機能主義

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#contents ---- **概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的機能が「痛み」であると説明される。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義や同一説の問題点を踏まえた上で、それらのあとに続く考え方として、1960年代にオーストラリアの哲学者、デイヴィッド・アームストロングによって始められた。[[ウィトゲンシュタイン]]の「(語の)意味とはその用法である」というアイデアに由来する。行動主義との違いは、心的な状態を行動としてでなく、行動の原因として定義する点である。 **機能主義と唯物論の関係 機能主義者の多くは唯物論者であるが、機能主義は必ずしも唯物論を前提にしなくても成立する理論である。心的状態そのものを「存在記号」に置き換えることによって検証可能な文にするラムジー文(フランク・ラムジーの発案による)と呼ばれる方法がある。この方法によると、「ラムジーは知覚 a を得て、信念 g をもち、それが欲求 y を生じさせた」というように、心的状態を因果関係のみで定義する。つまり心的状態そのものは「ブラックボックス」であり、ならばそのブラックボックス内部にあるのが本質的に非物質的な精神や霊魂であってもかまわないことになる。このような立場はブラックボックス機能主義と呼ばれる。 **コンピューター機能主義 近年における急速なコンピューター技術の発展の過程で、脳とコンピューターを類似のものとみなす考えが生まれてきた。すなわち脳はコンピューターのように作動し、「心」と呼ばれるものはコンピューターのプログラムに相当するものだという考えであり、物質的な脳にとって心とは、コンピューターのハードにとってのソフトであるという原理である。このような立場をコンピューター機能主義と呼ぶ。 アラン・チューリングはチューリングテストを考案した。コンピューターが十分知性的であるか否かを判定するテストである。具体的には人間の判定者が、離れた場所にいる別の人間と一機の機械に対しキーボードとディスプレイにより対話を行う。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械は「知性」を備えていると考えた。 [[ジョン・サール]]はチューリングテストを批判し、人工知能を「弱い人工知能」と「強い人工知能」に分類した。弱い人工知能は人間の心理現象をシミュレーションする機能しかない。しかし強い人工知能は人間のように「心」を持つものである。チューリングが想定するコンピューターの知性とは弱い人工知能であり、[[行動主義]]に過ぎないとサールはいう。 **機能主義に対する批判 機能主義は[[現象的意識]]や[[クオリア]]を取りこぼしており、人間の意識を説明するには不十分だという批判がある。そして多くの哲学者が思考実験によって機能主義に反論している。代表的なものに[[ジョン・サール]]の[[中国語の部屋]]、トマス・ネーゲルの[[コウモリであるとはどのようなことか>http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/40.html]]、[[デイヴィッド・チャーマーズ]]の[[逆転クオリア]]、フランク・ジャクソンの[[マリーの部屋]]、ネッド・ブロックの[[中国人民]]などがある。 ジョン・サールは、主観的なクオリアを避けて説明する機能主義は、心的現象の説明に十分条件を与えていないという。そして[[逆転クオリア]]の思考実験を例に挙げ、機能主義では「私は赤を見ている」という自分の経験と、「私は赤を見ている」という(クオリアの反転した)他者の経験を全く同じものと考えるが、二人の内的経験は異なっているのだから機能主義は間違っていることになる、という。 ----
#contents ---- **概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的機能が「痛み」であると説明される。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義や同一説の問題点を踏まえた上で、それらのあとに続く考え方として、1960年代にオーストラリアの哲学者、デイヴィッド・アームストロングによって始められた。[[ウィトゲンシュタイン]]の「(語の)意味とはその用法である」というアイデアに由来する。行動主義との違いは、心的な状態を行動としてでなく、行動の原因として定義する点である。 **ブラックボックス機能主義 機能主義者の多くは唯物論者であるが、機能主義は必ずしも唯物論を前提にしなくても成立する理論である。心的状態そのものを「存在記号」に置き換えることによって検証可能な文にするラムジー文(フランク・ラムジーの発案による)と呼ばれる方法がある。この方法によると、「ラムジーは知覚 a を得て、信念 g をもち、それが欲求 y を生じさせた」というように、心的状態を因果関係のみで定義する。つまり心的状態そのものは「ブラックボックス」であり、ならばそのブラックボックス内部にあるのが本質的に非物質的な精神や霊魂であってもかまわないことになる。このような立場はブラックボックス機能主義と呼ばれる。 **コンピューター機能主義 近年における急速なコンピューター技術の発展の過程で、脳とコンピューターを類似のものとみなす考えが生まれてきた。すなわち脳はコンピューターのように作動し、「心」と呼ばれるものはコンピューターのプログラムに相当するものだという考えであり、物質的な脳にとって心とは、コンピューターのハードにとってのソフトであるという原理である。このような立場をコンピューター機能主義と呼ぶ。 アラン・チューリングはチューリングテストを考案した。コンピューターが十分知性的であるか否かを判定するテストである。具体的には人間の判定者が、離れた場所にいる別の人間と一機の機械に対しキーボードとディスプレイにより対話を行う。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械は「知性」を備えていると考えた。 [[ジョン・サール]]はチューリングテストを批判し、人工知能を「弱い人工知能」と「強い人工知能」に分類した。弱い人工知能は人間の心理現象をシミュレーションする機能しかない。しかし強い人工知能は人間のように「心」を持つものである。チューリングが想定するコンピューターの知性とは弱い人工知能であり、[[行動主義]]に過ぎないとサールはいう。 **機能主義に対する批判 機能主義は[[現象的意識]]や[[クオリア]]を取りこぼしており、人間の意識を説明するには不十分だという批判がある。そして多くの哲学者が思考実験によって機能主義に反論している。代表的なものに[[ジョン・サール]]の[[中国語の部屋]]、トマス・ネーゲルの[[コウモリであるとはどのようなことか>http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/40.html]]、[[デイヴィッド・チャーマーズ]]の[[逆転クオリア]]、フランク・ジャクソンの[[マリーの部屋]]、ネッド・ブロックの[[中国人民]]などがある。 ジョン・サールは、主観的なクオリアを避けて説明する機能主義は、心的現象の説明に十分条件を与えていないという。そして[[逆転クオリア]]の思考実験を例に挙げ、機能主義では「私は赤を見ている」という自分の経験と、「私は赤を見ている」という(クオリアの反転した)他者の経験を全く同じものと考えるが、二人の内的経験は異なっているのだから機能主義は間違っていることになる、という。 ----

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