二元論

心の哲学まとめWiki内検索 / 「二元論」で検索した結果

検索 :
  • 二元論
    概説 二元論と宗教 二元論擁護論 概説 心の哲学における二元論(dualism)とは、心と身体を別の存在として考える立場のことである。心身二元論ともいう。多元論(pluralism)の一種といえる。対立する立場は一元論である。 二元論の考えは紀元前から見られ、例えばプラトンは人間の精神というものは身体と同一ではありえないと主張している(霊肉二元論)。そして古代インドのサーンキヤ学派やヨーガ学派などにも同様の考えが見られる。 歴史上初めて心身二元論を今日まで続いているような形で定式化した人物は17世紀の哲学者ルネ・デカルトである。彼は空間を占める身体は物質的なものであり、精神は非空間的であるゆえ異なる実体だとした。これが実体二元論(Substance dualism)である。そして機械論的な存在である物質的肉体と、自由意志をもつ精神(魂)を対置し、両者は相互作用すると...
  • 実体二元論
    実体二元論とは 実体二元論の利点と問題 エネルギー保存則の問題 概念上の批判 発展可能性 実体二元論とは 実体二元論(英:Substance dualism)とは心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、心的なものと物質的なものはそれぞれ独立した実体であるとし、またその心的な現象を担う主体として「魂」のようなものの存在を前提とする説である。代表的な論者はルネ・デカルトである。 実体二元論と対置される性質二元論では、精神と脳の状態を同一の実体の両面と見ている。この考えでは脳が作用を停止すれば精神現象は消滅する。しかし実体二元論の立場では、脳が作用を停止しても精神現象を担っていた主体である「魂」は存在し続けることになる。また性質二元論では、心的なものと物質的なものは相互作用しないと考えるが、実体二元論の一種の相互作用二元論では、心的なものと物質的なものは相互作用すると考える。...
  • 性質二元論
    概説 類似の概念 概説 性質二元論(英:Property Dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な理論のひとつで、この世界に存在する実体(physical substance)は一種類だが、それは心的な性質(mental property)と物理的な性質(physical property)という二つの性質を持っているという考え。中立一元論と類似の概念である。なお Property Dualism は特性二元論、、特徴二元論、属性二元論などとも訳される。 同じ二元論に分類される実体二元論は、物理的実体とは別に、心的実体を置く。それに対し性質二元論は、クオリアなどの心的現象と脳の物理的現象はある一つの実体の二側面であると考える。したがって性質二元論は、存在論的には一元論を前提にしている。歴史的に初めてこの考えを主張したのはスピノザである。 性質二元論の構図 ...
  • 自然主義的二元論
    概説 自然主義的二元論(英 Naturalistic dualism)とは、デイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレム、すなわち物質としての脳からどのようにして現象的意識やクオリアなどが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場を呼ぶ名称であり、その問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという主張のことである。 自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。 チャーマーズは意識が物理理論に論理的に付随しないことを哲学的ゾンビの思考実験などで論じ、それを理由に、物理特性以外にさらにこの世界を形作っているものがあるとして、以下のように唯物論を批判する。 1、我々の世界には意識体験がある。 2、物理的には我々の世界と同一でありながら、意識体験が無い世界が論理的に存在...
  • 相互作用二元論
    相互作用二元論、または単に相互作用説といわれるものは、心身問題、特に心的因果の問題において、実体二元論を前提にして、現象的意識やクオリアといった心的なものが、脳という物理的なものと相互作用すると考える立場である。 歴史上この考えを最初に主張したのは、ルネ・デカルトであり、著書Meditationsにおいて相互作用二元論の考えを明確にした。彼においては心的現象が物理現象に作用するとする根拠は極めて明快で、「自分の意思で手が動く」というようなものであった。 20世紀以後においては、物理領域の因果的閉包性が主張されているため、また心的なものと物理的な脳との相互作用のメカニズムが解き難いという問題があるため、相互作用二元論を擁護する論者は非常に少ない。しかし有名な論者としてカール・ポパー、ジョン・エックルスなどがおり、物理学的には量子脳理論が脳と心の因果作用の可能性を示唆している...
  • 中立一元論
    ...する理論である。性質二元論はほぼ同じ立場である。 中立一元論は物質的なものと心的なものが実在するとする実体二元論と対立する。また存在論的には一元論であるが、物理的なものだけが存在するとする物理主義や、心的なものだけが存在するという唯心論と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。バートランド・ラッセル、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。デイヴィッド・チャーマーズの自然主義的二元論は中立一元論の一種である。スピノザは汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なものの実在性と対立している観念論の欠点を、それぞれ回避しているという点で支持する者が多い理論である。 しかし現代の物理主義者は物理領域の因果的閉包性を前提に、中立一元論者がいう「性質と...
