カテゴリー錯誤

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  • カテゴリー錯誤
    カテゴリー錯誤(カテゴリー・ミステイク,英:category mistake, category error)とは、ある対象に固有の属性を、その属性を持つことのできないものに帰すという誤りである。ギルバート・ライルが著書『心の概念』(1949年)で、心身問題解決の鍵として提起したものである。 例えばケンブリッジ市のハーバードを訪れ、さまざまな学部や実験室などの各施設、そして教員や生徒を見たある人物が、最後に「それで、肝心のハーバード大学はどこなんです?」と聞くとする。その人は自分が見てきたものの他に「大学」そのものがあると思い込んでいる。しかしその人は実感していないものの、既にハーバード大学を見知っていることになる。大学という用語はそれぞれの学部や各施設、構成員を指示する言葉だからである。その人の思い込みこそがカテゴリー錯誤である。大学という言葉は学部や教員という言葉とは同じカテゴ...
  • ギルバート・ライル
    ...出された幻想であり、カテゴリー錯誤であると断じた。心が独立した存在であるとか、心は身体の中にありながら身体を支配しているといった考え方は、生物学の発達以前の直写主義がそのまま持ち越されたものにすぎず、退けられるべきであるという。 たとえばスポーツでいう「チーム意識」とは、投げたり、打ったり、守ったりという技術的な概念とは全く異なるカテゴリーに属する概念である。チーム意識を技術的な概念と捉えることは完全な間違いである。人の抽象的な思考にもカテゴリー間違いがありうる。日常的文脈で言語が機能する仕方を誤解してしまうと、存在論的な間違いを犯すことになる。ライルの著書『心の概念』の目的は、心について人々が犯している存在論的な間違いを正すことである。「心」という語は「想像する」「信じる」「知覚する」といった個別の現象から離れて存在する霊的な実体ではないのである。 またライルは、論...
  • 実体二元論
    ...ゴリー・ミステイク(カテゴリー錯誤)という概念上の混乱によってもたらされた大きな誤りであるとした。 カテゴリー錯誤(category mistake, category error)とは、対象に固有の属性をその属性をどうあっても持つことのできないものに帰すという、意味論的あるいは存在論的な誤りである。 発展可能性 前述のような困難が山積するため、実体二元論は現在、科学者からも哲学者からも、支持する者が少ない立場となっている。しかし一部の科学者や哲学者は因果的閉包性、つまり物理的領域は因果的に閉じていないとする考えの基で探究を続けている。これは量子力学による方法である。つまり波動関数の収縮過程において、精神が物理領域に影響を与えるのではないか、という考えである。こうしたアイデアは量子脳理論と呼ばれる。 参考サイト http //ja.wikipedia.org...
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    ...言語的批判 | └カテゴリー錯誤 ├動物の心 ├実在 |├知覚因果説 |└イデア論 ├独我論 └独今論 ■人物 ├ヤージュニャヴァルキヤ ├パルメニデス ├シャンカラ ├ルネ・デカルト ├ライプニッツ ├スピノザ ├ジョージ・バークリー ├デイヴィッド・ヒューム ├イマヌエル・カント ├ヘーゲル ├バートランド・ラッセル ├ウィトゲンシュタイン ├ギルバート・ライル ├ドナルド・デイヴィッドソン ├ピーター・ストローソン ├ジョン・サール ├ダニエル・デネット └デイヴィッド・チャーマーズ □永井均 □渡辺恒夫 □大森荘蔵 □廣松渉 □Wikipediaの関連項目リンク ├究極の問い ├形而上学 ├存在論 ├科学哲学 ├自我 ├インド哲学 ├唯識 ├時空の哲学 ├可能世界 ├普遍論争 ...
  • 汎心論
    ...るのは不可能である(カテゴリー錯誤)。両者の性質の違いから二元論が何世紀にもわたって議論されてきたという経緯がある。 もし物理的なものから意識が創発することを、野蛮な創発(brute emergence)として不可能とする立場ならば、意識の由来を他の何かに求めなければならない。一部の観念論者ならばそれは魂やイデアであると主張するかもしれないが、現代科学の知見を前提に心身問題を考究する科学者や哲学者ならば、それを世界を構成する基礎的なレベルに措定したいと考える。こうして導入されたのが原意識という概念であり、あらゆる心的なものは物理的なものからでなく、同じ「心的」というカテゴリーにあるものの構成によって生じたとする考えである。これは意識に対する原子論的な還元主義といえる。。 組み合わせ問題 組み合わせ問題(英:Combination problem)とは、心の哲学で議論さ...
