形而上学


形而上学(metaphysics)とは世界の実在や原理についての仮説である。形而上学はmeta-physicsの字義通り物理学(physics)の制約に囚われず、思弁的方法によって世界の真理を探求する。しかし物理学に反するものではなく、形而上学は物理学の知見を包括するものである。

形而上学の多くを占めるのは存在論であるが、認識論も一部含まれる。存在の認識は人の認識能力に制限されるからである。とりわけカント哲学においては存在論と認識論は一致する。カントによれば人の認識はアプリオリな形式によって制限され、現象世界はその形式に従って現れる。しかし物自体(実在)は人間理性が到達できない不可知の存在である。

カント哲学に限らず、形而上学とは認識論と存在論が重心を異にしながらも重なり合った構図となる。ただし近年の認識論は独自に発展して多くの問題領域を持ち、それら問題は個別に議論されている。形而上学にかかわる認識論はあくまで一部である。

以下に形而上学の主要問題を図解する。


上図では赤い円で表した認識論と青い円で表した存在論が重なり合い、緑の円で表した時空の哲学が存在論の円とほぼ一致し、存在論の問題全てを包括する大問題であることを表している。それぞれの破線の部分は問題が繋がっていることを表している。

実在の問題は認識論と存在論の交差点にある。「実在」と「現象」を峻別するのは哲学の基本である。人が認識できるのは意識への現れ=現象であり、意識外部に存在するもの=実在ではない。実在とは何であるかという問題は、哲学の歴史と同じだけ古く、形而上学の根本問題である。ジョージ・バークリーは意識外部の実在というものを否定し、実在するのは現象だけで意識外部の世界は存在しないという観念論を主張した。逆に意識外部に現象と同じものが存在するという主張が実在論である。

なお近年科学哲学の分野において「科学的実在論」として論じられているものは科学における理論対象の実在性を問題とするものであり、古典的な実在論論争とは歴史的断絶がある。しかし現象と実在の二分法を受け継いで、現象から実在を考えるという方法は同じであり、古典的実在論の論争と無関係なわけではない。

人は五感によって存在を認識するが、五感で認識した現象が実在と正確に対応しているか否かは論点の一つである。正確に対応しているという説は「真理対応説」と呼ばれる。カントはアンチノミーの論証によって、時空は直観の形式であり物自体に属するものではないことを証明しようとした。これは真理対応説を反駁したものである。カントの超越論的観念論とは、意識外部の実在を認めるものの、真理対応説を否定するという観念論の一種である。

実在論とは意識外部の実在と真理対応説の双方を認める立場である。

なお「クオリア」という用語は「現象」と同じ対象を指すものである。実在と対比させる場合は現象と呼ばれ、心脳問題で脳と対比させる場合はクオリアと呼ばれる。

存在論の問題に無限論(無限の物事は実在するか否かという問題)を入れることもできる。ただし無限の問題は時空の哲学そのものであるとみなすこともできる。カントのアンチノミーは無限の実在が不可能であることを前提とした論証である。

時間の哲学では静的宇宙論(永久主義)と動的宇宙論の対立がある。静的宇宙論とは相対性理論の記述様式であるミンコフスキー時空(四次元時空)を実体的なものとみなし、過去の物事も未来の物事も四次元の実体に永久的に存在するとみなす。したがって相対性理論が記述する「時間」は実在的なものとして認めるが、「変化」は実在しないとする。逆に動的宇宙論ではミンコフスキー時空を単なる記述の道具とし、時間と変化の双方の実在を認める。近年の分析形而上学では静的宇宙論を支持する論者が多い。これは相対性理論が静的宇宙論と親和的だからであり、かつ静的宇宙論はアンチノミーの問題を回避しているからである。

仮に静的宇宙論が正しければ因果関係は実在的ではないということになる。因果とは、何かを原因として結果としての何かが「生じる」という変化の実在を含意した概念だからだ。

仮に因果関係が実在的でないならば、それは心脳問題にも大きな影響を及ぼすことになる。心脳問題の課題はクオリアの位置づけである。多くの論者は特定のクオリアは特定の脳の物理状態と同一だとみなしているのだが、それでは物的なものと異なる観測のされ方をする心的なクオリアがなぜ存在しているかわからない。しかしクオリアが物的なものと異なる存在だとすると、心的なものがどのように物的なものに因果的に作用しているかがわからなくなる。これが心的因果の問題である。しかし因果関係が実在的でないとすると心的因果の問題そのものを根本的に見直す必要がある。

そして心脳問題は実在の問題ともかかわる。心脳問題を心的なクオリアと物的な脳との関係だと考えるのは正確ではない。「物的な脳」というのも実は視覚や触覚で知覚されたもの、つまり心に現れたクオリアなのだから、心脳問題の実質は、心的なクオリアと「物的な脳の実在」との関係なのである。したがって「現象の脳」と「実在の脳」の関係も考えなければならない。

