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天子1

最終更新:

orz1414

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 比那名居天子。その性、わがままにて。


 俺が天子と会ったのはそもそもの原因は、俺がなんとなく計画した海外旅行だった。そして俺は、俗に言う魔のトライアングルを突っ切
るという、ちょっと面白そうな航空便に乗った。
 するとどうだろうか。魔のトライアングルはどうやら俺の世界と現実世界との間にある歪みの一つであったらしく、目出度く飛行機が雲
に入った直後機器系統は狂い、飛行機が雲を抜けたと思ったら俺は幻想郷に入り込んでいた。今だからこそ考えられる仮説を言うならば、
あの飛行機の乗客の中で最も幻想に近かったのがこの俺だったのだろうと、そう思っている。


 天人の生活に退屈し、普段から楽しい事を探している天子が俺みたいな楽しいモノを見過ごすはずなどなかった。結果として俺は天子に
拾われ、それ「今から貴方は私の子分だ」やら「家に来なさい」やら言われ、なし崩し的に天子の家で生活する事になった。
 その翌日、天子は俺の事を皆に見せて回った。見せながら、「これが外の世界の人間だ」やら「こいつは私の子分なのよ」やら言ってい
た。俺は「そうなのか?」という相手の問いに対して、コクリと頷くぐらいの心の余裕しかまだ持ち合わせていなかった。
 天子はわがままだ。それに気づいたのは二日目からだった。単純なおつかいから代行で何かをしたりなど、俺が出来る範囲での事を色々
と命令された。しかし天子には恩がある、言う事を聞かないわけにはいかなかった。そしてそんなこんなで天界で一年間、天子の子分とし
て生活した。
 正直一年間も天子のわがままに付き合い続けたのは恩だけではない。俺は天子に惚れていた。見かけは正直可愛いし、わがままな所も度
が過ぎなければ可愛いもんだ。でも、同時に俺は薄々と気付いていた。天子の美貌があれば引く手数多だろう。そしてその中で俺の手を取
ってくれる可能性は、少しもないのだという事に。
 手の届かない愛しい人の近くにいるのは、これ以上は辛い……。



 だから俺は、天界を脱出する事にした。



 俺の脱出に衣玖さんは快く協力してくれた。もちろん、脱出などという名目ではなく「ちょっと他の所にも行ってみたい」という建前で
頼んだのだ。空も飛べない非力な俺にとって、衣玖さんの手助けは必須だった。
 そうして辿り着いた博麗神社で、俺は博麗大結界とそれを管理する大妖怪・八雲紫の存在を知った。俺はすぐに帰してくれと頼んだが、
どうやら八雲紫は今定期的な長期睡眠を取っている最中らしく、すぐに帰る事は出来ないらしい。しょうがなく俺は博麗神社に住ませても
らう事にした。


 最悪な予感ほどよく当たるものだ。終わった。何もかも。天界を脱出したことも意味がなくなった。博麗神社に突如としてやって来た来
客は、天子と衣玖さんだったのだ。
 衣玖さんに手助けを請えば、天子にバレるのが早くなるというリスクがあるのはわかっていた。だが衣玖さんの手助けは俺にとって必須
だったし、なおかつすぐに帰れると考えていたのでリスクを超えるだけのリターンがあると思っていた。まあ……それも撃ち砕かれたが。


 天子特有のズカズカという足音が近くまで聞こえてくる。俺は身震いのままに近くの押入れに身を潜めた。


「衣玖ーホントにここに○○がいるのー?」

「彼が大きな動きをしていなければ、恐らくはここに」

「……ふーん…………」


 二人が部屋に入って来た。内心、いつバレるのかとヒヤヒヤして呼吸もままならない。


「…………衣玖、ちょっと席を外してくれない? 一人になりたい」

「? わかりました。ですが、くれぐれもご注意を。総領娘様、彼もただの人間とはいえ男ですので……」

「わかってるわよ。……………………それで、そこにいるんでしょ? ○○」


 天子が言った直後、押入れの中がグラグラと震え始めた。その凶悪なまでの力に押入れは決壊、俺はそのまま天子の足元に転がり落ちる
事になった。


「………………あー…………えっと……」


 とりあえず倒れたままではアレなので、ボロボロになった服を叩きながら立つだけ立ってみる。体の節々がギシギシしてちょっと痛い。


「…………なんで、私の前からいなくなったの?」


 天子は俯きながらプルプルと震えている。彼女は博麗神社を倒壊させるほどの地震を起こせる能力を持っている。マズイ。何か言い訳を
しなければ……。


「いや、えっと…………うん。ちょっと迷惑かなーって」

「迷惑なんかじゃない。○○は私の言う事聞いてくれた……迷惑なわけがないよ……」

「いや、あー…………俺ただの人間だから天界で生活するのはちょっと変でしょ」

「何のために○○を皆に会わせて回ったと思ってるの? 皆○○の事気に入ってくれてたんだよ?」

「………………あー……」


 駄目だ。これ以上は言い訳が思いつかない……。 


「…………私の事、嫌になったの?」

「そんなっことはっ……ない……よ……」

「じゃあなんで私の前からいなくなったのよ!」


 天子の声が俺を攻め立てる。これは、小っ恥ずかしいが本当の事を言わなきゃいけないのか……?


「…………わかった。言うよ。ただ……この事を聞いたらもう俺の事は忘れてくれ。俺は外の世界に帰る。天子も前のように暮らす。つま
らないかもしれないけど……頼むよ」

「………………」

「俺は天子の事が好きだ」


 俺の言葉に天子は少しビクッとした。しかしその顔は依然俯いたままだ。やっぱり「子分の分際で」と怒っているのだろうか。


「一目惚れって言われちゃそれまでだけどな。だから一年間天子の傍で生活してた。でも……気づいたんだよ。天子は美人だし可愛い。だ
から色んな所からお誘いが来てもおかしくない。
 そう……俺がいくら頑張ったって天子は俺には振り向かない。運命の女神は俺に微笑まない。天使は俺に笑いかけない。そんなことわか
ってるんだ。俺はあくまで天子の子分。その程度の身分だって…………でも、自分の感情ばっかりは誤魔化せない。だから出て行く事にし
た。ただ、そういう事だよ」


 これまで溜っていたいた何かがどっと溢れだした。天子への想いも、この現実への悔しさも、全部、全部。


「だから俺は元居た世界に帰る。これ以上天子の近くにいるのは辛いから。天子――手の届かない愛しい人。顔を合わせるのも、これで最
後になるな。…………さよなら、だ」

「――さよならになんかしない」


 天子が顔を上げた。目尻には涙が、そしてその顔はそのまま――。


「……んっ!?」


 キス、された。


「…………なに……え……? 何で……?」

「………………」


 気づけばいつの間にか俺と天子は抱き合う形になっている。どういう事かはよくわからないけれど……え……?


「どうして私が子分なんてものを取ったと思う?」

「いや、それはただの暇つぶしだろ?」

「最初はそうだった。でもね、私飽きっぽいの。一時の暇つぶし程度で一年間も一緒にいたりしないの」

「…………え……え? ど、どういうこと?」


 俺の質問に天子は腕を緩め、顔を見せたかと思うと俺の目の前ズイッと寄って来た。


「私も○○の事が好きだってことよ」


 そして、二度目のキス。
 正直もうわけがわからなかった。けど、煩悩は忠実に働いていた。気がつくと俺は天子を押し倒し、今まさにその服に手をかけようとし
ている最中だった。


「――うおっとっ!」


 ギリギリで理性を繋ぎとめる。しかし押し倒した天子の姿は魅惑的で、このままじゃあ理性が崩壊するのも時間の問題だった。


「私じゃ……嫌……?」

「いやっそんなことはないけど…………」

「あーもーはっきりしてよ! …………折角勇気を出したのに……」


 寂しげに言う天子の声。それだけで、俺の理性は刈り取られた。もう、ダメだ。


「……俺で良いのか? 天子ならもっと上の男だって狙えるだろ? それに、俺みたいなただの人間を……」

「もういいじゃないそう言うのは。○○は私が好き、私も○○が好き。それで……それだけで、十分……」


 そのまま俺と天子は崩れるように横になった。
 その後、天子の服を脱がそうとした瞬間に衣玖さんが帰って来て、襲っていると勘違いされてビリビリ攻撃をされたのは、色んな意味で
忘れ難い思い出だ。



 そんなこんなで。



「あーもーまた失敗したー! 衣玖ーここどうするのか教えてー」

「ここですか? ここはほぐすように掻き混ぜてですね……」


 目出度く俺は天子の夫として比那名居家に帰って来たわけだ。今はちょうど天子が衣玖さんに料理を教わっている。なんでも「愛妻料理
の一つも作れなくてどうするの! ○○はそれでいいの!?」と言うのが天子の弁だ。正直俺は「別に良いよ」と言ったのだが、本人が納
得できないらしく結局衣玖さんに教えてもらう事になった。


「――よしっ出来たっ! はい○○これっ!」

「うおっ……これまた個性的な……」


 緑色の味噌汁なぞ飲んだことないんだが。あれか、これは実は青汁ですっていうオチですか。
 一縷の望みをかけて衣玖さんの方を見るが、ニッコリ笑っていた。笑ってはいるが「食えよ」オーラがヒシヒシと感じられる。怖い。


「…………おし! 俺も男だ。ここは一気に――!」


 …………ゴクリ。


「――あーちょっと○○大丈夫!?」

「あら、ダメでしたか」

「いや衣玖そんなに落ち着いてないで早く手当てを――」


 俺たちの幻想郷は、今日もおおむね平和だった。

>>うpろだ1167

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memory







梅雨も明け、夏の兆しが春を凌駕し始める。日光が降り注ぐ外にいれば、太陽が疎ましく思えただろうが、天子と霊夢は我関せずの態度で縁側に腰掛けていた。
乙女二人揃えば、色恋沙汰へと昇華する。自ずと、互いの腹の探りあいが始まった。
面白いのは他人のことであり、自分の話題など恥でしかない。
だから、どうにかして相手のことを聞き出そうと、あの手この手を使用する。

「あんた、幼い時に天界に昇ったんでしょ。想い人とかいなかったの?」
「何を言ってるのよ、霊夢。神社が壊れたから、精神がおかしくなった?」
「それは残念。そうなら、もうとっくの昔に壊れてるわ」





ちょうど影になっている縁側。心地よい風も吹き、物事を第三者から鑑賞するのには最適な地点である。
冷たいお茶が入ったカップを一度置き、霊夢は目の前に広がる工事現場へと目をやった。

「あ、忘れてた。今日、里から一人来てるの」
「何の為に?」
「神社の修理の手伝いに。一応、博麗神社は里の安全も守ってることになってるの。忙しいらしいし、あんたが連れてきたので十分だと思ったから断ったんだけど、どうしてもっていうから」
「ふ――ん……」

興味なさそうに返答してから、湯飲みを口元へと運ぶ。
天界に住む住民には、地界の物事など、お茶が美味しいか不味いかと同じ位にどうでもいいのだろう。
そして、かつて地上に住んでいた過去を持つからこそ、差があまりないのが分かる。

