独今論

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#contents ---- 永井均『〈子ども〉のための哲学』p123によると、〈今〉という問題は[[独存性]]における〈私〉という問題と論理的な構造は同じである。 独我論と独今論は同じ構造をしている。認識論的独今論が、全ては私への現れだと主張するのと同じように、認識論的独今論は、全ては今への現れだと主張する。つまり、過去とはいま存在する思い出にほかならず、未来とはいま存在する予想や期待にすぎない。 これに対して、存在論的独今論は、でもその今とはいったいいつのことだ?と問わずにいられない。認識論的独今論は、どの今に関しても成り立つだろう。そうした今一般のなかにこの今という特別な時点があること、たまたま何年何月の何日であることに驚くとき、存在論的な問いが始まる。 ----
#contents ---- 永井均『〈子ども〉のための哲学』p123によると、〈今〉という問題は[[独在性]]における〈私〉という問題と論理的な構造は同じである。 独我論と独今論は同じ構造をしている。認識論的独今論が、全ては私への現れだと主張するのと同じように、認識論的独今論は、全ては今への現れだと主張する。つまり、過去とはいま存在する思い出にほかならず、未来とはいま存在する予想や期待にすぎない。 これに対して、存在論的独今論は、でもその今とはいったいいつのことだ?と問わずにいられない。認識論的独今論は、どの今に関しても成り立つだろう。そうした今一般のなかにこの今という特別な時点があること、たまたま何年何月の何日であることに驚くとき、存在論的な問いが始まる。 ----

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