67-8xx レポート用紙と伝えたい言葉

「キョン、伝えたい言葉が伝えられないって、もどかしい事だとは思わないかい?」
「なんだ佐々木。こりゃまた唐突だな」
 同意はしてやらん事もないが。

「くく、いや何て事はない。ただ自分の語彙不足に悩んでしまっただけの話さ」
「うん? ああ、そういう話か」
 佐々木はレポート用紙に向かったまま、上半身を捻り横顔だけをこちらに見せて笑った。
 つまりそういう事だな。なら俺にも解るぞ。

「そういう経験なら俺もあるぞ。むしろお前で語彙不足なら俺なんかどうなるんだ」
「ふ、くく、そう卑下することもないとは思うのだがね」
 いつもの事だがそうおだててくれるな。
 俺を木にでも登らせる気か?

「僕の為に登ってくれるのかい?」
「言ってろ」
 この場合は書いてろというべきか。

「むしろお前はだな、語彙が足りんというより表現が過多で迂遠なのが問題なんじゃないのか?」
「くく、よく見て、いやよく聞いていてくれるじゃないか」
「そりゃな。付け加えるならお前がそういうのが嫌いじゃないってのも解るぞ」
「おやおや、ますます嬉しい事を言うね」
 ますます佐々木の笑みが深くなる。
 お気に召したなら重畳だ。

「つまりは、なんだ、お前の自業自得みたいなもんだな」
「ごもっとも」
 言って再び佐々木はレポート用紙に向かう。

「……いや待て。お前、大学のレポート書くときは普通に書いてるよな?」
 いつものやたら迂遠な言葉遣いじゃなくてだ。
「おやおやようやく気付いたのかい?」
「おい」
 そりゃたまに写させて貰ってるしな。

「くく、そりゃそうだろキョン。レポートと言うのは基本、簡潔に書くものだ。自分の理解する所を他者に理解して貰う為なのだからね」
「じゃ一体今のは何の話だったんだ?」
「さあて」
 あちらを向いたまま、佐々木はくるくるとペンを回す。

「少なくともレポートの話ではないね。理解してもらう為に書くレポートにおいて、ためらいというものは基本的に必要ないものさ」
「じゃあなんだ、躊躇いが必要だっていう『そいつ』には、理解される必要性は無いのか?」
「くく、いい返答を返してくれるじゃないか」
「話をそらすな」
 ペンを回しながら、佐々木は向うを向いて笑っている。
 顔は見えないが、間違いなく笑っている。

「理解される必要がないのなら躊躇いも必要ないさ。形にせず、ただ人知れず葬ってしまえばいい」
「なら、形にしたがるって事は、理解されたいって事なのか?」
「そうだね。きっとそうなんじゃないかな」

「おっと」
「おいおい」
 そこで指を滑らせたか、回してたペンが飛ぶ。
 拾おうとして振り向いたあいつは、やっぱり笑っていた。

 佐々木は笑っていた。
 からかうように、楽しそうに。
 からかうのがとても楽しいのだと言う様に。

 実に楽しくて堪らないんだとでも言うように。
 実に、雄弁な笑顔だった。

「なあ佐々木」
「くく、なんだいキョン」
 言いつつ、俺はペンを拾ってやる。
「さっき、大学のレポートは理解される為に書くものだって言ったよな?」
「ああ、言ったね」
 手渡す。

「なら残念だったな。表情で表現するレポートがあったら、お前、『優』評価間違いなしなのに」
 渡してやりながら、ついでに手を握ってみた。

「おやおや」
 笑みが返ってくる。
 やっぱりこいつは雄弁だ。鈍重な感性の俺でも解るくらい、佐々木の笑顔は雄弁だった。
 そんな、なんでもない一日の話。
)終わり

「くく、面白い事を言うじゃないか。けど残念だがそれは無理だ」
「何故だ?」
「僕が、かま、じゃないな、から、そう、か ら か い た い のは教授じゃなく、キミだからね」
「左様か」
 しかし今スタッカートで喋る必要あったか?

「さあて。それにね、そうだ、キョン。キミは先ほど自分の語彙不足を嘆いていたようだが?」
「実際お前と比べりゃ月とスッポンだろ?」
「だが平均よりは上だと思うよ?」
「そうかね?」
 もはや完全に身体をこっちに向けて佐々木は笑う。
 腕を組み、わかってないなあ、とでも言いたげなのがなんとなく癪に障るぞ。

「悪いね、だがキミも変わってないな。前から思っていたが、キミは割と自分の能力を懐疑的に見る癖がある。客観視のつもりなのだろうが、僕に言わせれば悲観というものだ」
「さっきも言ったがおだてても何も出ないぞ」
「くく、なら僕から出してあげよう」
「何をだ?」
「言葉さ」

「そうやって何にでも、自分自身に対してでさえ懐疑的なキミだから。だから僕は言葉にしなければならなかったし、言葉にするのさ。些か難しいが試みてみようじゃないか」
「無理しなくて良いぞ」
「やだね」

「キョン、困難に挑戦し、課題をクリアしてこそ人間と言うものだ。出来なかった事が出来るようになるのは快感というものだよ。……では聞きたまえ」
 くくくといつものように笑って、佐々木は再び口を開いた。
 その先は……まあ勝手に想像してくれ。
 ちょっと気恥ずかしいんでね。
)終わり

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最終更新:2012年09月08日 03:07
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