「歩出夏門行」

雲行雨歩。超越九江之皋。
臨觀異同。心意懷游豫。不知當復何從?
經過至我碣石。心惆悵我東海。

a)水の流れを見た視点
山や川から雲が沸き起こり天より下る雨となり、迅速に九江の澤から溢れ出す。
異同を臨観し、陰陽の巡りに従い流れ行く。帰途に何を見、聴くのか。
碣石に流れ、大いなるうねりを抱えたまま東海へと流れつく。
(古代中国で黄河は世界を巡り、やがて元の水源に戻ると考えられたフシもあるが、単に海にかえるとして進める)

b)軍隊を見た視点
我々は雲集し豪雨のごとき足音をたて、軍隊の形を変えていく。
様々な外見の兵士達が。帝旗のもと一つにまとまっている。
征途に、帰途に何が待つか知らぬまま。碣石につき。心騒ぐまま東海につく。

c)作者本人の視点(《高唐賦》Ver)
宋玉《高唐賦》序の巫山の雲のごとく、朝には雲となり、夕べには雨となり大河の岸辺を行く。
その旅路では《賦》と同じものを、或いは異なるものを見た。
《賦》にも詠われる碣石に立ち寄った時を思いだし、志を歌にしようと思う。

觀滄海

東臨碣石。以觀滄海。水何澹澹。山島竦峙。
樹木聚生。百草豐茂。秋風蕭瑟。洪波湧起。
日月之行。若出其中。星漢燦爛。若出其裏。
幸甚至哉!歌以詠志。

東の碣石に望み、以って滄海を観る。《賦》の水世界に。山島が竦らに峙えるのみ。
春には樹木が群生し。百草が豊かに茂る。秋風が音楽を奏でれば。溢れんばかりの波が湧き起こる。
日月の行くこと。景色の中から出るが如し。燦爛たる天の川。水色の衣の裡から出るが如し。
成就あれ!歌以詠志。

《賦》「若浮海而望碣石」碣石を海上から望むよう 「水澹澹」略

冬十月

孟冬十月。北風徘徊。天氣肅清。繁霜霏霏。
鶤鶏晨鳴。鴻雁南飛。鷙鳥潛藏。熊羆窟息。
錢鎛停置。農收積場。逆旅整設。以通賈商。
幸甚至哉!歌以詠志。

冬の始まり十月。北風が地上を掃いて回り。空は透き通るように清らかで。霜が地を覆うこと甚だしい。
神鶏は朝の歓びを告げ。渡り鳥は大小問わず南へ飛び。猛禽も(軍隊も)翼を休め、熊も羆も冬眠に入る。
錢や鎛などの田器(農具)は停め置かれ。収穫された農作物は畑や圃に積みあげられる。旅籠が開放され、旅商が行き交う。
成就あれ!歌以詠志。

《賦》「雕鶚鷹鷂。飛揚伏竄~」 雕鶚鷹鷂(猛禽)も驚き飛び交い、みだりに獲物をとる余裕も無い

土不同(河朔寒)

郷土不同。河朔隆冬。流澌浮漂。舟船行難。
錐不入地。蘴藾深奥。水竭不流。冰堅可蹈。
士隱者貧。勇侠軽非。心常嘆怨。戚戚多悲。
幸甚至哉!歌以詠志。

郷土と違い。袁紹の支配した河朔は冬気が強く。流氷は浮き漂い。舟船が行くのも難しい。
錐も地に入らぬ農業の北限を越えた地は。鹿も立ち入らぬ不毛の地であり。
水は竭き流れず井戸を掘り進み。様々な艱難に苦しみつつ凍土を歩む。
士は貧しさに痛み地位を軽んじ。勇侠は武をもって法を犯す。
心は常に嘆じ怨み。くよくよと(または、諸将の忠告をはっと思いだし)悲しみにくれる。
成就あれ!歌以詠志。

《賦》「~賢士失志。~登高遠望,使人心瘁。」賢者も志を失う。高みに登り遠くを望めば、人の心を疲れさせる。

亀寿雖

神亀寿雖。猶有竟時。騰蛇乗霧。終為土灰。
老驥伏櫪。志在千里。烈士暮年。壯心不已。
盈縮之期。不但在天。養怡之福。可得永年。
幸甚至哉!歌以詠志。

神亀は千年単位で生きるが。それでも終わりがある。騰蛇は霧に乗り飛び回るが。土灰となって終わる。
老いた馬は櫪に伏しても。志は千里を駆ける。烈士は人生の暮れにも。若々しい心を保っている。
満ち欠けがあるのは、天に数多ある星だけではない(人命もまた同じ)。
この中原で心身を養う(私と諸君らの誼を交わす)幸福は。永えに続くべし。
成就あれ!歌以詠志。