  • 説明のギャップ
    ...のつながりを探すのはカテゴリー錯誤であると批判した。大森荘蔵は独自の一元論的な立場から、物理的記述と心的記述は重ねて描かれるべきだとする「重ね描き」という科学哲学上の概念を提唱した。 なお、説明のギャップはあるが、それは現段階での我々の知識の不足によるものであり、科学の進歩によりやがて埋まるという、物理主義的な立場もある。また説明のギャップは存在論的なギャップを意味しているという二元論的な立場もある。 表象説 1990年代以降、クオリアを物的なものに還元、つまり説明のギャップを埋める試みが盛んになる。ギルバート・ハーマンらは、「緑の木」という知覚経験は緑の木を表象するが、緑のクオリアはその表象される緑に他ならないと主張して、クオリアの「表象説」を唱えた。 表象がもつ特徴には、表象それ自体に備わる「内在的特徴」と、表象によって表象される「志向的特徴」とが区別され...
  • 言語的批判
    ...のは概念的な混乱――カテゴリー錯誤が背後にあるからだとして、心身問題を消去しようとする。 ライルによれば、心的状態を記述する言語のカテゴリーは、物理的な脳を記述する言語のカテゴリーとは異なっている。従って心的状態と生物学的状態が適合するかどうかと問うのは間違いである。脳の心的状態を探し求めるのはカテゴリー錯誤、つまり推論の誤謬なのである。 ウィトゲンシュタインは「私的言語」や、意識の「私秘性」について語ることに反対している。彼にとって言葉の意味とは使用法であり、心の中にあるものではない。心的状態は公的な言語では表せない。表そうとしても、表れたものは公共的なものであって、私秘的なものではないのである。私秘的な性質は「言語ゲーム」に参加できない。このウィトゲンシュタインの思想は、意識の私秘性をブラックボックスとして扱う行動主義や機能主義に影響を与えた。 拡張解釈 ...
  • 行動主義
    ...語の使用の誤解によるカテゴリー錯誤(category mistakes)が頻繁に生じていると考えた。ダニエル・デネットも自身を一種の行動主義者であると認めている。デネットは現代における行動主義者の代表的人物と見られている。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学と論理的行動主義や徹底的行動主義の間には共通点があると言われ、ウィトゲンシュタインは行動主義者とみなされることがある。例えば「私的言語」や私秘性といわれる経験についての批判である。(詳しくはウィトゲンシュタインのページを参照)しかしウィトゲンシュタインの哲学は複雑かつ難解で、様々な解釈が可能である。 数学者のアラン・チューリングは行動主義者と見なされることがある。チューリングテストにパスすることは思考を持つことの十分条件として考える人工知能研究者もいる。これは他人の内面的経験は観測不可能であるゆえに、機械にも...
  • マリーの部屋
    ...なものであり、これはカテゴリー錯誤の一種である。またジャクソンは、白黒の部屋のマリーが演繹的推理によってクオリアの情報が得られるとする批判は的外れであり、問題は「想像できない」という点ではなく、彼女が事実として、それを「知らない」という点であると反論している。 タイプB 「タイプB」はクオリアの還元的説明を認めない物理主義であり、たとえクオリアが物理的知識から論理的に導出されないとしても、物理主義は成立すると主張する。つまり認識ギャップを認めるが存在ギャップを否定する。マリーが解放時に新たな事実を知ること、認識ギャップがあること、ゾンビが思考可能であることは認めるが、それらが存在論的含意を持つことはない。 チャーチランドは、マリーが旧知の事実をクオリアという新しい様式で知っただけであると主張した。このタイプBの主張は「旧事実/新様式戦略」と呼ばれる。 D・ルイ...
  • プラグイン/人気商品一覧
    人気商品一覧 @wikiのwikiモードでは #price_list(カテゴリ名) と入力することで、あるカテゴリの売れ筋商品のリストを表示することができます。 カテゴリには以下のキーワードがご利用できます。 キーワード 表示される内容 ps3 PlayStation3 ps2 PlayStation3 psp PSP wii Wii xbox XBOX nds Nintendo DS desctop-pc デスクトップパソコン note-pc ノートパソコン mp3player デジタルオーディオプレイヤー kaden 家電 aircon エアコン camera カメラ game-toy ゲーム・おもちゃ全般 all 指定無し 空白の場合はランダムな商品が表示されます。 ※このプラグインは価格比較サイト@PRICEのデータを利用しています。 ...