  • 非法則一元論
    ...を自称していても性質二元論の一種とみなされることもある。 デイヴィッドソンは、心身の関係には以下の三つの原理があるとする。 (1)因果的相互作用の原理――心身の(限定的な)相互作用 (2)因果性の法則論的性格――出来事の原因と結果の厳密な法則性 (3)心的なものの非法則性――非還元主義 三つの原理は一見矛盾しているよう思えるが、実際は同時に成り立つとデイヴィッドソンは考えた。彼の理論は、全ての存在は物理的だとしながら、心と物の間には厳密な法則は存在せず、物理的出来事に関する知識がいくら完全だとしても、心的出来事は予測されないということである。このことから彼は人間の自由意志を包括した唯物論を導き出そうとした。 心身の間には厳密な法則が成り立っており、物理現象の知識が十分にあれば、どのような心的現象が生じるかは予測できるという一般的な心脳同一説を、デイ...
  • 心の哲学全般
    ...を大別すると一元論と二元論に分けられる。またクオリアを物理的な性質に還元可能か否かを巡って、還元可能とする物理主義的立場と、還元不可能とする立場(実体二元論、性質二元論、中立一元論)に大別されることもある。 心の哲学の主要な説を分類すると以下のようになる。 ■二元論 ├実体二元論 | ├相互作用二元論 | ├予定調和説 | └機会原因論 ├性質二元論 | ├心身並行説 | ├自然主義的二元論 | └トロープ説 ├随伴現象説 └新神秘主義  └認知的閉鎖 ■一元論 ├物理主義 | ├行動主義 | ├心脳同一説 | ├機能主義 | ├表象主義 | ├非法則一元論 | └消去主義的唯物論 ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 一元論対二元論の概念図(英Wikipedia...
  • メニュー
    ...心身問題 ■二元論 ├実体二元論 | ├相互作用二元論 | ├予定調和説 | └機会原因論 ├性質二元論 | ├心身並行説 | ├自然主義的二元論 | └トロープ説 ├随伴現象説 └新神秘主義  └認知的閉鎖 ■一元論 ├物理主義 | ├行動主義 | ├心脳同一説 | ├機能主義 | ├表象主義 | ├非法則一元論 | └消去主義的唯物論 ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 ■思考実験 ├中国語の部屋 ├中国人民 ├逆転クオリア ├水槽の脳 ├スワンプマン ├テセウスの船 ├哲学的ゾンビ ├コウモリの視点 ├カルテジアン劇場 └マリーの部屋 ■心の哲学の問題 ├現象的意識 |├現象 |├表象 |├クオリア |└還元・創発・汎経験説...
  • 心身問題
    ...ではプラトンが「霊肉二元論」を主張し、それに対しアリストテレスは、心とは身体の特別な性質であるという一元論的な主張をした。そして17世紀の哲学者ルネ・デカルトが、『情念論』(1649年)にて実体二元論を主張したことが大きな転換点となり、デカルトの二元論に対する応答として、心身問題についての様々な立場の原型が近代においてほぼ案出されることになる。 その後19世紀末から後20世紀前半は、科学技術と神経生理学の発展によって、心と身体の関係は科学によって解明されるという物理主義の立場が支配的となり、心身問題についての哲学的議論は停滞することになる。しかし20世紀後半から英語圏諸国の分析哲学において、「可能世界論」や「思考可能性論法」など、さまざまな概念や思考実験が登場したことによって、心の哲学の議論は劇的に変貌し、進展することになる。現代における心の哲学は、その英語圏の哲学を中心に議...
  • 因果的閉包性
    ...という議論において、二元論への批判として提示される概念であり、クオリアなどを持ち出さなくても、脳細胞に起こっている現象を解明すれば人間の行動は神経科学的に説明できるという物理主義的な立場である。 物理的なものが本当に因果的に閉じているのかという点については、少なからぬ学者・科学者から大いに疑問視されている。例えばカール・ポパーは「宇宙というのは一部には因果的であり、一部には確率的であり、そして一部には開かれている」と述べて否定した。またフォン・ノイマンは二元論者であり、量子力学において波動関数の収縮は人間の意識によって行われていると考えた。ロジャー・ペンローズも類似の立場であり、独自の量子脳理論を主張している。 心の哲学での歴史において、デカルトに代表される実体二元論では、物的なものと心的なものという異なる実体がこの世に存在すると考えた。そしてこの両者は何らかの形で相...
  • 心的因果
    ...体は別のものだとする二元論を前提にしたとき生じる問題である。そしてこの問題は、物理的な存在である脳の作用がいかにして現象的意識やクオリアといった心的なものを生じさせるのかという逆の問題(意識のハードプロブレム)と表裏の関係にある。歴史上はじめてこの問題に言及したのはルネ・デカルトであり、彼は実体二元論を前提にして、心的現象と物理的現象は相互に作用しあうとする相互作用二元論を主張した。 現代の脳科学では、心的現象は脳の作用から生じると考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用にただ随伴して生じるのみであるとする随伴現象説を主張する。 しかし随伴現象説は直感に反しているよう思われる。一般の人が前提にしている素朴心理学的な立場では、心的因果は当たり前...
