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一九 日本軍当局の報道検閲

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一九 日本軍当局の報道検閲

 本論文の冒頭で引用した田中正明『"南京虐殺"の虚構』の、南京大虐殺のニュースはどこにも報

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ぜられなかったという文は、つぎのように続く。

 「松井大将は上海に帰ってからも、地元の中国新聞はもとより、主要な英字新聞や仏・独紙等にまで毎日目を通していたが、南京暴虐事件は見なかったと云っており、また、上海で前述の外人記者を含めて、二回記者会見を行っているが、記者団から"大虐殺"に関するような質問をうけなかったと"獄中日誌"の中で述懐している。」(二四四頁)

 南京から戻った松井石根大将が、上海で記者会見をした目的は、「東京裁判」の松井石根最終論告に、つぎのように記されている。

 「一九三八年一月、ハレツト.アーベンド(Hallet Abend)は被告松井と会見しました。松井は尋問の際、次の如く語って居ります。"私は南京(入城)後、約一箇月経ってからアーベンドに逢いました。私は色々風評を聴いて居り、又アーベンド氏の前で事実を述べ風評を消したいと思ったので、当方から面接を求めました。"(中略)

 彼は憲兵隊から松井に申達された報告を基礎としてアーベンドに語ったのであります。」(洞富雄『日中戦争史資料8』三三五頁)

 アベンドは、南京大虐殺を歴史の汚点として指弾した記事(前掲)を書いた『ニューヨiク・タイムズ』の記者である。しかも、松井が会見を求めた外は、ダーディンの例の南京大虐殺のスクープ記事(『N.T』一九三八年一月九日)が載ったころになる。松井が南京事件を報道した記者に会見を求め、「風評」を打ち消そうとしたならば、田申正明氏のいう、そのような記事は「見なかった」松井大将では語の筋が合わない。

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 「風評を打消す」とは穏やかに聞こえるが、「中支那方面軍司令官」がわざわざ記者会兄を行ったということは、「書くな」という圧力を意味しよう。

 田中正明氏いうところの「大虐殺に関する質間をしなかった」アベンドは、一九三八年一月二十四日上海電で、つぎのようなニュースを本社に送っている。

 「一月二十一日、上海の日本軍当局は、南京における日本軍の大略奪・強姦・蛮行に関する情報を厳重に取締まるよう布告し、日本軍の醜態が外に伝播するのを防ごうとしている。南京にいて、日本軍の種々の醜行を目撃した外国人牧師や外交官が上海に到着して以後、秘密であった南京の情報がこの数日間に伝わり始めた。これに対し、日本軍は諸々のきたない手段を使って事実をまったく新聞に発表させないようにしているといわれている。」(『世界日報』一九三八年一月二十九日に翻訳転載)

 この「きたない手段」がどういうことかは、ティンパレーの著書や私が調べた資料でも、証言者の個人名を隠して、「あるアメリカ人」「あるドイツ人」として累がおよぷのを避ける配慮をしていることから、ある程度の察しはつこう。

 日本軍当局の報道検閲については、ティンパレー自身も、かれの著書の序文で述べている。

 「昨年十二月南京を占領した日本軍が申国市民に対して行った暴行を報ずる電報が、上海国際電報局の日本側電報検閲官にさしおさえられるという事実がなかったならば、おそらくこの本が書かれることはなかったであろう。&&私の電文のニュース・ソースの確実性については十分満足すべきものであるにもかかわらず、日本当局は、誇張しすぎているなどと言いたてた。そこで

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私は文書による証拠をさがし始めた。‥‥こうして明らかにされた事件の実情はあまりにも恐ろしいものだったので、私は直ちにこれを出版しようと思いついたのである。」(洞富雄編前掲書、二〇頁)

 さきのアベンドの記事にも、冒頭に、「この電報は上海から打たれたが、検閲を受けなかったので、ニュースは正確で詳しい」とわざわざ断り書きが添えてある。

 「南京における日本軍の"死の舞踏"」という記事が『漢ロウィークリー・レビュー』(Weekly Review <Hankow>一九三八年三月十九日)に掲載されている。南京在留外国人から漢口に届いた手紙や報告に基づいて、南京大虐殺を要約したものである。そこに「率直で真に迫った写真は、南京からの持出しを禁止されている。したがって我々が入手する報告はすべて比較的穏健なものばかりである」と書かれている。

 南京にいた外国人の証言報道に関しては、このように日本軍当局による「報道検閲」が行われていたのである。

 今回のように、南京大虐殺の報道をめぐる当時の情況を探ってみたうえで、もう一度、冒頭に引用した田中正明氏の「衆人環視」説を読んでみると、その"虚構"ぶりがいっそう明らかになろう。

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<南京大虐殺の全貌はなぜ報道されなかったか 完 >

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