意識の境界問題


概説

意識の境界問題(英:Boundary Problem of Consciousness)とは、人間の意識が宇宙の構造のあるレベル、つまり「脳」という単位において、統一的に、かつ境界をもって存在しているのはなぜなのかという問題。心の哲学において意識のハードプロブレムと関わる問題のひとつとして議論される。2004年にアメリカの哲学者グレッグ・ローゼンバーグによって提起された。

個人が体験するのはこの世界にある意識体験のごく一部である。例えば隣にいる他人が酷い虫歯の痛みに苦しめられていたとしても、自分がその痛みを感じるということはないし、また地球の裏側で誰かが幸福の絶頂を噛み締めていたとしても、自分がその喜びを感じるということはない。つまり意識体験は境界を持って個別化されている。

意識は「脳」という宇宙全体の階層構造からすると中途半端な位置のレベルに(対応して)起きている。宇宙は素粒子のレベルから、原子、分子、高分子というレベルを経て、細胞、組織、個体、生態系、そして惑星、恒星系、銀河、銀河団、宇宙というレベルまで、様々なレベルで構成される階層性を持っている。その中で人間の意識体験は、個別の人間の脳と神経細胞というレベルで統一され、他のものと境界があるよう思われる。そしてこれより細かいスケールの物理状態が、意識体験に直接関わってこないように見える現象はグレイン問題と呼ばれる。

また個別化された各意識体験の間の「境界(Boundary)」というのは一体どのようにして決められているのか、という問題もある。

意識の統一性

意識の統一性(英:Unity of Consciousness)とは、意識体験がバラバラの部分の集まりとしてではなく、統一されたひとつの全体として体験されること。例えばある画像を見た時、画像は全体的に統合されて体験される。形と独立に色を体験することはできないし、また視野の右半分を左半分と別に独立して経験することも出来ない。こうした意識の不可分性が統一性という言葉で意味されている。

中心と周辺

私たちは注意していないことや、注意の焦点からずれている沢山のことを意識している。椅子に座って本を読んでいるとき、椅子に座っている感触や腹のベルトがちょっと窮屈だというようなことには注意は払われていないものの、それらの感覚は「気づき(アウェアネス)」の状態にある。

たとえば、沢山の人ごみの中で会話している時、私たちは話相手以外にはあまり注意は払わないものだが、もし話し相手の背景からある人が突然自分たちの方向にダッシュしてきたら、すぐ危険を察知するだろう。〈中心 - 周辺〉という問題は〈意識的 - 無意識的〉という問題と区別される必要があるのだ。

組み合わせ問題

意識の境界問題とほぼ同種の問いを、カナダの哲学者ウィリアム・シーガーは1995年に組み合わせ問題として定式化している。シーガーは汎経験説を前提した際のひとつの問題として、宇宙の基本的な構成要素の全てが現象的な特性(原意識)を持つような場合に、そういった原意識からいったいどのようにして、統合された意識が生まれてくるのかという問題を提起した。「きめの問題」も類似の問題である。

きめの問題

きめの問題(英: grain problem)は、脳の物理的状態が非常にきめ細かい構造を持っているのに、なぜ人間の意識体験は統一的であるのか、という問題。意識の均質性(英: Homogeneity of Consciousness)の問題とも言われる。「意識の境界問題」と類似の問題である。

ウィルフリッド・セラーズは1965年、当時大きい影響力を持っていた心脳同一説の中心的なテーゼである「心的状態と脳の物理状態との間の同一性」に対する反論の一環として、この「きめの問題」を提出した。

人間の脳の物理的状態は非常に微細で複雑な構造を持っている。感覚器官が外界の情報を受け取った場合は、脳内で何十億、何百億という数の神経細胞が活動する。またそれぞれの神経細胞もまた高度に複雑な内的構造を持ち、更に神経伝達物質、それらを構成する原子も微細で複雑な内的構造を持つ。しかし私たちの意識体験において、こうした複雑な構造が認められることはない。意識は統一されたものとして体験されるのだ。

このことから問題になるのは、「多数」の物理的なものに「唯一」の心的なものが対応しているということであり、意識の成立について堆積のパラドックスが生じるということである。多重実現可能性はそのパラドックスを含意したものである。

解決へのアプローチ

意識の境界問題、およびそれに類した問題に対する解答は、現象的意識クオリアに対して取る哲学的立場により異なったものとなってくる。

物理主義の立場では、現象的意識とアウェアネスを存在論的に区別しないので、私たちがアクセス可能な情報だけが「意識」と呼ばれているものだと考え、意識の統一性問題は存在しないとされる。

性質二元論または中立一元論と呼ばれるような立場では、現象的意識とアウェアネスを存在論的に区別するので、境界問題に対して物理主義とは異なる説明を与える必要が出てくる。(性質二元論からの解答の候補はwikipediaを参照のこと)


  • 参考文献
ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 筑摩書房 2008年
  • 参考サイト


最終更新:2013年05月26日 22:25