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*「歩出夏門行」
曲調:大曲(宋書)、相和歌大曲(楽府詩集)
出典:《漢魏六朝百三名家集(国デジ)》/《宋書卷21 志第11 樂三(維基)》/ 《樂府詩集 巻37(維基)》
**艶
雲行雨歩,超越九江之皋。
臨觀異同,心意懷游豫,不知當復何從?
經過至我碣石,心惆悵我東海。
**觀滄海
東臨碣石,以觀滄海。水何澹澹,山島竦峙。
樹木聚生,百草豐茂。秋風蕭瑟,洪波湧起。
日月之行,若出其中;星漢燦爛,若出其裏。
幸甚至哉!歌以詠志。
**冬十月
孟冬十月,北風徘徊,天氣肅清,繁霜霏霏。
鶤雞晨鳴,鴻雁南飛,鷙鳥潛藏,熊羆窟息。
錢鎛停置,農收積場。逆旅整設,以通賈商。
幸甚至哉!歌以詠志。
**土不同
郷土不同,河朔隆冬。流澌浮漂,舟船行難。
錐不入地,蘴藾深奥。水竭不流,冰堅可蹈。
士隱者貧,勇俠輕非。心常嘆怨,戚戚多悲。
幸甚至哉!歌以詠志。
**亀寿雖
神亀寿雖,猶有竟時。騰蛇乗霧,終為土灰。
老驥伏櫪,志在千里;烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天;養怡之福,可得永年。
幸甚至哉!歌以詠志。

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*てけとーな日本語
''艶''
雲と行き雨と歩き 九江のうねりを超えてゆこう
見える景色に同じものはなく 心に天意を宿せば 何に従う必要がある
過ぎ過ぎて碣石に至り 心は満たされぬまま東海へ

''觀滄海''
碣石から東の 大海を見る。水は滔々 島々まばら
樹木は茂り 草ぐさ豊か。秋風うなり 大波起こる
太陽と月は ここから昇る。かがやく銀漢も ここから出づる
至れり東海 歌もて述べん

''冬十月''
もう冬十月 北風めぐる。澄んだ青空 霜が地を覆う
ニワトリ鳴く朝 雁は南へ。つばめ隠れて くまは冬眠
農具をしまおう ことしは豊作。宿屋は整い 旅人を待つ
至れり快楽 歌もて述べん

''土不同''
土が違うぞ 冬の河北は。流氷ただよい 舟は進まぬ
凍土は砕けず 草は茂み深し。川水流れず 堅氷踏みぬく
隠者は貧しく 侠は仁を軽んず。心は常に嘆き 悲しみ降り積もる
至れり哀切 歌もて述べん

''亀寿雖''
神亀千年 なお終わる時あり。空飛ぶへびも ついは土くれ
駿馬老いるも 千里を思う。烈士は暮れにも 壮心やまず 
死期を決めるは 天だけじゃない。人事尽くせば 永遠を得る
至れり幸福 歌もて述べん

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*単語解説
【夏門】
洛陽伽藍記によると、洛陽の北面にある門の名前。漢代は夏門、魏晋代は大夏門と呼ばれた。
[[洛陽伽藍記(維基)>http://zh.wikisource.org/wiki/洛陽伽藍記]]

洛陽伽藍記の十二門簡易リスト(漢代、勘違いしていたら指摘よろり)
詳しくは、当時の洛陽を紹介する論文(例:[[北魏洛陽の形成と空間配置>http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/2006/ja/issue/pdf/200503jikuusekai.pdf]]など)をご覧ください

||COLOR(white):(,,゚д゚)|BGCOLOR(pink):夏門||宮観|穀門||
|上西門||||||上東門|
||||||||
|雍門|||城内|||中東門|
||||||||
|廣陽門||||COLOR(white):(ω・`)||望京門|
||||||||
|津門|小苑門||平門||開陽門||

・東面
東北:上東門:阮籍詩曰「歩出上東門」。魏、晋代の建春門。
東中:中東門:魏、晋代の東陽門。
東南:望京門:魏晋代の清明門,北魏の青陽門。
・南面
南東:開陽門:漢、魏、晋すべて同じ。
南中:平門:魏晋代の平昌門
南西:小苑門:魏晋代の宣陽門。前漢、北魏では、この近くに洛水が入城する津門があったという《尺度綜攷(近デジ)》
・西面
西南:廣陽門:漢、魏、晋すべて同じ。
西中:雍門:魏晋曰西明門
西北:上西門:北斗七星の観測台を兼ねる?魏晋では閶闔門
・北面
北中:夏門:魏、晋では大夏門
北東:穀門:魏、晋では廣莫門

【雲行雨歩】
《周易-彖伝》「大哉乾元、萬物資始。乃統天。雲行雨施、品物流形」
天が雲や雨をもたらし、水が流れるように、万物はあるべき形に向かって流れる。
天命のもと流れる黄河のように、あるべき所へ赴こう。
「雲行雨施」をあえて「雲行雨歩」に直したのは、自分や兵たちの足音と雨音をかけている?
何にせよ、地上にいる自分と、雲が流れる天を結びつけたものではある。

