実践理性の方向

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  • 実践理性の方向
    1 実践理性の方向 2 実在論の可能性 3 心脳問題と他我問題 4 無世界論と実在論 5 死と実践理性の彷徨 1 実践理性の方向 その昔、自宅のテレビで映画『2001年宇宙の旅』を見た。映画にモノリスが登場したとき、私は大いなる哲学的驚愕に打ち震えた。宇宙には人知を遥かに超越した何かが確かにあって、モノリスがその何かを象徴していることは、青年だった私にも理解できた。映画を見終えても、私はしばらくテレビの前で呆然としていた。映画を通じて宇宙の神秘を垣間見たという感慨を堪能していたのだ。 ところがそれから何十年も経ち、今DVDで『2001年宇宙の旅』を見直しても、私は大した感慨を得ることができない。 それは今の私が哲学をやっているからである。宇宙にモノリスがあろうとアリスが迷い込んだ不思議の国があろうと、存在するものは単に存在するだけで、「不思議」とは人の心にのみあるの...
  • カント『純粋理性批判』の検証
    1 観念論の困難 2 『純粋理性批判』の目論見1――世界の観念性の証明 3 『純粋理性批判』の目論見2――自然科学の根拠付け 4 純粋理性と実践理性の境界 1 観念論の困難 私は超能力で自由自在に空を飛べる。何年か前には地上から三千メートルぐらいの高空を飛んだことがある。綿のような白い雲を突きぬけ遥か下方の街並みを見ながら飛び続けたのだが、飛んでいる最中ふいに超能力が消えて転落してしまうのではないかという不安もよぎった。そんな不安を駆逐するように自分は空を飛べるのだと強く信じて風を切りながらひたすら飛び続けた。転落の恐怖と戦いながら遥かな高空を飛び続けるのは痺れるほどの快感であり、これは人生で五番目ぐらいの素晴らしい経験だった。 夢での経験を上のように位置づけていけない理由はない。特に私は存在論的に反実在論の立場である。この立場では夢の経験も現実の経験も「経験」ということで...
  • イマヌエル・カント
    概説 物自体と認識の形式 統覚 アンチノミー 補足 概説 イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国出身の思想家で大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書が有名である。認識論における「コペルニクス的転回」という方法論は、経験そのものでなく経験を成り立たせている条件を考究するものであり、「超越論的哲学」と呼ばれる。「超越論的」を「先験的」と訳すこともある。また認識の構造と形式だけを扱うので「形式主義」とも呼ばれる。ドイツ観念論の哲学者たちは超越論的哲学を引き継いでおり、カントは近代において最も影響力の大きな哲学者の一人である。 カントはイギリス経験論、特にデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義に強い影響を受けた。そしてライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学を「独断論のまどろみ...
  • ヘーゲル
    概説 心の哲学についてのヘーゲルの思想 概説 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学の完成者といわれる思想家である。 デカルト的二元論を克服するためにシェリングから「世界精神」の概念を受け継ぎ、心的なものと物理的なものが精神という新たな綜合において存在しているという独自の「絶対的観念論」を提唱した。 ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ポストモダン思想においては、マルクス主義国家における全体主義的傾向は、理性によって人間を含む世界の全体を把握できるとするヘーゲル思想に由来している、という見方がされている。 心の哲学についてのヘーゲルの思想...
  • 命題的態度
    概説 解釈主義 概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。バートランド・ラッセルが案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である。 命題的態度は以下のような形式を持つ(*1)。 x は p を信じる y は q を望む。 z は r かどうか疑っている。 「x、y、z」が志向的システムを指すもの。「信じる、望む、疑う」が志向的システムが持つ態度。「p、q、r」がその態度の内容、すなわち命題である。 命題とは、人々が信念を固定したり測定したりするのに用いられる理論上の対象であ...
  • 現象的意識の非論理性
    1 「変化」という矛盾 2 心の哲学における「変化」の説明 3 実在論の無意味 4 物理法則の内在性 5 心脳問題 6 現象主義的心脳同一説 7 時間・因果の非実在 8 無時間論の可能性 9 補足 1 「変化」という矛盾 目を閉じると闇になる。私はその闇に美女でも戦車でも銀河系でも思い浮かべることができる。そして次にはその美女も戦車も銀河系も消すことができる。これは魔法や奇跡としか形容しようのない不思議なことである。 意識に現れる現象は次々に変化する。これは一般人には当たり前のことと思われている。しかしその変化なるものは紀元前にパルメニデスが指摘したように、論理を逸脱した不思議なものである。変化とは「ある」ものが「ない」ものになることであり、「ない」ものが「ある」ものになることである。「無からは何も生じない」というのは世界の基本原理である。逆に言えば存在していた何かが無にな...
