自然主義的二元論

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自然主義的二元論 - (2011/01/17 (月) 00:22:30) の編集履歴(バックアップ)


概説

自然主義的二元論(英:Naturalistic dualism)とは、デイヴィッド・チャーマーズが意識のハード・プロブレム、すなわち物質としての脳からどのようにして現象意識やクオリアなどと呼ばれるものが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場に対して与えた名前。現象意識やクオリアなどの問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという立場のこと。

自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。

近年、現象意識やクオリアなどという名で哲学者たちの間で呼ばれるようになった意識の主観的体験は、物理学の枠組みの中のどこに位置づけられるのかという問題は、ジョン・ロックやライプニッツの時代から様々な哲学者たちにより論じられてきた。現在の物理学がその実在を仮定している基本的な存在要素、例えば電荷やスピンやエネルギー、そして時間や空間などと同様に、新たに現象意識をメンバーとして迎え入れ、その上でその現象意識の振る舞いを記述することになる未知の自然法則を探索すべきだ、という立場である。

自然主義的二元論の立場

名称中で使われている二元論という言葉は唯物論または物理主義の否定を表す。つまり意識の問題を還元や消去によって解決することは出来ない、という立場である。そして自然主義という言葉でデカルト的な実体二元論の否定を表す。つまり霊や魂といった超自然(Supernatural)的なものによる説明ではなく、意識の主観的側面に対する自然主義的、科学的な説明を与えるべきだ、という立場を表す。

自然主義的二元論は、それが二元論である事から、一元論的な立場全般――特に物理主義的な立場全般と対立する。観念論も対立候補に入るが、自然主義的二元論そのものが物理主義への批判として始まったため、観念論との論争はあまり見られない。物理主義における心脳同一説機能主義といった立場との対立は、現象的意識に対して存在論的ギャップ――つまり心的現象は存在論的に物理現象とは異質なものだということを認めるか否か、という点に関する立場の違いとして理解できる。つまり二元論的立場は物理状態と現象的意識の間に存在論的ギャップを認めるが、物理主義的立場はそうしたギャップは認めない。

自然主義的二元論は、意識の主観的側面に関して二元論的立場を取った上で、それは科学的(自然主義的)に解明できるだろう、という立場を取っているという点で、同じく二元論的立場を取る新神秘主義と対立する。自然主義的二元論は意識のハードプロブレムを科学的に解決可能な問題だと考えるが、新神秘主義はハードプロブレムは人間には理解・解決できない類の問題だと考える。(認知的閉鎖

  • 意識に関する問題を解決するために物理学の拡張が必要だ、と訴えている有名な論者として、チャーマーズと別にロジャー・ペンローズがいる。この二人の主張は一見よく似てるようにも思えるが、問題としている部分が大きく異なる。チャーマーズは意識の現象的な側面・クオリアの問題を中心においているのに対し、ペンローズは意識の機能的側面の問題、具体的には人間の思考はチューリング・マシンでシミュレート可能かという問題を中心に置いている点で異なっている。