届け、いつか(前編) ◆iDqvc5TpTI


『貴女の声は決して届く事はない。 
 いや、届く相手はいる、聞き届けるものも居るだろう。 
 それでも、その声は本当に届けたいものには、届く事はない。
 貴女の声は、そもそも貴女の言葉など必要としていないものにしか届かない
 かつて手を取り合った、勇者という存在にすら届かない。 もはや必要としていないのだから。』

夢と現の境界で誰かの声を聞いた気がする。
夢を渡る力が混線でも起こしたのだろうか?

ロザリーは実体のない世界で首を傾げる。
感応石を持ったまましてしまったオディオのロザリーへの独白が偶然ロザリーの力と相まって届いたのだということを彼女が知る由もない。
ただ、その言葉が自分のメッセージへの返答だということだけはおぼろげに察していた。

認めたくない言葉だった。
けれど安易に拒絶していい言葉だとも思えなかった。

その言葉には憐れみも、嘲りも、馬鹿にする響きも含まれていなかったからだ。
自分の言葉を受け、真摯に、心の底からこのメッセージを返してきてくれたのだとロザリーは受け取った。

そうなのかもしれませんね……。

ロザリーは俯く。
思い出すのは意識を失う前の記憶。
マリアベルから告げられた英雄の真実。
子どものように泣きじゃくり、憎しみを露わにする勇者。
ユーリルは勇者になんかなりたくなかったのではという想像。
もしそれが真実だとするならば。いや、紛れもなく真実なのだろう。なら。
手を取り合えると言った彼女自身が大切な恩人であるユーリルのことを理解できていなかったことになる。

メッセージが届かなかったのも当然ですね

自分にもできていないことを他人に求めたところで相手を納得させられないのは当然なのだ。
ロザリーは顔を上げる。
その顔に笑みは浮かんでいなかったが、しかし強い意志は宿ったままだった。

伝えたい心を伝えられない時にどうすればいいのか、ロザリーは既に答えを出していたではないか。
一つの言葉で伝わらないなら、何度でも言葉を重ねればいい。
理解できていなかったのなら、今度こそ真に手を取り合えるよう何度でもユーリルと語り合えばいい。

何度でも、何度でも、何度でも……




夜天より声が降り注ぐ。
人の心を穿ち、地へと打ちつける言葉の弾丸。
誰かの、知己の、仲間の、友の訃報を告げる声。
ある者は嘆き、ある者は怒り、ある者は笑い、ある者は喜ぶその声が幸いとしてピサロの想い人の名前を呼ぶことはなかった。
だというのにピサロの様子は先ほどまでと何も変わらない。
凶刃を納めることなく雨に沿うかのように熱を奪われた青い顔を晒し、怒りのままにイスラ達と刃を交えていた。

ピサロは放送など聞いていなかった。
激しさを増した雨音が耳に届くことを妨げたからか。
天地を跋扈する稲妻の轟音により異界の魔王の声が打ち消されたからか。
否。
元より今のピサロにはただ一人を除いていかな声も届きようがなかった。

ああ、もしも、もしも本当に。
ロザリーが死んでいてオディオにより名前を呼ばれていたならば。
一瞬、たかが一瞬といえどもピサロは立ち止まったかもしれないのに。
どれだけ憎悪に狂おうとも、どれだけ怒りに飲み込まれようとも。
ピサロがその名前に反応しないことなどありえないのだから。

――なんという皮肉

彼を凶行に駆りたてたのが愛するものの死ならば。
僅かな時なれど止め得たのも愛するものの死のみとは。

――なんという滑稽

愛するものは存命ですぐ傍らに転がっているというのに。
ピサロは手を伸ばそうともしない。
ロザリーを愛した魔族『ピサロ』ならたとえそれが死骸でも手を伸ばそうとしたであろう。
だがここにいるのはデスピサロ
人間を憎み、滅ぼす為に一度は愛するものの記憶すら捨て去った復讐の魔王。

