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会いたい。君を思い出したこと。

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rozen-yuri

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 ただいま。と一つ誰もいない部屋に溢した言葉は闇に消えた。
 お帰り。と電気をつけながら返事をした。込み上げる涙を、ぐいと袖で拭った。
 服を脱ぎ捨てて風呂場へ向かう。鏡を見つめながら、ネックレスに手をかけて、やめた。
 鏡に写ったチェーンを指でなぞりながら、それが一つの輪に辿り着いたときにまた涙が零れた。
 相手のいない指輪。一つは私の左手の薬指。一つは私の首元に。
 首元の指輪を握って、引きちぎってやろうといつも思う。
 でも、彼女の歯ブラシを見る度に力が緩んでしまう。
 我ながら、バカだと思った。


 ──会いたい。君を思い出したこと。


 退院しようとした日、病院の玄関で世話になった医者に挨拶してる時だった。
 ぱたぱたと駆け足で私達の方へ走ってきたのは私の担当だった看護師。
 右手を高く上げて、何か言いながら駆け寄ってくるが、院内で大声を出すわけにいかなかったらしく、その声は聞き取れなかった。
 やっと私のとこに着いたその看護師は右手に持っているそれを私に見せてくれた。
「はぁ、疲れちゃった……。あ、これ、ベッドの下に……はぁ」
 相当走ってきたらしく、息も切れ切れに、とそこまでではないが、シルバーに輝くそれは間違いなく指輪。
「高価そうなものだったので。お忘れものじゃないですか?」
 薔薇をモチーフとしたそれは、間違いなく──。その時、頭を酷い衝撃が襲った。
 水銀燈、──水銀燈は。
「……私のです」
「そうですか。よかった」
 私の手のひらにそれを落とすと、看護師は忙しいらしく再び走っていった。
「真紅さん、真紅さん? どうしました?」
「えっ、あ、すいません。ぼーっとしてまして」
「まだちょっと本調子じゃないので、安静に。激しい運動はダメですよ?」
「はい、ありがとうございます」
 医者に向かって深くお辞儀をする。彼が院内に入っていくのを見届けると、指輪の握られた拳をぐっと握った。
「水銀燈……」
 私にとってその名の存在は、もうこれまでとは変わっていた。

 世話になった学園長に挨拶に行った後、自分の寮部屋に戻った。
 何度も見慣れた光景。しかし、圧倒的に違う箇所があった。
「水銀燈、ごめんなさ、……っ」
 彼女の荷物は何一つ残っていなかった。もともとあった机と小さなテーブルと、ベッド。
 無機質なそれは、水銀燈との暖かかった暮らしとあまりにも対照的すぎて。
 知らず知らずに大粒の涙がぼろぼろと溢れていく。
 水銀燈はもういない。私が、彼女を見捨てたのだ。私が、彼女を裏切ったのだ。
 私は一人。でも、それは仕方ないのだ。先に一人になったのは水銀燈の方だから。
 思わず水銀燈が使っていた机にそっと触れてみる。引き出しを開けても、そこはもぬけの殻。
「あんなに、片付けできなかったのに。綺麗に片付けてあるじゃない……」
 机に置いていた手をぐっと力強い拳に変えた。そのまま力任せに机を叩いた。ガタンと大きな音がしたが、壊れることはなかった。
 痛かったけれど、そんなことは気にならなかった。それよりももやもやした気持ちを殺したかった。
 もう一度、机を叩こうとしたときだった。隣接するゴミ箱の中で何か光るものが見えた。
 それを拾い上げて、再び声をあげて泣いた。ぎゅうとそれを掴んで溢れる涙も拭かずに泣き続けた。
「ばか……水、ぎ、とぉ……ばかぁぁ」
 先程、私の薬指に嵌めたそれと同じデザインのそれを握りながら私は再び机を叩いた。