「あの設計図持ってる人。見える?」
「うん……」

湯飲みを廊下に置いてから、ごろりとうつ伏せになる。
視界が歪む。首を無理矢理現場に向けると、立っていた人が一瞬で傾いた。
ひんやりとした廊下の感覚に、目蓋が重くなる。熱さを増してくる季節、この感覚に世話になることも増えるだろう。
何か直視できないモノがあれば、見る角度を変えればいい。眩しく照りつける日光は目に毒だった。
その眩しさは、普通なら見えるはずの男性や女性達の顔を無に返している。

「こっち側の建物に詳しい人がいなかったからね。どうなることかと思ったけど、ありがたいわ」
「だから、設計図持ってリーダーみたいなことしてるのね」
「本当のリーダーがぐうたらしてるからね」

巫女の言葉に、青い髪の少女も負けずに反論する。

「霊夢がそれを言っては、この世も末よ」

あって数日しかしていない人物の評がそれならば、確かに世も末だろう。
身体の角度を変え、頭を腕で支える。傍観者の態度で労働人を見る少女……比那名居天子は重い目蓋を擦りながら呟いた。





先の天気が絡んだ異変で、博麗神社は崩壊してしまった。原因となった局地的な大地震を発生させたのが天子。
幼い時に親と共に天界の住人となった天子は、地上にいたときは地子と名乗っていた。地上の子が天上に住むのはおかしい。だからこそ、彼女自身改名する決心がついたのだ。
異変の解決よりも、むしろ神社の復旧を犯人にさせるつもりだった霊夢が突き止めたのが、天界に住む少女、天子だった。
元の神社を把握しているのは霊夢だけ。交流が全くなかった天子や天女、訪問でさえ希少だった里の人間が分かるはずもない。
霊夢は設計図段階で、こっそり神社の完成予定を大きく変えていた。大きければ良い。そう考えるただの人間らしい思考である。
だが、後に掃除が以前よりも増え、霊夢にかかる負担が増大してしまう未来を招く結果となってしまったのに彼女の気が付かない。
身を持って知るのは、まだ先のことだ。自業自得、というべきだろうか。



里から派遣される人物は前途多望らしく、大工の親方が信頼して送りだせる程らしい。
下界の建物に対し情報でしか知らなかった天界の人々と、実際に下界で暮らしていたが幼い頃上へ昇った女性。
知識の点で一日の長がある彼は、指示役になるのは当然といえる。
稚拙な下界で燻る存在の命令と誤解されるのでは、と第三者で見ていた霊夢は思ったのだが、的確な判断と無理をさせない指示で、上に立つ者に最重要な信頼をすぐに獲ていった。

「霊夢――! ちょっとこっち来てくれ――!」
「はいはい」

湯飲みを縁側の廊下に置き、霊夢が歩いていく。その先では、設計図とにらめっこする男性と女性が数人。
建設現場で男性よりも女性の方が多い光景は、幻想郷といえども今この時だけだろう。
天子に、何処か耳が初めて捉える反応を示しながらも、はっきりと聞き慣れた音が聞こえた。
天界で飲んでいたお茶と味も変わらない下界のお茶は、拒絶反応が出るはずもなくすんなりと飲める。
または、陶器の入れ物が廊下と交わりたてた音かもしれない。しかし、上でも木の建物は珍しくない訳でもない。気の所為だろうと考えた。

「地面に残っていた跡から推測される社殿の大きさよりも、設計図の方が大きいんだけど……」
「あー―、大丈夫大丈夫。気にしないで」
「それで、もう一つ。この後の天気について……」
「それは少し待ってて。今天気予報するから。天子――!」

遠くから自分を呼ぶ声を聞いた天子は、夢の世界から強制的に帰還を余儀なくされた。

「何よ、もう。ゆっくりしてたのに」
「あんたは天界でも何処でもできるでしょ。この後の天気を教えなさい」
「心配はいらないわ。夕方までずっと晴れ。綺麗な夕日が見れるでしょうね」
「あんたが言うなら信頼できるわね」

男性と女性達の方を霊夢は振り返る。

「ってこと。今日の作業をお願い」
「了解。じゃあ、皆、作業を続けて!」

はーい、という統制された返事。それだけを見ても、彼がリーダーとなっていることは明白だった。
女性達は天界から連れられた人々である。当然だが、上に属する者が下に属する者から受ける支配は一時的には続いたとしても、継続するのは難しいだろう。
天界から彼女達を連れてきた人物がリーダーとなるはずだ。その人物である天子は今、黄金輝く夕日を浴びながら、現と夢の境界でうつらうつらを繰り返していた。
仕事を手抜きしないか監視する唯一の役目も、男性にいつの間にか乗っ取られてしまった。
仕事というべき掃除ができない霊夢と同じく、縁側で作業風景を眺めることぐらいしか残されていなかったのである。
そして、霊夢と天子は会話を交わすこともなく、お茶を飲みながらただぼんやりとしていた。
時折無くなる液体を継ぎ足すために、霊夢が台所へと足を運ぶ以外に二人が腰を上げる動作を行わない。そんな中、天子は夢を見た。珍しい、昔の夢である。



「……じゃあ、今日はここまで。明日も晴れるらしいから、また明日もよろしく頼むよ」

設計図をくるくると丸めながら、彼は口を開いた。終了の宣言が残された後は、いつも労働で疲れた女性達を少し休めてから一旦天界へと帰るのが常となっている。
今日もなんら変わりなく、霊夢が冷えたお茶を作業隊の面々に配っていた。
目蓋を擦りながら、天子は一つ背伸びをする。長い間同じ体勢を保っていたからか、固まった筋肉は僅かな動きでさえも悲鳴を上げた。
緩まった唇から吐息が洩れる。憂鬱が含まれた息は、大気と混ざり一瞬で消えた。

「……あんたにもご苦労さま、って言うべきなのかしら」

空になったお盆を持ちながら、苦笑を備えた霊夢が近づいてくる。そんな彼女に対し、天子は軽く手を振りつつ口を開く。

「当然でしょ。働き手を連れてきてあげたのは私よ」
「そもそも、神社を破壊したのはあんただけどね。暇だからって理由で」

そう言って、霊夢は復興を遂げつつある神社に目をやる。
いくら訪問者が珍しいからとはいえ、日常の証だった神社が存在しないというのは心に隙間が空いたようで好きではない。

「だ――か――ら――。悪かったと思って、造り直してあげてるでしょ」
「本当に悪かったと思うんなら、あんた自身が働きなさいよ」
「嫌よ。面倒じゃない」

言い切る天子に、霊夢はつい苦笑してしまった。両親からどんな教育を受けたのだろう。機会があったら、過去について聞いてみたいものである。



「霊夢、お先に失礼するよ」

別の声。今度は天子の耳に直接聞こえた。以前よりも発生源が近かった所為か、耳が戸惑いを覚えはしない。
見れば、リーダー役だった男性が目の前にいた。その後方では、地面に腰を降ろして談笑する女性達がいる。
大工にしては体格はあまり宜しくない。少し平均から背が高いのが、特徴といえば特徴か。

「ええ、お疲れさま。明日もよろしくね」
「分かってる。親方からも言われたし、頑張らせてもらうよ。……えと……」

彼の視線が天子を向いていることに、天子は霊夢が口を開いてから分かった。
それまでは、頭の奥が見えない何かで握られていた感覚に囚われて身動きさえできなかった。
彼が言葉の最後を滲ませたのに、天子ではなく霊夢が気付いた。惚けている天子は、微小な差異など判別する能力を一時的に失っている。
霊夢は気付いたものの、実際に言葉にしたのは彼女ではない。

「まさか……地子?」
「え……?」

酷く懐かしい響きと音程。霞んだココロが、彩りを取り戻す。
目蓋の裏に浮かび上がる光景は、夕日を塗り替えて雲一つない晴天を取り戻す。

「チコって誰よ。コイツは天子。我侭な天界人、比那名居天子っていうのよ」
「あ、間違えたのか……。すみません、間違えました」
「あ、え……うん……」

天子の頭は、大地震が起こったように滅茶苦茶で、思考が展開する隙間などない。
自己紹介は霊夢に取られ、彼女から口を開く機会を無くしてしまった。

「僕は○○です。里から手伝いに派遣されました」

差し出される右腕。土木工事をしていたからか、楽を繰り返す天子と違い、所々角張り固くなっている。
その手のひらを、夢心地で天子は掴んだ。地獄で苦しむ罪人に、伸ばされた救いの手というのはただの比喩に過ぎない。
だが、今の彼女を表現するならば、その表現こそが的確だった。

「私は……私は天子。霊夢が言った通りにね……」

夢ではない。しっかりと掴んだ彼の手には、ちゃんと暖かさがある。まるで、覚えのない夢のように。

「天子様、ですか。短い間と思いますが、よろしくお願いいたしますね」
「天子様……って柄じゃないけど」

天界に住むべき人物は、その事実だけで地上とは乖離される。彼は、天界自体が尊敬される対象だと思っているようだった。
そんな彼を、霊夢はたった一言で酷評する。我侭で、つまらないからと神社を崩壊させた過去を持つからこそ、彼女のみが言うことを許された台詞。
天子にも反論する権利がある。だが、彼女は口を開かない。溺れて限られた空気を求めるかの如く、口を小刻みに動かしているだけだ。

「では、霊夢。そろそろ失礼するよ。ごめん、長く居座って」
「いいの、気にしないで。暗くなってきたから、気をつけてね」

霊夢が彼に向かって手を振る。天子は何もしなかった。
階段に彼の姿が全て消えてから、天子は知らずに溜息を吐いた。もっと前に吐き出していれば、胸のもやもやの正体に気が付いたかもしれない。

「天子様。暗くなってきたことですし、帰りましょう。お父様もお母様も心配なさいます」

連れてきた者の一人に話しかけられてから、改めて天子は意識を取り戻した。崩壊した頭の中は未だに整理されてないが、常識に乗っ取った判断はできるだろう。

「え、ええ。そうね。そうしましょう。準備お願いね」
「もうできていますわ。後は天子様だけです」

周りを見渡してみれば、手荷物を持った女性達が揃っていた。確かに、夕日は退場を始め、東の空には静謐の闇が広がり始めている。
しどろもどろになりながら、必死に言葉にしても、天子のみが正常な状況を把握していなかった。

「あ……う、そ、そう。分かったわ、帰りましょう」

明日もちゃんと来るのよ、という霊夢の言葉を聞いた気がする。しかし、ぼんやりとした意識がちゃんと記憶するはずもない。
しかし、脳裏で記録されたその言葉を取り出す度に、再び足を運べる口実ができたと心が弾むのだった。





次の日も天子は博麗神社に来ていた。手伝い人を連れてくるのが天子であり、天界でも仕事がある訳でもない。
どうせ天界にいたとしても、暇な一日には変わりがない。だから、話し相手にも困らなく、同質でお茶にも困らないとくれば訪れるのが当然である。

「あんた、様子おかしくない?」

何度目の御代わりを貰った辺りだっただろうか。天子に湯飲みを手渡した霊夢が、そう言った。
その時、天子は仕事風景を何も言わずに見ていた。彼は設計図と実際の光景を照らし合わせながら、アドバイスを投げ掛ける。
集中と凝視は類似している。どちらとも取れて、どちらとも取れない態度を続けていた天子は、予想外の言葉に身を震わせた。