  • 意識の統一性
    概説 人格の同一性問題との関連 意識の時間的統一の問題 概説 人間には五感がある。しかし同時に複数の感覚があった場合、それらは独立して存在しているのでなく統一された意識の内部にある。たとえば繁華街を歩いていると様々なものが見え、同時に様々な音が聞こえ、同時に様々な匂いがある。それらの感覚は統一的な意識の内部にあり、意識は全一的なものとして存在している。これが意識の統一性である。 ジョン・サールは次のように論じている。 いま私は、指先の感覚や首まわりのシャツの圧迫感、落葉の風景だけを経験しているわけではない。これらすべてを単一の統合された意識野の一部として経験している。病理的なところのない通常の意識は、統合された構造とともにある。カントはこの意識野の統合を「統覚の超越論的統一」と呼び、そこから多くのことを引き出した。そして彼は正しかった。これから見ていくように、それは...
  • 書評1
    中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 戸田山和久『哲学入門』 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 強引、というより無理過ぎる大森哲学解釈、という印象を受けた。中島は大森の弟子であり、大森と幾度も対話を重ねている。大森に会ったこともない私が異論を挟むのはおこがましい感もあるのだが、大森と同様の現象一元論者として、あえて本書を批評したい。 概説すると、中島が大森哲学批判を通じて主張したのは、「過去時間」と「意識作用」の実在性を認めるしかないということである。穿った見方をするならば、それらの実在性を前提にし、意図的に偏った大森哲学解釈をしたと思える。なに...
  • 渡辺恒夫
    遍在転生観 永井均に対する批判 遍在転生観の問題 観念論的アプローチ 他我問題 渡辺恒夫は1946年生まれ。東邦大学理学部教授。専門は心理学。京都大学文学部で哲学を、同大学院文学研究科で心理学を専攻した。 自我体験、独我論的体験、意識の超難問の体験を心理学の立場から統計的に調査研究している。そして意識の超難問の解答として梵我一如思想を背景にした「遍在転生観」を提唱している。 遍在転生観 遍在転生観とは、渡辺恒夫が考える輪廻転生のあり方。全ての個人がそれぞれ所有しているように見える自己・自我というものは、実は唯一存在するだけであり、それが各個人に現れているのだと考える。 「なぜ〈私〉は21世紀の〈今〉というときに、〈ここ〉地球星の日本という島に生きているのか?」という意識の超難問的な問いに対しては、過去・未来・同時代のあらゆる知的生命体は、唯一の私が輪廻転生を...
  • 言語的批判
    概説 拡張解釈 ウィトゲンシュタインの誤用 概説 心身問題を解決しようとする試みは、物理主義であっても性質二元論であっても、大きな難問を抱え込むことになる。ウィトゲンシュタインの言語的哲学の影響を受けたギルバート・ライルなどの人々は、そうなってしまうのは概念的な混乱――カテゴリー錯誤が背後にあるからだとして、心身問題を消去しようとする。 ライルによれば、心的状態を記述する言語のカテゴリーは、物理的な脳を記述する言語のカテゴリーとは異なっている。従って心的状態と生物学的状態が適合するかどうかと問うのは間違いである。脳の心的状態を探し求めるのはカテゴリー錯誤、つまり推論の誤謬なのである。 ウィトゲンシュタインは「私的言語」や、意識の「私秘性」について語ることに反対している。彼にとって言葉の意味とは使用法であり、心の中にあるものではない。心的状態は公的な言語では表せない。...
  • 形而上学
    形而上学(metaphysics)とは世界の実在や原理についての仮説である。形而上学はmeta-physicsの字義通り物理学(physics)の制約に囚われず、思弁的方法によって世界の真理を探求する。しかし物理学に反するものではなく、形而上学は物理学の知見を包括するものである。 形而上学の多くを占めるのは存在論であるが、認識論も一部含まれる。存在の認識は人の認識能力に制限されるからである。とりわけカント哲学においては存在論と認識論は一致する。カントによれば人の認識はアプリオリな形式によって制限され、現象世界はその形式に従って現れる。しかし物自体(実在)は人間理性が到達できない不可知の存在である。 カント哲学に限らず、形而上学とは認識論と存在論が重心を異にしながらも重なり合った構図となる。ただし近年の認識論は独自に発展して多くの問題領域を持ち、それら問題は個別に議論されてい...
