聞こえるのは、ただ波の音。
月の表側、静かの海。
かつて地上人達が残した穢れが水底に沈み、生命の存在しない殺風景な土地。
滅多な事が無い限り月人が寄り付かず、兎達もいないこの場所は集中して思考を回すには最適な場所である。
また、雰囲気に浸りたい時、どうしても一人になりたい時の個人的なお薦めスポットでもある。
そして、今回も煮詰めたい事があって此処にきたのだが。
「何をしているのですか、豊姫様」
「そうね、強いて言えば何もしてないをしているのかしら」
「ようは暇なんですね、分かります。あと離れて下さい」
既に先着の豊姫がいて、俺の姿を見るなりすぐさま駆け寄ってきた。
何故かそのまま俺の傍らに寄り添い、自然な動作で腕を絡めてくる。
周囲の目が無いからまだマシなものの、相手の立場と自分の立場を比べるとこの状況は非常によろしくない。主に俺の心臓に。
「誰も見ていないわよ?」
「関係ありません。というか、そういう問題ではないのです」
「どういう問題よ」
「立場の問題です」
「むぅ」
「唸っても駄目です」
「えー」
「ならぬと言ったらならぬのです」
「……妹だったら喜ぶのに?」
「――」
まったく予想していなかった一言が。
ドキリと心臓が大きく一つ跳ね、喉元が縮む。
言葉に詰まり、頬に血が集まっていくのが分かる。
「あら図星」
乱れそうになる呼吸を整え、小さく息を吐く。
上司の手前、これ以上みっともない姿を晒してはならない。
「……どうして知っているのですか」
「知らぬは本人ばかりなり、というのかしら?」
「まぢですか」
「まぢ、よ。少なくとも兎達の間では今一番人気のある話題ね」
「はぁ……」
少しも気付かなかった、まさか自分がそんな目で見られていたとは。
どうりで最近、兎達や門番組の見る目がおかしいわけだ。
そんな俺の悩みを余所に、豊姫は服の中から桃を一つ取り出すと、大きく一口頬張った。
周囲に果汁の甘い匂いが漂い、鼻孔をくすぐる。
「桃だってね、美味しそうだからって熟れないうちに飛び付くのは良くないけれど」
「そりゃそうですが」
「あんまり躊躇っていると、食べ頃を逃しちゃうわ」
「同じに扱っていいものですかね」
「だってあなた、凄く焦れったいんだもの」
それにね、と豊姫は桃にもう一口かじり付き咀嚼して、
「煮え切らないのは、選ばれなかった方からすると苛々するの」
「え?」
瞳を閉じて、近づいてくる豊姫の顔。
頬に弾みのある柔らかいものが押し付ける感触と。
桃蜜の匂いをより一層強く感じて。
「――私が言いたいのはそれだけ。後は全てあの子とあなた次第」
放心の中、亜麻色の髪を揺らしながら去っていく後ろ姿を見送る。
未だに湿り気の残る頬に、冷たい風がよく染みた。
新ろだ204
───────────────────────────────────────────────────────────
月の表側、静かの海。
かつて地上人達が残した穢れが水底に沈み、生命の存在しない殺風景な土地。
滅多な事が無い限り月人が寄り付かず、兎達もいないこの場所は集中して思考を回すには最適な場所である。
また、雰囲気に浸りたい時、どうしても一人になりたい時の個人的なお薦めスポットでもある。
そして、今回も煮詰めたい事があって此処にきたのだが。
「何をしているのですか、豊姫様」
「そうね、強いて言えば何もしてないをしているのかしら」
「ようは暇なんですね、分かります。あと離れて下さい」
既に先着の豊姫がいて、俺の姿を見るなりすぐさま駆け寄ってきた。
何故かそのまま俺の傍らに寄り添い、自然な動作で腕を絡めてくる。
周囲の目が無いからまだマシなものの、相手の立場と自分の立場を比べるとこの状況は非常によろしくない。主に俺の心臓に。
「誰も見ていないわよ?」
「関係ありません。というか、そういう問題ではないのです」
「どういう問題よ」
「立場の問題です」
「むぅ」
「唸っても駄目です」
「えー」
「ならぬと言ったらならぬのです」
「……妹だったら喜ぶのに?」
「――」
まったく予想していなかった一言が。
ドキリと心臓が大きく一つ跳ね、喉元が縮む。
言葉に詰まり、頬に血が集まっていくのが分かる。
「あら図星」
乱れそうになる呼吸を整え、小さく息を吐く。
上司の手前、これ以上みっともない姿を晒してはならない。
「……どうして知っているのですか」
「知らぬは本人ばかりなり、というのかしら?」
「まぢですか」
「まぢ、よ。少なくとも兎達の間では今一番人気のある話題ね」
「はぁ……」
少しも気付かなかった、まさか自分がそんな目で見られていたとは。
どうりで最近、兎達や門番組の見る目がおかしいわけだ。
そんな俺の悩みを余所に、豊姫は服の中から桃を一つ取り出すと、大きく一口頬張った。
周囲に果汁の甘い匂いが漂い、鼻孔をくすぐる。
「桃だってね、美味しそうだからって熟れないうちに飛び付くのは良くないけれど」
「そりゃそうですが」
「あんまり躊躇っていると、食べ頃を逃しちゃうわ」
「同じに扱っていいものですかね」
「だってあなた、凄く焦れったいんだもの」
それにね、と豊姫は桃にもう一口かじり付き咀嚼して、
「煮え切らないのは、選ばれなかった方からすると苛々するの」
「え?」
瞳を閉じて、近づいてくる豊姫の顔。
頬に弾みのある柔らかいものが押し付ける感触と。
桃蜜の匂いをより一層強く感じて。
「――私が言いたいのはそれだけ。後は全てあの子とあなた次第」
放心の中、亜麻色の髪を揺らしながら去っていく後ろ姿を見送る。
未だに湿り気の残る頬に、冷たい風がよく染みた。
新ろだ204
───────────────────────────────────────────────────────────