「え?」
「朝からずっとぼんやりしてる。何処か一点を見つめているようで、何も考えてない。どうしたのよ」
「……霊夢には、関係ないよ……」

搾り出した言葉は、あまりにも惨めで、嘘をついていると暗示しているようなものだ。
何故か、声も今にも泣きそうだった。

「……悩み事があるなら、相談に乗るけど?」
「大丈夫。大丈夫だから……」


随分と心が脆くなってしまっていた。しっかり体の心を支えていなければ、今すぐにでも霊夢に飛び込んで、泣き叫んでしまう。
もし誰かにそれを見られて、色々とからかわれるのは本位ではない。だから、その一点のみで天子は踏みとどまった。
薄く目に浮かんだ液体を、振りほどいて。

「間違いないの。間違いは、ないの……」






それから数日後に、宴会の話が持ち上がった。
仕事後に始まり、次の日を休日にすることにより夜中騒いでも仕事には影響を残さない方式。
天気に恵まれ、予定よりも順調に物事を消化していたので、息抜きをする暇ができたのだ。
日頃の宴会の開催場所だった神社が崩壊し、地界の宴会も中止だったのである。
誰ともなく、何処からともなく現れた白黒魔法使いを始めとして、色々と姿を現していたのには霊夢は苦笑するしかなかった。彼女達にとっては、いい口実に過ぎない。救いは、差し入れを少なからず持ってきていたことか。
夕闇が空を包んだ後。料理と酒が地面に引かれた敷物を彩り、人は寂れた神社を賑やかにする。
更に騒がしくなるのは、まだ早い。
人々の前に立った霊夢。その手には、酒が入ったカップが握られている。

「いつもお仕事ご苦労さま。今はゆっくり休んで、英気を養ってね」
「お前、人様に仕事させておいて何言ってんだよ!」

帽子を脱いで、豊かな金髪を露わにした魔法使いが軽口を投げ掛ける。
その言葉に、所々で苦笑が起きた。ただの苦笑で、文句が一言もなかったのが、当然といえば当然である。

「ああ、もう……魔理沙ったら。……じゃ、乾杯!」

乾杯、とあちらこちらで杯は重なり合う。天子も、座席の近くにいた天女と乾杯をする。古今東西、上でも下でも、常識は常識なのだ。
天子は酒は嫌いではない。むしろ、好きの部類に入る。陽気な気持ちで騒ぐのは心底楽しくて仕方がない。
だが、心配事がなければの話。これまで体験した宴には、心配事など二日酔いぐらいしかなかった。
本当に心を煩わせるコトが伴った宴会は初めてだった。

最初はアルコールを摂取すれば酔いに任せて忘れられるだろうと思った。
だから、早いペースで杯を重ねていく。周りにいた天女達が心配する位の速度で。

「……なんでよ……」

騒ぎに紛れ、溜息が誰かに聞こえることはなかった。既に酒の味を感じられない。
乗り遅れてしまったのは天子だけだ。その他の面々は友人や親しい人、話し相手を見つけていた。彼女達の表情に憂いはない。酒の席に心配事は不要である。
見れば、巫女に茶々を入れた魔法使いは彼と楽しげに話をしている。
邪意がない二人の笑みは、初めて会っただろうに意気投合を遂げた証。彼はあまり人見知りをしない性格とはいえ、酒の力は凄いというべきだろう。
心が締め付けられる。胸の奥が解けない糸で、雁字搦めにされた感覚を覚えた。
正体が判らない何か。感情、思念、または他にあるかもしれない。
とにかく、こんな光景を見たくない。目にさせないなら、自分が当事者として魔法使いの位置にいたい。カタチだけの願望が降り積もっていく。


本当に。
嫌になる。








「……なんで……よぉ……」
「なにが?」

心臓が停止するのでは、と思われる衝撃が天子の身体を駆け巡った。
聴覚が捉えた言葉が細胞の一つ一つにまで沁み込み、冷や汗という反応で答える。

「あ……霊夢に、○○……」
「こんばんは、比那名居様。楽しんでおられますか?」

驚く程すんなりと彼の名前が出た。
当然である。何度も呼んだ昔があれば、忘却する方が難しい。唯でさえ多感な子供時代。別の感情さえあれば、常識となろう。

「どうしたのよ、一人で。あんたも宴会には乗り気だったでしょう」
「え……。ちょっと、考え事。そう、考え事よ」
「へぇ……」

奥を覗かれるような感覚を覚える巫女の視線が、実際に痛覚を通じて天子を襲う。
そういえば、と霊夢は話題を転換させた。脇に立っていた、彼へと標準を映す。

「あの時に言った、チコって誰のことなの?」
「ヒナナイ、って名字に覚えがあってね。珍しい名字だろ? でも、テンシって聞いたことなかったんだけど……」

数言口内で呟いてから、彼は天子を改めて見る。
彼の視線は、はっきりと目上の人に対するモノで、何故か天子を苦しめた。

「あの、チコという名をご存知でしょうか? 地面の地に、子供の子って書くのですが……」
「あ……う……」
「アイツは一人っ子のはずですが……。まさか、姉妹とかいたんですかね……」

まだ覚えている。覚えてくれている。
首を傾げる姿は、記憶に焼きついた瞬間の反復。
麻薬の如くに頭を駆け巡る喜びを、天子は他人事のように思った。あまりにも現実を離れていて、邯鄲には信じられない。

「ねぇ、チコってどんな子供だったの?」

もう全てを分かっているのだろう。悪戯を思いついた幼児のように、霊夢の顔が怪しく笑う。
その笑みが天子を一直線に向いていたことに気付き、更に天子は居心地が悪くなった。

「そうだね……。まず、我を主張するってコトが珍しい子供だったかな……」
「そうなんだ……。我侭とか、利己的というか……自分が通ってないと嫌、みたいなことあった?」
「あんまりなかったね。友達とかの決定事に口を挟むのが珍しかったよ」
「ふむふむ……。他には何か、ある?」

彼の言葉を何度も反芻しながら、巫女は彼に先を促す。彼女の頭の中では、現在と過去の乖離を比べているのだろう。
何も知らない者にとっては、霊夢が浮かべている意地の悪い笑みの理由など分かりはしまい。

「単純に臆病みたいな感じ。些細なことで泣いて、いつも僕の背中についてきたなぁ……」
「へぇ……興味深いわね。じゃあ、チコが大きくなったら……」

そう言って、流し目で天子を見る霊夢。彼や周りの人々から見たとすれば、軽く細められた瞳には、しかし威圧感など存在しない。
天子の心の傷を抉るには、十分過ぎる威力を伴っていたが。

「……お淑やかで、絹のように滑らかで。それこそ、無垢なお嬢様……って感じに育ってるのかしら」

ある意味決定的な一言を言われた。もしも彼が肯定すれば、天子の意味が無くなる。記憶を離れた現在など、手に入れる価値もない。

「ははは……。うん、そうだね。そうなんじゃ、ないかな。ご両親も厳しい方だったしね」

彼の言葉は、現実の厳しさをたった一言で教える。期待を繰り返した刹那を否定し、天子が考える最悪の結末への階段を登っていく。
手摺りなど存在しない階段。足を踏み外せば、奈落へと真っ逆さま。
そして、天子の階段は先が無い。足を踏む隙間さえ無い。まさしく今の天子がおかれている状況だった。

「お――い、○○、霊夢!――! こっち来て飲もうぜ――!」

魔法使いの声。彼女の周りには、既に人々が群がっていた。
見る者を安心させる彼女の笑みには、惹かれる者も多い。天子も通常の心理状態だったならば、積極的に接触を取っていただろう。コップを片手に叫ぶ彼女に他意はないのだろうが、結果としては彼女に救われた形となる。
先程のような安っぽい嫉妬を恥じ、心の中だけで謝る。頭を垂れたままで、顔を上げずに。
今口を開いては、感情の奔流しか現せない。きっと、トコロ構わず泣いてしまう。
彼の目の前で、否定されたチコが天子と暴露されるのはなんとしてでも避けなければならない。
今を生きるチコが、彼が考える正反対の位相に位置することは、彼にとっても苦痛だろう。

「それでは、比那名居様に霊夢。また」

一つ礼をし、彼は喧騒の中に消えていく。湿った天子が纏う雰囲気と、酒に酔う人々の空気は決して交じり合わない。混じらない方がいい。
宴に心配事は、やはり余計なのだ。日々の悩みを忘れるのが酒の力なら。悩みを消し去るのが宴会の効力である。







「……っ……!」



「ええと……」
「……霊夢も行きなさいよ。こ、ここにっ、いて……は、ツ、っ、マラナイわっよ……」
「あのね……、天子」

霊夢の溜息。空気が微かに震える。
それが発端となったのか、俯いた天子のスカートに、ぽたり、と液体が落ちる。その雨は止まることを知らず、何度も何度も落下を繰り返した。

「私の記憶が正しければ」
「あ……ぅ、あぅ……、あ……」





「……あんたの気質は、降雨じゃなかったと記憶してるけど?」

その音は、天子に無情に、無常に聞こえた。
脆く、ひびが入った天子のココロが対抗できるはずもない。
記憶の奥で、誰にも見られないように裸で蹲る彼女は、あまりにも純粋で、あまりにも幼かった。

「う……ぐすっ、うぅう……! うわぁぁぁぁぁ……!」

本当に、二人の周りだけ隔離されている。天子が一目を憚らずに大声で泣いているにも拘らず、誰も寄ってこようとはしない。
酔っているからだろうか。もし理由を問われても、天子にははぐらかすことぐらいしかできないのだが。

「……私も悪かったわ。そんなに悩んでたのに、深く考えないで……」
「本当に悪く思ってるなら、胸を貸しなさいよぉ……」

誰にも注目を浴びないというのは本当に久しぶりだった。不良呼ばわりされたとはいえ、天界に住むのは一種のステータスでもある。
しかも、運が良いのか悪いのか、オマケで天上を許された一家なのだ。それこそ、良い意味でも悪い意味でも注目される。



それとも。
今霊夢の胸で泣きじゃくる天子を完膚無きまでに崩壊させたのは、彼がチコのみに興味を示していたからかもしれない。
チコへの興味は、天子への無関心を意味する。今正体を明かして、惚けさせることはできるだろうが、彼の記憶に漂うチコに摩り替わることはできない。
天子が望むのは、過去から続く道に乗り入れること。

チコならばどんなに良かったことか。過去の喪失さえ乗り越えてしまえば、すんなりと隙間に入り込める。
同じ線路を走りさえすればいい。だが、チコでは乖離が襲う。かといって、天子となった今では彼の予想を裏切ることとなる。
板挟みの状況から逃げるように、天子は泣き続けた。

「寂しいよ……胸が痛いよ……ぉ……! 寂し、かったんだよ……○、○……!」

彼の名を呼ぶ。叫び続ける。
対象となる彼は、天子の現状を知らないのだろう。要らない心配をかけるのも間違いなのだろう。
できることなど何もない。泣き疲れるまで泣き、天子は静かに意識の蓋を閉じた。



「……眠ったの、天子……?」

問いかけても、返答はない。安らかな寝息と、全てを委ねた柔らかさを感じるだけ。
一方的に感情をぶつけられるのは勘弁願いたかったが、知り合いとして他人事ではないので如何ともしがたい。異変で絡んだ縁もある。
だが、解決は二人の問題である。部外者の霊夢が口を挟む隙間など存在しない。

