人里の一番端に位置している表札の無い我が家。
幻想郷に迷い込んでから数年が立ち、自立することを決めた時に
それまで世話になっていた慧音さんが里の人達に掛け合って用意してくれたものだ。
長らく人の手が入っていなかったらしく、最初は荒れに荒れていたが、
住むにあたって掃除をする際にこれまた世話好きな慧音さんが手伝ってくれたこともあり、
割とすぐに人が健康で文化的な最低限度生活をできる空間を取り戻した。
あの人には本当に頭が上がらない。いつか恩を返せるだろうか。
「くぅ……」
その年期を感じさせる縁側にて、一人月を仰ぎ酒を啜る。
古びた柱に体重を預け、十月の寒気を伴った夜風で酔いを抑える。
見上げた空は、昨日の豪雨が嘘だったかのように澄み渡っており、
一人で飲む酒の肴にはうってつけのものだ。
こういう風景も幻想郷だからこそ見られるものなのだろう。
向こうではこんなにゆっくりする余裕も無かった。
今日も博麗神社で宴会があったらしいが、気分ではないので丁重にお断りした。
地下の住人も来るらしいが、また次の機会もあるだろう。
「―――あらあら、一人で何をしているのかと思えば……随分と寂しいことを」
と、しみじみ風情を感じていればそれを台無しにする人物が一人。
声の主は神隠しの主犯であり、誰もが手を焼く困ったさんな隙間妖怪、八雲紫そのひとだった。
声をかけられるまで存在に気付けなかったことから、恐らく空間の隙間を潜って来たのだろう。
わざわざご苦労様であるが、相手にする義務も必要も無い。疲れるだけである。
折角の休日に余計な心労を持ちたくはない。
無視して、もう一杯酒を飲むことにする。
「不味いわ」
……が、気付けば手の中に今まで飲んでいた杯は無く。
いつの間にかに、八雲紫に奪われていた。
「不味いわ」
「二度も言うな。返せ」
「嫌ですわ」
「帰れ」
「客人に対して茶の一杯も出さずにそれはどうかと思うけれど」
「玄関から入らない他人は客じゃない」
「あなたが招かなくても客は客よ」
埒があかない。
どうするかと悩んでいると、八雲紫はどこからともなく高級な雰囲気を漂わせる酒瓶とグラスを
取り出して一人で飲み始めた。何をしに来たんだお前は。
何となく小さな敗北感を覚えて、それを誤魔化す為に徳利から酒を継ぎ足し俺も晩酌を再会した。
互いに一言も喋らず、俺にとっては気に入らない空気が続く。
――――そして、数十分が経過した頃。
「どうして」
「?」
「どうして、今日の宴会に来なかったのかしら?」
八雲紫の問い。
一呼吸おいて、杯の中の酒を飲み干し答える。
「気分じゃなかった」
「嘘ね」
酒を注ぎ足そうと徳利を引っ繰り返しても、酒は一滴も出て来なかった。
「嘘じゃない」
「嘘よ」
「嘘じゃない」
「嘘」
「嘘じゃ――」
「本当は」
八雲紫が俺の言葉を遮って言う。
「彼女がくるからでしょう? おかしな話。
好きな人に会うのが怖くて、嫌われるのが怖くて来られないなんて」
言葉を失う。
「それに、このままでもいいって自分に嘘をついてる」
言い返せないのは、それが本当のことだからだ。
感じる憤りは、自分に対するものと八雲紫に対するものだろう。
酔いが回っているのか、気分が異様に高揚している。
脳が熱せられ、単純な思考が封じられる。
それ以上は言うな。黙れ。五月蠅い。
「馬鹿な子。まるで恋に恋した臆病な乙女じゃないの」
「黙れ」
「あら怖い。でも普段は落ち着いているあなたがこんなになるのも―――」
「黙れ」
徳利を盆に叩き付け、台詞を遮る。
八雲紫はにやにやと、まるでチェシャ猫のように気味悪く笑っている。
気にくわない。
「それじゃあ、私は退散しましょうか」
きっとすぐに、おもしろいことになるけどね。
最後に耳にまとわりつく声を残して、八雲紫は隙間に消えて行った。
