実体二元論

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#contents ---- **実体二元論とは? 実体二元論(じったいにげんろん、英:Substance dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体がある、という考え方。実体二元論という一つのはっきりとした理論があるわけではなく、一般に次の二つの特徴を併せ持つような考え方が実体二元論と呼ばれる。 この世界には、肉体や物質といった物理的実体とは別に、魂や霊魂、自我や精神、また時に意識、などと呼ばれる能動性を持った心的実体がある。 そして心的な機能の一部(例えば思考や判断など)は物質とは別のこの心的実体が担っている 代表的な実体二元論として17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトの唱えた理論「我思う、ゆえに我あり」がある。これはデカルト二元論(Cartesian dualism)と呼ばれ、実体二元論の代表的理論として取り扱われている。 実体二元論は時に心身二元論とも言われる。また単に二元論とだけ表現されることもある。しかし二元論という言葉は現代の二元論(たとえばチャーマーズの自然主義的二元論など)のことを指すのにもしばしば使用われるめ、若干注意が必要である(実体二元論と現代的な二元論との間の違いについては物理主義の項目で説明している)。 歴史的に直近に、実体二元論を唱えた人物としては、20世紀のオーストラリアの神経生理学者ジョン・エックルズ[2]が有名である。エックルズはしばしば、最後の二元論者として扱われる。 実体二元論は歴史的・通俗的には非常にポピュラーな考えではあるが、現代の専門家たちの間でこの理論を支持するものはほとんどいない。その理由は端的にガリレイ・ニュートン以後蓄積されてきた自然科学の知識と整合性を持ってこの理論を主張することが難しいためである。 (Wikipedeliaより) **実体二元論の問題点 実体二元論で問題となるのは、まず何より因果と関わる問題である。物質と精神を完全に別の二つの実体とすると、両者の間の関係を考える必要が出てくる。この関係を相互作用と考えるならば、物質は物理法則のみに従って運動する、という科学上の基本的な前提と整合的に理解することが難しい。また精神が物質に命令を与えるという考え方は、時間の前後関係について、自発的な運動についての準備電位の観測結果と整合的に理解することが難しい。 **物理的領域の因果的閉包性の問題 物理的領域の因果的閉包性(ぶつりてきりょういきのいんがてきへいほうせい、英:Causal closure of physics)とは、『どんな物理現象も物理現象のほかには一切の原因を持たない』とする、経験から推測された原理、理論、仮説のこと。 物理的閉鎖(英:physical closure)、物理的な閉鎖(英:closed under physics)などとも呼ばれる。 科学哲学の分野で扱われている。 心の哲学という哲学の一分科では、心の因果作用(この世界において意識やクオリアが持つ因果的な能力、すなわちほかのものの原因となることが出来る能力、言い換えれば意識やクオリアが諸現象の因果連鎖の網の目の中でとるポジション)について議論するさいに、相互作用説をとる二元論への反論する時に提示される概念。 因果的閉包性の概念に注目しているのは、哲学の一分科である心の哲学である。この理由は、次のような問題、例えば「心的なものは物理的なものに対して影響を与えることができるのか」といった問題を論じようとすると、必ず物理的領域の因果的閉包性の話が浮かび上がってくるためである。 ・心の哲学での歴史 デカルトに代表される実体二元論においては、物的なものと心的なものという本質的に異なる二種類のものがこの世に存在すると考えた。そしてこの両者は何らかの形で相互作用するとした。 しかしながらニュートンに始まった機械論的な世界観は、多くの人々の間に物理現象は因果的に閉じているに違いない、という考えを広め、これが随伴現象説を生み出す土壌を形作った。 その後 機械論的な見方は惑星や落体といった一部の物質だけに留まらず、自然現象一般に広くその適用範囲を広げていく。特に20世紀後半ごろから急速に発展した神経科学の莫大な発見の積み重ねから、脳に至ってもやはり、その振る舞いを原子や分子の機械的な挙動の結果として説明できることが明らかになった。これにより心的な性質として理解されていた様々な人間の行動(運動、発話、表情、判断など)も物理的な領域の現象として脳の物質的な要素から説明されることが一般的になり、人間を一種の自動機械(オートマトン)として捉える考え方が非常に根強いものとなる。これにより心的なものは全て物理的なものに還元できるに違いない、という考えが一時隆盛を極めることとなる。 しかしその後 心的な性質のうち、現象的意識、クオリアなどといわれる主観的な体験については、物理領域に単純に還元することが難しいのではないか、という問題が、心の哲学の研究者たちを中心に数多く提出されるようになる。