昭和61年(1986年)から、近鉄傘下最終公演が行われた平成15年(2003年)まで開催されていた公演。
概要
OSKは大阪劇場閉鎖以来、大阪中心部での公演が実施できていなかった。昭和57年(1982年)のあやめ池公演『楊貴妃』が大好評となり、大阪中心部での常打ち公演復活の機運が起こるも、最終的に年1-2回程度の公演となった。
劇場自体は、1938年(昭和13年)に映画館として開業し、1985年(昭和60年)に全面改装して再開業。客席数954席。以降、OSKの他、劇団四季ミュージカルや、コンサート会場として興行が行われた。
昭和末~平成前半期当時のOSKは、あやめ池遊園地での定期公演や、地方の旅館等でのショーが中心であり、近鉄劇場公演での新作ミュージカル上演は年一度の晴れ舞台だった。また、1990年代以降の近鉄劇場公演はNHKでの全国放送もあり、これが入団のきっかけとなった方もいる。
ビデオ販売は平成元年(1989年)以降。
大作を上演できる貴重な機会であり、歌劇らしいロマン溢れるミュージカルや、OSKの日本物の強みを活かした和風ミュージカルもある一方、有名作家作品とは言え歌劇に落とし込むには微妙なものもあり、近鉄時代末期の試行錯誤(あるいは迷走)ぶりが伺える。
新入団生(※OSKにおける初舞台は、研究科夏の生駒山公演を指す場合が多い)のラインダンスが披露されることも多く、その高速さは新人らしからぬレベルの高さだった。
平成の大不況の影響から、近鉄のレジャー部門再編により平成15年(2003年)にOSK日本歌劇団が解散(復活して現在に至る)、翌16年(2004年)に近鉄バファローズ球団は消滅(球界再編問題)、そして近鉄劇場も同年閉業となった。
跡地は上本町YUFURAとして再開発され、新歌舞伎座が入居している。
近鉄劇場
年度 |
演目等 |
主な配役 |
備考 |
昭和61 |
ダンシング・ナイト |
長谷川恵子、嵯峨みさ緒 |
ブロードウェイダンサー共演 |
62 |
楊貴妃 夢見桜ラプソディ |
東雲あきら |
トップ披露公演 |
63 |
果てしなき流れの果に |
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同 |
長谷川恵子リサイタル |
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平成元 |
相生橋夢物語 |
東雲あきら、友美愛 |
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同 |
東雲あきらリサイタル |
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2 |
大津皇子 |
長谷川恵子、東雲あきら |
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同 |
奇跡伝説 |
麻美ゆう、煌みちる、美影ひとみ、奈美ちはる |
同期スター4人中心の公演 |
3 |
アップフェルラント物語 |
長谷川恵子、東雲あきら、千爽貴世 |
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4 |
ARABESQUE |
長谷川恵子、東雲あきら、友美愛 |
東京公演復活 |
5 |
エル・アモール |
東雲あきら、麻美ゆう、千爽貴世、湖上芽映 |
翌年、スペイン村開業 |
7 |
天上の虹 |
東雲あきら、友美愛 |
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8 |
東雲あきらリサイタル |
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退団公演 |
同 |
レディ・アンを探して |
煌みちる、湖上芽映 |
トップ披露公演 |
同 |
煌みちるリサイタル |
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9 |
上海夜想曲 |
煌みちる、湖上芽映 |
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10 |
ニューオーリンズの賑わい! |
煌みちる、湖上芽映 |
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11 |
魔剣士 |
煌みちる |
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12 |
Schatz |
煌みちる |
退団公演 |
同 |
エル・アモール・グランデ |
洋あおい、那月峻 |
トップ披露公演 |
13 |
闇の貴公子 |
洋あおい、那月峻 |
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14 |
ASUKAの嵐 We Love Revue! |
洋あおい、那月峻 |
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同 |
私は男役 |
洋あおい |
退団公演 |
同 |
新・闇の貴公子 |
那月峻 |
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15 |
Endless Dream |
那月峻、千爽貴世、若木志帆 |
近鉄最終公演 |
近鉄小劇場
最終更新:2024年02月18日 07:50