汎経験説対創発説

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汎経験説対創発説 - (2010/12/06 (月) 00:42:24) の編集履歴(バックアップ)



汎経験説

汎経験説とは、現象的意識・クオリアといった心的経験が、脳や神経細胞といった巨視的なスケールではじめて生まれるのでなく、もっと根本的なレベルにおいて、すでに何らかの形で存在しているはずだ、という考えのこと。すなわちクォークやレプトンといった、物理現象の基本構成要素自体に、現象的意識やクオリアの元となる何らかの性質(原意識)が含まれているのではないか、とする説。性質二元論を前提にしている。1990年代ごろから集中的に議論されるようになり、現在、心の哲学を中心にその詳細が議論されている。代表的な論者にデイヴィッド・チャーマーズがいる。歴史的にはこうした考え方(世界を構成する基本要素として心的な性質が遍く存在しているという考え方)は別に真新しいものではなく、例えば17世紀後半のドイツの数学者ゴットフリート・ライプニッツによって提唱されたモナドロジーにおいても、そうした世界観が提示されている。こうした考え一般に対立する立場にあるのが、創発説である。

創発説

創発(そうはつ、emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。心の哲学においては、物質がある巨視的なレベルで特定の配置を取ったとき初めて現象的意識やクオリアといった心的経験が創発する、と考える。物理主義的な一元論の立場から主張される。

局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。
この世界の大半のモノ・生物等は多層の階層構造を含んでいるものであり、その階層構造体においては、仮に決定論的かつ機械論的な世界観を許したとしても、下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、上層の挙動は実際上予測困難だということ。下層にはもともとなかった性質が、上層に現れることがあるということ。あるいは下層にない性質が、上層の"実装"状態や、マクロ的な相互作用でも現れうる、ということ。