非法則一元論

「非法則一元論」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

非法則一元論 - (2011/01/23 (日) 23:34:24) の編集履歴(バックアップ)



非法則一元論とは、心の哲学における物理主義的な立場のひとつ。非還元的な物理主義とも言う。「非法則的」とは「法則論的」の逆の意味である。ドナルド・デイヴィッドソンはそれぞれの心的現象は何らかの物理現象と同一であるが、しかし逆にそれぞれの物理的現象が何らかの心的現象と同一であるとは限らないと考えた。すなわち心的現象は非法則的であるとした。

全ての心的現象は物理現象であり、心身の間には法則が成り立っていて物理現象の知識が十分にあれば、どのような心的現象が生じるかは予測できるという心脳同一説を、デイヴィッドソンは「法則論的一元論」と呼ぶ。また心的現象と物理現象が異質なものだとするデカルト的な二元論を「非法則的二元論」と呼んでいる。

デイヴィッドソンの理論は心脳同一説を否定しているわけでなく、全ての心的出来事は何らかの物理的出来事と同一であるとする同一説に近い唯物論的見解であるが、心と物の間には法則は存在せず、物理的出来事に関する知識がいくら完全だとしても心的出来事は予測されないということである。またこのことから人間の自由意志の存在を導き出した。

デイヴィッドソンは心的なものが物理的に依存している状態を「付随性(スーパーヴィーニエンス)」と呼ぶ。心的状態は物理的状態に付随するが、物理的状態に還元可能ではない、というテーゼである。「付随性」は関数的な依存関係をあらわしている。つまり、物理的なものに変化がないかぎり、心的なものにも変化がない。

心の状態は物理的状態であるのは間違いない。しかし心の状態は行動や脳の状態や機能の状態などに還元できない。ならば還元的でない物理主義といったものは定式化し得るのだろうか――デイヴィッドソンの非法則一元論は、そうした試みのである。