  • 意識の境界問題
    概説 意識の統一性 中心と周辺 組み合わせ問題 きめの問題 解決へのアプローチ 概説 意識の境界問題(英:Boundary Problem of Consciousness)とは、人間の意識が宇宙の構造のあるレベル、つまり「脳」という単位において、統一的に、かつ境界をもって存在しているのはなぜなのかという問題。心の哲学において意識のハードプロブレムと関わる問題のひとつとして議論される。2004年にアメリカの哲学者グレッグ・ローゼンバーグによって提起された。 個人が体験するのはこの世界にある意識体験のごく一部である。例えば隣にいる他人が酷い虫歯の痛みに苦しめられていたとしても、自分がその痛みを感じるということはないし、また地球の裏側で誰かが幸福の絶頂を噛み締めていたとしても、自分がその喜びを感じるということはない。つまり意識体験は境界を持って個別化されている。 意識は...
  • 実体
    概説 実体概念の誕生と変遷エレア派 デモクリトス プラトン アリストテレス スピノザ ライプニッツ ヘーゲル 仏教 (管理者がWikipediaの文を加筆修正) 概説 実体とは、哲学用語で真に実在するものの意。性質や様態のように何かに属していたり、何かによって構成されているようなものではなく、「真に在るもの」を指していう。その様々な特性が、属性と呼ばれる。 ギリシア哲学におけるアルケー、またはウーシアとその同義語としてのヒュポスタシスに由来し、「本質」および「実在」とは語源的にも哲学的にも深い関連を有する。 実体概念の誕生と変遷 エレア派 実体の概念はエレア派の存在についての思考に負うところが大きい。エレア派は物事を考える上で誰しも前提にせざるを得ない同一律、矛盾律を厳密に突き詰めれば、生成変化は有り得ないとと考えた。 パルメニデスはいう「事物は在...
  • 無限論
    1 はじめの一歩 2 無限論と実在論 3 ゼノンのパラドックスの終着点 4 カントによる無限批判 5 形而上学無限の不可能性 6 物理学による形而上学的無限の回避可能性 7 数学的無限と形而上学的無限の不調和 8 結論――実在論の最期 9 無限の派生問題 1 はじめの一歩 人生の道を一歩踏み外せば奈落に落ちる。僅か一歩には生死を分ける重大さがある。それは学問の道でも同様であろう。しかし哲学での無限についての議論では、その一歩の重大さが忘れられているように思える。はじめの一歩を踏み間違えていたなら、その後いくら懸命に歩を進めようと間違った地に行く着くしかない。 ゼノンのパラドックスは二千年以上にわたって夥しい学者たちが反駁を試みてきたが、今日でもなお議論が続いており、未だ万人が納得する解決法が発見されていないように思える。大森荘蔵は、ゼノンの主張は詭弁であるという前提からパラ...
  • ウィトゲンシュタイン
    心の哲学との関係 独我論 独我論と言語 補足 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein 1889年4月26日 - 1951年4月29日)はオーストリア・ウィーン出身の哲学者。言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。 ウィトゲンシュタインの哲学は難解で多様な解釈が可能であり、研究者たちの間で甚だしい見解の隔たりがあることが多い。 前期の著書『論理哲学論考』(以下『論考』と略す)には、「語りえぬものには沈黙しなければならない」という有名な言葉がある。ウィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」を峻別していた。「語りうるもの」とは思考の表現としての「言語」を指しており、その言語の射程が及ばない領域について語ることは無意味であるということである。『哲学的考察』には、「世界の本質に属する...
  • 現象
    現象(英 phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「実在」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が現象主義である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「表象」や「クオリア」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・...
  • 無内包の現実性
    無内包の現実性 本稿は拙論「映画『マトリックス』で考える現実と真実」から第6節「無内包の現実性」を抜粋し、atwiki用に修正したものである。 本稿に対する入不二氏のコメントも参照されたし。 本稿に関連したものとして本サイトの『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』の書評も参照されたし。 無内包の現実性 入不二基義と永井均の「無内包の現実性」の相違と問題点を検証する。 入不二によれば「現実に」と言う場合、その「現実に」は遍在的に作用し、夢や幻などの非現実も包括し、さらに可能性や必然性といった様相をも包括する極限的に広い意味であり、「絶対現実」と呼ばれるている。絶対現実はただ「あるようにある」だけであり、現実であることは現実の内容に依存しないので、その意味で絶対現実は無内包の現実性とも言い換えられている(*1)。無内包の現実性は世界の「...