《賦》
仙人を歌った後の最終章「王將欲往見。~建雲旆。蜺為旌。翠為蓋。風起雨止。千里而逝。蓋發蒙。往自會。思萬方。憂國害。開賢聖。輔不逮。九竅通鬱。精神察滯。延年益壽千萬歲。」
王よ、我が賦のごときを見たいと欲するならば~雲のごとく旗をたてよ、虹のごとくなびかせよ。風のごとく雨のごとく千里を往け。心の靄を晴らし、自らの目で見届けよ。
天下を思い国の害を憂い、賢者聖人に聞き、己の未熟を補え。天地四方の見聞を得て、精神は迷いなく、寿命をますこと千萬歳ならん。



出典等

出典 所蔵 No 分類 タイトル
雲行雨歩 東臨碣石 孟冬十月 郷土不同 神亀寿雖
晋書/志 国公 史002-0001 雑舞曲 碣石篇-観滄海 碣石篇-冬十月 碣石篇-土不同 碣石篇-亀雖壽
宋書/志 国公 280-0034 碣石-歩出夏門行-艶 碣石-歩出夏門行-観滄海 碣石-歩出夏門行-冬十月 碣石-歩出夏門行-河朔寒 碣石-歩出夏門行-亀雖壽
楽府詩集 国公 134-0001 相和歌辞-瑟調曲 歩出夏門行-艶 歩出夏門行-観滄海 歩出夏門行-冬十月 歩出夏門行-河朔寒 歩出夏門行-亀雖壽
舞曲歌辞-雑舞-晋払舞歌詩 隴西行注釈:碣石篇タイトル 碣石篇-観滄海 碣石篇-冬十月 碣石篇-土不同 碣石篇-亀雖壽
広文選 国公 361-0038 詩-楽府 碣石篇-観滄海 碣石篇-冬十月 碣石篇-土不同 碣石篇-亀雖壽
漢魏六朝 国会 2551357 巻19―20魏武帝集-楽府 碣石篇-艶 碣石篇-観滄海 碣石篇-冬十月 碣石篇-土不同 碣石篇-亀雖壽
漢魏六朝 国公 361-0051 巻21魏武帝集-楽府 碣石篇-艶 碣石篇-観滄海 碣石篇-冬十月 碣石篇-土不同 碣石篇-亀雖壽
古詩源 国会 958952 魏詩 観滄海 土不同 亀雖壽
古詩帰 国公 319-0009 巻7魏5武帝 観滄海 土不同 亀雖壽
古逸詩載 国公 319-0016 観滄海
古詩類苑 国公 319-0017 人部-述懐 歩出東西門行-艶 歩出東西門行-観滄海 歩出東西門行-冬十月 歩出東西門行-土不同
(叉は河朔寒)
歩出東西門行-亀雖壽
詩紀 国公 319-0023 魏第一-曹操-楽府 歩出東西門行-艶 歩出東西門行-観滄海 歩出東西門行-冬十月 歩出東西門行-土不同
(叉は河朔寒)
歩出東西門行-亀雖壽
石倉十二代詩選 国公 319-0025 魏四言詩-古巻之二 歩出東西門行-観滄海 歩出東西門行-冬十月 歩出東西門行-土不同 歩出東西門行-亀雖壽
八品函 国公 358-0014 巻1-魏人體-観滄海
黄節戔 中華書局 歩出夏門行 歩出夏門行 歩出夏門行 歩出夏門行 歩出夏門行
楽府古題要解(国公363-0089)では「歩出夏門行、歩出東門行、隴西行」

単語解説


【夏門】
洛陽伽藍記によると、洛陽の北面にある門の名前。漢代は夏門、魏晋代は大夏門と呼ばれた。
ただ200年代当時に使い物になったかどうかは不明。
洛陽伽藍記(維基)

洛陽伽藍記の十二門簡易リスト(漢代、勘違いしていたら指摘よろ)
詳しくは、当時の洛陽を紹介する論文(例:北魏洛陽の形成と空間配置など)をご覧ください

(,,゚д゚) 夏門 宮観 穀門
上西門 上東門
雍門 城内 中東門
廣陽門 (ω・`) 望京門
津門 小苑門 平門 開陽門

+ 一覧
  • 東面
東北:上東門:阮籍詩曰「歩出上東門」。魏、晋代の建春門。
東中:中東門:魏、晋代の東陽門。
東南:望京門:魏晋代の清明門,北魏の青陽門。
  • 南面
南東:開陽門:漢、魏、晋すべて同じ。
南中:平門:魏晋代の平昌門
南西:小苑門:魏晋代の宣陽門。前漢、北魏では、この近くに洛水が入城する津門があったという《尺度綜攷(近デジ)》
  • 西面
西南:廣陽門:漢、魏、晋すべて同じ。
西中:雍門:魏晋曰西明門
西北:上西門:北斗七星の観測台を兼ねる?魏晋では閶闔門
  • 北面
北中:夏門:魏、晋では大夏門
北東:穀門:魏、晋では廣莫門