その場には、彼女がいた痕跡として飲みかけの酒瓶と空になったグラスが残されている。
「……」
彼女がいなくなった途端、頭の熱が冷めた。
酒気や熱気も一緒に持って行ったのか。
吹く風邪が異様に寒く感じる。
あまりいい気分はしない。今日はここでお開きにしよう。
「寝よう……」
カタン。
と、片付けを始めようとした瞬間に庭から物音。
今度は何だ、と億劫に感じて振り向けば。
「…えっと……こんばんわ、かな?」
「……」
大きな黒い帽子、癖のある銀の髪、黒いつぶらな瞳。
姉のさとりとは対象的な、胸部の閉じた第三の瞳。
振り向けば、古明地こいしが、そこにいた。
「え、あ……」
言葉に詰まる。
静まっていた熱が再び上昇する。頬に赤みがさし、鼓動が加速する。
脳裏に八雲紫の姿がちらつく。
くそ、落ち着け。これじゃあ――――
「上がってもいい?」
「っ、ああ……うん…」
我に返り、頷く。
おじゃまします、と断りをいれて靴を脱ぎ礼儀正しく縁側へ上がってくるこいし。
その姿をみていると、一つ疑問が込み上げてきた。
答えは解り切ったようなものだが、一応確認しておく。
「あのさ」
「なに?」
「なんでこんな時間に?」
「あの隙間妖怪が、『面白いものが見られるわよ』って」
やはりか。
瞬時にイメージされる扇子で口元を隠し意地悪く笑う彼女の姿。
不快なそれを、頭を振って追い払う。
「ところで」
「……っ!」
耳元で聞こえた声。
気が付けば目と鼻の先。
徒もすれば唇が触れあいそうな距離にこいしが迫って来ており、思わず後退る。
「さっきの話に出て来た『彼女』って」
ずい。
それに追い打ちを掛けるように更に距離を詰めるこいし。
たまらず、こちらも更に後退る。
そうすると、また容赦無く前へ。
それに合わせて、自分も後ろへ下がる。
「誰のこと?」
ぴたり。
遂に柱にまで追詰められ、これ以上下がる事は出来なくなった。
対してこいしは構わず、先程よりも更に近づいて。
「う……」
言えるわけが無い。
何せ、本人が目の前にいるのだから。
「だめ」
気まずく顔を逸らそうとして、頬を冷たい両手に押さえられた。
指先は冷たいが、不思議と熱が冷めることはない。
「………」
「………」
両者見つめ合うこと数分。
体感時間にすれば永遠にも近いそれは、まさしく生き地獄であった。
息伝いを感じ、睫の一つ一つが大きく見え、毛穴ですら確認できる位置。
密着した体は、衣服を通り越して心臓の鼓動を相手に伝える。
鼻孔から侵入する薔薇の香りに似たこいしの甘い匂い。
感性が麻痺し、理性が崩れてしまいそうな空間で、俺は動けずにいた。
境界線を越えればもう後戻りはできない。
進めば後悔、後にも後悔。
友人以上、恋人未満の心地良く生温い関係が終わる。
その認識が、熱で飛びかけた理性を繋ぎ止めていた。
「……始めはね、胸が変だと思ったの」
ぽつり、と普段と変わらない調子で言う。
「だけど、あなたの姿を見る度に。
あなたの顔をみる度に、ここが弛んでいくような気がして」
こいしが押さえた箇所は、閉じた第三の瞳がある胸。
かつて自ら閉ざした心の弱さ、嫌な現実から逃げた象徴。
「気が付けば、あなたのことをずっと見てた」
それが開きかけているということは、つまり。
「お姉ちゃんに聞いても、教えてくれないの」
自分の考えが正しければ、それは彼女も知っている筈だ。
あえて答えを教えなかった思惑も、俺の考えが間違っていなければ当たっている。
果たして、それは自惚れなのだろうか。
「初めて、人の心が解らないことを後悔した」
目を瞑り、淡々とした声音でつげるこいし。
「ねえ、あなたのことを、もっと教えて?」
徒もすれば、唇が触れあいそうな距離。
それを、俺は。
「――――」
「…………」
自らの意志で、ゼロにした。
「ん……」
軽く触れ合うだけのもの。
