二元論

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二元論 - (2010/12/03 (金) 04:02:32) のソース

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**全般
(以下は管理者がWikipediaの文を加筆修正)

二元論、または心身二元論とは何らかの意味で体と心を別のものとして考える立場のこと。
心身二元論は厳密には、心的なものと物理的なものという二種類の実体だけが存在するという説である。
二元論の考えは非常に古くから見られ、例えばプラトン、アリストテレス、そしてサーンキヤ学派やヨーガ学派などのヒンドゥー教の考えにも見られる。歴史的に二元論を最も明確に形式化した人物として17世紀のフランスの哲学者ルネ・[[デカルト]]が知られている。デカルトは実体二元論(Substance dualism)の立場から、心は物質とは独立して存在する実体だと主張した。

実体二元論と対比させられるのが[[性質二元論]](Property dualism)である。性質二元論では、心的な性質は脳から創発する性質であると考える。つまり心的性質を脳の物理状態に還元することはできないものとみるが、かといって脳と独立して存在する別の実体であるとは考えない。性質二元論は厳密には[[一元論]]の範疇に入る。

二元論は心と物質の関係についてのひとつの考え方である。二元論の出発点には、心的現象とはある意味で非物理的なものだという要求がある。心身二元論をもっとも早く定式化した現在知られている主張のひとつは東洋哲学にみられる。ヒンズー哲学のサーンキヤ学派やヨーガ学派(紀元前650年前後)では、世界をプルシャ(精神)とプラクルティ(物質的実体)の二つに分けている。具体的には、パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』が心の本性について分析的に論及している。

西洋哲学で最も早い時期に二元論的な思想を展開したのはプラトンとアリストテレスの著作である。理屈は異なるが、両者とも人間の知性というものは物理的身体と同一ではありえないし、物理学的な用語で説明することもできないと主張している。とはいえ、二元論として最もよく知られているのはデカルトのもの(1641年)だろう。デカルトによれば心には延長がないので、物質的な実体ではない。デカルトは心が意識や自己認識と同一であると述べた最初のひとである。そして、心は脳とは異なるということも主張していた。従ってデカルトが史上初めて心身二元論を今日まで続いているような仕方で定式化したのである。

**二元論擁護論 
二元論を擁護する論証のうち最も大きなものは、哲学的なトレーニングを受けていない人々の大多数の人々の持つ常識的な直感――素朴実在論的な世界観に受け入れやすい、というものである。心とは何かという問題には、眼に見えない精神現象や魂といったものを連想する者が大半であり、心とは脳のことであるといった機械論的な唯物論を受け入れられる者は少ない。

二元論を擁護する論証のうち主要な第二のものは、心の特性と物理的身体の特性はひどく異なっており、両立し難い部分が沢山あるように見える、ということである。心的出来事は客観化できず、私秘的である。また必ずしも時間と空間に還元できない。「愛」や「美」といった観念に面積や時間は含有されていない。それに対して物理的な身体はデカルトが「延長」と呼んだように時空間に還元可能な性質をもつ。

心の哲学は心的出来事の主観的側面をクオリア(あるいは生の感覚)と呼ぶ。痛みを感じたり、澄み渡った青空を見たりするのはなんらかの出来事であろう。こうした心的な出来事にはクオリアが関わっており、物理的出来事には還元しがたいと思われる。

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