現象主義

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現象主義 - (2012/10/26 (金) 21:24:55) のソース

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**概説
現象主義(英 phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈[[現象]]〉の範囲に限られるとする哲学上の方法論である。現象論ともいう。[[実在論]]と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表する[[ジョージ・バークリー]]に始まり、[[デイヴィッド・ヒューム]]においてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者は[[エルンスト・マッハ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F]]であり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、[[フッサール>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB]]や[[ウィーン学団>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%AD%A6%E5%9B%A3]]の哲学者たちに影響を与えた。日本では[[大森荘蔵]]が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ〉一元論を主張した。

**前史
歴史的にはプラトンの[[イデア論]]に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る[[経験主義>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96]]の基礎となる。中世の[[普遍論争>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89]]においては、14世紀イギリスのスコラ学者[[オッカム>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0]]によって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、[[オッカムの剃刀>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80]]によって[[形相>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8]]のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。

イギリス経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックによればわれわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じる。ロックの思想は[[ジョージ・バークリー]]によって受け継がれ、彼は「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。[[デイヴィッド・ヒューム]]はバークリーの経験主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。

このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。

また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は「カメラ・モデル」と批判される。これは人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が受け取った情報を脳が処理するという一連の過程で知覚が生じるとするものだ。しかしこれは後の[[デイヴィッド・チャーマーズ]]が意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせることになる。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。

**方法論
マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、「言語的還元」の方向を目ざす。この主張は「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と言い換えることができ、このテーゼを忠実に展開したのが[[カルナップ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%97]]の『世界の論理的構築』である。ほかに [[G. E. ムーア>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2]]、[[バートランド・ラッセル]]、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。日本では[[大森荘蔵]]の〈立ち現れ一元論〉が現象主義の一つの到達点を示している。

現れる現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では認識主観、認識主体というものを認めない。この極端な現象主義的立場では、[[デカルトのコギト>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E6%80%9D%E3%81%86%E3%80%81%E3%82%86%E3%81%88%E3%81%AB%E6%88%91%E3%81%82%E3%82%8A]]を単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。

**論理実証主義
論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった新しい科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(ここでいう「ものの総体」とは「[[物自体>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%BD%93]]の総体」と解釈される)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。

論理実証主義では、われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるとし、また直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる」として、科学は決して経験から乖離しないとする。

論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。

(1)科学的世界把握
ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。すなわち、19世紀以降細分化の一途をたどってきた諸々の学問を統一し、その上に立って過去の多くの形而上学的世界観とは異なる科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。しかし経験というものの私秘性のゆえに、科学は客観性を失うという批判もある。

(2)物理主義へ
論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は「[[物理主義]]( physicalism)」と呼ばれる。

(3)論理主義
当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、「論理的原子論(logical atomism)」に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。

(4)言語分析と形而上学の否定
論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。

現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した[[科学的実在論>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96]]や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学、[[分析哲学>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E6%9E%90%E5%93%B2%E5%AD%A6]]などにおいて、必須の方法として定着することになった。

**批判
現象主義はマッハを現代の起点として初期の論理実証主義に大きな影響を与えたが、しだいに物理主義に取って代わられた。

20世紀に入ってドイツにゲシュタルト心理学が興り、ブントは感覚に関する要素主義(原子論)を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。[[モーリス・メルロー=ポンティ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3]]はゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように現代哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの「経験」であるとする考えが有力である。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。

なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判の理由としては、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること。そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したためだと考えられる。

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・参考文献・論文
金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年
木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年
小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年
種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年
戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年
神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年

田村均「現象主義の検討」
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf
片桐 茂博「現象主義と主観性」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000486933
・参考サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96
http://kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09
http://kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-1
http://kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
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