  • ジョン・サール
    ...徴を重視し、唯物論と二元論をともに退ける。意識は因果的には還元可能であるが、存在論的には還元不可能であると考え、「心的なものを物理的なものに還元可能か」という問題は重要な区別――因果的な還元/存在論的な還元――の区別が適切になされていない擬似問題であるという。 意識の生物学的自然主義は、以下の四つのテーゼで述べられる。 1、意識状態――主観的体験、クオリアは現実世界における現実の現象であり、錯覚ではない。また意識は神経生物学的な基盤にも還元できない。そのような三人称的な還元は意識の一人称的な存在論を切り捨ててしまうからだ。 2、意識状態はもっぱら脳内における低レベルの神経生物学的な過程によって引き起こされている。従って意識状態は神経生物学的過程に因果的に還元できる。意識状態には神経生物学的な基盤から独立したそれ自体の活動というのは全く無い。因果的には、意識は...
  • 一元論
    ...実体があると説く実体二元論や、たくさんの実体があると説く多元論(pluralism)と区別されるが、これらの入り混じった思想も存在している。 一元論の種類 一元論には様々なタイプがあるが、それぞれの理論において究極とされている存在は、"Monad"(モナド)という言葉で表される。モナドという言葉は「単一の、単独の」といった意味を持つギリシャ語「モノス」に由来し、古代ギリシアのエピクロスやピタゴラスによって最初に用いられた。 一元論は以下のように二つの基本的なタイプに区分される。 1、「一種類」のものだけがあるとする考え 属性一元論とも呼ばれる。一種類のカテゴリーの中にたくさんの個物があるとする。デモクリトスやレウキッボスの原子論では、一種類のアトムが無数に存在しているとされた。現代の物理主義もこの思想の系列上に属している。またある種の観念...
  • 知覚因果説
    ...つて知覚因果説は実体二元論と唯物論(物理主義)の立場から主張されていた。しかし現代のほとんどの心の哲学者は、性質二元論の立場でも科学的実在論を前提としているので、知覚因果説を採用していることになる。 知覚因果説では、知覚というものを認識主体と認識対象の相互作用として考える。この場合の認識主体とは自我ではなく、感覚器官と、その器官から受け取った情報を処理する脳という身体全体を指す。なおイマヌエル・カントのように物自体に加えて自我を想定する場合は、知覚というものを認識主体、認識対象、認識作用の三つの相互作用によって理解することになる。 知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張された。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に障害が生じることが解明され、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと受け止められた。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、...
  • ジョージ・バークリー
    ... ジョン・ロックは二元論者であり、物理対象は一定の時空を占め、運動可能である性質を「一次性質」と呼び、物質が我々に色・味・音・匂いなどを経験させる性質を「二次性質」と呼んだ。バークリーの哲学はこのロックの分類を批判することから始まる。バークリーにおいては世界とは観念である。たとえば私が机を叩いてその硬さを認識したつもりでも、実は「机の硬さ」ではなく「硬いという感覚」を認識しているわけである。眼で机を見たとしても同様であり、私は決して「机自体」を認識することにはならない。人間は感覚と思考という現象以外のものを認識することは決してない――このバークリーの結論から哲学史において現象主義、そして実在論批判が始まることになる。 バークリーは物質を否定し、知覚する精神と神のみを実体と認めた。なお彼の言う「観念」とは知覚、思考、意思など経験されるもの全てを含んでいる。その観念を疑いえない...
  • 自己
    ...おいては観念論や実体二元論がこの立場である。素朴心理学的な考えであり、自己を継起する知覚や持続的な意識を担う「主体」としての存在とみなす。古くは「魂」が自己というものの本質であると考えられてきた。現代の哲学者でこの立場を取る者は少ないが、英国のリチャード・スウィンバーンは魂の存在を主張している。また日本では永井均が〈私〉という用語で、自己が個別の肉体や精神に還元できないものとして存在する、との主張を行っている。 2、還元主義 自己とは、他の何かから成り立っている概念であるとする立場である。心の哲学においては物理主義や性質二元論がこの立場である。歴史的にはインド哲学の梵我一如がこの立場に近い。近代哲学において最も明確な形で自己の実在を否定したのはデイヴィッド・ヒュームであり、彼は自己とは知覚の束であると考えた。この種の立場を進めると究極的には、昨日の「私」と今日の「私」は、タ...
  • 現象判断のパラドックス
    ...ら生じるものである。二元論の立場では、現象的意識は物理的性質には還元できないものとするが、同時に物理的なものが因果的に閉じていること(物理領域の因果的閉包性)を認めるならば、現象意識やクオリアは何の機能ももたず、因果的に全く関わっていないという事になりパラドックスが生じる。しかし物理主義では機能的意識と現象的意識という分離を認めず、心脳同一説を前提にしているためパラドックスは生じない。また現象主義や観念論といった立場では実在論を否定するので、やはりパラドックスは生じない。 哲学的ゾンビおよび逆転クオリアの問題と、現象判断に関する問題は、一般に対になって語られる。クオリアについての判断や発言は、私たちの物理的同型体である哲学的ゾンビにおいてもまったく同様に行われる。 普通の人間「この赤さこそ問題だ」 哲学的ゾンビ「そうだ。この赤さこそ問題だ」 現象判断が意識とは無関係な理...