【九江】
《尚書-禹貢》で言う、いくつもの様々な河の流れ。複数の河。
もしくは、長江と廬山の間にある九江地区。

【游豫】
帝王が各地に巡遊するさまを指す。春に巡ることを"游"、秋に巡ることを"豫"という。
《孟子-梁惠王下》「遵古道以游豫兮」

【碣石】
1.墓碑
2.古黄河の河口
3.河北省秦皇島市昌礼黎県にある、海面から突き出た巨石の山島。そのため、書籍によっては「島」「山」とする。
 秦始皇帝が東巡(BC215)のさい、入海求仙を願い碑を建て、漢の武帝がBC110、仙台山頂に「漢武台」を築いた。
 《書経-夏書-禹貢》《尚書-禹貢》《史記-秦始皇帝本記》《漢書-武帝記》、唐代の記録にもあるなど、古代の有名な名所。

 主峰は仙台といい、山中に古刹「水岩寺」、岸壁の上に古人が刻んだ「碣石」の字がある。
 伝承につたわる「孟姜女廟」と4公里分の海を挟んで対峙しているため、地元の人は「孟姜女墳」と読んでいたが、20世紀後半に考古学者が碣石山上で秦漢代に作られた、海を望む為の大型高台を発見、特定した。

【惆悵】うらみ嘆き

【滄海】
1.青々とした大海原
2.渤海湾
3.北海と言われることもある

【星漢】あまのがわ

【幸甚至哉 歌以詠志】
 幸にして此に至り、これを見ることができた。よって詩をもって志をのべるものである。
 「志」については、詩経の序文に「在心為志,發言為詩(心にありて志と為り、発言すれば詩に為る)」とある。

【冰堅】
 《易経_坤卦》から、「堅氷」は大災のたとえとされることもある。
 風土だけではなく、河北や遼東での戦乱など、様々な困難を指しているか?

【神亀】
参考:曹植「[[神亀行>http://zh.wikisource.org/wiki/%E6%9B%B9%E5%AD%90%E5%BB%BA%E9%9B%86/%E5%8D%B7%E5%9B%9B#.E7.A5.9E.E9.BE.9C.E8.B3.A6.EF.BC.88.E5.B9.B6.E5.BA.8F.EF.BC.89]]」
「壽千歲。時有遺余龜者,數日而死,肌肉消盡,唯甲存焉。」

【老驥伏櫪,志在千里】
《韓非子_説林上》の「老馬は路を忘れず(道に迷ったとき、老馬を放ってあとからついて行くことで、道がわかったという話)」([[weblio>http://www.weblio.jp/content/%E8%80%81%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%8B%E9%A6%AC%E3%81%AF%E8%B7%AF%E3%82%92%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%9A]])の故事にもかけているか?
 曹操と共に中原を駆け回った名馬なら、さぞかし多くの道を知っているだろう。

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*コメント
[[原文引用元&解説>>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_so/hosyutsu_kamon.html]]

 「艶」では惆悵を抱いていたが、とても幸運なことに、さまざまな経験を経て、ここまで到達できた。
 ついには、幸甚にも「亀寿雖」の心境に到達できた。よって志を辞にしたためるものである。
 「何事にもへこたれない詩人」という見方もあるし、「曹操といえど、最初から気宇壮大な英傑だったわけじゃない」という見方もできるかしら。

 《楽府詩集》によると、《隴西行》とされることもあった。

《楽府詩集(台湾)》
>僧虔《技錄》云:「《隴西行》歌武帝『碣石』、文帝『夏門』二篇。」

 《宋書》では、「艶」を含む5つが掲載されている。
 しかし時代によっては、「艶」を削除した晋楽所奏《碣石篇》もしくは《碣石舞》が掲載されている場合もある。

《楽府詩集(台湾)》
>《南齊書‧樂志》曰:「《碣石》,魏武帝辭。晉以為《碣石舞》。其歌四章:一曰《觀滄海》,二曰《冬十月》,三曰《土不同》,四曰《龜雖壽》。」《樂府解題》曰:「《碣石篇》,晉樂,奏魏武帝辭。首章言東臨碣石,見滄海之廣,日月出入其中。二章言農功畢而商賈往來。三章言鄉土不同,人性各異。四章言老驥伏櫪,志在千里,烈士暮年,壯心不已也。」按《相和大曲》,《歩出夏門行》亦有《碣石篇》,與此並同,但曲前更有豔爾。

 元々は「艶」の章を含む詩だったが、晋代の朝廷で古人の辞を舞楽曲にした時、メインの四曲を舞曲として用いたという。
 「《歩出夏門行》には《碣石篇》があり、これらは同じものであるが、ただしさらに曲前があり、豔(艶)がこれに該当する」、つまり本曲の前奏曲として、艶があったとしている。

 いつ読んだものかは不明。いくつか説があるが、明確かつ確実なものはないんじゃないかな。
 碣石の単語から、207年の烏丸討伐の際、柳城(今の朝陽市)を出たとき、立ち寄ったものと推測されている。
 ただ、亀寿雖の雰囲気と秋胡行の雰囲気から見ると、そう若いときの作品ではないような気もする。
 [[苦寒行]]ラストで、周公の東山詩を挙げているので、或いは北征から帰ったあとに、東山詩にちなんで作ったのかもしれない。

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