  • 独我論
    概説 各種の独我論 概説 独我論(英 solipsism)とは哲学における認識論の立場の一つ。自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神現象だけであり、それ以外のあらゆる存在は疑いうると考える。デカルトが「方法的懐疑」で到達した「今私が考えているということ以外全て疑いうる」という極限の懐疑主義を出発点とし、ジョージ・バークリーの「存在するとは知覚されることである」という現象主義を経て発展した。哲学の歴史上、独我論は認識論における一つの方法論として機能してきた。 各種の独我論 ジョン・R・サールは独我論を以下の三タイプに分けている。 1、心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場。 2、他人も心的状態を持っているかもしれないが、それを確かめる事はできなとする立場。 3、他人も心的状態を持っているとしても、その内容は私と違...
  • 人格の同一性
    1 過去とのつながり 2 記憶説と身体説 3 還元主義と非還元主義 4 物理主義と反物理主義 5 三次元主義と四次元主義 6 独我論と実在論 7 独在性のアポリア 8 クオリアの同一性と非同一性 1 過去とのつながり 年始に親戚回りなどをしていると、稀に十年以上会っていなかった人物に再会することがある。前回見たときは五歳だった少年が、今は中学生になっている。当然、昔の面影は全く消えていて別人に見える。 五歳の時の少年は色白く内気な感じで、いつも携帯ゲーム機をいじっており、私が話しかけてもゲームをしながら「うん」「いいや」とガスが抜けるような気のない返事をするだけだった。ところが中学生になった少年は身体が五倍大きくなり、野球部に入って逞しく日焼けし、私が話しかけると真っ直ぐ私の眼を見て、溌剌としたスポーツマンの声でしっかり受け答えをする。 あの色白で内気だった五歳の少...
  • 唯心論
    概説 仏教の唯識論との違い 概説 唯心論(spiritualism; idealism)とは観念論の一種で、物質的なものは実在ではないと考え、心的なものだけが実在であるとする哲学の立場。その反対が唯物論である。類似の思想的立場に現象主義があるが、現象主義は経験主義から出発し、実在や神など人が経験できないものは不可知であるとするのが大きな違いである。 歴史的には三世紀頃、新プラトン主義の哲学者プロティノスが唯心論的な形而上学を残している。プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。 プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(to hen)を重視し、これを神と同一視した。 彼によると、唯一にして無限の宇宙的意識である「一者」が存在し、万物(霊魂、物質)は「一者」から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説...
  • 大森荘蔵
    二元論の否定 普遍概念と無限集合 重ね描き 立ち現れ一元論 実在論批判 自我と他我 時間論 無主体論と無時間論 大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している(*1)。 1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。 大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念...
  • イデア論
    ヘラクレイトスは万物は流転すると説き、ソフィスト達はすべての物は主観に依存し、客観的な真理は存在しないことを説いていた。ソクラテスの弟子であるプラトンは、師と同様に相対主義に反対し、ノモス(人為的なもの)を超えたフュシス(自然・万物・本質)的なものを追求する。現象面では生成変化を認めざるを得ないにしても、現象を超えたところに永遠不動の何かがあると考えたのだ。それがイデアである。 イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の実であり、感覚的事物はその影であるとする。イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、その陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる。 ソクラテスが徳や善に限って普遍的なものを追求したのに対し、プラトンは道徳的なものだけでなくありとあらゆるものに対して普遍的なものを追求していった。 まず、イデアとは「普遍概念」の意味がある。「赤い花」「赤い血」...
  • 物理主義
    概説 歴史 物理主義の問題 概説 物理主義(英 Physicalism)とは、この世界の全ての物事は物理的であり、また世界の全ての現象は物理的な性質に還元できるとする哲学上の立場である。心の哲学においては心的なものの実在性を否定して、物理的なものだけが実在するとし、心的因果を否定する。一元論の一種。物質一元論とも呼ばれる。 「唯物論(Materialism)」は同じ立場の思想であり、物理主義という語と互換的に用いられている。唯物論という用語は17世紀のライプニッツによるものであるが、物理主義とは20世紀のオットー・ノイラートの定義によるもので、論理実証主義から派生した概念であり、歴史的脈絡が異なるというだけである。 「物理的」という言葉の定義は、時空間的であり運動できるもの、とされている。 柴田正良によれば、人間の精神を素粒子群の運動や配置に還元するのが素朴...