独在性の問題とは、なぜこの私から比類のない唯一のこの世界が開闢されているのかという問題である。この場合の「世界」とは実在世界のことではなく現象世界のことである。独在性とはその世界の唯一性のことである。もちろん他の人々も固有の世界を開闢しているだろう。しかし私の世界は唯一である。その唯一性は現象世界の内容には関係がない。なぜなら他の人々も同じ内容を持てるからである。ウィトゲンシュタインはその唯一の世界をミクロコスモスと呼んでいる(『論理哲学論考』)。永井均はそのミクロコスモスを〈私〉と表記する。

人格の同一性問題とは、その〈私〉の持続の問題である。還元主義では〈私〉というような物的でも心的でもない主体を否定するので、「今この私」は一個の瞬間的なクオリアだということになる。逆に〈私〉のような非還元主義的主体を認めるならば、主体内部のクオリアは生成消滅するが、主体は時間を通じて存在し続けると考えることができる。

なお「死」は形而上学の重要問題であるが、これは時間の存在論と人格の同一性問題の枠内にある。人格の同一性における還元主義が正しいならば、前述のように通時的同一性を維持する主体が否定されるので、「今この私」は瞬間的な存在者になる。つまり還元主義ではクオリアが変化するごとに新たな「私」が生じ、以前の「私」は死ぬとみなす。しかし時間の存在論における静的宇宙論が正しいならば、各時点の「私」は永久に存在することになる。ただその場合でも静的宇宙論では「2秒前の私」や「3秒後の私」は「今この私」と対等に存在するとみなすので、「今この私」は時間的幅がほとんどない瞬間的な存在者になる。逆に人格の同一性問題における非還元主義が正しく、かつ時間の存在論における動的宇宙論が正しいならば、生まれてから死ぬまで通時的に同一の「私」が存在し続けると考えることができる。

心の哲学の問題領域は幅広く、心脳問題やクオリアの存在論だけでなく、人格の同一性や自由意志の問題も含まれる。そして独在性の問題ともかかわっている。心の哲学とは「心」を研究するものであるが、「心」に対置される「物」は物理学によって研究され解明が進んでいる。物理学が研究対象としない「心」は哲学における最重要の研究対象である。

運命論(決定論)は排中律に基づく論理的問題とされることもあるが、時間の哲学の枠内に入れることもできる。静的宇宙論が正しければ未来の物事も既に存在しているので、運命論も正しいということになるからだ。自由意志の問題は運命論と不可分である。

可能世界の問題とは、この宇宙と異なる別の宇宙が存在するか否かというものである。これは物理学で言う多元宇宙論ともかかわる。物理学者のマックス・テグマークや哲学者のデイヴィド・ルイスは数学的・論理的に可能な世界は全て実在すると考える。しかしこのような論者は極めて少数派であり、多くの論者は可能世界の実在性を棚上げし、単に思考の検証装置として用いている。たとえば私の身長が5センチ高い世界は存在可能と思われる。では人々がクオリアを有さない哲学的ゾンビの世界は存在可能だろうか? このような思考の検証装置としての可能世界は存在論の多くの分野で用いられており、言語哲学でも用いられている。

なお時空の存在論は物理学と哲学の学際領域である。静的宇宙論と動的宇宙論の対立は相対性理論の解釈を巡る対立でもある。なお物理学者でも静的宇宙論や動的宇宙論という形而上学を主張している者は多いが、彼らの主張は相対性理論の解釈を巡るものであり、カントのアンチノミーに言及する者は少ない。哲学では相対性理論とアンチノミーの双方を考慮して時空を論じなければならない。

科学は存在論の多くに関わるが、全てではない。前述のように科学は「心」を研究対象としない。しかし哲学の方法論には自然主義というものがある。この方法論は論者によってかなり定義が異なるが、自然主義のミニマルな条件は、自然科学に反した主張はしないというものである。

そのミニマルな条件を自然主義の定義とした場合は、クオリアは物質と異なるという二元論の主張も自然主義に反しない。「自然科学に反した主張」と「自然科学にない主張」は全く異なるからである。極端なたとえだが、魂は存在すると主張しても、その魂が未知の物理法則によって存在していると前提するならば依然として自然主義的である。

上のミニマルな自然主義とは逆に、ラディカルな自然主義では存在論を物理学と一致させるので、物理主義や唯物論と呼ばれる。唯物論は二元論を否定し、心脳問題は脳科学によって解決されるとみなす。独在性の問題は問題自体を否定することになる。


最終更新:2021年02月01日 14:40