バレンタインデーに胸をときめかせるほど、もてるわけでも、ウブでもなく、ましてや付き合っている彼女がいるけでもない俺は、
14日の数日前からそわそわしているクラスの雰囲気というものをそれなりに冷静に見ることができた。
「そりゃあキョンには大本命がいるから余裕だよなあ」
というクラスメイトたちからのよく分からない指摘に首をかしげながらも、俺はたかだかチョコのやり取りだけで、よくまあここまで
日本中が騒がしくなるものだと毎年のように感心していた。
下校時に通り過ぎるいくつかの店舗、特にお菓子を扱う店舗はコンビニまで含めて大々的にバレンタインフェアをしているの
を見ると、「ああ、今年も頑張ってるようだな、お菓子業界は」と思うのは、いささか自分でも冷めすぎだとは思うが。
「知っているかい、キョン?バレンタインデーというのはだね、昭和21年の2月14日ににGHQのバレンタイン少佐が子供達に
チョコを配ったのが起源とされているんだよ」
と俺に解説する佐々木の言葉を信じるほど俺は無知ではなかった。
「佐々木よ、それは俺でも聞いたことがあるウソ話だな」
そう言って俺は佐々木を半眼でにらみつけると、バレたかと佐々木は苦笑した。
「くっくっ、さすがにこれは信じてもらえないか」
「ああ、俺でも元々の聖人の話とか、他の国じゃ男女が逆とか、日本でチョコレートなのはお菓子業界の陰謀だとかぐらいの
基礎知識はあるのさ、残念だったな」
「まあ、それぐらいは常識の範囲だからね。それにしても、こうも学校中が浮かれているというのは、学校側としては色々と困る
だろうね」
確かに教室でこうして朝のHRを待つ間にも、男女問わずに何やら浮かれて教室に入って来る者が居ると思えば、何か決意す
るように綺麗にラッピングされた何かをもって教室を駆けだしていく女子、教室に駆け込むなり自分の机やロッカーをチェックして何
も入ってないことに落胆する男子など、中々におもしろくて微笑ましい光景が繰り広げられている。
「まあ、いいんじゃないのか?年に1回のことだし、これぐらいなら」
他人の色恋沙汰に首を突っ込むつもりは毛頭無いし、何やら修羅場が発生するわけでもなし、中学生らしいほのぼのとした光
景と言えなくもない。
「で、キョン、君は誰かからもらったのかい?」
俺の方を向かず、教室の様子をうかがいながら佐々木は聞いてきた。
「朝、妹からひとつな。それもフライングボディプレスで起こされて、うめいているときに口に放り込まれた」
キョン君義理チョコ上げるね、と放り込まれたのは1個20円のやつだ。何でもクラスの男子みんなにあげるそうで、俺はそのおこ
ぼれを貰えたらしい。
「ほう、君の妹さんはあの年でもう義理チョコを配っているのかい?」
「何でも去年何気なくあげたのが3倍だか10倍になってホワイトデーに帰って来たらしくて、それに味を占めたらしい」
まったく、小さくても女なのかね。
「しかし、義理チョコが社会の潤滑油のひとつとして機能しているのも、ひとつの側面だよ。普段お世話になってる人へ何か形に
しようというのは、そうそう悪いことじゃないさ。たしかに僕もホワイトデーのお返しへの女性側の期待が、年々過剰になったいる事
態ははいささか問題があるとは思うけどね」
確かに安いチョコをもらって、そのお返しで四苦八苦する管理職なんて話があるそうだが、こうなると俺みたいに義理でももらえそ
うにないのも、悪いことじゃない気がするのは、決して強がりなんかじゃないさ、うん。
「で、そういうお前は誰かにあげるのか?だいたいこういうイベント毎は興味無いって感じだが」
佐々木が顔を赤らめながら本命チョコを渡すのも想像できないが、明るく義理チョコを配って歩くのも無さそうだが。
「ああ、そうだった」
佐々木はそう言って鞄を漁ると、何やらラッピングされた包みを取り出した。
「義理チョコではなく、感謝チョコという表現もあるそうでね。これはこの1年ほどの僕からの感謝だと思ってくれたまえ」
にっこりと笑いながら、佐々木はその赤い包みを俺に差し出した。
「やけに大きくないか?」
A4ノートほどの大きさで、綺麗にリボンでラッピングされている。
「それだけ僕の君への感謝の気持ちが大きいということさ。時間もあったので手作りに挑戦してみたのだよ。来年からはそんなヒマは
無さそうだからね、まあ、これも青春の1ページというやつかな?」
俺は礼を言ってそれを受け取る。ずっしりと重いそれは、なるほどこの1年の感謝なのだろう。
「しかし、俺なんかがこんなの受け取っていいのかね?」
俺は佐々木に感謝されるようなことをした覚えが無いんだが。
「君は自分の評価をもっと高くするべきだね。僕がどれだけ君に感謝しているのかは、言語で表現するのは少々照れが入りそうだか
らね、バレンタインデーに便乗してそれを形にしただけだ。深く考えたり、あまり気にしないでくれ」
しかし、俺から佐々木へ感謝するべきことの方が、圧倒的に大きい気がするんだが。
「そう思うなら、今度のホワイトデーにでも、君のその気持ちを形にしてくれないか?君に手作りで何かを貰えるなんて期待してないし、
お菓子にこだわることもないから」
なるほど、その手があったか。
待ってろよ佐々木、俺の財布やセンスを総動員して、感謝を形にしてやるからな。
「くっくっ、期待して待ってるよ、キョン」
国木田「・・・というやりとりを朝の教室でやったせいで、キョンにチョコを渡すのを断念した女子が
複数いることを僕は知っている」
最終更新:2013年03月03日 01:37