  • 自然主義的二元論
    概説 自然主義的二元論(英 Naturalistic dualism)とは、デイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレム、すなわち物質としての脳からどのようにして現象的意識やクオリアなどが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場を呼ぶ名称であり、その問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという主張のことである。 自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。 チャーマーズは意識が物理理論に論理的に付随しないことを哲学的ゾンビの思考実験などで論じ、それを理由に、物理特性以外にさらにこの世界を形作っているものがあるとして、以下のように唯物論を批判する。 1、我々の世界には意識体験がある。 2、物理的には我々の世界と同一でありながら、意識体験が無い世界が論理的に存在...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • ゲシュタルト構造
    (参考文献:ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』) 二〇世紀初頭、心理現象は個別の要素の結合からなるとする従来の心理学に対して、心理現象には要素の総和には還元できない全体性がある、と考える学説が提唱された。この心理現象が備える全体的な性質を「ゲシュタルト」と呼び、ゲシュタルトから心理を研究する立場は「ゲシュタルト心理学」と呼ばれる。 意識体験は無秩序な混乱として生じるのでなく、統一されたひとつの全体として生じる。例えば木のテーブルを見るとき、部分としての木の部品や、テーブルに付いた染みでなく、全体としての木のテーブルが意識体験として生じる。そして、そうした対象の断片のみを見ても統一されたひとつの全体をイメージできる。例えば車のタイヤだけを見ても車全体をイメージできる。脳は不十分な情報でも、それを一貫性のある全体へと組織する能力を備えているのだ。 さらに、脳は受...
  • ルネ・デカルト
    概説 心身二元論 「我思う、ゆえに我あり」についての解釈と批判 概説 ルネ・デカルト(仏 Rene Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者であり、数学者でもある。近代哲学の父とも称される。1637年の著作『方法序説』によって、真理を探究するための方法としての懐疑主義を透徹し、精神に現れた全ての事象が疑いうるものだと仮定しても、その疑っている何かが存在することは否定できないとし、「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム、Cogito ergo sum)」という根本的な原理を導き出す。デカルトの方法は、もっぱら数学・幾何学の研究によって培われた明晰・判明さに依拠し、その上に哲学体系を構築しようとするものであった。それゆえ彼の哲学体系は人文学系の学問を含まない。 Cogito ergo sumはフランス語で書かれた...
  • 多重実現可能性
    概説 派生問題 概説 多重実現可能性(multiple realizability)とは、心の哲学において、一つの心的現象はさまざまな脳の作用から生じうるとする説。特定の心的現象は特定の脳作用と同一であるとする心脳同一説のタイプ同一説に対する批判として、ヒラリー・パトナムが主張した。 例えば「痛み」という心的状態は何らかの脳状態で実現される。「痛み」を神経科学に還元するためには、「痛み」と何らかの脳状態との同一性を示すような「橋渡し法」(bridge law)を構築する必要がある。即ち、「痛みが生じるのは○○であるときに限る」という文を神経科学の語で完成させなければならない。例えば、「痛みが生じるのは神経線維Aが発火するそのときに限る」というようなものである。 これに対して多重実現可能性は障害になる。「痛み」を持つのは人間だけでなく各哺乳類、鳥類、爬虫類も「痛み」を...
  • テセウスの船
    概説 ジョン・サールの解答 概説 テセウスの船(英 Ship of Theseus)とは「同一性」についての思考実験。テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体を構成する部分が徐々に置き換えられ、やがて全てが置き換わったとき、以前の物体と同じであると言えるのか、という問題である。 同じ川に2度入ることはできないというヘラクレイトスの主張も類似の問題である。またデレク・パーフィットは人格の同一性の問題において、人間の脳細胞を他者の脳細胞と徐々に置き換えていくという同型の思考実験を行っている。(この場合はテセウスの船と異なり自己について重大な問題が派生する) プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。 テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船がある。アテネの人々はこれを後々の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置...
  • スピノザ
    概説 心身関係論 自我と自由意志 概説 バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza, ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ Benedictus De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日)はオランダの哲学者、神学者。デカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は「神即自然 (deus sive natura) 」といわれる汎神論的な一元論である。 一元的汎神論や能産的自然という思想は後の哲学者に強い影響を与えた。近代ではヘーゲルがスピノザ実体概念を自分の絶対的な主体へ発展させている。またスピノザの思想は無神論ではなく、むしろ神のみが存在すると主張する無世界論(Akosmismus)であると評している。 スピノザの形而上学の中核は「実体」概念であり、それはアリストテレスからスコラ学者を経てデ...
  • 永井均
    独在性 累進構造 脱人格的自我 非還元主義 永井均に対する批判と疑問 永井 均(ながい ひとし、1951年11月10日 - )は、日本の哲学者。日本大学教授。自我論・倫理学などを専門分野とする。歴史上のあらゆる哲学は「なぜ私は私なのか、なぜ私は他の誰かではないのか?」というアポリアに答えを与えられず、その意味で哲学は始まってすらいないと言い、「独在性」という概念によって、独自の独我論を展開する。独在性の問題は意識の超難問の一種といえる。永井の独我論はウィトゲンシュタインに大きな影響を受けている。 永井の主張は大きく分けると二つあり、ひとつは「なぜ私は他の誰かではないのか?」という問いが擬似問題ではなく真性の問題であるということ。もうひとつはその「私」の本質は決して他人に理解されてはいけないということである。 独在性 独在性とは永井均の自我論・独我論において用いられる...