  • 一元論
    概説 一元論の種類 概説 一元論(英 monism)とは形而上学において、世界には唯一の、または一種類の実体だけが存在するという考え方である。 一元論という語は、心身問題において主張されていた様々な説を分類するため十八世紀にヴォルフ(Wolff)によって作られた。その後適用範囲が拡大され、形而上学だけでなく認識論や倫理学の分野でも用いられている。 現代の心の哲学においては、心的なものだけが実在であるとする観念論的な一元論、物理的なものだけが実在であるとする物理主義的な一元論、そして心的なものと物理的なものはある種の実体の属性であるとする中立一元論の、三つの立場がある。いずれも心と体が存在論的に異なるものだという主張を認めない考え方であり、物理的なものと心的なものという二種類の実体があると説く実体二元論や、たくさんの実体があると説く多元論(pluralism)と区別...
  • カルテジアン劇場
    概説 オーウェル主義的モデルとスターリン主義的モデル 概説 カルテジアン劇場 (Cartesian Theater) とは、アメリカの哲学者・認知科学者のダニエル・デネットが、古典的な意識についての考え方である意識のホムンクルス・モデルを批判するために提唱した思考実験。人間の脳の中には小人(ホムンクルス)が住んでいる劇場があり、そのスクリーン上に人間の身体が経験した感覚的データが上映される。それが人間の精神現象であるとする。では、その小人の脳の中はどうなっているのか、さらに小さな小人がいるのか――デカルトのいうような、精神は身体に還元できない実体であるとする実体二元論は、意識の説明について無限後退に陥るという批判である。 カルテジアンとは「デカルトの」という意味の英語で、他にデカルト劇場、デカルトの劇場とも呼ばれる。デネットの1991年の著作『解明される意識』(Consci...
  • トロープ説
    概説 心の哲学におけるトロープ説 概説 トロープ(Trope)とは現代の分析形而上学における用語で、個物の個別的性質のことである。個別的属性とも呼ばれる。 たとえば赤い郵便ポストの前に赤い車が停まっているとする。その場合「赤」という普遍的性質が、郵便ポストと車に個別化して存在しているものが「赤」のトロープである。 個物とトロープの関係は「全体」と「部分」の関係の一種であり、トロープは全体の構成要素である。ただし個物なしでは存在できない「依存的存在者」である点が、通常の全体と部分の関係と異なる。丸いボールの「丸」のトロープの場合、個物であるボールが消えると同時に「丸」のトロープも消える。 普遍とトロープの関係は、「タイプ」と「トークン」の関係に似ている。しかしトークンとは普遍的な性質の実例であるのに対し、トロープとは普遍的な性質がある場所と時間において個別化し...
  • カント『純粋理性批判』の検証
    1 観念論の困難 2 『純粋理性批判』の目論見1――世界の観念性の証明 3 『純粋理性批判』の目論見2――自然科学の根拠付け 4 純粋理性と実践理性の境界 1 観念論の困難 私は超能力で自由自在に空を飛べる。何年か前には地上から三千メートルぐらいの高空を飛んだことがある。綿のような白い雲を突きぬけ遥か下方の街並みを見ながら飛び続けたのだが、飛んでいる最中ふいに超能力が消えて転落してしまうのではないかという不安もよぎった。そんな不安を駆逐するように自分は空を飛べるのだと強く信じて風を切りながらひたすら飛び続けた。転落の恐怖と戦いながら遥かな高空を飛び続けるのは痺れるほどの快感であり、これは人生で五番目ぐらいの素晴らしい経験だった。 夢での経験を上のように位置づけていけない理由はない。特に私は存在論的に反実在論の立場である。この立場では夢の経験も現実の経験も「経験」ということで...
  • 性質二元論
    概説 類似の概念 概説 性質二元論(英:Property Dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な理論のひとつで、この世界に存在する実体(physical substance)は一種類だが、それは心的な性質(mental property)と物理的な性質(physical property)という二つの性質を持っているという考え。中立一元論と類似の概念である。なお Property Dualism は特性二元論、、特徴二元論、属性二元論などとも訳される。 同じ二元論に分類される実体二元論は、物理的実体とは別に、心的実体を置く。それに対し性質二元論は、クオリアなどの心的現象と脳の物理的現象はある一つの実体の二側面であると考える。したがって性質二元論は、存在論的には一元論を前提にしている。歴史的に初めてこの考えを主張したのはスピノザである。 性質二元論の構図 ...
