大晦日の夕方5時。玄関前にて。
「少し早くないかな?」
「そうでもないさ。今から行かないと行列に並ぶハメになるからな。それに今回はコイツがついてくるし」
俺の後ろには、妹の姿があった。
「いつも連れて行け、てうるさいからな。今日は連れて行ってやるさ」
既に今年も残すところ、あと一日。一年を締めくくる大晦日の夕方に俺と佐々木は、年越し蕎麦を食べに行
くことにした。最近評判の「多丸蕎麦」という、兄弟で営業している蕎麦屋の記事を佐々木が見つけ出して、
ここに行ってみようと言いだしたのだ。
ただ、昔、俺は大晦日に蕎麦屋に家族と行き、えらく待たされた経験があるので、それを踏まえて早めに行
くことにしたのだ。
俺は白いマフラーを首に巻き、佐々木は白いポンチョに帽子――すなわち、二人ともお互いにクリスマスに
もらったプレゼントを着てきたわけである。
別に申し合わせた訳ではなく、単なる偶然だが、俺達はお互いが大切な存在であることを、あの日認識し合い、
今までの関係より、少し前へと進んだ。とは言っても、まだ佐々木を「恋人」だと公言するのは照れが残っている。
じゃあ、どういうふうに紹介するかと問われたら、「俺にとって、一番大事な存在」と答えようと考えているが。
妹を真ん中に、俺と佐々木と三人で手をつないで歩いているのだが、こうやっているとまるで俺達三人が家族の
様に思えてくる。
こんな暖かい時間が続いて欲しい、と俺はそう思った。
俺の読み通り、蕎麦屋はまだ開店したばかりのようで、客はそんなに多くなかった。
店員は俺たちを置くの座敷席に案内してくれた。
「いい感じだね」
趣のある座敷席に座り、お品書きを開く。
「佐々木、なにを食べたい?」
「そうだね。外は冷えるから、ここは鴨南蛮蕎麦を行こうかな。キョンは何にする?」
「俺は衣笠蕎麦にしようかな。ついでにササミの信州揚げとやらも頼んでみるか」
「妹ちゃんはなんにする?」
「あたしは天ぷら蕎麦!」
そうやって賑やかにやっていると、店員が他のお客を座敷席に案内しながら、注文を取りに来た。
「あれ。」
「おや、こんなところで」
店員が連れてきた客は、古泉と橘だった。
「奇遇ですね。あなたがたも年越しの良き風習を味わいに?」
その通りだ。お前たちもか。
「ええ。とりあえず、正月には実家に顔を出すことにしましたので、その前に京子と二人で蕎麦を、と思いまして」
「まあ、顔を出すだけなんですけどね。一樹さん、本当は今年も帰らないつもりだったんですよ。私が説得したから
何とか承知してくれたんですけど」
おせち料理とか食べないのかよ。
「こちらの家に京子と作った分がありますから。よかったら、食べに来ませんか。夕方には戻ってきますので」
そんなやりとりを興味深そうに見守っていた妹が古泉たちに話しかける。
「お兄さんとお姉さんて、結婚しているの?」
「いいえ。まだ結婚はしていませんよ」
「そうなの?じゃあ、同棲しているの?」
・・・・・・妹よ、どこでそんな言葉を覚えてきた?
「今は学校が休みだから、一樹さんのおうちに泊まっていますけどね」
「へえ、お姉ちゃんたち、すごいんだ!」
何がすごいのかさっぱりわからん。
「ねえねえ、キョン君も佐々木お姉ちゃんと一緒に住めばいいんだよ。そしたら、いつでも三人で遊びに行けるよ」
「それは魅力的な提案だね。どうだい、キョン?君の家にしばらく下宿しても構わないかい?」
・・・・・・おい、佐々木。妹に悪乗りするなよ。だいたい、俺の家に部屋の余裕はないぞ。
「ならば、僕の家にするかい?うちなら部屋は空いているよ」
そう言いながら、佐々木は楽しそうに笑っていた。
各自頼んだ蕎麦が来て、そのあと、直ぐに古泉達の蕎麦も来て、それをすすりながら、色々な事を話した。
「来年はどんな年になるんでしょうかね」
さあてな。ただ、良い年であることを願うよ。俺にとってもお前にとってもな。
ほぼ同時に蕎麦を食べ終えると、俺達はサッと店を出ることにした。次の客を待たせない様にしないとな。
「成程、”粋”というわけですか」
すでに店の前には人が並んでいた。
「それじゃ、良いお年を」
古泉達と別れて、俺達は一旦俺の家に戻ることにしていたが、その前に妹がケーキを食べたいとか言い出し
たので、洋菓子店による事にした。
大晦日で通常より早く閉まるのだが、ぎりぎり間に合った。
「何にしようか?」
「あたし、イチゴのショートがいい!」
んじゃ、俺はエクレア五種セットだな。佐々木はなにがいい?