「……願わくば、天子の道に幸あらんことを……」

宗派も何もかもが違う祈祷に効果があるのかは分からない。霊夢は何処か冷めた面持ちで、身動き一つしない天子に向かって呟くのだった。







久しぶりの夢を見た。久しぶりに、ではなく、文字通りに久しぶりの夢。
最後に覚えがある夜を記憶で検索してみる。何故か、目星が付いた。
地子から天子へと改名を決心した日。
しかし、理由までは思い出せない。最後まで躊躇わせていた事由も姿を消している。
亡失には価値が無いから。頭に覚えておき、心に書きとめる価値が無い。諦めるとき、そんな言葉を耳にした。
そして、彼女は自らの口で繰り返す。
麻薬のような、興奮が沈静へと向かう感覚が身体を駆け巡る。
何か重要なことを忘れた虚無感と引き換えに、他にどうでもいいことを得た満足で満たされていた気がした。

無いといえば、無いのだろう。
忘れた記録に、何の価値があるというのか。決して忘れないと誓った記憶でさえ、人間は忘れる。地上にいても、天界にいても同じ。
だから、ヒトは恋して涙を流すのだろう。悲哀でも享受でも、涙という点では同じ。
ただ質が違うだけだ。その質は他人には分からない。自分自身にしかワカラナイ痛みは、貴重であり身の近くには置いておきたくなかった。






「う……」

夢のような時間は、儚くて。自分勝手な立場を恥じる態度さえ見せず、消え去った。
我侭を言い続け、周りを振り回す天子が文句を言えるはずもない。
止まらない時計。其を決定付ける唯一の印である普遍性。
時計に対する動き続ける針は、天子が自分と通そうと吹っかける無理難題と等しい。他へ向けて己を忘れさせないように、わざと無理を言う。
たとえ迷惑だとしても。相手に刷り込まれる情報は、嘘偽りない。何も主張しないよりも、印象に残る。

「テンシ様、気がつきましたか?」

見慣れない天上。身体は覚えがない感触に包まれていて、何も知らない一般人ならば天上の夢心地だっただろう。
実際に天界に住んでいる天子からすれば、布団などやっぱり上も下も同じなのだった。

「え……? なんで、私はここに……?」

辺りをぼんやりと見渡す。改修作業を見るにも飽きて、昼寝の為に霊夢から借りた部屋の一つだった。そこに布団が敷かれ、天子は横になっている。
窓から覗く月は満月。月見酒には絶好というべき夜だろう。

「覚えていらっしゃいませんか? 霊夢が言うには、酔い潰れたらしくて。霊夢はしばらく留守にするというので、私がお世話を預かっているという訳です」
「そう……」

幻とは呆気ない。せっかくの甘美を、一寸の迷いなく消滅させる。届かないユメなら、せめて理想のままに。
実体が無い身体、実感の無い感覚。天子自身が呼吸をしているという事実さえなかったら、もう一度旅に出ただろう。
彼が後ろを向いたときを見計らって、瞳を軽く擦る。水滴が指先に付いた感触はない。涙全てを流し終えたのか、乾き終わる程に時間が経過したのか。
霊夢なりの配慮なのだろう。みっともない表情など、想い人には不要だ。
だが、巫女は致命的な間違いをしていた。泣かれた後で、彼女なりに色々考えてみたのだろう。
用事があるというのが嘘か本当か分からないが、彼と一緒にさせた方がいいと思ったに違いない。

「はい、お水です」

水が入ったコップを手渡され、酔いとは違う頭痛に耐える。
既に感情が爆発した。爆心地に残るのは、粉々になった塵のみ。
酷く冷静になった天子には、巫女との遣り取りで全て吐露していた。もう、熱く訴える感情は無い。
彼を目の前にしても、心が沸き立とうとはしない。

「ん……ありがとう」

当然だが、水に口をつけても、酒のような喉が拒絶する感覚は覚えない。むしろ、水を欲していたのか、天子でも驚く程に早く飲みきった。
酒は大量に飲んでいた。しかし、一人で摂取する量など、友と語りながら潤滑の為に口にするよりは少なくなるだろう。
一人酒は雰囲気を楽しむモノ。相手がいる酒は会話に花を咲かせるモノ。酒とは、芽を出そうとしている種に与える水分である。

「それにしても、天人といえども、酔い潰れるってあるんですね。僕、驚きました」
「……あのね。天人っていっても、元は普通の人間よ。酔いもすれば泣きもするわ」

だから。
冷静過ぎた天子は、以前なら決して口にしない言葉を口にした。もう隠すこともない。
霊夢との付き合いはまだ短い。彼女が秘密を軽々しく口外するとは考えたくもないが、嫌でも最悪に対する供えが必要となる。
我侭な娘が見せた弱さ。しかも色恋が絡むとなれば、噂にならない方が珍しい。
どうせ神社が建ったら、天子は再び天界に隔離される。
彼女が引き起こした異変の後始末として、今は大目に見られているものの、日常が戻ったのならばその限りではない。

「……うん。笑ったり、怒ったり、泣いたり、憂いたり。喜怒哀楽を……持っ……て……」

言葉にすらならなかった。頭の回転は正常値を示しかけているものの、上手く口が動かない。
それとも、それが思考が弾き出した答えなのかもしれなかった。
感情を表すのは、生者にとって当然のコト。するかしないかは、個人の自由に委ねられる。
今の天子は権利を持っていても、身体が不思議と涙を流すからどうにもならなかった。

「泣きなくないのに、っ……ぐっ、泣きたいの……。天人だって、こんなとき、ぐらい……っ、あるん……だからっ……!」

涙は全部流したと思った。たった今飲んだ水が、体内から出ているのかもしれない。
どうでもいいコトには違いない。涙が問題なのではなかった。
布団を握った震える手に、水滴が落ちていく。その中の一つが、灯りに反射して幻想的に光った。

「昔良く泣いてたからって、今泣いちゃ駄目なの? 変わっちゃ駄目なの!? 大人しい子供が、我侭になったからって、どうして泣いちゃ駄目なのよ!」

感情の爆発に使用した、火薬は全て燃えてしまったはずなのだが。訳も分からずに、天子は叫んだ。
それは、あの時からずっと心に秘めていた思い。張り詰めていた分、衝撃も大きい。

「テンシ様……」
「もういや……もういやよ! 私一人過去に取り残されるのはイヤ! 一人にしないでよぉ……!」

部屋中に天子の慟哭が響き渡る。哀愁と絶望が入り混じったその声は、彼女が積み重ねてきた日々の欠片。





「……バカ。お前は、一人じゃないさ。そんなトコロは、昔と変わらないな」

そう天子には聞こえて。いつぞやに体験したはずの、記憶と一致して。
数度しか感じたことのなかった、暖かさが全身を包んだ。心に刺さった棘が一瞬で蒸発する。その傷も、いまや気にする暇もない。

「……○○……?」
「天子……いや、地子。僕のコト、覚えてる?」
「忘れ、る……わけっ……ないでしょうっ、が……!」

彼の胸はただただ安心できた。抱かれているという現在よりも、彼の暖かさと一つになっている結果に身体が解れていく。
知らずの内に、天子は彼の背中に腕を回し繋がりを深くする。
昔よりも随分と広がった背中は、離れていた時間を容赦なくぶつけてきた。

「うう……わぁぁあ……あぁぁぁぁ……!」

一度完全に決壊した綻びを止める力など、天子には残されていなかった。
彼は一方的に打ちつけられる感情をその身に浴びていた。だから、天子は他のことに思考を展開する必要がない。

「……っ、んっ……いつ、気付いたの……?」
「いつ、なんだろ。よく分からない。……けど……きっと、初めて会ったときにじゃないかなぁ……」

軽く天子の頭を撫でる彼。
少しだけのこそばゆさと、嬉しさに天子の胸が一杯になる。以前感じた感触と同じで、芯が溶ける。

「……霊夢が言ってた未来の地子と、現在の天子は反対なの。とっても我侭。それでも……いいの……?」

再び目の奥が熱くなってくる。今更打ち明けるのは、危険な冒険に過ぎなかった。夢のように進んだ物事を壊しかねない台詞。
けれど、天子には白黒はっきりつけなければならないコトでもある。
彼は一つ笑って。
小さく天子の頭を叩いた。

「いいさ。……まだ、今の地子……天子は僕よく分からないから……」
「……バカ……ばか……ぁ……」

やはり、昔と同じように彼に頼らなければならないのだ。昔は助けを、今は救いを。
しかし、その関係は天子にとって嫌ではない。気持ちを代弁するように、彼を更に強く抱き締める。
やがて落ち着きを取り戻した天子。誰にも向けられていない彼女の独白は、虚しく部屋に響いた。

「寂しかったの……。苦しくて、胸が張り裂けそうだった……」
「……」
「でも、嘘みたい……。今、こうして抱き合ってるだけで、悪い冗談みたいに思える……」
「……天子」
「ねぇ……」

顔を彼の目の前に持っていく天子。
意志が宿る目には、言い表せない何かが渦巻いている。

「……伝えたいこと、あるんだけど……。聞いてくれる……?」
「……ああ。何だい?」

一度深呼吸する。その小さな動作でさえ、彼と身体を合わせている天子は彼の実感を得ることができた。



「……私ね、ずっと……」



小さな響きは紡がれることなく、安らかな寝息に侵食された。焦点が合っていなかった視線は、睡魔を追い出そうとしていたのだろう。
結局は負けてしまい、彼の胸の中で眠ってしまったのだが。
軽く彼は眠った天子の背中を擦る。赤子をあやすように動く手のひらは、布と擦れたにも係わらずに音を発生させなかった。

「……今度は、僕の番……ってコトで、いいのかな?」

霊夢の胸で泣き疲れて眠ってしまった天子を、彼はしっかり目撃していた。だから、このような台詞が口を出たのだ。
返答はまだしていない。あの後の言葉を考えるのは、野暮だろう。

「……まぁ、また次の機会に。そうだろ、天子……?」

静かに問いかける。彼女は前髪が鬱陶しく感じたのか、前髪を払う動作をしてから、楽しげに頷いた。
夢を侵食する言葉など覚えがない。だが、寝ているならば聞いて理解しているとも考えにくい。




揺り篭に揺られる天子の唇が微動する。それを理解できたのはとある言葉を示していたのは、静謐な夜に浮かぶ、欠けの無い満月のみだった。








予期できないことが起きるのが人生である。霊夢は今、それを実感していた。

「……おめでとう、というべきなのかしら」

天子が起きるとは、想定外の物事だった。帰ってきて天子を寝かせた部屋の襖に手をかけると、嗚咽が聞こえた。
一応慎重に襖を開けると、二人が抱き合っていたのである。
そのときの天子の表情は、止め処もなく涙を流していながら、福音を得た旅人のように輝いている。
確かに彼女は旅人だった。その旅の過去から未来を、覗いていたのが霊夢。
天子と彼が幼い時に別たれた存在だというのは分かっていた。少なくとも、彼に粘着してチコの過去を聞きだす時には。

「いいえ……。おめでとう……そして、ご苦労さまと……」

音もなく襖を閉める。困難を極めた旅路は、せめて終着点ぐらい幸せに。
またどうしても足を進めなければならない時が来る。遅かれ早かれ、絶対にだ。
酷く酒を飲みたくなった。外には酔い潰れてしまっている友達がいる。無理にでも起こして、現と夢を巻き込んだ色恋沙汰の話で盛り上がるのも悪くはない。