  • 現象的意識の非論理性
    ...この消去主義が稚拙なカテゴリー錯誤を犯しているのは明らかである。フロギストンやエーテルは現象を説明するために措定された存在である。それに対してクオリアは何かを説明するための仮定ではなく、何かを説明するための出発点であり、現実に人が経験しているものなのである。 人が経験するクオリアは多様である。山や海を見たときの一つの視覚風景には、形容しがたいほどの多様性がある。メルロ=ポンティはそれを現象の「無規定性」と呼んだ。ウィリアム・ジェイムズの「純粋経験」やアンリ・ベルクソンの「純粋持続」も同じ洞察に基づいている。人が言語によって表現できるのはその多様性のほんの一部なのである。さらに人が言語によって表現できるものは、数量化できるものと数量化できないものに分けられる。前者が「物的」と呼ばれ、後者が「心的」と呼ばれる。心的なものの豊饒性を捨てて世界を記述する現代科学の方法を、大森荘蔵は「...
  • 観念論
    概説観念論に対する批判 各種の観念論超越論的観念論 ドイツ観念論 イギリスの観念論 主観的観念論と客観的観念論 概説 観念論(idealism)という語は実に多義的であるが、通俗的な意味においては、観念的なものを物質的なものに優先する立場を観念論といい、唯物論に対立する用語として使われる。なお「観念論者(idealist)」の語を最初に用いたのはライプニッツである。 しかし哲学用語としての観念論は、歴史的に以下のような二つの対極的な立場で使われている。 (1)人間が直接経験できないものが実在し、それがわれわれの認識を成り立たせているとする思弁的な立場。プラトンのイデア主義に起源をもつ。新プラトン主義のプロティノスや大陸合理論のスピノザやライプニッツを経て、イマヌエル・カントの超越論的観念論を近代の転換点とする。超越論的観念論はフィヒテやシェリングなどを経由し、ヘーゲ...
  • 物理主義
    概説 歴史 物理主義の問題 概説 物理主義(英 Physicalism)とは、この世界の全ての物事は物理的であり、また世界の全ての現象は物理的な性質に還元できるとする哲学上の立場である。心の哲学においては心的なものの実在性を否定して、物理的なものだけが実在するとし、心的因果を否定する。一元論の一種。物質一元論とも呼ばれる。 「唯物論(Materialism)」は同じ立場の思想であり、物理主義という語と互換的に用いられている。唯物論という用語は17世紀のライプニッツによるものであるが、物理主義とは20世紀のオットー・ノイラートの定義によるもので、論理実証主義から派生した概念であり、歴史的脈絡が異なるというだけである。 「物理的」という言葉の定義は、時空間的であり運動できるもの、とされている。 柴田正良によれば、人間の精神を素粒子群の運動や配置に還元するのが素朴...
  • クオリア
    概説 意識とクオリアの違い 歴史と類義語 クオリアについての論争 還元主義的物理主義と二元論 外在主義と内在主義 クオリアに関する思考実験 クオリアの全一性 概説 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ、またはクアリ)とは、客観的には観察できない意識の主観的な性質のこと。日本語では感覚質と訳されることもある。もとはラテン語で「質感」を表す単語であるが、1990年代の半ばから意識の不思議さを象徴する言葉として科学者や哲学者の間で広く使われるようになった。「現象」「表象」「感覚与件」は類似の概念である。 クオリアという用語は厳密に定義されておらず、論者によって用いられ方が異なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がい...
  • 機能主義
    概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それ...
  • 実践理性の方向
    ...は拙速である。それはカテゴリー錯誤の疑いがある。 或る人が道を歩いていると小石が一つ転がっている。更に歩くと小石が二個ある。更に歩くと小石が三個ある。……仮に小石の発見を十億個まで続けたとしても、道に転がっているのは「小石」であって「規則」ではない。規則性とは人の心にのみ存するのである。それは事実として認めたとしても、しかし人の心にある規則性に対応するものが外部世界に存在するならば、それは規則性が外部世界にあるのと実質的には何の変わりもないことも事実である。 人は外部世界に規則性を見出せるから生存できる。サイコロの同じ目の三連続と三億連続に差異を見出せるから生存できる。規則性や因果性はまさにカントの意味で「ア・プリオリ」な人間存在の条件なのである。 人が経験する現象に規則性が成立しているという事実があるのならば、単に反実在論の立場から「偶然」として片付けるので...