【雲行雨歩】《周易-彖伝》「大哉乾元、萬物資始。乃統天。雲行雨施、品物流形」
天が雲や雨をもたらし、水が流れるように、万物はあるべき形に向かって流れる。天命のもと流れる黄河のように、あるべき所へ赴こう。
「雲行雨施」をあえて「雲行雨歩」に直したのは、天意と自分や兵たちの足音と雨音をかけていることに加え、宋玉《高唐賦》とこの作品をリンクさせるためか? 他にも考えられるのが何とも。

【九江】《尚書-禹貢》で言う、いくつもの様々な河の流れ。複数の河。
もしくは、長江と廬山の間にある九江地区。

【臨觀異同】何が異なり、何が同じか?
 《楽府正義》では、曹操の北征にあたり、諸将が劉備の危険性を説き反対したなか、郭嘉が曹操に賛成したことを指摘している。
 「我」の持つ複数の意味から、特定の意味に縛られるものではないとも解釈する。

【游豫】帝王が各地に巡遊するさまを指す。春に巡ることを"游"、秋に巡ることを"豫"という。《孟子-梁惠王下》「遵古道以游豫兮」

【碣石】
1.墓碑
2.古黄河の河口
3.河北省秦皇島市昌礼黎県にある、海面から突き出た巨石の山島。そのため、書籍によっては「島」「山」とする。
 秦始皇帝が東巡(BC215)のさい、入海求仙を願い碑を建て、漢の武帝がBC110、主峰の仙台山頂に「漢武台」を築いた。
 《書経-夏書-禹貢》《尚書-禹貢》《史記-秦始皇帝本記》《漢書-武帝記》、唐代の記録にもあるなど、古代の有名な名所。
+ 一覧
 山中に古刹「水岩寺」、岸壁の上に古人が刻んだ「碣石」の字がある。
 伝承につたわる「孟姜女廟」と4公里分の海を挟んで対峙しているため、地元の人は「孟姜女墳」と読んでいたが、20世紀後半に考古学者が碣石山上で秦漢代に作られた、海を望む為の大型高台を発見、特定した。

【惆悵】うらみ嘆き

【滄海】1.青々とした大海原、2.渤海湾、3.北海と言われることもある

【山島竦峙】八品函では、短歌行「月明星稀」と共に「清」とある。清は明るい、清らか、視界がクリア
【星漢】あまのがわ

【洪波湧起】「洪濤湧起」とする説有り。八品函「悲気(悲しい気を表す)」

 古歌(秋風蕭蕭愁殺人)、古八變歌(北風初秋至)、曹丕の燕歌行(秋風蕭瑟)や大牆上蒿行(陽春無)などを考えると、樹木が群生するのは春もしくは陽の季節。
 古典引用により、簡潔に、春の往路と秋の復路、四季の時間軸と景色の空間軸を組み合わせ、季節、作者の心の移ろいを描写したとも解釈される。

【鷙鳥】鷹狩りに使う猛禽の総称、ツバメなど諸説あり。

【熊羆窟息】曹操《苦寒行》「熊羆對我蹲」。
 詩経等から普段は樹上にいるが君子徳人に対してはうずくまる、礼を体現する獣と解釈。

【河朔隆冬】後漢書荀彧伝「袁紹既兼河朔之地」

【冰堅】《易経_坤卦》から「堅氷」は大災のたとえとされることもある。風土だけではなく、河北や遼東での戦乱など様々な困難を指しているか?

