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*解説
[[維基文庫 曹植作品の項>>http://zh.wikisource.org/wiki/作者:曹植]]
解説サイトへのリンク:[[私家版 曹子建集>http://sikaban.web.fc2.com/]]

 「三国志(正史)」によれば、幼いころから文学を愛し、十ちょっとの年で多くの詩賦を暗誦し、多くの評論を残した。
 曹操が曹植の作品を見て「汝倩人邪(誰かに作って貰ったのか)?」と言ったとき、「そのような評価をなさるなら、今度は面前でお試しください。代筆など要りません(言出為論,下筆成章,顧當面試,奈何倩人)」と反論した。銅雀台が完成した時、諸将百官の並ぶなかで立派な賦を書き上げ、曹操を驚かせた。
 常に琴瑟調歌を為す、つまり一時も楽器を離さず詩を吟じていた。

 鍾嶸《詩品》では「建安之傑」と呼ばれ、中国文学史上でも重要な地位を占める。
 現存する作品は他の建安詩人の中でもっとも多く、独特の風格に溢れる。
 後世でも李白杜甫を初め多くの詩人に影響を与え、また数多くのパクリも生み出したという記述のサイトもあった。

 作品の特徴は、曹丕の即位を境に、前期と後期とに分かれると言われる。
 前期は曹操に可愛がられ、多くの文人に囲まれていた時期。後期は、曹操から受け継いだ激情や政治理想と、厳しい現実のはざまでの苦しみを詠んだものが多い。

 評価は「詩聖」と言われたように極めて高い反面、「但美遨遊,不及世事(謝靈運《擬鄴中集序》」とあるように、世間知らずな部分を指摘されている。
 兄である曹丕の作品は、目新しさを求めるあまり、詩としての完成度を置き去りにしているきらいがある。
 対する曹植の作品は、「自分の取材した結果」という視点で統一されており、非常に綺麗にまとまっている。
 曹操の革新的な才を曹丕が受け継ぎ、守旧的な才を曹植が継いだようにも思う。

 ……すまん、曹操と曹丕の解説だけでかなり疲れた。
 まぁ親切な方が、重要なところは[[漢詩大会の元ネタ集/三曹]]で説明してくれたし良いよね。

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*「白馬篇」 
白馬飾金羈,連翩西北馳。借問誰家子,幽並游俠兒。

少小去鄉邑,揚聲沙漠垂。宿昔秉良弓,楛矢何參差。
控弦破左的,右發摧月支。仰手接飛猱,俯身散馬蹄。

狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。邊城多警急,胡瞄數遷移。
羽檄從北來,厲馬登高堤。長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。

棄身鋒刃端,性命安可懷。父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。捐軀赴國難,視死忽如歸。

**編者訳「白馬篇」
白馬を金羈で飾り 連綿と翻し西北へ馳せる
問いかけよう「あれは誰の家の子か」「幽并出身の遊侠児!」

年若く郷里を去り 名を砂漠の果てまでも轟かせた
その昔は良弓を取り 荒削りの矢を差し構え
弦を引けば左的を破り 右に射れば月支を砕き
仰げば飛的を貫き 身を伏せては馬蹄を散らす

敏捷なること山猿にまさり 勇敢なること聖獣のごとし
辺地の城は火急が多く 胡兵が平野を埋め尽くす
檄文が北から来れば 馬を励まし長城に登る
遠く匈奴を踏みならし 左に返しては鮮卑をしのぐ

身を鋭い刃の端に捨てよう 生命など惜しくもない
父母もかつ顧りみず まして妻子に未練があるものか
壮士の籍に名を連ねれば 私情にかまけておれやせぬ
身を賭し国難に赴けば 死を視ること帰るが如し!

【羽檄】
(緊急の触れ文に鳥の羽を挟んだところから)急を要する檄文
【視死忽如歸】
出典:[[大戴礼記/上曾子制言上>http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%88%B4%E7%A6%AE%E8%A8%98]]」「及其不可避也、君子視死如帰」
> 大戴礼記は大戴礼とも言う中国の経書。前漢の戴徳撰。周・秦・漢代の礼説を集めたもの。
> 古典をうまく生かした上で、現代を見事に表した名作。

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*「七哀詩」
[[解説>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_chi/shichiai.html]]

明月照高樓,流光正徘徊。上有愁思婦,悲歎有餘哀。
借問歎者誰?言是客子妻。君行踰十年,孤妾常獨棲。
君若清路塵,妾若濁水泥。浮沈各異勢,會合何時諧?
願為西南風,長逝入君懷。君懷良不開,賤妾當何依?