  • ジョン・サール
    概説 心の哲学におけるサールの見解 意味論的外在主義に対する批判 概説 ジョン・サール(John Rogers Searle 1932年7月31日- )は言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。ニクソン大統領時代には大学問題大統領特別顧問としても活動した。 人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として中国語の部屋という思考実験を提案した。また、言語表現が間接的に果たす遂行的機能(間接発話行為)の研究を行い、ジョン・L・オースティンの後継者と称された。 2000年にジャン・ニコ賞を受賞。 心の哲学におけるサールの見解 サールは心の哲学における自分の立場を「生物学的自然主義(biological naturalizm)」と呼んでいる。これは意識が自然現象のひとつであることを強調するものである。たとえば胃が胃液を...
  • 廣松渉
    認識論 心身問題 廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。 高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。 認識論 廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、...
  • イマヌエル・カント
    概説 物自体と認識の形式 統覚 アンチノミー 補足 概説 イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国出身の思想家で大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書が有名である。認識論における「コペルニクス的転回」という方法論は、経験そのものでなく経験を成り立たせている条件を考究するものであり、「超越論的哲学」と呼ばれる。「超越論的」を「先験的」と訳すこともある。また認識の構造と形式だけを扱うので「形式主義」とも呼ばれる。ドイツ観念論の哲学者たちは超越論的哲学を引き継いでおり、カントは近代において最も影響力の大きな哲学者の一人である。 カントはイギリス経験論、特にデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義に強い影響を受けた。そしてライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学を「独断論のまどろみ...
  • パルメニデス
    概説 思想とその影響 「ある」の解釈 パルメニデスのアポリア 心の哲学におけるパルメニデスのアポリア 概説 パルメニデス( Parmenide-s 紀元前500年か紀元前475年-没年不明)はギリシアの哲学者で、エレア派の祖。「ある」と「ない」の概念を考究し、西洋哲学において最初に一元論を主張した。形而上学の創始者といわれ、また感覚よりも理性による判断に重きを置いたため合理主義の祖であるともいわれる。アナクサゴラスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。 「あるものはある」「ないものはない」という自明な前提から、存在を論理的に限界まで考究したパルメニデスの哲学は、それまでの哲学の常識を覆す途方もない試みであり、生成消滅、運動変化、多数性といった自然現象の根本原理を否定するものだった。 プラトンによれ...
  • 還元・創発・汎経験説
    概説 還元説 創発説デイヴィッド・チャーマーズによる解説 汎経験説 諸説への批判 概説 クオリアというものが一体どこから、どのようにして生じているのかは全くの謎である。現代の科学においても、脳の神経細胞の作用に対応して存在していることだけが事実として認められている。言い換えると脳科学が明らかにしたのは、心的現象と脳の作用に因果的な隣接関係が見出せるということのみであり、脳の作用は心的現象を生じさせる十分条件であると論証できないどころか、必要条件の一つであるとも論証できないのである。多数の哲学者や科学者たちを取材したスーザン・ブラックモアは、学者たちの間では旧来の「脳が意識を生み出す」という表現から、「脳と意識は相関する」という表現に変えるのが流行しているという。 歴史的には心的現象は「魂」の作用であるとする二元論的な立場と、心的現象は物質の運動に還元されるとする原子論的な立...
  • 無限論
    ...をなしていない理由はカテゴリー錯誤だからである。無限とは「行為」に属する概念であり、存在に属する概念ではないからだ。「無限」と「1」は属しているカテゴリーが違うのである。無限とは行為の終わりがないという意味なのだから、「無限にある」というのは、「ない」ものが「ある」というに等しく、これは端的な矛盾である。「無限」に「存在する」という述語を繋げることはできない。ゼノンやヒルベルトが考案したパラドックスは「無限の量が存在する」という語義矛盾の前提から生じるのである。 長田らのいうように、認識論的に不可能であることは存在論的に不可能であることに繋がらないのは事実であろう。論理学的にも直観主義の立場から排中律を否定するなら、トムソンのランプの問題などに対して明確な答えを出す必要はない。しかし既述のように排中律を否定する立場は反実在論である。実在論では人の認識に依存せず外部世界も出来事...
  • ジョージ・バークリー
    概説 経験主義から観念論へ 神と魂 概説 ジョージ・バークリー(George Berkeley, 1685年3月12日 - 1753年1月14日)はアイルランドの哲学者、聖職者である。英国経験論の代表的人物であり、現象主義の方法により物質の実在性を否定し、「存在することは知覚されることである(ラテン語"Esse is percipi"、エッセ・イス・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)」という基本原則の観念論を提唱した。 バークリーの思考法はオッカムの剃刀に類似したものである。オッカムは、現象を説明するために真に必要な最小限の原因のみを認め、不要な原因は放棄すべきだとし、「存在は必要もなく増やしてはならない」という原則を主張した。バークリーはこの思考法によって、「物質」なるものは観念の存在と生成に「不要」とみなし、またニュ...