台所の戸棚に仕舞ってあった、とっておきの酒瓶を取り出す。いつ仕舞ったのかは忘れてしまった。
埃を被っているから、かなり昔だとは思うのだが。
表面を薄く覆う埃を軽くほろい、霊夢は足を進め、縁側へと腰掛ける。

「……今は、ただ二人に乾杯を」

頭上に輝く、満月へと容器を掲げる。揺れる水面は、他人行儀に輝いていた。

「そして……幸あれ、と……博麗の巫女の名の下に祈りましょう」

先程は誰か相手が欲しかったのだが、対象は全て幸せそうな表情で眠りについている。
本当の幻は破る価値もない。幻想の名を冠する世界といえども、単純に世知辛い世の中である。夢で慰めを得ることぐらい、許されてもいいだろう。
それに、霊夢自身が一人で味わいたかった。

「……ただ、それだけを……」

二人の船出を祝福するように、巫女は杯を重ねる。
霊夢は分かるはずもない。
月光に映し出される、決して綺麗とお世辞にもいえない文字で描かれた製造日時は、二人が別れた日を刻銘に示していた。











一度栞を閉じた本。
長い間放置して、すっかり埃塗れになった。
汚したくないからと、せっかくかけたブックカバーも汚れてしまった。
でも、そんなのは洗えばいい。
何度も洗って、太陽の下で干せば元通り。



カバーを綺麗にして、再び未読の本にかけよう。
今度は汚さない。
決して手放さない。
まだ半分にも至っていない物語の主役は、今出会ったばかりなのだから。





















後書き

いきなりですが、私は今他に本腰を入れている小説があります(東方ですが……)
その小説と、この天子小説のカタチというか、作風が私にとって全く逆のモノなのです。ですから、いい息抜きをしながら書けました。
オリジナル設定天子盛り……じゃなくて、てんこ盛りでしたが、いかがでしたでしょうか。少しでも楽しんでいただけたら、書き手としてはこれに勝る喜びはありません。
緋想天のストーリーモードのシステムがあまり好きではないので、あまりプレイしていません。ですから、設定と喰い違う箇所もあろうと思います。そこを、それはそれとして楽しんでいだだきたく存じます。

>>うpろだ1181

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 ある日家に帰ったと思ったら家がなかった。
 別段消滅したと言うわけではない。潰れて住めなくなっていたのだ。
 なぜこんなことにと思っていると誰か来た。
 訊いてみれば竜宮の使いと名乗り、謝罪したいと言う。
 さて何に対して謝罪したいのかというと家を壊したことについてらしい。
 彼女が壊したわけではないらしいが、上役が壊したらしい。
 建て直しはするが時間がかかるので、完成するまでは自分達の家に泊まっていて欲しいと言う。
 立て直されるのならとりあえず文句はない。バラック同然なのだから数日とかかるまい。
 何故壊したのかについては、誤爆と言われた。

 連れて行かれたのは遥か高空。もうどこなのかもわからない。
 見渡す限り白い花の咲いていて、所々木々も見える。
 さてここまで運んできた竜宮の使いは、その木のところで俺を下ろした。
 木は池を取り囲むように生えていて、そこに一人の童女が見える。
 あれが壊した張本人ですと竜宮の使(ryに言われたがとてもそうは見えない。
 その童女は近づくなり、一発だけなら誤射ということで許してくれといってきた。
 悪びれるでもなくケラケラと笑う様子に、もう怒る気もしない。
 仕方なく手を振って赦免の意を示すと、嬉しそうに笑って背中を押してくる。
 どこに連れて行くのかと思えば池のほとりに宴席があった。
 その童女、天子と名乗ったか、はそこに俺を座らせると彼女自身もすぐ隣に座る。
 やがてわらわらとどこからともなく天女たちがやってきて盃に酒を注いでいく。
 注がれた酒は十分甘く十分旨いが、肴が貧弱なのは頂けない。
 隣の天子も呑め呑めと酒を注ぎ桃を出してくるが、こちらも貧弱で頂けない。
 天女たちはふわふわと浮かびながら酒や肴の補充をしている。
 巻いている羽衣を引っ張るとそれにあわせて回る辺り面白い連中だ。


 酒宴を始めて数時間。いつの間にか天子は俺の脇から膝の上に移動していた。
 途中で先ほどの竜宮の(ryやら鬼も参加して更に騒がしい。……鬼?
 特に竜(ryは俺をここに連れてきたときは打って変わって大ハッスルしている。
 酒を飲み、池上で踊り雷も落とす。特に、時折一緒に踊ろうとばかりに顔を寄せて引っ張ってくる辺り大分興奮しているようだ。
 とはいえ飛べるわけも無いので誘いを断っていると身を寄せてきて、なら私に掴まっていればよろしいでしょうと言い抱きついてきた。
 思わずそのまま空母から俺のストラトフォートレスが発進しそうになるが、子供が見ている手前そうも行かない。
 すんでのところで格納庫からのエレベータを止めるのに成功する。
 断るとr(ryは残念そうな顔をして池上に戻り、また雷を落としながら派手に踊っている。
 膝上の天子は満足そうなでも少し不満そうな表情で俺の首に腕を回している。
 些か顔が近いとか胸が当たっている気がするとかあるが気のせいだろう。固いし。

 そんなどんちゃん騒ぎを数日していると、俺の自宅が直ったと言われた。
 帰ってみるとバラックの趣はそのままで、広さは格段に大きくなっている。
 広くするくらいならもっとよく建て直して欲しいものだが、天人相手に文句は言えない。
 とりあえず見回っていると、間取りは前の家とほぼ同じのと拡張部分に新たに部屋が継ぎ足されている格好である。
 新しい部屋には一つの神棚と一つのベッド、そして一人の童女がいた。
 ん? 童女? よく見ると部屋の中に天子がいる。上半身半裸で。
 急いで扉を閉め謝るがもう遅い。大石で直線一気に壁が吹き飛ばされる。
 バラックとはいえ新築の家が吹き飛ばされるのはとてもとても悲しいものだ。
 しかし何故こんなところにいるのか、と扉の向こうから問いかけると、部屋から出てきた天子に、分社を作ったからいつでもこれると言われた。
 成る程分社と言うのは先ほどの神棚のことだろう。しかし何故来る必要があるのか。
 理由は単に、上は暇だからであった。なので時々泊まりに来るので、その時はどこかに遊びに連れて行けと言われる。
 なんと我儘なことだろうか。しかし満面の笑顔でそのようなことを言われてしまえば抗えようはずも無い。
 しばらくこの我儘娘の相手が続きそうだ。

うpろだ1205

───────────────────────────────────────────────────────────

前回までのあらすじ。
家が壊れた。直ったと思ったら我儘娘が付いてきた。
ああどうしよう。女の扱い方なんざ判らんぞなもし。
しかも奴さんは今しきりに何処かに遊びに連れて行けとせがんでくる。
だが遊びに行くにしても近場に子供の遊ぶようなところは無い。
花街なんぞに連れて行ったところで、後見の竜宮の使いとやらに殴られるだけだ。
というより自分でも行かない所に連れて行ってもどうしようもない。
ならば手頃に山の上の神社とか川原にでも連れて行くべきか。
この暑さなら梅雨とはいえ川に子供らがいるだろう。そいつらと遊ばせておけばいい。
ここまで考えてハタと気付く。あれは天人なのだから、自分よりよっぽど年上だろう。
それじゃあ川で子供と遊ぶのは無いだろうな。神社にしよう。

しかし提案はあっさりと跳ね除けられた。お姫様は里の探索が御要望らしい。
里なら里で取り立てて問題は無い。明るい内なら危険なこともあるまい。
ただ小さな問題は片方が絹布の華やかな服、他方が麻布の服ではどう考えてもおかしいことだ。
普通に考えれば何処かのお嬢様をかどわかしたように思われるだろう。
まあ気にしたところで仕様が無い事か、と思っていたらまた客が来た。件の竜宮の使(ryである。
何をしに来たのかと思えば、出かけるようでしたので替えの服を持ってきましたときやがる。
この出歯亀はどこから見ていたんだ。つか空気読んで天子共々全部持って帰りやがれ。
そう思っていると竜宮の(ryが肩を叩きながら、それでも私は総領娘様の味方ですのでと抜かしやがった。
見れば当の天子は目を輝かせてどの服がいいかなどと選んでいる。これで七面倒臭いことに選び終わるまで待つ羽目になった。

そもそも自分の懸念事項だった、被服の差は竜宮の(ryが持ってきた服では解消されていない。
男性用もあったが、某トラボルタの着ていたような服を着て里を歩く度胸は残念ながら自分は持ち合わせてはいない。
仕方が無いのでタンスの中から、昔この世界に来る時に着ていたジャケットを取り出す。
古いものだが安くも無い代物だったので、それなりに生地も上等で絹布にまだ張り合うことが出来る。
これに適当なYシャツを組み合わせれば何とかなるだろう。

三人で行った里はとても混んでいて、正直帰りたかったが天子がどんどん進んで行くから付いて行かざるを得なかった。
はぐれられても困るので見えなくなる前に手を握ると途端に動きが止まる。
吃驚したような嬉しそうな顔でこちらを見上げてくる天子。突然来る地震。騒ぐ民衆。
自分も驚いていると天女が一人降りてきて何かを耳打ちしてくる。
曰く、誰某が尻の穴を二つにされたくなければ娘から手を離せと仰っていますってここは日本だ、ハリウッド語を話すな。

天女を無視して天子と竜宮(ryと歩いているともう一発地震が来た。しかし二発目は皆予想したもので混乱は無い。
適当に里の商店を見て回る。天子は地震以来存外おとなしく手をつないでいてくれるので助かる。
おとなしいといっても道を歩いている時だけで、店の中に入るとはしゃいでいた。
主に服屋や食事屋などで、竜(ryと一緒に見て回っている。それはいい。だが宝石屋、てめーはダメだ。

小二時間ほど服屋中心に見て回った。正直もう勘弁してくれといった感想だ。
途中、甘味処で甘味を食べる。三人分の出費は地味に辛い。
葛きりを食べていると、横で宇治金時を食べていた天子にいくらか掻っ攫われる。
黒蜜をかけにゃ旨くないだろうにと思っていたが、そうか練乳があるのか。
対面でりゅ(ryが善哉を食いながらそれを生暖かい目で見ている。止めろ見るな。って言うか暑苦しいわ。
と思っていると天子が口の中が冷たいと言い、それを受けてり(ryが善哉の椀を差し出していた。
成る程このためか。しかし暑いのにそのために熱いものを食うとは、宮仕えも大変だ。

最後に博麗神社に行ってみた。天子は乗り気ではなかったが、自分が数年来行ったことが無かったので行きたかったのだ。
なにせ道中が妖怪遭遇頻発地帯な上、普段から妖怪だらけという噂であまり行きやすい所ではない。
だが着いてみると誰もいなかった。妖怪が多いと言うのは嘘だったのだろうか。
安心半分がっかり半分の意味を込め、賽銭箱に幾らか少なめに銭を放り込み鐘を鳴らす。
天子も鳴らす。盛大に。それはもう近所迷惑なばかりに。
急いでr(ryと一緒に全力で天子を綱から引き剥がす。ついでに御仕置代わりに頬を抓りあげる。
天子はいひゃいいひゃいと間抜けな声を上げるが痛そうには思えず、逆に嬉しそうにすら思える。
よく伸びるのうと頬肉を堪能していると一際大きい地震が来た。人に被害は無いが神社は何かが落ちたらしい。
直後風呂上りだったのかストリーク巫女が猛スピードで垂直上昇して行く。色々な意味で大丈夫なのだろうか。

