佐々木さん、素数を数えるんだ、の巻
今日はキョンとの初デートである。
彼の方は絶対にデートと認識してはいないが、
二人きりで休日に出かけるのだから、これは立派な初デートなのだ。
「すまんな佐々木。この映画見たかったんだよなあ」
「い、いや、親戚がチケットをもらったものだから。
他にこのようなミステリを見たがる知人もいなかったものでね」
この劇場は入れ替え入場のせいで、上映まであと20分もある。
く。事前のリサーチが不足していた。これなら、外でファーストフードにでも入っていればよかったのに。
だ、ダメだ。キョンがあまりに近すぎて緊張してきた。
あ、この匂いはオーデコロンだろうか。普段身だしなみに気を配らないキミにしては珍しいね。
ご母堂の差し金だろうか。
これがキョンの匂い。キョンの……。キョンの……。
マズい、妙にトリップしそうになってしまったではないか。
何か会話をしないと。
そう、例えば、
『このミステリの犯人はXXなのだが、いかにミスディレクションを誘うかが監督の技量だろうね』
ダメだ。最初からネタバレしてどうする。
『この劇場は戦前は空軍の工場施設でね、そのせいでうんたらかんたら』
……キョンは耳を傾けてくれるかもしれないが、何か人として間違っている気がする。
「なあ佐々木」
「うわ、な、ななんだいキョン?」
「コーラとアクエリアス、どっちがいい? まだ時間あるから買ってくるわ」
「じ、じゃあ僕も一緒に……」
「いいって、チケットもらったんだから、これくらい奢るよ。で、どっち?」
「ありがとう。それならアクエリアスを頼むよ」
ああ、そういう何気ない優しさを、無自覚に振りまいてくれるところがまさしくキミらしい。
キョンは小銭入れを握り締めて席を立ち、すぐに戻ってきた。
アクエリアスを受け取った時に軽くキョンの手に触れて一層緊張してしまう。
抑えられた照明のおかげで、赤面しているのがバレなくてありがたい。
ダメだ。本当にダメだ。意識しすぎて訳がわからなくなってきた。
落ち着くんだ佐々木。こういうときは、素数を数えるんだ。
(2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31......)
「なあ佐々木……」
( 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79...)
「おーい佐々木やーい」
「 83, 89, 97, 101, 103, 107, 109, 113, 127, 131, 137, 139, 149, 151, 157,
163....)
「佐々木ー。帰ってこーい」
( 167, 173, 179, 181, 191, 193, 197, 199, 211, 223, 227, 229, 233, 239, 241,
251, 257, 263...)
……この後、6桁目までの素数を数え、さらにメルセンヌ素数を、
従来の44個からいっきに57個まで数え上げてしまった。
あれ以来、僕の黒歴史ノートの第1ページ目には、
「緊張したときに素数を数えてはいけない」と墨痕鮮やかに記されている。
おしまい
最終更新:2008年06月18日 22:07