  • 人格の同一性
    ...のを同様に扱うことはカテゴリー錯誤である。仮に部分から構成される脳と全一的なクオリアが「同一」だとするならば、脳細胞が一つでも欠けたら全一的なものはどうなるのだろう。また脳細胞を一つだけ他人の脳細胞と交換したらどうなるのだろう? ここに堆積のパラドックスが生じることになる。「分割不可能なものが分割可能なものと相関して存在している」――この事実を物理主義者は軽視している。 物的なものと心的なものは、どのように観察しても相関関係しか見つからない。事実はこれだけである。その相関関係を因果関係と解釈するのは既に飛躍であり、存在論的に還元できるという主張は、もはや別次元の空疎な形而上学であると私は考えている。 もちろん、物理主義の立場が還元を主張するのには重大な根拠がある。それは前述した心的因果の問題である。物質的な脳の状態にクオリアを還元して考える同一説ならば、心的因果が無理...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
  • 時間と空間の哲学
    概説 歴史マクタガートの時間論 科学における「絶対説」と「関係説」 相対性理論の時間・空間論「時間の流れ」の問題 哲学者の相対性理論解釈 存在論的派生問題 補足 空間論 心の哲学との関連 概説 時間と空間の哲学(philosophy of space and time)とは、時間と空間――時空についての哲学的な考察である。現代では哲学と物理学との学際領域である。分析哲学ではジョン・マクタガートの時間論を巡って活発に議論が行われている。 時空の哲学では以下のような問題が考察されている。  時間や空間はその中にある物体と独立に実在するのか、それとも物体と物体の関係としてしか存在しないのか? 独立に存在すると考えるのがニュートンの絶対時間・絶対空間の立場であり、物質たちの関係としてしか存在しないと考えるのがライプニッツやマッハの関係説の立場である。アインシュタインの相対...
  • 実在論論争
    概説 実在論の種類観念実在論 素朴実在論 形而上学的実在論と内在的実在論 科学的実在論 介入実在論 構造実在論 反実在論構成的経験主義 自然主義 非実在論現象主義・懐疑主義・実証主義 規約主義・道具主義・操作主義 社会構成主義・相対主義 心の哲学と実在論論争 概説 実在論(Realism)とは、われわれが認識する現象から独立して、現象を成り立たせている物質や普遍的概念(イデア)などが世界に実在しているという立場である。物質や外界が実在するという場合は、素朴実在論や科学的実在論になり、普遍が実在するという場合は観念実在論になる。実在論と対立する立場は現象主義や観念論である。 歴史的には紀元前のパルメニデスが、感覚で捉えられる現象世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは有るものが無いものになることであり、無いものが有るものになることであり、これは矛盾であるとし、感覚を超越...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    概説 意味の一次内包と二次内包 構造的コヒーレンスの原則 構成不変の原則 情報の二相説 汎経験説 補足 概説 デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )はオーストラリアの哲学者。1982年、高校生のとき数学オリンピックで銅メダルを獲得する。インディアナ大学で哲学・認知科学のPh.Dを取得。2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。心の哲学において意識のハードプロブレムをはじめ多くの問題提起をし、この分野における指導的な人物の一人となっている。 チャーマーズはクオリアと呼ばれる内面的な心的体験を、実体(英 entity)的に捉え、質量やエネルギーなどと並ぶ基礎的な物理量のひとつとして扱い、その振る舞いを記述する新しい物理学を構築すべきだと主張する。そして...
  • デイヴィッド・ヒューム
    概説 知覚――印象と観念 因果関係論 実体 自我の否定 ヒュームの観念論と自然科学の関係 派生問題――知覚の同一性と意識の連続性 概説 デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランド・エディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリーの観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。 ヒュームは懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。 知覚――印象と観念 ヒューム...
  • 大森荘蔵
    二元論の否定 普遍概念と無限集合 重ね描き 立ち現れ一元論 実在論批判 自我と他我 時間論 無主体論と無時間論 大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している(*1)。 1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。 大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念...