  • 観念論
    ...や物理主義の立場から二元論の立場を批判する際に、観念論は一種の蔑称のような意味で使われる。特にマルクス主義に影響を受けた学者にはその傾向が強い。これはマッハが現象主義の立場から「唯物論は非科学的で時代遅れの形而上学である」と批判し、それに対してレーニンがマルクスの弁証法的唯物論を擁護する立場から、マッハを「バークリーの焼き直しの主観的観念論者である」と批判したことに端を発する。マルクス主義哲学者であった森宏一などは、論理実証主義の系統にある分析哲学でさえ、「マッハ主義を源流のひとつとしている現代ブルジョア哲学の主流」と語っている(森宏一編集『哲学辞典』青木書店)。 各種の観念論 超越論的観念論 超越論的観念論(独 transzendentaler Idealismus 先験的観念論ともいう)はカントの哲学的な立場をいう。カントは生得観念を認めるデカルトやライプニッツの大陸合...
  • ヘーゲル
    ... デカルト的二元論を克服するためにシェリングから「世界精神」の概念を受け継ぎ、心的なものと物理的なものが精神という新たな綜合において存在しているという独自の「絶対的観念論」を提唱した。 ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ポストモダン思想においては、マルクス主義国家における全体主義的傾向は、理性によって人間を含む世界の全体を把握できるとするヘーゲル思想に由来している、という見方がされている。 心の哲学についてのヘーゲルの思想 ヘーゲルは心身問題について、『精神現象学』『精神の哲学』『エンツュクロペディー』において述べている。 我々は子供の頃のには心身二元論者ではなく、自然との統一を直感的に、当然のこととして感じている。しかし、我々は成長するに従い、自分の経験を合理的に反省するようにな...
  • ルネ・デカルト
    概説 心身二元論 「我思う、ゆえに我あり」についての解釈と批判 概説 ルネ・デカルト(仏 Rene Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者であり、数学者でもある。近代哲学の父とも称される。1637年の著作『方法序説』によって、真理を探究するための方法としての懐疑主義を透徹し、精神に現れた全ての事象が疑いうるものだと仮定しても、その疑っている何かが存在することは否定できないとし、「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム、Cogito ergo sum)」という根本的な原理を導き出す。デカルトの方法は、もっぱら数学・幾何学の研究によって培われた明晰・判明さに依拠し、その上に哲学体系を構築しようとするものであった。それゆえ彼の哲学体系は人文学系の学問を含まない。 Cogito ergo sumはフランス語で書かれた...
  • ドナルド・デイヴィッドソン
    ...するデカルト的な実体二元論を「非法則的二元論」と呼ぶ。また心的出来事と物理的出来事は何らかの仕方で相関しているとする相互作用二元論については「法則論的二元論」と呼んでいる。 デイヴィッドソンは心的なものが物理的に依存している状態を「付随性(スーパーヴィーニエンス)」と呼ぶ。心的状態は物理的状態に付随するが、物理的状態に還元可能ではないとする。 出来事 デイヴィッドソンの心の哲学と行為論においては、「出来事」の概念が中心的な役割を果たす。これはバートランド・ラッセルの哲学における「出来事」と類似の概念である。デイヴィッドソンにとって存在するのは「出来事」のみであり、その出来事が物理的側面に着目して記述されると物理的出来事となり、心的側面に着目して記述されると心的出来事になるのである。従ってある一つの出来事が同時に物理的出来事でもあり心的出来事であることも可能なのである。...
  • 随伴現象説
    ...別の存在であるとする二元論の一種である。哲学の歴史では、ルネ・デカルトの実体二元論を解消しようとした18世紀の唯物論者、ラ・メトリーに随伴現象説の原型がある。そして19世紀後半から生物学と神経科学の発展により、唯物論と知覚因果説が支配的になるのを受け、T.H.ハクスリーが今日的な意味での随伴現象説を主張した。 19世紀以前は神秘的とされていた「心」の問題も、神経科学の発展で科学的に説明できるとする考えが広まり、世界の出来事全ては科学によって説明され、科学の説明以外の原因によってはどんな出来事も生じないとする「物理領域の因果的閉包性」が常識となっていく。しかし物質的な性質と心的な性質はあまりに異なる。物理的な性質とは全て数量化可能なものであり、心的な性質は数量化不可能なものである。従って現象的意識やクオリアは物理的な存在ではないとするなら、随伴現象という立場を選択する以外ないと...
