一元論

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一元論 - (2010/12/17 (金) 00:28:51) の編集履歴(バックアップ)



全般

一元論(英: monism)は、形而上学や神学において、すべてはある一つの実体もしくはエネルギーからなり、世界には普遍的な一連の原理があると見なす考え方である。

物理的なものと心的なものという2種類の実体があると説く二元論や、たくさんの実体があると説く多元論と区別されるが、これらの入り混じった思想も存在している。

一元論は汎神論や万有在神論、 内在神論としばしば同一視される。また、絶対論(絶対説)、モナドといった概念とも関係が深い。

心の哲学における一元論は、心と体が存在論的に異なるものだという主張を認めない考え方である。西洋哲学の歴史においてこの考えを最初に提唱したのは紀元前5世紀の哲学者パルメニデスであり、この考えは17世紀の合理主義哲学者スピノザによっても支持された。

一元論の種類

一元論には大きく分けて三つの種類がある。ひとつは物理主義(Physicalism)であり、物物理学の理論が記述するもののみが存在しているという考えで、物理学が発展していけば、心についても全て物理学の用語だけで説明できると考える。

これに対するのが唯心論(Idealism)と観念論で、唯心論は心だけが実際に存在するもので外界とは心そのもの、または心によって作り出された幻想と考える。観念論はいくつもの説に分かれるが、いずれも認識論と存在論において、物理的なものより心的なものに優位を見出しているという点で、物理主義と対立する。

そして中立一元論(Neutral monism)は、何らかの中立的実体があり、物や心というのはこの知られざる実体の持つ二つの側面、性質なのだと考える。二元論に分類されている性質二元論もこれと同様の立場である。

三つの一元論の中で、20世紀から21世紀にかけて最も一般的だったのは、物理主義である。物理主義には様々なバリエーションがあり、行動主義、タイプ同一説、非法則一元論、機能主義などがこの中に含まれる。

現代の物理主義者は、心を体と別の何かとして分けて扱うかどうかという点に応じて、還元的な物理主義(Reductive physicalism)と非還元的な物理主義(Non-reductive physicalism)に分かれる。還元的な物理主義では心的な状態というのも、結局は生理学的なプロセスまたは状態として自然科学の言葉によって全て説明されると考える。これに対し非還元的な物理主義は、心に対応するものは脳だけしかないが、それでも予測と説明に用いられる心的な語彙に関しては、より低次の物理科学の言葉による説明へ置き換えることも、還元することも出来ないと考える。

哲学的な一元論

一元論には様々なタイプがあるが、それぞれの理論において究極とされている存在は、"Monad"(モナド)という言葉で呼び表される。モナドという言葉は「単一の、単独の」といった意味を持つギリシャ語 μόνος (モノス)に由来し、古代ギリシアのエピクロスやピタゴラスによって最初に用いられた。

一元論はよく以下の3つの基本的なタイプに区分される:

  • 本質一元論 = ひとつの本質だけがあるとするもの。
  • 属性一元論 = 一種類のものだけがあるが、そのカテゴリーの中にたくさんの個物があるとするもの。
  • 絶対一元論 = ひとつの本質、ひとつのものだけがあるとするもの。従って、完全一元論が一元論の理念型といえる。

また一元論は以下の3種類に分けることもできる。

  • 観念論 = 唯現象主義、すなわち心だけが現実だと考える唯心論的一元論。
  • 中立的一元論 = 心身いずれもがなんらかの第三の本質(エネルギー等)に還元されるとするもの。
  • 唯物論または物理主義 = 身体だけが現実であり、心は身体に還元されるとするもの。

未分類の一元論

  • 機能主義の場合、唯物論と同じく心が究極的に身体に還元されるとするが、 それだけではなく、心の全ての臨界的局面は神経基質(Neural substrate)のなんらかの「機能的」水準に還元できるとする。それ故ある精神状態になる時にニューロンから何かが出ていなくてはならないということはない。認知科学や人工知能研究でよく見られる立場。
  • 消去主義の場合、精神という言葉は将来的に非科学的と証明されるはずであり、完全に放棄されると論じる。全ての者が地・空気・水・火の四元素から構成されているという古代ギリシャ人の説をわれわれがもはや信じることができないように、将来の人間ももはや「信念」「欲望」その他の精神状態を指す用語を用いなくなるというのである。 バラス・スキナーの徹底的行動主義は、消去主義の変形の一つである。
  • 非法則的一元論は、ドナルド・デイヴィッドソンが1970年代に心身問題解決の一方法として提起した立場である。上述の区分からすれば、これは物理主義または中立的一元論と考えられる。デイヴィッドソンによれば、物理的出来事だけが実在する。全ての心的対象ないし心的出来事も完全に実在しているが、なんらかの物理的出来事と同一の出来事として記述可能である。ただし、
(1)全ての心的出来事は物理的であるが、全ての物理的出来事が心的であるわけではない、
(2)(ジョン・ホーグランドによれば)全ての原子を除けば何も残らない、
という2つの理由から、物理主義がある程度優位を占める。この一元論は以前の心身統一理論より優れた理論と考えられている。なぜなら、この立場を採っても、全ての心的実在を純物理的な用語で記述し直す方法を今すぐ提供できなくてもよいからである。実際にそのような方法はない。非還元的物理主義はそういう立場を採るし、創発的唯物論の場合もそうかもしれない。
  • 反映一元論はマックス・ヴェルマンズが2000年に提起した立場である。意識に関する二元論と還元主義の見解双方につきまとう困難を解決する方法として提起されたもので、知覚された物理現象を意識内容の一部と見なす。

(管理者がWikipedeliaの文を加筆修正)