  • 随伴現象説
    概説 利点と問題点 概説 随伴現象説(ずいはんげんしょうせつ、英:Epiphenomenalism)とは、物質的な脳と現象的意識やクオリアといった心的なものとの因果関係(心的因果)についての仮説で、心的なものは物質的な脳の作用に還元できないが、脳の作用に付随して生じるだけの現象にすぎず、物質的な脳に対して何の作用ももたらさない、とするものである。物理領域の因果的閉包性を前提にして主張される。 T.H.ハクスリーは随伴現象説のセオリーを「警笛と機関車」の例えで説明している。機関車は警笛を鳴らすことができるが、警笛は機関車を動かすことはできない。「警笛と機関車」を「物質と意識」に置き換えればわかりやすい。 心的なものの状態は脳の物理的な状態によって決まるが、心的なものは脳の物理的な状態に対して何の影響も及ぼさない。 これが随伴現象説の主張である。 随伴現...
  • 認知的閉鎖
    認知的閉鎖(英 cognitive closure)とは、イギリスの哲学者コリン・マッギンによって提唱された意識のハードプロブレム、すなわち物理的な脳からいかにして現象的意識やクオリアが生み出されるのかという問題への一回答であり、人間の精神・知性はこの問題に関して「閉鎖」されている、人間の理解できる領域ではないとする可能性のことである。 人間による理解が現段階において科学的に不十分であったりするためではなく、人間の精神・知性にはそれらを理解するキャパシティーが端的に欠けているためである。マッギンによると、私たちは五感による知覚などの認知能力が備わっているが、逆に言えば私たちはそれら認知能力によって理解できる事柄以外は認知できないということになる。これはマリーの部屋の思考実験からも類推することができる。宇宙には人類以外にも多数の生命体がいて、彼らは人間にとって未知のクオリアを体験して...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」 - 川崎経済新聞 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 「Wiki」創設者のPC 競売に - auone.jp 篠原悠希×田中芳樹が明かす「歴史ファンタジー小説ならではの悩み」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【Ape...
  • 独我論
    概説 各種の独我論 概説 独我論(英 solipsism)とは哲学における認識論の立場の一つ。自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神現象だけであり、それ以外のあらゆる存在は疑いうると考える。デカルトが「方法的懐疑」で到達した「今私が考えているということ以外全て疑いうる」という極限の懐疑主義を出発点とし、ジョージ・バークリーの「存在するとは知覚されることである」という現象主義を経て発展した。哲学の歴史上、独我論は認識論における一つの方法論として機能してきた。 各種の独我論 ジョン・R・サールは独我論を以下の三タイプに分けている。 1、心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場。 2、他人も心的状態を持っているかもしれないが、それを確かめる事はできなとする立場。 3、他人も心的状態を持っているとしても、その内容は私と違...
  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドとモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • 現象
    現象(英 phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「実在」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が現象主義である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「表象」や「クオリア」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・...
  • 哲学的ゾンビ
    概説 想像可能性論法 2つの哲学的ゾンビ 意識の定義――機能的意識と現象的意識 ゾンビ論法的思考実験の歴史 物理主義からの批判 補足 概説 哲学的ゾンビ(英:Philosophical Zombie) とは、デイヴィッド・チャーマーズによって提起された心の哲学における思考実験である。外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間と定義される。ホラー映画に出てくるゾンビと区別するために、哲学的ゾンビ(または現象ゾンビ)と呼ばれる。おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義とその範疇にある行動主義や機能主義の立場を批判する際に用いられる。 哲学的ゾンビは、フランク・ジャクソンによるマリーの部屋の思考実験の発展型である。チャーマーズ自身も、マリーの部屋の「知識論証」は「ゾンビ論証」とペアになったときに最も力を...
  • 新神秘主義
    新神秘主義(英 New mysterianism)は、心身問題、つまり心的な意識現象と物質的な脳がどのように関わりあっているのか解明するのは不可能だとする立場のこと。代表的な論者にコリン・マッギンがいる。トマス・ネーゲルも新神秘主義者に分類されることがある。 マッギンは認知的閉鎖説を提唱し、人間が意識の謎、つまり意識のハードプロブレムが解明される可能性に懐疑的である。トマス・ハックスリーは1886年に、「神経組織の活動によって意識状態という驚くべきものが出現することは、物語のアラジンが魔法のランプをこすれば魔人が現れることのようだ」と心と脳の関係を表現した。このハックスリーの言葉は意識現象がいかに奇跡的であるかうまく捉えていたとマッギンはいう。そしてマッギンは心的特性を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判...
  • ヘーゲル
    概説 心の哲学についてのヘーゲルの思想 概説 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学の完成者といわれる思想家である。 デカルト的二元論を克服するためにシェリングから「世界精神」の概念を受け継ぎ、心的なものと物理的なものが精神という新たな綜合において存在しているという独自の「絶対的観念論」を提唱した。 ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ポストモダン思想においては、マルクス主義国家における全体主義的傾向は、理性によって人間を含む世界の全体を把握できるとするヘーゲル思想に由来している、という見方がされている。 心の哲学についてのヘーゲルの思想...