初めてのキスは、何の味もしなかった。
十秒もなく、またすぐに離れる。
「どうだった?」
「よく解らない……けど」
頬を朱に染め、戸惑いの表情を見せている。
「お姉ちゃんの言おうとしてたことは解ったわ!」
次に求めてきたのは向こうから。
軽く啄む様に小さな口で俺の唇を挟んでくる。
湿気を持つ、力の無い優しく柔らかい感覚。
繰り返して行われ、口内に言いようのない味が充満する。
行為を受ける内に、それがこいしの味だということに気付いた。
閉じた歯の隙間からにゅるりと浸入する赤い舌。
拒むことなく、自分のそれを彼女のそれに絡める。
俺はこいしを感じて、こいしは俺を感じている。
互いに互いを求め、強く抱きしめあう。
もう離さない、と言わんばかりに強く力を込めて。
「あなたは私が好き」
「お前は?」
「もちろん!」
出来たばかりの恋人たちの夜は、始まったばかり。
行き過ぎた行為に規制をかける魔女も、今はいない。
やがて二人は、どちらからでも無く、服に手をかけて――――
「さて、これで満足?」
隙間が閉じられ、映像が途絶える。
見ていたものは先程までの行為。
それを見ていた者は、地霊殿の住人たち。
皆一様に顔を真っ赤にし、その後について想像している。
「まさかここまで仲が進むとは思わなかったけど……」
そう口にしたのは、こいしの姉であり地霊殿の主である古明地さとり。
八雲紫に頼んで二人の仲を進展させるようにし、隙間からその様子を覘いていたのだ。
「私は二つの酒瓶を倒しただけよ……じゃあ私はもう行くけれど……」
「ええ、ありがとう……」
大きな欠伸をして、隙間を開き消えて行く彼女を見送り、礼を言う。
「これであなたが幸せになってくれるといいんだけど」
「大丈夫ですよさとりさま!」
「そうそう、相手もそんなに軽いやつじゃなさそうだしねー」
さとりの思惑通り、二人はくっついた。
それが良いことかは解らない。
だからさとりは、ただ妹の幸せのみを願った。
後で自分の彼氏に、さっきの妹に負けないくらい甘えてやろうと決めて。
新ろだ85
───────────────────────────────────────────────────────────
――私は、○○のことが好き。
外来人の癖に人里から離れた森の奥に住んでる変わり物だけど、優しいし暇を潰しに遊びに行けばお菓子とお茶をくれる。
○○の家で昼寝して、ついうっかり寝過ごしちゃってもちゃんと毛布をかけてくれる。
偶に頭を撫でてきて髪をくしゃくしゃにしてくるけど、大きな手は暖かいし気持ちいい。
だから、今日も特に理由は無いけど○○の家に遊びに行った。
行ったんだけど――
「はぁ……」
「むぅ?」
何というか、違うのだ。
縁側で日向ぼっこしてる姿とか、のんびりとお茶を啜っているところとかはいつもと同じなんだけど。
……日光浴より月光浴の方が体に良いってこの前言ったんだけど。
何だかよくわからないけど、雰囲気というか空気と言うか。
とにかく、いつもと同じ様子の○○はいつもとどこかが違う○○なのだ。
「あぁ……こいし、いらっしゃい」
「うん、お邪魔するー」
そうして暫くじっと見ていたら、何故だか○○に気付かれた。
いつもなら私が声を掛けるまで絶対に気付かれないのに。
よく分からない。首を傾げつつも、上がっていいと許可を貰ったので、いつもどうりに○○の胸までまっしぐら。
男にしては細身な割に、そこそこ逞しい体は抱き付いて気持ちがいい。
だから今日も抱き付いた。
抱き付いたんだけど――
「ぐふ、」
「あるぇ?」
思いっきり押し倒してしまった。
そうすると必然的に○○のお腹に馬乗り状態になっちゃうんだけど。
倒れた○○は目が開いたままなのに死んだみたいにピクリとも動かなくて、少し
気持ち悪い。
なにがあったんだろう?