雨などという生易しいものではない。
若き魔王の心の中では嵐が吹き荒び雷が荒れ狂っていた。
その雷は

「カ、カエル、まさかお前がロザリーを!?」

飛び込んできた言葉を引き金に開放されることとなる。




戦況は膠着状況に陥っていた。
無力なアナスタシアを護るべく円陣を組んだブラッド達の一団を攻める側は切り崩すことができなかったのだ。
初期状況で北にユーリル、西にピサロ、南に魔王とカエル、東に逃げ場の無い建物と四方を完璧に囲っていたにも関わらず、だ。
さもありなん。
攻める側の四人はカエルと魔王を除いて協力関係ではなかった。
どころか互いが互いの敵でもあった。
潰し合ったのだ、守る側に攻め込みつつもこの四人は。

「貴様か、勇者っ! 貴様が、貴様がロザリーをっ!!」

ピサロからすればユーリルは勇者――ロザリーを殺した人間どもの守護者にして象徴だ。
真っ先に始末してやらなければ気が済まなかった。
彼に殺された直後からオディオに呼び出されたこともあり、ピサロがユーリルを敵視しない理由は一切なかった。
その勇者が他ならぬ人間を目の敵にして殺そうとしていることを疑問に思うだけの冷静さは残っていなかった。

「うるさい、うるさい、うるさい! 僕を勇者と呼ぶなっ! 
 消えろ、消えろ、魔王! 殺させろ、アナスタシアを殺させろおおおッ!!」

ユーリルからしてもピサロは憎むべき相手だった。
アナスタシアがユーリルの幸せな幻想を完膚なきまでに砕いた下手人なら、ピサロはユーリルの現実的な不幸の直接の元凶なのだ。
エビルプリーストに謀られたからという事実は言い訳にはならない。
人間を根絶やしにせんとした魔王にして、予言に詠われた地獄の帝王を継ぐもの。
勇者の対存在。こいつさえいなければユーリルは勇者としてではなくユーリルとして生きられたのに。
その魔王があろうことか邪魔をする。アナスタシアを、英雄を殺すことの邪魔をする。
ピサロにはそのつもりがなくともユーリルにはまるでアナスタシアが、シンシアが、世界そのものが。
勇者たれと、呪詛を吐き強いているようにしか思えなかった。

「チッ、正真正銘勇者の剣か。バリアが剥がされるとは」

冷静さを保っていたカエルと魔王は最初こそは上手く立ち回れていた。
ユーリルがアナスタシアのことしか目に入っていなかったこと。
ピサロが人間の姿ではないカエルと耳の形がエルフにも見えなくもない魔王を後回しにしたこと。
二つの幸運が重なって当初危険人物から狙われることのなかった二人は攻撃側に加勢した。
正しくは便乗した。
他の参加者を減らしてくれる殺し合いにのった人物と現時点で敵対するメリットはない。
逆に優勝への大きな壁となり得る大集団をここで潰しておくことは非情に有益なものだと踏んでのことだった。
しかしながら話はそう上手くはいってくれなかった。
豪雨を味方につけ蛙の本領発揮とばかりに獅子奮迅の活躍をするカエルに負けじと魔王もまた豪雨を利用することを考えた。
それがいけなかった。
よりにもよって魔王が選んだのはサンダガの呪文。
魔王にとっては単に雨に濡れた相手になら常日頃以上に雷呪文が効果を発揮するだろうと思っての選択で他意はなかった。
実際ピサロやユーリルの雷は上昇した通電効果もあって猛威を振るっていた。
しかし、ユーリルからすれば話は別だ。
よりにもよってよく聞けば『魔王』と呼ばれる男が『友達』が使っていたのと同系統の『雷』呪文をこともなげに扱ったのだ。
アナスタシアには遥かに劣れど、ユーリルの殺意を買うには十分過ぎて、