  • 時間と空間の哲学
    概説 歴史マクタガートの時間論 科学における「絶対説」と「関係説」 相対性理論の時間・空間論「時間の流れ」の問題 哲学者の相対性理論解釈 存在論的派生問題 補足 空間論 心の哲学との関連 概説 時間と空間の哲学(philosophy of space and time)とは、時間と空間――時空についての哲学的な考察である。現代では哲学と物理学との学際領域である。分析哲学ではジョン・マクタガートの時間論を巡って活発に議論が行われている。 時空の哲学では以下のような問題が考察されている。  時間や空間はその中にある物体と独立に実在するのか、それとも物体と物体の関係としてしか存在しないのか? 独立に存在すると考えるのがニュートンの絶対時間・絶対空間の立場であり、物質たちの関係としてしか存在しないと考えるのがライプニッツやマッハの関係説の立場である。アインシュタインの相対...
  • 意識の超難問
    概説 心理学的分析 分析哲学からの批判 人格の同一性問題から派生する意識の超難問 概説 意識の超難問(harder problem of consciousness)とは、オーストラリアの人工知能学者ティム・ロバーツが提起した問題で、「なぜ私は他の誰かではないのか?」というような、高度な自己意識(自我体験)に関するものである。 第一回と第二回のツーソン会議でデイヴィッド・チャーマーズが、意識のイージープロブレム( easy problem of consciousness )と意識のハードプロブレム(hard problem of consciousness)の問題提起をして大きな影響を及ぼした。ティム・ロバーツは1998年の第三回ツーソン会議で、意識のハードプロブレムよりも、さらに難しい問題として「意識の超難問」を以下のように提起した。 たとえいわゆる意識の「難問」...
  • パルメニデス
    概説 思想とその影響 「ある」の解釈 パルメニデスのアポリア 心の哲学におけるパルメニデスのアポリア 概説 パルメニデス( Parmenide-s 紀元前500年か紀元前475年-没年不明)はギリシアの哲学者で、エレア派の祖。「ある」と「ない」の概念を考究し、西洋哲学において最初に一元論を主張した。形而上学の創始者といわれ、また感覚よりも理性による判断に重きを置いたため合理主義の祖であるともいわれる。アナクサゴラスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。 「あるものはある」「ないものはない」という自明な前提から、存在を論理的に限界まで考究したパルメニデスの哲学は、それまでの哲学の常識を覆す途方もない試みであり、生成消滅、運動変化、多数性といった自然現象の根本原理を否定するものだった。 プラトンによれ...
  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドとモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • トロープ説
    概説 心の哲学におけるトロープ説 概説 トロープ(Trope)とは現代の分析形而上学における用語で、個物の個別的性質のことである。個別的属性とも呼ばれる。 たとえば赤い郵便ポストの前に赤い車が停まっているとする。その場合「赤」という普遍的性質が、郵便ポストと車に個別化して存在しているものが「赤」のトロープである。 個物とトロープの関係は「全体」と「部分」の関係の一種であり、トロープは全体の構成要素である。ただし個物なしでは存在できない「依存的存在者」である点が、通常の全体と部分の関係と異なる。丸いボールの「丸」のトロープの場合、個物であるボールが消えると同時に「丸」のトロープも消える。 普遍とトロープの関係は、「タイプ」と「トークン」の関係に似ている。しかしトークンとは普遍的な性質の実例であるのに対し、トロープとは普遍的な性質がある場所と時間において個別化し...
  • 動物の心
    (以下は管理者の見解) 動物にも何がしか「心」のようなものがあるというのは大半の動物学者が認めていることである。根拠のひとつは振る舞いが人間と似ているということである。動物には自分の心の状態を報告する人間的な言語を持たないが、猫でも石が当たって怪我をすれば人間のように痛みを感じているよう振る舞って泣き声を上げる。もうひとつの根拠は人間同様に目、耳、鼻といった感覚器官をもち、神経構造もまた人間と似ているということである。特に哺乳類の場合は人間と類似した構造の脳――意識活動に十分と推定できる脳細胞を持っている。それらから動物にも心のようなものがあると類推することができる。 成長したチンパンジーの知能は一般的に人間の三歳児ぐらいといわれる(科学的な根拠は不明)。人間の一、二歳児に心があると認めるならチンパンジーに心がないと考えることの方が難しいだろう。しかし動物にも心があると仮...
