自己

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自己 - (2011/09/15 (木) 22:24:43) のソース

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**概説
自己(英:Self)とは、意識される自分自身を言う。「私」に近い概念である。その自己を起点とする意識作用が[[自我>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91]]である。つまり自己とは対象化されるものであり、自我とは対象化する機能である。

自己は、時間を経ても持続的に存在しているように感じられる。しかし、昨日の自分と今日の自分は同一であるのかと懐疑することができる。この問題は[[人格の同一性]]というテーマで考究されている。

**還元主義と非還元主義
哲学においては、自己について対極的な二つの考え方があり、[[デレク・パーフィット>http://en.wikipedia.org/wiki/Derek_Parfit]]は双方の立場を以下のように「還元主義」と「非還元主義」と呼び分けた。(ただし、パーフィットがいう還元主義は、心的な現象は物理現象に還元できるという[[還元主義]]とは意味が異なるので注意が必要である)

1、非還元主義
自己がそれ自体で存在するという立場である。心の哲学においては[[観念論]]や[[実体二元論]]がこの立場である。素朴心理学的な考えであり、自己を継起する知覚や持続的な意識を担う「主体」としての存在とみなす。古くは「魂」が自己というものの本質であると考えられてきた。現代の哲学者でこの立場を取る者は少ないが、英国の[[リチャード・スウィンバーン>http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Swinburne]]は魂の存在を主張している。また日本では[[永井均>http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html]]が〈私〉という用語で、自己が個別の肉体や精神に還元できないものとして存在する、との主張を行っている。

2、還元主義
自己とは、他の何かから成り立っている概念であるとする立場である。還元主義と呼ばれる。心の哲学においては[[物理主義]]や[[性質二元論]]がこの立場である。歴史的にはインド哲学の[[梵我一如]]がこの立場に近い。近代哲学において最も明確な形で自己の実在を否定したのは[[デイヴィッド・ヒューム]]であり、彼は自己とは知覚の束であると考えた。この種の立場では、昨日の「私」と今日の「私」は、タイプ的には同一であっても、異なったトークンであると考えられる。

一般的に物理主義や性質二元論の立場を取る哲学者は、さまざまに変化している精神現象・クオリアを担う主体としての魂のような「何か」を想定していない。しかし[[ジョン・サール]]は「生物学的自然主義」を標榜するものの、「私が私である」と感じさせる形式的な原理を想定する必要がある、という主張を行っている。 

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