「これが、勇者だと? こんな、こんな殺意に凝り固まったものが! 認めん、俺は認めん!」

そのユーリルの姿もまたカエルの怒りを買うには十二分だった。

混戦だった。
守る側が防御に集中している中で殺す側は守る側と殺す側両方を敵に回して疲労していった。
それが守る側の思惑であるとも知らずに。

「すごいや。おじさんの目論見通り大分ピサロだっけ、銀髪の動きが鈍ってきたよ。
 これならあいつを抜けて後ろの方で倒れているロザリーって人を起こしにいけるようになるのも時間の問題かな」
「ユーリルの方もじゃな。スリープいつでもいけるぞい?」

端からブラッド達は守り一徹の持久戦狙いであり、ユーリルとピサロを殺す気はなかった。
マリアベルの仲間の知り合いだと知ったブラッドが指示したのだ。
ピサロの誤解もいささか仕方がない状況だったことと。
アナスタシアが殺し合いに載っていたこともあり彼女を襲っていたからといってユーリルが悪だとは限らないこと。
甘いと抗議していたイスラもこの二つの理由と他大多数の賛成意見に渋々承知し作戦は決行された。
内容は以下の通りだ。
ピサロとユーリルを疲弊させきった後にマリアベルのスリープで眠らせ、残る二人を四人がかりで数の利で押し切る。
以上一文それだけだ。
いささかシンプルではあるが状況を鑑みるにベストなものではあった。
ピサロとユーリルは見るからに万全とは程遠い状態だった。
そんな身体で後先も考えずにあのペースで感情のままに暴れまわれば遠くないうちに倒れるだろう。
加えてこの豪雨。
生物が動くのに嫌でも必要な熱を奪う水に打たれっぱなしの状態では息切れするまでの時間も加速度的に早くなる。
そう推測した上でのブラッドの作戦は前述の潰しあいもあって大成功だった。

「時が来たら機を逃すな! アキラ、引き続きかく乱と回復を頼むッ!」
「任せな! あと一息ッ!」

そう、後一息。
傍目にはピサロとユーリルは限界まであと一息に思えた。

その一息が限りなく遠いものだったことを直後ブラッド達は思い知ることとなる。

「そこまでだ、魔王! リルカとルッカの仇、取らせてもら……ストレイボウさん!?」

新たに戦場へと踏み入れた二人組の人間、そのうちの一人ストレイボウをきっかけとして。





座礁船への道すがらに戦場へと辿り着いた瞬間、ストレイボウはジョウイの静止も振り切り駆け出していた。
心配していた少女たちと言葉を届けたい友。
両方が一度に見つかり、しかも交戦しているとあればいてもたってはいられなかった。
だがその速度が現場に近づくにつれみるみると落ちていく。
ストレイボウは歩くことも忘れ、その衝撃的な光景に打たれるしかなかった。

降り止まぬ雷雨の中倒れ臥す一人の少女。
忘れるはずがない、ストレイボウに道を示してくれたあの心優しき少女だった。
そのすぐそばで戦いを繰り広げるカエルとマリアベル。
姿も形もないニノに女性のものだったと思われる誰とも判別できない無残な骸。
第二回放送で告げられたシュウサンダウンの死。
それら断片が半日前の光景と重なりストレイボウの中で最悪の想像が鎌首をもたげる。
信じると決めた。
裏切らないと決めた。
けれど一度膨れ上がった疑念を抑えることはできなかった。

「カ、カエル、まさかお前がニノとロザリーを!?」
「ストレイボウ、俺は」
「あ……。お、俺は。すまない、すまないカエル!」

どこか悲しげなカエルの声に状況が状況とはいえ友を疑ってしまったことを恥じるがもう遅い。
その一言が転機となった。
なってしまった。
ぴたり、と。
それまでカエルのことなど気にもかけていなかったピサロが動きを止める。