  • カテゴリー錯誤
    ...カルトを批判し、実体二元論を日常言語の誤用によって生み出された幻想だとする。カテゴリー錯誤という概念は、デカルト主義的な形而上学によって生まれた心の本質についての混乱を取り除くために用いられる。心身を分離し、身体を機械的なものとみなし、その身体に魂が宿るとするデカルト的な実体二元論を、ライルは「機械の中の幽霊」のドグマと批判した。 心の働きは身体の動きと切り離せず、心身は不可分である。実体という術語で心身を定義しようとするのは、ライルにとってはカテゴリー錯誤なのである。 あらゆる論述の誤りは、ある文をそれが属していないクラスに帰属させることであるから、すべての誤りはカテゴリー錯誤であると言える。しかし哲学的な意味でのカテゴリー錯誤は、最も厳密な形態の帰属の誤り、すなわち論理的に不可能なものを是認することである。例えば「海のビジネスは黄色い」という文章は統語論的に正しい...
  • 心脳同一説
    ...物理主義の一種として二元論一般と対立する文脈で語られる。 心脳同一説は性質二元論や中立一元論の考えに似ているよう思えるが、大きな違いがある。性質二元論や中立一元論では、心的状態と脳状態は同一の実体の二つの側面であり、たとえるならコインの表裏の関係である。しかし心脳同一説では、「雲とは水粒である」「稲妻は電荷の運動である」というたとえが用いられる。雲と水粒の集合は概念としては異なっているが、指し示す対象は同一である。つまり心的状態と脳状態は概念が違うだけで、雲と水粒の集合のように完全に同一の存在だと考える。 心の哲学では心的因果の問題が重要なトピックとして議論されるが、同一説では心的状態が脳の状態と「同一のもの」として存在しているがゆえに、心は因果的効力を持ちうると考える。 同一説はタイプ同一説とトークン同一説に分けられる。タイプ同一説は「タイプ物理主義」と呼ば...
  • クオリア
    ...還元主義的物理主義と二元論 外在主義と内在主義 クオリアに関する思考実験 クオリアの全一性 概説 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ、またはクアリ)とは、客観的には観察できない意識の主観的な性質のこと。日本語では感覚質と訳されることもある。もとはラテン語で「質感」を表す単語であるが、1990年代の半ばから意識の不思議さを象徴する言葉として科学者や哲学者の間で広く使われるようになった。「現象」「表象」「感覚与件」は類似の概念である。 クオリアという用語は厳密に定義されておらず、論者によって用いられ方が異なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がいる。しかしクオリアは非志向的であるとし、意識の「高階の性質」...
  • ギルバート・ライル
    ... ライルは、心身二元論は日常言語の誤用によって生み出された幻想であり、カテゴリー錯誤であると断じた。心が独立した存在であるとか、心は身体の中にありながら身体を支配しているといった考え方は、生物学の発達以前の直写主義がそのまま持ち越されたものにすぎず、退けられるべきであるという。 たとえばスポーツでいう「チーム意識」とは、投げたり、打ったり、守ったりという技術的な概念とは全く異なるカテゴリーに属する概念である。チーム意識を技術的な概念と捉えることは完全な間違いである。人の抽象的な思考にもカテゴリー間違いがありうる。日常的文脈で言語が機能する仕方を誤解してしまうと、存在論的な間違いを犯すことになる。ライルの著書『心の概念』の目的は、心について人々が犯している存在論的な間違いを正すことである。「心」という語は「想像する」「信じる」「知覚する」といった個別の現象から離れて存在する...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    ...ーマーズは自然主義的二元論と情報の二相理論を主張している。 チャーマーズはは想像可能性論法によって、普通の人間と外見的には全く同じだが、内面的な心的経験を欠いた哲学的ゾンビの思考実験により、物理主義を否定する論証を行っている。 物理主義に対するチャーマーズの批判は以下のようなものである。 (1)世界には意識的経験が存在する (2)意識的経験は物理的なものに論理的に付随しない (3)したがって意識に関する事実は、物理的な事実を超えたさらなる事実である (4)それゆえに、唯物論は偽である このチャーマーズの批判は、単に既存の物理学でクオリアの問題が扱われていないという主張だけでなく、既存の物理学が間違いであるというラディカルな主張が含意されている。 精神物理法則はどのようなものか、という問題について、チャーマーズは情報を中心に置いた中立一元論...
  • 大森荘蔵
    二元論の否定 普遍概念と無限集合 重ね描き 立ち現れ一元論 実在論批判 自我と他我 時間論 無主体論と無時間論 大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している(*1)。 1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。 大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念...
  • 現象的意識
    ...元は出来ないと考える二元論的立場の間で、その存在論的位置づけを巡って激しい論争が繰り広げられている。(論争の詳細はクオリアを参照のこと)
  • 還元・創発・汎経験説
    ...」の作用であるとする二元論的な立場と、心的現象は物質の運動に還元されるとする原子論的な立場に分かれていた。しかしこの二つの立場はともに素朴であり、クオリアの生成を説明するものではない。仮に魂なるものの存在があったとしても、その魂がどのようにして個別のクオリアを生成しているのかと問うことが出来るし、原子論の立場に対しても同様に、原子がどのようにしてクオリアを生成しているのかと問うことが出来る。 現代の心の哲学では、クオリアがどのように生成されているのかという問題については、「還元説」「創発説」「汎経験説」という三つの主要な仮説がある。ただしそれらは、科学的実在論、つまり物質というものが実在していることを前提にして考えられているものであり、現象主義や観念論といった実在論に反対する立場では全く異なったアプローチを取ることになる。 以下は上述の実在論を前提にした三つの仮説につ...