さんざっぱら遊んで満足したのか、自宅の神棚から天子は帰っていった。
帰りしなにまたすぐ来るね、と言っていたがあんまり来られると家が危ないから隔週くらいにして欲しいものだ。

うpろだ1216

───────────────────────────────────────────────────────────

 比那名居天子は悩んでいた。
 ただ憂鬱だった。歌の日があっても欠席し、桃を食べる量も目に見えて減っている。
 気がつけば、最近は天上の外れにある小さな浮き岩から、下界を見下ろしながらため息をつくのが日課になっていた。
 原因はわかっていた。胸中を埋め尽くしているある感情、それはあの○○とよばれた人間のことに違いない。
 数ヶ月程前、どこからともなく幻想郷にやってきた一人の男は、知らず知らずのうちに下界の人間や妖怪達のハートをキャッチしていた。
 天子も何度か会ったことはあるが、容姿端麗というわけでも、特殊な能力を持っているというわけでもなかった。まったくの凡人である。それゆえに、あったその瞬間からある種の疑問が付きまとい続けてきた。
 何故あんな男に皆惹かれるのか。その思いは同時に、もっとあの人間のことを知りたいという思いにシフトしている。
 そのせいかどうかはわからなかったが、ここひと月近く憂鬱な気分が続いていた。
 無論、通常の天人にはありえない反応であり、このままでは死神に魂を持っていかれる可能性もあった。
「はぁ……」
 深くため息をついても、その気持ちが晴れることは無い。見下ろす眼下には太陽に照らされた雲海が絶景となって広がっていたが、それにすら心を動かされることも無かった。
「大体全部あいつのせいよ……」
 その人間のことを考え続けていた天子だったが、下界に降りても必ず会えるというわけではなかった。人間のほうから天界に昇ってくることもなかった。
 おそらくは他の妖怪イチャイチャしているのだろう。前に降りた時にはスキマ妖怪や吸血鬼にうつつを抜かしていたことを思い出し、拳を握り締めた天子は、次の瞬間には「人の気持ちも知らないで……」と呟いていた。
 無論、○○が自分だけのものでないことなど知っていた。それでも、会うたびに、会えなくても、もっと会いたいという気持ちが募っていくのをとめることができなかった。
 自分はどうしてしまったのだろう、と純粋に思う。まさかあの人間に恋でもしたか。そう考えた瞬間、猛烈な恥ずかしさと共に顔が火照った。
「違う、違うしありえない」
 ぶんぶんと顔を振って否定する。
 それでも、心はそれを肯定していた。認めなくなかっただけだった。
 第一それでは――

「様……総領娘様!」

「は、はいぃ!?」
 突然呼ばれた声に思考を蹴飛ばされ、危うく飛び跳ねそうになった。
 気がつけば、何者かがすぐ傍まで接近していた。それに反応する余裕も無い。天子は、情けない声を上げながらゆっくりと振り向くことしかできなかった。
「……どうしたんですか?」
 見れば、すぐそばに衣玖がいた。その手を腰に当て、何かを探るような視線でじっと天子を見つめている。
「い、いきなり何するのよ……」
「何回も呼びかけましたが。もう、しっかりしてくださいよ。今日は大切なお客様が来るんですから」
「お客様……?」
 衣玖の言葉に若干の不信感を抱いたのもつかの間、気がつけばその背後に見たことがあるような影が出現していた。
「よ」
「!!」
 そこについ先ほどまで思い焦がれていた○○がいた。
「な、な、なな……」
 あまりの驚きに言葉が出ない。心の準備ができず、オロオロしていると、ため息をついた衣玖がやれやれとばかりに口を開いた。
「いえ、何度も声はかけたのですが、総領娘様が完全に無視されたのでご案内してしまいました」
 そんな説明はどうでもよかった。
 それよりも、他に言いたいことがあった。
「な、何しに来たのよ!?」
 やっとの思いで搾り出したのは、歓迎の言葉ではなく、非難のそれだった。
 くるならもっと早く来て欲しかった。だが、何で今更来るのよ、とは口が裂けても言えなかった。一応プライドがあった。
「いやぁー天子元気かなーって」
 答えを聞いた瞬間、顔が沸騰するほどに熱くなる。
 来ない間もずっと心配してくれていたんだ。そんな想いが心を埋め尽くしたが、頭は必死にそれを押さえ込んだ。
「ふん……よ、余計なお世話よ」
 勤めて冷静を装いながら、腰に手を当てて胸を張る。恥ずかしいところを見せるわけにはいかなかった。万が一にも本心が悟られたら、そこに漬け込まれる可能性がある。相手は地上の人間なのだ。
「でも元気そうでよかったよ。本当はもっと早く着たかったんだけど、色々つれまわされてゴタゴタしててね」
 気がつけば一ヶ月経っちゃった、と○○は笑った。
 その表情から察するに、天子の態度を気にした様子も無い。今も少しだけ微笑んで辺りを見回している。
「さすがに天上っていいところだね。これなら長く滞在できそうだよ」
「え……しばらくいるの?」
 一際大きく鳴った鼓動と共に、言葉を吐いてから後悔した。けれど、取り返しは付かない。
「あ、ひょっとしてまずかった? 俺嫌われてたかな」
 困ったような表情を浮かべ、ぽりぽりと頭を掻く○○。
 途端、浮かび上がった罪悪感と、焦りが心を埋め尽くした。取り繕っていた冷静さが一瞬にして砕け、手をわたわたと振りながらたった今吐いた言葉を全否定する。
「い、いや、そんなことは……ない、ですはい」
 語尾が地味に壊れたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
 ○○の気持ちが変わってしまうかもしれないのだ。さすがにそうなったら立ち直れそうも無い。
 と、帰ってきたのは天子の願った○○の笑顔だった。

「よかった。俺も天子のことは好きだから」

 が、その答えまでは予想できなかった。
「はい!?」
 瞬間、天子の世界が固まった。
 よかった? 好きだから? それは一体どういう意図で発した言葉なのか。
 完全に思考が停止し、真っ赤に火照った顔と早くなった鼓動だけが感じられる。
「失礼します。○○さん、宴会の準備が整いました。こちらに」
 ○○を誘導する衣玖の声が、どこか遠くに聞こえた気がした。
「じゃ、天子、また後で」
 固まったまま指先一つ動かせない天子の傍らを、○○が通り抜けていく。
 声が出ない。口だけが魚のようにパクパクと動き、視点は虚空を見上げたまま固まっていた。
「ふぅ、総領娘様。もう少し素直にならないとだめですよ?」
 衣玖の声が近くで響き、その気配が遠ざかっていく。
 しばらくしてから現実に引き戻された時には、既に二人の姿はなくなっていた。
「な、なんなのよ……」
 バクバクと高鳴る胸を押さえつけ、二人が去った方向を見つめる。
 ○○が自分のことを――、告白してしまえ――、そんな思考が天子の頭を埋め、全ての行動を遮断する。
 ついには、そんな自分にすら嫌気が差してきた。
「ああ、もうめんどくさーーいっ!!」
 顔をブンブンと振って、宴会場に向けて走り出す。
 とりあえず、考えるのは後にすることにした。

***おまけ***

 幻想郷より高い場所にある世界、天界。
 天上というだけあって、雲はその下に存在する。当然ながら、太陽の光を遮るものはない。
 そんな中、小さな日傘が一つ、ゆらゆらと揺れていた。
「気をつけてくださいお嬢様。ここは影がありません。一つ間違えば灰になってしまいます」
「解ってるわよ。それよりも、○○は本当にここにきたんでしょうね」
 日傘をしっかりと握る細い手。レミリア・スカーレットは傍らに控える咲夜を一瞥し、目の前に聳える浮き島の群れに目を戻した。
「間違いありません。信頼できる筋からの情報です」
「ま、いいわ。とりあえず○○を連れ戻すわよ」
 ○○という男が幻想郷にやってきてから数ヶ月、その間、ひと月ほど紅魔館で保護していたものの、先日急に姿を消していた。
 もっとも、○○を狙う妖怪は多い。当初はどこぞの神出鬼没妖怪の仕業だと思っていたレミリアだったが、咲夜やパチュリーに調べさせるうちに別の原因が判明したのだった。
「ですね。○○はうちで保護していたんですから。勝手に外出して心配をかけた責任を取らせなければなりません」
 腰に手をあててぼやく咲夜。
「とりあえず天人でも締め上げて聞き出せばいいわ」
 何はともあれ、目指すものはすぐ傍に居るのだ。焦る必要も無かった。

「あーら、抜け駆けなんて酷い」

 と、急にどこからか声が聞こえた。
 直後、虚空に亀裂が入り、ゆるゆるとうごめきながら開いていく。
「何をこそこそ山登りをしているのかと思えば、ねぇ?」
 たっぷり十秒ほどおいてから、その中から白い傘が現れた。
 どうやら、他にも動いている奴がいたらしい。なるほど、と納得したレミリアは咲夜に目で合図し、ひとつ息を吐いた。
「……お嬢様、きましたよ」
「まぁいいじゃない。最後に勝つのは私なんだから」
 忌々しげに呟く咲夜をたしなめながら、それに向き合う。
 虚空には、いつの間にか姿を現した八雲紫が静かに浮かんでいた。
「後つけてきて正解だったわ。わざわざ貴方達が出向くくらいですもの。つまらないものじゃないわよね」
「さぁ、何のことやら……咲夜、下がってていいわよ」
 空気が帯電したようにビリビリと鳴り、得体の知れないプレッシャーが場に満ちていく。
「いえ、むしろここは私が」
 クルクルとナイフを回し始める咲夜を一瞥し、ひとつ息を吐く。
 時を止められる彼女なら、ミッションの遂行は容易かもしれない。そんな風に考えたレミリアをあざ笑うかのように、紫は傘を振りながら口を開いていた。
「何でもいいわ。ここであったのも何かの縁。弾幕ごっこでもしましょうか?」
「冗談、アンタと遊んでる暇はない」
「そ。なら○○は私が貰っていくわね」
 その言葉と同時に、場の空気が凍った。
「目的は同じ、ね」
 やはり、目の前の物体は排除しなければならなかった。
「当然」
「愚かな妖怪ね。この私に戦いを挑むなんて。歳食いすぎてボケたのかしら」
「残念、今は昼なのよね。脆弱な『夜の王』さん」

「ははは……」
「ふふふ……」

『上等ォォォ!!』


 しばらくの間、宴は終わりそうも無かった。

うpろだ1474

───────────────────────────────────────────────────────────

 比那名居天子はやっぱり悩んでいた。
 はるばる天界までやってきた○○を迎えての宴会。何があっても、それに参加しないわけにはいかない。天子としても○○と一緒にいたかった。
 そうして既に人が集まりつつある宴会の輪に飛び込んだのが半時ほど前のこと。多少はドタバタがあったが、衣玖のさりげないサポート(?)あってちゃっかり○○の隣の席を取ることができた。
 これでもっと近づける。酒で酔った○○の介抱なんかしちゃってあわよくば、などという淡い期待があったことも否定できない。
 ともあれ、宴会は順風満帆といくはずだった。
 はずだったのだが……。

