29-806「佐々木と哲学」

「哲学」とは明治初期に、西周(にしあまね)という研究者が
フィロソフィーの訳語として充てたものなんだ。
元々は「賢哲を希求する」ということで「希哲学」としていたのだが、
最終的に「哲学」となったわけさ。
元々フィロソフィーとは、「フィロ・ソフィア(愛する・知)」の学問ゆえの命名なので、
その本義を汲み取った良い訳だと僕は思うな。
フィヒテの「知識学」というのは、ちょっと方向性はちがうけれども、
同じフィロソフィーの根本的な意味を汲み取った良い命名だと思うよ。
「ソフィスト」というのも、「自分たちこそは知恵者である」という、高い自負を
背負った呼び名だったのだよ。
ソクラテスの登場で、彼らは後世、煽動家やエセ哲学者のレッテルを貼られて
しまったけれどね。
他の訳語候補としては、「愛知学」などというものもあったけれど、
僕は断然「哲学」を推すね。


「僕の場合で行くと、さしづめ「フィロキョノロギー」とでも言うべきかな?」
などと独り呟いてた佐々木に、
「それはどこの早口言葉だ」と後ろから聴いてみたところ、
妙に驚いてやや赤面しながら、佐々木が説明してくれたのが上の解説だった。

……すまん佐々木、全然わからん。
そういうと、佐々木は何故かほっとしたような顔で、「やれやれ」というポーズをとった。
バカですみませんね。
「いや、君がそうであることで、今日ばかりは助かったよ」
そういうと佐々木はいつものように笑った。

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最終更新:2008年02月25日 09:42
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