「今日のあなたは意味が分からないんだけど……何か悪いものにでも憑かれたの?」
例えばお燐の怨霊とか。
○○はよく博麗神社に行くし、変なものが頭に憑いていてもおかしくない。
だけど○○は静かに首を横に振って、私を抱き上げて横に退かすとゆっくりと起き上がった。
「――ケンが、死んだんでさぁ」
「……え?」
ケン、というのは○○の飼っていた犬の名前だ。
大きな白い犬で、お姉ちゃんの飼っていたペットたちと違って知能も低いし大した力も無いけれど、とにかく人懐っこくて毛がふかふかしていた。
私もここに来る度に、背中にもふもふと抱き付いていたものだけれど。
「……なんで?」
「分からないなぁ、一昨日までは元気に庭を駆け回ってたんだがなぁ」
――昨日にはそこで動かなくなってた。
ポツリと呟いて、縁側の柱に目を向けた。
特に悲しみだとか、辛いだとかそんな感じはしないんだけど。
何にも考えていないような、無意識に犬の駆け回る姿を追っているような。
○○の目には景色が写っているけど、○○の目には景色が見えていないんだろう。
きっと、○○だけにしか見えないケンの姿を見ているんだろう。
それは良くない、私の好きな○○はそんな顔はしない。
「……えい」
「おう!?」
だから私は○○の頬を抓った。
間抜けな声を出して、赤くなった頬を撫でさする涙目な○○。
よし、ちょっとだけいつもどおり。
「……こいし?」
あ、ちょっとだけ怒ったみたい。
「だって、今日の私の好きなあなたは、私の嫌いなあなたなんだもん」
「はぁ?」
「つまり、私は○○が大好ってこと」
言うだけ言って、○○の胸に顔をうずめる。
○○は少しだけ呆けていたけど、呆れたように溜め息を吐くと抱きしめ返してくれた。
そうして、大きな手で私の頭を撫でてくれた。
○○は優しい、私の我が侭にも付き合ってくれる。
もし私にお兄ちゃんがいたら、こんな感じなんだろうなぁって思う。
ぎゅうって抱き付いた○○の体はとっても安心出来て、暖かくて。
暖かい春の陽光に身を任せて、私たちは微睡みに落ちて行った。
――だから私は、○○が好き。
>>新ろだ365
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幻想郷に迷い込んでから数年が立ち、自立することを決めた時に
それまで世話になっていた慧音さんが里の人達に掛け合って用意してくれたものだ。
長らく人の手が入っていなかったらしく、最初は荒れに荒れていたが、
住むにあたって掃除をする際にこれまた世話好きな慧音さんが手伝ってくれたこともあり、
割とすぐに人が健康で文化的な最低限度生活をできる空間を取り戻した。
あの人には本当に頭が上がらない。いつか恩を返せるだろうか。
「くぅ……」
その年期を感じさせる縁側にて、一人月を仰ぎ酒を啜る。
古びた柱に体重を預け、十月の寒気を伴った夜風で酔いを抑える。
見上げた空は、昨日の豪雨が嘘だったかのように澄み渡っており、
一人で飲む酒の肴にはうってつけのものだ。
こういう風景も幻想郷だからこそ見られるものなのだろう。
向こうではこんなにゆっくりする余裕も無かった。
今日も博麗神社で宴会があったらしいが、気分ではないので丁重にお断りした。
地下の住人も来るらしいが、また次の機会もあるだろう。
「―――あらあら、一人で何をしているのかと思えば……随分と寂しいことを」
と、しみじみ風情を感じていればそれを台無しにする人物が一人。
声の主は神隠しの主犯であり、誰もが手を焼く困ったさんな隙間妖怪、八雲紫そのひとだった。
声をかけられるまで存在に気付けなかったことから、恐らく空間の隙間を潜って来たのだろう。
わざわざご苦労様であるが、相手にする義務も必要も無い。疲れるだけである。
折角の休日に余計な心労を持ちたくはない。
無視して、もう一杯酒を飲むことにする。
「不味いわ」
……が、気付けば手の中に今まで飲んでいた杯は無く。