  • 意識のハードプロブレム
    ...別の存在であるという二元論など様々な考え方が示されることがある。しかし私は、これら異なる見解の間の差異や類似点を考えることが、そもそも意識がなぜ生まれるのかという大難問を解くことに寄与すると感じたことは、一度もない。 (中略) 因果的には脳の客観的な振る舞いはおそらく閉じている。すなわち、余計なものを生み出す余地はない。にもかかわらず、ある条件下では、そこに意識が生じる。問題の本質は、この二つの明白な事実の間の関係をどのように考えるかである。同一説だろうが二元論だろうが随伴現象説であろうが、これらの説が、心と脳の関係性の説明原理として機能するならばよいが、そうでなければ、それは単なる後付の解釈に過ぎない。  意識の科学の現状は、物質である脳から心が生み出される第一原理を未だ解き明かせない、「錬心術」の段階にあるのである。(茂木 2004 213-214) ※...
  • 説明のギャップ
    ...を意味しているという二元論的な立場もある。 表象説 1990年代以降、クオリアを物的なものに還元、つまり説明のギャップを埋める試みが盛んになる。ギルバート・ハーマンらは、「緑の木」という知覚経験は緑の木を表象するが、緑のクオリアはその表象される緑に他ならないと主張して、クオリアの「表象説」を唱えた。 表象がもつ特徴には、表象それ自体に備わる「内在的特徴」と、表象によって表象される「志向的特徴」とが区別される。たとえば「緑の木がある」という文の場合、六文字から成ることや主語述語から成ることが内在的特徴であり、「緑」や「ある」ということが志向的特徴である。 表象説は物理主義的な立場から説明のギャップを埋めるほとんど唯一の試みである。 参考文献 大森荘蔵『知の構築とその呪縛』ちくま学芸文庫 1994年 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 ...
  • 唯心論
    ...受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。 プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(to hen)を重視し、これを神と同一視した。 彼によると、唯一にして無限の宇宙的意識である「一者」が存在し、万物(霊魂、物質)は「一者」から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説)。人間個人の意識は、その統一的意識が宇宙を眺める時の一視覚・一視点に過ぎないのである。彼の発想には後のドイツ観念論の多くが先取りされている。 プロティノスの思想は、後のアウグスティヌス、スピノザ、フィフィテ、シェリング、ヘーゲルなどに影響を与え、彼らは自らの観念論を展開させた。 近代において、論理的な思考方法で唯心論を主張したのはジョージ・バークリーである。彼は自分に経験できるものは、客観的に実在しているとされる物質でさえ一種の知覚であることから、実在という概念が観念...
  • 心身並行説
    ...ているという相互作用二元論、そして心的なものは物的なものに完全に付随して生まれているという随伴現象説がある。 スピノザの心身並行説は、現代の心の哲学においては心的現象と物理的現象とを同じ存在の二つの側面とする「二面説(二重側面説)」として議論の対象になっている。 参考文献 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E8%BA%AB%E4%B8%A6%E8%A1%8C%E8%AA%AC http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6
  • イデア論
    ...いた。その肉体と魂の二元論は、プラトンでは「虚偽である現実の世界」と「真実である理想の世界(イデア界)」として受け継がれる。 プラトンによれば、イデアは個物から抽象したもでなく、個物に先立って「イデア界」に存在するという。イデアは個物の原型であり、人間を含めた、現実界の目的であり理想でもある。イデア論の基本は現実を超えたところに真実があるとする理想主義(イデアリズム)である。このプラトンの思想は「プラトニズム」と呼ばれその後の西洋哲学に大きな影響を与えていく。 人間の持つ感覚は不完全であるため、五感によってイデアを捉えることは出来ない。プラトンは、理性で認識することによってのみ、イデアに至ることが出来ると考えた。イデアが実在する、と考える点で観念論 (idealism) 、実念論(実在論) (realism) の系譜に属する。
  • 汎心論
    ...両者の性質の違いから二元論が何世紀にもわたって議論されてきたという経緯がある。 もし物理的なものから意識が創発することを、野蛮な創発(brute emergence)として不可能とする立場ならば、意識の由来を他の何かに求めなければならない。一部の観念論者ならばそれは魂やイデアであると主張するかもしれないが、現代科学の知見を前提に心身問題を考究する科学者や哲学者ならば、それを世界を構成する基礎的なレベルに措定したいと考える。こうして導入されたのが原意識という概念であり、あらゆる心的なものは物理的なものからでなく、同じ「心的」というカテゴリーにあるものの構成によって生じたとする考えである。これは意識に対する原子論的な還元主義といえる。。 組み合わせ問題 組み合わせ問題(英:Combination problem)とは、心の哲学で議論される問題のひとつ。この宇宙の基本的な構...
