度寝なおそうか。
などと考えながら、布団の温もりを彼が味わっていると、
「ん?」
まな板の奏でる音が止み、代わりに、器の軽い音が響き始めた。
音の発信源はどこか、と眼を動かす――
目線だけではカバーできず、首を動かし始めたところで、
「――」
止まった。というよりは、固まった。
丁度枕元の直上。そこに暖簾の下がった、台所と思しき場所への入り口が在る。
そこへ、暖簾を払った手が現れる。
青年の視線は、その手の持ち主に、釘付けとなった。
「あら、起きてたの」
緋袴、白袖、開けた肩に掛かる艶やかな黒髪、その上に乗る赤いリボン。
今、上下逆さに見える、その何処か恍けた表情は――
「うわああッ!?」
言うまでも無く、彼を喰らわんとする怪異を屠った少女であった。
「うわ、酷いわねぇ、折角助けてやったのに」
まー慣れたけど。
と、少女は青年の寝床の横へ歩を進める。
その一挙一動に身を竦ませ、身構えるように上体を向ける青年の態度に、
「はぁ……まったく」
「っ」
溜息を吐き、そのまま腰を落として彼に目線を合わせる。
気圧された様な青年の瞳を、半眼で睨む。
澄んだ黒瞳が、迷い無く青年の瞳を見つめる。
何処までも深い、だが深さゆえに鮮やかさを秘める、外の色を含んだ、黒の瞳。
昨晩とは違う表情を見せるその瞳から、青年は視線を離すことが出来なかった。
「――ん。落ち着いた?」
唐突な、しかし険を落とした言葉に、彼の瞳が瞬く。
気が付けば、彼女の顔は眼と鼻の先。
否が応にも目に入る、その整った顔立ち、ほんのりと紅の乗った唇。
「――あ、ああ」
ほんの一時。
彼が魅入られていると自覚するまでの間で、彼の緊張は解れていた。
そして。
「う」
再び鳴る腹の虫に、顔を赤らめてしまう。
気恥ずかしさを、身を竦めて俯く事で紛らわしながら、視線は再び少女に向く。
目の前の少女は、あの鈴の鳴るような声で笑っていた。
「まぁ――先ずは、御飯にしましょうか」
その笑顔は、花が咲いたと言うより、空に色彩が乗るに等しいもので。
その空気の様なさり気無さ、飾り気の無さ。
そして繊細さを兼ね備えた、独特の『可憐さ』に、青年の頬は、違う赤を得るのであった。
これが、一人の青年と、博麗の巫女の出会いだった。
「まあ、今日作ったのは私なんだが」
「はいはい、いつもご苦労様」
「……」
訂正。
博麗の巫女と、その友人、霧雨魔理沙との邂逅だった。
6スレ目>>452
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