「あれー? 咲夜ー、この瓶のお酒もう切れたんだけど」
「いけませんよ。お嬢様、飲みすぎは体に毒です」
「藍、天界の食べ物はあまり摂取しない方がいいわよ」
「はい……ですが、これは地上では味わえませんね。橙に一つお土産とします」
 
 得体の知れない人妖が四人、いつのまにか宴会の席に紛れ込んでいた。
「……」
「どうした天子。 飲まないのか?」
 まったく気にした様子も無い○○が、酒の入った瓶を片手に話しかけてくる。
 普段なら内心飛び上がって喜んでいる所だったが、今はどんより沈んだ心に僅かな波紋が生まれただけだった。
「うん……いい」
 なんとかそれだけ返し、再び宴会に沸く周囲を見渡す。
 一見すれば、皆、楽しく雑談にふけっている様に見える。だが約二名の意識が○○と自分に集中していることは、天子にもイヤというほどにわかっていた。
 場に満ちる二つの異様な空気。それはスキマ妖怪と吸血鬼から発せられ、天子と○○の間でぶつかって渦を巻いている。
「うっ……」
 明らかに敵対するものに向けられた、殺意の渦だ。
 それは○○に近づく度に、天子の体に突き刺さっていた。
 少しでも○○に触れようものなら、実物が飛んできても不思議ではない。
 思わず緊張のあまり生唾を飲み込んだ天子は、たまらず衣玖の元へと退避し、○○に聞こえないように小声で叫んだ。
「ちょ、ちょっと、どういうことなのよ……!! 聞いてないわよ!?」
「さぁ……私にもさっぱり……」
 半ばヤケになっても、衣玖は苦笑いで返すだけだった。本当に想定外の事態だったのだろう。
 このままでは○○とイチャつくことはおろか、そばに寄る事さえもままならない。
「予想外のことは起こるもの、ですねぇ」
「笑い事じゃないんだけど……」
 ははは、と笑う衣玖に対し、盛大なため息で答える。
 予想外にもほどがあった。
「でもいいじゃないですか。ここではっきり彼女達に見せ付けてやればいいんです」
「何をよ……」
「○○さんが総領娘様の『モノ』だってことをですよ」
 耳打ちされた途端、鼓動が大きく跳ね上がった。
「な、なな、ななな」
 顔が熱く火照り、思考が真っ白になる。
 あそこまで殺気を漂わせるということはライバルなのだろう。その恋敵の前で○○とイチャイチャする。
 ある意味ではこの上ない幸せのように思えたが、天子の頭はそれよりも恥ずかしさでいっぱいだった。
「あれ、イヤなんですか?」
「い、イヤじゃないけど……無理、そう無理!」
 二人だけの世界で、○○とあんなことやこんなこと。想像しただけで湯気が出る。
 正直今の天子には、手を繋ぐことすら不可能に思えた。
 そんな内心を見抜いたのだろうか。衣玖は腰に手を当ててジト目で天子を見つめてきた。
「……総領娘様。あんまりうじうじしてると私が○○さん貰っちゃいますよ?」
 思わずびくっとして後ずさるが、肩は衣玖の手でがっちりと掴まれていた。
「いいんですか?」 
 逃げようにも逃げられない。答えを問う瞳で迫られた天子は、仕方なく、恥ずかしさを懸命に抑えながら口を開いた。
「そ、そんなのダメ……却下……」
「だったらシャキっとしてください。彼女達はイヤですが、総領娘様だったらいいかなと思いますから」
 その言葉の真意を問う前に、衣玖は天子の背中をポンと押していた。
 心の準備をする間もないまま、ふらふらと○○の隣まで戻る。
「どうしたんだ天子。衣玖さんと話してたみたいだけど。具合でも悪いのか?」
「あ、いや、あの……うん」
 曖昧に濁しながら、杯に酒を注ぎ、一気に口に運ぶ。
 と、気がつけば○○の頬に桃の破片がくっついているのが見えた。
「……ごくり」
 天子の脳にかつてない衝撃が走る。それは、誰でも考えそうな打算の構図だった。
 これを取ってあげれば感謝される上、二人の距離もさらに近づく。それは間違いない。
「○○!」
 やっと動いたか、という衣玖の視線を背に受けつつ、○○に向き直る。
「ど、どうしたんだ天子……やっぱり体調悪いんじゃないか? 顔真っ赤だぞ」
「大丈夫!! それよりも……」
 自然を装い、その欠片に手を伸ばす。二人の妖怪は今もお供と雑談に興じている。邪魔は入らない。
「ちょっと動かないでね」
 手が○○へと近づく。その先にあるイチャイチャを胸の奥で確信しながら、天子は心の中で勝利の雄たけびを上げた。
 が――

「ふぅ、危ないわね」

 ○○と天子の間を、猛烈な風が一陣、吹きぬけた。
 直後、遥か後方で何かが砕け、崩れ落ちるような轟音が響いてくる。
 ぎこちない動きで後ろを見れば、そこにあった一つの浮き島が真っ二つに割れ、半分が地上へと落ちかかっていた。
 腕に当たっていたら、おそらく無事ではすまなかっただろう。

「あら、ごめんねぇ。手が滑っちゃったわ。お酒おかわり」

「……」
 凍りついた場の雰囲気など完全に無視したまま、吸血鬼がひらひらと手を振ってくる。
 視線を戻せば、同じく呆然としていた顔の○○が、天子に気がついて視線を戻してきた。
「で、どうした天子」
「え、ああ、ううう、なんでもない」
 まともに続けられるはずが無かった。ちらと吸血鬼をみやれば、『今度は顔面に当てるわよ』といわんばかりの雰囲気で酒を口に運んでいる。
 冗談ではなかった。
 これではイチャイチャどころかお近づきになることすらできない。
「なんとかしないと……」
 と、その時、天子の足が置かれていた酒瓶に躓いた。
「あ」
 バランスを取る暇もない。重心が傾き、体が○○のほうに倒れ始める。
 本来ならばなんとしてでも落下を防ぐ天子。が、今は頭がそれを許容していた。
 このまま倒れれば、○○に受け止めてもらえるかもしれない。その計算は確かに正しく、ちらと見た○○はすでに天子を受け止める体勢入っていた。
 今度こそ邪魔は入らない。あの吸血鬼もこればかりは防げないだろう。
 が、再びどこからか風を切る音がした。
 直後、ありえない場所から伸びてきた手が天子の服を引っつかみ、そのまま体を物凄い力で地面にたたきつける。
「がふぅ!?」
 若干バウンドした瞬間、すぐ傍の虚空に『空間の亀裂』が見えた。その隙間から人間の腕が生え出し、うねうねと動いている。
 が、それは瞬時に亀裂へと吸い込まれ、亀裂自体も宙に溶けて消えた。

「あらあら、自分から転ぶなんて酔ったのかしら。でも○○を避けたのは賞賛に値するわね」

 再び静まり返った場に、スキマ妖怪の声が響く。
「……」
 もう何も言い返す気にならなかった。
 ふらふらと起き上がり、○○から少し離れた場所に座る。
「だ、大丈夫か? 天子……」
「……うん」
 それだけ答えて口に酒を運ぶ。
 杯は心なしか涙の味がした。

***

 それからどれくらいの時間が経ったのか。
 既に天子のフラストレーションはマッハだった。
 それほど立ってはいなかったが、天子は依然として○○に指一本触れることが出来ていない。
 予想外だったのは、衣玖の存在だった。天子が○○から離れたのをいいことに、○○の傍に座って色々と話をしている。
 散々な天子としては見ていられなかったが、他はそうでもないらしい。
 二人の妖怪も、ボディタッチさえしなければいいと考えているのか、これに介入する動きは見せていなかった。
 が、その瞬間はいとも簡単にやってきた。
「さて、随分飲んだしそろそろ帰るわ。咲夜、○○を捕獲しなさい」
 空になった杯を置きつつ、レミリアが不満そうな声を上げる。
 ずっと機会をうかがっていたのだろう。それは紫のほうも同じようだった。
「あら、それはこっちの台詞。藍、やるわよ」
「いい度胸ね。さっきは変な空間から出て来れなかったくせに」
「そっちこそ、日傘にこもって従者任せだったじゃない」
 場に強烈な殺気が満ちる。
「へぇ……やる気なのね」
「今度こそはっきりさせましょうか」
 その言葉が終わる前には、宴会場だった場所は吹き飛ばされ、数個のクレーターと化していた。
 逃げ遅れた○○を保護する衣玖を遠めで見ながら、爆風で吹き飛ばされる天子。
 だが、今度は一回転してゆるやかに地面へと着地した。
「貴方達……」
 腰の剣に手を当て、ふらふらと立ち上がる。
「ま、まってください総領娘様。ここで戦ったら――」
 衣玖がぎょっとした様子で止めに入った。
「て、天子……?」
 驚いた○○まで目を丸くしている。だが、今はそれらに構っている余裕は無かった。
「もういいわよ!! あの妖怪達のおかげで色々台無しよ!!」
 腰から引き抜いた緋想の剣がパリパリと音を立て、立っている浮き島が僅かに振動する。
 一通り弾幕ごっこを楽しんだ二人の注意が天子にむくのが、はっきりとわかった。
「ふん、最初からそうしていればいいのよ。○○は私がつれて帰るんだから」
「あらあら、今の発言は見逃せないわね。○○は私のものよ」
 スキマ妖怪と吸血鬼が、日傘を片手ににらみ合う。その有無を言わさぬ迫力を前にしても、今の天子はひるまなかった。
 正直、泣きたかったし喚きたかった。
「○○は……○○は私の――」
 剣を構え、足を踏み出す。それに応じるように、二人の妖怪も応戦の構えを取った。
 が――

「ストーーーップ!! 宴会の席で喧嘩しない!!」

 次の瞬間、前に回りこんだ○○により、その構図は粉々に壊されてしまった。
 いくら本気で怒っているとはいえ、○○ごと切断するわけにはいかない。それは相手も同様のようで、僅かに引くようなそぶりを見せた姿勢のまま、その場で固まっていた。
「どいて○○! そいつら殺せない!!」  
 はぁはぁ、と肩で息をしながら、緋想の剣を構えなおす。
 いくら○○といえどここで引くことはできなかった。もし引き下がれば、以降この人妖達には良いようにされてしまう。
「ごめん……でも、ケンカはしてほしくないし……」
 明らかに弾幕ごっこという雰囲気には見えなかったのだろう。確かに、天子にしてみれば本気で真っ二つにしようとしていたのだから当然だった。
「何よ。○○は私達と地上に帰りたくないの?」
「どちらかというと私とね」
 むすっとした表情のレミリアと、それを妨害するようにしゃしゃり出た紫がのんびりとした口調で言う。
 やはり話し合いは無駄か。そう思った天子が口を開こうとした時、○○がさらに一歩踏み出して深々と頭を下げた。

