詩聖フラグ持ち
一般武将
詩聖フラグを持つ特殊武将は、以下の特徴がある。
- 漢詩大会で、たいていは自作の詩が表示される。
- 漢詩大会の評価にボーナスがつく。
該当するのは、曹操、曹植、王粲、孔融、陳琳(、曹丕)。曹丕は特殊で、自作の詩が表示されるが、詩聖ボーナスはつかない。
上記の詩聖フラグと、(一般武将の場合は)詠む順番フラグを元に、どの詩が表示されるかが決まる。
詩聖フラグ持ちの場合、詠む順番と表示される詩は関係ない。
PS版以降では、PC版に比べ、詩が追加されている?
スレ9-709
実は「三國志VIIマニアックス」という攻略本に全部掲載されている
スレ9-712
引用ここから
◆全武将共通A◆
【膏火は自ら煎熬し】【多財は患害となる】【布衣もて身を終うべし】
竹林の七賢のひとり・阮籍の詠んだ詩。財産が多いのは災いのもとだから、高位高官を求めず庶民のまま一生を終えるのがいい、という意。
(中略)
◆全武将共通B◆ (中略、CDEまで)
曹操
【酒に対してはまさに歌うべし】
(中略)
以上五首は、曹操の『短歌行』からの抜粋。…(後略)
こんな感じ
スレ9-713
漢詩大会に出てきた読み下し文と、解説だけって感じか。ABC、は何か意味があるん?
スレ9-714
特殊武将を除いて1番手はAから、2番手はBから…5番手はEから詠む歌が選ばれる
一般武将用/詩経
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漢詩大会の漢詩全文/詩経
詩経は、中国最古の詩篇。いくつもの詩を集めて、ジャンルごとに分けたもの。当時、卿・大夫・士の必修教養だった。「之什」≒「の章」。
出典:「文王之什(詩経-大雅)」
われらの上にまします文王よ、ああ、その徳は天にも昭らかなものです。周は旧き国といえど、天命により維新を迎えるものであります。
大雅は文王之什、(殷の)湯王之什、生民之什の3部からなる。
文王之什は、周の文王などを読み上げたもの。
出典:「蓼莪《詩経-小雅-谷風(小旻)之什》」
南山は厳しい厳しい。激しい風が吹き吹きつける。民に不仲のものなどいないのに、私はひとりぼっちの身を悲しまなければならないのだ。
小雅は、詩経の中の作品で、為政の乱れを嘆いたもの。
出典:「蓼蕭《詩経-小雅-南有嘉魚(白華)之什》」
蓼彼蕭斯、零露泥泥。既見君子、孔燕豈弟
蓼(おいしげ)る彼の蕭(よもぎ)から、露がこぼれ地面はどろどろ。既に君子を見れば、露をあびた蕭のように清らかで楽しい気持ちとなるのです。
最後の「弟」の字を、ゲームでは「楽」としている。
出典:「何草不黄《詩経-小雅-魚藻(都人士)之什》」
犀に匪ず、虎に匪ず。獰猛な獣でもないのに、彼は荒野に率いられていった。哀しいかな我が夫は賦役にかりだされ、朝夕の食事の暇さえない。
出典:「無衣《詩經-国風-秦風》」
王が軍隊を出したら、我は戈矛を手入れして、貴方と同じ敵に向かおう。
詩經-国風は、各地の民衆を詠んだもの。
出典:「風雨《詩経-国風-鄭風》」
'風雨如晦、鶏鳴不已。既見君子、云胡不喜。'
外には風雨が吹き荒れ、鶏が鳴き続けても、でも私はあなたを見て、喜ばずにはおれない。
出典:「雄雉《詩経-国風-ハイ(北β)風》」
雄雉于飛。泄泄其羽。我之懷矣、自詒伊阻。
雄雉は雌に向かって一直線。其の羽音がしきりに響く。私は悩む、いっそ伊尹の逸話に習おうか。
淫乱で有名だった衛の宣公に悩まされる国民、ないしは臣下の詩という説あり。
漢詩大会で歌うような詩なんだろうか? 特に司馬一族が歌うと、ぎくりとする。
一般武将用/楚辞
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漢詩大会の漢詩全文/楚辞
屈原が詠んだと言い伝わる古代の辞。後世の創作という説もある。
屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。 端午の節句の元ネタ。
出典:「漁父辞」
高校の古文教科書の解説
楚辞のなかで、最も有名な一篇。追放された屈原と老いた漁師との会話を詠んだ辞。
屈原はすでに追放され江の淵や岸をさまよい、沢のほとりで吟じながら行く。
世の人は皆、意識を濁らせている。私ひとりが清く覚めている。人々は酒に酔い……
世の人がみな濁っているならば、どうして一緒に濁って、波を揚げようとしないのか。
- 滄浪之水清兮、可以濯吾纓。滄浪之水濁兮、可以濯吾足。
滄浪の水が澄んでいるなら私の冠の紐を洗おう。滄浪の水が濁っているなら私の足を洗おう。
出典:「離騒」楚辞詩篇のうちの一章。
乱に曰く、やんぬるかな! 国に私を知る人はいない。またどうして故き楚の都を懐かしむだろう?
