心の哲学全般

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心の哲学全般 - (2012/10/28 (日) 13:53:46) のソース

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**概説
心の哲学(英: Philosophy of mind)とは哲学の一分科で、感覚や意識を含む心的な出来事とその性質、またそれらと物理的なものとの関係を研究する学問である。 

心の哲学では様々なテーマが話し合われるが、最も基本的なテーマは[[心身問題]]、すなわち心と体の関係についての問題である。 心身問題は科学の領域では心脳問題として研究の対象となっている。歴史的には心身問題は心脳問題の前史としてあったということになる。

歴史的には心身問題は紀元前から常に哲学の中心的な問題であった。しかし二〇世紀後半から英語圏の諸国において、さまざまな概念や思考実験が登場したことによって心の哲学は劇的に変貌することになる。現代における心の哲学は、その英語圏の哲学を中心に議論されている。

心身問題についての立場を大別すると[[一元論]]と[[二元論]]に分けられる。さらに一元論を大別すると[[物理主義]]と[[観念論]]に分けられ、二元論を大別すると[[実体二元論]]と[[性質二元論]]に分けられる。それらの説はさらに多数の説によって細かく分類される。

心の哲学の主要な説を分類すると以下のようになる。
>■[[二元論]]
>├[[実体二元論]]
>| ├[[相互作用二元論]]
>| └[[心身並行説]]
>|  └[[機会原因論]]
>├[[性質二元論]]
>|└[[自然主義的二元論]]
>| └[[随伴現象説]]
>|  └[[付随性]]
>└[[新神秘主義]]
> └[[認知的閉鎖]]
>
>■[[一元論]]
>├[[物理主義]]
>| ├[[行動主義]]
>| ├[[心脳同一説]]
>| ├[[機能主義]]
>| ├[[非法則一元論]]
>| └[[消去主義的唯物論]]
>├[[観念論]]
>|└[[唯心論]]
>├[[現象主義]]
>├[[中立一元論]]
>└[[汎神論]]

[[デイヴィッド・チャーマーズ]]は、心的現象を生じさせているとされる脳の作用の問題を「イージー・プロブレム」と呼び、その脳内活動の過程でなぜ心が伴うかという問題を「ハード・プロブレム」と呼んでいる。昨今の心の哲学の議論はその意識のハードプロブレムに集中している。

現代の心の哲学の多くの議論は、自然科学の知見を前提になされている。しかし分析哲学や現象学という思想を前提にした議論も存在する。

分析哲学は[[現象主義]]の後継思想であり、主に言語分析によって心身問題の解決を試みようとするものである。

現象学はエトムント・[[フッサール]]によってはじめられ、精神に現れた現象を直接記述し、我々の判断がどのように成されるのかに焦点を合わせたものである。この立場では現象の由来についての判断は保留される。

**心の哲学の用語
心の哲学においては用語が多少混乱しているので注意が必要である。現在、最も活発に議論されているのは[[クオリア]]の存在論的な位置づけてあるが、歴史的にはクオリアと同様の意味で「表象」という言葉がよく使われてきた。「知覚」や「感覚与件(センスデータ)」や「直接経験」も類似の意味であり、心の哲学においてそれらは厳密に区別されている訳ではなく、文脈によって使い分けられ、しばしば互換的に用いられている。なお「[[現象的意識]]」という場合は瞬間的な感覚でなく、思考する際の持続的な意識現象を指すことが多い。

「唯物論」と「[[物理主義]]」はほぼ同じ立場の思想を指す。「[[性質二元論]]」と「特性二元論」は同じ意味である。

クオリアを物理現象に還元できるという立場の「[[還元主義]]」と、自己や自我というものは個別の意識現象に還元できるという[[人格の同一性]]問題における「還元主義」は全く意味が異なるので注意が必要である。

心的性質と物理的性質は一つの実体の両面であると考える立場の「中立一元論」は、「二面説」や「二相理論」、時に「同一本体相貌説」とも呼ばれるが、ほとんど同じ意味である。なお「[[性質二元論]]」とは、世界には物理的性質と心的性質の二つがあるという立場であるが、その二つはあくまで「実体」ではなく「性質」としているのであり、存在論的には中立一元論を前提としており、同じ二元論であっても「[[実体二元論]]」とは全く異なるので注意が必要である。

**根本問題
#right(){(以下は管理者の見解)}

心の哲学には、本来「哲学」そのものの歴史的課題でもある二つの重要な根本的問題が潜在しており、それらの問題に対してどのような立場を取るかによって、解決へのアプローチは全く異なってくる。

ひとつは[[実在]]についての問題であり、この問題に対しては[[実在論]]と非実在論の立場に分かれる。現代の心の哲学において最も活発に議論されているのは[[クオリア]]の存在論的な位置づけと心的因果の問題であるが、それらは自然主義の立場から、[[科学的実在論>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96]]を前提に行われているものである。しかし[[現象主義]]や[[道具主義>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%85%B7%E4%B8%BB%E7%BE%A9]]などのように実在論に反対する立場もある。もし実在論という前提を否定するなら、現在心の哲学で議論されている問題の多くは錯覚問題であるということになる。

もうひとつは[[自己]]や自我についての問題である。デレク・パーフィットはこの問題に対する立場を、[[人格の同一性]]についての還元主義と、非還元主義に分ける。還元主義の立場では自己は[[実体]]ではなく、そのつど生起し消滅するクオリアなどの心的現象に過ぎないとするが、非還元主義では魂のような絶対的な主体を想定し、それが通時的に「私」の同一性を成り立たせている根拠とする。

ちなみに一般の人が抱いている素朴な世界観は、[[素朴実在論>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%9C%B4%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96]]、および素朴心理学と呼ばれる。この素朴な立場では「私」という主体がいて、それが世界に実在しているさまざまな物事――客体を認識していると考える。しかしもし実在論を否定し、また「私」という主体の存在も否定する還元主義の立場を取るならば、そのような素朴な世界観は完全に崩壊するだろう。そのような立場をとった代表的な学者は、[[デイヴィッド・ヒューム]]、[[エルンスト・マッハ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F]]、[[大森荘蔵]]であり、彼らは時間や空間の実在性さえ懐疑する。しかし[[イマヌエル・カント]]が、人間は時間と空間という形式によってしか物事を認識できないと論じたように、ヒュームらの哲学における世界像は、人間には具体的に理解もイメージもできないことになる。

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