因果的閉包性の概念は、こうした心の哲学の分野で、意識やクオリアの自然界での位置づけの議論、『物理現象はそれだけで因果的に閉じているように見えるが、そうすると意識やクオリアの居場所はどこにあるのか』、といった議論を行なう際に使用される概念である。 ・心の因果的締め出し 物理的領域の因果的閉包性を前提にした上で、意識やクオリアの位置づけを探った場合、最もシンプルな解答として随伴現象説が帰結する。実際、現在の神経科学者の多くも、「物質としての脳」と「主観的体験としてのクオリア」の間の関係を、随伴現象説的な立場から捉えている事が多い(例えばエーデルマンのダイナミック・コア仮説やトノーニの情報統合理論など)。 随伴現象説では意識やクオリアといった主観的体験は、物理現象に対して何の因果作用ももたないとする(すなわち主観的体験が物理現象の原因となることはない、ということ)。この立場から見ると主観的体験のポジションは、閉じた物理領域に対して、宙ぶらりんな格好になる。そのため随伴現象説における心的なものは、物理現象にぶら下がっているだけの付属物、という意味で因果的提灯(いんがてきちょうちん)と呼ばれることもある。 しかし現象意識やクオリアを、物理状態になんの因果作用も引き起こさない随伴現象として位置づけると、そこからはある種のパラドックスが引き起こされる。それは現象意識やクオリアに関して脳が行なっている判断や報告には現象意識やクオリア自体は因果的に一切関わっていないことになる、という問題である。この問題は現象判断のパラドックスと呼ばれている。 **エネルギー保存則における問題 アメリカの哲学者ダニエル・デネットは、1992年の著作 "Consciousness Explained"(邦訳「解明される意識」)の中で、因果的閉鎖性を破るような心身の相互作用はもしそうしたものがあるとすれば、エネルギー保存則をやぶることになる、と説明した。これは哲学者がいう「因果的閉鎖性を破る」という事が具体的にどういう意味なのか、という事を科学者を含むより広い範囲の人々に分かりやすく説明しなおした議論である。仮に脳内のどこかで、今まで静止していたものが、何の物理的な力も受けずに突然動き出したり、また今まで動いていたものが、何の力も受けずに突然静止したりするなら、そこではエネルギー保存則がやぶれている。だから、非物質的な精神が物理的なものに影響を及ぼすという考えは、よく確かめられた物理学の基本法則と矛盾するものであり、「考えただけでコップを中に浮かすことが出来る」といったサイコキネシスや超能力の実在を主張するのと何も変わりない、そうデネットは説明した。 **概念上の批判 (カテゴリーミステイク) イギリスの哲学者ギルバート・ライルは、1949年の著作"The Concept of Mind"(邦訳:心の概念)において、実体二元論を概念上の混乱として批判した。ライルは脳とは別に、実体としての精神を措定するデカルト的な二元論を、機械の中の幽霊のドグマと呼び、カテゴリー・ミステイクという概念上の混乱によってもたらされた大きな誤りであるとした。 カテゴリー錯誤(category mistake, category error)とは、対象に固有の属性をその属性をどうあっても持つことのできないものに帰すという、意味論的あるいは存在論的な誤りである。 あらゆる(陳述の)誤りは固有の属性をなんらかの意味で誤って帰属させる(ある事柄をそれが属していないクラスに分類する)ことを含んでいるから、ある意味で、すべての誤りはカテゴリー錯誤であると言える。しかし、哲学的によく用いられる意味でのカテゴリー錯誤は、最も厳密な形態の帰属の誤り、すなわち論理的に不可能なものを是認することであると思われる。例えば、「その本のビジネスは永遠に眠る」という陳述は統語論的に正しいが、無意味な戯言であり、せいぜい何かの比喩と見ることができるにすぎない。なぜならこの陳述は、「永遠に眠る」という属性を「ビジネス」に誤って帰属させているからであり、「ビジネス」という属性を「本」というトークンに誤って帰属させているからである。 **発展可能性 以上あげたような困難が山積するため、実体二元論は現在、科学者からも哲学者からも、最も人気のない立場となっている。しかしまだこの方向での探求も終わることなく続けられている。 現在得られている科学上の知見と整合的な形で、実体二元論の立場を主張できると考えられている方法として、量子力学の確率過程に頼る方法がある。つまり波動関数の収縮過程において、精神(と呼ばれることになる何か)が、物理領域に影響を与えるのではないか、という考えである。こうしたアイデアは量子脳理論と呼ばれる領域で考察の対象となっている。 こうした立場を取るならば、因果的閉鎖性の破れやエネルギー保存則と関わる批判をかわすことはできる。しかしそうした統計的な法則に従う収縮過程をもたらす精神の作用というのは一体どういうものなのか(つまりそんな作用があるとして、それは私たちが考える一般的な意味での自由意志と一体どういう関係にあるのか)といった議論がなされる。 ----