  • 心脳同一説
    概説 タイプ同一説 トークン同一説 同一説への批判 概説 同一説(英:Identity theory)、または心脳同一説とは、心身問題に関する立場の一つで、「心の状態やプロセスとは、脳の状態やプロセスそのもののことだ」という考え方のことである。心的なものの存在を物理的なものの存在に還元して説明しようとする還元主義でもある。英語圏では「Mind is Brain」と、be動詞を強調することによって心と脳の同一性を表現する。心の哲学においては、行動主義の失敗を反省し、物理主義の一種として二元論一般と対立する文脈で語られる。 心脳同一説は性質二元論や中立一元論の考えに似ているよう思えるが、大きな違いがある。性質二元論や中立一元論では、心的状態と脳状態は同一の実体の二つの側面であり、たとえるならコインの表裏の関係である。しかし心脳同一説では、「雲とは水粒である」「稲妻は電荷の運動で...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • ピーター・ストローソン
    ピーター・フレデリック・ストローソン(Peter Frederick Strawson, 1919年11月23日 - 2006年2月13日)は、日常言語学派後期のリーダー的哲学者。日常言語の論理的特徴について非形式的な哲学分析を行った。また、カント的な方法でユニークな形而上学も構築した。主著は『個体と主語』である。 ストローソンによれば、われわれが「心的」や「物理的」という概念を使用できるのは、「人格(person)」という根本的概念を使用できるからである。自己と他者の概念も人格の概念に依存している。それが心的なものと物理的なものの区別に繋がるのである。すなわちデカルトの推論とは全く異なり、主観性と客観性の問題は心身問題に先立つと考えたのである。 では一体、われわれはどうして「自己」という概念を持ちうるのか。ストローソンは経験には多種多様なものがあり、「自己」は経験のうちの...
  • シャンカラ
    概説 不二一元論 概説 初代シャンカラ(Adi Shankara)は、マラヤーリ人の8世紀に活躍した中世インドの思想家。梵我一如思想を背景とした不二一元論を提唱した。ヴェーダーンタ学派の代表的な哲学者である。 「神の御足の教師」として知られた彼は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の教義を強化する最初の哲学者であった。彼の教えは、唯一にして真の実在であるブラフマン(梵)と、個々のアートマン(我)は同一であるという主張に基づく。スマートラの伝統において、インド神話ではシャンカラはシヴァ神の異名である。 全てが現存しているというサンスクリットで書かれた彼の著書は、アドヴァイタ(非二元性)の教義を確立することに関する。シャンカラは教えを説く際に、ウパニシャッドや他のヒンドゥー教の聖典の広範囲から引用を行った。更に、サーンキヤ学派や仏教に似た考え方を持つ一派の批判に対する反駁...
  • 中立一元論
    中立一元論(英:Neutral monism)とは、心身問題についての考え方のひとつで、心的だとか物理的だとかいうものは、ある一つの実体、または出来事の、二つの性質のことだとする理論である。性質二元論はほぼ同じ立場である。 中立一元論は物質的なものと心的なものが実在するとする実体二元論と対立する。また存在論的には一元論であるが、物理的なものだけが存在するとする物理主義や、心的なものだけが存在するという唯心論と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。バートランド・ラッセル、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。デイヴィッド・チャーマーズの自然主義的二元論は中立一元論の一種である。スピノザは汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なものの実在性と対立してい...
  • 多重実現可能性
    概説 派生問題 概説 多重実現可能性(multiple realizability)とは、心の哲学において、一つの心的現象はさまざまな脳の作用から生じうるとする説。特定の心的現象は特定の脳作用と同一であるとする心脳同一説のタイプ同一説に対する批判として、ヒラリー・パトナムが主張した。 例えば「痛み」という心的状態は何らかの脳状態で実現される。「痛み」を神経科学に還元するためには、「痛み」と何らかの脳状態との同一性を示すような「橋渡し法」(bridge law)を構築する必要がある。即ち、「痛みが生じるのは○○であるときに限る」という文を神経科学の語で完成させなければならない。例えば、「痛みが生じるのは神経線維Aが発火するそのときに限る」というようなものである。 これに対して多重実現可能性は障害になる。「痛み」を持つのは人間だけでなく各哺乳類、鳥類、爬虫類も「痛み」を...
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