「人間……今、貴様、誰の名前を呼んだ? そこのカエルがロザリーを殺しただと……?」

荒れ狂っていた寸前までとはうって変わって抑揚を感じられないその声がかえって恐ろしかった。
ぎぎぎぎぎ、と首を動かしたピサロの目がストレイボウのそれとかち合う。
煮えたぎる闇が凝り固まり形をなしたかのような瞳にに射られてストレイボウは立ち竦む。
カエル以上に今の彼は蛇に睨まれた蛙だった。




一度目は偽りだった。
二度目は自身だった。
三度目は親友だった。
そして、四度。
否、五度、男は魔王と対峙する。

「答えろ、人間。そこのカエルが私のロザリーを殺したのかと聞いているッ!」

ストレイボウは押し黙るしかなかった。
自身がその答えを知らなかったからでもあるがそれ以上にピサロの表情から声に至るまで全てに表出している殺気が彼に沈黙を強いさせた。

殺される。
下手なことを言えば殺される。
カエルが、カエルがこの男に殺されてしまう!

それは正しい判断だ。
ピサロは殺す。
何よりも優先してロザリーを害したものを殺す。
今この場に限ればロザリーは死んでもおらず、彼女を傷つけたのもユーリルであったがそんなことは関係ない。
既に一度、カエルはロザリーを死の淵まで追い詰めたのだ。
それだけでピサロがカエルを殺すに理由としてはお釣りがくるほどだった。

「だんまり、か。そうか、そうか貴様だったのか。両生類の分際が、私のロザリーをっ!」

ストレイボウの沈黙を肯定と取ったのだろう。
ピサロの中からはもはや勇者も有象無象の人間たちも消えていた。
有り余る憎悪の全てをカエルと、彼を庇うかのように黙り通した人間へと向けていた。

「お、落ち着いてくれ。あんたが誰かは知らないがまだそうと決まったわけじゃ」
「……」

自分の失言のせいで友が危機に陥いることを防ごうとしどろもどろになりながらも何とか声を出すストレイボウ。
無意識にピサロへの恐怖から逃れようという意図もあったのだろう、必死に舌を動かす彼とは対照的にカエルは口を閉ざしたままだ。
誤解こそ含まれてはいるがカエルがロザリーを殺そうとしたのは事実。
堕ちたとはいえど誇り高い彼には言い訳をする気などさらさらない。

「いいんだ、ストレイボウ」
「お、俺はこんなつもりじゃっ」
「分かっている。これは俺の身から出た錆だ」

ストレイボウにかけられた声からはカエルが本心からそう思っているということが伝わってくる。
それが余計に辛かった。

何を、何をやっているんだ、俺は!?

本当に何をやっているのだろう。
ストレイボウが後悔に沈む暇すらピサロは与えてはくれないというのに。

「異言はないようだな――よく、分かった。死ね」

ピサロの足元から幾条もの黒き魔腕が這い出でる。
瘴気を纏い、腐臭を漂わせ、悪鬼亡者がおぞましい雄叫びをあげる。
違う、あれは腕なんかじゃない。
ストレイボウは脳裏を侵した妄想から我に変える。
周囲の温度が上がっていた。
地獄の釜を思わせる金属臭が鼻腔をくすぐった。

なんだ、なんだこれは!?

答えはすぐに出た。
ビリビリと微弱な電流の先駆けを感じたのだ。
帯電していた。
ストレイボウだけではない。
カエルが。
ジョウイが、魔王が。
ピサロと彼らとの間に立ち塞がる壁たるユーリルが、アナスタシアが、ブラッドが、マリアベルが、イスラが。
電荷を帯びた空気の檻に閉じ込められ、その恐るべき光景を目に焼き付けられることとなった。

「ジゴ――」

魔界の王がもたらす熱量に耐え切れず、雨がことごとく蒸発し霧と化した。
次いで、その余りに激しすぎる魔力の流動に耐え切れないのか、大地が激しく鳴動した。
今やピサロの足元から立ち昇りきり、巨大な全長を誇示している黒き雷竜に怯えるかのように。
恐慌は伝染していく。
木々が黒一色に染まり崩れ去る。
集いの泉が干上がり湖底を晒す。
大気が揺らめき炎上し燃え上がる。
……早々雷どころではない。
地獄だ。
地獄そのものが現世へと顕現していた!
その地獄とは他の誰のものでもなくピサロのものだ。
愛する人を護れなかった後悔と、愛する人を奪われた怒りと、愛する人を奪った者達への憎しみと、
愛する人のいない世界で生きていかねばならぬ辛さと、愛する人のいない現実への嘆きが幾重にも幾重にも混ざり合った若き魔王の心象風景。