いつの間にかに、八雲紫に奪われていた。
「不味いわ」
「二度も言うな。返せ」
「嫌ですわ」
「帰れ」
「客人に対して茶の一杯も出さずにそれはどうかと思うけれど」
「玄関から入らない他人は客じゃない」
「あなたが招かなくても客は客よ」
埒があかない。
どうするかと悩んでいると、八雲紫はどこからともなく高級な雰囲気を漂わせる酒瓶とグラスを
取り出して一人で飲み始めた。何をしに来たんだお前は。
何となく小さな敗北感を覚えて、それを誤魔化す為に徳利から酒を継ぎ足し俺も晩酌を再会した。
互いに一言も喋らず、俺にとっては気に入らない空気が続く。
――――そして、数十分が経過した頃。
「どうして」
「?」
「どうして、今日の宴会に来なかったのかしら?」
八雲紫の問い。
一呼吸おいて、杯の中の酒を飲み干し答える。
「気分じゃなかった」
「嘘ね」
酒を注ぎ足そうと徳利を引っ繰り返しても、酒は一滴も出て来なかった。
「嘘じゃない」
「嘘よ」
「嘘じゃない」
「嘘」
「嘘じゃ――」
「本当は」
八雲紫が俺の言葉を遮って言う。
「彼女がくるからでしょう? おかしな話。
好きな人に会うのが怖くて、嫌われるのが怖くて来られないなんて」
言葉を失う。
「それに、このままでもいいって自分に嘘をついてる」
言い返せないのは、それが本当のことだからだ。
感じる憤りは、自分に対するものと八雲紫に対するものだろう。
酔いが回っているのか、気分が異様に高揚している。
脳が熱せられ、単純な思考が封じられる。
それ以上は言うな。黙れ。五月蠅い。
「馬鹿な子。まるで恋に恋した臆病な乙女じゃないの」
「黙れ」
「あら怖い。でも普段は落ち着いているあなたがこんなになるのも―――」
「黙れ」
徳利を盆に叩き付け、台詞を遮る。
八雲紫はにやにやと、まるでチェシャ猫のように気味悪く笑っている。
気にくわない。
「それじゃあ、私は退散しましょうか」
きっとすぐに、おもしろいことになるけどね。
最後に耳にまとわりつく声を残して、八雲紫は隙間に消えて行った。
その場には、彼女がいた痕跡として飲みかけの酒瓶と空になったグラスが残されている。
「……」
彼女がいなくなった途端、頭の熱が冷めた。
酒気や熱気も一緒に持って行ったのか。
吹く風邪が異様に寒く感じる。
あまりいい気分はしない。今日はここでお開きにしよう。
「寝よう……」
カタン。
と、片付けを始めようとした瞬間に庭から物音。
今度は何だ、と億劫に感じて振り向けば。
「…えっと……こんばんわ、かな?」
「……」
大きな黒い帽子、癖のある銀の髪、黒いつぶらな瞳。
姉のさとりとは対象的な、胸部の閉じた第三の瞳。
振り向けば、古明地こいしが、そこにいた。
「え、あ……」
言葉に詰まる。
静まっていた熱が再び上昇する。頬に赤みがさし、鼓動が加速する。
脳裏に八雲紫の姿がちらつく。
くそ、落ち着け。これじゃあ――――
「上がってもいい?」
「っ、ああ……うん…」
我に返り、頷く。
おじゃまします、と断りをいれて靴を脱ぎ礼儀正しく縁側へ上がってくるこいし。
その姿をみていると、一つ疑問が込み上げてきた。
答えは解り切ったようなものだが、一応確認しておく。
「あのさ」
「なに?」
「なんでこんな時間に?」
「あの隙間妖怪が、『面白いものが見られるわよ』って」
やはりか。
瞬時にイメージされる扇子で口元を隠し意地悪く笑う彼女の姿。
不快なそれを、頭を振って追い払う。
「ところで」
「……っ!」
耳元で聞こえた声。
気が付けば目と鼻の先。
徒もすれば唇が触れあいそうな距離にこいしが迫って来ており、思わず後退る。
「さっきの話に出て来た『彼女』って」
ずい。
それに追い打ちを掛けるように更に距離を詰めるこいし。
たまらず、こちらも更に後退る。
そうすると、また容赦無く前へ。
それに合わせて、自分も後ろへ下がる。
「誰のこと?」
ぴたり。
遂に柱にまで追詰められ、これ以上下がる事は出来なくなった。