  • 意識の境界問題
    ...れる。 性質二元論または中立一元論と呼ばれるような立場では、現象的意識とアウェアネスを存在論的に区別するので、境界問題に対して物理主義とは異なる説明を与える必要が出てくる。(性質二元論からの解答の候補はwikipediaを参照のこと) 参考文献 ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 筑摩書房 2008年 参考サイト 意識の境界問題 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E5%95%8F%E9%A1%8C きめの問題 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C
  • 還元主義
    ...できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な用語で説明されることを望むのは自然だが、意識が還元的な説明の網から逃れると主張した。ジェリー・フォーダーは心理学と心の哲学を神経科学から切り離そうと試み、これら中位レベルの分野をスペシャル・サイエンスと呼んだ。 還元の種類 ジョン・サールは還元主義を巡る議論は混乱しているという。そして「還元」には五つの異...
  • 新神秘主義
    ...のの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判する。マッギン自身の説は、脳には知ることのできない自然特性があり、それに立脚して意識が存在するのだが、その特性が不可知であることからあらゆる難問が生じている、というものである(つまり心的因果を否定し、クオリアについては創発説をとる)。 マッギンに代表される一連の立場が新神秘主義(New Mysterianism)と呼ばれるようになったのは、1991年 Owen Flanagan の著作に始まる。ここで使われている「新」という言葉は、それまでの歴史上、主に宗教的理由から意識の問題は解決できないだろうと考えてきた人達(いわば旧神秘主義者、または宗教的神秘主義者)と、現代の論客を区別する意味合いで付けられている。マッギン自身は1993年の著作で、自分の立場を超越論的自然主義(Transcendental natural...
  • 現象的意識の非論理性
    ...元主義に反対する性質二元論や中立一元論の立場から主張される。一時期のバートランド・ラッセルやチャーマーズがこの立場であり、心の哲学では唯一クオリアの変化という「不思議」を構成的に説明しようとする試みである。汎経験説では石や金属にも原意識があることを認める。チャーマーズによれば人が経験するようなクオリアは物質が特定の「機能」を持つときに発生する。したがってサーモスタットやトースターにも意識があると認めることになる。ちなみにチャーマーズ同様に還元主義に反対するジョン・サールは、「中国語の部屋」という思考実験によってコンピューターがクオリアを持つことはできないと主張したが、チャーマーズによればコンピューターは意識の「機能」を持つのでクオリアも持つことになる。 しかし原意識の組み合わせとは、結局のところクオリアを原子論的な方法で説明しようとするものである。つまり物事をよりミクロな根源...
  • ピーター・ストローソン
    ...とっては、デカルトの二元論や「魂」の概念、また自己の概念も、人格の概念に依存しているということになる。これは「私に見えるもの(あるいは今見えるもの)だけが真に見えるものである」というウィトゲンシュタイン、また彼の影響を受け「私は私の痛みを間違えることは無い」という大森荘蔵の独我論と対照的である。 参考文献 P.F.ストローソン『個体と主語』中村秀吉 訳 1978 みすず書房 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999 勁草書房
  • カルテジアン劇場
    ...実体であるとする実体二元論は、意識の説明について無限後退に陥るという批判である。 カルテジアンとは「デカルトの」という意味の英語で、他にデカルト劇場、デカルトの劇場とも呼ばれる。デネットの1991年の著作『解明される意識』(Consciousness Explained) のなかで詳細が述べられている。 ホムンクルス、すなわち「意識する私」という中央本部のようなものを、脳の特定部位に発見できるとする考えを、デネットはギルバート・ライルに倣ってカテゴリー・ミステイクであるとする。脳は情報を空間的・時間的に分散されたかたちで処理しながら意識を生産するので、脳の特定の部位を選び出して、特権的な意識の座と見做すことはできないのである。 デネットは意識をつかさどる中央処理装置、カルテジアン劇場のような存在を否定し、それに代わるものとして意識の「多元的草稿理論」(Mult...
  • 機会原因論
    ...とし、デカルトの心身二元論が直面した心身の因果関係の問題を解決しようと試みた。そして心と身体との相互作用の原因を解明しようとしたデカルトに対し、心身の結合の原因は神であるゆえに、人間には理解不可能であるとした。 マルブランシュはアウグスティヌス主義者であり、その哲学的主張は「すべての事物を神において見る」というフレーズで知られる。デカルトが身体を含めた物理的世界に自然法則が存在することを認めたのに対し、マルブランシュは人間は神のうちなる観念を通して事物的世界を認識するとして、現象としての物体・身体の運動を認めながら、その原因は物体そのものではなく、物体の衝突や精神の意欲をきっかけ(機会)として神が発動し、最終的には神がさまざまな運動を引き起こしているとした。 たとえば事象AとBの間に因果関係があるように見えても、本当はAが原因となってBを引き起こしたのでなく、神がAを...