「――スパークッ!!」

その世界の君臨者、漆黒の雷竜が顎門を開く。
逆鱗に触れた者達に牙を穿ち立てる、それだけを王に誓い。
竜が蛇行を開始する。
一陣の矢となってカエルを、ストレイボウを、障害たる全ての敵を貫かんと。
虚無する激情が、解き放たれた。

「う、うわああああああああああああああああああああ!?」

夜の闇を更なる黒で汚しながら雷竜が迫る。
真っ直ぐ、真っ直ぐストレイボウとカエルの元へと向かって。
道中の雑物達を尾の一振るい、胴の一轢きで粉砕し文字通り雷そのものの鋭さをもって襲い来る。
ストレイボウは悲鳴を上げた。
彼自身が一流の魔法使いであるが故に分かってしまったジゴスパークの威力に。
あますことなく浴びせられたピサロからの憎悪の念に。

死ぬ、殺される、俺は、ここで!?

この錯乱は彼が克服しきれていない心の弱さによるものだけではない。
霊魂として過ごした時間が彼から戦士としての心の持ちようを奪い去ってしまっていた。
考えてもみて欲しい。
ストレイボウは死後気も遠くなるような時間を過ごして来た。
その間彼の心を占めていたのは友を裏切ったことへの悔いと弱き自らへの嫌悪ばかり。
戦いのことなど考えたこともなかったのだ。
再び肉体を得て友をこの手で止められる日が来ることになるなど思いもしなかったのだから。
或いは、それもまた弱さか。
霊魂の身では何もできないと自ら動くことを捨てただただ後悔の泥沼に浸かることを選んだ報いか。
数えることなど叶わぬ時の流れはストレイボウのなけなしの強さを――死と隣り合わせである戦場に立つ強ささえ磨耗させてしまった。
新兵も同然なのだ、今のストレイボウは。
そのことに、生き返って以来今に至るまで一度もまともな戦闘をこなしてこなかった為気付けなかったのは何たる不幸か。
ストレイボウは考えられる限り最悪の形で気付かされることになった。
死した身で長きを過ごすうちに忘却してしまっていた死への恐怖と対面するという形で。

「ブ、ブラ、ブラックアビスゥウウウウ!」
「駄目だ、ストレイボウさん、それじゃ打ち消せない!」

なればこそのこの愚行。
カウンター前提の魔法をあろうことか迎撃に使ってしまうとは。
傍らのジョウイや雷竜の行軍に巻き込まれたマリアベル達のように自らの身を護ることを優先に魔法を盾にしておけばよかったものを。
そうすればダメージの軽減程度にはなったし、何よりも自らのちっぽけさを目の当たりにすることもなかったろうに。

一秒もかからなかった。

深淵の名を冠したストレイボウの全長ほどある――つまるところ雷竜の爪程度の大きさしかない三つの黒塊は。
ストレイボウが言うところの究極魔法は。
たかが深淵を覗いただけの存在が地獄を見てきた魔王に勝てるはずがないと言わんばかりに、あっけなく地獄の雷の前に消し飛んだ。

「――――――あ」

魔の王が怒りのままに際限なく魔力を込めて撃ち出した魔法がいかにして常人の魔法使いの手で破れようか?
古来より、魔王を倒せるのは勇者だけだと決まっている。
ストレイボウも嫌なほどそのことは知っているではないか。