「そうだね。チョコレートムース・ミルフィーユ重ねにしよう」
思い思いのケーキを買い、俺達は家への道を急いだ。
家に戻った後、三人で近くの温泉センターに行き、今年最後の垢落としをやった。佐々木と一緒にお風呂に入れて
妹は喜んでいた。
風呂から帰ってきて、俺達三人は俺の部屋に集まった。
俺の自室に小さな炬燵とテレビとストーブが置いてあるが、その炬燵の上に蜜柑とケーキ、飲料水が並べ
れれた。
「大晦日は紅白だよね!」
妹の一言で、俺と佐々木は紅白歌合戦につきあわされることになった。
「ところで、キョン。古泉君と橘さんだが……彼らは幼馴染で相当親しい関係だと思っていたんだが、どうやら
僕の予想していたよりもまだ親しい関係のようだね」
そうか、佐々木は知らなかったな。橘は親同士が決めた古泉の婚約者だ。古泉はそのことが原因で家を出てこちら
に転功してきたらしい。橘は16歳になったので古泉を追い掛けて来たというわけだ。
「なるほど。法的には女性は結婚出来る年齢になったというわけだ。しかし、たしか古泉君は……」
涼宮のことだろう。確かにあいつは涼宮も好きなんだが、橘の事も大事に思ってはいる。迷いがあるのは事実さ。
だけど、いずれ自分で決断するとは言っていたからな。
「どちらも魅力的な女性だからね。古泉君も迷うだろうね」
色々なことを話しているうちに、時間は過ぎ、気がつくと時計の針は10時半を過ぎていた。
「もうそろそろ休んだほうがいいね」
妹は半分眠りかけていて、佐々木にそう言われ、お休みと言って、自分の部屋に戻った。
チャンネルを切り替えたが、あまり面白い番組もなく、俺は電源を切った。だいたいくだらない番組を見るくらい
なら、佐々木と話していた方が、よほど面白いし為になる。それは俺達が中学生の時から変わらない事実だ。
それから色々話しているうちに時計の針は11時45分を指していた。
ぼちぼち出掛けるとするか。
俺達は神社に初もうでに行く事にしていたのだ。
「風邪引かない様にしないとね」
俺と佐々木はばっちり防寒対策をして、家を出た。
除夜の鐘が聞こえるなか、俺達は神社へ向かった。
この町一番の神社で、土地の守り神でもある廣神大社は、すでに初詣に来た参拝者で夜中にもかかわらず賑わっていた。
参道の横に並ぶお店や屋台からは威勢のいい掛け声が聞こえ、人々が新年を迎えた喜びを胸に抱き、神様に挨拶に来て
いた。
人並みにはぐれない様に、俺達は手をつなぎ、鳥居をくぐり、本殿へ向かう。
佐々木と並んで賽銭を投げ、鈴を鳴らし、柏手を打つ。
何を祈ったかは二人だけの秘密だ。
「おい、キョン、キョンじゃないか!」
参拝を済ませた後、参道を歩いている途中、俺のあだ名を呼ぶ声に俺達は足をとめた。
「やっぱりそうだ。それと佐々木さんも」
俺達を呼び止めたのは、俺たちと同じように二人連れだった。
「須藤、それに岡本」
中学時代のクラスメートで、岡本は新体操をやっていて、その流れで女子高に行き、須藤は北高とは別の学校に行った。
「久しぶりだな、キョン。卒業以来か」
だな。同じ市内に住んでいる割には会わないものだな。
「確かにな。まあ、学校が違うとなかなか会う機会がないからな。北高には大分同級生が通っているとは聞いていたんだが、
そいつらともあっていないし」
「私も女子高だから、同じ中学出身者は少ないのよね」
なるほど、しかし、その二人が何故一緒にいるんだ?
「ァ、その……まあ、なんだ、実はだな……」
「あたし達、今つき合っているの」
口ごもった須藤に変わり、岡本があっけらかんとそう言った。
岡本は美人と評判で、同級生の人気も高かった。須藤の奴も、岡本にあこがれていたらしい。
結局、須藤は思いを伝えることが出来ず、卒業したわけだが、夏休み頃に偶然再会し、交流が復活し、秋頃からつきあう様に
なったそうだ。良かったじゃないか、須藤。
「ああ。まさか想いが通じるとは思ってはいなかったが、玉砕覚悟だったんだ。でも良かったよ、告白して。仮に振られたと
しても、何もしないよりは後悔する事もない、と考えていたからな。結果も良かったし」
中河が似たようなことを言っていたな。あいつも朝倉と仲良くやっているし。
「それにしても、キョン君と佐々木さん、やっぱり一緒にいたのね。まあ、中学時代から公認みたいなものだったから」
岡本の言葉に、少し照れくさい気分になる。
「ああ、そうだ。キョン。実は3月ぐらいに同窓会をやろうかと考えているんだ。俺達と隣のクラスの合同でな」
それはおもしろいかもしれないな。
「そういえば、さっき国木田君の姿をみかけたわ。すごい美人と一緒だったけど。二人で仲良さそうに話していたけど」
たぶん鶴屋さんだな。今回は朝比奈さんが付いていないようだな。国木田め、新年早々やるな。
「キョン、まだ本決まりじゃないんだが、一応頭に入れておいてもらえないか。正式に後で連絡はするが」
わかった。俺も皆と会えるのは楽しみだ。
「それじゃ、佐々木さん、キョン君、元気でね。また、ね」
岡本と須藤は手を振って、去って行った。
「須藤も幸せそうだったね」
そうだな。好きな人に自分の思いが通じたんだからな。
「それは僕にも言えることなんだよ、キョン。君に想いが届いたことは、すごく幸福に感じるよ」
参道を、しっかり手を繋ぎながら俺達は歩く。お互いの温もりを感じながら、気持ちを繋ぎながら。
今年一年も、佐々木と共に歩めるようにと祈りながら。
だが、俺達の日常の終わりは、俺達の知らないうちに近づいていたのだ。
この時の俺達は、そんなことを全く考えていなかった。
最終更新:2013年04月29日 13:55