  • 形而上学
    ...は物質と異なるという二元論の主張も自然主義に反しない。「自然科学に反した主張」と「自然科学にない主張」は全く異なるからである。極端なたとえだが、魂は存在すると主張しても、その魂が未知の物理法則によって存在していると前提するならば依然として自然主義的である。 上のミニマルな自然主義とは逆に、ラディカルな自然主義では存在論を物理学と一致させるので、物理主義や唯物論と呼ばれる。唯物論は二元論を否定し、心脳問題は脳科学によって解決されるとみなす。独在性の問題は問題自体を否定することになる。
  • マリーの部屋
    ...C 「タイプC」は二元論である。この立場は知識論法が物理主義を棄却すると考える。つまり認識ギャップと存在ギャップの両者を肯定する。チャーマーズと、(当初の)ジャクソンの見解がタイプCに属する。 チャーマーズは知識論法を独自の仕方で形式化した。P をすべての正しい物理的情報、Q をクオリアの情報とし、彼は知識論法を以下のように定式化する。 Pre1 白黒部屋でマリーは P を知っており、かつ彼女は P から「論理的に導出されうる」情報をすべて知っているが、彼女は Q を知らない。 Pre2 物理主義が真であるならば、Q は P から論理的に導出されうる。 Conc よって物理主義は偽である。(Pre1 とPre2 より) チャーマーズはマリー部屋を発展させ、ゾンビ論法(哲学的ゾンビ)を以下のように展開する。 Pre1 ゾンビ世界が存在する可能性がある...
  • カント『純粋理性批判』の検証
    ...トは物自体を措定した二元論的な観念論であり、ヘーゲルは汎神論的な観念論である。少なくとも現代の心の哲学では物的一元論(唯物論)や二元論に対する心的一元論を指す場合に観念論という語が使われており、私はその意味で観念論という語を用いることにする。 反実在論・独我論・観念論というのは、一つの哲学立場が論点の違いによって自らの立場を表すために使い分けている語たちなのである。これ以降の論述で使用される反実在論・独我論・観念論の各語は、意味は異なっていても一つの哲学的立場から主張されているのだと考えてよい。 私は第2章「無限論」において、無限についてのパラドックスを詳細に検討した結果、反実在論は論理的に正しいと結論した。ならば夢と現実に決定的な差異がないとなる。では、なぜ私は現実世界で空を飛べないのだろう?  物理法則が牢固としてあるからだ、と単純に考えるのは間違いである...
  • トロープ説
    ...する立場がある。性質二元論の一種といえる。 トロープ一元主義(Trope Monism) を主張するデイヴィッド・ロブによれば、心的因果の問題は、次の三つの原則が同時に成立しないことから生じる。 1、心的性質は物理的性質とは異なる = 異質性 2、全ての物理的出来事の原因は物理的なもののみである = 物理領域の因果的閉包性 3、心的性質は物理的出来事に因果的に関連することが出来る = 関連性 この三つの原則をを矛盾無く成立させるためにロブは、「性質」概念をタイプとトロープの二つに分け、そして心的トロープは物理的トロープと同一の出来事として存在しているので、物理的タイプに因果的に作用できると考える。 ドナルド・デイヴィドソンは、心的出来事と物理的出来事とを同一とみなすトークン一元論によって、出来事が因果的に過剰決定される問題(心的原因と物理的原因が重...
  • 行動主義
    ...た。そしてライルは、二元論の例証では、日常言語の使用の誤解によるカテゴリー錯誤(category mistakes)が頻繁に生じていると考えた。ダニエル・デネットも自身を一種の行動主義者であると認めている。デネットは現代における行動主義者の代表的人物と見られている。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学と論理的行動主義や徹底的行動主義の間には共通点があると言われ、ウィトゲンシュタインは行動主義者とみなされることがある。例えば「私的言語」や私秘性といわれる経験についての批判である。(詳しくはウィトゲンシュタインのページを参照)しかしウィトゲンシュタインの哲学は複雑かつ難解で、様々な解釈が可能である。 数学者のアラン・チューリングは行動主義者と見なされることがある。チューリングテストにパスすることは思考を持つことの十分条件として考える人工知能研究者もいる。これは他人の...
  • 表象主義
    ... 近代では心身二元論の立場から、知覚像は物質からもたらされるという表象主義が主張されてきたが、この立場には知覚因果のメカニズムが解き難いという問題が指摘されてきた。 表象主義は近代哲学と現代の分析哲学では大きく異なっている。分析哲学では「表象理論」と呼ばれることが多い。近代哲学では物質的対象に属するのは質量や延長量(一時性質)のみとされていたが、分析哲学の表象理論では色や音や味(二次性質)も物質的対象に属すると考える。 以降は分析哲学での表象主義を解説する。 現代の認知科学や心の哲学における表象理論とは、クオリアとは志向性を持った表象であると解釈した上で、心とは表象の処理装置であると考える立場である。表象説とも呼ばれ、また表象が志向性をもつことを前提としているため、「志向説」とも呼ばれる。 人の感覚器官は外界からの情報を受け入れ、それに基づいて外...
  • @wiki全体から「二元論」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索