「ひ、ひいいいいいいいいいいいっ!?」

この島にもう勇者はいない。
魔王に打ち勝てるものは一人が勇者であることを捨て、一人は魔王と手を組んだ。
ならば。
他に魔王に拮抗し得るものがいるとすれば、

「余計なことをしてくれたな、そこの人間……」

それは同じく魔王を名乗る者のだけだ。

「よせ、魔王。これは俺が撒いた種だ。手なら貸す、ストレイボウを責めるな」
「貴様の知り合いか? どうりで無様な姿がいつぞやの腰抜けに重なるわけだ。
 フッ、思い出話は後回しにしておくか。手助けは不要だ。この程度、私ひとりでどうとにでもなる」

着弾間近の電撃を胡乱げに見つめ赤きマントを靡かせて魔王がカエルの前に出つつみっともなく腰を抜かした魔術師を嬲る。
しかしストレイボウには魔王が投げつけてくるどんな嘲りの言葉よりも。

「……お前がそういうのならそうなのだろうな」

カエルのその言葉が痛かった。
魔王のことを信用してはいなくとも信頼していることがありありと分かってしまったから。

「カエル……」

縋るように発した声はカエルに届くことはなかった。
より強き力を持つ言葉に打ち消されて。

「地獄の雷よ。貴様も聞け、黒い風の泣く声を」

風が、吹いた。
魔王に向かって風が吹いた。
魔王の前後左右を護るように現れ回転し出した四つの魔力スフィア。
それらは万物を吹き飛ばすのではなく、巻き込むことで風を発生させていた。
ごうごう、豪豪、業業。
風は渦巻くたびに本来透明のはずのそれが黒と白に染められていく。
この地に漂う無念や絶望を、希望や祈りすらも次々と己が糧として飲み込んで、空間ごと大気中のマナを食らっているのだ。
世界に満ちたマナは魔王へと供物として捧げられ、大気が枯れ果て凍りつく。
絶対零度の風が吹き荒れるその世界はコキュートスのよう。
しかれば世界が凍結するのも道理。

「ダーク――」

風が、死んだ。
耳をつんざく悲痛な嘶きを最後に風が消失した。
風だけではない。色が、音が、匂いが消失した。
魔法陣が。
生命の力を奪い尽くした魔力スフィアが転じた魔方陣だけが。
地獄の浸食を妨げるかのように天と地に刻まれた白と黒の三角形の魔方陣だけが。
静止した灰色の世界を彩る結二つの色だった。

ジゴスパークがそうであったように。
全てが失われた寂しき世界こそが魔王の瞳に映る現世なのかもしれない。

「――マター」

現世を擬似的な冥界と化す禁術を完成させる呪文が響いた。




そこから先はアポカリプスの再現だった。
虚空にて、地獄と冥界が衝突する。
互いが互いに法則を上塗りしあい世界を書き換えていく侵し合い。
触れ合うたびに否定しあう存在の拒絶。
雷竜がのたうつ。全身をくねらせ、尾を振るい、爪牙を突き立て冥府の檻を震撼させる。
魔法陣が重なる。欠けた半身を補い六芒星に戻らんとして天地に横たわる雷を邪魔するなと圧壊していく。
見る間に地獄が罅割れ、冥界が砕かれ、竜が解け、魔法陣が崩れゆく。
時として数えるなら一秒にも満たない時間。
咲き誇った火花の数は計測不能。
世界が崩壊しているのだと言われたのなら誰もが間違いなく信じてしまうその光景は。
完膚なきまでに相殺しあった結果、始まりとは逆に、ひどく唐突に、何の予兆もなく、おぞましいほど静かに終焉を迎えた。

「……終わった、のか?」

誰かがようやっと呟いたのは思い出したかのように雨が再び降り出してからのことだった。



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098-3:Throwing into the banquet アキラ 106-2:届け、いつか(後編)
アナスタシア
ロザリー
ピサロ
ユーリル
イスラ
カエル
魔王
ブラッド
マリアベル
101:原罪のレクイエム ジョウイ
ストレイボウ


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最終更新:2011年12月20日 15:41