  • 中立一元論
    中立一元論(英:Neutral monism)とは、心身問題についての考え方のひとつで、心的だとか物理的だとかいうものは、ある一つの実体、または出来事の、二つの性質のことだとする理論である。性質二元論はほぼ同じ立場である。 中立一元論は物質的なものと心的なものが実在するとする実体二元論と対立する。また存在論的には一元論であるが、物理的なものだけが存在するとする物理主義や、心的なものだけが存在するという唯心論と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。バートランド・ラッセル、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。デイヴィッド・チャーマーズの自然主義的二元論は中立一元論の一種である。スピノザは汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なものの実在性と対立してい...
  • 現象的意識
    現象的意識とは、意識の性質のうち、客観化できない主観的な内容のことである。心の哲学においては、客観化できる意識の機能的な側面と対比させて、現象的な側面を指す場合によく使われる。 クオリアという用語は現象的意識とほぼ同じ意味で用いられることがある。たとえば表象主義では、意識の「現象的側面(phenomenal aspect of consciousness)」がクオリアと呼ばれる。 現象的意識という用語はネド・ブロックが案出した。ブロックは「現象的意識(phenomenal consciousness)」と「アクセス意識(access consciousness)」を区別した(Block 1995)。 ブロックは現象的意識の本質を、トマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどういうことか」という論文で述べた語句を引用して説明する。つまり「生物が意識的な心的状態をもつのは、...
  • 意識のハードプロブレム
    意識のハードプロブレム(英:Hard problem of consciousness.) とは、物理的な脳からどのようにしてクオリアなどの心的現象が生まれるのか、またその心的なものは物理的な脳とどのような因果関係(心的因果)があるのかという問題である。1994年、オーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズによって、これからの科学・哲学の課題として提起された。対置されるのは意識のイージープロブレム(Easy Problem of Consciousness)である。 意識のハードプロブレムは20世紀後半の神経科学の発展によって、意識に関する大きな問題はもう残されていないと考えていた神経科学者や認知科学者に対する批判として提示された。当時の研究者が解決したと考えていたのは意識のイージープロブレム――脳の神経細胞がどのように情報を処理するかという問題であり、その1.5kgの灰色の...
  • 書評2
    『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 本書は永井均の「無内包の現実性」という概念をテーマに、2016年9月23日早稲田大学で行われた永井均、入不二基義、森岡正博の三者による議論を電子書籍化したものである。 「無内包の現実性」には自我論と時間論という二つの論点があり、この二つは私の関心の対象でもあるので、それぞれを論じてみたい。 ※なお本書はamazonのkindle版につき表示環境によってページ数が異なると思われるので、引用の際のページ表記は省略する ・〈私〉の存在論 永井は「現実の〈私〉が一人だけいる」という事実は「事象内容的な問題と無関係」と語る。たとえば自分の複製人間がいて、自分と同じ物理構造をしていて同じ意識現象があっても、〈私〉は端的に一人である。つまり物理構造や意識という事象内...
  • スワンプマン
    スワンプマン(英 Swampman、「沼男」の意味)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した、人格の同一性問題を考えるための思考実験。 ある男が沼にハイキングに出かける。この男は不運にも沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥に不思議な化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。 この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルまで死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一である。沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通ってい...
  • 非法則一元論
    非法則一元論とは、心の哲学における物理主義的な立場のひとつ。ドナルド・デイヴィッドソンにより主張された。「非法則的」とは「法則論的」の逆の意味であり、心的出来事に法則が当てはまらないとすることで「非法則的」であるが、心的出来事が物理現象(脳の状態)と同一であるとすることで「一元論」である。 非法則一元論は、物理主義でありながら、心的なものを物質的なものに還元できないと考える。このようなタイプの物理主義を「非還元的物理主義」という。心的性質を物理的性質と同等のものとみなすため、非還元的物理主義は物理主義的一元論を自称していても性質二元論の一種とみなされることもある。 デイヴィッドソンは、心身の関係には以下の三つの原理があるとする。 (1)因果的相互作用の原理――心身の(限定的な)相互作用 (2)因果性の法則論的性格――出来事の原因と結果の厳密な法則性 (3)心的な...
  • 自己
    概説 還元主義と非還元主義 概説 自己(英:Self)とは、意識される自分自身を言う。「私」に近い概念である。その自己を起点とする意識作用が自我である。自己と自我は混同されて用いられることも多いが、自己と違い自我とは物事を対象化する機能である。 自己は、時間を経ても持続的に存在しているように感じられる。しかし、昨日の自分と今日の自分は同一であるのかと懐疑することができる。この問題は人格の同一性というテーマで考究されている。 還元主義と非還元主義 哲学においては、自己について対極的な二つの考え方があり、デレク・パーフィットは双方の立場を以下のように「還元主義」と「非還元主義」と呼び分けた。(ただし、パーフィットがいう還元主義は、心的な現象は物理現象に還元できるという還元主義とは意味が異なるので注意が必要である) 1、非還元主義 自己がそれ自体で存在するという...
