バートランド・ラッセル

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バートランド・ラッセル - (2010/12/02 (木) 17:55:00) の編集履歴(バックアップ)



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バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell,OM,FRS 1872年5月18日 - 1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。
哲学者として新ヘーゲル主義から経験論者に転向、以後その主張はかなりぶれがあったものの基本的には唯物論をとる。

心の哲学におけるラッセルの見解

宇宙は根本的には「出来事」からなっているというのがラッセルの見解である。出来事は持続し広がりをもっている時空的な事柄である。物理学的にいうなら、出来事は時空連続体の一部を占めている。
そして、出来事には心的と物理的の二つの記述の仕方があり、どちらか一方の仕方で描写される。物理的記述のものとでは、出来事は物理学の研究対象であり、心的記述のもとでは、出来事は心理学の研究対象である。
ラッセルは心と物質がその基盤にあるより根本的な何かの側面だと考えており、自分の説を著書『哲学概説』において中立一元論と呼んでいる。

ラッセルの理論はスピノザと共通しているところがある。スピノザとの相違は、スピノザが神という唯一の実体を想定したのに対し、ラッセルは実体そのものの存在を否定したことである。
物質と心は、心的記述と物理的記述に対して中立な出来事に還元されるというのがラッセルの立場である。例えば最新の物理学では、物質は変化するエネルギー波自体の運動に他ならない。もしそうなら、物質とは何かを説明するのに波動概念を使っているとすれば、波動とは何かを説明するのに物質の概念を使うのは循環論法である。したがってラッセルからすれば物質も波動も出来事ということになる。
そして、心の概念は物質に対する批判と同じ論法で批判される。心の定義とされる特徴は、知覚、内観、記憶、知識などの概念であるが、このような心の定義をラッセルは批判する。
ラッセルによれば、われわれが本当に直接知覚しているのは音、色、形、大きさであり、ラッセルはそれらを「感覚与件」という。人間は感覚与件を対象に帰属させている。ただし感覚与件じたいが心的ではなく、それらを内観する(ラッセルは知識反応と呼ぶ)という出来事が心的だと結論する。

ラッセルは感覚与件を物理学と心理学との合流点だと言う。感覚与件は本来心的でも物理的でもない。それは他の出来事との関係に依存して心的になったり物理的になったりするのだ。

出来事は存在する。だが出来事は何かに生じるのでは無い。ものごとは生起し、出来事は存在するが、それはいかなる種類の実体から作られるものではない――これがラッセルの見解である。

ラッセルは、脳内の出来事を物体の運動とみなすべきではないと言う。脳は出来事によって理解すべきであり、そして出来事が心的なのか物理的なのかは問題にすべきではない。出来事はその因果関係に依存して、心的かつ物理的になることもあれば、そのいずれかになることもあると言う。
ここでのラッセルの見解には知覚が脳の一部だという主張が含まれているのに留意すべきである。すなわちラッセルの中立一元論は神学を物理学に置き換えたスピノザ主義だと言っても、それほど見当違いではない。