 それ以来、私は返事の返ってこない部屋にただいま、と言い続けている。
 退院した私を蒼星石と翠星石は盛大に祝ってくれた。しかし、二人には悪いが、私の気持ちは晴れやかとは言えなかった。
 また今日も暗い部屋に向かってただいま、と言わなければいけない。
 学園と寮は少し離れていて、その道をとぼとぼと歩いていた。
 小さな溜め息を一つ吐いて、寮を見上げる。二階の、一番左側が私の部屋だ。
「え……電気、点いてる……」
 思わずそう呟いた。いつも暗かった自分の部屋に明かりが灯っている。
 きっと、翠星石か誰かがいるのだ。時々そうやって私と水銀燈の帰りを待っていたりすることがあった。
 そう、水銀燈なわけない。
 心ではそう思っていても自然に足が早まる。水銀燈がいる!
「すいぎ……っ!」
 勢いよくドアを開けて彼女の名を呼ぼうとして、──やめた。
「ごめんね。水銀燈じゃないんだ」
 優しいオッドアイの瞳。蒼星石は気分を悪くするわけでもなくにこりと笑うとそう言った。
「思い出してたんだね。水銀燈のこと」

「えぇ。……ごめんなさいね」
 閉まった扉を背にしてもたれかかった。自嘲気味に笑って、前髪をかきあげた。
「笑っちゃうでしょう? 思い出して、そしたらもうあの子はいない」
 蒼星石は何か言いたげに口を開いたが、それを防ぐように早口で捲し立てた。
「蒼星石も入試もうすぐなんでしょう? 私のことは構わないでくれるかしら」
「あいにく後は結果を待つだけなんだ。昔から姉のお節介ばっかり焼いてたから、これは僕の仕事なんだよ」
 にっと自信ありげに微笑んだ蒼星石は数枚の紙を取り出した。
 まぁ、座りなよ。と言われてここは自分の部屋だと言いかけて、やめた。
 大人しく、備え付けの机の前に座った。
「これが、水銀燈の行った大学の案内だよ」
 机の上に落とされたそれはアルファベットの並んだパンフレット。
「そしてこれがこの日本語訳」
 そのパンフレットとそっくりそのままの絵だが、アルファベットの部分が日本語になっている。
「水銀燈が受けたのは医学部。まぁ、学科までは分からないけど」
 ぺらと捲られたパンフレットの医学部の部分に赤丸がつけられていた。
「この大学は幸いにも総合大学だから文系の学部もあるよ」

 更に捲ると法学部、文学部など、文系の学部の案内のページがあらわれた。
「君は、法学部に行きたいんだったね。真紅」
「…………何が言いたいの」
「何も。僕は、『何も』だよ」
 ただ、と彼女は付け加えた。
「彼女はどうかわからないよ」
 そう言ったと同時にバンと勢いよく部屋のドアが開き、驚いて振り向いた。
「私は黙ってませんよ」
 蒼星石の姉、翠星石が立っていた。
「あいにく、世話焼きなのは姉の役目なんですよ」
 翠星石はまるで自分の部屋にいるように颯爽と歩くと蒼星石の隣に腰かけた。
「会いたくないんですか。水銀燈に」
「そりゃ……。会いたいわよ」
 なら、と机を乗り越えようとせんばかりの勢いで翠星石は私に詰め寄った。
「真紅なら分かるはずです! 何をすればいいか!」
 翠星石の綺麗なオッドアイが私を見つめる。
 ぎゅうと心臓が掴まれたような痛みが走って思わず眉をしかめる。
「私だって、会いたい」
「なら、」
「でも!!」
 翠星石の言葉を遮った私の声はびくりと彼女の肩を揺らさせた。

 水銀燈は去っていった。私に黙ったまま、私を置いて行こうとした。
 それは、つまり──。
「私を拒絶したってことでしょう?」
「違いますよ! アイツが真紅を見捨てるわけないです!」
「貴女に何が分かるって言うのよ!」
「翠星石──」
 そう呟きながら翠星石の肩に手をかけた蒼星石は彼女を宥めるように頭を撫でた。
「後は、真紅が決めることだよ」
「っ……ですが、」
「翠星石」
 帰ろう。そう言われた翠星石は悔しそうに眉を歪め、蒼星石に促されるままに立ち上がった。
「真紅」
 ドアを開けようとした蒼星石がそう私を呼んだが、私は振り向かなかった。
「これだけは言える。水銀燈は、君を拒絶してなんかない。あと、──」
 私のとこまで戻ってきて一枚のメモ用紙を差し出した。
「みつさんがドイツ語を専攻しててね。彼女に聞いたお薦めの参考書の一覧」
 それだけ言うと二人はドアを開けて出ていった。
「水銀燈……」
 そう呟いても、もちろん返事はない。
 もう返事のない部屋にただいまと言うのは嫌だ。ならば──。
「待ってなさいよ、水銀燈」
 真紅は蒼星石が置いていった一枚の紙を握りしめた。


終わり

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