アステア家

かつて北方辺境を統治していた大貴族の家系。サザン家と並ぶ皇帝家の分家のひとつ。
代々の当主は名君として領民たちから慕われていたという。数代に渡って偉大なる《蒸気王》チャールズ・バベッジと交流があり、開発力と生産性に優れた碩学式機関工場を領内に複数有していたとも言われる。
2190年代に起きた皇帝暗殺未遂事件の首謀者であるとして、当時の宰相級貴族バイロン卿によって当時の当主アルベール・アステア公が糾弾され、家族諸共処刑された。
反バイロン派貴族によって、この一件は陰謀であるという糾弾が為されたものの、無実を証明するためにと用意された証拠物件がことごとく焼失・紛失するという事態に遭い、北央歴2195年、アステア家は協力貴族の尽力むなしく正式に断絶となった。
公子のひとりがいずれかの《十碩学》によって助け出されたという噂が当時の帝都を駆け巡り、「呪われた北方王家の王子がいずれ帝都を炎の海に沈めんがために舞い戻る」とペイパーバックで騒ぎ立てられたこともあったが、今ではそれを語る者もない。
当時および現在の帝国では、皇帝暗殺未遂事件とアステア家の断絶を謀略であると叫んだのは、反バイロン派でありアステア家と親しかった一部貴族と、幾つかのペイパーバック誌だけであった。大衆も、多くの貴族たちも疑問を抱かなかった。
1902年時点に至っては初等教育書にはっきりと“アステア家による大逆事件・皇帝暗殺未遂事件”と記されている。当然、疑う者はいない。

しかし、アステア家の反逆を防いだといわれるバイロン卿が没すると新たに宰相に就任したエイダ・オーガスタ・バイロンによって「アステア家の反逆疑惑はバイロン卿による捏造である」と発表されアステア家は名誉を回復した。
そして1908年、公子カルベルティ・アステアとコーネリア・イル・リクール妃の婚礼でアステア家は復興を果たす。



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最終更新:2013年10月20日 16:54
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