#contents ---- **実体二元論とは 実体二元論(英:Substance dualism)とは[[心身問題]]に関する形而上学的な立場のひとつで、心的なものと物質的なものはそれぞれ独立した[[実体]]であるとし、またその心的な現象を担う主体として「魂」のようなものの存在を前提とする説である。代表的な論者は[[ルネ・デカルト]]である。 実体二元論と対置される[[性質二元論]]では、精神と脳の状態を同一の実体の両面と見ている。この考えでは脳が作用を停止すれば精神現象は消滅する。しかし実体二元論の立場では、脳が作用を停止しても精神現象を担っていた主体である「魂」は存在し続けることになる。また性質二元論では、心的なものと物質的なものは相互作用しないと考えるが、実体二元論の一種の[[相互作用二元論]]では、心的なものと物質的なものは相互作用すると考える。 実体二元論、特に[[相互作用二元論]]は心と身体の因果関係を説明するのが難しい。物質は物理法則のみに従って運動する、という現代科学の基本的な前提と整合的に理解することが難しく、今日ではこの理論を支持する論者は極めて少ない。しかし近年に実体二元論を唱えた人物としては、20世紀のオーストラリアの神経生理学者ジョン・エックルズ、科学哲学者のカール・ポパー、哲学者のリチャード・スウィバーンがいる。エックルズはしばしば、最後の二元論者として扱われる。 **実体二元論の利点と問題 実体二元論の利点は、「自己」が説明しやすいということである。一般的に性質二元論では、さまざまに変化している精神現象を担う主体としての魂のようなものを存在していない。このためさまざまな体験が、なぜ「私」という同一主体に帰属しているかのように感じられるのか説明するのが難しい。しかし実体二元論のように魂を想定すれば、さまざまな心的現象を生じさせているのは魂の作用なのだから、そのような困難はない。しかし魂のような何かが[[クオリア]]やセンスデータを知覚するというこの考え方は、「[[カルテジアン劇場]]」、「機械の中の幽霊」といった批判がある。 実体二元論の問題は、物理的領域の[[因果的閉包性]](英:Causal closure of physics)と相克するということである。因果的閉包性とは「どんな物理現象も物理現象のほかには一切の原因を持たない」とする経験から推測された原理のこと。物理的閉鎖(英:physical closure)、物理的な閉鎖(英:closed under physics)などとも呼ばれ、科学哲学の分野で扱われている。心的なものは物理的なものに対して影響を与えるとする実体二元論は、因果的閉包性が事実なら否定されることになる。 **エネルギー保存則の問題 アメリカの哲学者ダニエル・デネットは、1992年の著作 "Consciousness Explained"(邦訳「解明される意識」)の中で、心身の相互作用がもしあるとすれば、エネルギー保存則を破ることになると説明した。仮に脳内の分子が何の物理的な力も受けずに突然動き出したり、また今まで動いていたものが、何の力も受けずに突然静止したりするなら、そこではエネルギー保存則が破れている。つまり非物質的な精神が物理的なものに影響を及ぼすという考えは、物理学の基本法則と矛盾するものであり、サイコキネシスなど超能力を主張するのと変わりないとデネットは説明した。 **概念上の批判 イギリスの哲学者ギルバート・ライルは、1949年の著作"The Concept of Mind"(邦訳:心の概念)において、実体二元論を概念上の混乱として批判した。ライルは脳とは別に、実体としての精神を措定するデカルト的な二元論を、機械の中の幽霊のドグマと呼び、カテゴリー・ミステイク([[カテゴリー錯誤]])という概念上の混乱によってもたらされた大きな誤りであるとした。 カテゴリー錯誤(category mistake, category error)とは、対象に固有の属性をその属性をどうあっても持つことのできないものに帰すという、意味論的あるいは存在論的な誤りである。 **発展可能性 前述のような困難が山積するため、実体二元論は現在、科学者からも哲学者からも、支持する者が少ない立場となっている。しかし一部の科学者や哲学者は因果的閉包性、つまり物理的領域は因果的に閉じていないとする考えの基で探究を続けている。これは量子力学による方法である。つまり波動関数の収縮過程において、精神が物理領域に影響を与えるのではないか、という考えである。こうしたアイデアは[[量子脳理論>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%84%B3%E7%90%86%E8%AB%96]]と呼ばれる。 ---- ・参考サイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E4%BD%93%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96 ----

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