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漢詩大会の漢詩全文/曹植 - (2012/05/28 (月) 08:58:55) の編集履歴(バックアップ)




解説


 「三国志(正史)」によれば、幼いころから文学を愛し、十ちょっとの年で多くの詩賦を暗誦し、多くの評論を残した。
 曹操が曹植の作品を見て「汝倩人邪(誰かに作って貰ったのか)?」と言ったとき、「そのような評価をなさるなら、今度は面前でお試しください。代筆など要りません(言出為論,下筆成章,顧當面試,奈何倩人)」と反論した。銅雀台が完成した時、諸将百官の並ぶなかで立派な賦を書き上げ、曹操を驚かせた。
 常に琴瑟調歌を為す、つまり一時も楽器を離さず詩を吟じていた。

 鍾嶸《詩品》では「建安之傑」と呼ばれ、中国文学史上でも重要な地位を占める。
 現存する作品は他の建安詩人の中でもっとも多く、独特の風格に溢れる。
 後世でも李白杜甫を初め多くの詩人に影響を与え、また数多くのパクリも生み出したという記述のサイトもあった。

 作品の特徴は、曹丕の即位を境に、前期と後期とに分かれると言われる。
 前期は曹操に可愛がられ、多くの文人に囲まれていた時期。後期は、曹操から受け継いだ激情や政治理想と、厳しい現実のはざまでの苦しみを詠んだものが多い。

 評価は「詩聖」「八斗の才(謝靈運)」と言われたように極めて高い反面、「但美遨遊,不及世事(謝靈運《擬鄴中集序》」とあるように、世間知らずな部分を指摘されている。
 兄である曹丕の作品は、目新しさを求めるあまり、詩としての完成度を置き去りにしているきらいがある。
 対する曹植の作品は、基本的に「自分の取材した結果」という視点で統一されており、非常に綺麗にまとまっている。
 曹操の革新的な才を曹丕が受け継ぎ、守旧的な才を曹植が継いだようにも思う。


「白馬篇」

白馬飾金羈,連翩西北馳。借問誰家子,幽並游俠兒。

少小去鄉邑,揚聲沙漠垂。宿昔秉良弓,楛矢何參差。
控弦破左的,右發摧月支。仰手接飛猱,俯身散馬蹄。

狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。邊城多警急,胡瞄數遷移。
羽檄從北來,厲馬登高堤。長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。

棄身鋒刃端,性命安可懷。父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。捐軀赴國難,視死忽如歸。

訳「白馬篇」

白馬を金羈で飾り 連綿と翻し西北へ馳せる
問いかけよう「あれは誰の家の子か」「幽并出身の遊侠児!」

年若く郷里を去り 名を砂漠の果てまでも轟かせた
その昔は良弓を取り 荒削りの矢を差し構え
弦を引けば左的を破り 右に射れば月支を砕き
仰げば飛的を貫き 身を伏せては馬蹄を散らす

敏捷なること山猿にまさり 勇敢なること聖獣のごとし
辺地の城は火急が多く 胡兵が平野を埋め尽くす
檄文が北から来れば 馬を励まし長城に登る
遠く匈奴を踏みならし 左に返しては鮮卑をしのぐ

身を鋭い刃の端に捨てよう 生命など惜しくもない
父母もかつ顧りみず まして妻子に未練があるものか
壮士の籍に名を連ねれば 私情にかまけておれやせぬ
身を賭し国難に赴けば 死を視ること帰るが如し!

【羽檄】
(緊急の触れ文に鳥の羽を挟んだところから)急を要する檄文
【視死忽如歸】
出典:大戴礼記/上曾子制言上(維基)」「及其不可避也、君子視死如帰」
大戴礼記は大戴礼とも言う中国の経書。前漢の戴徳撰。周・秦・漢代の礼説を集めたもの。
古典をうまく生かした上で、現代を見事に表した名作。


「七哀詩」

七哀詩(曹植)

「七歩詩(古詩源)」


煮豆持作羹,漉豉以爲汁。
萁在釜下燃,豆在釜中泣。
本自同根生,相煎何太急?

訳 七歩詩

豆を煮てあつものと作し 醗酵した豆を漉して汁と為す
豆殻は釜の下にありて燃え 豆は釜の底にありて泣く
もとは同じ根から生まれしに なぜそうも激しく煎りつける



宋書 置酒 野田黄雀行


置酒高殿上,親交從我游。
中廚辦豐膳,烹羊宰肥牛。
秦箏何慷慨,齊瑟和且柔。
陽阿奏奇舞,京洛出名謳。
樂飲過三爵,緩帶傾庶羞,
主稱千金壽,賓奉萬年酬。
久要不可忘,薄終義所尤。
謙謙君子德,磬折欲何求。
盛時不再來,百年忽我遒。
驚風飄白日,光景馳西流。
生存華屋處,零落歸山丘。
先民誰不死,知命復何憂!


「送應氏二首」


おまけ「贈白馬王彪」「請祭先王表」



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