やんぬるかな≒もうこれまでだ
出典:「国傷」○楚辞詩篇のうちの一章。
長剣を帯び、秦弓を挟み、首と身体が離れても心は砕けず。誠に勇であり、また以ってこれを武という。
一般武将用/漢代の有名人
出典:「秋風辞」漢武帝
簫鼓が鳴り棹歌がおこり、宴会はクライマックスに入ったが哀しみの情は多い。少年壮年の時はみじかく、老いた身を持て余す。
出典:「別歌」李陵
老いた母は、既に無くなった。君恩、母の恩に報いたいと欲しても、私に帰るべき故郷は存在しないのだ。
李陵は武将。祖父は「飛将軍」李広。司馬遷が宦官になった原因。
五千の歩兵で、匈奴の支配者率いる三万の兵を相手に善戦したが、糧食も武器も尽き、やむなく降服した。それを聞いた武帝に、老母はじめ家族を処刑されたため、帰るところもなく匈奴の地で生涯を終えた。
蘇建の詩と並び、前漢を代表する詩。
出典:「董嬌饒」宋子侯
私はこの曲を弾き終えたい。この曲は人のこころを悲しませる。帰り来て美酒を酌み、瑟を脇に挟んで高堂に上ろう。
後漢の詩人、楽人といわれる。生没年不詳。ゲーム内では2節目「此曲愁人腸」が略されている。
出典:「四愁詩」張衛
我が思う所は太山に在り。往きて之に従わんと欲すれば、梁父頚し……
後漢における天文学者。世界初の水力渾天儀、水時計、地動儀などを発明した。
出典:「飲馬長城窟行」蔡邕?
枯桑も空の風を知り、海水も天の寒さを知る。家に帰れば各自が家族をいとおしみ……
蔡邕の作、という説もある古詩。ちなみに陳琳の同名作とは別の作品。
一般武将用/古詩十九首
出典:「古詩十九首」
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漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首
南朝梁の、昭明太子が編纂したほうの「文選」等に掲載されたうち、古詩に区分される十九首。
作者は「無名氏(名無しさん)」。同じ梁の徐陵が編纂した「玉台新詠」によると、後漢の枚乗という説もある。
(古詩十九首其一)○
行き行きて重ねて行き行く。君と生きながら別離す。相去ること万余里……
(古詩十九首其二)
青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳、盈盈たる楼上の女……。
これでもれっきとした漢詩。
(古詩十九首其八)
君を思えば気がかりで老け込み、軒車は来るのがどうしてこんなに遅いのでしょう。慧蘭の花も痛み……
軒車は大夫の乗る車。
(古詩十九首其十三)
陰陽は昼と夜と鮮やかに移り、年命は朝露の如し。人生は寄しては返す波のごとく…
(古詩十九首其十四)
去った者は日に日に忘れられ、来る者は日に日に親しさを増していく。城門を出て直視すれば……
辞書(大辞林等)にも掲載されている、ことわざ。去者≒死者、来者≒生まれてくる者という解釈もある。
(古詩十九首其十五)○
生きている年は百に満たないのに、常に千年先を心配している。昼が短く夜が長いと苦しむ……
(古詩十九首其十九)
明月はこうこうと、私の横たわる床幃を照らす。憂愁に寝る事もできず……
一般武将用/漢代「古楽府」
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漢詩大会の漢詩全文/漢代「古楽府」
漢代に「楽府」が集めた漢詩集。
楽府とは、音楽をつかさどる役所のこと。後に、この役所で集めた楽章歌辞を「古楽府」と呼ぶようになった。詠み人は殆ど「無名氏」。
出典:「蒿里曲」
この荒れ果てた里は、誰の家地ですか。集まった魂、埋められた肉体に賢愚の差は無いのです。鬼伯は彼らに何を催促して……
出典:「枯魚過河泣」
干魚が河を渡りながら泣く。後悔は先にたたず。
「枯魚」は魚の干物のこと。古代のドナドナっぽい雰囲気。
出典:「悲歌」
泣く代わりに悲しみを歌おう。帰れない代わりに遠くを望もう。故郷を思えば、木が鬱鬱とするように心が沈み、山が累累と連なるように悲しみも連なる。
悲歌行ともいわれる。
出典:「西門行」○
今日楽しいことをやらにゃ、いつを待つんだい。楽しみを為すに逮(およ)べ。
やりたい事ヤッチマイナー。漢代から三国時代の流行歌といったところ。
出典:「戦城南」
城南に戦い、郭北に死す。野に死んで葬られず、鳥についばまれる。
出典:「上邪」
冬に雷が響き、夏に雪が降り、天地が合わさったならば、はじめて私は君への想いを絶とう。
一般武将用/晋代
出典:「猛虎行」陸機
渇くとも盗泉の水を飲まず、熱くとも悪木の陰で休まない。ところが悪木にも枝が茂らないわけではない……
これは有名。孔子はのどが渇いても、盗泉という名を嫌って、その水は飲まなかったことから。