対してこいしは構わず、先程よりも更に近づいて。
「う……」
言えるわけが無い。
何せ、本人が目の前にいるのだから。
「だめ」
気まずく顔を逸らそうとして、頬を冷たい両手に押さえられた。
指先は冷たいが、不思議と熱が冷めることはない。
「………」
「………」
両者見つめ合うこと数分。
体感時間にすれば永遠にも近いそれは、まさしく生き地獄であった。
息伝いを感じ、睫の一つ一つが大きく見え、毛穴ですら確認できる位置。
密着した体は、衣服を通り越して心臓の鼓動を相手に伝える。
鼻孔から侵入する薔薇の香りに似たこいしの甘い匂い。
感性が麻痺し、理性が崩れてしまいそうな空間で、俺は動けずにいた。
境界線を越えればもう後戻りはできない。
進めば後悔、後にも後悔。
友人以上、恋人未満の心地良く生温い関係が終わる。
その認識が、熱で飛びかけた理性を繋ぎ止めていた。
「……始めはね、胸が変だと思ったの」
ぽつり、と普段と変わらない調子で言う。
「だけど、あなたの姿を見る度に。
あなたの顔をみる度に、ここが弛んでいくような気がして」
こいしが押さえた箇所は、閉じた第三の瞳がある胸。
かつて自ら閉ざした心の弱さ、嫌な現実から逃げた象徴。
「気が付けば、あなたのことをずっと見てた」
それが開きかけているということは、つまり。
「お姉ちゃんに聞いても、教えてくれないの」
自分の考えが正しければ、それは彼女も知っている筈だ。
あえて答えを教えなかった思惑も、俺の考えが間違っていなければ当たっている。
果たして、それは自惚れなのだろうか。
「初めて、人の心が解らないことを後悔した」
目を瞑り、淡々とした声音でつげるこいし。
「ねえ、あなたのことを、もっと教えて?」
徒もすれば、唇が触れあいそうな距離。
それを、俺は。
「――――」
「…………」
自らの意志で、ゼロにした。
「ん……」
軽く触れ合うだけのもの。
初めてのキスは、何の味もしなかった。
十秒もなく、またすぐに離れる。
「どうだった?」
「よく解らない……けど」
頬を朱に染め、戸惑いの表情を見せている。
「お姉ちゃんの言おうとしてたことは解ったわ!」
次に求めてきたのは向こうから。
軽く啄む様に小さな口で俺の唇を挟んでくる。
湿気を持つ、力の無い優しく柔らかい感覚。
繰り返して行われ、口内に言いようのない味が充満する。
行為を受ける内に、それがこいしの味だということに気付いた。
閉じた歯の隙間からにゅるりと浸入する赤い舌。
拒むことなく、自分のそれを彼女のそれに絡める。
俺はこいしを感じて、こいしは俺を感じている。
互いに互いを求め、強く抱きしめあう。
もう離さない、と言わんばかりに強く力を込めて。
「あなたは私が好き」
「お前は?」
「もちろん!」
出来たばかりの恋人たちの夜は、始まったばかり。
行き過ぎた行為に規制をかける魔女も、今はいない。
やがて二人は、どちらからでも無く、服に手をかけて――――
「さて、これで満足?」
隙間が閉じられ、映像が途絶える。
見ていたものは先程までの行為。
それを見ていた者は、地霊殿の住人たち。
皆一様に顔を真っ赤にし、その後について想像している。
「まさかここまで仲が進むとは思わなかったけど……」
そう口にしたのは、こいしの姉であり地霊殿の主である古明地さとり。
八雲紫に頼んで二人の仲を進展させるようにし、隙間からその様子を覘いていたのだ。
「私は二つの酒瓶を倒しただけよ……じゃあ私はもう行くけれど……」
「ええ、ありがとう……」
大きな欠伸をして、隙間を開き消えて行く彼女を見送り、礼を言う。
「これであなたが幸せになってくれるといいんだけど」
「大丈夫ですよさとりさま!」
「そうそう、相手もそんなに軽いやつじゃなさそうだしねー」
さとりの思惑通り、二人はくっついた。
それが良いことかは解らない。
だからさとりは、ただ妹の幸せのみを願った。
後で自分の彼氏に、さっきの妹に負けないくらい甘えてやろうと決めて。
新ろだ85