  • 観念論
    概説観念論に対する批判 各種の観念論超越論的観念論 ドイツ観念論 イギリスの観念論 主観的観念論と客観的観念論 概説 観念論(idealism)という語は実に多義的であるが、通俗的な意味においては、観念的なものを物質的なものに優先する立場を観念論といい、唯物論に対立する用語として使われる。なお「観念論者(idealist)」の語を最初に用いたのはライプニッツである。 しかし哲学用語としての観念論は、歴史的に以下のような二つの対極的な立場で使われている。 (1)人間が直接経験できないものが実在し、それがわれわれの認識を成り立たせているとする思弁的な立場。プラトンのイデア主義に起源をもつ。新プラトン主義のプロティノスや大陸合理論のスピノザやライプニッツを経て、イマヌエル・カントの超越論的観念論を近代の転換点とする。超越論的観念論はフィヒテやシェリングなどを経由し、ヘーゲ...
  • 志向性
    概説 ジョン・サールの見解 概説 志向性(Intentionality)とは、人間の意識が外部の世界の何か(志向対象)に対して注意を向ける能力、または心的状態を関連付ける能力である。ブレンターノやフッサールの現象学においては、志向性とは意識のあらゆる活動に伴うものであり、すなわち心的現象の本質的な特性であって、心的現象は志向性によって物質的現象から区別できるとされた。 たとえば「愛」とは何ものかを愛することであり、「欲求」とは何ものかを欲っすることであり、「嫌悪」とは何ものかを嫌うことである。心的現象は常に志向対象をもつという説は「ブレンターノ・テーゼ」とも呼ばれる。 また志向的状態は、思考対象とそのアスペクト形態(aspectual shape)をもっている。アスペクト(aspect)とは人が認知をする際の、対象となる事物の現れ方のことである。例えば金星は、ある時...
  • 認知的閉鎖
    認知的閉鎖(英 cognitive closure)とは、イギリスの哲学者コリン・マッギンによって提唱された意識のハードプロブレム、すなわち物理的な脳からいかにして現象的意識やクオリアが生み出されるのかという問題への一回答であり、人間の精神・知性はこの問題に関して「閉鎖」されている、人間の理解できる領域ではないとする可能性のことである。 人間による理解が現段階において科学的に不十分であったりするためではなく、人間の精神・知性にはそれらを理解するキャパシティーが端的に欠けているためである。マッギンによると、私たちは五感による知覚などの認知能力が備わっているが、逆に言えば私たちはそれら認知能力によって理解できる事柄以外は認知できないということになる。これはマリーの部屋の思考実験からも類推することができる。宇宙には人類以外にも多数の生命体がいて、彼らは人間にとって未知のクオリアを体験して...
  • 行動主義
    概説 歴史 心の哲学における行動主義 行動主義への批判 概説 行動主義とは、心理状態は行動状態にほかならないとする理論である。心の哲学においては物理主義の一種である。元は心理学のアプローチの一つで、観察不可能な心の私秘的性質に依拠せず、観察可能な行動を研究することで人間の心理を科学の対象とする試みだった。従って行動主義においては、人に意識現象があるとみなせるのは、自分に知覚や意識があると報告可能な場合に限られる。 行動主義においては、意識において志向対象とならなかった表象やクオリアは、報告不可能なため研究の対象とならない。このため心の哲学における行動主義は1960年代には衰退し、心脳同一説にとって代わられていった。だが、行動主義の方法論のいくつかは機能主義に受け継がれている。 歴史 20世紀、精神分析学のムーブメントと同時期に、行動主義学派は心理学に浸透した。 行動...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
  • 心的因果
    心の哲学における心的因果の問題とは、現象的意識やクオリアなどの心的現象が、いかにして物理的な身体に作用することが出来るのかという、心と体の因果関係の問題であり、これは心的なものと物理的身体は別のものだとする二元論を前提にしたとき生じる問題である。そしてこの問題は、物理的な存在である脳の作用がいかにして現象的意識やクオリアといった心的なものを生じさせるのかという逆の問題(意識のハードプロブレム)と表裏の関係にある。歴史上はじめてこの問題に言及したのはルネ・デカルトであり、彼は実体二元論を前提にして、心的現象と物理的現象は相互に作用しあうとする相互作用二元論を主張した。 現代の脳科学では、心的現象は脳の作用から生じると考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用に...
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