「ごめん、それでも俺は今、天子や衣玖さんと一緒にいたいから……」

 場の空気が固まった。
「……」
 今何て、そういおうとしても口が動かない。
 ただ魚のようにパクパクすることしかできない天子の手から、剣が落ちて乾いた音を立てた。
「おー、熱いですね○○さん」
 静まりかえった場に、何かに感心したような衣玖の声だけが響く。
 と、次の瞬間にはスキマ妖怪も吸血鬼、疲れたようなため息をつき、天子に背を向けていた。
「……何か疲れたわ。咲夜、帰るわよ」
「解りました。また日を改めるとしましょう」
「ま、○○がそういうんじゃしょうがないわね。一週間くらいしたらまた来るわ」
 それを見届けるかのように、紫と藍もスキマの中に姿を消す。
 宴会を蹂躙し、天界を戦いの炎で焼き尽くそうとした妖怪たちは、気がつけば数秒のうちに姿を消していた。
「き、消えた……」
 あまりのあっけなさに、ふらふらと地面に座り込んだ天子は、盛大なため息をついた。
 気がつけば、どこかに退避していた天人達が場を片付け、新しい酒や桃の用意を始めている。
 もう一度飲みなおすのか。そんなことを考えながら辺りに目をやれば、衣玖と○○が向かい合っている様子が目に飛び込んできた。
「あ、○○さん。頬に桃が」
 そういうと、衣玖は天子に構うことなく、○○の頬から桃の破片をつまみ取り――
「んっ」

 そのまま食べた。

「衣、衣玖さん……」
 ○○が赤くなりながら、呆然と衣玖を見つめている。
 対する衣玖も少しばかり頬を染めながら○○を見つめ返していた。
「……」
 天子の中で何かが壊れた。
 落ちたままの緋想の剣を手に取り、無言でそれを振りかぶる。
「○○さん、下がっていてください」
「この……裏切り者ォォォ!!」
 それに衣玖が反応したのは、ほぼ同時のことだった。
 ドリルと剣がぶつかり、発生した衝撃波が周囲の地面を抉り取っていく。

「泥棒猫……絶対に許さない!」
「私、もう我慢できないので、頂かせていただきます」

 どす黒いものをぶつけ合いながら、ドリルと剣が火花を散らす。

 やはり、長い戦いになりそうだった。


新ろだ139

───────────────────────────────────────────────────────────


「なーんで勉強なんかしなきゃいけないのかしら」

 毎日毎日、勝手に家に入ってきては勝手なことをして過ごしている比那名居天子はそんなことを言った。
 こいつ天人の癖になんでこんなところ来てんのかね。

「こっちは毎日が勉強なんだがな」

 掃除に洗濯、畑仕事に炊事ときたもんだ。
 こっちとあっちじゃ勝手がてんで違う。
 最初は筋肉痛で一日動けなかったもんだ。

「あー、そういう勉強じゃなくて――心持ちとか学問とか、比較的生活に必要のないものよ」
「そうだなぁ、まぁよーわからんが多少はあったほうがいいんじゃないか。先人から学ぶ事だってあるだろうし」

 天界じゃどうなってんのかは知らんけどね、と続ける。

「で、なんでそんなことを突然聞くよ。お前らしくもない」
「天界での勉強がつまらないのよ」

 声質が変わったので気になって天子のほうを見ると、彼女は眉間にしわを寄せていた。
 いかにも怒っているような顔だ。

「なんでつまらないのさ」
「あっちじゃ、欲は捨てろって言われてるのよ。そんなの……つまらないったらありゃしないわ!」
「……いや、天人はそーゆーもんだろ」

 迫力に気おされながらも一応答えるがなおも彼女の怒りは収まりそうにない。
 と、いうか増幅している気がする。
 立ち上がって彼女は言う。

「食欲、性欲、睡眠欲! 恋愛だって出来ないし、挙句の果てには生きる欲求だって! 葛藤もなければ障壁だってない!
 ただ適当に釣りをして適当に酒を飲み適当に囲碁を打ち適当に食べるだけ! つまらないつまらない! つまらないったらありゃしないわ!」

 二度言って(おそらくそれが一番言いたかったんだろう)あーもう!と癇癪を起こしたと思うと、ドカッと座って
 腕を組んでムスッとした顔をしてお茶。とだけ言った。                                                           お前はタタリか。
 
 お茶が飲みたいのだろう。
 今逆らうとどうなるかわからないし、素直に従っておくことにした。







 湯を沸かして茶を入れるまでの間に天子の機嫌は幾分か収まったようだ。
 と、いうよりかは吐き出すもの吐き出して楽になったというべきか。

「……まぁ、その感情がどれほどのものかは俺は知らんが――」

 ほいよ、と天子の分を渡して向かい合うように座る。

「お前には欲求があるように見えるがな」

 つまらないって思うこと自体が欲求の表れじゃないか。
 お茶を飲んでそう言う。

「欲求を捨ててから天人になるんじゃないのか?」
「……そういう天人だっているのよ」
「ふーん。でも天界から追い出されるようなことはないよな?」
「今のところはね」
「じゃあ、いいんじゃないか?」
「え?」

 驚いて顔を上げる天子。

「まぁ、短絡的っちゃ短絡的だが、追い出されたところで天人は天人だろうしな。
 開き直ってしまえばいいさ。それに――」



「それに、追い出されたらこっちである程度は世話してやるよ」


 少々恥ずかしいので顔をそらして言う。
 むぅ、なんか不服だ。こんな奴に赤面するなんて。


「そう――じゃあ追い出されたらお願いしようかしら」

 そう簡単に追い出される気はないけどね、いやむしろ天界を変えてやるわ。と元気になったのか不適に笑って言う天子。
 元気になって何より、か?




「……あ、このお茶おいしい」
「新茶だ。元気がないときにはおいしいものが一番だからな」

 今となっては無意味だが、別段気にすることもない。

「……決めた」
「……何を」
「私は欲求全制覇を目指すわ!!」
「は?」
「全欲求を実行してやるのよ!」

 ……余計なことをしてしまったのかもしれん。






「そうね、まず恋愛からね」
「……相手なんかいるのか?」

 天界には――偏見だが――へんてこりんなじいさんしか居ないような気がする。
 そもそもあいては欲を捨ててんだから一方通行じゃないか。

「いるわよ」
「そうなのか?」

 そいつは初耳だった。天子に恋愛対象なりうる相手がいるとはな。

「……わからない?」
「いや、お前の交友関係なんて知らんのだが」
「…………朴念仁」
「ん、何か言ったか?」
「別にー。意外と難しそうだなって言ったのよ」
「確かにな」

 そこだけは全力で同意しておく。
 こいつの恋人が如何に大変かは友人の時点で明白であった。
 天子はあんたがそれをいうか、と笑みを固めて言っていた。




「まぁ気を取り直して……。計画を立てなければいけないわね!」
「計画って……」

 そこまで大規模じゃないだろうが。
 暇なのだろうか?
 やけに楽しそうなので止めはしないけど。
 こちらも残っている仕事をやる必要があるしな。

「う~んまずは人間と天人での寿命の違いを何とかする必要があるわね……。
 そのためには○○を天人にすれば……、でも天人にしちゃったら欲がなくなっちゃうからなぁ……。
 天人にしないで寿命を半永久的にする方法……う~ん……」

 天子がブツブツと何か言っているがそこまで大きくないのでよく聞こえない。
 どんな計画なのだろうか。
 どうせ天子のことだから破天荒なことなんだろうな。                                                              駄洒落かよ。

「――――あ、そうだ!」


 何か思いついたのか笑みを浮かべて、何事かと振り向いたこちらに身を乗り出してくる天子。


「○○!」
「どうした、大きい声だして――」







「死んで!!」

「はぁ!!?」


新ろだ151

───────────────────────────────────────────────────────────

「……」
「……」

 朝日というにはだいぶ高い角度から差し込む日光に照らされて、天子に頬をつねられながら目が覚めた。
 天子は俺の隣、掛け布団のほとんどを自分のほうへ引っ張り込んでみのむしのようにくるまり、
 顔と、白い右肩から先だけを外に出してこちらをにらんでいる。
 おはよう。そういったつもりが、「おふぁよう」になってしまうのはご愛嬌ってやつだ。

「……」

 返事はない。天子は相も変わらず不機嫌そうな、少し腫れぼったい目を向けてくる。
 おーい。お、は、よ、う、てんしー。

「……もうお昼前よ。おそよう、○○」

 ……ふむ。もうすっかり目も冴えた。起きたからもういいだろ。
 頬をつねり続ける天子の指をゆっくりほどいてやり、上体を起こして天子のほうへ体を向ける。
 おや、赤くなって顔を背けちゃって。昨日は上から下まで穴が開くほど見たくせに。

「……ずるい」

 ん?

「私、起きてからずっと、いたくて動けないのに、○○ばっかりぐーすか寝てて、ずるい」

 ああ。
 ようやく合点がいった。
 昨晩、紆余曲折のナンヤカヤを経て晴れて相思の関係となった俺たちは、勢いのまま……。

 あー。あー。
 ……まだ痛むのか?

「痛いに決まって……っ!」

 飛び掛ってきそうな表情で体を揺らした天子は、しかしへなへなと枕に顔をうずめた。
 昨日はずいぶん痛がってたもんなあ。無理すんなつったって聞きやしないし。

「ああうー……話と違うじゃないのよぉー……ここまで痛いなんて」
 ん?
「霊夢に魔理沙。ちょっとだけ痛いだけで後は気持ちいいとか大嘘ばっかり。
 それに衣玖。……ぐすっ、何が最初から最後までふぃーばーできますよ、よ」

 ……んー? 年中イチャついてる××や□□はともかく、△△が衣玖さんに手を出したなんて話聞いたことないぞ?
 衣玖さんって結構ズレたとこあるし、あの人あんな体しといて、ひょっとしてまだ……。

 ……む、こら、つねるな。
「……むー」
 あー、はいはい。悪かった。

 てんこみのむし(命名・俺)の布団をまくり、体をすべり込ませる。
 天子の体温でほどよく温まった空間で、天子の腰と背に手を回して体を寄せた。
 こいつは、俺も最近になって知ったことだが、出るべきところはまっ平らなくせしてその分のお肉がうっすらと全体に広がっている。
 かといって見苦しいレベルにまでは至っておらず、こうやって手を回せばふわふわした感触が心地いい。
 それに加えて、どんな上質の絹だって霞むような肌と、汗にまみれながらもほんのり上品に漂う桃香。
 俺の腕のなかで、小ぶりな鼻をすりつけてくる小動物のような寂しんぼうの存在をしばらく楽しんだ。

……くぅ。

 ……そういえば、昨日の夕食以来何も口にしていなかったのを思い出す。
 昨晩の\そこまでよ!/で消費したエネルギーを補給せにゃあな。飯でも作るかい。

 ……てんこさん、今の腹の虫は間違いなくお前のお腹から聞こえてきたぞ?
 なのにどうして、台所へ立とうとする俺を引き止めますか。

「……」
 きゅっと目を瞑り、ふるふると左右に首を振る天子。
 俺の背をがっちりホールドした両手にさらなる力がこもる。地味に痛い。
「もすこし」

 飯にしようや。
「やだ」

 いや、腹減ったろ?
「やだ」

 風呂入ってさっぱりするか?
「やだ」

 いやお前も汗まみれじゃ気持ち悪……
「やだ」

 ほら、天気いいし布団干し……
「やだ」

 洗濯物もたまって……
「やだ」

 えーと……
「やだ」

 ……
「……」

 はぁ。
 はいはい。わかったわかったわかりましたよ。そんな涙目でにらむな。
 オーケーオーケー、気の済むまでいてやるよ。
 全くしょうがないな、このわがまま娘め。

「……えへへ」

 そんな顔見せられたら、逆らえるわけないだろーが。
 ……何? どんな顔かって?

 ……教えてやらね。

>>新ろだ442

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