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――私は、○○のことが好き。
外来人の癖に人里から離れた森の奥に住んでる変わり物だけど、優しいし暇を潰しに遊びに行けばお菓子とお茶をくれる。
○○の家で昼寝して、ついうっかり寝過ごしちゃってもちゃんと毛布をかけてくれる。
偶に頭を撫でてきて髪をくしゃくしゃにしてくるけど、大きな手は暖かいし気持ちいい。
だから、今日も特に理由は無いけど○○の家に遊びに行った。
行ったんだけど――
「はぁ……」
「むぅ?」
何というか、違うのだ。
縁側で日向ぼっこしてる姿とか、のんびりとお茶を啜っているところとかはいつもと同じなんだけど。
……日光浴より月光浴の方が体に良いってこの前言ったんだけど。
何だかよくわからないけど、雰囲気というか空気と言うか。
とにかく、いつもと同じ様子の○○はいつもとどこかが違う○○なのだ。
「あぁ……こいし、いらっしゃい」
「うん、お邪魔するー」
そうして暫くじっと見ていたら、何故だか○○に気付かれた。
いつもなら私が声を掛けるまで絶対に気付かれないのに。
よく分からない。首を傾げつつも、上がっていいと許可を貰ったので、いつもどうりに○○の胸までまっしぐら。
男にしては細身な割に、そこそこ逞しい体は抱き付いて気持ちがいい。
だから今日も抱き付いた。
抱き付いたんだけど――
「ぐふ、」
「あるぇ?」
思いっきり押し倒してしまった。
そうすると必然的に○○のお腹に馬乗り状態になっちゃうんだけど。
倒れた○○は目が開いたままなのに死んだみたいにピクリとも動かなくて、少し
気持ち悪い。
なにがあったんだろう?
「今日のあなたは意味が分からないんだけど……何か悪いものにでも憑かれたの?」
例えばお燐の怨霊とか。
○○はよく博麗神社に行くし、変なものが頭に憑いていてもおかしくない。
だけど○○は静かに首を横に振って、私を抱き上げて横に退かすとゆっくりと起き上がった。
「――ケンが、死んだんでさぁ」
「……え?」
ケン、というのは○○の飼っていた犬の名前だ。
大きな白い犬で、お姉ちゃんの飼っていたペットたちと違って知能も低いし大した力も無いけれど、とにかく人懐っこくて毛がふかふかしていた。
私もここに来る度に、背中にもふもふと抱き付いていたものだけれど。
「……なんで?」
「分からないなぁ、一昨日までは元気に庭を駆け回ってたんだがなぁ」
――昨日にはそこで動かなくなってた。
ポツリと呟いて、縁側の柱に目を向けた。
特に悲しみだとか、辛いだとかそんな感じはしないんだけど。
何にも考えていないような、無意識に犬の駆け回る姿を追っているような。
○○の目には景色が写っているけど、○○の目には景色が見えていないんだろう。
きっと、○○だけにしか見えないケンの姿を見ているんだろう。
それは良くない、私の好きな○○はそんな顔はしない。
「……えい」
「おう!?」
だから私は○○の頬を抓った。
間抜けな声を出して、赤くなった頬を撫でさする涙目な○○。
よし、ちょっとだけいつもどおり。
「……こいし?」
あ、ちょっとだけ怒ったみたい。
「だって、今日の私の好きなあなたは、私の嫌いなあなたなんだもん」
「はぁ?」
「つまり、私は○○が大好ってこと」
言うだけ言って、○○の胸に顔をうずめる。
○○は少しだけ呆けていたけど、呆れたように溜め息を吐くと抱きしめ返してくれた。
そうして、大きな手で私の頭を撫でてくれた。
○○は優しい、私の我が侭にも付き合ってくれる。
もし私にお兄ちゃんがいたら、こんな感じなんだろうなぁって思う。
ぎゅうって抱き付いた○○の体はとっても安心出来て、暖かくて。
暖かい春の陽光に身を任せて、私たちは微睡みに落ちて行った。
――だから私は、○○が好き。
>>新ろだ365
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