**編者訳「七哀詩」
明月高楼を照らし 流光まさに徘徊す
楼上に思い愁う婦あり 悲歎してなお哀しみに余りあり
借問す「歎ずる貴方は誰か」言うに「是れ旅人の妻」
「夫行きて十年を越え 私は常に独り暮らし
 夫は清き路 私は濁水の泥
 浮沈はおのおの行く手を分かち 巡りあうのは何時のこと
 願わくば西南の風と為り 長く逝きて夫の懐に入らん
 夫が懐を開かぬならば 賤しい私は誰のこころに還るのか」

**別版:《宋書》 明月 東阿王詞
明月照高樓,流光正裴回。上有愁思婦,悲歎有餘哀。
借問歎者誰?自云客子妻。夫行踰十載,賤妾常獨棲。
念君過於渴,思君劇於饑。君為高山柏,妾為濁水泥。
北風行蕭蕭,烈烈入吾耳。心中念故人,淚墮不能止。
沈浮各異路,會合當何諧?願作東北風,吹我入君懷。
君懷常不開,賤妾當何依。恩情中道絕,流止任東西。
我欲竟此曲,此曲悲且長。今日樂相樂,別後莫相忘!

>「楚調怨詩」として、紹介されているもの。どちらが本辞なのか、関連性は不明。

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*「七歩詩(古詩源)」
[[解説>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_chi/7steps.html]]

煮豆持作羹,漉豉以爲汁。
萁在釜下燃,豆在釜中泣。
本自同根生,相煎何太急?

**編者訳 七歩詩
豆を煮てあつものと作し 醗酵した豆を漉して汁と為す
豆殻は釜の下にありて燃え 豆は釜の底にありて泣く
もとは同じ根から生まれしに なぜそうも激しく煎りつける

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*「野田黄雀行」
[[解説>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_chi/sparrow.html]]

高樹多悲風 海水揚其波
利剣不在掌 結交何須多
不見籬間雀 見鷂自投羅
羅家得雀喜 少年見雀悲
抜剣捎羅網 黄雀得飛飛
飛飛摩蒼天 来下謝少年

**編者訳「野田黄雀行」
高樹悲風多く、海水はその波を揚げる
利剣が手になければ、いかにして多くと親交をむすぶ
竹垣のすずめが見えぬか 鷹を見てみずから網に身を投ず
狩人はすずめを得て喜び、少年はすずめを見て悲しむ
剣を抜き網を払えば、すずめは飛翔せるを得る
飛び飛びて蒼天に至り、戻り来ては少年に感謝した

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*「送應氏二首」
**其一
步登北芒阪,遙望洛陽山。
洛陽何寂寞,宮室盡燒焚。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
不見舊耆老,但睹新少年。
側足無行徑,荒疇不復田。
遊子久不歸,不識陌與阡。
中野何蕭條,千里無人煙。
念我平常居,氣結不能言。

**其二
清時難屢得,嘉會不可常。
天地無終極,人命若朝霜。
願得展嬿婉,我友之朔方。
親昵並集送,置酒此河陽。
中饋豈獨薄,賓飲不盡觴。
愛至望苦深,豈不愧中腸!
山川阻且遠,別促會日長。
願為比翼鳥,施翮起高翔。

> ここで引用したのは、昭明文選版。
> ゲームだと其一ラストの「念我平常居、氣結不能言」が「念我平生親、気結不能言」になっている。
> 「曹子建集評注(世界書局)」でも「居」が「親」になっているので、素人ではどれが違うとは言えない。

**編者訳「送應氏」
其の一
歩いて北芒の坂を登り 洛陽の山を遥かにのぞむ
洛陽の何と寂寞なこと 宮室は尽く焼焚してしまった
垣根も塀もみな崩れさり ただイバラが茂り天にのびる
街には元から住む古老は見えず ただ新参の若者だけを見る
避けようにも行ける径が無く 荒れた畝が耕され田んぼに戻ることもない
旅に出て久しく帰らぬ者は 今の道や小道を識ることもない
寂静なる荒野の中心から見渡せば 千里の果てにも民が営む煙は無い
かっての住処は今いずこ 気がつまり言葉を失う

其の二
平和な時はしばしと得がたく 良き会合も常にあるものではない
天地に終極は無く 人の命は朝霜のごとし
安らかで素直な生活を共にしたいのに 我が友は北方に向かう
昵懇の友が並びつどい 送別の酒をこの河陽に置く
酒肴が一人だけ少ないのか 主賓の酒盃はいっこうに空く事がない
いつくしむゆえに私への望みも苦しく深く 君に報いえぬ我が身の情けなさ
険しい山河は我らを遠く隔てる 別れは迫り再会は長くのちのこと
願わくは君と比翼の鳥となり 翼を広げ起ち高く翔けたい

> 【北芒】洛陽の北東にある山。墓地として名高い。

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*おまけ「贈白馬王彪」「請祭先王表」
→[[「贈白馬王彪」「請祭先王表」]]

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