【神亀】参考:曹植「神亀行」「壽千歲。時有遺余龜者,數日而死,肌肉消盡,唯甲存焉。」

【老驥伏櫪,志在千里】
《韓非子_説林上》の「老馬は路を忘れず(道に迷ったとき、老馬を放ってあとからついて行くことで、道がわかったという話)」(weblio)の故事にもかけているか?
 曹操と共に中原を駆け回った名馬なら、さぞかし多くの道を知っているだろう。

【櫪】資料のひとつに習って(うまや)としたが、少し気になっていることがある。調べてない…

【盈縮之期】黄節は歳星(季節を司る星)が満ち欠けする、時の巡るさまを兼ねるものとしている。

【養怡之福】「養怡」は「養始」「養恬」とする説有り(古詩類苑)。黄節は説文解字「怡、和也」から、荀子の「養和」、君子が人々との交流を重視することとも解釈している。編者も天地、人々、作者の三者が平穏無事にあってこそ、誼を深めることが出来るという解釈をとる。

 盈縮之期。不但在天。満ち欠けがあるのは、季節を司る歳星だけではない。觀滄海で描写した春秋の営みだけではない。人も組織も欠けていく。老いゆく身を養い、綻びる組織を繋ぎ直す。百年の昔から指摘された古典的解釈。

【幸甚至哉!歌以詠志】
 この時代の「幸」は「罪人が枷から解放される」という意味に近いが、この作品では文意から「艷の失意に対し、気づく、悟る」ような意味もあると考える。

+ 志について。内容は、編者が知らなかっただけで、既に編者の数年前から渡邉義浩氏がより深い部分まで指摘しておられた
 「志」については、詩経の序文に「在心為志,發言為詩(心にありて志と為り、発言すれば詩に為る)」とある。一方で、歴代正史の楽志など「記録のまとめ」としての意味を持つ。この作品においては、北征という出来事を後から詠んでいる可能性もある。
 「過去」「自分の理想」それぞれの志を、掛け詞として重ねている可能性もある。

 詠志は、尚書「詩言志、歌永言(詩は志を言い、歌は言を永くす)」など。
 曹操の場合、「一合」や門に洽の字を書いた逸話があることを考えると、秋胡行「歌以言誌」の「誌」は「言志」の意味を併せ持っていることも考えられる。この作品の「詠」も、本来の意味とは別に、「歌永言」の意味を持つと考えられる。
(調べたら幾つか説が出てきたので、断言するのはちと危険かも)

 当ページでの訳は敢えて訂正しないが、中国文学・史学界隈では該当部分をはじめ「志」論が深まっていると伺っている。有り難い。
 こうした研究の先に、より本来の形に近い訳が出てくるだろう。

例:牧角悦子氏「曹操と楽府(二)―「歌以言志」「歌以詠志」の意味するもの―」(三国志学会編『狩野直禎先生追悼 三国志論集』汲古書院)



コメント

原文引用元&解説(リンク先ページ消滅)
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_so/hosyutsu_kamon.html

 「艶」では惆悵を抱いていたが、幸運なことに、さまざまな経験を経て、ここまで到達できた。
 ついには、幸甚にも「亀寿雖」の心境に到達できた。よって志を辞にしたためるものである。

 宋玉《高唐賦》や当時の状況を配慮するなら、こんな感じ?
「郭嘉のおかげで、巫山の夢を碣石に見た。留守役のおかげで中原は平穏に冬を迎えた。このとおり我々の旅は苦難の連続だった。神亀に終焉があるように、碣石の夢もいつか醒める。これからも《高唐賦》のように、あちこちの見聞を得て、諸君等の助言を得て、より長く濃厚な生を共有したい。諸君等の力を貸して欲しい」

《楽府詩集(台湾)》
《南齊書‧樂志》曰:「《碣石》,魏武帝辭。晉以為《碣石舞》。其歌四章:一曰《觀滄海》,二曰《冬十月》,三曰《土不同》,四曰《龜雖壽》。」《樂府解題》曰:「《碣石篇》,晉樂,奏魏武帝辭。首章言東臨碣石,見滄海之廣,日月出入其中。二章言農功畢而商賈往來。三章言鄉土不同,人性各異。四章言老驥伏櫪,志在千里,烈士暮年,壯心不已也。」按《相和大曲》,《歩出夏門行》亦有《碣石篇》,與此並同,但曲前更有豔爾。

 「《歩出夏門行》には《碣石篇》があり、これらは同じものであるが、ただしさらに曲前があり、豔(艶)がこれに該当する」、つまり本曲の前奏曲として、艶があったとしている。元々は「艶」の章を含む詩だったが、晋代の朝廷で古人の辞を舞楽曲にした時、メインの四曲を舞曲として用いたと考えられる。

 季語や裏事情が多様なのもあって、具体的にいつ、どの解を読んだか不明(本文の内容から、建安12年夏から冬に別々に作成した詩を後でまとめた、銅雀台完成時など)。
 純粋に読んだまま受け取るか、文章類型から古楽府などと組み合わせて解釈するか、奥の深い作ではある。

関連タイトル/高唐賦(国会)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1912796/10



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最終更新:2020年05月03日 11:35